いつもの街角 〜Stand by "you"〜 <後編>  
 
 
アイリーンとの邂逅から二日が経つ。姿はあれきり見えない。  
アティも彼女との連絡方法を持たないらしく落ち着かぬ様子だ。  
「どこかの宿に長期で泊まってるとは思うんですけど。とにかく探してみます」  
相も変わらずのお節介ぶりを発揮し、暇をみては街中を歩き回っているが、芳しい結果は得られないまま。  
ビジュの方は普通に勤めに出ていた。基本的に立ってりゃいいだけの仕事なので悩む時間だけは充分ある。  
がしがし頭を掻く。『待ち』の姿勢は苦手だ。  
考えのまとまらないまま雑踏を眺めていると、一人の男が目についた。  
ごくありふれた服装の男だ。どうしてそんなのに注意がいったのか考えていたからか、  
近づく足音への反応が遅れた。  
背筋を震わせる視線に身体を向ける。  
幽鬼、という失礼な表現がしっくりくる女がいた。  
「上司からの電報―――『キケン、スグカエレ』 あの事件で知られたくないことがある誰かがいるみたいね。  
 しかもかなりの力を持つ誰かが」  
浮かべた笑みは引きつっていた。疲労からかそれとも恐怖からかは判然としない。  
「調査を止める気は」  
「……ないって言ってるでしょう!」  
ヒステリックな返事。逆にいえば、そうしなければ自分を保てないところまで追いつめられているのだろう。  
「キースは死んだのよ。そりゃあ軍人なんだから覚悟はしてた。  
 でも本当の原因を揉み消されるなんて、そんな非道赦せない!」  
こんなに叫んでも、行き交う人々は好奇の目を向けはすれどもそれだけ。  
肩で息する女を少しだけ哀れに思った。  
「とにかく、答えは前と同じだ」  
「……っ」  
 
身を翻す女の腕を咄嗟に捕らえる。  
「ちょ、放し……」  
「なるべく人の多い場所を通れ」  
え、と呆ける肩越しに先程の男を睨む。男はさりげなく視線を逸らし人ごみへとまぎれた。  
注意を惹かれた理由が分かった。男の身のこなしが、戦場に身を置くもののそれなのだ。  
アイリーンと関連があるとはっきりしたわけではないが、  
今の様子からするとあながち外れではなさそうだ。  
手が力一杯振り払われる。  
怒りと怯えとで足早になる姿が見えなくなってから、連絡先を聞いておけば良かったと後悔した。  
 
帰り際に訪ねてきたアティに、  
「あの女が来た」  
「連絡先は?」  
首を横に振る。アティは眉根を寄せ、アイリーンの様子を訊いた。  
「……だいぶ追い詰められてたな、ありゃ。尾行もついてたみてえだ」  
「そこまで……」  
しばし考え込んでいたが、ふいに顔を上げ、  
「家に来ません?」  
「誰の」  
「私の」  
いきなりだ。しかし通常ならば最高の殺し文句のはずなのに、  
糖度が全く感じられないのは状況のせいか。  
「アイリーンさんのことで聞いて欲しいことがあるんです。ついでに夕ご飯ご馳走しますよ。シチュー」  
メニューの問題じゃあないのだが、まあいい。  
「別に構わねェぞ」  
「じゃ、行きましょう」  
警戒心のなさについて説教が必要だろうか、と以前にも感じたのを思い出した。  
 
 
アティの住処は学生用のアパートの一室。  
と、鍵を差し込む手が止まる。  
不審げなビジュへと、ドアに挿んであったメモを手渡した。  
『夜にもう一度訪ねます。シエラ』 走り書きは乱れて読み難い。  
「……誘いかけたのはこれか?」  
「偶然ですよ、予想はしてましたけど。アイリーンさんに迷いがあるのなら私の所にも来るだろうって。  
 その前にどうしても話しておきたいんです」  
ほぼ入れ違いだったらしく、メモからは香水の残り香がした。  
 
部屋には心地好い程度の乱雑さが漂っていた。  
「すいません、適当に隅にまとめてください」  
テーブルの上には本やらレポート用紙やらが置きっぱなしになっている。  
医学書に、歴史の参考書に、  
「……『恋する乙女はその身ひとつで空を飛ぶ』?」  
猛然とアティが駆け寄り少女趣味な装丁の文庫本を奪う。耳が真っ赤だ。  
「い…いいじゃないですか私がこういうの読んでも!」  
「誰も悪いと言ってねェだろ」  
「じゃあ腹抱えて笑わないでくれます?」  
そのままでいると持ったおたまでぶん殴られそうなので一旦やめる。  
「わざわざ買ったんだな、他は借り物で済ませるくせに」  
「……横切りって攻撃範囲広いから便利ですよねー。  
 ところで、おたまって短剣と杖どっちに分類されると思います? まあ私はどっちでも攻撃できますけど」  
斜め後ろからの不穏な台詞がへらず口を封印した。  
 
 
温かいシチューに、二度焼きしたパン。付け合せは温野菜のサラダ。  
きちんと手間かけた料理は旨いという当たり前のことを思い出させてくれる。  
「美味しかったですか?」  
「食える味だな」  
「……作り甲斐のない」  
食事片付けた後、他愛なく毒吐きつつも紅茶を淹れたカップを渡す。  
そしてひどく真剣な表情をして、  
「アイリーンさんのことですけど……私ひとりの問題なら迷いなんかしません」  
偽善者と謗られかねない言動は素であるからこそ、ある種の人間の神経逆撫でするのだが  
慣れというのは怖ろしい。ビジュも今ではすっかり平気になってしまった。  
「でも、真相を話せば島のことも他の人に知られてしまう。それは嫌なんです」  
底知れぬ魔力と召喚術の知識を蓄えた島は、  
旧王国との小競り合いを続ける帝国軍部にとっては魅力的に写るだろう。  
だが帝国にとっての幸せが、島の幸せとはならない。  
島の住人が願うのは戦いのない平和な暮らし。アティが守りたいのは彼らの幸せ。  
「最初から答えは決まってたんだよな」  
「ええ」  
「で、何でわざわざ俺に言うんだ」  
「決意表明かな。私のすることは理由はどうあれ悪いことだから、  
 途中で躊躇ったりしないように、きちんと言葉にしておきたかったんです」  
他人を傷つけることを何よりも嫌う彼女が静かに微笑む。  
「貴方は、どうですか」  
「……黙ってるさ。だがテメエみたいに誰かの為じゃねェ。自分の為だ」  
ビジュの望みは、この手に入らないと思っていたぬるま湯のような日常。  
アティがそっと目を伏せ、  
「私も、ですよ。今を失いたくないから過去を隠そうとしてる」  
 
そっちはそれだけじゃあないだろう、と続けるべきか迷い、誤魔化すように紅茶を口にする。  
冷えたそれは、少しばかり舌に苦かった。  
 
「―――アイリーンさん、来ませんね」  
時計の針はとっくに十時をまわっている。  
「最終間に合わなくなる前に帰った方がいいですよ」  
「俺は別に泊まりでも」「却下」  
笑顔で速攻断られる。  
「……そっちから誘っといてなんつー言い草だ」  
文句は言うが、無理に我を通す気もない。  
むしろビジュのせいでアイリーンが感情的になる可能性もあるのだから、帰るべきだろう。  
「また雪降りそうだし、傘持っていくといいですよ」  
「いらねえ」  
戸口でちょっとした押し問答している最中、  
微かな、悲鳴。  
「……あれ」  
―――やめてよ、来ないで!  
今度ははっきりと聞こえた。  
「アイリーンさん?!」  
路地裏にふたつの黒ずくめの影と、スーツ姿の女を認めた瞬間、  
無謀にもアティはブーツで雪に濡れた石畳を全力疾走する。  
案の定というか足滑らすが、同時に黒ずくめのひとりにタックルかけて巻き込み引き倒す。  
器用に相手を下敷きにしたアティを見、残るひとりが剣に手を掛け、  
鈍い音がして男の鳩尾に傘の石突がのめり込んだ。  
男は呻いて、傘を投擲したビジュへと目を遣り、  
「―――退くぞ!」  
躊躇いなくアティへと蹴りを入れ仲間を助け起こす。  
彼らは闇へあっという間に溶け込んでいった。  
 
事態についていけず呆然としていたアイリーンだが、我に返り這いずりながらアティへと近寄る。  
「非道い……お…女の子蹴るなんて……」  
「先に手ェ出したのはこっちだがな」  
「でも女の子じゃない! 怪我したらどうするの―――病院、病院連れていかないと!」  
半ば錯乱状態の彼女を宥めるように肩へとしなやかな手が添えられる。  
アティは少々眉をしかめながらも、口元を綻ばせてのけた。  
攻撃の瞬間自分から転がって衝撃を和らげた。かすりはしたが治療が必要な打撃ではない。  
「立てるか」  
「アイリーンさんに手を貸してあげてください。……ああ、マント洗濯したばっかりだったのに」  
泥まみれの姿顧みて溜息を吐く。白い息が夜気に溶けていった。  
「……なんなのよお」  
しゃくりあげる、声。  
「旧王国じゃあるまいし何でこんなこと起こるのよ……キース……」  
地べたで側転したアティよりは幾らかまし、程度の状態で、アイリーンは泣き続ける。  
切れ者記者でも、狂気を孕む真剣さで恋人の死を探る女でもなくなって。  
立ち上がるアティに、ビジュが低く告げた。  
「連中に見覚えがある」  
レヴィノス将軍との会見の際、案内役をした男と、昼に見かけた男。両方とも将軍の部下なのだろう。  
アティにも心当たりがあったらしく小さく頷いた。  
「脅しだけみたいですね……今はまだ」  
聞こえないよう言ったつもりだったのだが、過敏になったアイリーンは気づいてしまった。  
びくりと身体を震わせ、壁にすがりおぼつかない足取りで身を起こす。  
 
 
独りで帰すのは危険なので、宿まで送ることにした。  
着くまでの間一言も発しなかったアイリーンだが、宿の灯りが見える段になり、  
小さく、有難う、と呟いた。  
「明日帰るわ。編集長からも、早く戻らないとデスクなくなるぞって脅されてたし」  
「今日はそのことで?」  
「実は迷ってたんだけどね……あんなことされたら選択の余地なんてないじゃない」  
化粧の流れた顔は隈とやつれで彩られていた。  
「―――ビジュさん、最後に訊かせて。キースを殺したのは『誰』」  
これがおそらく、真相を告げ死者や遺族への贖罪を行う最後の機会。それは正しいこと。為されるべきこと。  
「嵐だ」  
「……そう」  
アイリーンの瞳に諦めと安堵がゆらめく。  
「死んでもいい、って思っていたわ」  
平坦な、怒りも悲しみも押し潰されてしまった、声。  
「キースの死の真相を掴めるのなら死んだって構わないって。  
 でも、あんなに痛いなんて、怖いなんて知らなかった」  
だから諦める。死が、恐ろしいから。  
その結末を惰弱と責めることが誰にできようか。ましてや真相を隠蔽する者に何が言える。  
「じゃあね、もう会うこともないでしょう。新聞記者事故死なんて記事でないよう祈っといてくれる?」  
洒落にならない冗談を残し去る背中は、酷くかぼそかった。  
 
 
 
人は残酷な生き物だから、いつかこの日も過去として圧縮してしまうのだろう。  
それでも消せないものがある。  
贖罪とは、傷つけられた者にのみ救いをもたらすのではない。  
痛みを与えた者の罪悪感を打ち消す手段でもあるのだ。  
もちろん全てが赦されるわけではないだろう。しかしその時は『許さない誰か』に憎しみを向ければいい。  
では、贖罪の方法すら失ってしまった者は。  
 
冷たい手が触れる。背中にアティの体重がかかる。  
静寂。昏い空から雪が落ちてきた。  
傘を開こうとするが、投げつけた衝撃で骨が歪んでしまい動かない。  
「ひどくなる前に帰るか」  
「……うん」  
アティの手をのけかけて―――結局そのままで歩き出す。  
 
 
「今日のこと、忘れません」  
雪に溶け込んでしまいそうな囁き。  
全て覚えておこう。悲しみも、己が無力さも、傷つけた人の存在も。  
贖いと呼ぶにはささやかな誓い。  
償いと称するにはゆるやかな業。  
「……貴方にだけ罪を背負わせたりしない、なんて嫌ですよね」  
「最悪だな、押し付けがましい」  
「でしょうから言いません」  
代わりにせめて、離れてしまう時まで、共に居る。  
そこに救いなくとも、懺悔もどきの可能な相手がいれば少しは楽になるかもしれない。  
だから。  
あなたの側に。  
 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル