『夢見る王女』  
 
1.真夜中の来訪者  
 
 アイヤールの離れた地に、一人の王女が住んでいた。  
 別に嫌われていたからではなく、愛されているが故にその地が選ばれた。  
 しかし、幼い頃の彼女はそう考えられなかった。  
 母親に捨てられたと思っていたからである。  
 
 それは彼女がまだ5歳になったばかりのこと。  
 アイヤール王族の慣わしに従い、王宮−母親の下−から離れて暮らすことになった。  
 母親は生まれながらに身体が弱かった彼女に甘かった。  
 その影響もあって、母親と引き離された彼女は余計に辛さを感じてしまったのだ。  
 
 寂しさで食が細り、元から身体の丈夫ではなかった彼女は、やがてベッドから起き上がることも少なくなっていった。  
 付き人がそんな彼女を心配してライフォスの神官を手配し、毎日来るようになって数日後。  
 
 こん、こん。  
 
 夜中に窓を叩く音がした。  
 彼女は最初、風の音かと思ったけれど、窓は一定の調子で叩かれている。  
 気になってカーテンを開けるとそこには見知らぬ男がいた。  
 
「こんばんは」  
 それは場違いな挨拶であることすら気にさせないほどの、あまりにも穏やかな声だった。  
「窓を開けて貰えないかな?」  
 普通なら怯えたり、叫んだり、人を呼んだりするところだろう。  
 だけど、彼女は気づいた時には窓の鍵を開けていた。  
 それは冷静な判断ではなく、母親から継いだ血が何かを感じ取り、そうさせたのかもしれない。  
 …占い師の血が。  
「ありがとう、ミスティン」  
 そう言うと男は音も無く部屋の中に降り立った。  
 騎士とは違う全身を覆わない鎧を身に着け腰に剣を下げたその姿は、物語の中に出てくる勇者のようだった。  
 男は彼女――ミスティン――に小さなペンダントを手渡して言った。  
「『思いは直ぐ傍に』、と言ってごらん」  
 まだ幼いミスティンには男の意図は分からなかったが、男の優しい声に絆されるように、素直に、そして小さな声で呟く様に言った。  
「…?」  
 男は黙っている。  
 ミスティンには訳が分からなかった。  
 だから今度は自分から言葉を発した。  
「言ったよ。何があるの?」  
 こくっ。  
 どこかから息を飲む音が聞こえた。  
「…ミスティン!」  
 続いて女性の声が聞こえてきた。  
 と同時にミスティンも叫んでいた。  
「お母さん!」  
 
 男は母親の幼馴染だった。  
 持って来たペンダントは対になっている物の持ち主と会話できる魔法のアイテムだったのだ。  
 
 男は一月ほど前、故郷からの手紙を彼女の母親に届ける為、アイヤールの王宮に行った。  
 その時、幼馴染の悲しみに満ちた顔を見てしまった。  
 自分が甘やかしたせいで娘が余計辛い想いをしていること。  
 娘が病弱なままで心配であること。  
 見捨てられたと思っているのでは無いかということ。  
 
 男は直ぐに動いた。  
 身軽な冒険者故の即決。  
 遠く離れていても会話のできるペンダント。  
 それを入手して母親に渡し、その足でミスティンに会いに来たのだ。  
 
 この日を境に、ミスティンは元気になっていった。  
 人並みとまではいかないが、それでも、普通の生活を送れるようにまで回復した。  
 それは勿論、毎日少しだけど母親と会話できるようになったお陰であった。  
 
 その後も何度か、男は屋敷に侵入しては母親からの贈り物をミスティンに手渡した。  
 また、ミスティンからの手紙やおぼろげな記憶の似顔絵などを母親に送ったこともある。  
 
 しかしその内、男が来なくなる。  
 母親は何か知っているようだったが誤魔化してばかりだった。  
 
 
2.傍にいる幸せ  
 
 そんなある日。  
 ミスティンにお客が来た。  
 彼女には身に覚えが無かった。  
 病弱な彼女にとっての世界は、王宮の一部と今の屋敷だけ。  
 王宮の知り合いと言っても母親と父王、世話をしていたメイドくらいであり、この地に来れるはずが無い。  
 
 不思議に思う彼女の部屋に入ってきたのはメイドと、大人の男女だった。  
 男は母親の幼馴染。  
 女の方は初めて見る。  
 異国の派手な衣装を身に着けている。  
 
 男が正面から部屋に来たのは初めてだった。  
 男が礼を言うと、案内してきたメイドは外に出て戸を締めた。  
 すると女の姿が崩れだし、あっと言う間に一番会いたい人の姿が現れる。  
「お母さん!」  
 ミスティンは駆け出した。  
 見た目の容姿を変える首飾りを外した母親は、両手を広げてミスティンを抱きしめた。  
 
 親子の数ヶ月ぶりの再会の後も彼女は驚かされた。  
 母親が男と駆け落ちしたと言うのだ。  
 母親とミスティンの仲を取り持つ内に、昔の想いが再燃し、男は彼女を王宮から連れ出したのだ。  
 幼いミスティンには何が何だかよく分からなかったけれど、とにかく嬉しかった。  
 身体の弱い自分ではもう母親とは会えないかも知れないと思っていたのだ。  
 男はミスティンも連れ出そうと考えたが、母親が止めた。  
 母親と違い、身体が弱く幼い彼女を連れての長旅は危険だった。  
 だから彼らは代わりに、時々会いに来ることを約束した。  
 幼いミスティンは母親に会えるだけで嬉しかった。  
 
 
3.新しい命  
 
 今度は母親が会いに来なくなった。  
 理由を尋ねると、義父は笑って秘密だと答えた。  
 少し寂しかったけれど我慢できた。  
 母親が自分と義父を捨てるはずが無いと分かっていたし、ペンダントでの会話はできたから。  
 
 そして月日は流れ。  
 義父と母親が弟を連れて来た。  
 母親の腕の中で眠る弟は、幼く脆弱な自分では抱き上げられなかったが、その頭を、その頬を撫でると嬉しそうに微笑んだ。  
 暖かい気持ちに包まれる。  
 
 弟が二人に増えた。  
 流石に幼い子供二人を連れてくることは難しいらしく、最近は全然会えない。  
 ペンダントでの会話があるので元気なのは分かっていたけれど、少し寂しい。  
 そんな気持ちを察したのか、義父が上の弟を連れて来た。  
 一緒に遊ぶ。  
 甘えられるのが心地良い。  
 お姉さんらしいことを何かしてあげたいと思う。  
 
 更に数年。  
 義父が遺跡の探索中にペンダントを壊した。  
 冗談ぽく怒ってみせたが、大きくなり我慢を覚えた自分にはもう必要なかった。  
 その遺跡からはルーンフォークの工場が見つかった。  
 英雄とその番を模したルーンフォークを弟達に贈る。  
 これを見た時、どんな顔をするだろうかと考えると頬が緩む。  
 
 義父が商売を始めた。  
 忙しくなり、どんどん会う機会が減った。  
 それでも義父は商用の旅の途中で会いに来た。  
 たまに連れて来るのは上の弟の方が多かった。  
 下の弟は外で遊ぶより家で本を読む方が楽しいらしく、母と留守番をすることが多い。  
 
 
4.夢  
 
 ある日、怖い夢を見る。  
 内容は思い出せない。  
 胸が苦しい。  
 苦しいのに何も無い、空虚さ。  
 数週間後、胸を締め付ける得も知れぬ感覚の正体が分かった。  
 義父と母が亡くなったのだ。  
 
 ――それが初めての予知夢だった。  
 
 泣いた。  
 泣いた。  
 泣いた。  
 幼い頃母と引き離された時よりもずっと泣いた。  
 もう会えないのだ。  
 死者を生き返らせる術はあるが、自分の知っている彼らはそれを望まないことを知っていた。  
 それ以来、家族との繋がりは途切れた。  
 
 
5.再会である出会い  
 
 成人。  
 予知が評価され、彼女は王位継承者として認められたのだ。  
 本来、認められた王族は王宮に戻るのが常であったが、彼女は戻らなかった。  
 義父と母親と弟達との思い出のある場所を離れたくはなかった。  
 父王も、姉も、身体の弱い彼女を静養に向いたその地から引き離そうとはせず、特例を認めた。  
 
 弟達のことが気にかかった彼女は、時折、彼らのいる地へ遣いを出して様子を確認していた。  
 彼らは祖父母と叔母――母の妹――の世話になって普通に過ごしていた。  
 寂しくはあったが、元気そうで安心した。  
 
 数年後。  
 大人になりきれていない少年が栗毛の少女を剣にかけている夢を見た。  
 その意味は分からなかったが、少年が誰なのかだけは分かっていた。  
 幼い頃から何度も夢に見てきたのだから。  
 
 メイドがその名を告げた時、突然のことに驚くと同時に、やっと来たのかとも思った。  
 上の弟が、義父と同じ冒険者として自分の元に来たのだ。  
 部屋へ通すように指示をする。  
 すると間もなく、扉が開いて少年と数人の男女が入って来た。  
 しかし、彼女の目には一人しか映らなかった。  
 少年の姿を見た瞬間、彼女は雷で撃たれたかのような感覚に襲われたのだ。  
 
 弟は名乗った。  
 『ジークハルト』と。  
 
 知っていた。  
 幼い日に見た姿と、夢の中で成長を続けていた少年を見間違うはずが無かった。  
 大きく早鐘を打つ心臓が収まらない。  
 けれど表向きは平静を装う。  
 訪問の理由を考えると、彼は自分を覚えていない。  
 ましてや親類以外がいる状況で容易くそれを口にするわけにもいかない。  
 だから一人の王女として接することにした。  
 改めて見ると、弟の他にも見覚えのある姿が二つある。  
 片方は義妹のホーリィ。  
 時々会っている甘えん坊の妹。  
 王族としての教育で固い雰囲気だった為、以前はもう少し子供らしく遊んでいられればと思ったものだが、今は少し柔らかく感じる。  
 彼女は姉の弟――彼女の義兄の存在を知らない。  
 もう一人は自分が弟達に贈ったルーンフォークの片割れだ。  
 他には見覚えの無い聖印を付けたエルフ、そのエルフに似たナイトメア、派手な紫のリルドラケンがいる。  
 
 
6.想いはそこに  
 
 彼らが帰った後、ミスティンはベッドに仰向けに倒れた。  
 疲れたのではない。  
 大きな枕を抱き締める。  
 先ほどはさも何気ない様に振舞ったが、本当は妹だけではなく弟も抱き締めたかった。  
 枕はその代わりだ。  
 抱き締められなかったのは彼が覚えていなかったからではない。  
「…あれって、どういう意味なのかしら?」  
 弟の、ジークの言葉を思い出す。  
 胸がきゅっと締め付けられる。  
 彼が自分を覚えていないのは間違いない。  
 でも、その何気ない言葉が頭の中で繰り返される。  
「…好き?」  
 その言葉を口にした途端、身体に電流が走った。  
 服の上から、早鐘を打つ心臓と疼く足の付け根に手を重ねる。  
 よく分からない。  
 手で必死に抑えるが収まらない。  
 心臓を左胸ごと押さえた右手を、肩を強く竦めて更に押し付ける。  
 股間に当てた左手を、両の太腿で挟み込んで固定する。  
 そういう経験の無い彼女にとって、それ以上のことはできなかった。  
 けれど手の内は熱を持ち、悶える度に胸は強く押し潰されて形を変え、股間からは汗とは違う何かが零れていく。  
 やがて、不器用な愛撫で達しきるより先に体力が限界を迎え、身体から力が抜ける。  
 冷めていく熱と達し切れないもどかしさを感じながら自分の気持ちに気付く。  
「私達、姉弟なのに…」  
 背徳感が背筋を登ってくるが、身体が弱く、それ故に落ち着くことに慣れていた彼女は、自分の中から冷静な回答を見つけ出した。  
「…ううん。王族にとって近親婚はよくあること。それほど問題ではないわ」  
 民間ではあまり無く、地方によっては禁忌とされることもある。  
 しかし王族は違う。  
 王族の血を維持する為や政略結婚の中で血の近い者同士が結ばれることは珍しくない。  
「それより…」  
 ライバルが多い。  
 今日弟と一緒に来た女性はそれぞれに魅力的で、二人とも弟に気があるようだった。  
 片方は堂々と、もう片方は誤魔化しているつもりのようだったが誰の目にも明らかだ。  
 それに…  
 弟は夢に出てきた可愛らしい栗毛の少女に気があるように見えた。  
「…ライバルは多いけど……本気になっても良いわよね?」  
 そう呟くとミスティンは胸元で右手をぎゅっと握り締めた。  
 ジークが気付くまで自分からは姉だと教えてあげない。  
 それが最後の一線。  
 それを越えた時、私はもう迷わない。  
 彼がどう思おうと構わない。  
 自分の胸の内を伝えよう。  
「今日は疲れてしまいました…」  
 彼女はそのままそっと目蓋を閉じて深い眠りに落ちた。  
 予知夢ではない、彼との甘い夢に恋焦がれながら…  
 
to be continued for 夢ではない夢の先へ  
 
 

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