<封印157日目>  
 
 
 ――もはや、日数は数えていない。  
 百日を超えた時点で、数えることを放棄してしまった。  
 五十日を超えたあたりから、気付いていたのだ。  
 もはや――救出が来ることは無い、と。  
 この生命が尽きるまで、二度と太陽の光を見ることは、叶わない。  
 
 
 ――――だけど、二人は、不幸では無かった。  
 
 
 
 
 
「あいたたたたたっ」  
「え、どうした!?」  
「ああ、ごめん、何でもないの。いきなり蹴ってきたから……」  
 
 突然呻いたクロノアにジークは驚いて駆け寄るが、エルフの熟女は軽く微笑んで首を振る。  
 一糸纏わぬ姿のクロノア、そのお腹は――細い手足とはアンバランスに、ぽっこりと膨らんでいた。  
 誰が見てもすぐに分かる、その姿。  
 
 
 クロノアは、妊娠していた。  
 
 
「もう、そんなに動くのか?」  
「やっぱりジークの子ねえ。元気が有り余ってるって感じだわ」  
 
 自らの膨らんだ腹部を摩り、クロノアは慈愛の笑顔を浮かべる。  
 その姿は、まさしく母親のものだった。  
 
 
 ――焦燥感は、限界まで達していた。  
 一日が終わるごとに、諦観の念と絶望が、どんどん広がっていく。  
 もう、青い空を拝むことは出来ないのだろうか。  
 二人は気が狂いそうになる現実から逃れるかのように、よりセックスへと没頭していった。  
 迷宮探索はもはや形骸化し、例えその途中でも、場所を選ばずに肌を重ねた。  
 考えられるような体位は全て試したし、アナルセックスもやってみた。  
 肛門とはいえクロノアの『初めて』を手に入れ、ジークは嬉しそうだった。  
 
 そんなある日、クロノアが吐き気を覚えるようになった。  
 まさかつわりか、と半信半疑のまま、更に日数が経過するのを待ち……  
 そしてクロノアのお腹の膨らみが目視で確認出来るようになると、ようやく確信に至った。  
 カイン・ガラの遺跡にずっと潜っており、ルーフェリアからの要請でアイヤールに向かい、  
 それから蛮族の進行などでゴタゴタした日々を送っていたクロノアは、ここ数カ月カームと一切の性行為をしていない。  
 だから、ハッキリと言えることがあった。  
 
 
 お腹の赤ん坊は、確実にジークとの子供だと。  
 
 
「名前とか、どうしようかなー」  
「まだ気が早いわよ。男か女かも分からないのに」  
 
 二人は新しい命が宿ったことを喜んだ。  
 そしてそれは、閉塞感から頭がおかしくなりかけ、ただ快楽だけを求める性獣のように成り下がりかけていた、  
 人間としての精神を取り戻す結果にもなった。  
 徐々に大きくなっていくお腹。  
 その成長を楽しみ、毎日話しかけ、どのような子に育つのだろうかと想像しては一喜一憂する。  
 幸せに満ちたその光景は、まるで――  
 
「……けじめを、つけなくちゃいけないな」  
「え?」  
 
 ジークがぼそりと呟いた言葉に、クロノアが顔を上げる。  
 その両肩を掴み、いつにも無く真剣な顔付きで、ほんの少しだけ逡巡した後、口を開いた。  
 
「クロノア」  
「何よ、真面目な顔して」  
「…………俺と、」  
 
 一旦言葉を切り、そしてはっきりと告げる。  
 
「俺と、結婚してほしい」  
 
 時間が、止まった気がした。  
 目を見開き、真っ赤な顔で驚いた表情のクロノアと、同じく真っ赤な顔でじっとしているジーク。  
 微動だにしないまま、ただ視線だけが交差していた。  
 
「は――」  
 
 ややあって、クロノアがようやく声を搾り出す。  
 
「何、言ってるの。私……カームと、結婚してるのよ」  
「知ってる。だから、離婚してほしい」  
「はぁ!?」  
 
 あっけらかんと言い放つジークに、クロノアは顎を落とす。  
 
「言いたくは無いけど……俺たちはもう、この迷宮から出られないと思う」  
「……それは…………百日を過ぎた時点で、諦めは付いてたけど……」  
「そして、もうすぐ赤ん坊が生まれる。俺とクロノアは――クロノアは元々だけど、俺は父親になって、この迷宮が赤ん坊の家になる」  
 
 だから、と続け、  
 
「覚悟……って言うのか? 酷い言い草だってのは分かってるけど……もう、ここと外は違うんだって、決別しなくちゃ」  
「だから……結婚?」  
「すぐに、とは言わないけど……親しかった友人、両親や近所の人々、ソラやエア、それに……カームさんとかのことも。  
 どんなに会いたくても、もう二度と会えないわけだから……」  
 
 話しているジークの顔が、段々と辛いものに変わっていく。  
 冒険者としての仲間たち、リオスの友人や弟……彼にも、想いを断たねばならない存在はたくさんいる。  
 
「そして、生まれてくる子供と、新しい生活が始まるんだ。  
 そのための第一歩として……クロノア、俺と結婚して、家族になってほしい」  
「………………」  
 
 クロノアは、夫のことを考える。  
 冴えない男だった。  
 だけど、愛していた。  
 様々な思い出を作ってきた。  
 二人の子供にも恵まれ、ささやかな幸せがそこにあった。  
 
 愛が冷めたわけではない。  
 だけど、この想いを捨てなければならない。  
 例え向こうがこちらの事情を知らず、ずっと想い続けてくれていたとしても。  
 それはとても、辛いことだった。  
 
 
 だけど。  
 
 
「ねぇ、ジーク」  
「ん?」  
「私のこと、愛してる?」  
「ああ」  
「それは、私を? それとも……身体を?」  
「…………前は、身体だけ。今は、クロノアの全部を愛してるぞ」  
「そう…………」  
 
 
 今はもう。  
 
 
「私も、最初はジークのペニスだけ。今は……」  
 
 
 カームよりも、ジークのことを強く想ってしまっているから。  
 
 
「ジークのこと、愛してる」  
「それじゃ……!」  
「そのプロポーズ、お受けします」  
 
 言って、クロノアは頬を朱色に染めながら、にこりと微笑んだ。  
 
 
 
 
 
「えーと……手順とか、よく分からないけど……」  
「適当でいいわよ。堅苦しいのは嫌いだし」  
 
 数時間後、準備を終えた二人は結婚式に臨んでいた。  
 タキシードもドレスも無く、それどころか二人は一切服を纏っていない。  
 もうボロボロで着れたものではないというのもあるが、クロノアの場合はお腹が大きくなったために、  
 いつものローブは着たくても着れないという事情もあった。  
 幸い、迷宮の気温はなかなか快適であり、風邪を引く心配もない。  
 
「ん、じゃあ……」  
 
 ごほん、と一つ咳払いをし、ジークは宣誓の言葉を告げる。  
 
「俺、ジークハルト・デーニッツはクロノアを妻に迎え、生涯愛することを……誓います」  
「私、クロノアは夫であるカームと離縁し、ジークハルトを新しい夫として迎え、生涯愛することを……誓います」  
 
 蔓を編んで輪っかの形にしただけの指輪を取り出し、交換する。  
 クロノアが元々していた指輪は、先刻湖に投げ捨ててしまった。  
 それは、完全な決別の証。  
 例え罪と言われようと、何も知らぬ家族を傷付けることになろうと、全てを捨ててジークと新しい人生を歩もうという決意。  
 
「な……なんか、照れるな」  
「そう?」  
「だって俺、女にプロポーズしたのだって初めてなのに、結婚式とか……」  
「ふふ。幸せにしてくれるんでしょう?」  
「も、勿論だ」  
 
 誓いのキス。  
 こうしてジークとクロノアは、晴れて夫婦となった。  
 
「えっと、次は……初夜?」  
「もうこれだけお腹が目立ってるのに、初夜も何もあったもんじゃないわよねえ」  
 
 祝いの言葉をかけてくれる人がいなければ、スピーチしなければいけない相手もいない。  
 様々なプログラムをすっ飛ばした結果、最後に残ったのは結局セックスだった。  
 
「じゃあ……壁に手をついてくれ」  
「ん……」  
 
 母体に負担をかけないよう、膨らんだお腹を圧迫しない体制で挿入する。  
 ぬるりと受け入れた蜜壺は、子供を妊娠してなお狭く、ジークの巨根を圧迫した。  
 
「あっ、んっ」  
 
 いつもの激しいセックスとは違う、相手を気遣い緩やかなピストン。  
 この労りの心が、男から父親に変わろうとする意識の変遷なんだろうか。  
 多分、違う。  
 
「なぁ、クロノア」  
「んんっ、なに?」  
「俺、幸せにするから。こうなりたくてこうなった関係じゃないかもしれないけど……  
 でも俺、クロノアと結婚出来て、幸せだと思ってるから。だからクロノアのこと、幸せにしたい」  
「ジーク……」  
 
 クロノアの膣口がきゅっと締まる。  
 
「うっ!?」  
「言ったわね。私の夫になったからには、本当に幸せにしてくれないと嫌よ?」  
「や、約束するさ。そうじゃなきゃ、結婚なんて申し込まないよ」  
「ふふっ……じゃあ、幸せにならないとね。生まれてくる、この子のためにも」  
「この子だけじゃないぞ。もっともっと、クロノアさんには俺の子供を産んで欲しい」  
「あんっ、何人くらい?」  
「何人でも!」  
 
 迷宮での生活は、これからも続く。  
 子供が生まれ、育ち……そこから先の未来に、展望があるかどうかは分からない。  
 広い世界を知ることなく、一生を狭い迷宮の中で過ごす子供たちのことを思うと、胸が痛む。  
 だが、それでも。  
 愛する人と一緒になり、暮らしていけることは最底辺の人生ではないのだろう。  
 
「出産したら、また子作りするぞ!」  
「いいわよ、何回でも種付けしてぇっ」  
 
 新しい日々の幕開けは、今始まろうとしていた。  
 
 
 

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