例えばここに一組の男女がいる。彼らは同じ街に住んでいて共通の知り合いを持ちながら、半年以上  
顔を合わせていなかった。なのに出張先で偶然はちあわせする確率というのは、どの程度のものなのか。  
考えるのも馬鹿々々しいゼロの羅列を予想してアズリアは苦々しげに頭を振った。  
偶然なわけがない。誰かの意志が働いているに決まっている。  
そしてその『誰か』は判明していた。  
「「……アティ」」  
呟く名前は同一のもの。  
アズリアにとっては親友にして信頼のおける部下、男―――レックスには姉にあたる女性。  
 
 
港湾都市アドニアスに位置する、帝国海軍支部。帝都の軍本拠地と比べても見劣りせぬ規模の敷地を  
歩く、アズリアの機嫌は悪かった。  
理由は、細かいのも含めれば色々あるが、主に先程朝一で済ませてきた会合に起因する。  
海戦隊にて小隊長を務めるあの狸おや…もとい中尉がおしつけがましくも提案してきたのは、アズリア  
率いる第六部隊への作戦協力だった。前回の作戦において予想外に怪我人の多かった彼女らの代わりに、  
海賊への囮役を買って出た―――表向きはそういう事になってる。  
「最初はのらくら協力を拒んでおきながら、今更何が『同じ帝国兵士として力をお貸し致しましょう』だ!」  
先の戦闘で弱った海賊の捕縛、言い方は悪いが手柄の横取りが目的としか思えない。  
腹立ち紛れに吐き捨てるアズリアの、軍人にしてはかぼそい背中を二歩ぶん間を空けギャレオは追う。  
 
帝国軍では珍しい女性士官であり、しかも女性初の上級軍人を目指すアズリアへの風当たりはきつい。  
他の隊が嫌がる面倒な上に大して見返りもない任務を押しつけられることもざらだし、何より編制もろくに  
されていない部隊の統率を命じられたのだ。気苦労は並大抵ではないだろう。  
あるいは、とギャレオは思う。  
レヴィノスの家名を盾にすれば少しは楽になるのではないか。  
幾多の優秀な軍人を輩出し、軍内外に厳然たる影響力を持つレヴィノス家。その子女であるという事実は、  
使いようによってはアズリアの夢を叶える手段となり得る。  
 
だが不器用と紙一重の潔癖さからそうすることはないだろう。そんな彼女だからこそ喜んで従うのだ、とは  
言わない。口に出す必要はない、態度で示せがギャレオの持論であった。  
―――喩えアズリアが決して振り向く事がないと解っていても。  
 
ひとしきり毒づいて落ち着いたのか、仕切り直しにとアズリアは深呼吸しギャレオに向き直る。  
「とりあえず、作戦日時が四日後に決定した。全員への通達を頼む」  
「了解しました。作戦までの自由行動を許可しますか?」  
「そうだな……それが好いだろう。但し羽目を外しすぎないよう釘は刺しておいてくれ」  
準備もあるので向こう三日間フルに休めるわけではないが、ふって湧いた休暇は丁度好い骨休みになる。  
部下のみならずアズリアにとっても、だ。  
「しかしどうするかな……」  
休日の使いみちについて考え込むアズリア。部下の見舞い……はめでたく昨日で全員退院したから没。  
急ぎではないが書類整理……隣の副官が「隊長が働いているのに自分が休むなど出来ません!」なぞと  
言いそうだ。他人の休暇を削るのは本意ではない。よって没。  
あとは、と所在なく視線を移し。  
丁度好いのを見つけた。向こうもアズリア達に気づいたらしく歩み寄ってくる。  
「お早うございます。話し合いは終わりました?」  
いつもの白衣をひっかけてアティはそう訊ねた。  
「ああ、運航会社の協力は取り付けられた。作戦協力の客船は四日後に出航する」  
「ではそれまで休みですね。ところでアズリア、これから暇はありますか」  
良かったら一緒に街に行きませんか、との誘い。正に渡りに舟。  
「是非そうなさって下さい、隊長。たまには息抜きも必要でしょう」  
ギャレオにも勧められ、よしと決めた。  
「たまには好いか。じゃあ行くぞ」  
「ええと、行くのはいいんですけど、着替えないんですか?」  
アティの指摘に、む、と己が軍服姿を見下ろす。  
 
規模の大きい軍施設がある関係上、アドニアスでは軍人の姿はさして珍しいものではない。アズリアが  
目立つとすれば、それは帝国軍に数えるほどしかいない女性士官である、という点であろう。  
 
ちなみに軍人は『男の子の憧れる職業ナンバーワン』であり、軍服は一種のステータスでもある。  
某兵士の統計によると、軍服着用時と非着用時とではナンパ成功率に三割の差がでるそうな。  
閑話休題。  
 
「別に街を散策するだけなんだろう? このままでも問題はない」  
「それはそうですけど……まあいいや。では、隊長お借りしますね」  
妙にはしゃいだ様子で腕を取る。戸惑うが退院して自由に歩きまわれるのが嬉しいのだろう、と解釈した。  
「捕まえなくても、ちゃんと付き合う。ではギャレオ、出てくる。遅くとも夕刻までには戻る」  
「はっ」  
見送るギャレオも、内心久方ぶりの休暇に心浮き立たすアズリアも、アティがこっそりほくそ笑んだのに  
とうとう気づかなかった。  
 
 
「どこか行きたい所でもあるのか?」  
アズリアの問いにアティは地図らしきものが書かれたメモ用紙をかざす。  
「まずはお勧めのカフェにでも行ってみようかと思いまして。昼にはまだ早いですけど、気が向いたら  
 そこでごはんにしても好いですし……あ、あったあった」  
「良さそうな所だな」  
カフェはオープンタイプ、板張りのテラスにテーブルがいくつか出してある。外から見る限り内装も落ち着いた  
もので、華美さや浮ついた装飾を苦手とするアズリアにも好感触のようだ。  
足を向けるのを不意にアティが引き止めた。  
「あの、ちょっと用事があるので先に入っておいてくれませんか?」  
済まなそうに言うのに、気にするなと頷く。  
「席を取っておけばいいんだろう。あまり待たせるなよ」  
「はい。あ、テラスの、奥から二番目辺りのテーブル付近がいいと思いますよ」  
何故か場所を細かく指定してきたが、戻ってきた時探しやすいようにだろうと特に疑問も抱かず素直に従う。  
 
天気が好いのを受けてか、外に設えたテーブルはあらかた埋まっていた。  
空きがなければアティには悪いが中に行こう、と座れそうな場所を探すさなか。  
不意に。鮮やかな茜色が視界に飛び込む。  
テラスの奥から二番目のテーブルに座るのは。  
癖の強い赤毛。飲みかけの紅茶と栞を挟んだ文庫本。男にしては白い肌。驚きに丸くなる紺青の瞳。  
「アズリア?」  
学生時代のライバルであり友人で、親友の弟で、自分と同じくあの赤いあくまの謀略に頭を抱えた、  
「レックス」  
この時アズリアは嵌められたと確信した。  
 
 
「―――とまあ私の方はこんなところだが、お前は」  
「俺は家庭教師することになってる子と待ち合わせしてたんだけど、昨日アティから連絡が入って、もし暇があれば街の案内してくれないか、って頼まれてここで合う手筈だったんだ。……アズリアが来るなら来ると言ってくれれば良いのに、アティときたら」  
しかも自分は無断退却ときた。  
テーブルに人影が落ちる。  
「お客様、伝言を預かっております」  
茄子紺のエプロンドレスを身につけたウェイトレスがテーブルの脇に立ち、何やらどこかで見たことのある  
メモカードを差し出した。  
見覚えがあって当然だ。アズリア、それにレックスもそれが筆記用具として支給される場所、すなわち  
帝国軍に縁があるのだから。入隊直後に退役したレックスの場合、過去形で表すのが妥当であろうが。  
飾り気のない実用一点張りの白地には、たった一言。  
『 ふ た り き り で楽しんでください   アティ』  
本気で目眩がした。  
なんて露骨。なんてベタ。  
周囲を見回してみるが、見慣れた赤毛娘の姿はない。だが長年あの性悪に付き合ってきた二人には  
分かっていた。彼女は近くにいる。そして策略の成功にガッツポーズのひとつも決めているに違いない。  
 
でなければこんなタイミングの良い差出なぞ出来るものか。  
「追加の御注文はありますか」  
ウェイトレスの言葉に無言で首を振り、カードを握りつぶす。  
「行くぞ」  
これ以上醜態を晒してたまるか、との思惑を込めて立ち上がった。  
レックスが溜息を吐き、  
「ごめん」  
姉の代わりに謝る。なんとなく女難の相が出ていそうだ。  
またのお越しを、との挨拶を背に連れ立って店を出る。  
 
 
策略に嵌るのが嫌ならばとっとと解散すればいいだろう、とは野暮の極み。ここは黙って見守るが吉。  
 
 
途中で見つけた公園の屋台でサンドイッチとオレンジジュースを調達しベンチに並んで腰掛ける。  
初秋の空気は澄みお日さまは暖か。ピクニックには最適な日といえる。  
アティが尾行してくるようならとっ捕まえて締め上げてやろうと思っていたのだが、流石にそこまで  
はしなかったらしい。  
「他に何か買ったようだが?」  
「鳩の餌。アズリアも撒いてみなよ」  
一緒に買ったパンくずを見せてレックスが笑う。陽だまりを思わせる幼い表情が共に軍学校に通っていた  
頃と変わらないのに、じんわりと知らず知らずに溜まっていた疲れが溶けてゆく。  
「こっちの食事が終わったあとでな」  
妙に甘ったるいジュースを口にした。アズリアの好みからすれば糖分が多過ぎる。レックスも同意見らしく  
何とも言えない顔をする。サンドイッチに程好くハムの塩味が効いていたのが救いか。  
「あ、こっちトマト入りだ」  
「私のは卵だな……半分食うか?」  
学生時代を彷彿とさせる会話、のんびりとした食事。揺れるテーブルや敵の襲撃を気にせず摂れる食事  
とはなんと幸せなのだろう。  
淡い幸福感をかみ締め最後のひとかけらを飲み込む。  
 
レックスがパンくずの入った袋の口を開けた。待ちかねたようにそこいらの鳩が寄ってくる。  
「―――ところで、アティ恋人とかいるのかな」  
「急にどうした」  
「あ、うん。アティときたら俺達にちょっかいかけてくるくせに、自分のことは放ったらかしだから」  
少し考えてふと気づく。  
「なあ。さっきからアティの話がやたら多くないか」  
う、と言葉に詰まるレックス。  
「共通の話題だからかな。それにアズリアは仕事の話、外の人間にするわけにはいかないだろ?」  
「ならお前が何か話せばいいだろ」  
「俺はあんまり面白いことないよ」  
「いいから……その、私が聞きたい」  
照れ隠しにパンくずを多めに撒く。あっという間に足元が鳩まみれになった。なかでもとろくさくて中々餌にありつけない一羽へと躍起になって放り投げるアズリアを見やり、レックスはふと微笑んだ。  
「何だその顔は」  
「なんでもない。……あ、今なら大丈夫じゃないかな」  
「む」  
群れからはじかれ所在なさげにうろうろする奴の目の前に一掴みばらまいた。  
「―――よし!」  
「良かったね」  
すぐに他の鳩が寄ってきたが、どうにか分け前にありつけたようだ。くっくるー、と嬉しそうに鳴いた気がする。  
まあ鳩の声の区別なぞ出来ないのでそんな気がしただけではあるが。  
昼下がりの公園で、近況報告に花を咲かせつつほのぼのと鳩に餌をやるカップル。  
非常に微笑ましい光景ではある。問題は、彼らの関係に十年前から全く進歩が見られないこと位であろう。  
 
 
で、結局今日も進展はなかった。  
「……戻ろうか」  
「……ああ」  
鳩の餌も尽きて、どちらからともなく立ち上がった。空袋をごみ箱へときちんと片付け傾き始めた日差しの  
当たる道を並んで歩く。  
話すのは相変わらず他愛もないことばかり。  
そろそろ別れねば、という段になって、レックスが不意に、  
「軍人の君に、こういうことを言うのは変かもしれないけれど」  
少しばかり迷いを見せる瞳は、しかしとても優しい。  
「怪我に気をつけて」  
これがレックス以外の人間の言葉ならば「軍人が怪我を恐れてどうする」と反発したに違いない。  
実際喉元までこみ上げた。  
けれどアズリアの口から出たのは。  
「……分かった」  
レックスにはつまらない他意などなく、心から案じているのだと、知っているから。  
「じゃあ、またな」  
「うん、また今度」  
さよならと言うのが何となく嫌で、そんな風に別れた。  
一抹の名残惜しさを抱え、それでも温かい心持ちで帰路につく。  
 
いい一日だった、と思う。息抜きになった、とも思う。  
だが。  
「それとこれとは別問題だからな」  
呟きは低かった。  
 
 
「アティ! どこだ出て来い女狐めが! 今なら紫電絶華一発で許してやるぞ!!」  
帝国海軍第六部隊隊長アズリア・レヴィノスの怒鳴り声が敷地内に響き渡る。  
何事かと駆け寄ってきた副官ギャレオに、  
「アティの奴はどこだ」  
「は? 隊長とご一緒している時以降見かけておりませんが」  
「……」  
「……た、隊長?」  
「ふふ……逃げた、ということは自覚はあったとみなして構わんのだな……?」  
轟、と揺らめく殺気の幻影に思わず一歩下がる。  
「絶対見つけてやるからなあの腹黒軍医!!」  
探さなくても夕餉時になれば嫌でも顔を合わせるのでは。とは、恐くて言えなかった。  
ギャレオに可能なのは、アズリアの機嫌がこれ以上悪くならないうちに軍医殿が出頭するよう祈ることだけだ。  
 
休日はまだ終わらない。  
 

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