見渡す限りの荒野と、星も月もなく唯しらじらと明るいだけの白夜。優しい声。それが、最初の記憶。  
 
 
「おかえりなさいませ、ユヅキさま」  
アレスパの街に立つ看護人形<フラーゼン>の挨拶に、黒髪の女は笑顔を添えて返した。  
凛、という表現が良く似合う風貌だ。身体の線は女性らしいたおやかさを残しているが、纏う空気は  
武人たるサムライのそれ。手にした刀と同様に、害意ある者には容赦しない苛烈さを秘めている。  
その足取りは迷うことなく真直ぐ目的地を目指す。先程のように幾人からも声をかけられる姿から、  
街の馴染みと見てとれた。  
階段を上がる。  
そして視界に入るのは、花壇の前で楽しげに土いじりをする中年女性と妙齢の女性。  
ユヅキが歩み寄る前に、若い方が気がついた。立ち上がり優しい微笑みを浮かべる。  
その穏やかな気配に、一本の木を連想する。枝には鳥が子を育てる為の巣を作り、獣を生い茂る葉で  
優しく包むような、年輪を幾百と重ねた大木を。  
「キサナ様。ツェーゼ村の魔物討伐より、只今戻りました」  
「お帰りなさい、ご苦労様でした、ユヅキ」  
『白夜』の創立者であるキサナは、ユヅキの帰還を何時ものように迎えた。  
 
白夜とは、正式には組織ではない。だから「白夜に属する」という表現も正確ではない。  
白夜とは『属する』ものではなく『為る』ものだ―――とはキサナの言だ。  
この世界の住人は大別して二種に分類される。ひとところに住み日々を送る『定着せし者』と、それぞれの  
目的故に世界を旅する『放浪者』とに。少なくともユヅキが最初に得た知識ではそうなっていた。  
白夜は『放浪者』を育てる場であり、また他者への手助けを行う者の集まりである。  
手助け、といってもその目的も手段も様々だ。  
純粋な善意から行うもの、自らの力試しを兼ねてのもの、白夜からの報酬が目当てのもの―――  
キサナはそれら全てを善しとしている。  
重ねて言う。  
白夜は強制をしない。  
自身の為に、もしくは他人の為に『何か』をしようと行動した時から、白夜に『為る』のだ。  
その方法もユヅキのように魔物退治をするばかりではなく、公道の掃除をしたりだとか、花壇作りを手伝う  
だとか、そんな小さなことも入る。まだ規模は小さいが、この活動が広まれば。  
 
(貴女の望みは、きっと叶う。いや、叶えてみせる)  
ユヅキは刀を握り締めた。  
忠誠の対象は、花壇作りに一段落つけて今は手ずからお茶の用意をしている。  
「菓子を頂いたのです。さあ、ユヅキもどうぞ」  
「では、御相伴に預かります」  
街の娘が持ってきたという焼き菓子は温かい紅茶に良く合った。その甘さと何よりもキサナの笑顔に  
ユヅキは満たされる。キサナを喜ばせるのは菓子自体よりも、それをキサナのために焼いた―――娘が  
誰かの為に新しいことをした、という事実。  
「小さなことですが、それでも―――」  
「キサナ様のやっていることは、きっと実を結びます」  
ありがとう。そう微笑まれることがいちばん大切だった。  
 
 
ただただ明るいばかりの空の下立ち竦んでいた己れに、優しい手と、帰るべき場所をくれたひとだった。  
その手に縋り―――やがて、支えたい、と願った。  
 
 
「では行ってくる」  
「……?」  
フラーゼンはユヅキを困惑げに見て、  
「申し訳ありませんが、わたしのデータベースに記録がありません。音声によるデータ入力を要求します」  
ユヅキの胸中に苦いものが広がる。一度、息を整えて、  
「白夜については『覚えて』いるか?」  
「ビャクヤ……」  
フラーゼンは人間そっくりの動作で首を傾げ、  
「はい。ここアレスパの街に拠点を構える『放浪者』の相互扶助組織です」  
そうか、とユヅキは安堵する。完全に『繰り返し』たわけではないらしい。  
「拙者は白夜のユヅキだ。これよりカゲロウの里に魔物討伐に赴く。その間何かあればお主の治癒能力を  
 役立てて欲しい」  
「了解しました。ユヅキさまもお怪我の際はお申し付けください」  
「ああ、有難う」  
 
この世界に夜はない。  
星も月も知識にのみ存在する。照らす太陽すら見上げても何処にも探せず、薄明るい昼が続く。それでも  
時間が来れば身体は眠りを欲する。そうして闇の帳を見ぬまま眠り、相変わらずの白夜の下目覚める。  
その繰り返しが一日。  
時間の概念すら曖昧になる。  
それが、今ユヅキの存在する世界。  
 
「おかえりなさいませ、ユヅキさま」  
「只今」  
街の入り口に立つフラーゼンへと挨拶し、石造りの階段を上り。  
目を遣った花壇には誰もいなかった。そもそも花壇すらなかった。まるで初めから何も存在しなかった、  
とでもいうかのように、その空間は呆然とするユヅキを嘲笑っていた。  
悪い予感に駆け足になる。目指すのは唯一人。  
「キサナ様!」  
長椅子にぼんやりと身を預けていたキサナはユヅキの声に振り向いた。  
「……お帰りなさい、ユヅキ」  
変わらぬ笑顔。変わらぬ声。それでもユヅキには分かる。真実を共有するからこそ、苦しみが解ってしまう。  
「また、ですか」  
残酷な問い。しかし引き伸ばしてもキサナ自身に言わせるだけだとこれまでの経験から知っていた。キサナに  
自身を傷つける真似をさせる位なら、己れを責める方がまだましだ。  
「ええ―――また、間に合わなかった」  
あの花壇を作っていた女性は、どんな顔をしていただろう。どんな花を植えようとしていただろう。どんな風に  
生きていたのだろう。全ての問いは無為になる。もう彼女は何処にもいない。巡り巡った末に、消えた。  
「もっと、私に力があれば」  
それは違う、と叫びたかった。彼女の慰めにならぬとても。  
遮るのはキサナ。  
「それで、ユヅキ。カゲロウの里はどうでしたか」  
「え、ええ、大した被害はありませんでした。あとは里の者で対処出来ると判断し、戻ってまいりました」  
「そうですか」  
キサナが。真直ぐに。ユヅキを見つめる。  
「―――ユヅキ」  
「はっ」  
「もう、貴女も充分強くなりました―――そろそろ転生の塔へ赴いても良い頃ですね」  
呼吸が、上手くいかない。  
「いえ拙者は未熟者。まだ、早いかと」  
刀を握る手が震えていた。キサナから隠すように後ろ手に回す。  
キサナはしばしその姿を見、それ以上話を続けることはせずに、ユヅキを労い休むよう告げただけだった。  
 
 
与えられたのは知識と「世界を見て回りなさい」という忠告。そして帰るべき場所。  
彼女の存在があったからこそ、世界の理を知っても絶望せずにいられた。  
そして。彼女が『白夜』に託した夢に。  
初めて―――おそらく初めて―――身を尽くしても仕えたいと望んだ。  
 
魂は転生する。機界ロレイラル、鬼妖界シルターン、霊界サプレス、幻獣メイトルパ。そして時には  
『楽園』とも『牢獄』とも呼ばれるリインバウムへと。魂は巡る。しかし、何かの弾みで零れてしまう魂がある。  
―――此処は『界の狭間』と呼ばれる場所。巡りの輪より外れた世界。輪廻から零れ落ちた魂の、受け皿。  
つまるところ死人の世界。  
『定着せし者』も『放浪者』も皆押並べて、肉体を持たぬ魂だけの存在。両者の違いはひとつ。変わろうと  
するか、己が魂を成長させようとするか否か。  
変革を望む魂を選別し輪廻の輪に戻すのがこの世界の役目。  
そして望まず、ただ安穏といきたいと願う者は―――繰り返す。それぞれのサイクルで、それぞれの生活を。  
一度は得た記憶も思い出も全ては不必要と消去され個々の時間にのみいきる―――その果ては、『世界』  
への融解。  
繰り返しの終局は『個』としての魂の消滅であり、魂の持つ記憶が世界を構成する要素となる。  
此処はそうして存在している。  
 
キサナは転生の案内役たる『導き手』である。幾人もの魂を導き、より多くの魂の消滅を見てきた。  
キサナは転生が可能な魂を増やそうとしていた。『放浪者』としての自覚を促し、魂の成長を願った。  
ユヅキはキサナの願いに魅かれた。その夢を叶える手助けをしたいと思った。  
 
けれどキサナはユヅキに転生を望むという。  
キサナの「少しでも多くの魂を転生させる」という願いを叶えたい。キサナの側で。キサナをこの手で支えて。  
 
ひたすらに、苦しい。  
 
 
迷い。迷い。何度もの白夜を過ごし。  
ユヅキは。選んだ。  
「此処は転生の塔に続いています。では行きましょうか」  
「……はい」  
奇妙な装置を前に佇む二人は、どちらも門出には似つかわしくない表情をしている。  
淡い燐光を放ち装置が起動する。此処をくぐれば。  
「……」  
ユヅキ、との訝しげな呼びかけにも、動けない。  
 
キサナが望むのなら、これは正しいことなのだ。転生し新しい生を歩む。キサナの手で送り出される。  
それは多分幸せなこと。キサナを置いて。キサナを独り―――この優し過ぎるひとを残して―――  
動いていた。  
刀が床に落ちる。武人の魂とでもいうべき刀を手放すなぞサムライにあるまじき行為だ。そうまでして  
手に入れたいもの。  
「ユヅキ―――」  
両の腕で縋るのは、キサナの華奢な身体。装置は何時の間にか止まっている。動いているのはユヅキと  
キサナの心臓のみ。謝ろうとする。非礼を詫びてもう一度あの装置に近づいて。  
「厭だ」  
出来ない。  
「ユヅキ」  
「厭なんです! お願いです―――拙者は―――拙者に―――」  
自分が居なくなればこのひとはどうなるのだろう。消滅する魂を独りで見続けるのだろうか。頼れる者無しに。  
「貴女を」  
違う。支えが欲しいのは。  
「貴女がいなければ拙者は―――拙者の刃は、貴女の為にしか振るえない」  
自分自身、だ。  
泣く子をあやす母親のような手つきで頭を撫ぜるのは剣を取らぬ細い指。縋りつくのは「支えになりたい」  
と口ばかりのサムライ。  
それでも、赦してくれる、のだと知った。  
 
 
柔らかい膝に頭を預けて束の間まどろむ。細い指が黒髪を梳く感触が心地好い。  
何か言おうと思って顔を上げるのだが、キサナの静かな表情に言葉は泡沫となり消える。  
キサナの定位置である長椅子に半身を預け、キサナの膝を枕にして、ユヅキは虚脱感に全身を浸していた。  
「後悔しませんか」  
「しません。絶対に」  
身体を起こし、キサナへと額づく。  
キサナは少しだけ微笑ったようだ。寂しげな、悲しげな、ユヅキを止められない己れを責めるような、その底に  
ある感情を抑圧するような、そんな顔で。  
「―――この身はこの刃は唯一貴女の為だけに在ります」  
己が全てを捧げると誓う。  
巡らぬ世界で、彼女の夢見る明日を迎えるために。  
 

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