ごとんごとんという水車の回る音を聞きながら、あたしはウインドウを開いて時刻を確認した。  
現在お昼の12時すぎ。仕事が一区切りついたため、今は休憩中だ。  
あたしのような、攻略組の人とかからも依頼を受けるレベルの鍛冶屋の一日というのは、  
午前中は前日に受けた依頼や前日に武器を修復しなかった客の飛び込みの依頼でかなり忙しい。  
ただ、11時をすぎるころになると流石に客の大半は攻略に出発してしまうため多少暇になり、  
そして夕方ごろになるとその日の攻略を終えたプレイヤーたちで再び混雑するという具合になっている。  
 
(そろそろかな)  
 
飲んでいたコーヒーを机に置いて立ち上がり、壁にかけてある鏡を覗き込む。  
 
(うん、髪の毛とかもおかしくないよね)  
 
すばやく身だしなみと笑顔のチェックを行うとほぼ同時だった。  
ドアが開く音した。  
 
「いらっしゃーい」  
 
あたしは来訪者のほうに向き直った。  
休憩中につき、「CLOSED」の木札を掲げているため、店内には通常の客は入ることはできない。  
あたしが入れるように設定しているのは二人だけ。  
うち一人はギルドの責任者としてとっくにフィールドに出ているはずなので、こんな時間にやってくるのは一人しかいない。  
 
「ふぁー、……おはようリズ」  
「おはよう、ってもう昼だけどね。だらしないわね、キリト」  
 
あたしは寝ぼけ眼のまま入ってきた男の子、キリトに、  
満面の笑みを向けた。  
 
 
 
 
 
「あっきれた。どう使えばたった一日でこんなに消耗するわけ?」  
 
あたしは手に持った剣、あたしの作った剣である『ダークリパルサー』の耐久値の減り具合に呆れた。  
もう一振りの魔剣『エリュシデータ』も似たようなものなのだろう。  
昨日磨いだばかりだというのに、二本の剣はどちらももう耐久値が5割近くにまで減っている。  
例えボス戦を戦ったとしても普通はこうはなるまい。  
 
「いや〜、昨日の夜、っていうか今朝か、たまたま美味しい狩場に誰も人がいなかったんだよ。  
 だから訓練してたんだ、例の、二刀流スキルを」  
 
あたしの問いに答えながら再び大あくびをするキリト。  
どうやら寝不足のようだ。  
ギルドに所属しないソロプレイヤーであるキリトは、  
深夜、他のプレイヤーがほとんどいない時間帯に積極的に最前線に出ているらしい。  
当然人が少ない分モンスターの数も多いし、夜行性のモンスターは昼間とは段違いの強さだったりする。  
しかしその分得られる経験値やアイテムも多いということもあり、  
深夜、時には明け方まで戦い続け昼前まで寝るという生活になっているらしい。  
あたしはキリトがそんな生活をしているなんて知らず、  
『毎日攻略が終わったら店に来て』  
なんてお願いをしてしまったあとからそのことを知って困惑したのだけれど、  
律儀にもキリトは攻略後ではなく、攻略に出かける前に毎日寄ってくれている。  
 
「剣がこんなになるなんて、よっぽどの強敵だったんじゃ……」  
「いや、攻撃力はそう高くなかったんだよ。その代わりとにかく硬くてな。ま、練習台にはちょうど良かったさ」  
 
なんでもないように言うキリト。  
確かにキリトの驚異的な戦闘力であればモブモンスター相手に遅れをとることは考えられないだろう。  
そして、キリトの秘密、現在この世界で唯一の『二刀流』の使い手であるということ、を誰にも知られないようにするというなら、  
必然的に誰もいない深夜の最前線で戦うという選択肢を選ぶことになるのだろう。  
なぜなら、覚えたばかりのスキルを最前線で戦力として使っていくためには、  
強敵を相手に繰り返し使っていってスキルレベルを上げる必要があるからだ。  
しかし事はそんなに簡単ではない。  
安全マージンを取っているとはいえ、敵は常に正面から一体ずつ攻撃してくるわけではないし、  
麻痺などの状態異常になれば一瞬で命取りになる。  
一人ぼっちで何時間も戦い続けるキリトの精神的な負担は想像もできない。  
 
「その、あんまり無茶しないでよ」  
「大丈夫だよ。今のところはそうでもないけど、この先は、特にボス戦では何があるかわからないんだ。  
 このスキルはいつか必ず必要になると思う。  
 今は少しでも早くこのスキルを片手直剣スキル並に使いこなせるようにしておかなきゃならないからな」  
「それは、わかるんだけど……」  
 
もちろんキリトの言い分はわかる。  
しかし心配は心配だ。  
たった一人で最前線に深夜に篭るような命知らずなプレイヤーなんて、  
攻略組全体でも他にいないんじゃないだろうか。  
 
「それより腹ペコだ。今日は何なんだ?」  
「はいはい、わかってるわよ。ほら、今日はサンドイッチ」  
「サンキュー、いただきます」  
「ったく、調子いいんだから」  
 
あたしはストレージからサンドイッチを取り出してキリトに手渡す。  
キリトは受け取るといつものように椅子に腰掛け、机に置いてあった新聞を読みながら行儀悪く頬張った。  
 
「うんうん、美味い美味い。リズの料理の腕もどんどん上がってるんじゃないか?」  
「ありがと。でも、まだまだアスナには遠く及ばないけどね」  
 
言いながらあたしも自分の分のサンドイッチを取り出して、控えめに噛り付いた。  
あたしは一応料理スキルを取ってはいたものの、アスナほどあげていなかったためまだまだスキルレベルは低い。  
ほんの三週間前まで、キリトと出会うまでは、料理なんて暇つぶしと空腹を紛らわすためにしかしなかったからだ。  
しかし、最近は、毎日やってくるキリトのために料理を作ってあげるようになった。  
NPCの料理に飽きた、でもプレイヤーメイドのレストランは混んでて面倒だ、などというキリトに、  
気まぐれにあたしの分の昼食を分けて以来、あたしの決して高いとはいえないレベルの料理に文句も言わず毎日食べてくれている。  
あたしも嬉しくて、ガラにもなく毎日料理スキルを上げるために特訓していることは、恥ずかしくて誰にも言えない秘密だ。  
まさかあたしが男の子のために料理を作るようになるなんて、以前は思いも寄らなかった。  
こうして美味しそうに食べてくれるのを見るのって、思ったより――  
 
「ん?どうしたリズ?」  
「っ!な、なんでもない!」  
 
キリトに心の中を見透かされた気がして、あたしは思わず手に持ったサンドイッチを落としかけた。  
キリトの視線から逃げるように顔を背ける。  
恥ずかしくてキリトの顔が見られなかった。  
 
 
「じゃあそろそろ頼む」  
「はいはい、すぐ終わらせるからもう少し待ってて」  
 
あたしにとっては昼食を、キリトにとっては朝食兼昼食を食べ終わり、いよいよキリトの装備品のメンテナンスに入る。  
といっても、キリトは敵の攻撃のほとんどを避けるか武器で受け止めてしまうため、装備はほとんど損耗しない。  
今日はメイン武器である双剣を研ぐだけで十分だろう。  
 
「よい、しょっと……」  
 
あたしは水車と連動して回る砥石の前に座ると、まずはエリュシデータから研いだ。  
もちろん武器の研ぎ上げにテクニックのようなものは不要で、一定時間砥石に当てればいいだけなのだけれど、  
あたしはキリトの武器を研ぐときは、少しずつ、しっかりと心を込めて研ぐようにしている。  
刀身を柄から先端にかけて砥石に当てると、綺麗なオレンジ色の火花が飛び散り、くすんだ剣が深い闇色の輝きを取り戻す。  
 
「よし、バッチリね」  
 
全体がしっかりと研ぎ上がっていることを確認して鞘に収め、次にダークリパルサーを鞘から抜いた。  
普通のロングソードに比べて薄く細い刀身をやさしく支え、砥石に向き直る。  
三週間前にキリトの新たな相棒となった、あたしの最高傑作である片手剣。  
 
(ダークリパルサー……あたしの想いを結晶にした剣……)  
 
ゆっくりと砥石に押し当て、魂をこめるような気持ちで研磨する。  
研磨された部分は光輝いていく。  
 
(キリトを……あなたのご主人様を守ってあげて……闇を払って、キリトの進む道を照らしてあげて……)  
 
全体を研ぎ上げると、刀身を包んでいた輝きは消え、この剣本来の、透き通った刀身が姿を現した。  
不思議な剣だ。  
キリトが使えば使うほど、あたしが研ぎ上げれば研ぎ上げるほど、この剣の透明度は増していっているような気がする。  
まるで、あたしのキリトへの想いのように……。  
 
 
 
 
 
「ありがとう、リズ。じゃあ行ってくるよ」  
「あ、うん。気をつけてね」  
 
武器のメンテナンスも終わり、キリトは最前線へ向かうために立ち上がった。  
あたしもいつものように見送るために立ち上がり、立てかけてあったダークリパルサーをキリトに手渡す。  
 
(もし、もしも今日ダンジョンでもしものことが起こったら、キリトとはこれっきりなんてことになるのかな……)  
 
ふいに頭を過ぎる最悪のシナリオ。  
思わず剣を手渡す手が硬直してしまう。  
 
「リズ?」  
「あっ、ゴメン。なんでもないよ、なんでも」  
 
あたしは誤魔化すようにバンザイをし、笑顔を向ける。  
この三週間、考えないように考えないようにと言い聞かせながらふとした時に脳裏に浮かぶ悪夢。  
ある日、気がついたら、フレンドリストのキリトの項目が、連絡不可のグレーの色に変わっていたら……。  
想像するだけで心が引き裂かれそうになる。  
あたしはこの三週間で何度己の無力さを呪ったことかわからない。  
あたしは、キリトのピンチに駆けつけて助けるような真似はできないのだから。  
 
「リズ、大丈夫だよ」  
 
不意に、あたしの心が燃えるように温かくなった。  
キリトはあたしの頭に右手を置き、優しく撫でてくれている。  
諭すような優しい声でキリトは言った。  
 
「約束したろ、必ずこのゲームをクリアしてみせるって。  
 それに――」  
 
キリトは左手に持っていたダークリパルサーを持ち上げる。  
青味を帯びた銀色の柄が日の光を反射し、美しく輝いている。  
 
「この相棒が、ダークリパルサーが俺を守ってくれる。  
 俺は絶対に死んだりはしないよ」  
「キリト……」  
 
あたしは頭に当てられたキリトの右手に手を重ね、そっと頬に押し当てた。  
キリトの心が、想いが、温もりとなってあたしの身体に流れ込んでくる。  
心臓の鼓動が早くなっていく。  
あたしはキリトの吸い込まれそうな瞳を見つめた。  
かすかに頬を染め、キリトは真っ直ぐにあたしを見つめている。  
視線が絡み合い、少しずつ、距離が縮まっている気がする。  
あたしはゆっくりと瞳を閉じ、そして――  
 
ピッ  
 
メッセージの着信を知らせる電子音。  
あたしとキリトはビックリして飛び上がってしまった。  
キリトは真っ赤な顔のまま誤魔化すようにメッセージを開く。  
 
「だ、誰だよ、ったく。って……」  
「どうしたの?」  
「いや、これはちょっと……」  
「な、なによ、誰からなの?」  
 
メッセージを見て硬直するキリト。  
あたしはキリトのそばに回りこんでウインドウを覗き込み、送られてきたメッセージに目を向けた。  
そこには――  
 
 
――――――――――――――――――――――――――――  
from Asuna  
――――――――――――――――――――――――――――  
 
いつまでリズんところでいちゃいちゃしてるつもり?  
さっさと仕事しなさい!  
 
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「いちゃっ!」  
 
あたしは思わず工房内を見渡す。  
店番のNPCも今は消しているので誰もいない。  
大方、フレンドリストでチェックしたらキリトがいつまでもあたしの工房内にいるがガマンできなかったのだろう。  
うぅ、っと小さく唸る。  
 
「なによ、アスナこそ仕事に集中しなさいよね」  
「ハハハ……」  
 
キリトは気まずそうに頬をかいていた。  
あたしは、はぁ、と一息つくと、キリトに向き直った。  
先ほどまでのなにやら甘いムードは吹き飛んでいたが、まあそれはまた機会があればでいいだろう。  
それこそ、現実世界に戻ってから、でもいいのだから。  
 
「がんばってね、キリト」  
「あぁ、任せとけ」  
 
最後にごつん、とお互いの右こぶしを打ち付けあうと、キリトはそのまま店の扉を開き、歩き出した。  
あたしは満面の笑顔でキリトを送り出す。  
キリトにはキリトの戦いが待っているのだ。  
迷いなく真っ直ぐに去っていくキリトの背中が見えなくなったら、  
あたしは気合を入れるために両頬を叩き、うん、っと小さく声を出して身体を伸ばした。  
 
「よし、あたしもがんばりますか!」  
 
照りつける太陽にそう宣言して、あたしは店先の木札を裏返した。  
あたしの戦場は、この店の中なのだから。  
 
 
その夜――  
あたしは下着姿になってベッドで横になると、ウインドウからフレンドリストを開いた。  
項目の色に異常はなかった。  
安堵し、あたしはキリトの項目を開いた。  
やはり、というべきかキリトは現在最前線のフィールドにいるようだ。  
今夜も一人、孤独な戦いを続けているのだろうか、いや――  
 
(キリトのそばには、ダークリパルサーがいるんだ。あたしの、魂がついているんだ)  
 
ふと、すぐそばにキリトの温もりを感じた気がして、あたしはその温もりを逃すまいと目を閉じ胸に手を当てる。  
あたしの意識はそのまま夢の世界へと溶けていった。  
 
(がんばって、キリト……あたしの大好きな人……)  
 
その日は、久しぶりに熟睡できた。  
 
END  
 

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