三日月が冷たく澄んだ空気に身を震わせる夜。  
今はもう訪れる者なく打ち捨てられ朽ちるにまかせた工場が、闇に異容を浮かばせる。  
そんな、詩的表現の似合う晩に。  
「寒い」  
ビジュは散文極まりない形容詞を不機嫌そうに吐き出した。  
隣でしゃがむ少女が細くしたランタンの灯りで時計を確認し、疲れた声で告げる。  
「……交代の時間、一時間過ぎました」  
苛立ちに頭をがしがし掻く。  
上官の薄笑い。同僚の妙に同情めいた視線。兆候に気づくべきだったのだ。  
気づけば今の状況を回避しえたかどうかは怪しいものだとしても、心構えくらいはできたかもしれない。  
「やっぱりおかしいです。私、本部に連絡に……」  
「無駄だな」  
提案を一蹴し懐へと手を突っ込む。  
自前の湯たんぽだけでは寒さを防ぐには心許ないが、ないよりましだった。  
「無駄、って……連絡の不備とか、もしかしたら作戦が変更になったのかも」  
なおも言いつのる少女を睨みつける。少々怯んだようだが、すぐに見返してきた。  
幼げな容貌に反してなかなか骨がある。  
「じゃあ行きゃあいい。どうせ『交代? 知らんな』で追い返されるのが関の山だろうよ」  
うんざりした口調に彼女は学生らしい顔に戸惑いを浮かべた。  
そう、学生だ。名前は……忘れた。どうでもいい。  
 
士官学校では年に二、三度、現役軍人とともに軍事作戦に従事するという課外授業が  
設定されている。街の巡回や痴漢などの軽犯罪の取締りが主だが、特に優秀な生徒  
に限ってもっと上のランクの作戦に参加する。  
即戦力として軍の雰囲気に馴染ませるため、また優秀な後輩のスカウト合戦の場でもある。  
大体先任のマンツーマン指導という形式をとるが、選ばれるのはやはり優秀な軍人だ。  
腕は良いが反抗的で問題児のビジュとは正反対のタイプの。  
……この時点で覚悟しておくべきだったのだ。  
 
今回の作戦はサモナイト石の闇取引の現場を押さえることが目的。  
調査を重ねて日時は突き止めたが、場所の特定には至らなかった。  
とりあえず三箇所に絞り、可能性の高い順に人員を割いた。その内最も可能性の低いのが、  
ここ廃工場。適当に見張ってればいいだけの楽な仕事だと思ったのだが。  
「……裏があるとはな」  
「でもそんなこと、たかだか分隊長の一存で可能なんでしょうか」  
「『どうせ本命は別の場所だから、こっちは最低限の人員で』とか、  
 言い訳はいくらでもできるだろ。学校出のボンボンはそういうのばっかり得意だからな」  
黙ってしまうのを見て彼女も学校生なのを思い出した。  
「……あれ、誰か来ますよ」  
慌てて身を隠す。  
そっと覗くと、ちんぴらくさい男が三人、けばい女が一人。  
会話を聞くと商売女と客らしい。が、「三人だなんて聞いてない」だの「まけろ」だの揉めている。  
「……」  
「……」  
その内女に詰め寄り服引き剥がし始めた。  
―――何故に他人のお楽しみシーン出歯亀させられにゃならんのか。  
きれた。  
隣の少女に何も告げず、ビジュは無造作に隠れ場所から出。  
背後からいきなりごろつきのひとりの襟元を掴み、  
「ぐぎっ?!」  
鼻先から薄汚れた壁へと叩きつける。それも二度、三度。  
ごぎゅとかぐしゃっとかまあそんな感じの効果音が相応しいだろうか。  
不意をつかれ呆然としていた残りの連中が我に返ったのは、仲間が崩れ落ちてからだった。  
「な……な……」  
「おっさんどこから……ってゆーか何しやがる?!」  
 
怯えを誤魔化すためか喚きたてる。それを上回る声量で、  
「うるせえ! イカ臭えサルが人様の前で乳繰り合ってんじゃねェ、消えろ!」  
ご丁寧に倒れたのを踏みつけている。どう見ても悪役だ。  
ちなみに女はこれ幸いと逃げ出した。呆れるほど素早い。  
まあ恩を着せるつもりはなく、単に鬱憤晴らしができればいいので構わないが。  
だが下半身の一部膨らませた連中は、そう考えられないらしく。  
茶髪のごろつきが叫ぶ。  
「ふざけんな! 地獄みせてぐほ!」  
腹に蹴り喰らってえづく。残るひとりは、  
「く、来るな! これでも喰らえ!!」  
 
閃光。衝撃。  
現れたのは、  
ありえない存在。  
「メイトルパの―――召喚獣?!」  
栗毛の四足獣が牙を剥き出し吼える。  
「ひゃはははははは! 行け、やっちまえっ! ―――って、え?」  
ビジュに飛び掛ろうと全身をたわめる獣の眼前に、鋼の身体持つ召喚獣が出現する。  
それ、ドリトルの鋭利な一撃に頭を吹き飛ばされ、四足獣の体液と脳漿が周囲に飛び散った。  
頼みの綱のあっけない最期に硬直するごろつきに、  
「テメエら、そのサモナイト石―――」  
 
遮るように、小さな炸裂音が響く。  
ビジュの左肩に鋭い熱。焼いた火箸を押しつけたかのような痛みによろめく。  
建物の陰から薄く硝煙をたなびかせる銃口を向け、見知らぬ男が姿を現した。  
一人ではない。後方からばらばらと出てくる。  
警鐘が頭の奥で鳴る。  
考える前に呆然と杖を構えたままの少女を半ば引きずり廃工場へと逃げ込んだ。  
 
間一髪、銃弾が地面をはじく。  
「ちっ……貴様ら、あれほど迂闊に使うなといったろうが!」  
「ま待ってくれ! 二発目、あれは俺らじゃない!」  
慌てて言い訳する。  
「赤毛の女がいただろう、そいつがやりやがったんだ」  
「……何者ですかね? 最近軍の動きがきなくさいって話ありましたが」  
「とにかく追うぞ」  
新しい血痕が床を点々と伝っていたが、工場の真ん中辺りで途切れる。  
「どうしますか」  
「中にいるのは確かだ。探せ。正体は見つけ出してからゆっくり訊くさ」  
下卑た笑いを残し彼らは銘々に散っていった。  
 
 
「―――二十三時三十八分、アズリア・レヴィノス帰還しました」  
芯の通った敬礼をする教え子に、士官学校の教官は満足そうに頷いた。  
「ご苦労。それで、どうだったかな?」  
「……正直緊張しました。やはり、低いとはいえ本物の戦闘に入る可能性もあったわけですから」  
「そうだな、何時でもどんな状況にも対応できるよう適度な緊張を保つのは必要だ。  
 しかしそれに溺れぬよう肝に銘じておけ」  
「はっ……ところで、レックスとアティはまだ戻っていないのでしょうか」  
教官の表情に、黒髪の女生徒は眉をひそめる。  
「うむ……レックスは八番街の担当ゆえ不測の事態というのも在り得るだろうが、  
 アティはまだ終了報告が来ていない」  
「しかし一時間半は前に終わっているはずでは?」  
「事情を聞こうにもリンツのや…リンツ少尉がつかまらなくてな。副官も居場所が分からんらしい。  
 どちらでもいい、見つけたらこちらに来るよう伝えてくれ」  
「はっ」  
敬礼をし、踵を返しかけて、  
ドアがけたたましい音を立て開く。  
 
赤毛の少年がぜいぜいと肩で息していた。  
「レックス?! 何かあったのか!」  
こくこくと頷く。部屋に緊張が走る。が、少年の報告は予想外のものだった。  
「八番街において、戦闘、ありませんでした……但しそこで得た情報により、  
 今夜、廃工場でサモナイト石の取り引きがあることが判明! リンツ少尉に伝令を……」  
『なっ……?!』  
会議机の端に腰掛けていた少尉の副官が真っ青になる。  
黒髪の学生が素早く見咎めくってかかる。  
「リンツ少尉は?! 今回の作戦において、少尉は何をされた?!」  
「いえ、あの、自分は」  
仕方ない。これだけはしたくなかったが。  
「私はアズリア・レヴィノス。レヴィノス家の者だ―――この意味が分かるな」  
副官が硬直する。レヴィノス家は、軍部に多大な影響力を誇る名家中の名家。  
今は学生でも、自分より確実に出世する人間だ。悪い印象与えたくないのが人情だろう。  
「あの…実は、廃工場への人員は少尉の一存で他の二箇所へとまわされて……」  
「変更はどの程度だ」  
「その……向こうへは……二名、のみです」  
驚きと呆れと怒りで絶句した。これは作戦変更のレベルじゃない、完全な嫌がらせだ。  
しかも対象に知り合いが含まれている、とあっては。  
「もういい。アズリア、レックス、君たちはリンツ少尉を探し連行してくるように。  
 アティのことは心配するな。我らの同胞を信じろ」  
教官の言葉に我に返る。確かに自分たちが実戦に加わっても指揮系統を乱すだけだろう。  
ならば、せめて命令を果たそう。  
「リンツ少尉を探す。レックス、急げ!」  
「分かった!」  
見た目も性別も全く異なる二人の気持ちは、寸分違わぬものだった。  
―――未だ戻らぬ少女が無事でいてほしい、と。  
 
 
山積みになったジャンクパーツの陰、昼間でもよほど注意しなければ発見できない所に  
人ひとり通るのがやっとの通路がある。その先の空きスペースに、二人は身を潜めていた。  
ここへ引き込んだのは少女だ。どうしてこんな場所知っているのかと聞くと、  
「下見に来たとき偶然見つけました」との答え。備えあれば憂いなし、というやつか。  
「怪我、応急処置だけでもしておきますね」  
傷口へと押し当てたタオルは真っ赤に染まって重みを増していた。  
それと反比例して痛みは引く―――というか慣れてきた。実際出血は派手だが、  
弾は肩の肉を少しばかりこそげ取っただけで、骨にも神経にも影響はなさそうだ。  
彼女がジャケットの裏打ちポッケから包帯やら消毒液やらを取り出す。  
ありがたい事は有難い、が。  
「テメエ軍医だろ、召喚術で治せばいいだろうが」  
「……聞いてないんですか」  
「何を」  
手当てをしながら、妙にしみじみした口調で、  
「私も大概ですけど、貴方も相当な嫌われ者なんですね」  
「どういう意味だ」  
「だって、私が治癒召喚術使えないこと知らされてなかったんでしょう」  
今、何だかとてつもなくかみ合わないことを言われた気がする。  
「ちょっと待て。テメエ軍医だろ?」  
「正確には軍医志望ですけど。……私、サプレスにもメイトルパにも適性がなくって」  
不器用な仕草で肩をすくめてみせる。  
「治癒術の使えねェ軍医なんぞ、聞いたことねェ」  
「全くです」  
重々しく相槌を打つ。そもそも彼女のことなのだが。  
「―――奨学金制度をご存知ですか? 学費も生活費も国が負担する代わりに  
 必ず軍人になるっていうやつです。それ、医術を学ぶ場合はちょっと違ってて、  
 五年間軍医として勤めたら開業資格が貰えるんです。私、それが欲しくって」  
 
「軍人じゃなく、医者になるために学校に入ったのか」  
「ええ。だから、どうしても軍医になりたいんです。治癒術は使えなくても薬や手術の  
 勉強は人一倍したし……軍医として足りない分補うために、攻撃用の召喚術も学んだし」  
急に、声のトーンを上げて、  
「私も、リンツ少尉に恨まれる覚えあります」  
意外な告白、といっていいのだろうか。  
「あの方四期上の先輩で、告白してきたことがあったんです。  
 その際、断ったら襲ってきたのでつい鞄振り回したら、当たっちゃって」  
「どこに当てたんだ」  
「ええーよめいりまえのおぜうさんのくちからはとてもいえませんー」  
わざとらしく棒読み口調で答えて、小さく溜息をつく。  
「同情も反省もしません。十四の女の子に無理矢理迫ったリンツ先輩…少尉が悪いと今でも思ってます。  
 あの時は本気で恐くてたまらなかったんですから。でも、まだそのこと恨んでるだなんて」  
やはり彼女はまだ子どもだと思う。なるほど度胸はあるし、機転も利く。  
だが他者の歪みを推察するには幼すぎるのだろう。  
「んなわけねェだろ」  
「ならどういう理由だっていうんですか」  
「奴は苗字持ち、テメエは平民、それだけだろうよ」  
よく分からないといった面持ちで見上げてくるのに、  
「あのボンクラ、家系だけしか取柄がなくてな、他の苗字持ちの連中と比べて出世が遅いんだよ。  
 それで始終やつあたりのクソ野郎だ。そんな奴がカネもコネもねェのに自分と同等―――いや  
 下手すりゃ自分より先に昇級しそうな奴を何とも思わないわけがあるか」  
おそらくどつかれた事はきっかけに過ぎない。  
あの手の連中はこちらからちょっかいかけなくても、  
理由勝手にこじつけて絡んでくる、そういうものなのだ。  
「……学校内だけだと思いたかったです、そういうの」  
「残念だったな」  
蒼い瞳がこちらを見据えた。  
「貴方もそのクチですか?」  
 
「……俺はそもそも学校出てねェ。素行も悪いし、目障りなんだろ」  
応える代わりに、彼女はふと笑う。不審げに目を遣るビジュにいえいえ、と手を振り、  
「自分と同じくらい不幸な人がいると、何か安心しちゃいました」  
意味不明のうえ後ろ向き極まりない言葉だが、調子は明るい。  
 
ごろつきの声が遠く届く。ここもそのうち見つかるだろう。  
「相手何人だったか覚えてるか」  
「確か……五人、でしたっけ」  
「四だ。最初の入れるなら七人―――先手取って強行突破といくか」  
少女は頷き、  
「この先に梯子があって、二階に出られます。上から急襲かけるのは如何?」  
「面白れえ」  
全く。肩は痛むし敵は多いし援軍は望めない。まあ仕方ない、やらなくては。  
 
 
工場内は基本的に吹き抜けで、東側にのみ中二階がしつらえてある。  
元は事務室だったらしい部屋を、ごろつきは寝食の場として活用していた。  
「くそ、あの野郎……」  
痛む顔面を抱えて彼は薄汚れたソファの上で毒づいていた。  
いきなり現れての理不尽な暴行。普段彼らがやっているのとそう変わらない行為だが  
やるのとやられるのとでは大違いだ。腹立ちを紛らわすため、男と一緒にいた女のことを考える。  
他の奴の話では、楽しめそうな体の女だったらしい。捕まえたら早速ぶちこんでやろう。  
連れの男の前で輪姦すのも面白い。男は適当に痛めつけて近くの川にでも―――  
楽しい妄想に浸る耳は背後の足音を捉えることはなかった。  
後頭部に強い衝撃。  
「がっ……?!」  
続いて鳩尾、ぼんのくぼ。襲撃者の姿も知らぬままごろつきは気絶した。  
 
杖でぶん殴った張本人は反省の色を塵ほども見せず、  
「終わりました。これ、どうしましょう」  
「そこのロッカーにでも入れとくか」  
中にはおあつらえむきにモップが残されていた。ごろつきを押し込み、  
取り出したモップをつっかい棒にフタをする。まず一人。  
「じゃあこれから……」  
「―――! お前らどこから……!」  
誰何の怒号に、しなやかな身体が咄嗟に反応し体当たりする。  
体重差があるとはいえ勢いに圧され、廊下にしつらえた手すりまで後退し。  
ばき。  
腐食した手すりは二人分の体重を支えきれずに折れた。  
たまらず落ちる。べしゃ、と、どかん、との中間くらいの音がした。  
背中からまともに叩きつけられたごろつきはたまったものではない。白目を剥いて失神する。  
赤毛の少女はといえば、ちゃっかり相手を下敷きにして無傷だった。  
それでも放って置けば下の連中に集中砲火浴びるのは火を見るより明らか。  
闖入者に焦りつつ銃を向けるひとりへと投具を投げつけ、  
ビジュも追撃にまわるべく飛び降りる。  
床についた瞬間肩へと激痛が奔るが歯を食いしばり堪える。  
投具が当たり悲鳴をあげるごろつきに、  
「後悔しなっ―――タケシー!」  
ビジュは召喚術は不得手だが、弱った相手には充分効いた。  
電撃を浴びくずおれる。仲間を倒され怒り心頭に達するも、  
少女の放つ術に牽制され他は身動きがとれない。但し長くは持たないだろう。  
杖を構え素早く周囲を見渡し、錆びた大型機械へと目を付けビジュを招く。  
「こっち!」  
空を裂く銃弾をかいくぐり、塗料の剥げむきだしになった鉄箱の後ろへと隠れた。  
 
荒い息。五感を限界まで研ぎ澄まし襲撃に備える。  
側の。鼓動が。熱が。近い。  
震える身体は、しかしビジュにすがることはない。  
あくまで自力で立ち、互いの動きを妨げぬよう背を真直ぐに伸ばす。  
「おい」  
「……はひ」  
「連中倒したら、今度はリンツの腐れ下衆殴りにいくか」  
「…………え?」  
「どうする」  
「……ふ、ふふっ……それも、いいかもしれませ……」  
無理矢理に絞り出した声が、凍る。  
新しく加わる大勢の足音。鉄製の扉がやかましい軋み声をあげて開いた。  
新手―――絶望に暗転しかけた視界の隅を白光が灼く。  
「軍の者だ! サモナイト石不正取引の容疑で拘束する! 武器を捨てろ!」  
サーチライトの逆光の中響くのは、ひどく頼もしい声。  
「繰り返す、武器を捨て投降しろ! 警告を無視すれば敵対行動とみなし攻撃する!」  
夜目にも眩しい白の軍服。  
帝国の守り手、そして二人の同胞たる彼らは、次々とごろつきどもを捕えてゆく。  
「ええと……助かったんでしょうか」  
「……らしいな」  
「……良かったあ……」  
緊張がとけたのか、へたんとだらしなく床に座り込む。  
自分たちの名前を呼ぶ声が工場内に反響した。  
「テメエ、アティっていうのか」  
「……その様子からすると、今まで覚えようとしてませんでしたね、ビジュさん」  
汗まみれ埃だらけの姿でそれでも苦笑いするのに、こちらも口の端をつりあげてやった。  
 
 
夜中にも関わらず士官学校には煌々と灯りが点り、軍と学校の関係者が慌しく走り回っている。  
仕方ないだろう。一人の馬鹿のせいで、毎年恒例の単なるままごとから  
死人の出る大きなスキャンダルに発展するところだったのだ。  
二十歩ほど先で、ビジュにとって上司にあたるその大馬鹿野郎が  
士官学校の生徒らしき男女と言い争っていた。  
切れ切れの単語からすると彼らは隣の少女の知り合いで、少尉の行動を責めている最中らしい。  
「奴がいたぞ」  
「奴、ってあの、リンツ少尉のことですか? ……ってまさかちょっと本気で」  
途中で上擦る彼女を尻目に少尉へと歩み寄り、  
「おい」  
「ん、なん―――ぐぶううっ?!!」  
振り向く鼻っ柱へと拳を沈める。  
少尉と口論していた学生二人は突然のことに呆然としている。  
「テメエのせいで死ぬ思いしたんだよこの無能野郎がっ!」  
「な…き、貴様上官にむかって……!」  
鼻血垂らしながら怒りに血の気を漲らせるのに、冷ややかな声が浴びせられる。  
「上官なら、部下の命を無駄に危険に晒してもいいとでも?」  
彼女はこの上なく剣呑で相手を馬鹿にしきった目で、愛らしい紅唇を開き。  
「軍人が私情挟むなんて最っ低ですね!  
 それじゃあ出世できないのも当たり前ですよこのロリペ(以下色々と不適切なので検閲削除)やろー!」  
少尉の顔色が赤、青、黒と物凄い勢いで変わる。  
「不愉快だ! 貴様らのような平民がこのような事してどうな―――」  
「「やかましいっ!!」」  
示し合わせたわけでもないのに、それはそれは見事なダブルストレートが決まった。  
少尉が綺麗な弧を描き地に崩れ落ちる。  
 
誰もが言葉を失うなか、加害者ふたりは互いを見、  
爆笑した。  
「イ、イヒヒっ! あの顔……ヒヒヒヒヒヒっ!」  
「駄目…おなか、いた……っくあはははっ!」  
血と汗と煤と埃とその他よく分からんもので汚れ放題の身体をくの字に折り曲げひたすら笑い続ける。  
赤毛と黒髪の学生の顔がさあっと蒼褪めた。  
「ア、アアアアティと知らない人が壊れた?!?」  
「医者、医者を呼べー!!」  
どうやら今夜はもう一波乱ありそうだ。  
 
 
後日、この事件は揶揄とも武勇伝ともとれる語り口で  
士官学校の生徒間において密かに伝えられることとなる。  
ビジュはといえば相変わらず謹慎と配置換えを繰り返す日々を過ごし、  
とうとう「今度問題起こしたら軍法会議にかける」との脅し付きで  
発足したばかりの海軍第六部隊へと配属されることとなった。  
隊長は学校卒業したばかりのひよっこ、部下はろくに揃わず参謀も軍医もいないという  
穴だらけの有様は、掃き溜めにはいっそ相応しい程。  
それでもどうにか隊として機能し始めてしばらくした頃、待望の軍医が配属されるという知らせが届いた。  
 
「……あれか、あれなのかうちの軍医って?!」  
「うわほんとに女だ、しかも上玉じゃね?」  
その日はちょっとした騒ぎになった。  
部屋へと入ってきた女は、しばし中を見回し、  
目当てのものを見つけたらしく真直ぐに向かう。  
歩を進めるのにつられて揺れる紅の長い髪が、白衣と鮮やかなコントラストを描く。  
周りの動揺なぞどこ吹く風で、女はビジュへと歩み寄った。  
「お久しぶりです……あまり驚いてませんね」  
からかい交じりの台詞を鼻で笑う。  
「治癒術の使えねェ軍医受け入れる酔狂な奴なんざ、ここの隊長殿くれえだからな」  
「貴方に比べれば可愛いものだと思いますけど」  
まずは軽く再会のご挨拶といったところか。  
赤毛の女はにっと―――断じてにっこり、ではなく―――微笑んで、  
「この度、帝国軍衛生部より軍医として配属された、アティと申します。  
 何分若輩者ですので宜しくご指導のほどお願いします」  
教本通りの敬礼をする。  
日々の出来事にいちいち運命だの何だの持ち出す趣味はないが、  
それでもこの出会いはひどく楽しげなものに感じた。  
 
予感は……まあ、良くも悪くも当たりではあったのだが。  
それと判るのはもうしばらく先の話。  
 

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