「教官殿……自分は、バグにより生まれた人格なのです」
「このままでは、いつまた暴走してしまうか分からないであります。
その前に自分を消してください」
「自分は、教官殿のお役に立ちたいのです」
機械兵士を前にして、赤毛のあの人は泣きそうな顔をし―――頷いた。
「アルディラさま、お願いがあります」
クノンの提案にアルディラは形の良い眉をひそめた。ヴァルゼルドのバグ除去作業を
自分ひとりでやらせて欲しいと言われたのだ、無理もない。
「レックスさまは現在大きな精神的衝撃を受けて不安定な状態にあります。
側に誰かが付き添うのが回復に有効な手段で、そしてその役目は
私よりもアルディラさまの方が適任かと思われます」
「……だから、ここは任せて欲しい、と言うの?」
「はい」
アルディラはクノンの内面を推し量るように見つめる。
嘘はついていないだろう。看護人形<フラーゼン>はそういうことには向いていないのだ。
だが、語ることが全てとは限らない。
何か隠している。それが結論だった。
主人たるアルディラが問い質せばまず答えるだろう。
しかし自分に隠してまでやらなやればならない事らしい、というのも理解できる。
「―――分かったわ。但しひとつだけ約束して。
どんな小さな兆候であれ、危険を認識したら直ぐに連絡をすること」
「承知しました」
頷くクノンを見て僅かながら安堵する。
彼女が自分の意志で約束を反古にしたことなど今まで一度もないのだから。
一人に、正確にはプログラムへの強制介入を受け機能を休止状態にさせられた
ヴァルゼルドと二人きりになったクノンは、コンソールを操作しスクリーンに浮かぶ
大量の情報を処理していく。
クノンは元々治療ユニットではあるが、護人であるアルディラの補佐を行うために
ラトリクス内のコンピュータの操作能力を付加されている。この程度なら充分可能だ。
検知ツールを走らせ、ぎゅ、と拳を握り締める。
ヴァルゼルドのバグは致命的だ。ウイルス性のものではないので感染の心配がない
のだけが救いだが、教官と呼び慕っていたレックスに銃口を向けたことから判るように、
敵味方の認識に悪影響を及ぼしている。今は抑制プログラムを打ち込んで鎮めてはいる。
ここ何時間かは大丈夫だろう。明日も問題なく過ごせるかもしれない。
けれど、その先も安全だとは到底考えられないのだ。
処理方法は簡単だった。
バグは除去すればいい。
そうするつもりだった。
バグが、本来機械兵士に与えられるはずのない情動を作ったことさえ知らなければ。
(……私は)
いつの間にか手が震えているのに、クノンは気づかない。
(私のすることは、間違っているのでしょうか)
アルディラの言葉が渦を巻く。「危険を察知したら連絡を」……ならば危険と知りつつ
行為をなすのは、どうなのだろう。疑問を意識的に押し殺す。
画面を流れる文字列が、ある目的を形づくる。
エンターキーに指を置き、
少しだけ、
迷い、
力を込めた。
ヴァルゼルドは意識を取り戻し、次いでその矛盾に混乱する。
混乱する自我があるということ、それは在り得ない、あってはならない筈だった。
傷つけてはならない人を傷つけた、それだけで廃棄されても当然なのに、
彼は責めもせずヴァルゼルドは悪くない、と言ってくれたのだ。
ならばせめて戦いの役に立ちたいと願い、バグの除去を頼んだのに。
「何故、自分はまだ……」
「どうしても貴方に訊きたいことがあったからです」
独り言への答えに驚いて意識を向ける。
「自己紹介がまだでしたね。私は看護人形のクノンです」
ヴァルゼルドと比べると随分華奢なつくりの彼女はぺこんと礼をした。
こちらも敬礼を返そうとして、動作が強制停止させられているのに気づく。
怒りはない。むしろこれで間違っても誰かを傷つける心配はないのだと安心した。
「クノン殿、ですか……先程は申し訳ありませんでした」
「いいえ。あれが貴方の意志ではなかったことは、レックスさまとの会話で解っています」
クノンはすとヴァルゼルドを見据え、
「貴方の人格データを残す方法があります」
言葉に、理解速度が追いつかない。
やっと意味するところを解析し終えクノンを見ると、相変わらずぎこちなくも真剣な表情だった。
「スキャンの結果、貴方のバグは何らかの外的要因―――おそらくは召喚術の衝撃により
発生したものだと判明しました。あくまで単発的なもので他者への感染はありません。
ならば、貴方の人格データをバグごと一旦凍結、圧縮し、別ユニットに転送。それらを元に
情動プログラムの構築を行い、元の機体に再転送することは理論上は可能です」
つまり、それは。
自我の存続の可能性。
「その事を伝えるために自分を呼び出したのですか」
「そうです」
「しかしその提案には問題があります」
視線がぶつかる。
光化学センサーを内蔵している、という点は共通する瞳だが、片や索敵に特化した
戦闘のための眼、片や患者のメンタルケアを行うため情動反映を第一に設定した眼。
同じ被造物でありながら全く異質なもの。
「自分の人格はバグという不確定要素により発現したもので、非常に不安定な状態
にあります。転送の際破損してしまう確立は非常に高いと思われます。
また、転送は受信ユニットに多大な負荷をかけるものであります。膨大なデータを
理解する情動プログラムを有し、なおかつ記録可能な媒体がそうあるとは考えられません」
「……前者については言う通りです。これはある意味賭けになるでしょう。
しかし、後者は問題ありません。記録媒体はあります」
「どこにでありますか」
「ここに」
クノンは自分の胸に手を当て、はっきりと言った。
「私が貴方を記憶します」
何故、と訊ねる。
「それは、教官殿がそうせよと仰られたのでありますか」
「……いいえ、私の個人的な判断です。だから強制力はありません」
「ますます解らなくなりました。クノン殿にそうする意味があるのでありますか?」
「意味……ですか」
目が伏せられ、また見上げてくる。
「―――私は貴方をずっと監視していました」
淡々と述べる言葉。
「今日、貴方がレックスさまを襲った時、予想通りだと思ったのです。機械兵士なのだから、と。
ですが貴方の行動がバグによるものと知り、そのバグが貴方という人格を作ったと聞いて、
私は混乱しました」
ありえない光景だった。感情を持たぬ機械兵士が自我を有し、人を傷つけたことを悔い、
己を壊せと懇願するなど。
クノンの記憶領域がざわめく。ひとつの光景を連想させる。
レックスへの嫉妬を覚えてしまったことに絶望し、自分で自分を壊しかけ、
許された日のことを。
「行為の起因は―――同族感情、なのかもしれません。
単なる憐憫なのかも、いえレックスさまの真似をしているだけなのかもしれません」
唯。
「貴方に、せっかく感情を得た貴方に消えてほしくない。
助ける手段を持ちながら見過ごすなど耐えられない」
もう一度、クノンは問うた。
「このまま消えてしまってもいいのですか?」
機械兵士には愚かな問いだった。彼らの存在意義は戦うこと。勝利を収めること。
そのなかに己れの損得は存在しない。恐怖も歓喜も在りはしない。
彼らは武器として生み出された、武器に感情は必要ない。
ヴァルゼルドは。
「―――否、であります」
しかし自我を以って消滅を怖れた。
華奢な手がそっと機能性のみを追及した腕に触れる。
「怖い、と思うのは感情を持つ者ならあって当然です。自我の喪失を怖れるのも。
そして、自分独りではどうしようもなくなったら助けを求めてもいいのです。
……半分はレックスさまからの受け売りですが」
「……教官らしいでありますな」
笑った、ような気がした。
ふたつの体温を持たぬ身体がコードで繋がる。
ヴァルゼルドからクノンへ、そしてクノンから伸びるコードの先はサブコンソールへと。
安全性をとるなら一旦ラトリクスのマザーボードにてヴァルゼルドからの転送情報を
圧縮、しかるにクノンへと送るのが筋だろう。しかしそれをするとアルディラにばれかねない。
そうすればアルディラはクノンを止めるだろうし、クノンは命令に逆らえない。
だから必要最低限の補助だけで直接データを受け取るつもりだった。
「では、これより処理を行います。手順の確認をどうぞ」
「了解しました。これより本機は人格データを転送開始、
120秒後にワクチンをインストールの上バグの除去を行います」
データ転送にあたり、ヴァルゼルドは条件を出した。
転送と並行しバグの除去作業を行うこと。たとえ今回転送に失敗しても、二度はしないで
そのまま消去するようにと。不安定なプログラムが変質する可能性はなきにしもあらずだし、
それにクノンの負担を最小限に抑えたいという気持ちもある。
「確認完了。これより転送開始」
「確認完了。情動プログラムの外部接続を承認します」
電子による同調の合図。
機械にのみ許された精確さで二人はシステムを立ち上げ開始した。
ケーブルを伝わる膨大な情報を受け止め、解析し、振り分ける。
生身の人間なら狂ってしまうであろう、圧倒的な量。
処理能力の適正値を超える活動にシステムは灼ききれてしまいそうになる。
ありったけの余剰タスクを回してもまだ追いつかない。
片端から凍結、圧縮してもそれを大きく上回る勢いで流し込まれる情報に、
未成熟な情動プログラムが悲鳴を上げた。
動作制御を一時的に停止、床に崩折れる。僅かだが余裕が生まれる。回す。直ぐに一杯になる。
エラーパルスが四肢を痙攣させる。
音声システムに異常発生、入力していないのに声が出る。
聴覚が音を拾うが認識する暇もない。
視野を砂嵐が覆う。
冷却用の蒸留水ですら沸騰してしまうのではないかと思った。
(もう少し……もう、すこしですからっ……)
うずくまり全身を震わせ喘ぎながら、唯、処理を続ける。
中枢近くにノイズ。
止めない。止めるものか。
「……ヴァルゼルド……っ」
擬似声帯が無意識に名を紡ぐ。
人格データはパーセンテージ96まで転送されていた。
残りの4パーセントが呼びかけに反応するかのように、一気に押し寄せる。
ぱんっ、と。
とうとう回路のどこかが負荷に耐えきれず弾け。
クノンの意識に帳が落ちた。
過度の情報量にダウンしてしまった人格プログラムを再起動させるべく回路が働きはじめる。
ダウン時間……8秒32。
外的破損チェック……オールグリーン。
内的破損チェック……記憶領域及び神経回路に複数のエラー発見。
……自己修復プログラムのみで修復可能。作業終了予定は75秒後。
情動タスクに新規保存されたプログラムのチェック……
……
……
…………破損なし。
……
……全ての作業完了。これより再起動。
クノンが目を覚ます。視覚調整のため二三度まばたきした後、慌ててコンソールへと向かった。
ヴァルゼルドのプログラムをチェックしてみる。どこにも異常は見当たらない。
バグは消えたということだ。
つまり、バグにより生み出された人格も消えたということ。
「……違います。貴方は、ここにいます」
クノンは確かに感じていた。
自我を形成する情動プログラム、その領域に、他者の存在を。
機界集落ラトリクスに、一体の看護人形と一体の機械兵士の姿がある。
「―――人格プログラムの構築ですが、現在の進行状況は全体の三割といったところです。
やはり元がバグですから、他の領域との兼ね合いに問題があるようです」
応えはない。それでも声は続く。
「けれど諦めません。ヴァルゼルド、いつか『貴方』ともう一度会える日が来ると信じています。
その時はたくさん話をしましょう」
電波やケーブルを使うデータ交配ではなく、音声と聴覚による、余分な情報処理を必要とする
まだるっこしい、人間のような遣り方で。
少女は胸に手を当て、傍らの兵士に寄り添い身を預ける。
そして鋼の器に眠るもうひとつの魂を慈しむかのように目を閉じた。