「なんでこんな簡単な綴りがわからんのだお前は。」  
「うー…。ヒース兄さん、私、五文字以上の文章を読むと、急に眠気が…。」  
ぽかん、と丸めた羊皮紙の束で頭を叩く軽い音が部屋に響いた。風圧でかすかにランプの炎が揺れる。  
叩かれたイリーナは、恨みがましそうな視線で、馬鹿にしきった表情のヒースを見上げた。  
「この賢者の学院で特待枠に入れるほどの、優秀な頭脳を持つ俺様が、貴っ重〜な勉強の時間を割いて直々に教えてやってるんだぞ。あぁん?もうちょっと身を入れて勉強しようとか思わんのかお前は。」  
「…ぐっ。で、でも、ヒース兄さんが忙しいのは、今までハーフェン先生のレポートをサボってたせいじゃないですか…あたっ。」  
すぱーん!と今度はもうちょっと気合のこもった紙筒の音が響く。所詮は紙筒なので痛くはないが、さきほどからイリーナはこの紙筒に殴られ通しだった。  
 
『共通語の読み書きを教えて欲しい』  
そう言って、イリーナがヒースに教えを乞うようになって、もう数日が過ぎようとしていた。  
冒険を生業とするようになって、これまでどうにか読み書きできなくても暮らしていけたイリーナも、その必要性を感じたらしい。まるで道場破りをするかのような勢いで、ヒースに頼み込んできたのはつい先日のことだ。  
そもそも、ヒースとイリーナが知り合ったのも、筋肉ばかり成長し、頭脳方面の成長がちょっと心配であったイリーナの両親から、家庭教師としてヒースを雇ったのが始まりである。  
その当時の記憶から、イリーナの覚えの悪さは熟知していたつもりのヒースだったが、ここ数日間の進み具合の遅さには、ちょっと当時の悪夢を思い出していた。  
それでも、飽きっぽい性分のヒースがイリーナを投げ出さずに教えているのは、あの時教えきれなかった自分へのケジメと、イリーナが困った時に自分を頼ってくれた事が、兄としてちょっと嬉しいという気持ちもあるのだが、そんなことはおくびにも出さない。  
あくまでも、馬鹿な生徒を持った先生として、びしびしとイリーナをしごいていた。  
 
「ほれ、練習問題だ。これは何て書いてある?」  
「はいっ!えーと、ふぁ、ふぁらりすのおしえはせかいいち…。」  
差し出された羊皮紙に書いてある文章を、イリーナがたどたどしく読み上げる。途端、またしても紙筒の小気味よい音がすぱこーんと響いた。  
「アホたれ!ファラリスじゃない!ファリスだファリス!!」  
「え、そうなんですか!そっくりだから間違えてしまいました!」  
「間違えるなよファリス神官!」  
と、軽くツッコミを入れつつ、ヒースは頑張って文章を何度も書くイリーナを見つめたていた。根気よく教えてきたヒースだったが、さすがにちょっと疲れがたまってきていた。  
それに、レポートがあるというのも嘘ではない。優しいハーフェン導師であるから見逃してくれているものの、引き伸ばしてきたレポート提出も、そろそろ限界に近かった。  
ヒースは、せめてイリーナが覚えやすいように、ファリスの有名な教条を何編か羊皮紙に書くと、部屋の片隅に立てかけておいた自分の杖を手に取り、身支度を始めた。  
「あれ、ヒース兄さん、お出かけですか?」  
必死に書き取りをしていたイリーナが気付いて、顔を上げる。そんなイリーナにさきほど書いた文章のお手本を渡した。  
「俺様は、ちょっと学院の方に顔出してくるから、その間それを書き写して自習してろ。」  
「はい!わかりました!いってらっしゃい!」  
「サボるなよ。」  
「ファ、ファリス様の敬虔な信徒である私が、そんなことするはずありません!」  
去り際のヒースの一言に猛然と立ちあがり、羽根ペンごと拳を握り締め、天高く掲げるイリーナ。  
「ファリス様の教えに、『怠惰』という言葉はありませんっ!!…あ。」  
ぺき。と軽い音を立てて、羽根ペンがイリーナの手の中で砕けた。  
「…帰ったら、羽ペン弁償、4本目追加な。」  
「…はい…。」  
しくしくと泣きながら、新しいペンで書き取りを始めるイリーナを残し、ヒースは部屋を出た。それが2時間ほど前のことである。  
 
 
「…やっぱりな。」  
学院から戻ってきたヒースが見たのは、大量の羊皮紙に突っ伏して、すやすやと眠り込んでいるイリーナだった。  
一瞬、また紙筒で叩いて起こしてやろうかと思い、テーブルに近付いたヒースであったが、羊皮紙にはきちんと綴りが書きこまれており、その途中、まるで蛇が苦しんだかのような筆跡の部分から、眠気と戦いながらもきちんと自習していたことが見て取れた。  
ぽんぽんとさきほどイリーナを小突いた羊皮紙の束で自分の肩を叩きつつ、深々と溜息をつくヒース。  
(まぁ、今日はここまでにしといてやるか。)  
そして、せめてベッドにくらいは運んでやるかと、小さな寝息を立てるその肩に手をかけた。  
「…んにゃ〜…。」  
「おっ…と。」  
バランスが崩れ、椅子からずり落ちそうになるイリーナを、ヒースが片手で支える形となった。  
洗いたてなのか、顔の側でサラリと揺れた髪から、いい香りがする。一見細身に見えて、ずっしりとした柔らかな重みが、ヒースの腕の中に落ちた。  
その時、体勢が変わったせいか、年頃の娘にはあるまじき角度で、イリーナが大きく足を広げた。  
「……。」  
健康的な太腿と、白い下着が覗く。その色や形は、いわゆるオトナの色気というものとは全く無縁のものであったが、それがかえって妙にいやらしく見える。  
さすがに、いくら怪力無比豪腕ファリス神官イリーナとはいえ、乙女としてこの格好はさすがにマズイだろうと思い、ヒースはなるべく目を逸らしながら、イリーナの体を揺すった。  
「おい、こら。いつまで寝てるんだイリーナ。起きろ!」  
ゆっさゆっさとかなり激しく揺すってはみたが、それでもイリーナはくかーと、これまた色気の無い寝息を立てながら熟睡している。  
(俺様のスリープクラウドよりよく寝てるな。)  
思ってから、自分でちょっと傷つきつつ、ヒースは揺さぶるのを止めた。途端、くてんっとヒースの腕の中にイリーナの上半身が落ちこもうとする。  
「うわっ、こら、重っ…!」  
必死に片手でイリーナの上半身を支え、せめて椅子に戻そうとする。支えやすいように手の位置を変えると、ささやかな膨らみに手が達した。  
 
「……。」  
ふにゅふにゅとした柔らかさを手の中に感じ、一瞬動きが止まったものの、無邪気な顔で眠るイリーナに罪悪感を感じて、慌ててヒースはどうにか椅子に体を戻してやった。  
椅子の背もたれに体を預け、相変わらずすやすやと眠るイリーナを見下ろしながら、ヒースは一人ごちた。  
「…ったく、何て重さだ。鎧無しのくせに…。」  
しかし、さきほど触れた胸の感触が、まだヒースの手の平に残っている。いつまでも妹のようだと思っていたが、いつのまにか、ささやかながら成長すべきところは成長しているらしい。  
ヒースの視線が、服の上からうっすらわかる小さな膨らみと、そして、さきほどから剥き出しになったままの太腿に注がれる。  
「イリーナー。」  
ボソボソとイリーナの耳のすぐ側で囁いてみる。  
「イリーナ、起きろ〜。」  
今度はもう少し大きな声。しかし、イリーナの瞼は動く気配が全く無い。ヒースはきょろきょろと落ちつき無く周囲を見渡し、念のために開いていた鎧戸を閉め、部屋の鍵を確認した。  
そして、少し落としたトーンの声で囁いた。  
「…起きないと、兄さん、悪戯しちゃうぞ〜…。」  
…これにも起きる気配は無かった。ヒースはちょっと手を伸ばしかけて、一瞬留まり、一言付け加えた。  
「…今から10数えるうちに目が覚めたら、やめてやるからなー…。」  
そして、律儀に数を数え始める。  
「いーち、にーい…。」  
薄暗く、ランプのオレンジ色だけが揺らめく部屋に、ヒースの声が妙に大きく響く。そんなことは露知らず、イリーナは小さく寝息を立てていた。  
「ごーお、ろーく、…以下略じゅーう。」  
もし、イリーナが起きていたらすぐさま『ズルはいけませんヒース兄さん』と制止が入りそうではあったが、ヒースはイリーナの体に手を伸ばした。  
 
つん、つんつんっと軽くイリーナのほっぺたをつついてみる。それでも起きないことを確認してから、ヒースは相変わらず眠りこける妹分の姿を観察した。  
半分椅子からずり落ちそうになりつつ、どうにか椅子の背もたれにもたれかかる形でバランスを取っている。あまり変な方向に力を加えると、つい先ほどのように椅子から落ちてしまいかねない。  
(とりあえず、起きにくそうな所を…。)  
イリーナの白い神官服に包まれた胸が、呼吸に合わせて規則正しく上下している。  
(よし…。まぁ、ここなら…。)  
多少触っても大丈夫そうな所、ということで、ヒースは厚手の神官服の上から、軽くイリーナの胸に触ってみることにした。  
ちょっとだけ手を伸ばすと、心臓がこれまでになく早鐘を打っていることに、ヒースは自分でも動揺していた。手の平が熱を持っている。  
普段は『お嬢様ゲット作戦』やら『街ごとに新しい女』やら知った風な口をきいているが、それを仲間の誰もが信じていないことからわかるように、案外ヒースは女性関係には大した経験が無い。  
口が上手いうえ、容姿もわりと見栄えのする方なので、モテないこともないのだが、態度が大きいくせに肝心の所で腰が引ける性格のせいか、これといった御縁が無かった。  
(な、なんか、緊張してるな、俺…。)  
ゴクリと喉を鳴らす。いつの間にか、ヒースの口の中はカラカラに乾いていた。もう一度ぐっと拳を握り直し、手にこもる妙な熱さを追いやろうとする。  
目が覚めても何をしていたかバレにくいし、正面から相対するのも何だか照れるので、イリーナの座る椅子の背後から手を回す形で、そろそろと手を近づけていった。  
―――ふにっ。  
…あんなに緊張したのが馬鹿らしいほど、あっさりとヒースはイリーナの胸に触れることができた。  
 
「………。」  
イリーナの顔を背後から覗きこみ、起きる気配は無いかとドキドキしながらしばらく見守っていたが、どうやら全く目覚める様子はない。それどころか、幸せそうな寝顔で、何事かむにゃむにゃと寝言を呟いている。  
ヒースはふぅーと長い溜息をつくと、多少拍子抜けしたような気分を追い払って、、せっかくなので手の中の感触に集中した。  
もう少し固い部分もあるのかと思っていた女の胸だが、軽く触れただけだとそんな感触は感じられない。  
少し手の平を動かすと、押し返してくるような弾力と、手の平全体に伝わる暖かさ、そしてこれまでに触れたことのない種類の柔らかさを感じた。  
(こ、これが、女の胸、か…。)  
一人で顔を赤くしつつ、ヒースはその感触をできるだけ味わおうと、イリーナの双丘をなぞるように手を滑らした。  
だが、他の部分とは違う柔らかな感触がするその部分は、明らかに普段の見た目からもわかるように、ヒースの手の中だけにすっぽりと収まってしまうぐらいの質量しかない。  
(む、これだけか?)  
さわさわとその大きさを確認してみるが、どう考えても同じ年頃の女性と比較して触り心地が足りなかった。  
(…なんだ、つまらん。)  
以前、酒に酔って冗談がてら、『どれくらい大きくなったか兄さんに見せてみろ〜』と触ろうとしたところ、イリーナの鉄拳制裁はもちろん、背後にいたマウナからもお盆の角で殴られたことがある。  
そして、しばらく二人から変質者を見るような目付きで見られ、側にも寄らせてもらえなかった。  
(別に、こんだけのモンなら、触ったところでなんてことないだろうに。)  
自分勝手な感想を抱きつつも、やがて触ってみることだけに飽きてきてしまった。  
調子に乗って、今度は軽く揉んでみることにする。  
なるべく気付かれにくいよう、手の平全体に均等に力をこめ、ゆっくりと揉みしだく。  
―――ふにゅ、ふにゅ、ふにゅ…。  
小さな膨らみはたやすく手の中でその形を変えた。その感触は、中身の詰まった水袋を連想させた。  
「……。」  
無言でこっそりイリーナの胸を揉んでいる。あくまでこっそりとしていたはずなのに、いつの間にか無意識にその手に力がこもってきたのをヒースは感じていた。  
 
(う。これは…。)  
軽い気持ちで揉み始めたはずだが、だんだんその暖かさと柔らかさに熱中し始めている。この調子で揉んでいるとマズイ、と理性は警告しているのだが、手がまるで貼りついたかのように胸から離れるのを拒否している。  
(…想像以上に気持ちいいかもしれん。)  
手に力がこもるのと連動して、だんだんヒースは自分が興奮してきているのがわかった。心臓の鼓動が高まり、妙に体が熱い。  
はぁ…っと、落ちつこうとしてついた溜息が、嫌に大きく耳に響いた。  
するとその時。  
「…ん。」  
自然と相手に密着していたヒースの耳元に、イリーナの小さなうめき声が届いた。  
「……っ!?」  
思わずぱっと手を離し、イリーナから一気に離れるヒース。  
(お、お、起きたかっ!?)  
さきほどまでの興奮はどこへやら、さっきとは別の種類の動揺で、心臓が最大可動で痛いほど脈打っている。  
気付けば部屋の対角線上の壁際まで、一瞬で退避してしまっていた。  
背中に嫌な汗を感じながら、相変わらず座ったままのイリーナを見つめていたが、当の本人に特に変わった様子は無い。ちょっと身じろぎしたものの、すぐにまた穏やかな寝息をたて始めた。  
ジジッと、ランプの炎に自ら飛び込んで焼かれる虫の音がする。それに合わせてわずかに炎がゆらめき、二人の影絵のような影をくゆらせた。  
だんだんと時間の経過とともに落ちついてくる心拍音を感じつつ、ヒースはそろり、そろりと抜き足差し足で再びイリーナの座る椅子へと近付いていく。  
相変わらず、ヒースの心臓はばくばくと脈打っているものの、多少の事では目覚めないとわかったせいか、かえって踏ん切りがついた気がする。  
再び、今度はもうちょっと大胆に手を伸ばしてみることにした。  
 
(ここまで触ったんだから、どうせなら…。)  
ドキドキしつつ、ヒースは先ほどの手の平の感触を思い出す。布ごしに触れた感触も気持ち良かったが、もうそれだけでは満足できそうにない。  
(じ、直に、触ってみるか…っ。)  
顔を赤らめつつ、わきわきと手を動かしてシミュレートみる。傍から見ると大変間抜けな光景だが、当のヒースは真剣そのものだ。ぐっと拳を握り締め、一人で天に向かって拳を突き上げている。  
(俺様は、ここで男としてレベルアップするのだ!)  
手近なところで済ませてしまうのが、少々情けなくもあったが、男としてのハードルを越えることを、ヒースは決意表明した。  
―――と、いうことで、一大決心をしたのはいいが、そこでふと我に返ると、とりあえず当座の問題があった。  
(…で、どうやって触ろうか?)  
背後から見下ろすヒースの視線の真下には、眠るイリーナの呑気な顔、そしてそれに続く白い首筋と、赤く細いリボンで飾られた襟元がある。  
室内なので神官衣の上着は脱いで、楽な服装をしてはいるが、ブラウスのボタンはいつも通り、きっちりと襟元まで留められていた。  
(ボタンを外して…。)  
頭の中でその様子を思い浮かべる。だが、すぐに浮かんだのは、慣れない体勢でのボタン外しに悪戦苦闘する自分の姿と、勢い余ってイリーナが目覚める姿。  
そして、半裸にされていることで何をされたかすぐに察して、棍棒で自分をボコボコにするイリーナの鬼人のごとき姿であった  
思わず、興奮も一瞬でさめる程の凄惨な光景を想像してしまい、背筋が冷えた。  
いっそこのままやめてしまおうかと思わなくもなかったが、ここでやめたら次にいつこんな機会が来るのかと、どうにか先ほどの男の誓いで抑えこむ。  
(ボタンの隙間からじゃ、俺の手は入りそうもないしなぁ。)  
むぅ、と唸り、しばらく思案にくれるヒース。と、ブラウスの裾が目に入る。  
(下からなら、なんとかいけるか?)  
イリーナが起きてしまわないように、細心の注意を払いながら、そっとウエストにはさみこまれている上着の裾を引っ張る。多少の抵抗を感じた後、いともたやすく裾は外側に引っ張り出された。  
(起きませんように…。)  
祈りつつ、ヒースは背後から下腹部にそっとと右手を挿し入れた。  
 
まず感じたのは、肌ではなく、ざらりとした布の感触。どうやらブラウスの下に、さらに厚手の肌着を身に着けているようだ。  
(ち、なんでこんなに厚着してるんだ…。面白くない。)  
それでも、上着越しだった先ほどよりも、ダイレクトに体温が伝わってくる。あまり刺激をしないように、手の平を滑らすようにじわじわと上へと動かしてゆく。それに合わせて、上着の膨らみがもぞもぞと蠢く。  
(こ、これはこれで…。)  
直接肌を露出させているわけではないが、手に伝わる温もりと、僅かな衣擦れの音が想像力を掻き立てる。  
(…刺激的かもしれん。)  
すぐ横にあるイリーナの顔をちらりと見ると、感触が気になるのか、先ほどまでとは違い、少し眉根を寄せている。  
それでも、すぐに起きるような気配は感じないので、ヒースはそのまま胸の頂きの辺りまで手を進めた。  
さわさわと形を確かめるかのように手を動かすと、手の平に、何か突起が感じられた。  
(ん?)  
もっとよく確かめるために、人差し指でそっと撫でてみる。下着越しに感じるその感触が、乳首だと気付くのに、ちょっと時間がかかった。  
ヒースは、今触っているものが何かわかると、慌てて指を離した。  
(うわっ…!?い、イリーナの奴、これしか下着つけてないのか。)  
くりくりっ…と軽く人差し指でその周辺を撫でまわすと、布越しに、つんと尖った先端の感触がはっきりとわかる。  
なんだか照れ臭くなって、ヒースはイリーナの顔を直視できない。  
 
(全く、俺様だからいいようなものの、年頃の娘が無用心な。)  
自分のやっていることは棚に上げることにして、ヒースは腹を立てつつイリーナの胸を肌着越しに片手で揉みしだいた。それに合わせて、ブラウスが妖しく蠢く。  
行き場の無いヒースの左手が、呼び寄せられるかのように、こちらは上着の上からイリーナの胸に触った。  
しばらく、左右の感触の違いを楽しんでいたが、そのうち左手も我慢できなくなり、同じ様に服の中へと滑りこまされた。  
両手でまた揉んでいるうちに、肌着の裾が僅かにめくれあがっているのを感じ、ヒースは迷わずその中に手を差し入れた。  
「………。」  
暖かな肌の感触。明らかに、男のものとは違う。きめ細かくて、それていて柔らかく、さらさらとしたその感触に、ヒースは少し手を止める。止めたとたん、相手の鼓動が脈として伝わってくるのがわかる。  
それでもまだ遠慮がちに、腹周辺を撫で回しながら、ヒースは思った。  
(もうちょっとこの辺は柔らかくてもいいけど、まぁ、イリーナだしな。)  
指を軽く押せば、押し返してくるような弾力を感じる。  
(…固いなー、こいつの腹…。)  
普段から鍛えぬかれたイリーナの体は、無駄な脂肪など一切無い。それでも、女性特有のしなやかさを感じて、ヒースは気持ち良くすりすりと撫で回した。  
やがて、手は胸の膨らみに達した。  
 
「…う…。」  
かすかに声が漏れる。ヒースが必死に喉の奥で押し殺そうとした熱い吐息は、食いしばった口元から少しだけ漏れ出してしまった。  
鼻の奥に、つんとした刺激のようなものを感じ、頭がクラクラする。  
(いかん、お、落ちつけ、俺。)  
直に触る女の胸。  
それがたとえ、色気のカケラも無いイリーナのものであっても、否応無しにヒースの興奮は昂ぶってしまう。  
布越しと、大した違いは無いのかと予測していたのだが、実際触れてみると全く違う。  
まず暖かい。直接にイリーナの体温が手に伝わってくる。  
何より、男である自分の体では、絶対に感じることのない柔らかさがある。男女の体の違いを文字通り肌で感じ、ヒースは戸惑いを隠せない。  
そして、自分の心臓の鼓動とは別に、かすかな鼓動が手の平から規則的に伝わってくる。それに合わせ、イリーナの胸も僅かに動いているのがわかる。  
下から胸を持ち上げるように触ってはみたものの、ヒースはこのまま手を動かして良いものか迷った。  
イリーナの鼓動を直に感じることで、相手と自分がいま密接に近付いていることを意識させられてしまったのだ。  
見れば、イリーナもそれまで呑気だった寝顔から、わずかに眉根を寄せ、寝息もやや不規則になってきている。  
(…あまり無茶な触り方したら、起きるかな。)  
どうにかまだ理性を残している頭で、手の動きをできるだけ最小限に留めるよう、コントロールする。  
そうでなければ、力いっぱいこの手の中の柔らかな膨らみを握りつぶしてしまいそうだからだ。  
じわり、じわり…っと、傍目にはほとんど動いてないように見えるほどの早さで、ヒースはイリーナの胸を弄び始めた。  
流石に恐ろしいので、なるべく力は込めない。胸そのものの柔らかさよりも、ゆっくりと、自分の手の中で形を変えて行く乳房の感触を味わうつもりで手を動かす。  
それは、さきほどまでと比べると、随分と遠慮がちな動きであったが、これまでになくヒースは興奮してきていた。  
 
いかん、いかんとは思いつつも、ヒースはそっとなぞるように、人差し指を使って、イリーナの胸の先端を探ってみる。  
「…ん…ぅぅ…。」  
だが、小さな突起が指に触れた瞬間、かすかに、本当にかすかにだが、イリーナの口から、それまでの寝息とは異なる色を含んだ声が漏れた。  
それを聞いた途端、ヒースは弾かれたように手を胸から離してしまった。そのまま手をイリーナ服の中から引きぬくと、改めて自分の両手を見つめる。  
手は、胸を触っていた形のままで、まるで固まってしまったかのように動かない。  
その、興奮のせいか、普段より赤みの強い自分の手を見つめて、ヒースははぁ〜っと長い溜息をついた。  
「―――やっぱ、ダメだよなぁ…。」  
呟いて、ヒースは全身の力が抜けたかのように、その場にしゃがみこんだ。  
興奮と入れ替わりにやって来たのは、脱力感と、普段めったに発揮することのない罪悪感であった。  
イリーナの裸の胸に触れ、その、普段は隠された部分の中心に触れ、普段と違う、わずかに甲高いイリーナの声を聞いてしまった時、ヒースは反射的に手を離してしまった。  
 
『やめておけ、シャレでは済まない』  
 
と、ヒースは自分の声を聞いた気がした。良心なのか、理性なのか、防衛本能なのか、あるいはその全てかが、一気に自分に冷水を浴びせ掛けたような気がした。  
「………。」  
ちらり、とヒースはしゃがんだままイリーナを見上げる。  
いくら古くからの兄妹のような関係だから、仲間だからといっても、いや、むしろだからこそ、越えてはいけない一線というものは、確かに存在するのだ。  
人生には、その一線を越えるべき瞬間があるのは確かだが、今はその時でない、と、ヒースは感覚的に感じていた。  
見上げたイリーナは、相変わらず呑気に眠りこけている。その姿は、年頃の若い娘でもなく、怪力神官戦士でもなく、ただ「妹かそれと同等」にしか見えなかった。  
あくまで、自分とイリーナは「兄と妹」であり、イリーナとそういった行為をするということ自体、まるで近親相姦のような罪悪感を本能的に感じてしまうことを、改めて思い知らされてしまったのだ。  
ヒースは無言でぼりぼりと頭を掻くと、しゃがんだままもう一度長い長い溜息をついた。  
 
 
さっきから感じる、まるで鉛を飲みこんだかのような胸の重苦しさを、全て吐き出してしまうかのような溜息だった。  
まるで実の妹に悪戯してしまったような、重い罪悪感がヒースにのしかかっていた。  
「口だけのうえ、最っ低だな、俺様…。」  
ただ触るだけだったとは言え、イリーナに対し、邪な心を抱いてしまい、しかもかなり自分が興奮してしまったことで、ヒースはこれまでになく鬱な気分になった。  
『ヒース兄さんすごいです!』と、ヒースの嘘にあっさりと騙される、普段のイリーナのきらきらした目を思い出し、さらに泥沼にはまるかのようにヒースはひとり落ちこんでゆく。  
…実際には数分のことだったが、そうやってしばらく沈み込んでいったあと、ヒースはおもむろに立ち上がり、気合を入れるかのように軽く自分の頬を両手で叩いた。  
「ふむ!」  
軽く乾いた音のあと、ヒースはこれまでのうじうじとした気分を吹っ切るかのように、改めて眠るイリーナを見下ろした。  
わずかに身じろぎしながらも、どうにか椅子の上に座ったままの状態で、相変わらずイリーナは眠っている。さっきから、その神経は賞賛すべきかもしれない。  
(危うく、道を踏み外すところだった…。)  
すまん、イリーナ。と心の中で詫びて、ヒースは兄として、妹をもう寝かせてやろうと抱え上げ、寝台に運んでやることにする。  
「よっ…と。」  
相変わらず、小柄なくせに重たい体をどうにか抱え上げると、ヒースはイリーナを寝かせるべく寝台へと足を進めた。  
と、その時。  
ガッ!  
何か障害物を踏みつけ、ヒースは大きくバランスを崩した。  
「のあっ!?」  
そのまま、倒れこむように前方へと転んでしまう。バスンッと、安物の寝台と寝具がきしむ音がして、ヒースはしたたかにベッドで鼻を打った。  
「…っ痛ててて…な、何が…?」  
振り返り、ヒースが足元を確認すると、さきほど机の側に立てかけていた自分の杖が、いつのまにか床に転がっていたようで、それに足を取られてしまったようだった。  
原因がわかったところで、ヒースはほっとするよりも先に、心臓をわし掴みにされるかのような低ーい声を聞いた。  
恐る恐る、まるで出来の悪いからくり人形のように、ぎこちない動きでヒースが声の方向を見やると、そこには、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたイリーナの姿があった。  
 
見れば、ヒースはまるでイリーナをベッドに押し倒したかのような形でのしかかっている。倒れた勢いでイリーナのスカートはめくれあがり、わずかに白い下着を露出させていた。  
「いっ、イリーナっ!」  
慌てて、ヒースは体を離す。イリーナもぱっとスカートを元に戻し、ギンッ!と殺意のこもった目でヒースを睨みつけた。  
「何を…しようとしたんですかっ!ヒース兄さんっ!」  
「ちょ、ちょっと待て、イリーナ。俺様は…!」  
何もしてない、誤解だ。と言おうとして、一瞬、ヒースはさきほどの行為を思い出し、言葉に詰まった。  
その沈黙を受け、イリーナの怒りと羞恥心は一気に燃え上がったようだった。目に見えずとも、立ち上るオーラに鬼人を見た気がする。  
―――と、いうのが、ヒースの最後の記憶であった。  
まるでデュハランの死の宣告のごとき台詞が、イリーナから発せられたからである。  
 
「ヒース兄さん、汝・は・邪・悪・な・りっ!!!」  
 
あぁ、やってもやらなくても結局こうなるのか…と、ヒースは薄れゆく意識の中考えた…。  
 
 
「ごめんなさいごめんなさいヒース兄さんっ。」  
『青い小鳩亭』にひたすら陳謝するイリーナの声が朝から響いている。  
「あー…いいって、もう別に。」  
見事に青アザのできた顔で、痛みに顔をしかめながら食事を取っているヒースに、イリーナはさきほどから頭を下げっぱなしであった。  
もぐもぐと口に食べ物を入れたままで、お行儀悪くノリスがそんな二人に口を挟む。  
「ひーふもほういってんひゃから、もういいんひゃないの?いりーな。」  
「食べてから喋らんか、クソガキ。」  
ぱしん、とかるくノリスの後頭部を叩き、同じ朝食のテーブルを囲むガルガドも、やれやれとイリーナに問いかけた。  
「まぁしかし、このクソガキの言う通り、そろそろ謝罪もいいのではないか?イリーナ。当のヒースもああ言っておることだし。」  
だが、その言葉にイリーナはぶんぶんと首を振る。  
「いえっ、ヒース兄さんの滅多に無い親切心を、あろうことか勘違いしてしまうなんて、申し訳なくってファリス様に顔向けできません!」  
だが、傍から見ると、随分ヒースはおとなしくスープを啜っている。  
「…いや、だから、もういいって。」  
そんなヒースの様子に、普段通りウェイトレス姿で配膳を手伝っていたマウナが、ひょっこりと皆のテーブルに顔を出す。  
「なーんか、今日のヒースってば、妙に物分りがよくない?いつもだったら怪我が治るまでネチネチ嫌味言うのに。」  
鋭い所を突かれて、ヒースが一瞬匙の動きを止めたことに気付いたのは、正面に座っていたおやっさんだけだった。  
「ま、まぁ、俺様もオトナだしな。寛大な心で今回は許してやろうかなー、と…。」  
「ふーん?」  
不思議そうにヒースを見つめるも、マウナは他のテーブルに呼ばれて、返事をしながら再び朝の喧騒に紛れて行った。  
動揺のせいか、ぎこちなくスープを口に運ぶヒースに、イリーナが再び何度もなされた提案をする。  
「ヒース兄さん!せめて、お詫びの意味で、その顔の怪我だけでも私に治させてください!」  
だがしかし、ヒースはなぜかイリーナの顔を直視せずに、少し目を逸らしながら同じ答えを繰り返すだけだった。  
「いや、いいって。本当に…。」  
 
さすさすと、まだ青みの残る頬をさすりながら、ヒースはさきほどからイリーナの申し出を拒否しつづけていた。  
今朝から、ヒースはまともにイリーナの顔を直視していない。それをイリーナは怒りのためだと反省していたが、本当は後ろめたいからだった。  
本心で言うと、殴られた頬は痛くてたまらないのだが、その痛みが、昨夜の自分のいきすぎた行動への贖罪のような気がするので、今回は甘んじてその痛みを受けることにしたのだ。  
無論、ヒース以外にその神妙な反省の気持ちはわからなかったが。  
そんなヒースを冷静に見つめながら、一足先に食事を終えたガルガドが、食後の水を口に運びながらぼそりと呟いた。  
「…ま、ヒースも、早く彼女でも見つけることじゃな…。」  
「?」  
イリーナとノリスには、ガルガドがなぜこのタイミングでそんな事を言うのかさっぱりわからなかったが、ヒースだけがぶっ!と軽くスープを吹き出してしまった。  
「わっ、きったないなぁヒース!」  
「ど、どうしたんですか!?ヒース兄さん?」  
げほげほとむせるヒースの耳には、そんな二人の声は入らなかった。慌てて呼吸を整えると、つとめて冷静を装った声でぎこちなく返答する。  
「ヤ、やだなァ、俺さまハ、いつだっテ、女には不自由してないジャないカー。」  
どこか調子っぱずれのその声に、イリーナとノリスは不思議そうに顔を見合わせたが、ガルガドだけが淡々とした視線でヒースを見つめたあと、口元をぬぐって立ちあがった。  
「さて…と。わしは神殿にお勤めにいくから、すまんがヒース、ここは払っておいてくれんかの?」  
無論、その言葉の奥に秘められた意味を悟り、ヒースは嫌な汗を背中に感じながら承諾した。  
「あ、あぁ、いいともおやっさん!」  
快く応じる声も、どこか不自然なほどの明るさがあった。  
流石に不審に感じて、店を出るガルガドを見送りながら、いぶかしげにイリーナが呟いた。  
「…なんか、普段よりも聞き分けがいいですね、今日の兄さん。」  
 
そこに、ノリスの弾んだ声が重なる。  
「きっと、イリーナに殴られたショックで、普段繋がってない良心が一時的に目覚めたんだよ!…あだっ!?」  
容赦無く拳でノリスの殴りやすい頭を殴った後、ヒースはしみじみと思った。  
(…早く、彼女つくろう。俺様…。)  
朝の食堂の喧騒の中で、一人遠い目をしながら、ヒースは決意を新たにするのであった。  
 
完  
 
 

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