部屋に戻るなり、彼は私を抱きしめようとした。その腕から身をかわした私は、眼鏡の蔓を指で押し  
上げながら、個人的に親密な関係にある衛視の顔をきつく睨みつけた。  
「さっきのは、どういうつもり? 私たちが魔術師ギルドの査察部だなんて嘘をついて」  
「嘘? なんのことだい?」  
白々しく尋ね返す彼の態度に、私は“街中でオプシディアンドッグが暴れ回った”という知らせがこ  
の部屋に届けられた時にちょうど居合わせた不運を嘆いた。  
ロマールの魔術師ギルドで事故調査士という役職に就いている私だけれど、事故(あるいは事故に偽  
装した犯罪)の責任者を糾弾する権限はない。  
私の調査結果によって査察部が動くことはあっても、私自身は査察部の所属ではないのだ。  
ましてや、ギルドの上層部――特に私の直接の上司――が魔術師の体面に関わる調査に官憲の協力を  
求めるなんて、金輪際ありえないことだった。  
そうした管轄の違いについて詳しくないネリィ導師が、私たちを「査察部の人たち」だと思いこんだ  
のも無理はない。そうでなければ彼女は、愛弟子とその仲間たちに非合法な捜査活動を引き受けさせ  
るなんて、決して許可などしなかっただろう。  
「ただでさえ、私が衛視の仕事を手伝っていることに、お偉いさんたちは渋い顔をしてるっていうの  
に……身分を詐称したなんて知られたら、あなたとの交際を禁じられるに決まってるわ」  
「俺と別れるのは、そんなにイヤかい?」  
からかうように、彼は尋ねた。  
彼と会話する時には、常に主導権争いを意識させられる。一緒に食事する時も、彼の仕事を手伝う時  
も……ベッドの中でさえ。  
彼はそれを楽しむために私と付き合っているのではないか、と思うこともある。  
「そりゃあ、人から命じられて分かれさせられるのはイヤだわ。いつか、浮気者に愛想を尽かしてこ  
っちから捨ててあげるのを、楽しみにしているんですもの」  
どうやら主導権争いを楽しんでいるのは、彼ばかりではないらしい。そんな皮肉は、彼と親密になる  
前の私だったら絶対に口にしなかっただろうから。  
 
「俺は身分詐称なんてしていないから、心配いらないさ。さっきも『虚感知』の呪文をかけてたんだ  
から、君だって知ってるはずだろ?」  
そう言われた私は、渋々とうなずいた。関係者に事情聴取するために、耳にする言葉の真偽を判別す  
る呪文をかけていた私は、彼が一言も嘘をついていなかったと知っている。  
 
――ネィプス・カースト氏の研究が、査察部の監察対象であることは、ご理解いただけますね?  
ここで彼は少し間をおいて、ネリィ導師がうなずくのを待った。  
――自分は、オプシディアンドッグの一件を担当することになった衛視です。彼女……魔術師ギルド  
の事故調査士と協力して、捜査に当たっています。  
 
確かに、どこにも嘘はない。容疑者の生活態度が魔術師ギルドの査察対象となることと、私たちが査  
察部に所属しているかどうかとは、別々の問題なのだから。  
とはいえ……  
「ネリィ導師のお弟子さんたちが失敗した時には、そんな詭弁は通じないでしょうね。証拠が手に入  
らなければ、査察部は動かせない。そうしたら、私たちは盗賊ギルドを騙したことになるわ」  
口にしてみると、フラウ――氷の精霊に抱擁されたような気分になった。ちなみに、私には同性に抱  
きつかれて喜ぶ趣味は微塵もない。  
「いや、そうなった時には、責任は俺一人で背負うさ。君には指一本触れさせない」  
やけに真剣な彼の言葉に、私は息を呑んだ。  
その瞬間、さっと伸びた彼の手が、私から眼鏡を奪い取っていった。彼の器用さときては、その気に  
なれば盗賊ギルドの幹部だって務まるほどだ。  
「だから、これが最後の夜になるかもしれない。思い残すことがないよう楽しもうぜ」  
間近から直接に瞳を覗き込まれて、なんと返答したらいいかと思いつく余裕もないまま、私は唇をふ  
さがれていた。  
「んっ、ん、んん……あ、あん……ま、待ってよ……」  
 
ぼうっと霞みそうになる頭を一振りして、私は、彼の身体を押し返そうとした。  
「ベルカナちゃんたち――ネリィ導師のお弟子さんたちは、今、カースト邸に忍び込んでる頃……な  
のに、私たちが、こんなことを、あ……あン」  
二度三度と首筋をついばまれた私は、抗議の言葉を続けられなくなってしまった。  
しゅるしゅると紐をほどく音が、背中の方から聞こえてくる。  
「俺たちが願をかけたからといって、そいつらの成功率が上がる訳じゃないだろう」  
私の髪を――彼と知り合った日から一度も鋏を入れていないので、随分な長さになった――をかきあ  
げて、彼は悪戯っぽくささやいた。  
「それに、新婚夫婦が初夜を迎える晩にだって、同じ街のどこかで働いてるヤツは必ずいるんだ。い  
ちいち気にしていたら、何もできやしない」  
熱い吐息に耳朶をくすぐられて、思考が空回りする。気がつくと、一糸まとわぬ姿でベッドに横たわ  
っている私がいた。  
――ごめんなさい……ごめんなさいね。  
今まさに生命をかけているかも知れない後輩に心の中で謝ると、私は快楽に屈した。  
他の男性についてなんにもデータを持っていないから比較しようがないけれど、彼の愛撫がとても巧  
みであることを、私は疑わない。  
「あっ……あ、あぁん……あぁ……」  
私の弱点を知り尽くした指先が肌に触れるたびに、はしたない声があふれ出てしまう。ひとたび官能  
に火がついたなら、燃え上がることを止めようがなかった。  
ほどなくして、腰の奥がジンジンと疼き始めた。  
「ねぇ。わたし、もう……お願い……」  
彼の首にぎゅっとしがみつき、ふるえる声で求める。けれど……  
「何をだい?」  
意地悪な微笑を浮かべて、彼は問いかけてきた。  
「はっきり言ってくれなきゃ判らないじゃないか。何を『お願い』なんだい?」  
 
――この、嘘つき。  
声に出さずに罵る私に向かって、嘘つきな――『嘘感知』なんて使うまでもない――衛視は、答えが  
判りきった質問を繰り返す。  
「ほら。どんな『お願い』か、聞かせてくれよ」  
肉体の疼きは際限なく高まり続け、もはや辛抱できない領域まで達していた。こんな状態のままで焦  
らされ続けたら、おかしくなってしまうに違いない。  
「あ、あなたの……!」  
私の喉から、恥ずかしい叫びがほとばしる。  
「あなたの――を、私の――に……中に、挿れて! は、早く……っ!!」  
「おや? 肝心な所が、よく聞こえなかったなあ」  
かすれた叫びで発音をごまかそうとした私を、彼は容赦なくさいなむ。  
「そんな……だって……」  
涙でにじんだ視線で許しを請う私に、彼はようやく優しい顔を見せてくれた。  
「まあ、努力は認めるよ。肝心な所を聞かせてもらうのは、次の楽しみにとっておくとしよう」  
――次の?  
淫欲に翻弄される中でわずかに残された理性が、彼の言葉尻をとらえた。  
最後の夜になるかも知れないから思い残すことがないように――そう言っていたのに、どうして“楽  
しみをとっておく”ことができるのか?  
形を為しかけた疑問は、しかし、次の刹那に襲いかかった衝撃によって消し散らされる。  
「ああーーっっ!!」  
待ち望んでいた物が――とても熱くて、とても堅くて、とても大きな塊が、私の一番深い場所まで一  
気に埋め尽くした。  
異物を呑み込んだ部分からあふれ出す快感が、全身をくまなく駆けめぐる。  
「気持ちいいかい?」  
そう聞かれて、私は夢中になってうなずいた。  
 
「はぁん……気持ち、いい……気持ち、いいの……」  
激しくうねる腰の動きに調子を合わせて、私は悦びを訴え続けた。  
やがて、根本まで差し込んだ状態で、彼の腰は動きを止めた。私に覆い被さった彼は、熱いキスをあ  
びせながら、両腕を私の腰に巻き付け、がっしりとつかむ。  
「……え? ああっ?」  
キスから解放された瞬間、視界がくるりと回転した。抱え上げられた私の身体は、あぐらをかいた彼  
の腰に乗せられた姿勢になった。  
「あっ! このカタチ、すてき……!」  
これ以上ないくらいに肌と肌を密着させながら、激しく揺さぶられる。身体じゅうで感じる彼の存在  
に、私はあえぎ、むせび泣く。  
「あなたと、抱きしめあって……。ひとつに、つながって……」  
絶頂の――今までに感じたことがないくらい強烈な絶頂の――予感が、私を包み込んだ。  
「はぁぁっ! もうダメぇ!」  
「くぅっ! 俺も、だ!」  
二人してあげたうわずり声に、彼も一緒に達してくれるのを知った。目に映る全てが真っ白く染まる  
中で、私の奥で弾ける灼熱だけをはっきりと感じた。  
 
「ああ、そうだ。忘れてた」  
借り物の部屋着を身につけ、眼鏡をかけ直した時、たった今親密さを深めた男のわざとらしい呟きが  
聞こえた。  
彼は、さっき脱ぎ捨てた服のポケットを探ると、折りたたまれた羊皮紙を取り出す。  
「事情聴取にお伺いした時に、これが落ちていたのを拾ってきたんだ」  
「――――!?」  
手渡された羊皮紙を広げて、私は絶句した。かけ直したばかりの眼鏡がずり落ちそうになる。  
「これ……ネィプス・カーストの覚え書きじゃないの!」  
 
ネィプスの筆跡は知らないが、おそらく間違いあるまい。恋敵を陥れようという思惑が断片的に並ん  
でいるだけだけれど、魔術師ギルドの査察部に出動を促すには充分な内容だった。  
こんな都合のいい落とし物なんて、あるものか。  
尋問している隙に、ネィプスが手元に置いていた書類から一枚抜き取るくらい、彼には――盗賊ギル  
ドの幹部が務まるというのは、比喩でもお世辞でもない――雑作もないことだ。  
眼鏡を押し上げ、私は彼を睨みつける。  
「これ一枚あれば、他に証拠品を盗み出してもらうことなんて、なかったじゃないの!」  
「そうはいかないさ。街の衛視が持ってきた証拠なんて、黙殺されればそれまでだ。査察部にお出ま  
し願うには、盗賊ギルドのお墨付きが必要だった」  
つまりこの衛視さんは、査察部を動かすために盗賊ギルドの威を借り、盗賊ギルドを利用するために  
査察部を騙った、という訳である。事情聴取した相手から「査察部の人」と勘違いされた結果として  
思いついた計略だろうが……。  
「ベルカナちゃんたちが手ぶらで帰ってきた時には、これにお墨付きをもらうって寸法ね」  
「そういうこと。成功したらしたで、証拠が増えて困る訳でもないしな」  
ベッドの中で頭をかすめた疑問に解答を得て、私は深いため息をついた。こんな備えを用意しておい  
て、最後の夜かも知れないだなんてよく言えたものだ。  
なじる視線を余裕綽々で受け流し、私の腰に手を回しながら彼は言った。  
「俺は、魔術師ギルドの体面が守ってやったんだぜ。感謝してもらいたいね」  
「報酬は、私の肉体ってわけ?」  
そう尋ねると、彼はほんの少し考えてから、こう答えた。  
「君がいい女である間はね」  
そして、再びベッドに放り込まれた私は、古代語魔術師の名誉を守り、魔術師ギルドの醜聞が広まる  
のを防ぐという事故調査仕の責任を果たすべく、全力を尽くした。  
 
END  
 

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