いつもの街角 〜Stand by "you”〜 <中編>
ベルゲンにも木枯らしが吹く季節になった。
図書館奥の休憩室では、ストーブに載せたやかんが蒸気を吹き上げる。
穏やかな時間。
「ビジュさん、いますー?」
先月アルバイトとして入ったばかりの学生が、ひょいと顔を覗かせる。
「あ、いたいた。会いたいって人が来てますよ」
不満そうなツラでアティさん以外の女性が、と続ける。「どうしてこいつばっかり」という
のが如実に伝わってくるのと同時に、好奇心も抑えきれないようだ。
「女?」
「早く行ったほうがいいですよ、この寒いのに外で待つって聞かないから……。
あ、アティさんには内緒にしとくんで」
したり顔で言うのを鬱陶しく思いながら玄関口へと向かう。
女はそこに立っていた。
きついめの面立ちとやせぎすの身体は好みが別れるところだろうが、そこそこの美人ではある。
見知らぬ顔だった。
「ビジュさんですね? 私『帝都日報』のアイリーン・シエルと申します」
差し出された名刺には帝国有数の新聞社名が刷り込まれている。
「で、俺に何の用だ」
「立ち話もなんですし場所移しましょう」
言うなりさっさと歩き出す。
有無を言わせぬ雰囲気に呑まれたように、ビジュもつられて歩を進めた。
喫茶店で差し向かいになった女は、運ばれたコーヒーを物憂げに掻き回す。
黙ったままの女に少々苛立ちを覚え、
「用がねェんなら」
「元は陸軍所属。第十二次旧王国戦後は陸海軍問わず転属を重ねる」
暇を告げる台詞を遮るのは。
「二年前に海軍第六部隊へと配備。その後隊の壊滅を機に退役」
「テメエ……」
それは。
「調べました。あの部隊の数少ない生き残りである、貴方のことを、ね」
「どうしてだ」
知らずに握った掌に爪が喰い込む。
数秒の間が何十倍にも感じられた。
「海軍第六部隊所属召喚兵キース―――聞き覚えがあるはずです。貴方と同じ隊にいたんだから」
激情を覗かせる抑えた声は、嵐の前の静けさを思わせた。
「あの人は帰ってこなかった。あの人以外にも大勢の人が帰ってこなかった。
一体何があったの? 貴方なら知っているでしょう?」
「……公式報告があっただろ」
「あんなの嘘よ! 事件のこと、調べたのよ。あのレヴィノス家が動いていた。娘の不祥事を軽くするため?
それだけなら何故もう一人のレヴィノスの人間の存在は無視されたの?
しかもこの件の調査中、軍部から圧力がかかった―――なによ、何があるっていうの。
誰がキースを殺したのよ?!」
絶叫に店内の視線が何事かと集まる。
女の目は爛と光る。巧みに化粧で隠しているが、目の下に隈があるのが見えた。
「さっき言った通りだ」
今度こそ立ち上がる。これ以上居るのは、まずい。
「待ちなさい―――私は諦めないから!」
声はどこまでもついてくるようだった。
休憩室に戻ると、アティがのんびり紅茶啜っていた。
ついでにバイト員がアティ口説いていた。
「―――だから今度学校見学に来なよ。僕が案内するからさ。ついでにそのあと食事でも」
意味もなくバイトの座る椅子の足を蹴る。
憤然として振り返った顔が、やばいと引きつる。
「……」
「……ははは、じゃあそろそろ警備に戻らなきゃ。お疲れ様でしたっ!」
「……愉快なひとですね」
慌てて出て行く後姿を見送って、アティはのほほんと呟く。
無自覚かわざとか、どちらにしろ性質が悪い。
まあビジュがどうこう言える立場ではないのだが。
「そういえば女のひとが訪ねてきたそうですね」
成程、逃げた理由はひとつではなかったわけだ。
「テメエもよく来るがな」
はぐらかしは「常連へのサービスってことで」の一言で流される。
不意に、真剣な表情になり、
「アイリーンさんですか」
驚きまじまじと見つめる。今日は心臓に悪いことばかり起こる。
「やっぱり」
「あの女、知ってるのか」
「何日か前に私の所にも来たんです。部隊壊滅の事件を調べてるから、話を聞きたいって」
アティも事件の関係者として幾度か証人喚問を受けていた。
レヴィノス将軍の手回しで通常と比べればずっと簡単なものではあったが、
それでも一時は周囲がひどく騒がしかったものだ。
「その時彼女言ったんです。『あれは事故じゃない、事件だ』って」
世間的には、あれは嵐という天災と、それに対応できなかった指揮官が引き起こした
『事故』という認識になっている。
それらの目からすれば、女の行動は奇異に映るだろう。
だが、真相を知り、尚且つ隠そうとする者にとっては。
「一応それとなく忠告はしておいたんですけど……やっぱり諦めてないんですね」
沈んだ声なのは、自分たちの保身ばかりではない。
島での出来事を隠蔽するのに、アズリアの父親にあたるレヴィノス将軍を巻き込んだ。
もし秘密が暴かれることになれば大きなスキャンダルとなる。軍の勢力図がひっくり返りかねない。
それを望む者もいれば、望まない者もいるだろう。
そして、望まない者が強硬手段に出ることも考えられるのだ。
「今度会えたら、もう一度調査をやめるよう頼んでみます。できれば貴方も」
頷く。
それしかできなかった。
―――誰が殺したの?!
声が、ずくずくと浸食する。
誰を。
直接手を下した者を責めるのか、死を招いた者を責めるのか、知りながら沈黙を続ける者を。
断罪と名を変えた声が、過去を引きずり出す。