アレクラスト大陸中西部に「混沌の王国」と呼ばれる国がある。  
 ファンドリア。  
 旧ファン王国の滅亡に際し、いくつかの組織や結社が傀儡の王を立てて作りあげたその国は、水面下で行われる組織同士の利益のせめぎあいと策謀の渦中にあって、つねに国政が混乱していると言われている。  
 だが、それ以上に人々の嫌悪を招いているのは、暗黒神への信仰を公認し、ダークエルフたちに市民権を与えていることだろう。ファラリスへの信仰とダークエルフの存在は、大陸中のほとんどの国において邪悪とされ、憎しみと嫌悪の対象となっているからだ。  
 そして、このファンドリアの片隅で物語は密かにはじまる……  
 
 
 霧深い幽谷に、その館はあった。  
 見渡しても周囲に人家ひとつなく、訪れるのは痩せこけた野犬ばかりといった荒地の山岳地帯に、館は忽然とその豪奢なたたずまいを見せて客を驚かせる。  
 かつてのファン王国の建築様式にのっとった屋敷は古風にして華美であり、上品さを失わぬ程度に装飾された庭も、趣味に通じた主が特に命じてあつらえたものであろうと思わせた。初見の者はまず、いずれかの名士貴族の別荘かと疑うであろう。  
 しかし、その館は娼婦宿であった。  
 それも選ばれた特別な客層のみを相手にする、ファンドリアでも屈指の高級娼館である。『野苺の庭園』といえば、この国では知らぬものはない。  
 それには二つの意味があった。  
 ひとつには、庭園の抱える美女たちの麗しさである。この館にはありとあらゆる性別、年齢、人種ないし種族の奴隷たちがおり、金さえ払えばどんな要望でも叶えてくれるといわれている。聞くところではドワーフやハーフエルフのみならず、人魚やハーピーでさえ用意するとも。  
 その、この世のものとも思えぬ邪まで背徳的な夜宴の風聞は、男たちの想像力と欲望を喚起してやまぬものらしい。事実、庭園で快楽と淫蕩の限りを尽くし、一夜にして代々の荘園まで失ったという貴族の噂は絶えたことがない。  
 そしてもうひとつ――その偏執的な警備の厳しさで、『野苺の庭園』は名を知られていた。  
 それは娼館という施設の性格による。  
 寝所では当然のことながら客たちは無防備になる。そして、金持ちで権力者の客には命を狙う敵が多いものだ。ことにこの国では。  
 だからこそ庭園では異常なまでに警備に気を遣う。館内では武器の持ち込みはもとより、たとえ軽装であっても防具の持ち込みはさせず、持ち物は入念に検査され、衣服さえも館側が用意したものを着なければならない。  
 また、館の中は広大で複雑な迷路となっており、客同士が鉢合わせにならぬよう完璧に管理されている。  
 入り組んだ内装とあちこちに配置された美術品、彫刻の類は、視界を塞いで飛び道具を使わせぬように考慮されたものであり、館の警備兵が潜むための死角を作る役目も果たしていた。  
 さらには……この館自体が元々、大規模な魔術の実験のために建造された古代王国の遺跡であり、一切の呪文を無効化する結界が張り巡らされているという。魔術師たちの使う古代語魔法はもとより、精霊の力、神々の奇跡さえも、この享楽の魔窟には届かない。  
 そのため、『野苺の庭園』で殺しをすることは邪竜の目玉を抉るよりも難しいとまで言われているのだった。  
 
「主任」  
 庭園の回廊を早足に歩くのは、まだ少年と言っていい歳の若者だった。着慣れぬ薄絹のローブの襟をもじもじと擦りながら、前を歩く美貌のエルフに何度も声をかけようとして躊躇い、今ようやく口に出したところだ。  
「なんですか、アマデオ」  
 黄金を編んだかと見紛う美しい髪を揺らして、エルフの女は振り返った。その翡翠の瞳は冴え冴えとして、凍りついたように一切の感情を覗かせない。  
 エルフの名は、ベラ。  
 貿易商ギルドの拠点のひとつである<ロス・ペラス沈黙の紳士>会館の保安主任として、ファンドリア中にその存在を知られている。かつて<黄金の車輪>という冒険者パーティの一員として活躍した腕前と、それ以上にその”寛容さ”と”慈悲深さ”をもって。  
 この国で決して敵に回してはいけない者のひとりだと、多少でも賢い者なら言うであろう。  
「何か問題でも?」  
 アマデオは不自然にベラから目をそらして答えた。  
「い、いえ、あの……オ、オレ、こういう場所に来るのは初めてで」  
「そうですか」  
 ベラは淡々と前へ向き直った。会館の警備任務の際と同じように、物音を立てず、速やかな足運びでもって進んでゆく。その歩調はよどみなく、優雅なほどだ。  
 アマデオはそれに遅れぬように、早足で後を追いかけた。だが、その拍子に上司の後ろ姿が目に入ってしまい、カッと頬を朱に染める。  
 それもそのはず、ベラはごく薄い紗の寝巻を身にまとっただけで、ほとんど生まれたままの姿を晒していると言ってもいい格好だったからだ。  
 それでいてベラは、その少女のようなほっそりとした肢体を隠すでもない。まるでアマデオに見せつけるかのごとく、無造作にさらけ出して歩くのである。  
 多感な年頃のアマデオにとっては、そんなベラの振る舞いはほとんど拷問だった。  
 暗黒神の教義を認めているファンドリアといえど、アマデオの育ったような田舎の村では素朴な貞淑さを良しとする傾向がいまだ強い。アマデオも、結婚するまでは女性と契りをかわすことはおろか、男に素肌を見せるものではないとさえ思っている。  
 ましてや、相手は命の恩人で、憧れの人であり、おまけに会館の警備兵としての上司なのだ。  
(じろじろ見ちゃダメだ。仕事なんだ、これは)  
 
 アマデオは意志の力でその視線を足元に固定していたが、それでもふと気を抜けば、その神の作り出した芸術品のごとき白磁の裸体についつい目を吸い寄せられてしまう。  
 そのたびに、すべらかで天国のような触り心地のするであろう真っ白な尻や、エルフにしては豊かな双丘の先端に咲く桃色や、さらには神聖な黄金の茂みさえもがちらちらと目に入ってしまい、アマデオは不埒な欲望に負けっぱなしの自分に罪悪感を抱くのだった。  
「あの。……ど、どうして主任は、オレをこんな所へ」  
「もちろん、任務だからです」  
 ベラは声を落としなさい、というようにアマデオに手振りをした。身を潜めるところの多い館の構造上、誰に聞かれるか分からないとの用心であろう。  
 これが会館の仕事の一環だというのは、アマデオも予想していたことではあった。さすがに、ベラが一介の部下である自分を男として求めているなどと自惚れるほどおめでたくはない。  
 今夜のいきさつはそもそも唐突だった。  
 声をかけられたのさえたった数時間前、夕刻のことだ。アマデオは警備の当番を終え次第、主任の元に出頭するよう上司に命じられた。行ってみると、「ついて来なさい」の一言で馬車に乗せられ、たどり着いた先がかの名高き『野苺の庭園』だった、というわけだ。  
 何か極秘の任務だと考えるしかないではないか。  
 だが、アマデオが聞きたかったのはそういうことではなかった。  
「その……なぜ、オレなんですか」  
「もっとも適任と思われる人間を選んだまでのことです」  
 この『野苺の庭園』は、基本的には館が管理する娼婦たちを客にあてがう施設だ。だが、その警備の確かさと、客の秘密を守ってくれるという信用から、時には訳ありの男女に連れ込み宿代わりに部屋を求められることもあった。  
 もちろん、それなりの地位の客でなければ門前払いだが、ロス・ペラス<沈黙の紳士>会館の保安主任ともなれば館側も相談を受けるに吝かではなかろう。  
 ベラはこの館の中で何らかの任務を遂行するために、怪しまれぬよう侵入する必要があった。  
 そしてそれには、何も知らぬ男娼を買うよりも、部下を年下の愛人に仕立てて、二人客として施設を利用したほうが動きやすい。  
 つまりは、ベラはアマデオを愛人役の役者にするために連れてきたのだ。  
「あなたが私を慕っていることは、会館の人間ならずとも知っていることです。ですから自然に見えるだろうと判断し、あなたを選びました。私があなたを”若いつばめ”として飼い慣らし、おもちゃにしているという風聞すらあるそうですし」  
「そ、そんな噂は、その、口さがない連中が勝手に言っているだけで……!」  
「別に気にしていません。私は任務のためにそれを利用するだけです」  
 ベラは目当ての部屋を見つけ、扉の前でなにごとか唱えた。どうやら客室の扉はすべて魔法の鍵で管理され、特定の合言葉でしか開かぬようになっているらしい。これは庭園の元となった遺跡に元来備わっていた機能である。野苺の庭園が防備が鉄壁とされる一因でもあった。  
「アマデオ。来なさい」  
 戸口を猫のようにすり抜け、ベラは肩越しに振り返った。磨きぬかれた刃のごとく怜悧な瞳が、有無を言わせぬ力でアマデオに命じる。  
「あなたに一つ仕事をしてもらいます」  
 アマデオはごくりと唾を呑みつつ、ベラに従った。  
 
 室内には香が焚きしめてあった。そのせいか、視界全体にぼんやりと薄靄が掛かっているようだ。ほの暗い灯りは蝋燭によるもので、光を極力淡くするために木製の傘をかぶせてある。その傘の細工もまた、見事なものだった。  
 水の音がするのは、浴場に湯が張ってあるためだろう。個室に風呂があるというのはアマデオには考えられぬ贅沢であった。しかも、浴槽には薫りのよい花や香草が浮かべられ、半露天になったテラスまで続いていて、湯に浸かったまま美しい庭を眺めることもできる。  
「すごい部屋ですね。王様みたいだ」  
「傀儡に過ぎないこの国の王族には、ここまでの贅沢は許されていないでしょう」  
 言いながら、ベラはゆっくりと壁の周りを確かめるように歩き回っていた。掛かっている絵画や装飾を楽しんでいるのではない。罠や仕掛けを警戒しているのだ。  
 ベラは寝台に目を留めた。  
 東国ふうの天幕がついたおそろしく豪奢な寝台で、この部屋の主のごとく壁の中央に据えられている。庭風呂と寝台こそが主役であるような、そういった造りであった。  
 ベラは寝台に腰掛けて、壁を横目で見つめ、何かに納得したような表情をかすかに見せた。もっとも、それは日々ベラの傍にいて、顔色を読み取ろうと懸命に努力した人間にしか分からないほどの、実に微細なものだったが。  
(主任は、何かの手がかりをつかんだみたいだ。でも、いったい何を……?)  
 気になって、アマデオもその触り心地を確かめてみた。信じがたいほどに柔らかな寝台だった。少し体重をかけただけで、どこまでも深く沈みこんでいくようだ。  
 いったいどれほどの金と、手間と、技術と、愚かな民衆の血を絞れば、このような家具ができるのか。勿体なさに気が遠くなりそうだった。  
 ベラはその罪深い寝台の上で、淫らに透ける装束に身を包み、しなやかな脚を美しい角度で組んでいる。その瞼を憂いに沈むかのごとくやや伏せて、ハッとするほどに長い睫毛を揺らめかせると、翡翠の瞳に冷徹な殺意を浮かべた。  
 蝋燭の密やかな灯りに照らされたその姿はあまりに妖しく、アマデオは見つめているだけで魂を奪われてしまいそうになる。  
 やがて、ベラがアマデオの名を呼んだ。  
「……はい。何でしょうか、主任」  
「あなたは女を抱いた経験はありますか」  
 
「なっ、何を……」  
 アマデオは喉を詰まらせたような奇妙な呻きを漏らした。  
「女を抱いた経験はあるのですか、と聞きました」  
 静かな口調で淡々と繰り返す。アマデオはその声に含まれた冷たさにぞくりとなり、反射的に背筋を伸ばして姿勢を正した。  
「は、はいっ」  
「ある、と」  
「あ、いえ、その――あ、ありません!」  
「そうですか。では、私が主導する形をとりますが、構いませんね」  
「え? あ、はい……?」  
「アマデオ」  
 当惑して目を白黒させるアマデオに、ベラは平坦な声で告げた。  
「ローブを脱ぎなさい」  
「…………」  
 アマデオはもはや聞き返さなかった。ベラは無駄を好まない。二度も三度も同じことを言わせるような無能な者は切り捨てる。主任に認められたければ、部下は単に忠実であるだけでなく、自ら頭を使って考え、その意図を汲むようにしなければならないのだ。  
(でも、僕には主任が何を考えているか分からない……)  
 分からないままに、服従するしかなかった。アマデオは薄絹のローブに手をかけ、立ったまま、それを脱ぎ捨てる。  
 ローブの下には何も着ていなかった。全裸だ。庭園に入る時に、衣服は装備と一緒にすべて預けてしまっていた。  
 ベラがわずかに誘うように指を動かして、「前に来なさい」と指示をした。  
 アマデオは緊張に腿を強張らせながらも、諾々とそれに従う。  
(仕事だ。これは任務なんだ)  
 目を合わせるのは躊躇われた。顔を床に向け、ベラの視線に耐える。  
 しかしさすがに股間を晒すのは恥ずかしく、アマデオはさりげなく両手を前で組んで、遮蔽をとっていた。だが、ベラはそんなささやかな反抗すら許さなかった。  
「私は手で隠していいとは言っていません」  
「…………はい……」  
 アマデオはぐっと奥歯を噛み締め、覚悟を決めて、両手を『気をつけ』の位置に下ろした。  
 ベラの視線がそこに突き刺さるように感じる。  
(どうして、こんな目に……)  
 あまりの羞恥にアマデオは涙ぐんだ。憧れの女性の前で、命令ひとつで丸裸にされ、気をつけの姿勢で男の大事なところを仔細に観察されているのである。  
(僕が、何をしたっていうんだ……)  
 恥ずかしくて死んでしまいたい、いやもういっそ死んだほうがましだ、とアマデオは思いはじめていた。  
 だが、――いかなる心理のなせる業であろうか。  
「アマデオ。勃起していますね」  
「……はい、主任……」  
「なぜ、勃起しているのですか」  
 アマデオには、答えられない。自分でも分からなかった。こんなに恥ずかしいのに、どうして下半身が反応してしまっているのか。  
 心臓がドキドキと高鳴って、何も考えられない。  
「私に見られて、興奮したのですか」  
 そうかもしれない。なによりも、ベラの視線がアマデオを刺激しているのだ。  
 だから、アマデオは素直に答えた。  
「……はい。たぶん、そうだと思います」  
「あきれたものですね。あなたは、これが任務だということを忘れているのではありませんか?」  
「……い、いいえ!」  
「では、私の命令に従えますね」  
「従います」  
「どんな命令でも?」  
「はい!」  
 それだけは躊躇わずに答えられた。いつでも、主任のために命を投げ出す覚悟はできている。  
 アマデオは床から視線をそろそろと上げ、まっすぐに、ベラの瞳を見つめた。ベラは特になんの感情も浮かべぬ眼で、アマデオを見つめ返す。  
 でもそのときアマデオには、ベラがほんのかすか微笑んでくれたような気がした。単なる思い込みか、気のせいだったのかもしれない。だがどちらにしろ、それは一瞬で消え去った。  
 後に残ったのは残酷な命令と、長い夜だ。  
 ベラは言った。  
「では、今晩私に奉仕しなさい。それがあなたの仕事です」  
 
 月光が淡く水面に揺らいでいる。  
 距離を置いて灯された蝋燭はむしろ仄暗さを演出し、液体にとぷりと沈んだ女の裸体を否が応にも神秘的に見せていた。白く透きとおった妖精の肌は、まるで密やかな闇に滲んで溶けてゆくかのようだ。  
 野苺の刺繍の入った紗の寝巻はすでに脱ぎすてられ、きちんと畳んで寝台の脇に重ねてある。いまやベラの身を飾るのは、常時つけている琥珀の耳飾りと、その高貴な金糸の髪だけだ。  
 その髪を今は、湯浴みの邪魔にならぬよう、長い針に似た櫛で留めていた。そのため普段は隠された細くたおやかなうなじが露わになり、息を呑むほどに艶かしく可憐なたたずまいである。  
「アマデオ」  
 ベラが腕を差し出し、眼で命令した。アマデオは緊張しながらも、コクリとうなずく。  
 両手を湯の中へ静かに入れる。真紅の花弁が散った湯を掬い取り、ベラの二の腕にそっとかけて、手のひらで撫でさするように洗った。  
「なぜ、顔をそらすのですか」  
「あ、その……」  
 アマデオは赤面してうつむく。  
「エルフの貧弱な裸など、視界に入れるのも嫌というわけですか」  
「そ、それは誤解です!」  
「では、なぜです」  
「あ、あの……。じろじろ見ては失礼にあたるかと」  
「私は気にしません。言ったはずでしょう、これは任務だと。いつもの警備の仕事と同じです。肩の力を抜きなさい。そして、目の前の事態に集中することです」  
「はい……」  
 言われる通りに、アマデオは手先に神経を集中した。なめらかでしっとりとした白磁の肌に指を滑らせ、丁寧にマッサージをする。何か神聖なものに触れているような、それでいてひどく冒涜的な行為をしてしまっているような興奮が、アマデオを包んでいた。  
 指先で指先を愛撫するように丁寧に撫でさすり、じわじわと、どこか淫靡な手つきで腕の内側をさかのぼる。  
 二の腕の内側へ触れたとき、アマデオは、ベラがかすかに甘い吐息を漏らしたのに気づいた。  
「…………」  
「――どうしたのです。手が止まっていますよ」  
「は、はい。……その」  
 アマデオはやや躊躇いがちに、だがしっかりと視線を定めて、ベラの美貌を見つめた。  
「――見蕩れていました。とても……色っぽくて……。……綺麗、です」  
 何を言っているのか、とアマデオは口に出してすぐに後悔した。こんなことを今更、自分に言われても嬉しくはないだろう。ベラほどの秀麗な女性ならば、褒め言葉など今まで掃いて捨てるくらい言われてきているに違いない。それに、何という凡庸な修辞なのか。  
 自分の気の利かなさに、アマデオはほとんど罪悪感のような恥ずかしさを覚えた。  
「そうですか」  
「はい。すみません……」  
 顔をうつむけ、ベラの身体を洗う作業に没頭しようとする。  
「ありがとう、アマデオ」  
 驚いて、ハッとアマデオは眼を上げた。  
 その拍子に、ベラの手が胸元へ湯をかけるのを直視してしまう。  
 暖められて桃色に上気した豊かなふくらみは、背徳的なほどに淫らで、流麗かつ優美なカーブを描いてアマデオの眼前に佇んでいた。まさに今ここでむしゃぶりつくことができてしまいそうなほどの無防備さだ。  
 ゴクッ、と自然に喉仏が動いた。  
 ベラがそれを見計らったように命じる。  
「……こちらへ来なさい」  
 アマデオは意識の核がぼうっと痺れたようになり、まるで魔法の香で操られたかのように、ベラに言われるがまま、湯の中へ身を沈めた。  
 
 ベラはアマデオを浴槽へ導き入れると、少年の身体を水面に浮かべるように仰向けに寝かせた。  
 胸板に細い指を滑らせ、肋骨の形や、腹筋の割れ目、腰骨の位置を確かめるように巧みになぞっていく。アマデオは怖れるように目を閉じていたが、ベラにいたぶるように乳首を抓られると、ピクン、と小さく身体を跳ねさせた。  
「まだ筋肉が出来上がっていませんね」  
 ベラは愛用の細剣の手入れでもしているかのような声音で、静かに検分するようにアマデオの肉体を愛撫した。薫りのよい湯をすりこむように丁寧に洗い、もみほぐし、性感帯を詳しく探るように触れていく。  
「……ッ、……く……、はぁ……」  
 アマデオはその指先の動作の一つ一つに翻弄された。抵抗することなど考えもできず、為されるがままに反応し、思わず声が漏れそうになるのを堪えるのが精一杯だった。  
 ベラの指先が触れるごとに、頭の芯が溶けていくような感覚に襲われる。アマデオの吐息が荒くなり、だんだんと切なげな甘さを帯びてくる。だがベラは、冷たく澄んだ表情のまま、事務的とも言える手つきでアマデオの身体を弄び続けるのだった。  
「……はぁ……、はぁ……、はぁ……」  
 まるで、自分がベラのための玩具か慰み道具でもなったようだった。いや、そもそも今夜の自分は、ベラの手で弄ばれる玩具でしかないのだ。  
 今夜のこれは、アマデオの意思ではなく、ベラの意思ですらない。すべては任務のためなのだ。自分はただ、都合がいいからという理由でここにいて、この人とこんなことをしているのに過ぎない。  
(――でも……でも、本当にそうなんだろうか……?)  
 なぜ、主任は自分を選んで連れてきたんだろうか、とアマデオは再び考えた。だが、その思考はベラの与える快楽の渦の中に取り込まれ、溶けて流されていった。  
「ここも、洗わなくてはいけません」  
 ベラの手が、アマデオの男のそれを握った。  
「――ッ!」  
 局部に走る甘い痛みのような快感に、アマデオは思わずビクッと腰を浮かせる。  
「じっとしていなさい」  
 ベラの命令が麻痺<パラライズ>の呪文のようにアマデオを縛りつけた。  
 ゆるゆると、誘うようにベラの手が上下する。  
 アマデオの男の先端はすでに先走りの汁が滲み出ていた。ベラはそれを指でのばすようにして全体に塗りつけ、くちゅくちゅと扱きたてる。  
(うああ、ああ――)  
 自ずから上擦った声がアマデオの喉から漏れる。ベラはあまりに巧みだった。その細くしなやかな指は、それをもって人の命を奪うのと同じぐらい、たやすく男を感じさせることができるのだ。  
 ベラは、やさしく、やわらかく、そして淫靡に、ねとつく指を男根のくびれに絡ませ、さらには、その可憐な唇を――  
(……う、嘘だ……。主任の、ああ、主任が……)  
 亀頭の全体が暖かい肉に包まれる。いまだかつて体験したことのない甘美な感覚がアマデオの脳髄を貫いた。  
 その、なんという快楽か。  
(暖かい……ああ……主任の口が……ぬるぬるとして……暖かくて……)  
 娼婦たちが口唇を用いて為す、途方もなく淫靡な技巧があると、アマデオも聞き知ってはいた。とはいえ、同僚の世慣れた警備兵が酒の席で自慢げに言っていたのを小耳に挟んだだけだ。  
 まさかそれが自分の身に、それも敬愛するベラによって為されようとは、どうして想像できようか。  
 その同僚によれば、手練の娼婦たちはさらに怖ろしい、卑猥きわまりない行為すらするのだという。  
 それは、男の肛門へ――  
「――しゅ、主任!? や、やめてください!」  
 ベラの指が、アマデオの尻の穴へ侵入しようとしていた。アマデオは思わず、きゅっと肛門を締めて拒絶する。  
 ベラは静かに口からアマデオの男根を外し、閉じていた瞳を開けた。しこしこと手でしごきたてつつ、まるで普段と変わらぬ口調で言う。  
「やめる? なぜですか」  
「そ、それは……」  
 アマデオはベラの目を避けるようにうつむいた。  
「は、恥ずかしくて……こんなこと……」  
「あなたには刺激が強すぎたかもしれませんね」  
 ベラはその翡翠色の瞳を細め、軽くため息をついた。アマデオは羞恥と絶望からカッと頬を染めた。  
「しゅ、主任は――」  
「何か?」  
(――主任は、他の男ともこんなことをしたのですか……?)  
 だがそれは、アマデオには決して許されない質問だった。自分はベラにとっては単なる一部下に過ぎないのだ。そもそもアマデオは、そんな質問をできるほど厚顔でも、また答えを知る勇気もなかった。  
「……いえ、なんでもありません」  
 再びうつむいたアマデオには、ベラの瞳は見えてはいなかった。無論、そこに何らかの感情が浮かんでいたのかどうかも。  
 
 アマデオの体を清めると、ベラは湯から上がり、柔らかい布地で汗を拭う。  
 ほわほわと湯気の上がるうなじからは、匂い立つような色気が発散され、アマデオの男の感情を否が応にも刺激した。しどけなく曝け出された白い乳や腰のくびれは、アマデオを挑発しているかのようでさえあった。  
(主任は……もしかして、僕に……)  
 愚かしい考えだと、自分でも思える。  
 だが、燃え立つように火照る股間と湯だった頭、そして幻想的な庭園の舞台装置とは、その愚考を一面の真実かと思わせるに十分でもあったのだ。  
 こんな夜があるだろうか……。アマデオは思った。  
 たとえ任務だとはいえ、一部下に過ぎないアマデオを娼館に連れ込むなど、普通ではない。いいや、そもそもこれが任務などということがありえるのだろうか? あるいはベラは、自分の女としての欲望を密かに満たすためにそのような方便を用いたのでは。  
 ――女って奴は、言い訳を欲しがるものさ……。  
 いつか聞いたことのある同僚の台詞が頭をよぎる。それが真実だとしたら、ベラは、つまり……。  
(主任も……一人の女だ……。そして、僕は一人の男なんだ!)  
 その思いが、アマデオを突発的な行動に走らせた。  
「――主任っ!」  
「アマデオ……?」  
 アマデオはザバッと湯から飛び出すと、その美しくくびれた腰をぐっと抱き寄せた。  
 金細工の髪がふわりとひろがり、甘い匂いがアマデオの鼻腔いっぱいに吸い込まれる。腕の中に感じるベラの肉体は、思っていたよりも遥かに華奢で、少女のように軽かった。  
 ベラの可憐な唇が、月下草がほころぶようにわずかに開けられている。  
 アマデオの口もとは、だが、その寸前でぴたりと止まっていた。  
「……口づけを許した覚えはありませんよ」  
 喉仏に、尖った感触が当てられていたからであった。ベラを腕に抱えたまま、アマデオは身動きすらできなかった。  
 それは、ベラの髪を飾っていた櫛である。  
 瞬時に閃いたその鋭い針のような先端が、アマデオの命を握っていた。  
「す、すみません……暴走しました」  
「――今回だけ、見逃します。次はありません」  
 ベラは低い声で囁き、針をはずした。  
 そして冷たく凍りついた翡翠の瞳でアマデオを見上げると、するりと細腕を首に絡めてきた。まるで恋人にするような親しげな仕草でアマデオの頭を抱き寄せ、そっと耳たぶを噛む。  
「動かないでいなさい」  
 アマデオは混乱しながらも、ぞくりと背を震わせて唾を飲んだ。  
 ベラの手が肌をくすぐるように動き、アマデオの利き手を取る。それをベラは慎重に、自分の乳の前まで持ち上げていった。指を絡めるように小指をつかむ。  
 その妙に生々しい仕草に、アマデオの心臓は鼓動を早めた。  
 次の瞬間、ベラはアマデオの小指を逆手に曲げ、関節を極める。  
「う、ツッ……」  
 ベラはアマデオの両手首を後ろに回し、ガウンの腰紐を使ってみごとな手際で縛った。  
「あ、あの……、主任、これは?」  
「先ほどのような悪戯をされると困るのです」  
「え……? うわっ」  
 肩を押され、足を払われる。それだけでアマデオは体勢が崩れ、寝台に仰向けに倒れこんだ。  
 恐るべき柔らかさを持つ寝台はアマデオの背を音もなく受け止める。  
「――! しゅ、主任? え、ええっと」  
「何を慌てているのです」  
 暗闇を忍び歩く豹に似た動作で、ベラは寝台を密かに這う。  
 ぼんやりとした灯りが女の裸体を縁どり、アマデオの上にしなだれるように影を落とした。  
 アマデオの裸の胸をひんやりとした指先が触れ、頬を、髪を撫で回し、さらに肌をすり合わせるように胸の双丘を押し付けてくる。しなやかなふとももの柔肉が両側からアマデオの脚を挟み、淫らな感触でアマデオを絡め取る。  
 ベラの舌先がアマデオの首筋を舐め、鎖骨を、わき腹を蹂躙するように愛撫した。  
(…………っ、動け、ない……)  
 アマデオは全身が脱力するような快感に襲われ、震える息を呑んだ。  
 ベラが大きく脚を開いてアマデオの頭に跨る。小ぶりだが美しく引き締まった尻の形がはっきりとわかる。肉の薄い恥丘と、鮮紅色の陰唇。金色のたてがみのような陰毛がアマデオの鼻の頭をくすぐる。  
 酸っぱいような、濃い女の匂いがした。  
(これが……じょ、女性の……)  
 もしアマデオが後ろ手に縛られていなかったなら、矢も盾もたまらずにむしゃぶりついていたことだろう。  
 ベラはアマデオの髪にそっと手を添えると、言った。  
「どうするかは判りますね。……それとも、私に命令されたいのですか?」  
「……はい」  
「では、舐めなさい、アマデオ」  
 
 アマデオは命じられるままに、ベラの女の部分に舌を這わせた。塩気を含んだ痺れるような味が、アマデオの喉の奥へ落ちていく。  
 だが経験のないアマデオには、この先をどうしていいものかわからなかった。ただ本能のまま、ひたすら大きく舌を動かすだけだ。わけもわからず舌を差し込み、激しく音を立ててしゃぶりまわすと、ベラはピクリと尻を震わせた。  
「……っ、続けなさい」  
 夢中になって舌で探り回し、そしてどうやら、アマデオにもおぼろげにその形が見えてくる。  
 縦に走った襞の奥に、おそらくは膣の入り口があり、そのやや上に小さな豆のような突起があった。そこに触れると、ベラが微かに震えるのだ。  
(ここ……ここがきっと……)  
 アマデオは硬くしこった蕾を口で探り当て、息をするのも忘れて舐め啜った。女の穴の入り口から淫らな汁が零れ落ち、とめどなく口中へと飲み込まれていく。  
「…………っ、…………ぁ…………」  
 ベラが小さく息を吸って腰をくねらせる。アマデオの舌に自らこすりつけるように体を揺する。あぁ、と聞いたこともないような艶かしい声がベラの喉から漏れた。  
(主任が……感じてくれている……)  
 ほとんど忘我の境地に陥りながら、アマデオはベラの秘密の隧道へと舌を潜らせた。舌全体に淫液が絡みつき、ベラの、その部分を味わっているという背徳の感情が心を支配する。  
 頭に添えられたベラの両手が落ち着かなげにサワサワと動き、時折キュウ、と収縮する膣の入り口がアマデオの舌を押し戻す。  
「アマデオ……そんなにせっかちにするものではありません」  
「あ……す、すみません……!」  
 ベラが身をひねり、アマデオの股間に手をかけた。  
「ゆっくり……微弱な毒が回るように……密やかに進め……それから……」  
 その言葉どおり、ベラはアマデオの熱いものをそうっと握り、じわじわと体温で溶かすように扱き始めた。  
 アマデオもそのリズムを辿り、ねっとりと唾を含むように舐めていく。花芯を撫で回すように舌先で転がすと、ベラは微かに鼻にかかった呻きを飲み込んだ。  
 ベラの腰が浮き、反転する。  
 アマデオの突き出した舌に敏感な場所を直接乗せるようにし、じれったさを我慢するような動きで、尻をくねくねと前後させる。  
 そしてベラの繊細な両手指は、アマデオのものに寄生樹の根のように絡みつき、弄ぶようにやわやわと撫で回していた。  
 その男の先端からは、トロリとした汁がつうっと糸を引いて流れ落ちている。ベラはそれを掬い取り、亀頭へ撫で付け、滑りが足りないと見ると、そこへ唾を垂らした。  
「あっ……! うぅっ……」  
 ベラの唇から垂れ落ちた透明な液が、アマデオの粘膜を覆い、さらに輪を作った指がそれをまぶしつける。クチュクチュと湿った音を立てて扱くベラの巧みな指技に、アマデオは腰が抜けるような快感を味わっていた。  
「口がお留守ですよ、アマデオ」  
「は、はい……」  
 アマデオはもう我慢しきれず、犬のように理性を忘れてベラの秘裂をしゃぶり、啜った。今度はベラがそれに合わせ、激しくアマデオの男根を扱きたてる。  
「ああっ……主任、俺……俺は、もう……」  
「そうですか。では、逝きなさい」  
「ああ……う、ううぅっ……く!」  
 陰嚢の奥に快楽の塊が湧き上がり、それが管を伝って、先端で噴出した。  
 濃いドロドロの精液がビュルビュルと噴き上がり、ベラの美しい指を汚す。ベラはその様子を無言で見つめ、卑猥な汁に塗れた自らの指を確かめるようにクチュリと動かした。  
 燃えるような熱さで脈動するアマデオのそれは、いまだ烈しい硬さをもってそそり立っている。  
「はぁっ、……はぁっ、……はあっ」  
 大きく肩で息をつくアマデオに、ベラは静かに言った。  
「まだ頑張れますね、アマデオ?」  
 
「……はい……。張り詰めて、痛いくらいです」  
「それは見ればわかります」  
 ベラはなめらかに体勢を変えると、後ろ向きのまま、アマデオの腰の上に跨った。  
 優雅に脚を開き、白濁した精子に塗れたままの男根に添えるように膣口をあてがう。  
 金の髪を揺らして、ベラが振り向いた。  
「……いいですね、アマデオ?」  
「はい」  
 ベラは二度は聞かなかった。わずかに膝を曲げ、腰を落としていく。ベラの割れ目の肉が押し広げられ、万物がそう定められたように、自然に合一する。  
 あたたかくぬめるような感触が亀頭を包み、ジワジワと、やさしく奥へ導かれていく。  
 ベラの膣はたっぷりと潤いに富み、その非情さとは裏腹に慈しみに満ちていた。適度なぬめりけが密着感を増し、えもいわれぬような優美な快楽を伝えてくる。先端から根元までずっぽりと飲み込まれ、隙間もなく絡みついたその感覚は、まさに至福と言うほかはなかった。  
「……アマデオ……」  
 ベラが弓なりに反って、大きく甘い息をついた。  
「褒めてあげます。あなたの長所を一つ見つけました」  
 はぁぁぁあ、と艶かしく喘いだベラは、いまや別人のような濃厚な色気をまとっていた。  
 アマデオの両膝に手を置き、可憐な尻を突き出すようにして、ベラはグチュグチュと腰を振る。  
「ああっ、ああっ、ああっ! ああああっ!!」  
 いやらしく舌を垂らし、唇を舐め、汗の浮かんだ乳を自ら握りつぶして、激しくむさぼる。ひねるような動きでアマデオのものを愉しみ、奥へ突き当て、跳ねるようにズコズコと上下しながら締めつける。  
「ああ……、う、く、はぁっ……!!」  
 執拗で、容赦なく、貪欲な性が姿を現していた。  
 清廉な樹木の妖精であるはずのエルフの、しかしその姿態は、腥いほどに獣じみて淫猥であった。  
「はぁっ、ああ、あああ、ああああっ、……ん、んうっ、ああっ」  
 普段では考えられないような上擦った声を放って、ベラが尻を振る。細くたおやかな腰に太い杭が打ち付けられ、何の抵抗もなく奥まで埋め込まれる。そのたびにビクッ、ビクッ、とベラの細い肩が震えた。  
「しゅ、主任……もう……。気を……やって、しまいそうです……う、ううっ」  
「もう少し……。もう少しだけ頑張りなさい、アマデオ」  
 息を乱しながらも、ベラの声は冷たく澄んでいた。  
 ズニュリ――と陰部から軸を抜き、ベラはアマデオの上半身を起こす。手首の拘束を解き、自由にした。  
 そして自ら四つんばいになり、猫のような媚態で壁に両手をつく。  
 挑発的に尻を持ち上げ、背を反らし、膝をついて……ベラは局部を晒し、アマデオを誘惑した。  
「――来なさい」  
 現実感のない光景だった。アマデオは幻惑に囚われたようにぼうっとしながら、ベラの尻に手をついた。  
 ゴクッと、唾を飲む。  
 
 その時――男は壁の向こうにいた。  
 盗賊ギルドの幹部の一人である。男は、この館の主人だった。  
 この娼館に集まるすべての金、すべての人間、すべての情報を握り、支配する。それが男の役割であり、野望でもあった。そもそもこの遺跡を発見し、再利用することを考え付いたのはこの男であった。  
 男には偏執的な趣味があった。  
 ――覗き、である。  
 この国の有力者、貴族、お高く留まった金持ちの女どもの狂った性を眺めるのが、今では男の人生唯一の愉しみだった。  
 どんな高貴な女も、寝台の上ではあさましい欲望を曝け出す。それも清楚な女ほど、狂う。日常抑圧された女の性が、飢えたように男を求めて狂宴を繰り広げる。  
 男はそれを壁の覗き穴から凝視しながら、手淫する。それが、たまらぬ。  
 身の危険から隠棲し、もはや数年間も男は自らの庭園から出ていなかったが、この館にこもっている限り、覗きのネタには困らなかった。  
 この魔窟では、口にするのもおぞましい姦淫が絶えず繰り広げられてきたからだ。男はそれを間近に見て知っている。中には一生忘れられぬような衝撃をもたらした邪悪な行為もあった。  
 だが男の嗜好としては、誇り高く気の強い女が猿のように乱れるところをこっそりと覗くのが好きだった。  
 特にエルフの女はいい。  
 あいつらは普段はつんと澄まして虫も殺さぬような顔をしているが、いざ乱れるととことんまで堕ちる。エルフの男が淡白すぎるからか、エルフの女は人間の男に抱かれると、やみつきになるらしいのだ。  
 だから男は、エルフの客を泊める時には必ず隣室から覗くことにしていた。  
 あの<ロス・ペラス沈黙の紳士>会館の保安主任が訪れると聞いた時も、男は心躍る思いで隠し部屋にこもったのだ。  
 ――凛と澄んだ美貌の、あのエルフ。  
 あのお綺麗なエルフが痴態を晒すさまを、この目で見られる。  
 男はほくそえみながら時を待った。そして……。  
 
『しゅ、主任……もう……。気を……やって、しまいそうです……う、ううっ』  
『もう少し……。もう少しだけ頑張りなさい、アマデオ』  
 
 いまや、男は本懐を遂げんとしていた。  
 それにしても、なんという激しい欲望か。まるでダークエルフのような浅ましい交わり方だ。  
 男は薬漬けにして歯を抜かせた女奴隷の口にズボズボと男根を突き込みながら、息を呑んで成り行きを見守った。  
 エルフがこちらの壁に手をつき、男を誘うように尻を持ち上げるのが見えた。  
 ああ、透き通った肌に汗が珠のように浮かんでいる。美しい形の乳の谷間にテラテラと光る滴が垂れる。男はそれを舐め取ろうとするかのように舌を出し、覗き穴にこれでもかと目を近づけた。  
 エルフの女が背後からずんと貫かれ、蕩けるような甘い声でよがる。  
 すがりつくように壁にもたれかかった。  
 ほんのすぐ間近、そう、まさに壁がなければ息がかかるほどの距離で、エルフの女は交わっていた。なんという臨場感か。  
(こんな近くで、気づかずにやりまくりやがって)  
 男はこれ以上ないほどの興奮に包まれて、夢中で腰を振りながらエルフの顔を覗き込む。  
 瞬間。  
 ふと――その翡翠の瞳が、男を見つめ返したような気がした。  
 
 アマデオが見たのは、ベラが右拳をヒュンと振り、壁に叩きつけるところだった。  
 その手には、長い針に似た金属の櫛が逆手に握られていた。  
 櫛が壁に垂直に突き立ち、巧妙に隠された覗き穴を貫く。鋭利な先端が凶器となって、隠れていた男の眼窩を抉り、脳を破壊した。  
「な……!」  
 驚くアマデオの目前で、ブシュウと壁の穴から鮮血がほとばしり、ベラの艶やかな裸体を染める。  
 壁から吹き出す血を心地よい清水のように浴びながら、ベラは妖しく唇を舐めた。血と唾液と汗と淫水にまみれながらも、その姿は凄絶なまでに妖艶だった。  
 ベラは身体をひねり正面を向くと、アマデオの勃起した男根を迎え入れる。  
 悦楽の吐息をつきながら、アマデオの腰に脚を絡め、淫らに身をくねらせてきた。  
「……ぁあ……はぁあっ、……ああっ、あああっ」  
 アマデオは唐突に、自分の抱いている女が忌まわしい、呪われた生き物なのではないかという直感に襲われた。だが、それでいて魅惑されてたまらなかった。  
 たとえベラが男を惑わして喰らうと言われるスキュラだったとしても、精を吸い尽くされ干からびるまで奉仕させられてもかまわなかった。  
「はぁあ、ぁぁぁっ、アマ……デオ……、はぁ……あああん、んんんうぅっ」  
 ベラがアマデオの名を呼び、すがりつくように首に腕を絡めてきた。アマデオはベラの細い身体をひしと抱きしめ、思いのたけ腰を打ちつけた。  
「あ……うぅ……くっ! あ、ああ、ああっ! 逝きます、主任、逝かせてくださいっ」  
「……はぁぅっ、許します……っ、膣に射精しなさい、アマデオっ……」  
 弾む息のままに、アマデオはベラの膣内に精を放った。  
 どくどくとした脈動が長く続き、気を失いかける。  
 力尽きたアマデオは、がっくりと膝からベッドに倒れこんだ。  
 
 
 ベラはそれからしばらく、覆いかぶさったアマデオの体温を感じながら、じっとしていた。  
 その瞳には狂える獣欲の影はなく、穏やかさも、愛情もなかった。ただ謎めいた知性の輝きだけが暗闇の奥を見つめている。  
 ベラは白と赤のまだらに染まった乳房を指でなぞり、そっと、膣からアマデオの男根を引き抜いた。ドロリとした感触が尻にまで伝う。  
 アマデオは目を閉じていた。安らかな深い呼吸をしていたが、眠っているわけではないようだった。  
 ベラは起こすべきかと考えて、やはりやめた。仕事が終わった以上、速やかに現場を離れなければならないが、まだ休ませておいてもいいだろう。最悪、眠ったまま運び出しても問題はない。  
 ベラは静かに寝台から離れた。  
 灯りに歩み寄り、傘をはずして、蝋燭を吹き消す。辺りが真の闇に閉ざされる。  
 だがベラにとって、暗闇はなんの障害にもならない。なぜなら、闇の妖精族であるダークエルフには生来暗視の能力が備わっているからだ。  
 ベラは身体についた汚れを洗い落とすために、浴槽へ向かった。途中、寝台を横切る一瞬に足を止めて、アマデオの寝顔に視線を投げる。  
 ベラ、と呼ばれたような気がしたからだった。  
 だが気のせいだったようだ。ベラは歩み去った。その美貌には相変わらず、何の表情も浮かんではいなかった。  
 
 その日の会館のパーティには、エナンチェ男爵夫人が現れた。  
 名目上は貴婦人であるが、その正体は”百顔の”ラミアと呼ばれる盗賊ギルドの実力者である。警備主任であるベラとも顔見知りで、何かと因縁のある相手でもあった。  
「ねぇ、ベラ。そういえば、このあいだの”覗き男”の件ではお世話になったわね」  
 ラミアは優雅かつ妖艶な仕草で香草茶のカップを撫でながら、傍らに立つベラに言葉をかけた。さも、今思いついたんだけど、というような態度である。  
 ベラは鮮やかに一礼しつつ、感情のこもらない声で答えた。  
「あれはお互いの利益になる仕事でした」  
 覗き男――”野苺の庭園”の主人は、秘密を知りすぎていた。娼館の管理者としての立場を利用し、有力者の醜聞を集め、身に過ぎた権力を握ろうとしていたのだ。近年ではその情報力をかさにきて様々なごり押しをし、盗賊ギルドと貿易商ギルドの邪魔にさえなっていた。  
 出る杭は打たれる――それが世知辛い社会の理だ。あるいは器に合わない野望を持ったそのことが、男の早死にに繋がったとも言える。  
「あいつ、館に引きこもって全然表に姿を現さないじゃない? それで困ってたのよね」  
 身の危険を自ら理解していたあの男は、この数年というものずっと館の隠し部屋で生活していた。人前に出られないような面になっちゃったのかしら、とラミアが冷笑していたものだ。  
「よくやってくれたわね、ベラ。恩に着るわ」  
 空白地帯となった”野苺の庭園”は、ギルドの幹部同士の牽制の結果、ラミアの勢力圏に組み入れられることとなった。そういう意味では、ラミアはひとり旨い汁を吸ったことになる。  
「ラミア様の情報があればこそです」  
 直立不動のまま受け答えするベラを、ラミアは卓の上に肘をついて悪戯げに眺めた。  
 豪華な扇を、ひそひそ話をするように口もとに寄せて囁く。  
「……で? どうだったの、あの坊やの味は」  
「何のことでございましょうか」  
「あら、貴女らしくもないとぼけ方ね」  
 ラミアはチラリと流し目をして、一人の警備兵を視線に捉えた。  
 収まりの悪い黒髪の、その少年の名は、アマデオと言う。  
 どういう訳かララサベル公爵の愛娘に気に入られ、今も噴水のそばで話をせがまれていた。  
「あらあら、エビータったらしょうがないわね」  
 エビータ――黄金樹に咲く宝花と綽名される大貴族の娘は、来訪のたびに無垢な笑顔を振りまいてアマデオを困惑させている。  
「そんなにいい男かしら……まぁ、顔はそれなりだと思うけどね」  
 ラミアは香草茶のふくよかな薫りを楽しみながら、淑やかな苦笑を浮かべた。  
「ねぇ、ベラ……よかったら今度、私にも味見させてくれない?」  
「――ご所望とあらば」  
 ベラの答えに、ラミアはケラケラと高笑いした。  
「対価が高そうだからやめておくわ。さてと――庭園の後片付けもまだ残っているのよね。名残惜しいけれど、今夜はこれでお暇させていただくわ」  
 ラミアは立ち上がって淑女の礼をすると、深紅のドレスの裾を颯爽と翻した。  
 ベラの横をすれ違う時、含み笑いとともに言い残す。  
「……エビータには内緒にしておいてあげるわ」  
 そして、体重を感じさせない滑らかな足取りで歩み去った。  
 ベラはその背中を無言で見送る。  
 それからひとしきり会場を巡回した後、庭で話し込むエビータと部下の様子を、そっと振り返った。……が、無論、その視線にはどんな意味も込められてはいなかった。  
 警備兵と姫の談笑が風に乗って聞こえてくる。  
 凍りついたように冴え冴えとした月が、美しい庭を照らしていた。  
 
 
 
野苺の庭園 ―了―  
 

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