夏の夕べ。
青い小鳩亭のからの帰り道。遠回りをして川沿いの道を夕涼みに、二人で歩いていた。
蛍が小さな緑の光を明滅させている。
「ね、ヒース兄さん」イリーナが蛍の光を目にして、振り返った。
「んあ?」
「兄さんが昔『星』をくれた事。覚えてますか?」
イリーナがヒースの顔を、下から見上げるように覗き込む。
「…ああ」
そんな事もあった。ヒースは目を細める。忘れる事のできない記憶だろう。
優しく真っ直ぐに見返すヒースの瞳に、イリーナは僅かに困惑した。
「嘘は…言っていないみたいです」
「何の事だ」
計る様なイリーナの瞳に、ヒースは怪訝な顔をする。
まだ幼い頃。
ヒースがファンに出てきて間もない頃だったろうか。
その、やはり夏の夜に幼いイリーナがヒースから貰った、明るく輝く『星の欠片』。
─それはほんの暫くで、光を失ってしまったけれど─
光を失い、何の変哲もないタダの小石になっても、それはずっとイリーナの大切な宝物だった。
あれから数年がたち、二人で冒険者になってから、その光の色が『古代語魔法』の『光』と同じものだと、イリーナは気づいてしまった。
それが少し寂しく、そしてほんの少し悲しかった…。
川をふわふわと渡る蛍の黄緑の光を目にして、イリーナの疑問に思い至る。
蛍。星。嘘。…察した。
イリーナの栗色の髪を神官帽ごとグリグリと撫で繰りまわす。
「俺様が嘘をつくわけないダロ?」
ホラは吹くけどな。
幾分皮肉気に、口の端を吊り上げ、年下の幼馴染みを見下ろした。
──「お星さまが欲しいです、ヒース兄さん」
小高い丘の上。頭上には満天の星々。
幼いイリーナは、小さな両手をいっぱいに広げ、天高く輝く星々に届けとばかりに、背を伸ばした。
「…洒落か?イリーナ」
どこか達観した11歳児であるヒースクリフは、幼馴染みの少女の幼い願い事をそうからかい、はぐらかした。
ヒースクリフが魔術師ギルドの特待生として、故郷の村からファンの街にやってきて、まだほんの少し。
賢者の学院では、まだまだ不慣れな生活に、奇異の目や差別。
不慣れで窮屈な想いは、才能があると認められたはずの勉学の進み具合を、知らず緩やかな物にさせていた。
そんなある日、ハーフェン導師から気分転換にと外出を勧められた。
行く所といえば、家族同然に行き来があるファリス神殿くらいしかない。
イリーナやクリス、その両親に温かいもてなしを受けても、ふとした瞬間に、ヒースは今現在立ち塞がる壁について考えてしまっていた。
魔術の顕現方法。感じるマナに、形を与え有にする魔術師の術…。
眉間に皺を刻むヒースの後頭部を、それじゃ気分転換にならないだろ、とクリスがはたいた。
夕食後、軽い散歩にファン郊外の小高い丘に登った。
夕暮れ。蛍が飛び交う。空には星が瞬き、世界は蒼く、夜の帳を下ろし始める。
「お星さまが欲しいです、ヒース兄さん」
頭上には満天の星々。
幼いイリーナは、小さな両手をいっぱいに広げ、天高く輝く星々に届けとばかりに、背を伸ばした。
ヒースは軽くからかい、イリーナはぷっと、頬を膨らませる。
他愛もない幼い子供の願い事。
天上の星に、手は届かない。
人は地上に、それぞれ価値のある『星』を見い出して、それを手にしてゆくしかない。
そんなお説教は、幼いイリーナに理解出来るだろうか?
その小さな手の先、満天の星空で、一際明るい星がひとつ。
輝いて、流れ落ちた。
それから一週間が過ぎた。
夕べの礼拝を終えて、夕闇が落ちる石造りの長廊下を幼いイリーナはてちてちと歩いていた。
自分を待っていたのだろうか、石壁に背もたれたヒースの姿を見つける。
「ヒース兄さん!」
イリーナは嬉しげに駆け寄った。
「どうしたんですか?」
首を傾げると栗色の髪がさらさらと流れた。
ヒースは疲れたように、しかし、どこか楽しげで得意そうに笑う。
「星の欠片を手に入れたぞ、イリーナ、お前にやる」
そう言って、ヒースはズボンのポケットから、光輝く小さな小石を取り出してみせた。
「…わぁ…!!」
小さなイリーナの手の中で、それは白い光を放つ。
イリーナの幼い顔が興奮に紅潮する。
「ホントにホントに、お星さまなんですね!」
イリーナの大きな茶色瞳が、白い光を受けてキラキラと輝く。
「ああ、うちの導師が言うんだ。多分、間違いない」
ヒースは眩しそうに目を細めて、嬉しげなイリーナの髪をくしゃりと撫でた。
「稀少な物だそうだから、大事にしろよ?」
「ハイ、ありがとうございます!ヒース兄さん!」
そう言って、イリーナとヒースは、夕闇の中、その小さなな手に包まれた輝く小石を見つめ続けた。
夏の終わり。
最後の蛍が一匹、ファリス神殿の中庭をフワリと飛んで横切り、消えた。
───あれは、確かに星の欠片だった。
ヒースの追憶。
魔術師として、初歩の初歩。『光』の呪文の実践につまづいていた時の事だ。
ハーフェン導師の書庫で、『星の欠片』だという何の変哲もない小さな小石を見つけた。
『隕石召喚』という高度な魔法によって、星界から地上にもたらされた流星の石の欠片だという。
──『お星さまが欲しいです、ヒース兄さん』
「ん?これに興味があるのかい?ヒースクリフ」
しばし、そのイビツな小石を注視していたヒースに。
初めての壁に悩んでいた愛弟子を前に、ハーフェン導師は優しく問いかけた。
イリーナに『星』をくれてやりたいと思った事が、壁を乗り越えるチカラに、なった。
『魔術師』として、生まれて初めて成功させた『魔法』。
『光』の呪文が掛った『星の欠片』を握り締め、夕闇が迫る街を小さなヒースはファリス神殿を目指して一目散に走っていた…。
現在。
川面に映る、揺れる蛍の光。
サアッと、水面を涼しい風が吹いた。
兄貴分を見上げる、イリーナの瞳。
イリーナの頭に手を置いたまま、弁解を試みる。
「間違いなくアレは『星の欠片』だゾ〜? ハーフェンが嘘をついてなきゃ、なー?」
流星の欠片だとぬかしていたからな。
ニヤリと片頬をつり上げる。
その言葉にイリーナは考え込む。
ハーフェン導師が嘘をつくような人物ではない事を、既に知っている。
「流星の欠片…。本当に、星の欠片だったんですね」
イリーナは納得したように頷き、散歩を再開する。
弾むように、先に歩を進める。
(俺様の言葉には信用はナイのデスか、いりーなさん?)
ヒースはコリコリと髪を掻いて、ほんの少し傷つきながら、その後を追った。
生まれて初めて使った『古代語魔法』は初歩の『光』。
それは、あいつの為に。
あいつの為と願って、ひとつの壁を乗り越えられた。
…多分、一生忘れない、幼い日の、夏の記憶。
【終】