「マウナさーん! おはよございまーすっ!!」  
 ゴスッ!!  
 勢い良く扉を開き、『青い小鳩亭』に飛び込んできたエキューの後頭部に、その背後か  
ら飛んできたクラブが命中した。  
 シャツに麻のズボン、ソフトレザー・アーマーに、その上からロング・コートと揃いの  
長帽子、その背中には愛用のロング・スピアの他にライト・メイスを背負うという、彼に  
しては何処か着慣れない様相のエキューは、そのまま顔面から、『青い小鳩亭』の床に落  
下した。  
 後から続くようにして、長身に、ストレートの長髪を持つ女性が入ってくる。その衣装  
はエキューのものと全く同じ意匠だった。やはりライト・メイスを背負い、他にブロード  
ソードを帯刀している。  
 ただ、コートの左肩の部分には、銀メッキをあしらった肩章がつけられている。  
 中央ファン自治国警邏隊、中隊長職の階級章である。  
「公僕は8時から17時まで仕事! 何度言えば解かるんだまったく……」  
 床に突っ伏したままピクピクとしているエキューの襟首をむんずと掴むと、どこかの誰  
かを髣髴とさせるような腕力で、ずるずると引き摺りながら踵を返す。  
「毎朝の事で申し訳ありませんが御迷惑おかけしました」  
 女小隊長は、入り口のところで一旦振り返って、静かながらはっきりとした口調でそう  
いってから、エキューを引き摺って出て行く。  
「ああああ、マウナさーん」  
 エキューの情けない声がドップラー効果を残して消えていった。  
「…………毎朝毎朝、懲りないわね」  
 そのやり取りの一部始終を、開店準備の作業をしながら見ていたマウナは、そう言って、  
やはり恒例となったため息をついた。  
 
 
 独立主権国家の首都という地位を失っても、相変わらずファンの街は冒険者の町だった。  
 賢明なリジャール王は、ファン郊外の会戦で『鉄の槍騎士団』が壊滅し、ファンの都心  
部を護る城壁線が『ファンドリア神聖黒騎士団』の電撃戦の前に為す術なく突破された時  
点で、市街戦を放棄し、近衛騎士団と共にシーダー城に立て篭もった。  
 ちなみに、これより前の時点、『鉄の槍騎士団』主力壊滅の時点で、ファン陥落は避け  
られないと見ていたのか、ファンドリア国軍の方位が固まる前に、城内に不在だった庶子  
をファン・マイリー最高司祭ジェニに託し脱出させている。  
 一方ファンドリア軍も──集団というものの性質上、100%には程遠いとは言え──『理  
性なき暴力で自由を奪うことなかれ』という規律のもと、物資や資材、建造物の徴発と破  
壊は軍事上必要とされない限り行うことはなかったため、ファンの街を戦火が焦がすこと  
はなかった。  
 ただ、シーダー城に隣接する、魔術師ギルドだった建物とその周囲だけが、焼け焦げて  
崩壊寸前なまでに破壊を受けていた。シーダー城そのものさえ、攻城兵器(バリスタやト  
レビュシェット)による部分的な崩壊しか無いというのに、である。  
 ファン自治国と、ファンドリア・シティの中央政府は、一段落した時点でシーダー城は  
修復して何かの記念館に改装する方針を立てているが、魔術師ギルドは修復不可能で、危  
険な為取り壊す以外にないらしい。  
 その他にも、ファン・マイリー神殿が市街地の外周部の小さなものに移設され、旧マイ  
リー神殿がファラリス神殿に改装されていたり、ファリス神殿が取り壊されて刑務所の用  
地にされていたりとするが、宗教以外の面で、一般市民の生活に直結するような部分で大  
きな変化は起こっていなかった。せいぜい、ダークエルフが大手を振って街中を歩けるよ  
うになったぐらいだが、それとて、ファンドリア直轄領からわざわざ旧オーファン領に移  
住する者は稀で、たいていは所用でたまたまファンを訪れたに過ぎない。  
 
 もっとも『青い小鳩亭』は荒波に晒されていた。  
 いや、いっそ悪評だけなら諦めもつくのだが、武人を尊ぶ若い世代(主に旧ファン王国  
時代を知らない・よく覚えていない世代)や、冒険者上がりでファンドリアを統率する少  
女帝に肯定的な者も少なくない。また、旧ファン王国時代の貴族達の中には、オーファン  
王国を倒したという事から相対的に皇帝を持ち上げる者も居る。  
 そう言った者たちは、冒険者であるか否かにかかわらず、夜になれば『青い小鳩亭』に  
やってきて酒盛りをするのが日課になっていた。或いは、自らも野心を抱いてファンにや  
ってきた冒険者が訪れることも多い。  
 そんなものだから、たまに店の外、正面で派手な乱闘が起こったりして、度々警邏隊が  
出動する騒ぎになる為、実に体裁が悪い。いっそ店内で起こってくれれば、マウナの『シ  
ェイド』にガーディがクラブで〆て、簀巻きにしてネコ車で川にでも捨ててくるところな  
のだが。  
 とは言えご近所様に気まずいものの客足が途切れたわけでもないので、今日もなんとか  
元気に営業中である。  
 ただ、戦いの経験のない女将シャナは流石に戦争のショックが大きかったらしく、精神  
的に衰えてしまい、代わりに養女のマウナが若女将として店を切り盛りしている。  
「ほんっと、毎朝毎朝懲りないわよね〜」  
 酒場兼食堂のテーブルを台拭きで拭く作業を再開しつつ、マウナは、苦笑しながら誰に  
言うわけでもなく呟いた。  
 傭兵上がりの冒険者だったエキューに公僕なんぞ不向きもいいところだと思うのだが、  
『それでも僕は、マウナさんと一緒に居たいんです!!』  
 と言って、警邏隊に入隊した。  
 普段はどこぞの大法螺吹きと違って真面目な性格だし、頭も悪いわけではないから採用  
されたが、堅苦しい業務のせいで以前よりエルフ依存症が悪化したらしく、毎朝毎朝毎朝  
毎朝毎朝毎朝毎朝毎朝、警邏にかこつけて『青い小鳩亭』にやってこようとする。  
 最初のうちは以前のようにマウナの最高品質お盆アタック(しかも縦)でしばき倒して放  
り出していたのだが、やがて警邏隊署の知るところになり、今さっきのようにあの女上司  
がドツキ倒しに来るのが日課になった。  
 ちなみに、夜勤で勤務中だというのに『青い小鳩亭』で飲酒しようとしたこともある。  
その時は他の当直番が連れ立ってやってきて、袋叩きにした挙げ句簀巻きにしてテイクア  
ウトしていった。  
 ────でもそれって、あたしを選んだって事なのよね……  
 マウナは、クスッと苦笑しつつ、声に出さずに呟いた。  
 エキューは中央ファン自治国の警邏隊に志願した。南ファン自治国の、ではなく。  
 南ファン自治国にはターシャスの森が属する。言うまでもなく、エキューの初恋の人─  
─或いは重度慢性エルフ依存症の病因──である、シルヴァーナの住処だ。  
 
 ────喜んでいいのかは微妙だけど……  
 マウナにとって、最初逢った時のエキューのイメージは、はっきり言えば最悪だった。  
 よりによって「半分でもいいですよ」なんぞと抜かしよったのである。  
 それでも愛想を良くしたのは、単にエキューの財布が厚かったからだった。  
 ────そう考えると、あたしも大概エキューに失礼だったわよね……  
 とは言え、人間の村落で育ったマウナにとって、ハーフエルフの象徴である半端な尖り  
耳は、負的コンプレックスだった。  
 だから、「尖り耳ならなんでも良い」「エルフ(の女性)だったら誰でも好き」というエ  
キュー発言は、むしろマウナの神経を逆撫でするものだった。  
 それがいつの頃からだったか、エキューは“エルフ”ではなく“マウナ”に執着するよ  
うになっていった。  
 流石にシルヴァーナと再会したときのハメの外し方は、相手が相手だし仕方ないだろう。  
というかあの時のエキューは、対象がエルフ限定というだけで、所謂“女の敵”だったが。  
まぁそれもティーンの少年の暴走と割り切ってあげられないこともない。  
 ────悪い気はしないわよね。  
 テーブルを全部拭き終わり、カウンターに戻りながら視線を少し泳がせる。  
「でも…………」  
 厨房で調理をしているガーディをみて、今度は小声で口に出して呟いた。  
「やっぱり、クラウスさんがいるしね」  
 マウナは誰が見ているわけでもないのに、困惑しつつも何処か照れたように苦笑した。  
 クラウスは今のところまだ冒険者として戦士を続けている。もっとも、その名声はもう  
すぐ流しの戦士を続けていられるレベルではなくなるだろう。  
 その後は……職業軍人の道もあるだろうし、新しく設置される立法評議会衆議院に立候  
補する事も夢ではない。が、クラウスの性格からいってそれらの道を望むとは思えない。  
 ────やっぱり、ガーディさんの跡を継ぐのかしら?  
 レンジにかけられていた、スープの鍋のふたを開けて、お玉で軽くかき混ぜながらそん  
なことを思う。  
 ────だとしたら……ね。  
 正式なプロポーズこそまだだが、それっぽいことは既に告げられている。  
 朴訥で、容姿も没個性的ながらどちらかといえば恵まれている。何より誠実で温厚な性  
格の持ち主という、常にモテモテというわけではないが自分から望めば嫌がる女性は少な  
いだろう色男。  
 正直言ってしまえば、エキューよりずっと好感触だった。  
 そんなクラウスが望んだのがマウナ自身、というわけである。  
「あたしって、結構悪女なのかもしれないわね〜」  
 
 本命クラウス、と決めつつも、エキューの事も心憎からず想っている自分が、なんだか  
滑稽で、そんなことをおどけ気味に呟いた。  
「なにがだい?」  
 食材を切っていたガーディが、それをボウルに移しながら、マウナに訊ねてくる。  
「え、あ、ううん。なんでもないの」  
 マウナは苦笑しながら答えた。  
 2人に罪悪感は感じつつも、ヒースに赤貧ハーフエルフとか、イリーナに貧乏くさいと  
か、そう言われてた時期がウソのような充実振り。  
 スープやシチューの味見をして、それが満足できる出来栄えであることを確認してから、  
レンジから引き上げる。  
「よし、と」  
 マウナはそう言ってから、鼻歌交じりに店内に向かう。開店させる為、入り口の札をか  
けかえに向かったのだが……  
「お邪魔します!」  
 それより早く、勢い良く扉を開けて、1人の少年が息せき切って飛び込んできた。  
「あっ! マウナさん!」  
 少年の方がマウナに一目で気付いたように、マウナもその少年のことを覚えていた。  
「えっ、エルニー君?」  
 ウェディングドレス盗難事件の解決を依頼してきた少年。それはマウナ達がまだ駆け出  
しだった頃の話だったが、マウナは彼を記憶していた。  
「なに? また、何か困ったことでもあったの?」  
 マウナは優しい口調で訊ねる。  
「違うんです、あ、違わないかもしれないです、けど」  
 まだ荒い息をしつつ、エルニーは一旦否定してから、それを曖昧なものに変えた?  
「どういうこと?」  
 マウナは小首を傾げつつ訊き返す。  
 すると、エルニーはマウナの手を、少し強引に掴んだ。  
「マウナさん! 婚約したって本当ですか!?」  
「えっ!?」  
 エルニーの口から発された、あまりに唐突な発言に、マウナは一瞬その言葉の意味を理  
解できず、キョトン、驚いた声を出してしまう。  
「そうなんですか?」  
 エルニーは身を乗り出すようにして、再度訊ねる。  
「えっと……別に正式にそうしたわけじゃないけど」  
 マウナは、エルニーの様子に最初困惑したものの、苦笑して軽く答える。  
 
「……けど?」  
 しかし、エルニーは何処か強い気迫でさらに問いただす。  
「それっぽい人は……居ることは、居るわ」  
 マウナは、クラウスの事を思い浮かべつつ、エルニーの気迫に圧されて歯切れ悪く答え  
る。  
「そんな……酷いです……」  
「え…………」  
 途端に、エルニーは肩を落とし、哀しそうな表情になる。  
「マウナさん、僕に待っててくれるって言ったのに!」  
「え、あ、そ、そんなことはあったかも知れないけど」  
 エルニーの言葉に、マウナはうろたえる。  
 あの時、マウナは半ば本気だったが、仲間達にも冗談だと思われて笑い飛ばされ、結局、  
その時限りの話で終わったと思っていたのだ。  
「え、えーと……本気に、してたの?」  
 マウナは気まずそうにしつつ、エルニーに訊ねる。  
「だって……マウナさん、真剣な表情してたじゃないですか!」  
 エルニーは俯きがちの姿勢から、上目遣いに答える。  
「え、あ、うん、そうなんだけど……」  
 間違いではないだけに、ますます答えづらい。  
 エルニーは当時若干10歳の少年だったが、そう言うところでは当時のイリーナやノリス、  
どころか、下手したらヒースよりも利発でしっかりしていた。  
 マウナはガルガドと共に感心したものである。  
 利発でしっかり者、それでいて姉思いの優しい性格と、内面的にはクラウスよりも、よ  
りマウナ好みの人格。ただ、年齢的にまだ幼かったのが致命的だった。  
 それでも将来なら、と、当時まだクラウスにもエキューにも出会っていなかったマウナ  
は、エルニーにコナをかけていたのだった。  
 曰く、『自分はハーフエルフだから待てる』と。  
 クラウスに対してもそうだが、マウナのいつもの詰めの甘さで、最終的にエルニーに言  
質をとっていなかった。逆に言えば、きっぱりと否定されたわけでもなかったのである。  
「え、えーっと……なんて言うか……」  
 クラウスとエキューならクラウス、ときっぱり言い切れるところだが、エルニーとクラ  
ウスだと、クラウスも決して致命的な部分はなく、戸惑ってしまう。  
「やれやれ、マウナちゃん、意外に気が多いんだねぇ」  
 マウナの背後から、ガーディの声が聞こえてきた。  
 マウナの予想に反して、その口調は憤ったものではなく、むしろ穏やかだった。  
 
 マウナは、ガーディ達はてっきりクラウスと一緒になってくれるものだと思っていただ  
ろうから、こういう場面を見られては怒られてもしょうがないのではないか……と覚悟し  
ていたので、虚を突かれる形になった。  
「お、おとうさん……その、私……」  
 マウナは振り返って、ガーディに気まずそうに声をかける。  
「そりゃあ、私達としてはクラウスと一緒になってくれたらと思うけどね、エキュー君の  
事もあるし……」  
「あ…………」  
 マウナは間抜けな声を出してしまう。  
 言われて見ればその通りで、普段ガーディ達の目に入るところでエキューと、なんのか  
んの言ってもじゃれあっていても、2人がそれを咎めたことはなかった。  
「最終的には、マウナちゃんが決めれば良いことだよ」  
「そ、それはそうだけど……」  
「それに、無理強いすれば、同時にクラウスに無理に店を継がせる事になるかもしれない  
しね」  
「あ……確かにそれもあるかも」  
 カユーマ・デュラハン事件の際の反応では、当初クラウス自身は冒険者を辞めて店を継  
ぐ意思は希薄そうだった。その事件後、マウナに対するモーションではそれらしい事を言  
ってはいるのだが……  
「まぁ、多少、時間をかけても良いんじゃないかな。女の子──マウナちゃんにとっては、  
一生のことになるんだし」  
 ガーディは、多少、苦笑交じりに穏やかに微笑みつつ、そう言った。  
「うん……そう、かな」  
 言いつつも、マウナは所在なさげに視線を床に落とす。  
「マウナさん! 僕はマウナさんを信じてます!」  
 エルニーは真摯な瞳をきらきらと輝かせながらそう言った。  
 ────う、私、こういうの弱いのよねぇ……  
 とは言えクラウスも似たようなことを言いそうではあるし、エキューに至っては半狂乱  
でわめいて暴れるのは目に見えている。  
 
 性格的には1番マウナ好み、でも年齢がまだちょっと追いついてないエルニーか。  
 誠実で優しく、養父母・ガーディ夫妻の甥でもあるクラウスか。  
 マウナ個人を慕いつつも、ハーフエルフゆえにその意思に揺らぎのないエキューか。  
 それとも……────  
 
 ────ああ、イリーナ、私もファラリスの啓示、聞こえちゃいそう……  
 

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