潮風に長い巻き毛をなびかせ、彼女は月を見ている。  
白い肌、繊細なプロフィール、長い睫、暗い眼差し。  
梯子にもたれてほんの少し見とれてから、ハワードは気さくな声色を作った。  
「メノリ、交代の時間だぞ」  
 
「ああ、ハワードか…」  
「今日は疲れたろ。早く行って寝ろよ」  
よいしょ、と体を持ち上げて見張り台によじのぼる。  
メノリは髪を手で押さえながら振り向き、名残惜しげに月を見た。  
「うーん…」  
「ん、どうかしたのか?」  
「いや、お前がよければだが…ここでもう少し月を見ていていいか?」  
意外な言葉に一瞬、ハワードの胸が高鳴った。  
「いいけど、…見張りの邪魔するなよ!」  
「ふふ、気をつけよう」  
 
数分が過ぎた。  
メノリはひと言も発することなく、ただハワードと並んで月を見ている。  
その横顔は憂いを帯びて、しかし、どことなく清々しかった。  
 
(ここは一つ、ウィットに富んだ知的な会話でもするか…)  
なんだか居心地の悪いハワードは、コホンと咳払いした。  
「あのさ、メノ…」  
「ハワード、キスしてみるか?」  
月を見たままメノリが口を開く。  
「えっ!?」  
「もしお前が嫌でなければ、だ」  
メノリはいたずらっ子のような顔で笑い、星空のような瞳を向けた。  
真っ赤になったハワードの頭頂部から湯気が吹き出す。  
その顔を見て、メノリが苦笑した。  
「ぷっ、…冗談だ、忘れてくれ」  
「いや、や、や、やぶさかではないぜ?」  
 
ずっと潮風に吹かれていたメノリの唇は、冷たかった。  
ハワードは硬直し、息を詰めて目を白黒させる。  
やがてそっとメノリの顔が離れ、しばらくして涼しい声がした。  
「ありがとう。感傷に付き合わせて悪かった」  
「メノリ…」  
「忘れてくれ」  
ため息をつくように言うと、メノリは月を見上げた。  
詳細を、聞けない雰囲気がその横顔にある。  
ハワードは胸の奥が締め付けられるのを感じた。  
「私も忘れる。月を見て…忘れたはずのことを思い出しただけだ…」  
 
ハワードはなにもいわず、ただメノリの隣に立った。  
潮風が二人の間を通り過ぎていく。  
「…聞かないんだな、ハワード」  
「ああ、紳士だからな」  
5秒ほどキョトンとしてから、メノリは笑った。  
その顔がとても愛らしいとハワードは思った。  
 
「さ、そろそろ帰って寝るか」  
巻き毛を翻してメノリが去ろうとしたとき、ハワードの手が伸びた。  
無意識のうちに、彼女の細い手首をつかんで引き留めてしまう。  
「…どうした?」  
悩みでもあるのか?という顔でメノリは振り返った。  
地に足のつかない船上生活では、ストレスも多い。  
いつ誰の話でも聞こうという心構えが、メノリにはあった。  
「ハワード?」  
「…僕の頼みも聞いてくれるか?」  
「私に出来ることならなんでもしよう」  
ハワードはメノリの腕を引き寄せ、唇を重ねた。  
 
「ん…っ!」  
大きく見開いた藍の瞳に、白く光る月が映る。  
(ああ、月だ…)  
月の下でキスを求めた「彼」を、メノリは突き飛ばして逃げた。  
それから二度と、二人にそんな機会は訪れぬまま…  
(あのとき、しておけば良かった…)  
「彼」が望むことをなんでもしてやれば良かった。  
(そうしたら、こんな思いは…)  
丸い月がぼやけていく。  
メノリは観念したように、瞼を閉じた。  
 
見張り台の床の上に倒されても、メノリは抵抗しなかった。  
ただ顔を背け、視線をハワードから外している。  
(くそ、ボタンが…)  
手が震えてブラウスのボタンを外せない。  
ハワードはもどかしげにブラウスをスカートから引き抜いた。  
紺のベストごとぐいっと持ち上げ、肌を露わにする。  
(うわ…)  
月明かりに映えるきめ細やかな肌に息を呑んだ。  
さらに持ち上げていくと、清楚な下着が顔を出す。  
「メノリ、きれいだ…」  
長い漂流生活を経てなお清潔に保つあたり、やはりメノリは非凡であった。  
 
下着をずらし、手から零れそうな白い乳房をそっと掌で包む。  
(プリンみたいだ…)  
張りつめているのに柔らかい。  
(これ…、どうしたらいいんだろう)  
もちろん、ハワードもその手の映像は見たことがあった。  
でも、この造形美は、あんな風に揉むには神々しすぎる。  
メノリの顔をそっと盗み見ると、彼女は視線が絡む前に目を逸らした。  
(な、なんだよ、それ…)  
ハワードは当惑し、結局、ただそっと唇を寄せた。  
 
「あ」  
「メノリ?」  
「いや、なんでもない。…続けろ」  
今度は舌で舐めてみる。  
「ひゃう」  
「…メノリ?」  
「いちいち顔色をうかがうな」  
「ちぇ、わかったよ…」  
頭ごなしに言われたハワードは、いきなり先端を銜えて舌で転がした。  
「あ…あう…っ」  
大きく見開いた藍の瞳が白い月を捕らえる。  
次の瞬間、見張り台が微かに揺れた。  
 
「あれ、メノリとハワード、そんなとこでなにしてるの?」  
「あ、ベルじゃないか。交代はまだだろ?」  
ハワードの声がひっくり返った。  
メノリと並んで床にへばりついている。  
「ちょ、ちょっと床が軋む気がしてな。ハワードと点検してたんだ」  
メノリもはいつくばったまま、ぎこちなく笑った。  
「なんだ」  
ベルは安心したように笑った。  
「ハワードが行ったのにメノリが帰ってこないって、ルナが気づいてね」  
 
甲板から「いたか?」とカオルの声がする。  
ベルはジェスチャーでそれに答え、二人を見た。  
「そこは明日の昼に俺が直しておくよ。メノリはもう休んだほうがいい」  
「そ、そうか。気を遣わせて悪かった。すぐ行く」  
ベルの顔が消えるのを待って、メノリはブラウスの裾を直した。  
立ち上がってスカートから埃を払う。  
「メ、メノリ、俺…」  
「すまなかった」  
メノリはハワードの顔を見ずに言い、梯子を降りて行った。  
一人きりになった見張り台の上で、潮風が金髪をなぶる。  
「なんで謝るんだよ…」  
 
 
「いい風…」  
翌日の夜、見張り台でルナは夜風を楽しんでいた。  
縁に腕を置いて体重をかけ、形のいい腰を軽く反らしている。  
梯子にもたれてほんの少し見とれてから、ベルは口を開いた。  
「ルナ、そろそろ交代の時間だよ」  
 
「もう?」  
ルナは名残惜しげに夜の海に目をやる。  
その横顔を見ながら、ベルは努めて明るい声を出した。  
「よかったら、もう少しここにいたら?」  
ルナは小首を傾げた。  
「…もしかして、なにか相談事があるの?」  
いつでもどこでも人の話を聞こうと心がけているのは、メノリだけではない。  
「い、いや、そういうわけじゃないけど…」  
言葉に詰まったベルを心配そうに見たルナの視線が、ふと下がった。  
「カオル、どうしたの?」  
機敏な動作で見張り台に乗ったカオルは、無表情のまま言った。  
「海も凪いでいるようだし、操縦桿はチャコに任せて気分転換にきた」  
 
結局、30分ほど3人で過ごしてから、カオルは操縦室にルナは寝室に去った。  
 
 
帰ってきたルナがベッドに潜り込む気配がする。  
シンゴ、シャアラ、メノリの寝息に、ルナの健やかな寝息が加わった。  
(ったく、なんで僕が…)  
一人ハワードは全く眠れず、悶々としていた。  
(メノリの奴、僕の気も知らずぐうぐう寝やがって…)  
腹立ちながらも、次はいつメノリと二人になれるか考えるハワードだった。  
 
 
 
「とおー」  
「やられ…たー!」  
「ありがとう、花の精…」  
 
決めポーズを取りながら、3人は揃ってチャコを振り返った。  
「これでどうだろう、チャコ?」  
「うーん…」  
メノリの問いかけに、難しい顔をして首をひねる。  
「ベルはだいぶ吹っ切れた感じやな。ええんちゃうか?ただ…」  
「…やっぱりわたしか」  
木製の剣を構えたメノリが苦笑する。  
「そのポーズにも照れが見えるしのう。もっと…ん?」  
チャコは首を傾げたまま、エレベーターが下りてくるのを見上げた。  
 
オリオン号最下層にある倉庫兼機械室。  
シャアラに指名された役者3名と演出のチャコは、ここで劇の練習を詰めていた。  
「カオルか、どないしてん?」  
黒っぽい服に続いて、カオルの姿が現れる。  
彼は操舵室で、操縦しながら帆を花柄にするという離れ業をこなしていたはずだ。  
ちなみに、シンゴとアダムは料理、手先の器用なシャアラは劇の衣装を用意している。  
「いや、絵が描けたから帆を交換したいんだが…」  
「操縦はどないしてん?」  
「自動操縦に切り替えた。が、誰か見張ってくれるとありがたい」  
 
「…よし、ベル、手伝ってやり。見張りはうちがする」  
「いいのか、チャコ。まだ終わってないが…」  
「ベルの出番は終わったし、あとはお前らだけや。ハワード、頼むで」  
「おう、メノリの演技指導はこのハワード様にまかせろ!」  
「しっかし、誰にもとりえがあるもんやなあ…ハワードがこんなに上手いとは…」  
というわけで、メノリとハワードは機械室で二人っきりになった。  
 
「コホン、じゃあ続けるぞ。  
 えー…礼を言うのは僕の方だ。お花の園の危機を知らせてくれてありがとう」  
すっかりお姫様になりきったハワードに軽く引きながら、メノリは覚えた台詞を並べる。  
「お礼に一つだけ、願いをかなえてあげよう」  
「願いを?」  
「はい」  
ハワードは淡い緑色のタレ目を輝かせて言った。  
「…この間の続きがしたいわ」  
「ん?」  
メノリは生真面目な顔で台本を拾い上げ、台詞の確認をする。  
「ハワード、お前台詞間違ってるぞ」  
「台詞じゃない」  
そう言って、ハワードはメノリに抱きついた。  
 
「ハワード…」  
メノリは困った顔をして、胸にしがみつく金髪を撫でた。  
「僕を避けてるだろ。ちゃんと僕を見ろよ。  
 誰かに好きになってほしいと思ったのなんて、初めてなんだぞ」  
「…私はハワードのことはちゃんと見てるし、仲間としてそれなりに好きだ」  
「なんだよ、それ…」  
ハワードは拗ねた。  
「いや、さっき魚のエサになりかけたお前を見てしみじみ思ったんだが…」  
胸に埋められた金髪からは、まだ潮の香りがする。  
「お前はどんな深刻な状況のときでも、わたし達に明るさをもたらしてくれる」  
「…それは褒めてるのか?」  
「認めてるんだ。わたしには決してできないことだ」  
 
この極限状態で色恋沙汰は不謹慎だ、とメノリは思っている。  
ただ、いつ死ぬかわからないからこそ、後悔もしたくなかった。  
(あのときと同じ後悔は二度としない)  
メノリは自分からベストを脱ぎ、ブラウスのボタンを外した。  
「この間の続き…でいいんだな」  
金髪頭を抱え込み、やがて顔を紅潮させる。  
「ああ…ハワード………ん?」  
ハワードの手が下着に突っ込まれたのを察し、メノリは動揺した。  
「…おい、帆を掛け終わったらチャコが戻ってくるんだぞ」  
「それまでには済むさ」  
「あぅっ」  
筋の上をぬるぬると指で辿られて声が出た。  
 
「だ、だめ、下着が、濡れ…うっ」  
「じゃあ脱げよ」  
「く…」  
メノリは唇を噛んで膝を曲げ、腰を上げて下着を下ろす。  
その途端、体勢の変化でぱっくり開いたそこに指が侵入した。  
「ああっ!」  
目尻に涙を溜め、背中を反らす。  
「時間がない。もう入れるからな」  
ハワードは、足に引っかかっている下着をぽいっと投げてのしかかった。  
「ハワード…これ以上は…」  
白い胸を露わにしたメノリが、不安げに見上げる。  
「なにがお前をそんなに縛っているのか知らないけど…」  
ハワードは上擦った声で囁き、ズボンを脱ぎ捨てた。  
メノリにのしかかり、亀頭に愛液をこすりつける。  
「ああ…」  
「吹っ切れよ。嫌がってないことぐらい、わかるさ」  
 
「く…は…あっ!」  
押しつけてはみたものの、滑ってなかなか奥に入らない。  
ハワードは苛立ってメノリの細い肩を逆手で掴んだ。  
腕と足腰の力を振り絞って、堅い守りを突き破る。  
「…ああああっ!」  
メノリの絶叫が機械室に反響した。  
根元まで打ち込んで数秒。  
「…ハ、ハワード、どうしたんだ?」  
メノリは固まっているハワードに声をかけた。  
「いや、その、出ちゃったかなぁ〜って…」  
タレ目は悪びれずに言い、頭を掻いた。  
「なにぃ?」  
しかし、14歳のペニスはすぐに復活する。  
 
肌と肌がぶつかる音、粘膜と粘膜が立てる音。  
自分の喘ぎ声、ハワードの息づかい。  
乳房に食い込む指の感触と、胎内を蹂躙するペニスの感触。  
(お父様、お母様…)  
メノリは足を大きく開いたまま、霞む目で天井を見上げた。  
「いいか、メノリ…?」  
メノリは微かに頷いた。  
「よかった…」  
声が掠れる。  
二度目にもかかわらず、ハワードはすでに限界を迎えていた。  
「あ…あ…」  
メノリの端正な顔が歪む。  
ハワードは無性に興奮して、再び中に放出した。  
繋ぎ目から破瓜の血混じりの白い体液がどろりと流れる。  
その瞬間、エレベーターが振動した。  
 
「あのぉ、衣装出来たんだけど、合わせてくれるぅ?」  
「あ、ああ、もちろんだ」  
「はははははシャアラ、すごいな、お、僕のカツラまである!」  
「ええ、ありあわせの糸でね」  
エレベーターから床に降り立ち、シャアラは首を傾げた。  
「ハワード、もうズボン脱いじゃったの?」  
「ああそうさ、衣装が仕上がるのが待ちきれなくてな!」  
「ふうん。…はい、メノリ」  
ブリーフ一丁で威張るハワードを一瞥して、メノリに衣装を渡す。  
「腰回りを合わせたいから、スカート脱いでくれる?」  
「あ。シャアラ、私の白いタイツは?」  
「上に置いてきたけど…、あれも履いてみる?」  
「うむ、やはりあれはあった方がいいだろう」  
「わかったわ、持ってくる」  
 
 
エレベーターが完全に消えるのを待って、メノリはハワードの襟首をつかんだ。  
「おい、貴様、わたしの下着をどこに投げた!」  
「は…えと…あっちの方…かな?」  
「探すぞ!」  
「なんで俺が…いたたたた!」  
ハワードの耳を引っ張りながら、メノリは優しげに笑った。  
 
 
「あたし、一度でいいから空からこのお花畑を見てみたいわあ」  
星明かりとろうそくの灯りが、ハワードのの淡い碧眼の中で輝く。  
ピコピコと目配せされて、メノリはちょっと焦った。  
「あ、あ…そんなのは簡単さ。さあ、僕につかまって!」  
「はい」  
「さあ行こう、大空へ!」  
アダムとシンゴが「それ!」と一面の花園を披露する。  
「あれは俺が描いた…」  
「わあ…」  
元気がなかったルナの顔に笑顔が戻り、…劇は大成功した。  
 
「いやぁ、メノリは化けたな〜」  
「本当に良くなったよ、メノリ。さすがだなあ」  
練習中の大根ぶりを知っているチャコとベルが口々に褒めた。  
「素敵だったわ、メノリ」  
「そうか? ルナに喜んで貰えてよかった」  
「理想の王子様って感じよねぇ」  
シャアラがギュウッとしがみつく。  
「お、おい、シャアラ」  
 
「ふっきれたって感じやったな」  
「まあ、このハワード様の演技指導にかかればな」  
はぐらかすハワードを、チャコが肘でこづいた。  
「うちの目はごまかせんでぇ、お前ら、なんかあったやろ」  
「さあね」  
 
ハワードは笑ってチャコから逃げた。  
ポケットに手を突っ込んで、メノリの下着を握る。  
エレベーターが動いたとき、ズボンを履くよりも優先させて探し、隠したのだった。  
(これ、返してやらないとな…)  
ウキウキとした気分で星空を見上げた。  
「今度はいつ、二人っきりになれるかな」  
 
ハワードはまだ、大陸で自分を待っている運命を知らない。  
 
 
     <完>  
 

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