アルヴヘイム  
二○二五年一二月  
 
 
 年末差し迫る十二月某日、俺はひとつのアイテムに心を奪われていた。  
 
「うーん……?」  
 
 アイテムストレージに格納されているそのアイテムの名前を眺めながら、先日のクリス  
マスに購入したホームの、木製テーブルの上に置かれたアイスコーヒーをストローでずる  
ずる啜る。  
 
「もう。お行儀悪いなぁ……キリト君」  
 
 俺の横に座っていた≪水妖精族≫のアスナがつぶやく。  
 たぶんこういうところに育ちのよさというのは出るんじゃないだろうか。  
 頭の中で母さんがトーストを口にくわえながら出勤する姿と、直葉がパンを口に咥えて  
軒先に出てくる姿を思い出しながら、ちらっとアスナを盗み見てみる。  
 
 アスナはいま、青と白の短衣にスカートという格好で、本人はやたらと上品にレモンテ  
ィーを口にしていた。  
 ちょっと不機嫌なのかもしれない。形の良い唇がわずかに尖っていた。  
 もっともアスナの顔には「せっかく二人きりなのに……」とか、「まだ明るいんだから  
どこかにいこうよー」とか書いてあるため、不機嫌な原因は判明しているのだが……。  
 彼女の機嫌を少しでもよくしようと居住まいをただし、まさに行儀よく甘さ控えめのア  
イスティーを口に含む。でもまあ視線だけはアイテム欄から離すことができなかった。  
 
 もう、とあきれたように言うアスナのため息が聞こえてきた。  
 でもこればっかりは仕方ないよなぁ、と思う。入手したアイテムへの探究心はMMOR  
PGプレイヤーとしての性だ。  
 とはいえもう五分以上も、俺はこのアイテムでうんうん唸らされているので決着はつけ  
たいところだ。  
 
 俺を悩ますそのアイテム。名前は「黄金の蜂蜜酒」。  
 
 このアイテム、いつの間にか俺のアイテムウィンドウの中に入っていたのだ。  
 
 アスナと組んで採取系のクエストを終わらせた俺は、クエストの報酬をロビーに置いて  
ある倉庫にアイテムを移動させようとして、その存在に気がついた。  
 ちなみにクエストの報酬はちゃんと入手できているので、これが未知のクエスト報酬で  
ある可能性はない。  
 入手経緯もさることながら、このアイテム自体も謎だった。ALO内に存在するアイテ  
ムは数多く全部を知り尽くすなどどだい不可能だが、それでも名前も見たことがないとい  
うのはどうにも不可思議だった。  
 ALOプレイヤーの有志で作成された攻略サイトにも記述がなく、結果俺はこのアイテ  
ムの扱いに、大いに頭を悩ますことになってしまった。  
 しかしまあ、そろそろ悩んでいるのも限界だ。  
   
「とりあえず……」  
 
 リビングの切り株テーブルを指定してオブジェクトを実体化させる。  
 わずかな出現エフェクトのあと、飾り気のないワイングラスが現れる。そのグラスの内  
側にアイテム名に違わないまばゆい黄金色の液体がなみなみと注がれていた。  
 実体を見れば何か思い出すかもしれないと思ったが、やはり形からして記憶にない。  
 SAO時代からの習い性でドロップアイテムの確認は必ずするようにしているし、そもそ  
もちょくちょく確認するアイテム欄に紛れこめば気がつくはず。でも本当に見覚えもない、  
手に入れた記憶もない。一体いつ格納されたのか……。  
 
「やっぱり見覚えないな。アスナはどう?」  
「わたしも見覚えないよー。攻略サイトにも乗ってなかったし、本当に新種のアイテムか  
もしれないわね」  
「でも前回のアップデートって一週間前だし、アップデートされた直後はみんな血眼にな  
って新アイテムやら新モンスターやらを探すから、このタイミングで出てくるのはちょっ  
と不思議なんだよな」  
 
 俺は思いきってワイングラスを手に取る。  
 
「まあたとえ、麻痺にしても、毒にしてもヒーラーのアスナに治して貰えばいいわけだし  
さ。それにドロップ率極小のアイテムだったとしても、いつ手に入れたのかわからないか  
ら再現性は皆無。ということはこれ、二度と手に入らない可能性もあるわけだ。じゃあ、  
ほら……使い道一つだろ」  
「それって飲んでみるってこと? なにかのキーアイテムって可能性もあるわけだし、も  
ったいない気もするなー」  
「まあまあ。仮にそうならまた誰かが見つけて判明するだろ。美味しかったらちゃんと分  
けるから。最近クラインが美味しい梅酒をちょくちょく分けてくれ――」  
「……キリトくん、お酒は――」  
「……いやリアルじゃなくてさ。ALOの中でだよ。うん」  
 
 完全に蛇足だった。  
 まだどこか納得しきっていないアスナを視線でなだめながら、グラスを手に取り液体を  
口に含む。  
 
 とろけるような甘みが舌に広がった。おいしいけど――、甘ったるいだけの液体をごく  
ごくと喉に送る。  
 
 と――。  
 
 ばぁんっ――!  
 
 ホームの扉がとんでもない勢いで開け放たれ、小柄な影が飛び出してきた。  
 
「パパ――それを飲んじゃだめですっ!」  
 
 それがせっぱ詰まった表情のユイだと気がついたのは、勢いよく開いた扉にびっくりし  
て、口の中に含んだ蜂蜜酒を飲み込んでしまったあとだった。  
 口内にのこっていた液体の感覚がすっかりなくなり、俺は呆然とするユイに苦笑いで話  
しかける。  
 
「ごめん、全部飲んじゃった……」  
「そんな……パパ……それは……それは……」  
 
 ユイがホバリングで宙に浮かびながら、愕然とした表情でいる。そしてどこか、悲しげ  
な表情で……俺を見ていた。  
 
「ど、どうした……の?」  
「それは……パパが飲んでしまった、そのアイテムは……」  
 
 俺はごくりと、唾を飲み込む。まさか即死系のアイテムかなにかだろうか。そんな悪辣  
なもの一応公平なALOの中で成立するかなー? とか考えている間にユイが答えを言い  
放つ。  
 
「その黄金の蜂蜜酒は――惚れ薬なんですっ!」  
 
「へ……?」  
 
 惚れ薬? なんだそれと口に出す前にユイがとこちらを向いて、  
 
「と、とにかく詳しい説明はあとでっ! パパは早くみなさんに連絡をとってください!  
 フレンドリストに登録されていて、いま現在ログインしている人に、いますぐ人気のな  
いところへ行くように、メッセージを!」  
 
 と言った。  
 
「わ、わかった。えっと……いまログインしてるのは」  
 
 ユイに指示されるままシステムウィンドウを手元に開いて、フレンド登録されている異  
性のログイン履歴を調べる。  
 
「アスナ、リーファ、リズ――シリカ、シノンかな」  
 
 となりにいるアスナといつもホームに集合するメンバーだ。  
 ユイはこくりと頷いた。  
 
「すぐにメッセージを送信してください! パパ!」  
「了解! でもどうしてそんなメッセージが必要なんだ?」  
 
 とりあえずスクリーンに向かって手早くメッセージを打つ。  
 『人気のないところへ至急向かってくれ! あと状況連絡たのむ』とメッセージ欄に入  
力し、送信した。  
 手振りでOKを出しながらユイに向き直る。  
 ワンピースの胸に手をおいて、ユイが悲しげに語り出す。  
 
「黄金の蜂蜜酒……それは、旧カーディナル・システムが生み出した、究極のストレス排  
除プロセスのファクターとなるアイテムです。本来は実装されてはいけない種類のアイテ  
ムなのですが、どういうわけかパパのストレージに追加されてしまいました。わたしもさ  
っき初めて気がついてここまで急いで飛んできたのですが……間に合いませんでした」  
「ストレス排除プロセスね。それでどうしてこれが惚れ薬になるんだ?」  
「はい。それは……旧カーディナル・システムは究極のストレス解消法はセックスだと判  
断したからです!」  
「セ――いや、ちょっとまって」  
 
 ユイの言葉からやけに生々しい言葉が出てきて思わず面食らう。  
 
「そしてそれを行わせる為のアイテムが黄金の蜂蜜酒なのです。本当は第七十六層の街が  
アクティベートされた瞬間に実装される予定のものだったのですが……」  
「俺、いま心からヒースクリフに感謝してるんだけど……」  
「影響者側にはステータス<<発情>>がは発動します。これは文字通りプレイヤーを発情  
させます。その発情状態になると倫理コードは強制的に解除され、さらにシステム的不  
死の状態となり、ついでにログアウトボタンも消えます」  
「突っ込みきれるかっ!」  
「また発動者側で発生するステータス≪絶倫≫はその……そこを無双させます……。  
今回はパパのパパの元が無双するはずです」  
「む、無双?」  
 
 目を白黒させる俺にユイが続ける。  
 
「とにかく解消法はただ一つだけです」  
「嫌な予感しかしないけど……ろくでもない方法な気がするけど、なんだ、その解消法っ  
て」  
「黄金の蜂蜜酒の使用者と、その影響者同士のセックスです」  
「だよね……そんなこったろうと思った……」  
「ストレスの解消が目的ですから――まあ、ストレスが解消されないとステータスも元に  
戻りませんけどね」  
「ユイ、最後のほうがよく聞き取れなかったんだけど――」  
 
 問いつめようとした瞬間、誰かから新着メッセージが届いた。  
 ポーンとメッセージがスクリーン上にポップする。  
 新着メッセージが二通あります、との表記があり送信者の名前が続く。シリカ、リーフ  
ァとあった。  
 大変なことになっていなければいいがと心の中で念じながら、手早くシリカからのメッ  
セージを空中に表示する。  
 
シリカ:ああ! ピナ! そんなところ舐めちゃやだぁ……  
 
「……」  
「リーファさんのメッセージは……あ、これは内容的にまともです。表示します!」  
 
リーファ:トンキー……やだよぅ……なんで……なんでそんなことするの……  
 
「……このメールの、一体どこがまともなんだ、ユイ」  
「その前にリーファさんとシリカさん、どちらにいらしているのですか?」  
「ヨツンヘイム。トンキーの様子を見に」  
「ああ、それで。……一つ言い忘れました。魔物のなかには、ステータス<<発情>>のキャ  
ラクターを感知すると急に(股間が)アクティブ化するものもいます。たぶん、ピナもト  
ンキーさんもそれで――」  
「いや……だめだろ、それ……」  
 
 あとはトンキーの良心に賭けるしかない。無事であってほしい。  
 
「あ、シノンさんからもメッセージが入っています。リズさんと一緒のようですね」  
「そういえば素材を取りにノーム領に行くって言ってたな」  
 
シノン:急にどうしたの。いまこっちはリズがいきなり空中でおもら  
 
「よし、この二人も大丈夫だな。とりあえず人のいないところに移動していそうだ」  
 
 必要最低限の情報は得ることができたので、メッセージウィンドウを消去する。  
 
「え? 別の意味で大丈夫ではないようですが?」  
「い、いいんだよ! 無事なら!」  
 
 シノンのメッセージの最後の部分は見なかったことにしよう。だってリズ死んじゃう。  
 
「とりあえず、状況はわかりましたね」  
「いや、もう一人メッセージが帰ってきていない人がいるんだけど……」  
 
 厳密にいえば、メッセージを送る必要がない人物が、一人。  
   
「アスナ」  
「はぁ……はぁ……うん……」  
 
 さきほどから俺のとなりで荒い息をはき、頬をリンゴのように赤く染めたアスナがいる。  
 
「んっ……キリト君……」  
 
 こてん、と隣にすわっているアスナが俺によりかかってきた。  
 
 

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