注)えろくないヒースとイリーナ。  
 
 
 
snow/sweet  
 
ヒースが、椅子からずり落ちた。  
どさりと鈍い音がイリーナの耳に届く。  
「ちょっと兄さん」  
落ちたのにもかかわらず、兄貴分は特に何の反応もせず。  
「どーしたの?」  
片づけをしていたマウナが、音を聞きつけ慌てて駆け寄ってきた。  
「兄さんが、落っこちた」  
「はいっ?」  
「椅子から落っこちて、丸まってるの」  
イリーナとマウナの視線が降りそそぐ中、ヒースの規則正しい寝息が紡がれる。  
それはすぐに高いびきに変化した。  
「……寝てる」  
「何で気がつかないんだか」  
「さあ? 疲れてるとは言ってたけど……」  
それを聞いて、マウナは二人の前にあるテーブルを一瞥する。  
そこに並んでいるのは一本完全に無くなったワインに、いくつかのエールのジョッキ。  
この二人であけたものだが、主な消費者はヒースの、はず(イリーナはさほど飲まないが故)。  
「飲みすぎね。疲れてるなら、なおさら」  
「起きるかなぁ…。兄さん、にいさ〜ん…」  
イリーナがゆさゆさと、長身の体をゆする。  
 
―――反応、無し。  
ぐこーっという気持ちよさそうな寝息立てて、揺さ振られるがままになっている。  
「だめだ〜。どうしよう……」  
イリーナなら持ち上げる事は簡単だけど、だからといって学院の寮まで抱えていくのは辛すぎる。  
何より女の子としては、大の男を平然と抱えて帰るのは遠慮願いたい。  
「ねぇマウナ。部屋、開いてない〜?」  
「仕方ないナァ。開いてる部屋、あったか……あるわね」  
カウンターへ戻って宿帳を開こうとしていたマウナの手が止まった。  
「二階の、一番奥の部屋。お昼にラッピングの練習した部屋。あそこ、開いてるから」  
ピっと指を階段のほうへ向け、マウナが笑う。  
「包装布とか、リボンとかが出しっぱなしになってるから、片付けておいてね」  
「良かった〜」  
「お代はヒースから徴収、ね」  
「当然です」  
床に転がるヒースの胴を持ち、軽々と肩へ抱え上げる。  
まるで荷物のような扱いだ。  
普段のヒースであれば皮肉たらたらの口調でなじるだろうが、イマは安らかに夢の世界。  
何の苦情もなしにされるがままだ。  
「気をつけてね」  
そんな言葉を背に、イリーナはマウナに示された部屋へとヒースの体を運んでいった。  
 
 
ヒースのブーツやジャケットを引っぺがし、体をベッドに転がして、イリーナは一息ついた。  
ぐるりと部屋を見回すと、床にはながーいリボンと包装布が置きっぱなしになっている。  
今日のお昼に、バレンタインのラッピングが終わった時のままだ。  
指先でつまむと、はらりと一筋紅い流れ。その途中は繊維が無茶苦茶にほつれている。  
練習中に、勢い&力余って引きちぎってしまった成れの果て、だ。  
リボンのそぱには、チェリーローズの布が落ちている。  
これも拾い上げると、四つの小さな穴がある。  
等間隔のそれは、包むときの引っ張りすぎな証拠。  
布の下には、角の歪んだ小ぶりな四角い蓋付きかご。  
つまりはやっぱり力の入れすぎ、失敗作。  
ちょっとむくれて顔をしかめると、かごの中へ布とリボンを詰め込んだ。  
くしゃくしゃに詰められたそれらは、小さいかごには収まりきらず、へにょんとした姿を晒している。  
ふっと酒気の混じるため息をついた所で、後ろで「くしゅっ」と小さい音がした。  
 
振り返ると、ベッドに突っ伏すヒースが、鼻をぐずぐずさせている。  
そして寒そうにくるりと丸り、それはそれで、安らかに眠る姿。  
ちょっと、考える。  
その間にも、兄貴分からは数回の小さいくしゃみ。  
もう少し考えて、テーブル上の丁寧に包まれた成功作(でも所々が引きつっている)の隣へと置く。  
眠り続ける兄貴分から視線を外し、マウナの姿を求めて扉を開けた。  
短い廊下を歩き、階段へと向かう。  
角を曲がってすぐに、ヒースの外套やマフラーと毛布を持ったマウナと出合った。  
「ああ、マウナ」  
「お疲れ様。イリーナは帰るんでしょ? 雪が降り始めたから、気をつけて」  
「うん、それなんだけどね。私も泊まる。眠いし」  
「え……っと、部屋は……どうだったかな」  
それを聞いたマウナはちょっと顔を上げ、頭の中で部屋台帳を繰り始める。  
「兄さんと一緒でいい」  
そんな彼女の思考を、イリーナの言葉が止めた。  
「アノ部屋、一人部屋ナノデスガ……」  
思わずいつものヒースがごとく、カクカクとした言葉になってしまう。  
「今日は寒いから、一緒に寝る。引っ付けば、あったかいし」  
確かに、イリーナとヒースはいわゆる一つの恋人同士でもあったりする。  
だから別におかしくは無いのかも知れない。  
でも普段は隠している訳でもないが、おおっぴらにしている訳でもない。  
こんな風に、照れもせずごく当たり前のように口にしたのは、初めてだ。  
「お〜い。イリーナ、どうしたの?」  
「……わかんない。でも、ワイン一本あけたの、私だし。多分、酔ってます。へへへ…」  
「え゛」  
それを聞いて、目の前にいるイリーナの顔を覗き込む。  
確かに顔は赤いが、いつもより遥かに多い量を飲んでいるとはとても思えない。  
まじまじと、ひたすらに、彼女の真意を探ろうと、栗色の瞳をのぞきこむ。  
「?」  
そんなマウナに不思議そうな表情で、かくんとイリーナは首を傾けた。  
同じように、マウナも首を傾ける。  
 
いつまでそうしていたのか。  
 
ぶえっくしゅ! ぇくしゅ!!  
 
少し離れたところから、大きいくしゃみが二連発。  
ぱっとイリーナが視線を外し、自分が出てきた扉を振り返った。  
「……じゃ、イリーナも一緒に泊まるってことなのね。  
コートとかは持っていってあげるから、戻りなさいな。心配、でしょ」  
「うん、ありがとう。……おやすみなさい、マウナ」  
マウナの返事を待たずに、イリーナは小走りに部屋へと戻る。  
「はい、おやすみ」  
そんな後ろ姿に言葉をかけ、マウナはふわりと笑う。  
(あ、渡すの忘れてた。……ま、いいわ。イリーナのも一緒に持ってこう)  
手の中にあるヒースのコートや毛布を抱えなおし、もう一度階下へ戻っていった。  
 
 
 
勢いよく扉が開かれ、それとは裏腹に、ひっそりと閉められる。  
ヒースの眠る部屋に飛び込んだイリーナは、そっとベッドを覗き込んだ。  
兄貴分は先ほどとあまり変わらず、すよすよと眠りこけている。   
やっぱり寒いのか足元に合った毛布を抱え込み、くるまっていた。  
真っ白なケープを止める真っ赤なリボンを解くと、受け止め損ねたケープがすとんと床に広がる。  
同じく床に広がったままだった、男物のジャケットと共に椅子の背にかける。  
ちょっと考えて、プリーツスカートも脱いでしまい、スパッツに上衣だけの姿になる。  
そして最後に、狭いベッドの隙間にちょこんと腰掛けると、ブーツも脱いでふたり分を丁寧にそろえた。  
そっとイリーナはヒースの頬に手を当て、額に軽くキスをする。  
その感触と冷たさに意識がもどったのか、ヒースの瞼が上がった。  
半分しか開いていない瞳は、酔いと睡魔でどんよりと濁っている。  
ヒースの手が毛布の中からのびた。  
妹分の二の腕を掴み、ぐいっと軽く引くと、小柄な体が広い胸の中へ、ぽてりと倒れこむ。  
すりすりと頬ずりをしてその感触を味わった後、イリーナは毛布の中へともぐり込んだ。  
 
 
 
 
その、少し後。  
扉が、遠慮がちにノックされた。  
二度・三度。  
当然眠り込んだふたりは気がつかない。  
再び、二度。  
そしてわずかな軋みと共に、そっと扉が開いた。  
そこにいたのは、ふたり分のコート類と毛布を手にした、小鳩亭の養女。  
流石に歩きにくいのか、少しおぼつかない足取りだ。  
それでも何とか作り付けのフックにコートを引っ掛け、ベッドのそばに歩み寄る。  
寒さは既に落ち着いたのか、ヒースの寝息は落ち着いていた。  
ヒースはイリーナに腕を貸し、それとは反対の手で小柄な体を覆っている。  
イリーナはヒースの胸の中にすっぽりとおさまり、幸せそうだ。  
そっと毛布を二枚、追加する。  
全体に一枚。足元を覆うように、もう一枚。  
「……はぁ、仲のよいこと」  
マウナは呆れたような声音とは違う柔らかな微笑で、そう小さくつぶやいた。  
 
 
テーブル上の、四角い箱。  
その中にある、あまいあまい、白と黒の雪。  
とろけてとろけてはらりと散らばる赤に青。  
年に一度の。  
甘くて。  
少し苦くて。  
でも、愛しい時。  
 
 
その、ちょっと前。  
 
〜END〜  
 

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