満月も中天を過ぎた。フィリスは欠伸を一つすると、読んでいた書物を閉じた。使い魔のデイルも隅で尾を丸めており、意識を重ねても闇しか見えない。
部屋に目を向ける。本日の宿“も”町一の宿の、一番高級な部屋を取った。広さも調度品も申し分ないが、残念なことに豪華な寝台は二つある。
それぞれの寝台は一人どころかその五倍でも楽に眠れそうなのに、彼女と宿に入った人間は、頑なに寝台を二つ用意していないと泊まらないと、宿の主人に主張したのだった。
今、その人間は灯りがまぶしいからだろう、彼女のいる方向からは背を向けて、寝台で横になっている。僅かな寝息に合わせて、そのからだが微かに上下する。
彼女は本を片付け、灯りを消した。足音も静かに、彼女のではなく、もう一つの寝台へと歩み寄る。
「アーチー?」
返事はない。
アーチーことアーチボルトは、フィリスとは冒険者としての仲間という関係になる。訳あって他の仲間と別行動を取ることにした時、魔術師である彼女は戦士である彼と自然と組むことになった。
自然、というには組んだ際に彼は渋面を現していたが、それは今の彼女の状況には関係ないから略す。
もう一度名を囁いたが、アーチーと呼ばれて不機嫌そうに返事をするどころか、返ってくるのは寝息のみである。
すると大胆にも掛け布をずらすと、髪留めを抜き取り、部屋履きを脱いで、フィリスはアーチーの横に滑り込んだ。
意外と広い背に手の平をつけてみる。普段ならこの時点で飛び起きたアーチーが、それ以上迫ってきたらアーチブレイドでズンバラリンだぞ、と脅すのだが、今日はズンバラリンどころか、目覚める気配さえなかった。
よほど、疲れていたのだろう。その癖、一緒に眠ろうとしたフィリスを、眠気を感じていないので、浅い眠りになるだろうから邪魔するな、などと言って必死に拒んでいたのを思い出すと、笑みがこぼれた。
「見栄っ張りなんだから」
身を乗り出して、彼女のものとはまた違った黒髪をかき分け、こめかみの辺りに唇を落とす。
「う・・・」
途端、アーチーがフィリスの方に寝返ってきた。彼女は驚いて身を引いたが、仰向けになったアーチーはまた寝息を立て続ける。フィリスの胸が一つ高鳴る。寝返った拍子にアーチーの腕が彼女の体と密着してきた上、彼の寝間着が少しはだけているのが微かな月光で見えた。
お互いもう子供ではなく、しかも長旅をしてきた仲だ。今更、胸元が見えたところでどうとも思わないが、目の前の男が珍しく無防備であるという状況は、彼女を動揺させるに十分だった。
「アーチー、起きないのなら、いいことするけど」
耳元で囁いたが、またも返事はない。
そして一度決意を固めた彼女は、行動が早かった。
(据え膳食わぬは恥というもの、手を出さないとアーチーに失礼よ)
もし膳を据えた側が聞いたら「絶対に違う」と反論しただろうことを己に言い聞かせ、掛け布をめくり上げると寝間着に手をかけた。
髪や額、頬などに唇で触れる合間に、少しずつ脱がせていく。触れられる度に、心から不快そうに眉間にしわが入るのが彼らしい。
とうとう上半分を剥ぎきったのは、耳から首筋に舌を動かしていった時だった。アーチーはどちらかというと服を着込む方だから、例え上半身だけでも裸にするのはフィリスに少しの達成感を覚えさせた。
恐る恐る触れた手の平で、円を描くように胸を撫で、頬をのせてみる。十分に撫で、指先で体の線をなぞった後で、乳首を舐め上げた。
「ん、ぐう」
歯ぎしり混じりのそんな声が聞こえたので、思わず顔を上げて覗いてしまう。
アーチーは今だ目覚めず、なのに歯を食いしばって、彼女が与える快感に耐えている様子だった。歪んだその表情は、快感というより苦痛に耐えているかのようだ。
面白くて、フィリスはついつい胸中を舐め回していった。滑らかな人肌の感触がまた面白い。アーチーは彼女の舌が動く度に声をあげて、というより、うめいている。
脇腹を撫でた後、顔も手も離す。どこか息が荒いのを聞きながら、(さて)と、腰から下の服を見る。
今はまだ、アーチーが目覚めればかなりの怒りをまき散らされるだろうが、冗談で住む範囲だ。しかしここから先は洒落では済まない。
アーチーも、今度こそ許してくれない。かもしれない。
フィリスが黙っていたのはいくら程か、手をかけると、一息で剥ぎ取ってしまった。
それなりに緊張していたためか、ついつい眺め回してしまう。昔に比べるとそれなりに厚くなった胸、お世辞にも彫刻の題材にはなれそうにもない脚、引き締まった腹と腰、そして。
(大きい、・・・のかしら)
思わず首を傾げてしまう。物心ついた頃には使い魔のカエルと一緒に入りたくないと主張して、父と一緒に風呂に入るのさえ拒んでいたフィリスには、記憶の中に比較する相手がいない。
後で体内に入れる(断言である)かと思うと、大きいと感じてしまう。けれどそれは彼女が見慣れていないためかもしれなく、アーチーからしたら、ひょっとしたら小さいと思っているかもしれない。そんな大きさだった。
股を撫でるのは、さっさと触れてみる勇気がないからだった。少しずつ手を近づけると、指でそっとつつく。思っていたより触りやすそうな感触だったのに安堵していると、
「があっ!」
これまでとは比べものにならないほど、即座に反応が示された。体を大きく動かしたところからしても、もうすぐ、起きてしまうだろう。それまで、少しだけ、と、両手で包み込む。
強く握らないように、両手の指でさすり上げてみる。手の中で段々と固く張りつめていく様を、興奮よりも、アーチーもやはり男なのだ、という関心で見守ってしまう。
左手で何度もさすり上げながら、右手で先端や根元などをなぞる。手の平で転がして、撫でてみたりもする。
頭の上で何かが動く気配がする。アーチーの手らしい。どこかを掴みたいのだろう。
今度は恐る恐る、顔を近づけてみる。唇で触れてみると、ますます固くそそり立っていくが分かった。舌全体で包み込み、口の中に入れて吸う。
その時、頭を手の平に掴まれた。
「フィリス」
上目遣いで見たところ、その顔は青筋立っているに違いない形相だったが、目線を元に戻すと、再び舌を使う。唇も、吸いつきながら上下に動かす。
「やめ、るんだ」
息を上擦らせながら叫んでも説得力はないのに、それでも手に力を込めてきたので、離れてやった。口の端から唾液が滴り落ちる。闇の中で睨み合った。
目の前の男の方が先に口を開いた。
「何をしているんだ」
「襲っていたのよ、ものにするの」
「ものにする、とは、それが普通の娘のすることか」
今や、「普通の」をつけるには大分怪しくなっていることに気付いたのか、口をつぐんだアーチーの憎らしそうにしている顔を見ていたら、段々とフィリスは腹が立ってきた。突き放して、寝台から降り立つ。
「大体、私が好きになれないなら、はっきりそう言えばいいのよ。そっちのしていることは、私を避けているだけじゃない」
「仲間なのだから、確執を作って全体を崩壊させたくない。それに、お前は私の家の資産が目当ての癖に」
「そんなの、こっちから口説く口実に決まってるでしょう!」
怒鳴ってしまった。突然、脱力感に襲われ、フィリスは背を向ける。どうやらアーチーは絶句したようだが、どうせ恥をかくなら徹底的にすべきだと、気にせずに続ける。
「女から粉かけるなんて、本当は凄く恥ずかしいんだからね、分かってるの?」
声が上擦っているのがみっともなかった。肩が震えているのがばれていないか、気にしながらわざと大股で自分の寝台まで行き、冷たい寝台に滑り込む。
「寝る。もう何にもしない。だから」
もう忘れて、と言おうとした口が泊まった。追ってきた手に肩を掴まれたのだ。
「その、フィリス」
「何なの」
うつ伏せになって、顔が見えないようにする。肩に置かれた手は動かない。
「つまり、私こそ、お前を最初は放蕩娘として胡散臭く見ていて」
「知ってるわよ、そんなの」
鼻をすすった音は聞かれなかっただろうか。
「今までずっとお前が誘ってきたのが財産目当ての愚かな意図ならば、拒みきれると思っていて」
「だから何」
「だから、・・・もし、意図が別にあるのならば、拒めそうにないんだが」
涙の後も拭い切れたか分からぬ顔のまま、フィリスは振り返った。アーチーは苦々しそうな表情をしている。渋々、本音を言わされているかのような、いや、ようなではなくて。
「それで、まだ、私に拒まれた、とは思わないで欲しいのだが、のわっ!」
最後の叫び声は、本人の意志に反して、彼が肩を掴んでいた人物に寝台まで引きずり込まれたために起こったものだった。
そのまま両腕を上から押さえつけると、フィリスは短く唇を重ねた後、一度離すと、深く、下で口内を探る。またうめいた声が先程と何ら変わりないのに、笑いながら顔を離すと、唾液が糸を引いた。フィリスはアーチーの頭を抱き寄せ、頬を擦り寄せる。
「責任取って、最後までちゃんと襲ってあげる」
腕に気を取られている隙をついて、耳朶を噛んでみた。「よせ」と首を振って逃れようとするので、
「じゃあ、これは?」
と、首筋から下へと移っていく。アーチーがうめくのを止めようと歯を食いしばる様子が、眠っていた時と全く同じなのに笑いを堪えながら、胸から腹の辺りを撫で回す。諦めたように、フィリスの黒く流れる髪をかき分け、背を指で何度も擦りあげてくる。
手で触れられているのと、組み敷いている肌の密着した具合が相まって、特に何もされていないのに彼女の体が熱を帯びてきたのが分かる。経験したことのない熱の高ぶりに、よりしがみつくと下方へと体を下ろしていく。
その体の動きを止めようと手が追ってくるのをかわして、再び指で触れるとまた頭を掴まれた。今度は押しつけられた形で、だが。
「・・・フィリス」
「駄目?」
口を離して首を傾げ、紅く光っているだろう唇で弧を描いてみせると、うなって、
「好きにしろ」
という。投げやりな調子に臆することもなく、彼女は発せられた言葉に甘えた。
今度は起きるかもしれないというと緊張と戦わないで済む分、大胆に手が動かす。一方の手で擦りながら、もう一方の手で周囲の方々に触れてみた。時折、身をかがめて舌先で舐めてみて、反応を確かめたりもする。
アーチーも身を起こすと手の平が背から胸へと移り、さすってくる。距離が届かないのか、たどたどしく胸の形を変えてくるのが却ってもどかしい。
「はあっ」
しまいに口を離して、あえいだ。手の中の固さを確認しながら、そろそろかと馬乗りになると、アーチーが目を見開く。
「おい、私が上になるから」
「最後までちゃんと襲うと言ったでしょう」
跨り、まず擦り合わせると、自分でも思いも寄らないような音が出て、何ともいえない感覚に覆われた。吐息を彼の首筋に幾度もかけてから、ようやく腰を一旦離した。手でまさぐり、場所を調べてからどうにか腰を落とす。
「い、たあ、あ!ん!・・・んん!」
これまでのアーチーのそれなど、ささやかなものになるほどのうめきが口から漏れるのを聞いた。どうにか先端が入っただけなのに、身が引き裂かれたとしか思えない。目を固くつむり、体を引こうとするのを、シーツを握って耐えた。
「呼吸して、力を抜いた方がいい」
耳元で話しかけられているのも遠く聞こえるほどで、大体どこをどうすれば体の力が抜けるのか、痛みで訳が分からなくなっている。
それでも呼吸することは意識できるので、どうにか集中する。
「い・・・い、い・・・」
息を吐き、僅かずつ腰を落としていく。
全部入りきった、と気付いたとき、息を吐き、また吐いた。同時に、わき上がるものに堪えきれなくなる。「どうした」と聞いてくるアーチーの方に顔を埋めた。珍しく、肩にそっと手が置かれると、彼女が顔を上げるまで撫でていた。
「動けるか?」
「多分・・・」
しかし動かそうとして、あまりの痛みにまたすぐに元に戻した。動き方が悪いのか、痛みが増幅するばかりになっている。
それでも必死に動かしていると、歯を食いしばって様子を見ていたアーチーが、不意に肩に置いていた手で掴んできた。
「少し動くぞ」
呆気なく体が入れ換えられた。フィリスの背を、アーチーの熱を吸った寝具の柔らかな感触が受け止める。同じく受け止められていた脚が折り曲げられた。
体を少しでも痛みが走るので堪えていると、熱くなっている手が体に触れてくる。滑らかに腹から胸へと進むと、いつしか固くなっていた先をくすぐった後、頬から髪へと辿り着く。
「すぐに済ませるから、もう少し我慢しろ」
そう言うと、体を突き上げられた。
「や、・・・ああ・・・あ・・・」
その度に声が漏れる。痛みは続いていたが、自分が動かなくて良い分、気分はずっと楽になった。アーチーにしがみつくしかできない自分が不甲斐ないように思えたが。
ただ、感覚が鮮明になり、突き上げられることに集中していく。互いの息が荒いのを感じる。
「・・・くっ」
やがて最も突き上げられた時、体内に押し寄せてくる感覚に、体の中から震えが伝わってきて、動けなくなった。体を揺すられているのは感じていたが、瞼を閉じていたのでよく分からなくなっている。
しばらくして、抜き取られていくのに気付いた。
「ああ・・・」
思わずそう言った後、軽く身の震えを感じながら、目を閉じた。
我に返ると、何故かまた位置が入れ替わって、アーチーにもたれかかっていることに気付いた。フィリスが身を起こすと、目の前にいる男は憮然として彼女を睨む。
「目が覚めたのならどいてくれ」
一瞬、腹が立ったが、諦めて体を離し、身を横にしてからそれに気付いて目を見張った。窓から朝の光が入り込んでいる。男の方を振り向いた。
「眠ってしまったのね、私」
「おかげでこちらは一睡もできなかった。少し眠らせてもらうぞ」
背を向けた彼を見て、ふと、いつもの悪戯心で口が開く。
「孕んだかも」
返事は、先程より更に不機嫌なものだった。
「どちらにしろ、お前相手に責任取らないなどと、怖くてできるか」
目を瞬かせた後、フィリスは噴き出した。「寝るぞ、私は」と大声で宣言したアーチーの横でしばらく笑うのを堪えていた後、彼の方へ身を乗り出して、頬に口づけた。
終わり
蛇足
「お姉さん、お久しぶり」
「お久しぶり、レジィナ」
フィリスとレジィナは、真っ先に駆け寄って挨拶した。一同が合流したのは数週間後のことである。レジィナは大剣を携えて、相変わらず元気そうだった。遙か後方から転がってくる(ように見える)グイズノーもだ。
女同士ということもあって会話は弾み、二人はひとしきり近況を報告し合っていたが、突然、レジィナが首を傾げた。
「お姉さん、ちょっとやつれてません?」
「そう?最近、ちゃんと眠っていないからかしら」
フィリスは平然と返したが、背後で凄まじい音がしたので振り向くと、アーチーが後ずさった拍子に木箱を引っかけてひっくり返ったらしい。大陸に名だたる戦士の体さばきはどこへやら、だ。
その木箱のクズにまみれた顔を、いつの間にか現れたパラサが覗き込んでいる。
「あからさまに怪しいにゅう」
「聞いてやるな、はとこの子よ」
その横で、こちらもどこからともなく現れたスイフリーが相づちを打つ。
「しかし、あれほど嫌がっていた煉獄に自らはまり込むとは、人間は未だに理解しがたい生物だな」
どうせ彼のことだから、フィリスが「何が煉獄だって?」と聞きとがめるのを待っているのだろうが、敢えて無視した。アーチーのひくついた顔も面白いから。
「ということは、お二人は人生の墓場に足を踏み入れたんですね」
ようやく追いついたグイズノーが、満面の笑みで言う。意図もなく、彼はこういうことを平然と言う。
「いや、これからの時間、色々と大変かと思いますが、温かく見守らせていただきますよ」
その笑みを見ていると、その「大変」なことを期待しているかのようだが、今のところは蹴らないでおいた。
そこでようやく、レジィナが「まさか」と言った。
「お姉さん達、くっついちゃったんですか!?」
スイフリーが頷く。
「そうだぞ、人間の子よ。どうやらアーチーが手を出してしまったらしい」
「違う、手を出したのは向こうだ」
「ええ、そうだった」
即座に訂正したのでフィリスも補足すると、・・・己の発言の意味に気付いたのか、アーチーはそのまま、固まってしまった。
そんな彼に向かってパラサが、意地の悪い笑みを見せた。
「語るに落ちた、だにゅう」
今度こそ終わり