購入したいプレイヤーハウスの十メートル以内に入ると現れる、購入ボタンを押しこむ。  
 すると、『プレイヤーハウスの購入をおこないます。よろしいですか?』というメッ  
セージが新たにポップした。  
 メッセージの下にボタンが出現する。二つのボタンのうち『購入』のボタンを震える指  
先で叩き、購入最終確認の『確認』ボタンをタップ。  
 
『プレイヤーハウスNO≪*****≫が購入されました。キーオブジェクトが追加され  
ます』  
 
 これで目の前のログキャビンはアスナの所有物となった。  
 
「――あっ」  
 
 メッセージが表示され、その内容を脳が認識した瞬間、足から力が抜けていった。  
 積もった雪に腰を落としてしまい、そこでやっと雪の冷たさを意識した。  
 とたんに、走っている間には意識すらしていなかった零下の寒さが体中を引き裂いてく  
る。  
 対寒呪文を唱えようとして失敗する。唇がふるえてうまく詠唱できない。  
 
「あ……」  
 
 スカートに涙がおちて、アスナはやっと自分が泣いているのに気がついた。  
 涙にゆがんだ視界で、雪に埋もれながらもなおしっかりと存在するログキャビンを見上  
げる。  
 
「ああ……」  
 
 月光を吸って青白く輝く雪に囲まれたログキャビンの姿に胸がうち震え、頬を流れる涙  
を抑えられない。  
 
――やっと帰ってきた……やったよ、キリトくん……  
 
 留守にした一年と一カ月はアスナとって、決して短い時間ではない。  
 ALOから解放され、弱った体を元に戻すために過酷なリハビリに耐え、つい最近も≪  
死銃事件≫なるものを間接的に経験した。  
 SAOで出会ったリズベット――里香と再開し、シリカ――珪子とも出会った。SAO  
で別れたAIのユイと再会し、とめまぐるしく動いた日々。  
 それを思えば、この一年と一カ月はアスナの人生において最も流転の一年となったのだ。  
 
 そしてやっと――。  
 
 背中に何か温かいものが触れた。それはふわっと全身を包む。  
 
「え……?」  
 
 短衣からむき出しになっていた肩に、いままで人肌で暖められていたとおぼしき何かが  
乗る。  
 温かさに驚いていると、誰かの腕にぎゅっと横抱きされた。  
 
「アスナっ……ばかっ……こんなに冷たい……無茶しすぎだよ……」  
「リズ……ついてきてくれたんだ」  
「あたりまえでしょ……あたしとキリトくらいしかいないよ、アスナについてこられるの  
……こんなに冷えちゃって……」  
 
 瞳から涙をながし唇をふるわせるリズベットに、アスナは強く抱きしめられた。  
 ベールピンクの髪が視界の端に揺れて、頬と頬がひっついた。  
 衣服を透過してリズベットの体温が伝わる。  
 
「リズのほっぺた……あったかい……」  
 
 ぬくもりを求めてアスナは頬をリズベットによせた。  
 さら、と肩に掛けられていた何かが視界の端で揺れる。体を包み込んでいたものの正体  
は、キリトのロングコートだった。  
 
――キリト君も来てくれたんだ。  
 
 一心不乱に前だけを見て走ったアスナは、追いかけてきた二人に全く気がつかなかった。  
 
「おめでと……おめでと、アスナ……」  
 
 いっく、としゃくりあげるリズベットの体を、今度はアスナから抱きしめる。  
 
「ありがと、リズ……。今日は本当に……迷惑――」  
 
 親友に対する感謝の気持ちと帰るべきところに帰ってこれた、という安心感で唇が震え  
て最後まで言えなかった。  
 
 しんしんと降る雪の音を聞きながら、リズベットと二人、お互いの体温を交わし合う。  
 
 しばらくすると、雪の落ちる音の合間に、りぃぃぃぃん、と聞き覚えのある高い翅音が  
響き、胸元にユイが飛び込んできた。  
 人形のような体を精いっぱいふるわせてアスナの胸に顔をよせたユイはやっぱり小さな、  
小さな涙を流していた。  
 
「ママ――! ママ――!」  
「ユイちゃん……」  
 
 ユイが胸に飛び込んでくる時の翅音を聞くまで、自分の背中にも翅があることをアスナ  
は忘れていた。  
 そこまで呆然自失としていた自分に思わず苦笑する。走るより飛ぶ方が早いのに、結局  
は慣れ親しんだ足を使ってしまったのだ。  
 すがりつくユイの背中を両手で包む。  
 
「ごめん。リズ、ユイちゃん。もう大丈夫だから、ね」  
 
 胸で涙を流すユイがはい……とうなずき、リズベットが最後に大きくしゃくりあげて微  
笑んだ。  
 
 手にしたハンカチで涙をふきコートの持ち主をゆるゆると振り返る。  
 
 てっきりこちらを見守ってくれているものばかり思っていたキリトは、アスナに背を向  
けて立っていた。  
 コートを脱いだキリトは薄手のシャツ一枚で雪の上に立っている。  
 こちらを向いてくれていないキリトにアスナはほんの少しだけ寂しさを覚える。  
 だが――。  
 
「……?」  
 
 決して体格の良い方ではないキリトの背が、アスナにはいつもより少しだけ小さく見え  
た。  
 
「……キリト君?」  
 
 黒いシャツ一枚になっているキリトの肩が揺れた。  
 さらに声をかけようとしたアスナの前で、キリトがいきなり右腕を強く振るった。  
 動作はめ片手剣の血ぶりによく似ていたが、キリトの剣は鞘に格納されたままだ。  
 素手でふられた腕は剣技の冴えを持っているのに、そもそも彼の手に剣はない。不思議  
な光景だった。  
 
 そしてキリトは俯いたまま、ざくざく雪をふみしめ、アスナとリズベットの隣を無言で  
通り抜けた。そして一段高い位置にある扉の前に立つと、憮然と腕を組んだ。  
 キリトが扉に向かって立っているせいで、アスナの位置からはキリトの表情が見えない。  
 
「まったく……気を遣ったが意味ないじゃない」  
 
 アスナはとなりのリズベットの横顔をみた。予想に反してリズベッドは苦笑いを口元に  
浮かべている。  
 リズ?と、アスナは口を開こうとして、震えた野太い声に遮られた。  
 
「はは……あいつって奴は本当に……手間ぁ、掛けさせやがって」  
 
 アスナが振り向くと、いままでキリトの前に立っていたクライン、シリカ、リーファの  
三人がなんだかとても「邪悪な」笑みを浮かべていた。  
 軽い足取りでシリカがアスナの横を通り過ぎ、リーファがそれに続いた。二人とも、な  
ぜか服の袖が濡れていた。  
 
「さ、お兄ちゃんには何を買ってもらおうかなー」  
「あたしは食堂のデザートお願いしますねー」  
「じゃ、俺はエギルの店のボトルをよろしく。うぉー、さみぃさみぃ! アスナっち、は  
やく!」  
 
 最後にクラインが続いた。  
 どういう事情か、クラインやシリカ、リーファが何か言うたびに、キリトの肩がひくひ  
くと揺れていた。  
 
「……あたしたちも、行こ」  
「うん……ありがと、リズ」  
「コートのお礼なら、キリトに言って」  
 
 リズベットに支えられながらアスナはやっと立ち上がった。  
 震える指先でアイテムウィンドウをポップさせる。  
 プレイヤーハウスを購入したことであるアイテムが格納されているはずだった。  
 アスナは新規アイテム入手欄に目的のそれを、見つけて空いてる片手にオブジェクト化  
する。  
 手のひらの中でエフェクトがはじけ、まさしく家主にしか使用できないそれが姿を現し  
た。  
 冷気の中にあってさらにひんやりとした質感のそれは、旧アインクラッドに存在してい  
たものと瓜二つ――オブジェクトデザインとしては完全に同一の、「鍵」だった。  
 アスナの手のひらにもすっぽりと収まってしまうほどの、小さな鍵。  
 
「……っ」  
 
 アスナは一年と一ヶ月の時間をかけて、再び戻った鍵の重さと冷たさを握りしめる。  
 とたんに新しい涙が視界をおおうのを感じながら、アスナはリズベットに付き添われて  
キャビンの入り口に一歩一歩、前に進んだ。  
 自然、アスナとリズベットを迎える形になったリーファ、シリカ、クラインの間を抜け  
て、木枠の階段にさしかかった。  
 
「さ……あとは任せるわよ、キリト」  
 
 アスナはリズベットに一度ぎゅっ、と抱き締められた。あたしの出番はここまでだと、  
ばかりにリズベッドはアスナから離れた。  
 アスナはよろめきながら前に一歩だけ脚を進ませる。だが、次の一歩を進めようとした  
とき、雪のせいで脚がすべってしまった。  
 アスナが思わず宙に泳がせた手を、視界の端から差し出された手がつかまえる。  
 その手にすがるようにアスナがバランスを整えていると、言葉が降ってきた。  
 
「アスナ」  
 
 手を引かれ一歩踏みだし、扉の前に誘われたアスナは声の主に顔を向け、息をのんだ。  
 どうしてキリトが顔を見せたくなかったのか、分かってしまったからだ。  
 
――キリト、くん。  
 
 慌てていたせいだろう。涙の滴がキリトのおとがいのあたりに残っている。  
 あの突飛な行動は涙を拭うためだ。アスナに涙を見せないために。  
 胸に暖かくて甘いものが広がっていく。温めたミルクのようなに心の器に注がれる。  
 同じ思いでここに立ってくれているキリトの気持ちが、うれしくてたまらない。  
 
――キリト君くん……!  
 
 指先から流れてくるキリトの体温すら、愛おしい。  
 ずっと、ずっと、ずっと握っていたい。  
 そしてアスナはキリトの涙に気づかないふりをしながら言った。  
 心の中に浮かんだ、これから何度も、何度も口にするはずの言葉を。  
 
 あのときもいまと同じように雪がふっていたから。  
 
「やっと帰ってこれたね……ただいま、キリト君」  
 
 一瞬の間があって、キリトが片頬をつりあげる。  
 
「おかえり。さあ――鍵、頼むよ」  
 
 キリトに促され、アスナは扉に向き合い、鍵を鍵穴に差し込んだ。  
 鍵穴には複雑な仕組みはない。  
 ただ錠前と一対の鍵を差し込み、まわすだけで錠前ははずれてしまう。  
 鍵を持つ家主しか通行を許さないシステムロジック的にはかなり強固なセキュリティな  
のだが、実際に家主が行う動作は簡素化されている。  
 しかしその、鍵を回す動作を行うのにアスナは何度も深呼吸を繰り返さなければならな  
かった。  
 「ホーム」の扉をもう一度だけ眺める。  
   
――待っててくれて、ありがとう。待たせてごめんね。  
 
 心の中でそう唱えて鍵をまわした。  
 
 ことん。  
 
 錠前がまわる音が響きわたる。  
 心地よく胸に落ちたその音を胸に刻みつけ、アスナはキリトの手を握りしめて囁いた。  
 
「おかえり、キリト君」  
 
 つないだ手はすぐに握り返してきた。  
 強く、甘く、淡く。体温をひとかけらでも逃さないように、やさしく、包むように。  
 
「ただいま、アスナ」  
 
 応えたキリトの声は、わずかに濡れていた。  
 
――――  
 
 気を使ってくれた仲間たちを見送り、クラインがわざわざインプ領のダンジョンから入  
手してきた、入居祝いのワインをグラスに注ぎ、乾杯をしたところアスナが泣き出してし  
まった。  
 手の甲でぬぐっても、ぬぐっても、アスナの瞳から流れる涙は尽きない。  
 
「ごめんね……今日泣いてばっかりだね……ごめんね、キリトくん、ユイちゃん」  
 
 俺とユイはほぼ同時に首を横に振った。アスナが泣きださなかったら、もしかしたら俺  
の方が涙を流していたかもしれない。  
 アスナ、ユイ、そして俺の三人がそろった食卓に感じ入っていたのは俺も同じなのだ。  
 暖炉の炎の色をうつす涙のしずくを流すアスナに俺とユイはぴったりとよりそう。  
 アスナの背を撫でながら、やさしい時間が過ぎていく。  
 いまはゆっくりと泣かせてあげたかった。  
 
「おちついた?」  
「うん……また泣いちゃったよー」  
 
 まだ目頭に涙をためつつ、アスナは呟いた。  
 申し訳なさそうに言うアスナをびっくりさせたくて、俺は彼女の脚と背を抱いた。  
 
 ようするに――いわゆる「お姫様だっこ」でアスナを抱え上げたのだ。  
 
「えっ!? やっ、ちょっとー!」  
 
 脚をばたつかせて腕から抜けようとするアスナをそのままにして、揺り椅子に腰掛ける。  
 華奢な作りに反してこの木製の揺り椅子は頑丈だ。  
 体にしみついた揺られ心地を久々に味わった。  
 同時に柔らかくて暖かい、アスナの体温も懐かしさを呼んだ。新婚時代はこうやって二  
人で揺り椅子を揺らしながら眠りこけたものだ。  
 
「もう……びっくりして涙がとまっちゃったよー」  
 
 アスナはそう言ったきり足をのばして俺の隣に横たわる。俺が待わした二の腕のあたり  
に頬を埋めてきた。  
 さて、と俺はテーブルに置き去りにしてきてしまった愛娘を見やる。  
 椅子から降りたユイは「え、えっと……」と黒い瞳を迷わせていた。  
 どうやら遠慮しているらしい娘の姿をとらえて、俺は思わず頬をほころばせた。  
 
「ほら、ユイも」  
 
 ちょいちょい、と手招きする。  
 
「え――っとぉ……」  
 
 ユイは俺の行為に一瞬だけ戸惑った。  
 それはAIが判断に困る時に行う「一旦停止・処理継続中」のそれではなく、もっと感  
情的なものだった。  
 人間で言う、迷い、という感情。もういちど、ちょいちょい、と手で招く。  
 
「パパ……!」  
 
 それで決心がついたのか――俺はもう、ユイが「心」を持っていると認識している粥絵  
の、決心という言葉なのだが――ユイが満面の笑みを浮かべた。  
 そのまま「情緒的」としか思えない勢いで、俺の上に飛び乗ってきた。どすん、と。  
 
「うぎっ――」  
 
 余りに勢いよく乗られたせいで、思わずうめいた。  
 明確な攻撃行動ではなかったためか、防止コードが聞かず、鳩尾のあたりに鈍痛。  
 これがナビゲーションピクシーの姿を撮っているときなら体当たりですんでいるのだが、  
体重が外見年齢並になっているユイの突撃は、ひかえめにいって「すごく」痛かった。  
 
「あ……ごめんなさい、パパ。加重を考えませんでした」  
「だい――じょうぶ。大きくなるのは、いい事だ。うん」  
 
 これはやせ我慢半分、本音半分。  
 鈍い痛みに耐えていると、ユイがコロンと俺の二の腕のあたりに頭をよせた。  
 
 アスナは泣いちゃってごめんね、とつぶやいて俺のシャツを掴み二の腕に頭をよせた。  
ユイも真似して左腕を枕にしてくる。  
 現実でやったらあっと言う間に血流の流れが阻害され、しびれが走るだろう体勢だ。が、  
体を流れる血流までは再現しないアバターは、二人の頭を載せていても一向にしびれたり  
しない。  
 体の左側面に感じる小さな体温と右側面から感じる慣れ親しんだ体温を感じつつ、ログ  
で組まれた天井を見る。  
 
 帰ってきたんだなぁ……  
 
 ぱちぱちとはぜる薪の音を聞きながら、俺はしばらく目をつぶって、帰郷の幸せをかみ  
しめた。  
 
――――  
 
「ユイちゃん、寝ちゃったみたいだよ」  
「……あ、ああ」  
 
 耳元から聴こえた声に、遠ざかっていた意識が舞い戻る。  
 あんまりに安らかなのでまどろんでしまったようだった。  
 
「キリトくん。いま自分が寝てたでしょ」  
「そのとおりです……いや、なんだか幸せでさ……」  
「ふふ」  
 
 椅子を降りたアスナがぐっと体を延ばした。  
 
「……」  
 
 背をそらすアスナの、すこしだぼっとした普段着でも隠しきれないスタイルに目が  
行ってしまった。  
 なんとなく気恥ずかしくなって目をそらすが、それも仕方ないと思う。  
 新婚時代に何度も睦み合ったのは、この家なのだ。  
 一個や二個……いや、三つや四つ、それ以上、アスナと愛をかわした記憶が残っている。  
 
 ついそろそろと手を伸ばしてしまいそうになりながら、俺は思わず苦笑した。  
 起き上がろうとしたときに、左腕が引っかかる。寝息を立てたユイがいたのを忘れてい  
た。  
 
 寝入ったユイを抱いて二階にあがる。普段使用しているものとは別の寝室にユイを寝か  
せた。  
 部屋の明りを消し、寝室を出た俺たちは自然とお互いの腕をからませていた。  
 
「まったく……俺たち本当に親子だな」  
「親子だよ」  
 
 言いながらアスナはきゅっと、つないだ手を引いて俺の体を引き寄せた。  
 拗ねたように唇をすぼめる仕草が、すごく魅力的だった。  
 
「親子、でしょ?」  
「うん……ま、まあ。親子だな……ちょっと変わってるかもしれないけど」  
「……ちょっとだけ、ね」  
 
 ことん、とアスナは俺に体重を預けてきた。  
 
「じゃあ……その」  
 
 ごそごそ、と耳に唇をよせてアスナはつぶやいた。  
   
「……シャワー、浴びて……きます」  
 
 俺はこくこくと頷いた。  
 
――――  
 
 しばらく無言で見つめ合った後、俺たちは互いの背中に手を回した。  
 アスナをALOで抱くのは初めてだ。  
 なんとなく手軽で、しかも快楽を優先して設計されているらしい仮想空間でのセックス  
に慣れるのが怖かった。  
 
 だからといって現実での行為が見劣りするのかと言えば、そうでもない。  
 初めての痛みに涙をながしながら、俺を抱きしめ、愛してる、愛してると囁いてくれた  
明日奈。  
 
 その姿は明日奈の姿は、脳内の画像フォルダにちゃんと格納されているし、アミュスフ  
ィアやナーヴギアでは決して得ることのできない皮膚のすべりや身体を巡る血液の音は新  
鮮で、俺と明日奈を魅了した。  
 
 あえて現実でのセックスの問題をあげるなら、明日奈と一緒にいられる時間が短いこと  
くらいだ。  
 門限の厳しい彼女を見送るときのなんともいえないもの悲しさは、まだ高校生という立  
場を思い知らせるものだった。  
 
 ただ、今日は別だ。アスナを時間が許す限りの間、抱き続けていたいと心の底から思っ  
ていた。  
 お互いの死すら覚悟した、アインクラッド崩壊の日。  
 二年間置き去りにしてきた名前を伝えて、意識が消滅するまで消えることのなかった思  
慕の念が、いまさらになって胸をくすぶっている。  
 
 そして今、二度と味わえないと思っていた体温が腕の中にある。  
 それが愛おしくてしかたない。アスナの体温をしっかりと掻き抱いた。  
 こうしていないとまた、どこかに行ってしまうのではないかと、強迫観念にも似た思い  
でアスナを抱き続ける。  
 
 それはアスナも同じようだった。俺の背中に回された腕は、俺がなにをしても離してく  
れそうもない。  
 こうしてまた、この家でこうして抱き合える奇跡を、俺もアスナも噛みしめていた。  
 もっともっと噛みしめていたい。お互いを感じていたい。  
 
「アスナ……キスしたい」  
「……わたしも」  
 
 少しだけ腕の力を抜いて、顔を合わせた。  
 美しい造作はそのままに水妖精族の特徴である青髪を、うすくて白い肩に流している、  
アスナの姿に思わず見とれる。  
 
 じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな水色の瞳も相まって、どこか彫像めい  
て――などと思ってしまうのは、現実の明日奈を知ってしまったからだろうか。  
 いや。それなら――ALOで再構築された「キリト」はSAOの「キリト」とは、体格  
も違えば顔も違う。  
 須郷に捕えられ、鳥かごの中で再会したアスナは俺を何と言って出迎えてくれた?  
 
「……」  
 
 アスナは、アスナだ。  
 アスナが目を閉じて、桜色の唇を窄めた。  
 わずかに突き出される唇に自分の唇でふれる。  
 
「ん――んっ……」  
 
 体のどこよりも柔らかい唇はしっとりと塗れていた。  
 片手で髪を梳きつつ、緩んだ唇に舌をつっこむ。  
 
「は……むっ……」  
 
 そのままお互いをむさぼるように舌を絡ませた。  
 もっと深く、もっと深く――。  
 ただただ、彼女を味わっていたいとの一念でアスナの唇を吸い続ける。  
 
「や……もっと、キス……」  
 
 わずかでも唇を浮かせようとすると、アスナが泣きそうな声でささやいた。いや、もし  
かしたらもう、泣いていたのかもしれない。  
 
「んっ……んっ……」  
 
 唇を交わしたまま手探りでアスナの体を探っていく。肩を抱いていた手を離して、彼女  
の体に指をはわしてく。  
 
「んっ……んっ……」  
 
 なまめかしく動く、アスナの舌をとらえながら、鎖骨、二の腕とふれていく。そしてそ  
のままわき腹のあたりをくすぐるようになで回した。  
 
「ぅぅう……んっ……くすぐったい、よぉ……」  
 
 身じろぎするアスナの腕が俺の頭を引き寄せた。  
 
「んっ……んっ……んっぅ……」  
 
 木彫りの彫刻のようになめらかな贅肉一つない腹部の線をたどって、陰毛のない恥丘の  
あたりまで腕をおとした。  
 
「あう……」  
 
 現実世界では髪と同じ色の毛を茂らせている部分をくすぐると、アスナが小さくあえい  
だ。  
 わずかに顔をはなした。  
 夢見るようにとろけたアスナの瞳に星がともっている。  
 
「ここ、いい?」  
 
 いいながら恥丘を指でくすぐる。  
 女性としては理想的に盛り上がる腹部がわずかに波だった。  
 
「んっ……ちょっとならいいよ……」  
「すごくむずかしいよ、それ」  
 
 俺の答えに美しく微笑するアスナ。  
 
「じゃあ、いいよ……キリトくんの好きにして……」  
 
 魅力的な言葉をつぶやきながら、アスナは足の位置を前後させて体を開いた。  
 
「さわるよ」  
 
 無毛の恥丘をさすっていた指を、ゆっくりとアスナのそこに向かわせる。  
 
「……んっ……やさしい……くすぐったい……」  
 
 一番最初にたどり着いた中指が、ぬめるスリットにふれる。  
 
「んあっ……」  
 
 ついばむようなキスをしたまま、手探りでスリットに指をはわせる。頭の中に焼き付い  
ているアスナのそこを思い描きながら、探るような手つきでアスナを刺激する。  
 
「ひゃ……ああ……んっ……そこ、だめ……」  
 
 くっと、ときおり大きく震えるアスナの反応をみつつ、スリットの切れ目にうまった天  
頂部をつぶしてみる。  
 
「はうっ!」  
 
 アスナの体が大きく跳ねた。続けて刺激しつつ、かわいらしく悲鳴を上げる唇をふさぐ。  
 
「んぐ……ちゅ……んっ……」  
 
 刺激のせいで委縮する舌をさらい、引き出して絡める。口中をさんざん味わってから口  
を話した。唾液でできた橋が枕に落ちる。  
 
 さて、もう一度とアスナの唇を奪おうとした瞬間、アスナの裸体に興奮していた性器に  
何かが触れた。  
 
「ああ……キリト……くんも……んっ……」  
 
 スリットに伸びる俺の腕とアスナの腕が交差する。アスナの右手が逆手で性器を撫で上  
げた。  
 
「んっ――」  
「キリトくん……かわいい……んっ……」  
 
 一瞬上げてしまった悲鳴のを逃さず、アスナが微笑む。  
 そそりたった性器の根本から続く尿道管を指先で爪弾かれ、さすがにくらくらしてきた。  
 負けじといままで撫でまわすだけだった、突起の向こうに指をよせる。  
 
「はうっ……はうっ……きゃうっ!」  
 
 指先が入り口をとらえた。わずかに広がったそこからどぷどぷどぷと、愛液が流れだし  
てくる。  
 ごく浅い部分を指先でくすぐりながら、アスナから与えられる性器への刺激を堪能した。  
 
「んっ……はぅ……きゃんう……」  
 
 アスナに刺激され、アスナを刺激する。甘くしびれるような行為を続ける。  
 お互いの感じるところを知り尽くしている俺たちは、あっという間に高ぶった。  
 
「んっ……あう……んっ……」  
 
 十分に濡れたことを確認して、今度こそ唇を離した。  
 
「はうっ……」  
 
 何度かあえぐように舌先を動かしたアスナが、うっすらと目を開けた。俺はその目を見  
つめる。  
 意図を読むようになんどか瞬きをして、アスナがわずかにうなずいた。  
 アスナの体を抱いたまま、体をずらして仰向けにする。  
 体に力がはいらないのかアスナは全く抵抗しない。脱力しきって、俺に行為を預けてく  
る。  
 
「……きれいだな」  
 
 アスナの頭の窓から月光が差し込む。  
 青白い月光に照らされたアスナの姿は、美しく神秘的だった。  
 ALOの水妖精族となったアスナの髪は水色にかわり、妖精たる証明として耳が尖って  
いるが顔の造作は明日奈そのものだ。  
 水妖精族特有の、腰ほどまである長い髪はシーツの皺にそって流れていた。  
 きゅっと理想的にくびれ、なだらかに盛り上がる下腹部には脂肪ひとつない。  
 仰向けであるにもかかわらず、形を崩さずこんもりと盛り上がる乳房の先には、まだ勃  
起しきっていないベビーピンクのつぼみがちょん、と乗っている。  
 
 妖精の神秘的な裸体――であるのだが、緩く広げられた足の付け根に濡れそぼったスリ  
ットがあり、そこだけ妙に艶めかしい。  
 俺が散々いじりまわしたせいかスリットは真ん中から割れていて、その向こう、膣道の  
入り口をあらわにしていた。  
 
 アスナの裸体を堪能し、俺は今まで触れていたクリトリスの部分に性器を当てた。  
 
「んっ――!?」  
 
 指よりも相当やわらかい性器の先端で突起を刺激したあと、さっき散々なぶった入り口  
に亀頭をあてる。  
 
「え……あっ……待ってっ!」  
「え?」  
 
 腰を突きこむ一瞬前に言われたため、動きを止めることができない。  
 そのままぐっ、と性器を押し込んでしまった。  
 
「や―――――っ!!」  
 
 俺の想像よりはるかに滑らかに奥底まで突きささる性器に、アスナは想像以上の悲鳴を  
あげた。  
 まだ触れていない乳房の先がみるみる赤みを帯びて、美味しそうにとがっていく。  
 雪のような白い肌に朱が広がっていった。  
 
「はぐ……んっ……どうして……?」  
 
 ぱくぱくと空気を求めてあえぎつつ、絶頂の快楽に体をびくつかせるアスナは、ぎゅう  
っと膣道を狭くしてきた。  
 
「あ、アスナ……」  
 
 想像もしていなかった反応に俺はアスナの瞳を覗き込んだ。  
 
「ちがうの……っ! 気持ち、いいの……気持ちよくて……」  
「なんでだろ……キリト君がいつもよりやさしいからかな……それとも」  
「それとも?」  
「心が、もう満足しちゃってるから、かも……だから、キリト君がくれるものを、素直に  
もらえるのかな……だからキリトくんの……」  
 
 こくっ、とアスナが息をのんだ。  
 
「全部、ほしい。一つになっちゃいたい……キリトくんも……?」  
「……うん」  
 
 もうごまかしようがない。  
 
「アスナの可愛いところ、全部みたい。誘われてからずっと、アスナの全部が欲しくなっ  
てた」  
 
 俺は体を倒した。胸板とアスナの乳房が密着する。性器を突きこんだまま、オーガズム  
のせいで花弁のように開かれた唇に舌をうずめる。  
 
「んっ……んっ……」  
 
 アスナがすぐさま舌を絡めてきた。いつもより数段緩やかに腰を動かしはじめる。  
 異様な充実感があった。感情の器が満たされて、あふれていく。  
 俺は最後のあの日を思い出しながら、彼女の指を握りしめる。もう離れることがないよ  
うに。  
 まっすぐに目を見つめてあの日の言葉を繰り返す。ふれあい、溶け合ったあの日。  
 別離の情景を塗りつぶすように、彼女の名前をつぶやいた。  
 
「アスナ……アスナ……」  
「キリトくん……愛してる……愛してる……キリトくん……」  
 
 譫言のようにつぶやきながら、絡んだ指を握り締めた。  
 
 狭くなる柔肉に性器の形を覚えこませるようと動く。  
 それだけで十分だった。アスナのそこは狭くて、あつくて心地いい。  
 収縮する柔肉が、射精を誘ってくる。  
 
「ふぁ……あ……!!」  
 
 わずかに膣道をこそぐだけでも感じてしまうアスナは、ひと突きごとにびくびくと震え  
た。  
 
「やっ、やぁ! またっ、またぁ! いっちゃ――!」  
 
 熱くとろけるアスナの声が途中で止まり、上にのる俺を吹き飛ばすのではないかと思う  
ほど、大きく強く、背をしならせた。  
 
「んああああああ―――――っ!!!」  
「くっ……アスナっ!」  
 
 ぎゅうぎゅう締めつけてくる膣道の柔肉が狭まり俺はついに限界を迎えてしまった。  
 絶頂の悲鳴を上げるアスナに導かれるように、最奥に精液を噴き出した。  
 
「はう……んっ……あ……キリトくん……愛してる……」  
 
 アスナの中にすべてを吐き出していると、再びアスナがうわごとのように言う。  
 噴き出すたびに頭がしびれ、いままで俺を突き動かしていた何かが失われていく。  
 残るのは、アスナへの愛おしさばかりだった。  
 
「あ……くっ……アスナ……」  
「ぁ……ぁ……んっ……」  
 
 すべてをアスナに注ぎこんだ後、脱力してアスナの上に倒れ込む。  
 そして俺は残った意識をかき集めて、アスナともども再び体を横たえた。  
 動きで性器が抜ける。  
 
「はぁ……はぁ……キリトくん……愛してる……愛しています……」  
「アスナ……アスナ……」  
 
 お互いを抱きしめあいつつ、いつまでもうわごとのようにつぶやき合っていた。  
 
――――  
 
 ――キリトが本当に足をとめたのかどうか、実は明日奈にもよくわかっていなかった。  
 ただつないでいた手の握り方が、すこし変わった気がして、おもわず彼の顔をのぞきこ  
んだのだ。  
 
 その瞬間、胸がさざめきたった。  
 
 色とりどりのLEDライトが発するクリスマスイルミネーションの七色の光。その光に  
照らされた和人の顔はくしゃくしゃにゆがんでいた。  
 
 そこで足を止めて、どうしたのと聞いて見ても、和人はなにも言わなかった。ただ今に  
も泣き出しそうな顔に胸が切なくなった。  
 コートに包まれた和人の腕は震えていた。寒さ以外の何かに。  
 明日奈は和人の腕をとって、近くのベンチに座ることにした。  
 
 そして明日奈はじっと待った。  
 彼がいま、なにを感じてそんな表情をしているのか知りたかった。  
 
 温暖化が進む日本で、もしかしたらそのうち目にすることができなくなるかもしれない、  
東京の雪をぼうっと見上げてみる。  
 SAOから解放され、ALOから帰還したその日、彼が迎えに来てくれたその日は大粒  
の雪が降っていた。  
 まともに昨日してくれない五感でも、窓をたたく雪の音と月の光にまだらな影を差す  
雪はしっかりと視界に焼き付けることができていたからだ。  
 
 だからその雪を見ることができなくなるのは、すこし寂しい。  
 
 そうしているうちに、和人がぽつり、ぽつりと語り出した。  
 
 一昨年のクリスマスにキリトが彼女のために求め、絶望した話とその彼女が残した歌の  
物語を――。  
 
 《月下の黒猫団》壊滅の顛末はキリト本人の口から聞いていた。  
 だが、いまキリトが口にしたクリスマスの死闘と彼女の残したメッセージについては、  
アスナも知らなかった。  
 もしかしたらキリトは意図的にさけていたのかもしれない。  
 
 手のひらを見つめる、和人の目は空虚だった。  
 悲しんでいるのか、悼んでいるのか、後悔しているのか、その瞳から感じ取ることはで  
きなかった。  
 でも、涙を流さない彼のかわりに明日奈は泣いた。  
 
 人間の記憶の上書きなんてできないし、忘れることなどできない。  
 ふとした拍子に本人の意思に関わらず、記憶は浮かんでくる。  
 きっと突然の雪と赤鼻のトナカイがそんな悔恨の記憶をよみがえらせたのだ。  
 忘れられない悲しい記憶を。  
 
――でも……でもね。  
 
 悲しくても、その記憶はいまのキリトを構築する一部になっているはずだ。  
 なぜならキリトの胸の中にしかないその歌声は、きっと一番最初にキリトを導いたもの  
だからだ。  
 
 背教者ニコラスを倒した彼が絶望のままに、迷宮区に向かっていたらどうなっていたか。  
 《ソードアート・オンライン》は、死を覚悟した人間にも容赦なく牙を剥く。  
 きっとキリトはリズベットとも、シリカともユイとも出会うことなく、暗い迷宮でひと  
り、ひっそりと息を引きとったに違いない。  
 《アルヴヘルム・オンライン》、《ガンゲイル・オンライン》で新たな友人と出会うこ  
ともなく、死んでいったに違いない。  
 歌とメッセージは、キリトを絶望からすくい上げ、キリトを生かしたのだ。  
 
――ありがとう……あなたの歌もメッセージも、ちゃんとキリト君にとどいてるよ……!  
 
 顔も、声も聞いたことのない少女に明日奈は感謝する。  
 彼女の歌は彼の魂の深いところに寄り添い、添え木のように彼をささえている。きっと  
これからも。  
 
 だから明日奈は、雪の乗ったキリトの手を取り、伝えることにした。  
 彼がその雪の日から歩いてきた道が、自分を救ってくれたのだと、伝えるために。  
 
「でもね。でもね、キリトくん……」  
 
 キリトにとっては、過去の悔恨を思い出す雪かもしれない。  
 もしかしたらこれからも、ずっとそうかもしれない。  
 
 いまの彼に、自分の言葉がどう響くかわからない。  
 でも伝えたかった。  
 その歌声に支えられた彼が、歩みを止めず、歩いて来てくれたおかげで、あの狂った世  
界で、魂そのものを救われた人間がいることを。  
 救われた人間がたくさんいるということを伝えたい。  
 すこしでも彼に温かさを与えたくて、明日奈はキリトの手を頬に当てた。  
 氷のように冷たい手のひらに、背筋が震えてしまう。でも彼の心はそれ以上に凍りつい  
ているはずだ。  
 明日奈はなんとか微笑みながら、彼の心が溶けるように祈りながら気持ちを伝えた。  
 
「でもね、キリトくんが私を迎えに来てくれた日も、雪がふってたんだよ――」  
 
 明日奈はキリトの瞳を眺め続けた。  
 キリトの瞳に光が戻り出す。何も映していなかった瞳に涙の膜がもりあがり、寒さで色  
を失った和人の唇が、わずかに震えてつぶやいた。嗚咽まじりの声で、彼女の名を呼ぶ。  
 
 
――サチ……ごめん、サチ……  
 
 
 キリトの嗚咽と、共に気の早い「赤鼻のトナカイ」が流れている――。  
 明日奈はキリトが泣きやむまでずっと、彼の手を握り続けていた。  
 
 
 すこしでも彼が温まるように、ずっと。雪が止むまで。  
 
   
 

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