甲板の上に、二人は立っていた。  
潮風に赤い髪をなびかせるアティと、その視線を余裕の表情で受け止めるビジュ。  
対峙する姿はさながら荒野の決闘者か。  
「で、覚悟はついたか?」  
「いつでも」  
取り囲む兵士達は大体がにやにやし成り行きを見守るのみ。  
アティはすう、と深呼吸し―――  
「いきます!」  
白衣の裾がひるがえる。  
手には鈍く光る刃。鉄を鋳型に流し込み成型したもので、シルターンのシノビが用いる『クナイ』という  
投擲用の武器である。  
ビジュも既に得物を手にしていた。こちらも投具ではあるが、アティとは違い投げナイフ。  
腰を僅かに落とし構え。  
―――投じたのは、ほぼ同時。  
海原を渡る風を、波による揺れをねじ伏せ放たれた一撃が的を射る。  
 
乾いた二音が重なり響く。  
視線の先には。  
 
アティが悔しげな声を噛み殺す。ビジュは口の端を嫌味ったらしくつり上げ、  
「また俺の勝ちだな、ええ、軍医殿?」  
「く―――っ!」  
 
壁に並んで立てかけたふたつの人型の的があった。木製のそれには腹から胸にかけて円が描いてある。  
クナイは左の的の中心から少しずれた位置に、投げナイフは右の的、見事ど真ん中に突き立っていた。  
 
ちなみに左の的の顔面にはいつもいつも物資補給をけちる後方支援部責任者の似顔絵が、右の的には  
面倒な上実入りの少ない仕事を押し付けてくる別部隊の海軍士官のそれが、御丁寧に貼りつけてある。  
「だからアティさん、本職と勝負だなんて無謀なんですって」  
「挑戦もいいけれど身の程を知るのも大事ですよー」  
「外野は黙っててくださいっ」  
人事だと思って勝手なことを言いやがる平兵士らに怒ってみせるが、童顔の悲しさ、歴戦の海兵を怯ませる  
には到底至らない。  
「で、約束は覚えてるだろうな」  
「分かってます」  
「約束?」  
「負けた方が今日の夕食を作ることに……ってアズリアいつから居たんですか」  
黒髪の女隊長がいつの間にやら横で首を傾げていた。  
「お前らが睨み合っている最中からだが。ところで的に貼ってあるのは一体」  
アズリアが見咎めるより速く、アティは的に駆け寄り似顔絵をひっぺがす。真面目なアズリアはこの手の  
冗談を嫌うのだ。  
「―――隠す必要のあるものなのか?」  
「ええと、気にしない気にしない」  
明後日の方向を見つめ、後ろ手に紙をくしゃくしゃに丸めてしまう。証拠隠滅現行犯から注意を逸らす為か  
兵士のひとりが誰にともなく言った。  
「でもアティさんのお蔭で賭け勝てましたよ。感謝します」  
途端。台詞に笑みを浮かべる者あり、渋い顔する者あり。  
「……それって負けて良かった、ってことですか」  
拗ねるのに兵士は首を横に振り、  
「だってアティさんが負けるの確定じゃないですか。それじゃ賭けになりませんて」  
「…………」  
「中心からどれだけずれるかを賭けにしてたんですよ。いやー自分予想大当たり」  
 
つられて他の面々も「もっと真ん中寄っていれば」だの「一番人気はもう十センチ外だったんだけどなあ」だの言い出し、本人蚊帳の外で論評は続く。  
「そんな勝てないと決まったわけじゃ……」  
「無理だろ」  
「無理だな」  
「ビジュさんはともかくアズリアにまで?! 傷心の私は厨房を占拠します夕食を覚悟してやがりなさい」  
よよよ、と泣き真似をしながら走り去る後ろ姿を見送る。  
「軍医さーん、まだ二時ちょいなんだけどー」  
誰かの呼びかけは燦々と煌めく日光へと溶けていった。  
 
 
夕刻になり食卓に料理が並ぶ。海上という条件と料理人がアティだけということから品数的には少々  
淋しいが、質はそれを補って余りあった。帝国ではまだ珍しいコメを使った炊き込みご飯は固過ぎず  
柔らか過ぎずの絶妙の炊き上がり、肉団子入りスープはコンソメを効かしたなかにキャベツとにんじん  
が彩りを添える。  
士官用のちょっぴり上等な部屋に集合し、いつも通り夕食を、  
「―――コレは何なんだ」  
摂ろうとして、ビジュが赤いものを乗っけたスプーンを突き出す。  
ソレは奇妙なカタチをしていた。  
「何、って。  
 あひるさんですけど」  
スープを啜りつつしゃらっと答えるアティに悪びれた様子は全くない。  
「違う! どうしてこんなのが入ってるのかを聞いてんだよ!」  
「奮闘四時間、手を(にんじん汁で)赤く染めて下ごしらえしたのにこの扱い、悲しいです。あ、海上での  
 食料は大事ですから残さず食べてくださいね。残したら懲罰ものですから」  
ビジュのみならず何ともいえない表情でスープを眺める士官連中へと微笑み、今度は炊き込みご飯へと  
手を伸ばす。ほくほくと出汁の効いたコメと賽の目切りにんじんの鮮やかな赤が目に楽しい。成る程成形の  
余りはこれに使ったのだな、と感心することしきり、  
「……なわけあるかあっ!」  
 
「うるさいぞ、ビジュ」  
アティに長く付き合っている分耐性があったのか、いち早く食事を再開したアズリアが咎める。  
「しかし隊長、流石にこれは……」  
隣に座るギャレオが、三十過ぎてコレは辛いのですが、と助け舟を出そうとし手元を見遣り気づいてしまう。  
スプーンに細切りたまねぎと一緒に引っかかっているのは、  
「―――うさぎ?」  
呟くギャレオ。  
「うさぎだな」  
覗き込み頷くアズリア。  
「ええ、うさぎさんです。あとひよこさんもありますよ」  
答えるアティ。にんじんは長い耳を持つ小動物をデフォルメした形に切り取られていた。  
諦めたのかそれとも怒りが限界値を越えたのか、ビジュはこめかみを押さえつっぷしかける。  
それまで無言で料理をつっついていたイスラがふと問うた。  
「アティさん、あひるとひよこの違いって?」  
「ひよこさんの方がちょっと丸いんです」  
「なるほどね」  
椀をかき回すのは探しているからだろうか。だとしたら意外と子どもっぽい処がある。  
「……軍医殿、こりゃあ昼の仕返しか」  
「否定はしません」  
それでも食えるだけましなのだ。そう考えなければやってられない。  
ビジュは覚悟を決めてファンシーな食卓へと挑む。  
 
 
その後「悔しいが美味かった」と感想を洩らした……かどうかは定かではない。  
 

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