「うわわわ待て待てまてえっ!」
懇願も空しく、幾分かくたびれた軍服を身につけた兵士は無情にも海へと放り込まれた。
盛大な水飛沫とげらげら笑う声。
いじめ、ではない、多分。
新米兵士を海に投げ入れることにより上下関係を叩き込…ではなく、手っ取り早く親睦を図る
為の海戦隊伝統のいわば通過儀礼である。
にしては、はしけに這い上がってきた兵士の年齢が高めなのには理由があった。
ほんの一ヶ月前に発足したばかりの帝国第六海戦隊、つまりこの隊には当初から不名誉な
呼称がついてまわった。
曰く、寄せ集め。曰く、掃き溜め。曰く、貴族サマのお遊び。
軍学校を卒業したばかりのひよっこ士官に、二十人程度の小隊とはいえ兵士を預ける、のは
まあよくある話として。構成員がほぼ全員別部隊からつまはじきにされてきた、あけすけに
言えば問題児やら役立たずやらの烙印押された兵士連中だというのは珍しい。
あっちに居るのは、命令違反繰り返した上に今度問題起こせば軍法裁判、と警告受けた奴、
そっちで座っているのは、そろそろ真剣に退役を考えた方がいい年齢の老軍人、等等。
苦笑しつつ馬鹿騒ぎを眺めるギャレオも例外ではなく、前所属部隊での上官に疎まれここの
副官を押し付けられたのだ。
要するにこの隊には現在一人を除いて『新米』がいない。今回は初任務の景気付けだけでも、
ということでコイントスで犠牲者決めて投げ込んでいる、といった次第だ。
もっともギャレオは周囲が言うほど今の立場を厭うてはいない。
何かにつけてエリート意識を剥き出しにする上官には正直堪忍袋の尾が切れかけていたし、
その点隣に立つ今度の上官は悪くなかった。どころか些か生真面目すぎる性格も、ギャレオの
目には好ましく映る。
「―――やはり慣れませんか?」
肩まで伸ばした黒髪が揺れ、一段低い位置にある顔がこちらを向いた。問いに少し考え、いや、
と答えた。
「実際見るのは初めてだが、話には聞いていた」
再び上がる水柱へと視線を向ける姿は細身で、背伸びした口調にはそぐわない。
アズリア・レヴィノス。数々の名のある軍人を輩出するレヴィノス家の第一子にして女性士官。
性別と融通のきかない性分、レヴィノス家へのやっかみが災いして駄目部隊の長に押し込められた
不幸な新米。
「そろそろ集合をかけましょうか」
「待て」
黒く艶やかな瞳が射るように差し向けられて。
「あれは新任兵士が受けるものだと聞いたんだが」
「はい、しかしまあ我が隊は言うなれば皆新入りですから……」
「違う」
アズリアは苛々と手を否定の形に振り、
「どうして私に番が回ってこない」
……
固まる。
第六海戦隊唯一の新米かつ隊長殿は、ほとんど睨むようにしてなおも問いつのる。
「先程から黙っていたが、何故声すらかからんのだ?」
声に反応しギャレオ以外の兵士にも動揺が拡がっていた。何故かって? だって彼女は上官
だし、名家の出身だし、
「―――女だからか」
沈黙が肯定の代わり。
帝国軍の男女比はおよそ九:一といったところか。その数少ない女性も主に医療や事務などの
後方支援に携わり、アズリアのように前線に出るのは稀。『女だから』と敬遠する気持ちは多分に
存在する。
何かをこらえるかのように唇を引き結んでいたアズリアが―――動いた。
「な、隊長?!」
無言でブーツを脱ぐ。靴下も脱ぐ。ついでにぱりっと糊の効いた上着も脱ぎ捨てて。
―――馬鹿にするな。
そう言わんばかりにずかずかはしけへと大またで歩き。
勢いよく飛び散る海水の粒。日光を反射し眼を灼き。盛大な音は後からやってきた。
ざわめく兵士の間を縫い慌てて駆け寄るギャレオの目の前で、波間から濡れねずみの隊長殿
が這い上がってくる。
海水が口に入ったのか眉を思いっきりしかめるアズリアに、
「一体何をなさっているのですか?!」
「何を、だと?」
昂然と胸を張る姿は、
「お前達こそ私をいつまでも客扱いするな!」
ひどく凛々しかった。
愚行、といえば愚行なのだろうし、意味がないといえばそうなのだろう。
しかしギャレオにとっては違った。実のところ、それまでアズリアを侮っていた。軍学校を卒業した
ばかりの、尻にカラくっつけたままのヒヨコ未満。
どうせ彼女も自分らのような面々に関わっていては出世が遅れると、距離を置きたがるだろう、
そんな風に思っていた。
愚かなのはどちらだ。
一緒にいて何を知ったつもりでいたのか。
「……申し訳ありません、隊長」
アズリアは、単なるお飾りではない。
我らが隊長。仲間、だ。
宜しい、とばかりに頷くと、はねた黒髪の先から滴が落ちて陽にはじける。
アズリアへの感情が忠誠心だけなのかそれとも恋慕も混じっているのかは判らない。
ただ、この瞬間。
このひとについて行こうと。彼女を支えようと、心から思った。