獣を抱く男の心理。獣とまぐわう女の心理。
今まで考えたこともなかったが、俺にとって、イリーナを抱くというコトは、それに近い。
『可愛いい』と『愛しい』と、思うものを『衝動』から抱く。抱きたいと、思う。
しかしそれは背徳感がつきまとう。
イリーナは俺にとって、ずっと『妹』だったから。
『妹』が大切なあまりに、手放したくナイと思い。
──『妹』を、抱きたいと、思ってしまったから。
正確には実の妹ではないし、血も繋がってはいない。
それでもイリーナが無邪気に笑いかける俺は、イリーナにとって『兄』で、『男』の俺ではないだろう。
男と女。
そう理解させてしまえば、この距離はどうなる?
本当に、縮めるコトが出きるのか──?
触れようと思えば、いつでも触れられる、距離。
手を伸ばす。
イリーナの耳を抓む。
「?」
一歩先を小鳩亭へと歩いていたイリーナが、怪訝そうに俺を振り返り、見上げる。
───この距離。
「なんですか?兄さん」
イリーナが俺を、怪訝そうに気遣う様に見上げ、顔を覗き込む。
「最近、ちょっとヘンです。元気ないです」
「いや……」
ナンデモナイと言おうとして、止めた。
イリーナに気遣わせている。
気遣われて『嬉しい』と思う反面、俺の心の内のイライラを、滲ませてしまっている事に気づく。
そんなに俺は、追い詰められているのか。
…少し、一人になって冷静になる必要がある。
「あー…イリーナさん、俺様…ちょっと、ダルい。今日は帰るわ」
「え?大丈夫ですか? それならマウナか、ガルガドさんに治して貰いましょう?」
「いや、無理」
「…へ?」
『恋患い』は、神サマも生命の精霊も、手に余るだろ。
いきなりイリーナが手を伸ばした。
額に手が当てられる。
不意をうたれて、顔に血が昇った。
「…あー、熱はあまりナイようですが、顔が赤いです。ゆっくり休んでくださいね」
つま先立ちして、背を伸ばすイリーナ。そうしなければ、イリーナの手は俺の額には届かない。
「…おう」
イリーナの手の感触に、邪な感情を抱き、それを押し隠すためにそっぽを向いた。
額に当てられていたイリーナの手を、掴む。
その手を離す──はずが、掴んだままだ。
「兄さん?」
これは───重症だ。
内心を気どられぬ様に、さりげなく手を放して、まくしたてた。
「イリーナさん、念の為に『サニティ』をヨロシクお願いできませんでしょうカ?」
「『サニティ』ですか?」
イリーナは目をパチクリとさせる。
構いませんが…。
そういって、イリーナがその大きな瞳を伏せて、祈る。
その睫毛が、意外に長いことに気づく。
胸の鼓動は、ずっと、治まらないままだ。
───神サマ。俺に『イリーナ』をクダサイ。
栗色の髪を最後の残像に、目を瞑る。
次第に、するする、と、平静さが戻ってくる。
切なさや苛立ちは、腹の底に、小さく治まってしまう。
──それでも、決して消えてはしまわなかった。
「…サンキュ、イリーナ」
ぽそり、と呟いた。口の端だけを、皮肉気につりあげて笑う。
イリーナはホッとしたような、笑みを見せた。
「そうだ、兄さん。コレ」
思い出したようにイリーナが手荷物から、小さな包みを出す。
「チョコレートです」
「ああ、そっか。今日だったな。…義理か?」
受けとりながら、笑ってみせる。
自嘲の笑みである事を、悟られないように。
「えっと、まあ、義理ですけど、それひとつですから、皆には内緒ですよ?」
「…なんでだ?」
小さく驚き、問い返すと、えへへ、とイリーナは笑う。
「失敗しちゃって……」
「数がなくなった、か」
その最後のひとつを──俺に。
「あん? 失敗したって? 今年はちゃんと食えるのか?」
「あ、ヒドイです。そんな事いうなら、もうあげない!」
取り返そうとするイリーナに、包みを持った方の手を、高く掲げる。
ピョンピョンと跳ぼうとするイリーナの頭を、反対の手で軽く押さえて阻む。
「まあ、ちゃんと食えたら、来月にはオカエシしてあげよう」
「むか! そんな言い方、意地悪ですっ」
「わかった、わかった。…ありがと、な。イリーナ」
胸の中に、小さく暖かいものが、降りてくる。
静かに、雪が降り始めていた。
少しだけ。
ほんの少しダケ幸せな、今日はホワイト・バレンタイン。