いつ誰が来るかわからないのでフードをかぶり、真っ暗な階段を下りる。一階は食堂になっているが、とっくに営業時間は終わっているので明かりはついていない。暗闇だ。
ウィストは呪文を唱えて魔法の明かりを点けた。そして驚く。
「アンセルム?」
真っ暗な店内のカウンターにアンセルムが腰掛けていた。
「ウィスト? こんな夜中にどうした?」
「誰か来たらどうするんだ馬鹿! 角ぐらい隠せ!」
ウィストはそう言うと自分がかぶっていたフードを外し、アンセルムにかぶせて角を隠した。代わりにウィストの小さな角と、愛らしい貌が露わになる。
「あんたの角が隠せてないぜ?」
「ボクはいいんだ、別に。見られたいわけじゃないが、見られてもそれほど問題にはならない。冒険者の店なんだから、泊まってる客は冒険者ばかりだ。気まずくはなるかも知れないが、その程度だからな」
そしてアンセルムの胸元に指を突きつけ、にらんだ。
「だが君はそうもいなかいだろ。ボク達にとっても困ったことになるんだからな」
「そうだったな、憶えておこう。あんたも飲むか?」
本当に憶える気があるのか、アンセルムは無人のカウンターに入って酒瓶とグラスを取り出し、ウィストに訊く。
「泥棒するなよ」
「いくらオレが人族社会知らずだとしても、これが泥棒じゃないことぐらいはわかるぜ」
アンセルムはウィストの口癖を真似て言った。ウィストはムッとなって言い返す。
「泥棒だぞ」
「馬鹿言え。これは売り物じゃねえか。売り物ってのはこうやって」アンセルムは既に積んであった銀貨の上に、さらに銀貨を何枚か置いた。「銀貨と交換するものなんだろ?」
「……まあいいや」
アンセルムはグラスをウィストの前に置き、払った分の酒を注ぐ。ウィストは座った。
「おごってくれるんだ?」
「大金が手に入ったからな」
「大金? 何をしたんだ?」
「ウルゲン様からもらったじゃねえか、千ガメルも」
ウィストは溜息を吐いた。
「千ガメルは大金じゃないぞ。エリヤなんてお小遣い呼ばわりしてたぐらいだ」
「そうか? 計算してみたが、半年分の食料と交換出来るはずだぜ?」
「何だその金銭感覚は。食料だけで生きていくつもりなのか?」
「水ぐらい自分で汲めばいいだろ」
「わけがわからん。そんなんでよく蛮族社会で生きていけたな。昔のボクみたいだ」
「世間知らずだった?」
「今でも世間知らずだと思ってるけどね」
「ふーん」
気のなさそうな生返事と共に、アンセルムはグラスを差し出した。ウィストは一瞬躊躇ってから、自分のグラスを持ち上げる。カチン、と硬い音が鳴った。
「何の乾杯だ?」
「何でもいいぜ。そうだな、美女と飲めるお祝いがいいかな」
「……クリフといい君といい、からかうのが好きだな」
「もう二度と無いと覚悟してたんだぜ? 少しぐらい浮かれるってもんさ」
確かにアンセルムは機嫌が良さそうだ。
「だから角を隠し忘れた?」
「人族は夜になると眠るもんだと聞いてたからな。大丈夫だと思ったんだ。悪かったよ」
「蛮族は昼に寝るのか?」
「昼に眠るヤツもいるし、夜に眠るヤツもいる。ちょっとした集落なら、常に誰かが起きてるもんだ」
「へー、効率が悪そうだな」
「そうか? 全員が夜に眠るなら、夜に出歩いてる獲物は全て見逃すことになるじゃねえか。その方が効率悪くねえか? 昼夜間断無く狩りに出れば、狩れる獲物は全て狩れるぜ?」
「店に来る客が減るだろ」
「店なんかねえぞ」
「無いのか?」
「よほど大きな街ならともかく、普通はねえ」
「どうやって生活するんだ」
「何だその金銭感覚は。そんなんでよく人族社会で生きてこれたな」
先ほどの自分の科白で返されて、ウィストは詰まった。それを誤魔化すように、アンセルムの胸元に指を突きつける。
「ボクは蛮族社会で生きる気は無いからだ! 君はどうなんだ?」
「悪い悪い、怒らないでくれよ。もう一杯おごろうか?」
そう言いながら返事も待たずにアンセルムは立ち上がる。アンセルムに注がれる酒を眺めながら、ウィストは口を滑らせた。
「おごってくれるのは、ボクと飲みたいからか?」
「……エリヤといいあんたといい、男を勘違いさせるのが好きだな。それとも、人族の女ってのは皆そういうもんなのか?」
アンセルムが知っている人族の女は少ない。特に、アンセルムがバルバロスであることを知っている女は。ウィスト、エリヤ、ミケ、そして……あまり思い出したくない、だが決して忘れたくない人。
「……君が勘違いが多いだけだ」
「クリフは、オレがモテるって言ってたぜ? 食料と銀貨を交換しようとして村に立ち寄ると、いつもクリフが不機嫌になって困ったもんだった」
角を隠す為に普段はフードを被っているが、話をすれば顔を見られる。相手が見ようとするというのもあるが、自分も顔を隠そうとはしていないから。そしてその美しさは一瞬で噂となって村中に広まり、女達が集まってくる。
「ボクは姫騎士姫騎士言う方がよっぽど困ると思うけどね」
「そこらの村にはクリフの言う姫騎士なんか居ねえからな、ソレで困ることはあんま無かったのさ」
「蛮族社会ではモテなかったのか?」
「オレか? 出来損ないだったからあんまモテなかった。ラミアやボガード♀に声をかけられることはよくあったけどな」
「ボガード♀はともかくラミアは美人だと聞いてるぞ。嬉しかったんじゃないのか?」
窺うように言うウィストに、アンセルムは苦笑した。
「美女っちゃー美女だが、こう、角がねえからなあ。人族だとどうだろう。剃髪した美女には興奮しねえもんなんじゃねえか?」
言われてウィストは思わず、自分の小さな角に触れた。
「剃髪って、ずいぶん難しい言葉を知ってるんだな」
「ハゲって言ったら駄目だと教わった」
「なるほど」
ウィストがそう応えると、会話が止まった。会話を続けたいのだが、碌な話題が思いつかない。ちびちびと酒を飲みながら盗み見るが、アンセルムの横顔はフードに隠れて表情は見えない。
手を伸ばしてフードを耳にかけると、顔が見えるようになった。
「ん?」
「顔が見えないと、独りで飲んでるような気になるからな。顔を見られるのが嫌なら、ボクは寝てもいいぞ?」
「嫌なわけじゃねえが……本当に男を勘違いさせるのが好きだな、あんたは」
「君は勘違いし過ぎだ。今の何をどう聞いたら勘違いするんだ?」
「価値がねえなら脅迫にはならねえ」
「それじゃ意味がわからないぞ」
「あんたは今『顔を見られるのが嫌なら、寝る』と言っただろ? つまり『顔を見せろ、でなければ一緒に飲まない』と言ったんだ」
「何か違うような気もするけど、そうだな」
「あんたと一緒に飲みたいなら要求通りにしろってことだ。オレがあんたと一緒に飲みたいと思ってねえなら、無意味な脅迫だ」
「そうだな」
「それは、えーと複雑だな。オレが、あんたと飲みたいと思ってる、ことを、あんたは知っている、と、あんたがオレに言っている」
「そうだな。それがどうしたんだ?」
「まだ伝わらねえのかよ。いいか、これは勘違いなんだからな? そう思って聞いてくれよ?」
「いいよ」
「さっき言ったのはつまり、あんたは、オレがあんたを好きだと思ってるってことだ」
「……勘違いだからな、それで?」
「で、オレがあんたを好きなことを、条件付で、あんたは受け入れてもいい、ってオレに教えてる」
「……顔を見せれば?」
「そうだ」
「わからない」
「オレにもまだチャンスがあるってことだろ? 知ってて拒絶されてねえんだから。と言うか拒絶してないってわざわざ言われてるんだから。期待しちまうじゃねえか」
「それは誤解だ」
「だから勘違いだって言ってんだろ? あんたを好きなオレとしては、誤解かもだけど誤解じゃねえかも、と思うんだよ。はっきり言われてねえんだから、誤解じゃねえことを期待しちまう」
「……ボクのことが好きなのか?」
「またそうやって勘違いさせるようなことを言う」
アンセルムは苦笑すると立ち上がり、酒瓶を見せた。ウィストは黙って飲み干し、グラスを差し出した。アンセルムは銀貨を積んで、二つのグラスに酒を注ぐ。
そして席に戻って、グラスを持ち上げた。ウィストも持ち上げ、硬い音を鳴らす。
「あんたは美女で、角もある。可愛い角だが、あるとないとじゃ大違いだ。そしてオレと同じ穢れ持ちで、オレほどじゃねえが、人族社会から差別を受けている」
「……そうだな」
しかしアンセルムは続けない。酒を呷った。
「眠いなら、眠った方がいい」
「……そうだな。おやすみ、アンセルム」
「いい夢を」
空のグラスを掲げてそう言うアンセルムに手を振って、ウィストは階段を登った。
アンセルムの前には空のグラスと、ほとんど減っていないグラスが残された。手を伸ばして入っているグラスを取り、ゆっくりと回しながら見詰める。
やがて手を止め、しばしの逡巡。だがゆっくりと口付けるようにグラスを近づけ、一息に飲み干した。
階段の上からその様子を覗き見ているウィストには、気付かずに。