アインクラッド第五十五層  
二〇二四年八月  
 
第55層にある都市グランザムの別名は『鉄の都』。  
街を形作るオブジェクトの大半が鉄でてきているためについた別名だ。  
もちろん、実際の建築物を全て鉄で作るのは現実的ではない。  
ゲーム内の仮想現実だからこそ可能になった建築だ。  
攻略組の中でも勇名を馳せるギルド『血盟騎士団』は、ここに城館を構え本拠としていた。  
騎士団も常に戦力の補充、強化に心を砕いている。  
 
血盟騎士団副団長のアスナは執務室で、今月の新規入団者達を眺めた。  
プレイヤーの外見と連動したゲーム内アバターを見れば、  
アスナは、まだ十代後半の少女に過ぎない。  
栗色の長い髪をハーフアップにした髪型に縁取られた清楚な美貌はアイドル的な人気もあったが、  
ギルドのマスコットで終わらない実力も兼ね備えていた。  
SAOの世界では少数派の女性でありながら、細身の剣を使った速攻で右に出るものの居ない熟練プレイヤーで、  
騎士団のゲーム攻略を立案する立場にある。  
騎士団のイメージに合わせ白に赤の縁取りを施された軽装鎧の姿で、  
同じモチーフの防具に身を包んだ6名を名簿と照合する。  
多くの攻略組ギルドがそうであるように、騎士団もまた入団資格を設けていた。  
一線級にふさわしい武器・防具・スキルを所持していること。  
最近は条件を満たすプレイヤーが少なくなっているため、  
条件を緩和したり、中級プレイヤーの育成を手がけるギルドも出てきた。  
今回の入団者は条件を満たして入ってきた者ばかりで、即戦力として期待できそうだ。  
彼らと顔合わせを済ませた古参の騎士団員も張り切っている。  
アスナから向かって右端に立っている女が妙に気になった。  
名簿のプレイヤーネームはヴェロニカとなっている。  
女性としては平均的な身長で、アスナよりちょっと高い程度。  
年齢で言えば20代の前半か。  
黒髪をニュアンスショートボブにしている。  
顔立ちは美人とは言えない。頬骨が高く、顎のラインも堅い感じだ。  
唇は厚めで、よく喋りそうな雰囲気。  
アスナとは、様々な角度から見て対照的だ。  
(なぜ仮面?)  
ヴェロニカは目元を装飾の多い白いマスクで隠している。  
かつてヨーロッパの貴族が楽しんだという仮面舞踏会で用いられたようなデザインだ。  
SAOの世界では様々な服飾品が作れるが、メガネや眼帯ならともかく仮面を愛用しているプレイヤーは少ない。  
手元にあるヴェロニカのデータを見ても気になる点を見つけていた。  
プレイヤーのスキルの割に、全体に装備が高価だった。  
何かの偶然でレアアイテムをゲットしたのかもしれないから、ありえないことではない。  
気にしつつも、アスナは手ずから入団者に書類を渡した。  
騎士団の規約、役職者の名簿、明日からの訓練スケジュールが、騎士団の紋章が入った便箋に記されている。  
これらは、それぞれのプレイヤーのアイテムストレージに格納すると、いつでも参照できるようになり、  
ギルドとして統率のとれた行動の助けとなるだろう。  
 
「質問は随時、皆さんの班長にメッセージ送って下さい。  
私でも構いません。以上で今日は解散です。お疲れ様でした」  
 
新入りたちを指導する古参の騎士団員と引きあわせて、入団初日の行事は終わり。  
1ヶ月の試用期間を経て正式入団、あるいは脱退という流れになる。  
(定着してくれるといいのだけど)  
アスナは班長を勤めてくれる古参の団員と新規加入者に退室を促した。  
 
やっぱりヴェロニカのいでたちが気になったので、彼女だけを呼び止めた。  
 
「なんですか、副団長?」  
 
大人っぽいハスキーボイスは、自分を子供っぽさを気にしているアスナのコンプレックスを微かに刺激した。  
 
「アスナでかまいません。その仮面が気になっただけです。なぜ、それを?」  
 
「じゃあ、アタシもヴェロニカで。これは単なるファッション……  
ま、徹底するのがアタシの趣味なんで。何か問題でも?」  
 
「いいえ。でも、騎士団のみんなには素顔を見せた方がいいんじゃない?」  
 
「あー、まあ、そこはこだわりなんで。仮面のヒーローってカッコイイじゃないですか。  
でも、そうだな、副団長には素顔をお見せしてもいいですよ。  
そんな、もったいぶるような顔じゃない」  
 
「アスナ」  
 
「あ、はい、ではアスナには見せちゃおう」  
 
ヴェロニカは中空にコンソール画面を開いて、アバターの装備を変更。仮面を消した。  
現れた目は、切れ長でタレ目、瞳の色は明るい褐色。  
右の目元にある泣きボクロが婀娜(あだ)っぽい。  
全体にはすっぱで、世間擦れしている印象が強い。  
 
(水商売のお姉さんみたい。男の人とも平気できわどいジョークを交わせそう)  
 
苦手なタイプ、それがアスナから見たヴェロニカの第一印象だった。  
 
アスナはギルド内工房となるべき区画を見回っていた。  
最近増改築を済ませたばかりで空室が続いている。  
鉄でできた床、壁、天井が重苦しい。  
近く最初の職人を招くことになっているので、副団長として準備ができているかどうかを確認しにきた。  
現実空間の工房なら機材の搬入で忙しいのだろうが、仮想現実空間のアインクラッドでは引っ越しは簡単だ。  
プレイヤーのデータストレージに格納した設備を、所定の場所で実体化させ展開すれば良い。  
設置場所には一定の面積が必要になるが、ストレージ内では物理的な大きさは無いので搬入口はアバターが通れる大きさがあれば十分。  
アスナの仕事は、工房の床面積が職人の注文通りになっているかどうかで確認すれば良かった。  
人の気配が感じられない区画で、三つの工房を確認した時、どこからか物音が聞こえてきた。  
誰かが話している。  
アスナは盗み聞きするつもりはなかったが、周囲が静か過ぎるので聞き取れてしまった。  
 
「……そういう話はギルドに持ち込みたくないんだよ」  
 
女の声だ。ハスキーな声で蓮っ葉な喋り方。  
 
(ヴェロニカ?)  
 
「わかった、黙っておく」  
 
会話の相手は男らしい。聞き覚えはないから新規加入者だろう。  
 
「いいコだね。サービスしてあげる」  
 
声は、空室の一つから聞こえてきた。まだ扉を設置していないので、覗き込む。  
 
「おい、ここでかよ」  
 
うろたえる男の声。  
 
「たまにゃ、こういうのもスリルあっていいだろ? …ん……んん」  
 
くぐもった息遣いが聞こえる。  
 
(何をしてる?)  
 
アスナは足音を潜めて、音の源へ向かった。  
一番奥まった工房用の部屋で繰り広げられていたのは予想外の光景だった。  
 
「ん…んんん……」  
 
騎士団で揃いのチュニックを着た男性プレイヤー(聞き覚えのない声で予測した通り、新規加入者の中で見た顔だった)の  
前に仮面の女ヴェロニカがひざまずいている。  
男性プレイヤーは下半身に何も身につけてない状態で、その股間に女の唇が寄せられていた。  
 
アスナは物陰で硬直した。  
頭の中はパニックで、断片的な思考が渦巻いている。  
 
(何、あれは……?)  
 
(本部の中で何をしている!?)  
 
(SAOのシステムであんなマネが可能だった?)  
 
ソードアートオンラインはフル・ダイブ(完全没入型)ゲームと銘打っているだけあって、人間の五感や、四肢の感覚を再現している。  
そのため性器もモデリングしてあるし皮膚感覚もあった。  
ただ、R-13(13歳未満プレイ不可)のゲームレーティングのため性的な快感は再現されないし、  
倫理コードと言う形で性的な接触はルールに違反するとされていた。  
実際に、そうした行動をすると双方のプレイヤーの視野にハラスメントの警告が表示される。  
合意なしにハラスメント以上の行動をとると、被害者の通報によって加害者はシステム上に構築された監獄エリアに収監されゲームへの参加は不可能になる。  
アスナが知る限り、SAOの街角では手をつないで歩くカップルぐらいは稀に見かける。  
せいぜいが抱きあうぐらいが関の山のはずだった。  
しかし、目の前の男女は明らかにオーラルセックスに興じている。  
 
「ほぅら……感じてきた……いいね、硬いの好きだよ」  
 
ヴェロニカがハスキーボイスでささやいてから、またペニスを咥える。  
あの婀娜っぽいタレ目で男を見上げると、男は腰を震わせた。  
 
「出そう? いいよ出して……あんたの出している時の顔、好きだよ」  
 
男を咥えたヴェロニカの顔が前後に動く。唇はペニスを締め付けて放さない。  
 
「ううっ」  
 
男が目を閉じて、天井を見上げた。  
 
「はぁい……さあ、今度は、あんたが動くんだよ」  
 
ヴェロニカは立ち上がって、工房に備え付けられたカウンターテーブルに両手をついて尻を振った。  
右手でコンソールを開き、衣服を操作する。  
ぴったりとしたレギンスが消え、そこに現れたのは黒いレースのガーターベルトと絹のような光沢素材のストッキングだった。  
ショーツは履いてない。  
アスナは自分の喉がひどく乾いているのを自覚した。  
 
(これじゃ……覗き)  
 
激しい後ろめたさを感じるものの、下手に動けば彼らに知られるかもしれないと思うと足が固まったように動けない。  
男はヴェロニカの背後に立って、腰を前に付き出した。  
 
「はぅ…っ……いいよ。こういうのもコーフン、するだろ?ああっ……」  
 
男が動き出すと、ヴェロニカの体も揺れる。背後から男の手が彼女の胸を掴んだ。  
 
「早く……早く来て……もうさ……たまんないよ……んーっ」  
 
唇を噛んだヴェロニカは背中を丸めた。  
 
「出るっ」  
 
男もヴェロニカを強く抱きしめた。  
しばらく、二人はそのままの姿勢で荒い呼吸を整えていた。  
そしてノロノロとアバターの服装を整えた。  
 
「じゃあさ、転移結晶で本部からサクッと出てよ。アタシは歩いて本部出るから」  
 
「えー」  
 
男がヴェロニカに抗議した。  
転移結晶は消耗品で、ゲーム内通貨で買う必要がある。  
 
「二人一緒のところ見られたら、周りからやっかまれるだろ? いいコだから」  
 
ヴェロニカが男の頬にキスすると、男はストレージから転移結晶を取り出して消えた。  
 
男の残像に向けて手を振ると、ヴェロニカはまっすぐアスナのいる物陰を見た。  
 
「居るんだろ? えーと、副団長殿」  
 
アスナは電撃に撃たれたようにビクッとした。そして、おずおずと物陰から踏み出す。  
 
(どうして、私がビクビクしなければならないの……後ろめたいことをしてたのはヴェロニカの方なのに!)  
 
「とんでもないとこ、見られちゃったね。でも、心配しないで、アタシ退団するから」  
 
「なぜ?」  
 
アスナの問いかけは複数の意味を持っていた。  
なぜ、あの男とここでセックスしていたのか?  
なぜ、退団するのか?  
システム的に、どうやったらあんなマネができるのか?  
 
「色々訊きたいってカオだね?」  
 
ヴェロニカは、あの蓮っ葉な笑顔をつくる。照れくさそうなのは、やはりさっきの行為を見られたためだろう。  
 
「アタシはね、アインクラッドで数人しかいない娼婦なのさ」  
 
「しょ……って、それで男性プレイヤーからお金をもらってる?」  
 
「そういうこと。アタシはVMT、ヴァーチャル・マンコ・トレードって呼んでるけどね」  
 
ヴェロニカはケタケタ笑った。  
彼女が、スキル習熟度の割に良い装備を持っていた秘密は、これだったのだ。  
 
「この世界の娼婦はね、なかなかイイ商売だよ。汚れ無いし、病気もない。希少価値もあるからね、けっこう稼げる」  
 
「それが、どうしてウチに?」  
 
ヴェロニカはストレージを操作した。  
血盟騎士団の仮団員の姿から、深紅のドレスをまとった女に変身する。  
素顔をさらし、髪を華麗にカールした赤毛に変わっていた。瞳の色も変更して紅茶色へと。  
ドレスは胸元が大きく開き、思い切り締め付けたウェストに、ボリュームたっぷりに広がったスカート。  
足元は深紅のハイヒール。  
アスナはテレビで見た西部劇の登場人物を思い出した。酒場の女だ。  
さっきまでとは全くの別人に見える。  
婀娜な雰囲気はより濃く、華やかさとか、女らしい柔らかさが強調されている。  
 
「娼婦の商売も悪くないけどさ、いい加減別のことをしたくなった。で、稼ぎで装備を買って騎士団の門を叩いたってわけ」  
 
ヴェロニカは芝居気たっぷりに、スカートの裾を持ち上げて艶かしいストッキングに覆われた脚を見せる。  
 
「そしたらさ、団員にアタシのお得意さんが居たのよ。けっこう頑張ってイメチェンしたんだけど、見破られてさ」  
 
アスナの思考は漸く回り始めた。  
 
「だから退団、ですか?」  
 
「そゆこと」  
 
ヘビーゲーマに人気のソードアートオンラインだから、女性プレイヤーの数は少ない。  
おおよそ全プレイヤーの3割程度を推測されていた。  
女性プレイヤーが加入したためにギルド内の人間関係でトラブルが起きる例は多い。  
 
「あんま、迷惑かけたくないし。ソロに戻るわ」  
 
アスナは一瞬だけヴェロニカの退団を惜しい、と思った。装備は揃っているし、  
プレイヤーのスキルも仮入団期間中の訓練で大いに伸びている。勘が良かった。  
でも、同時に副団長として彼女は退団してもらうしかない、というのも理解していた。  
男と女のことについて経験の浅いアスナであっても、ヴェロニカがトラブルメイカーであるのは直感的に理解できたからだ。  
ヴェロニカは騎士団から支給された装備一式をアスナに向けて差し出す。  
アスナは黙って受け取った。  
 
「けっこう好きだったよ、騎士団。アタシもさ、実は結構ヘビーゲーマーだからね。  
システムの穴とか探すの好きでさ」  
 
システムと聞いて、アスナはさっき抱いた疑問を思い出した。  
 
「ど、どうやった…その、あんな……あんな事が、できる?」  
 
「ああ、倫理コードの問題?」  
 
ヴェロニカは、少し考えたようだ。  
 
「いいよ、アスナにも迷惑かけるしね。企業秘密を教えてあげよう」  
 
赤い絹のロンググローブをはめた手で、ヴェロニカはコンソールを開いた。  
 
「ここのね……入り組んだところにあるんだけど」  
 
ヴェロニカの指先は、迷わず『システム設定』の項目を開いた。  
『システム項目』から『サウンド設定』を選び、普段目にすることのない警告音設定の部分を開く。  
『倫理コード設定』メニューを開いて『警告音』をOFFにする。  
 
「これだけでは、まだダメ」  
 
次は『システム項目』から『グラフィック設定』を開き、やはり警告表示関連の設定を開く。  
『倫理コード設定』メニューから『警告表示』をOFFにする。  
 
「ややこしい」  
 
アスナは普段自分が操作しない設定項目の多さを意識した。  
 
「でね、これらの設定変更はマクロに登録できる」  
 
ヴェロニカは手早くマクロを組んで見せた。  
マクロとは、ゲーム内の行動を組み合わせ、一つのコマンドで連続して実行できるようにする機能だ。  
 
「で、倫理コード解除したい相手にターゲットをあわせて実行すると、  
その人だけ自分に触れても警告が出ない、倫理コードにも抵触しない。ほら、触ってみなよ」  
 
ヴェロニカはドレスの胸を付き出した。  
 
「え?」  
 
アスナが固まっていると、強引に手をとって胸に押し付けさせた。  
 
「そのままギュッと握るんだ」  
 
ヴェロニカに言われて、アスナはためらったが、握った。  
 
「ぁん」  
 
赤いドレスをまとった娼婦が体をくねらせた。  
びっくりして手を離すアスナ。  
 
「どうだい、ハラスメントの警告出た?」  
 
「出てない」  
 
「今、あんたにターゲットを合わせて解除してみた。どう、触り放題よん」  
 
ヴェロニカは豊かな胸を両手で挟んでアピールしてみせた。  
 
「遠慮します」  
 
アスナが断ると、ヴェロニカは笑った。  
 
「ま、副団長様が娼婦の真似事なんてするとは思ってないけど」  
 
アスナの耳元にルージュを塗った唇を寄せて囁く。  
 
「いつか、大切な彼氏ができて、想いを確かめたくなったら、こういう操作もできる。覚えておいて損はない」  
 
アスナは黒ずくめの出で立ちの剣士を思い浮かべた。いつも盾無しで、片手剣を相棒にモンスターに挑む男性プレイヤー。  
 
「五感の完全再現を謳っている以上、アソコの感覚もマスキングできなかったんだろうね。  
マスキングすると、プレイヤーの身体イメージに重大な齟齬が生まれる。  
でも、ゲームとしてはR-13。開発スケジュールと収益モデルの問題もあって、  
倫理コードに関しては、こんな中途半端なシステムにせざるを得なかったんだ。  
最初っからR-18にすれば、それはそれで稼げるゲームになったと思うんだけど。  
スポンサーとか投資家を説得できなかったのかなあ」  
 
妙にゲーム業界通のような分析をして見せたヴェロニカは、ドレスのすそをつまんで一礼した。  
 
「じゃね、またどっかで」  
 
転移結晶のエフェクトとともに娼婦はアインクラッドの夜に消えた。  
 
「使うチャンス……って」  
 
一人頬を赤らめたアスナは踵を返し、騎士団の仕事をこなす副団長に戻った。  
 
 
 

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