<エピローグ>
とある田舎の片隅にある古い屋敷の一室。
そこには寝台に横たわる老人と、傍らで彼の顔を見つめる女性の姿があった。
老人の歳の頃はおよそ60歳過ぎだろうか。対して女性の方は、20代前半から半ばくらいに見える。
「面倒をかけるな、リリ」
ゴホゴホと咳をしながら、老人が女性に語りかける。
「いえ、何も問題ありません。貴方のお世話をすることは、私の義務であり喜びでもあるのですから」
老人と女性のあいだには明らかに深い親愛の情が見てとれた。
祖父と孫、あるいは歳の離れた父と娘なのだろうか?
しかし、それにしては女性がまとっているのがメイド服なのが腑に落ちない。
あるいは恩義ある老主人の世話をする使用人? そういう風にも見えるが、それだけではあるまい。
すでに老境に達しているはずの男性と未だ年若い女性のあいだには、紛れもなく男女間のみで見られる一種艶めいた感情の交流が見てとれた。
下世話な者なら、財産目当てで老富豪と結婚した計算高い妻……と勘繰るかもしれないが、それにしてはこの家の作りは質素だし、女性はもっと華やかドレスでも身にまとっているだろう。
「すまない……結局、君を人間にしてあげることはできなかった」
「いえ……十分です。あのまま、ただ朽ちていくだけの存在でしかなかった私を救い、暖かい”家族”と帰るべき"家"、何より"心"を与えてくださったのですから」
「……そうか……」
老人の息がか細く、弱々しくなる。
ふたりとも、老人に間もなく”その時”が訪れるのを理解していた。だからこそ、ふたりは最期のその時まで楽しげに語り合う。
「ああ、でも、君が人間になったなら結婚を申し込むつもりだったんだがなぁ」
「今からでも問題ありません。プロポーズしてください」
「はは……こんな皺くちゃの爺いは、君にはふさわしくないよ」
「いいえ、貴方は素敵な男性です。昔も、そして今も。それに、そんなことを言うなら、私の方こそいたずらに年を重ねたポンコツに過ぎません」
「そうか……では、老いぼれどうし仲良く…するのも……悪くはないな」
「ええ、問題ありません」
「新婚旅行は……どこに、するかね?」
「どこへでも、貴方のお好きな所へ。ひとつだけ希望があるとすれば、ゴーバにある"母"の"墓"には報告しておきたいですが」
「はは……そうだな…………「娘さんを僕に下さい」と……言いに行かないと……」
力なく、それでも快活に笑う老人。
「子供は何人くらいがいいですか?」
「そうだな……男の子ひとりに…女の子ふたりで、どうだろう?」
「男の子もふたりくらいいてもよいかもしれません」
夢のような、決して叶うはずのない未来を、楽しそうに、いつまでもいつもまでも語り合うふたり。
そして夜半過ぎ、その声の片方が……永遠に途切れた。
老人の葬儀が終わったころ、懐かしい人物が屋敷を訪ねてきた。
「そうか、アイルくん、逝ったんか……」
「はい……それほど苦しまれなかったと、思います」
「これで、残っとるのは、もうウチとリリちゃんだけやね」
寂しそうに呟くエルフの女性。
「いいえ」
けれど、リリと呼ばれた女性はかぶりを振る。
「確かに、ディケイ様もキーナ様もブランシュ様も……アイル様も、亡くなりました。けれど、あの方たちの残されたもの――この孤児院とそこで育つ子供たち、何よりあの方々の下さった思い出は、ココに」
と、目をつぶり、胸を押さえる仕草をする女性。
「今も息づいています。ですから、私は、あの方たちの優しさと強さを子供たちみんなに伝えていこうと思います」
いったん言葉を切ると、傍らに立つ木―"彼女"が彼らと初めて出会った館からわざわざ移植してきた樹木を、そっと撫でる。
「それが……私にできるせめてもの恩返しでしょうから」
そう言って、リリ――リトル・リワード(お駄賃)と名づけられた女性、いやシングは目を閉じた。
ゴーバにある"母"の館で実りなき園丁を続けて幾星霜。
あるとき冒険者として館を訪れたアイルたちの手で引き取られ、彼らの育った孤児院へと預けられた。
最初失敗ばかりであったが、それでも徐々に孤児院の仕事を覚え、子供たちにも懐かれるようになる。
そして、アイルは冒険の合間に帰ってきては、彼女を少しでも人間に近づけようと、いろいろ手を尽くしてくれた。
その甲斐あって、人形のような外観と低い知性しか持たなかった"彼女"も、少しずつ人間らしい姿や振る舞いをできるようになっていく。
さらに極めて珍しいことに、彼女は人間に近い感情表現すら身に着けるようになった。
突然、リリはエルフの女性―ナジカに後ろから抱き締められた。
「え……」
「こんなときは、思い切り泣いてもええんよ、リリちゃん」
そう言われて、初めて彼女は自分が涙を流していることに気づいた。
もしかしたら、それは所詮、人間の感情の模倣、人真似にしか過ぎないのかもしれないけれど。
それでも……あの人があると信じてくれたのだから、きっと私に"心"はあるのだ。
暖かいナジカの腕の中、リリは静かに涙を流し続けた。
〜fin〜