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その日もいつものようにイリーナはファンの街中を巡回していた。  
超重量の装備一式――フル・プレートに大剣、大盾、巨大な棍棒等々――を  
着込んで歩いているのは、まだ年の頃十六、七ほどの少女だ。あまりにミス  
マッチなその格好はどうみても異様で、既にファンの街では名物になってし  
まっている。人呼んで、ファリスの猛女イリーナ・フォウリー。  
「む。邪悪発見」  
人通りの多い通りからややはずれた、少し狭い路地。そこに数人の男がなに  
やら集まっているのを発見しイリーナは呟いた。正義を掲げるファリスの神  
官として、邪悪殲滅をイリーナは常日頃からうたい、実践している。それも  
彼女が有名になっていく一因なのだが、多分本人に自覚はない。  
がしゃんがしゃんと派手な金属音を立て、男達に向かって一直線。  
「貴方達、何をしてるんですか?」  
びしっと指を突きつけ、嬉しそうな笑顔で言う。口調は優しく、少女の顔は  
幼く。だが男達はイリーナの顔を見て、一瞬で逃げを決めた。もうすでに、  
何人もの仲間が彼女に笑顔で屠られている。  
「な、なんでもありませんよ…」  
「そうそう、なんでも」  
「ええもうぜんぜん、なんにもやましいことは…」  
口々に言いながら、引きつり笑いでじりじりと後ろに下がっていく男達。  
 
そして一人が背を向けて走り出したのをきっかけに、全員があっという間に  
駆け去って逃げ出す。あとには拍子抜けした顔のイリーナと…  
「あ、おばあさん。大丈夫ですか?」  
男達に囲まれていたらしい、老婆だけが残された。イリーナよりも二回りは  
小さい老婆は、囲まれてしまって怖かったのだろう、しゃがみこんだままだ。  
「もう大丈夫ですからねー」  
にこやかに笑って、イリーナは老婆と同じ目線になるようかがみこむ。  
助けてくれた少女の顔を見て、少しは落ち着いたのか老婆は顔をあげた。安  
堵の表情をうかべ、イリーナの手を取ると繰り返し礼を言う。  
「ああ、ありがとう、ありがとうよ、お嬢ちゃん」  
「いえ、当然のことをしたまでですから」  
そういいながら、イリーナは嬉しそうだ。そうやって笑っていると、年相応  
の少女らしくみえる。礼を言われて素直にはにかむイリーナを見て、老婆は  
ふと思いついたように訊ねてきた。  
「お嬢ちゃん、ときに意中の相手はおるかね?」  
「はい? イチュウですか?」  
「そうじゃ。もしいるなら、助けてもらったお礼が少しは出来るんじゃが」  
きょとんと聞き返すイリーナに、老婆は自分の懐をごそごそと探し始める。  
「おらんのかえ? 身近に、気になるおのこは…」  
「気になる相手…気になる相手ならいますよ」  
どうもうまく意図が伝わってないと思って言い直した老婆の言葉に、今度は  
力強く頷くイリーナ。  
 
「なんというか、目を離すとなにをするか分からないのでちょっと大変です。  
ちょっと美人でお金持ちの女の子を見るとすぐ態度が変わったり…」  
「おうおう。それは、お嬢ちゃんもさぞ大変じゃろうなぁ」  
「ええ、でも…」  
幼馴染の兄貴分ですから、放ってはおけません。そう続けようとしたのだが、  
それは遮られた。老婆はイリーナの言葉を無視して、喋っている。懐から取  
りだしたなにか小さな紙包みを目の前に指し示し、  
「…これはな、とっておきなんじゃが。お嬢ちゃんは恩人じゃ、特別じゃ」  
「ええ? そんなのいただけませんよ」  
慌ててイリーナは首を振るが、むしろその態度に老婆は喜んだ。いい娘じゃ  
のう、こんな孫が欲しかったのう…と微笑みながら頭を撫で、どうしても受  
け取ってくれという老婆に、イリーナは断りきれず包みを受け取った。  
「おばあさん、これはなんなんですか?」  
訊ねるイリーナに、老婆はにこにこと微笑む。  
「うむ。それがあれば、お嬢ちゃんの悩みが解決するものじゃよ」  
「悩みが? それは素晴らしいです!」  
…ここで、これまでの会話の経緯からもらった包みの中身を推測する、とい  
う芸当はイリーナには不可能だった。既に二人の会話はあれこれ噛みあって  
いないのだが、それにすら気づいていないイリーナである。  
「それを、気になるおのこに飲ませてやるといい。ああ、どうせじゃったら  
こっそりやるとより効果的じゃろうて」  
「はい。こっそりですか…こっそりは苦手ですが、分かりました」  
うんうんとイリーナを見て満足げに老婆は頷く。もう一度礼を言うと、老婆  
は街の雑踏へと姿をけした。それを見送り、イリーナは改めて貰った紙包み  
に視線を落とした。小さな紙を折ったもの。なかにはなにか粉末が入ってい  
る。まさか毒ではあるまい、老婆は悪人には見えなかった。  
「……ま、大丈夫だよね」  
万が一毒だったらキュアー・ポイズンすればいいし。  
お気楽にイリーナは一人頷いて、さっそく気になる相手がいるだろう場所――  
常宿にしている青い小鳥亭へ向かった……  
 
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夕方近く、宿の一階の酒場が混み始める頃。仲間達もそろそろ集まり始める  
時間だ。ちょっと早めに巡回を切り上げて宿に帰っていたイリーナは、鎧を  
部屋に脱いで階下へ向かった。見慣れた顔ぶれが集っている卓を見つけ、歩  
み寄る。卓はなにやら騒がしい。いつものことといえば、いつものことだが。  
「? なにしてるんですか?」  
訊ねるが仲間の男どもは内輪で盛り上がり、イリーナの話を聞いていない。  
そこへ店のウェイトレスをしている仲間の一人が現れた。…両手に持てるだ  
けの酒のジョッキを手にして。その表情はあきれ返っている。  
「マ、マウナ、なにそのお酒の量…」  
「馬鹿どもが飲み比べするんですって」  
どかどかとジョッキを卓に乱暴に置きながら、おざなりな調子でウェイトレス  
――マウナが答える。呆然と眺めているイリーナの脇で、仲間のドワーフが  
リュートをかき鳴らしてなにやら雰囲気を盛り上げている。  
「ふっふっふ。ガキに負けるわけにゃいかんなあ」  
「…敵をなめてかかると、痛い目みるよ」  
みれば勝負はすでに開始されようとしていた。今更口を挟んでも無駄だろう。  
「……兄さんはともかく、エキューまでのっちゃってるもんなぁ…」  
「まったく、馬鹿よね。ま、あたしは店の売り上げ増えるからいいんだけど」  
呟くイリーナにマウナが本音をぽろっと漏らす。  
「マウナ……」  
「なに?」  
「……ううん、なんでもない……」  
 
なんとなく泣きたくなりながら、イリーナは首を振った。マウナの貧乏根性は  
筋金入りだ。これもまた、今更言ったところでどうしようもない。  
二人が会話しているうちにも馬鹿二人の勝負は進んでいるようだった。追加の  
ジョッキが頼まれ、愛想良くマウナが返事をする。  
「はーい♪ …ね、イリーナ、ジョッキ多いからちょっと運ぶの手伝って」  
「あううう、あんまり飲むと身体に悪いって気がします〜」  
「つべこべ言わない! 別に毎日あの量じゃないんだし。売り上げアップ!」  
「だから、本音が出てるってばマウナ…」  
金の亡者と化した仲間に引きずられ、厨房へと連れて行かれる。  
 
「じゃ、そっちヒースのぶんね」  
「……うん……」  
やたら生き生きした様子のマウナとは対照的に、気乗りしない様子で返事をする  
イリーナ。飲みすぎれば次の日頭を抱えて苦しむくせに、どうして飲むんだろう。  
酒を積極的に飲む習慣のないイリーナには分からない。  
「困ったもんだよね、ほんと……あ。」  
呟いて、ふと老婆に貰った紙の包みを思い出した。  
「……使ってみよっと」  
いきなり倒れられてもちょっと後ろめたいので、自分でも少量粉末をなめてみる。  
特に異常はないようだ。即効性の毒でさえなければ、どうにかなるだろう。そう  
判断してイリーナは紙包みの中身をジョッキの一つにさらさらと混ぜた。  
それから、既にジョッキを手に運んでいるマウナの後を追いかけた。  
 
一応、何食わぬ顔を装って卓にジョッキは置いたが、内心は緊張していた。幸い  
酔っ払っている仲間は、誰もイリーナの態度の些細な不審など気づかなかった。  
そのまま勝負は進み、いつしか酒も空になる。酒場の客もだんだんと減ってきた  
夜更け、いいかげんにどちらも手が止まったあたりで勝負は終わりのようだった。  
結局、どちらがどれだけ飲んだのかも判然としないが…同じようなペースで  
飲んでいたはずのドワーフだけが、平然としたようすで呟く。  
「むむ。これでは勝敗が分かりませんな。ではまた明日第二戦…」  
「冗談じゃないよ! …二人とも、大丈夫?」  
そうそうこんな馬鹿騒ぎを起こされては迷惑だ。一応つっこみを入れておいて、  
潰れかかった男二人にイリーナは声をかける。マウナも布巾を片手によってきたが、  
そのとたん卓に突っ伏していた二人のうち、赤毛の少年ががばと起き上がった。  
「マウナさん! 大好きですっ!」  
…叫んで抱きつく。が、あっさりとはたかれて終わる。  
「イリーナぁ。このエルフフェチ片付けてくれる? あたしここ掃除するから」  
冷たい視線を少年に飛ばしながら、マウナが言った。  
「えっと、でも……」  
「ふっ。俺様の心配なら無用だ」  
とっさに答えかね言いよどんだイリーナに、もう一人の酔っ払いが口調だけは  
確かな様子で声をあげる。  
「ほんとに大丈夫? ヒース兄さん」  
「まかせろ」  
無駄に自信満々に酔っ払い――ヒースが答える。ふふふふふ、と意味もなく含み  
笑いをしている様子は、口調よりずっと酔っ払っているように見える。  
「……階段、転げ落ちないでね。ヒース兄さん」  
言って、イリーナは卓にへばったままの少年を運ぶため、抱えあげた。  
 
自身と同じような体格の少年を抱えて、苦もなくイリーナは二階へ上がった。  
いつも使っている宿の一室へ運び込み、寝台に寝かせる。その頃には少年はすでに  
軽い寝息を立てていた。普段は無防備に他人の前で寝顔を見せることのない少年。  
「一応、信頼してくれてるってことかな…」  
微笑んでそっと部屋を出る。  
「さて、ヒース兄さんは大丈夫でしょうか。…いきなり死んでたらどうしよう」  
不吉なことを呟いて、イリーナは幼馴染が泊まるときに使っている部屋へ向かった。  
 
「ヒース兄さん、生きてますか?」  
こんこん、と軽いノックに究極っぽい質問を合わせて、部屋の中をうかがう。返事はない。  
酒が入っているのだから、単に寝入ってしまっているのかもしれないが、自分が  
正体不明の粉末を混入したという引け目がある。後ろめたさに背中を押されて、  
イリーナは扉を開けて中を覗き込んだ。  
寝台にころんと、頭まで布団を被って寝ているらしいヒース。寝台の脇には靴が揃えられず  
乱雑に脱ぎっぱなしにされ、すぐ近くには上着が落ちている。  
「兄さん? 大丈夫ですか?」  
とりあえずそう声をかけながら、床の上着を拾おうとイリーナは近づいた。  
「……ん。…イリーナか」  
人の近づく気配に気づいたか、ヒースはごそごそと動いて布団から顔を出した。  
「なんの用だ?」  
酒が入ったぼんやりとした眼差しをイリーナに向け、問う。  
さすがに正直に「得体の知れないものを一服持ったので、心配になった」とは言えない。  
返事に困って、わたわたする。  
挙動不審なイリーナの様子をヒースはしばらく眺めていたが、やがてぱったりと枕に  
顔を伏せると疲れた調子で「用がないなら帰れ」と言った。  
 
やや冷淡な態度に、イリーナはむっとした。  
「せっかく心配して様子見にきたのにー」  
言いながら、上着を拾う。  
「うるさい。いいから、とっとと出てけ」  
いつもの高圧的な口調とはまた少し違う、命令系。聞きようによっては、切羽詰った  
ようにも聞こえる。しかし、その僅かな差異にやっぱりイリーナは気づかない。  
邪険に扱われたことに腹を立て、近くの椅子の背に上着をかけるとそのまま寝台に近づく。  
イリーナは布団に手をかけ引っ張るが、ヒースは必死でそれに抵抗している。  
「だから、もうほっといて帰れって…!」  
「なんでそんなに嫌がるんですか!」  
「なんでって…ああもう、頭の悪い!」  
キレて、ヒースが起き上がる。被っていた布団を跳ね除けイリーナの手首を掴んだ。  
ただ機嫌が悪いだけでない、険しいヒースの表情にとっさにイリーナは後に身を引こうとして  
――掴まれた手首に、それを阻まれる。  
「俺は帰れと言ったんだからな」  
いつもより一段、ヒースの声が低い。長く付き合って来た幼馴染の、みたこともない態度。  
それに思わず、身体がすくんだ。  
「……」  
ヒース兄さん、と呼ぼうとしたが声が出ない。  
「もう、知らん」  
独り言のように呟いて、ヒースはイリーナを抱き寄せた。  
 
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