『アンプロンプテュ(即興曲)』  
 
 
 
 
〜ファリス神殿 修行場にて〜  
 
「ねえ、最近のイリーナさん、なんか変わったと思わない?」  
「あーやっぱりそう思う?なんて言うか、こう、艶っぽい表情のとき、あるよね」  
「あと、妙にぼーっとしてる時に声かけようとしたら、顔がすっごく緩んでてかけられなかったことあるよ」  
「前はさ、あのグレートソードが恋人…いや、マア今でもそれは変わって無いけど、そんな感じだったのに」  
「…あの時以降からかな、そうなったの」  
「あの時?」  
「ほら、修行で神殿に泊り込んだ時さ、ええっと、いつの修行のときだったかな…」  
「…思い出した!あの時ね」  
「いっつも猥談になると、イリーナだけ困った顔してるのにねえ」  
「あの時だけだよね。話に入ってきたの」  
「……ねえ、相手、誰だと思う?」  
「うーん……思い当たるとしたら、例の仲間達の誰かでしょ」  
「まあ、あの人だけだよね」  
「そうだね。あの人だね」  
「ねえ、アネット。イリーナから何か聞いてない?」  
「え……聞いてるし、知ってる、けど……」  
「何ですって!!」  
「なんでこんな大事なこと、教えてくれないの!!」  
「言いなさい!相手、教えなさい!」  
 
「うう…ごめん。イリーナから『言わないでね』て言われてるの」  
「ええ〜」  
「…しかもファリス様に誓う感じになっちゃったから、さすがに私からは言えない……」  
「ああ、もう。惜しい。惜しすぎる!!」  
「うあ――、結構抜け目無いわね…」  
「うん。意外」  
「……まあ、みんなのよく知ってる人。それだけ」  
「やっぱりそうか」  
「そうね……ちぇ、ちょっとだけ狙ってたのになあ」  
「うーん。皮肉っぽいところを除けば、なんだかんだで優しいし」  
「すっごく優秀だし」  
「背が高いし、かっこいいよね」  
「しかも敬虔な信者だし。でも、もともとあの人、イリーナさんと仲良かったもん」  
「兄妹みたいな感じだったけど…超えちゃったか」  
「いいなあ私もヒースクリフさんみたいな彼氏、欲しい!」  
「贅沢モノ!あんた、彼氏いるでしょうが!」  
「だってー…」  
女の子同士の戯言はいつまでも続く。  
そんな話に熱中していたせいで、後ろにキリング・フォウリー司祭がたっていることに気がつかった。  
 
 
※        ※        ※        ※        ※  
 
 
ざわざわと道に人が集まっている。それもそのはず。ここはファンのメインストリート。  
ここが閑散としているなんて、深夜でもありえない。ましてや今は真昼間…から少したった時間。  
昼食も終わった人々が、通りに満ち溢れている。  
そんな中に、イリーナとマウナ。そしておまけのヒースがいた。  
「…マウナ、何で俺が荷物をもたにゃあならんのだ」  
「え、荷物もちだから」  
あっさりとマウナがヒースの質問に答える。  
「兄さん、これも訓練です。大体、兄さんは運動不足なんですよ」  
「今日はお前に付き合っての朝稽古で、疲れてるんだがな、イリーナ」  
「約束は約束。いいでしょうが。帰ったらおかーさんが賄いをだしてくれるって言ってるんだから。  
 一食浮くんだから、まあまあのアルバイトよ」  
「まあ、そうだが…。正直こんだけ買うとは思わなかったぞ」  
そういって、抱えた袋をめんどくさそうにゆすり上げ、バランスをとる。  
 
3人の手には荷物がある。  
 
マウナ……少し。軽いけど重要なものばかり。  
イリーナ……それなり。普通の重さ…なのだろうが、イリーナなのでまったく平気。  
ヒース……多い。しかも中身は瓶やら食料やらで、はっきり言って重い。  
 
「……不公平だぞ、お前ら」  
「そうかな?…私はお母さんから頼まれた特に重要なものと預かったお金を持っている」  
袋を持ちつつ、マウナが理由をゆびおり数える。  
「イリーナは力が強くても女の子。決して大きいわけじゃあないから、力に余裕はあっても、安全に  
 抱え込める量は限られている」  
指は次々と折られてゆき、あっと言う間に握られた手が広がって行く。  
「で、あんたの場合は力がある。背が高い。手のひらも大きい。当然手が長いから私たちより多くの  
 量を抱えても負担になりにくい。……正直この荷物の配分はかなり適切と思うけどな」  
「……マウナの癖に、妙に理路整然とセツメイしおってからに…」  
「あ、兄さんが言いくるめられた」  
「黙れ、イリーナ……とは言ってもその通りだ。最初に買い物を一人で行くように頼まれたのはマウナだし、  
 金を預かったのも同様だ。イリーナはこんな瓶やらなんやら持たせたら、前が見えずに、いつすっころんで  
 すべてを台無しにするか判らん。そう考えれば、俺が持つのが妥当だな。……正直むかつくが」  
「まあおかーさん、ヒースとイリーナが一緒にって言ったとたん、行く所を増やしたものね」  
「おばさん、しっかりしてますね。さすがと言うか、なんと言うか」  
「そうね。私も見習わないと!」  
「そこか!そこがポイントなのか!?」  
「もちろん!養女になって、しかも店を任せてもらえる可能性があるならば、商売について勉強するのは当然  
 でしょ。その中には、人をいかにして上手く唆し、利用するかの技術・話術も入っているわ!!」  
一度は広げた手を握り締め、叫ぶ。その目は野心で燃え、宿の女将となって小鳩亭を切り盛りする自分の姿が  
思考に君臨しているのが、はたから見てもありありとわかる。  
その隣に誰が立っているのかまではさすがに判らないが。  
 
「熱いね。熱すぎるよ。そこまできっぱり断言するマウナが、ちょっと素敵。…なんか間違ってるけど」  
「おーい、帰ってこーい。…そういう本心を隠すことも必要じゃないのか?」  
ヒースがどこか別の場所を見ているマウナに語りかけるが、すぐには反応が帰ってこない。  
やがてあきれたようにため息をつくと、荷物を持ったまま器用にポケットを探り、取り出した1ガメル硬貨を  
指先でピンっと弾いた。  
舗装された石畳の上、マウナの足元に硬貨が落ちる。かすかな金属音。  
それは、雑踏の中で聞き取るにはあまりにも難しい、はずだ。  
「なに、今の音は!」  
ピクリととがった耳を動かし、足元に視線を送る。  
「さすがだね……あ、何で少し悲しくなるんだろう……」  
そんな、地面に座り込み、足元のチェックを始める姿を見ていられなくなって、空を見上げる。  
「よし、1ガメルゲット……イリーナ、何遠くを見つめてるの?」  
嬉しそうに見つけた硬貨(本当はヒースのもの)を空に掲げる。きらりと光を反射し、輝く硬貨。  
マウナの笑顔がまぶしい。  
「判らんなら、そのほうがいいだろ。その浅ましい現実に気がつくというのは、至極悲しいことよ」  
芝居がかったしぐさで嘆いてみる。  
「なんか、むかつく。それにしても、このお金の落とし主は…」  
そういって首をめぐらせる。  
 
周りは絶えず人が流れ、たちどまっているのは自分達だけだ。  
「……判らないなら、私のものにして、いいのかな?いいよね」  
「……」  
お金は惜しいが、いいものを見せてもらった、という事にしておいて、心の中で帳消しにする。  
「はあ……この守銭奴が…ん、どうした」  
遠くを見ていたイリーナの視線が戻っていない。いまだ呆れているのかとも思うが、視線を追うとその先に  
小物細工店の出店があった。  
「見たいの?」  
「…でも後でいいです」  
「別に大丈夫よ。思ったより早く用事は済んだし、お母さんからも少しの寄り道ならOKって言われてるから」  
「そうですか?…けど荷物もあるし」  
「せっかくマウナがそういってんだ。甘えとけ。俺様なら平気だから。  
というか、見てる間は置いとけばいいんだしな」  
「珍しくいい事いうわね。さ、行きましょ。私も見たいし」  
そういって、1ガメル硬貨をポケットの中にしまい、空いている手でイリーナを引っ張っていく。  
マウナに引きずられる幼馴染の後を、ゆっくりとヒースが追いかけていった。  
 
 
テントの下に広げられた机に、色とりどりの細工物が並んでいる。  
この店は、特に装飾品系が充実しているらしい。  
髪飾り、耳飾り、腕輪、ブローチ、ペンダント、指輪…さまざまな品物が並んでいた。  
それらを一つ一つじっくりと眺め、時折店員と言葉を交わして、購入を迷う。  
ヒースはそんな女二人の後ろから、面白そうに机上を見つめていた。自分用に買う気はさらさら無いが、  
こういうものを見ているのは嫌いじゃない。二人の視線を追いながら、それなりに楽しんでいた。  
気に入った耳飾を見つけ、店員と会話に興じているマウナから視線を動かすと、イリーナの目が一点に  
留まっていることに気がついた。  
「どうした。気に入ったのでもあったのか?」  
「ああ、うん」  
「え、どれ?」  
イリーナの指先が示したのは、白銀の表面に精緻な彫り物が施され、小さな宝石が一つだけはまっている、  
シンプルなリングだった。  
「あら、イリーナ。これがいいの?」  
「……少し高いけどね。これがかわいいなあ、って」  
「ほお。もう少しきらびやかな…そうだな、こっちのようなやつのほうがいいかと思った」  
そういって、ヒースがその脇にある、金属の土台の上に何種類かの石をはめ込んだ、それでいてけばけばしくも  
無く、品好くまとまっている小さなペンダントトップを手に取る。  
ついでに値段も手ごろだ。  
「それもいいと思ったんだけど…この中ではこれかな」  
「あら、このデザインは男性にも女性にも人気があるんですよ」  
「へえ、そうなんだ。ねえ、イリーナ。せっかくだからはめてみなよ」  
指先でゆれるトップをつつきながらマウナが言う。  
 
ヒースはそれに少し顔をしかめると、元の場所に戻した。  
「ええ、どうぞ。これは9号となっていますけど…お客様、お指の号数はわかりますか?」  
「……測ったこと無いので判らないです」  
「そうですか…ちょっとお手を失礼します」  
そういって左手をとり、次々と指に大小さまざまなリングがはめてゆく。どうやら其々の指に合うサイズを  
探しているらしい。そんな光景を、ヒースとマウナはものめずらしそうに眺めていた。  
やがて終わる。  
「親指から順に、13・12・13・11・6ですね」  
「そうですか。なら、ちょっと9号は無理ですね」  
残念そうにため息をつく。自分の手を見る視線が恨めしげだ。  
「申し訳ありません。今このリングは店頭に出てるだけなので、他のサイズですと注文を承ってから、  
 おつくりするという形になってしまうんですよ」  
「…少し残念ですけど、今回は縁が無かったと思ってあきらめます」  
「そっか。なら変わりにこのトップ買ったら?ヒースが選んだにシテは趣味いいし」  
ヒースが一度手にしたペンダントトップを指差す。  
「マウナ。オレサマノ趣味が悪いとでも言いたげだな」  
「ん――というか、こういう女心がわかるやつとは思っていない」  
「お前は…ったく。ここで喧嘩してもしゃーない。とっとと買って、もどろうぜ」  
そんなやり取りの間、イリーナは考え込み、やがてこっくりとうなずいた。  
「じゃあ、こちらを買います」  
「承りました。こちらの耳飾りと、こちらのペンダントトップですね。今お包みしますので……」  
「おっと、トップの土台と同じ素材の鎖もつけてくれ。種類は…ごく普通の鎖でいい」  
「兄さん?」  
「承りました。長さは?」  
「このトップの大きさだと…」  
そう言ってイリーナに手を伸ばす。  
首に巻かれた黒いチョーカーに触れ、そのまますっと指を鎖骨のほうまで、ごく自然な仕草で、なでおろした。  
 
反射的にイリーナの表情がかすかに変化する。それを見たマウナの目が細くなり、耳が動いた。  
「…鎖骨より少し下に来るぐらい、だな。イリーナ、鎖代は俺が持つ」  
手が離れる。イリーナの瞳がわずかに潤む。それをあえて、無視した。  
「それですと――こちらの長さになりますね。では少々お待ちくださいませ」  
店員が足元から皮の子袋を取り出し、丁寧に品物をつめていく。  
「へー。どこか悪いところでもあるの?」  
「なんだ、マウナ。文句あるのか?」  
からかうようなマウナの声。それに極力平静な振りをして言葉を返す。  
内心はえも言われぬ焦りで、なぜかでいっぱいだ。  
「いーえー、別に。ただ、『イリーナには』優しいなあ、って思って」  
細めていた目をじろりとヒースのほうへ向ける。その中には面白そうな、意地悪そうな光が宿っていた。  
「お前の分を出してもいいが、そんなことしたらお前は調子に乗るし、有頂天になって小鳩亭でぺらぺら  
 喋るだろうが。ンなことになったら、俺がエキューとクラウスに殺される。それはイヤだ」  
待つ間にそんな戯言をマウナと交し合う。  
いまこの瞬間にも、《青の小鳩亭》ではエキューの嫉妬に満ちた視線と、おじおばを訪ねてきているクラウスの  
飄々とした態度が、激しく争っているはずだ。あえてそこに爆弾を投下する気はかけらも無い。  
「なあ、イ……」  
話をイリーナにに振ろうとしたところで、視線の端に、頬をほんのりと染め、残念さと嬉しさをミックスさせた  
実に微妙な表情が入った。  
「どう……」  
「お待たせしました」  
その表情が気になって、声をかけようとしたところでラッピングが終わり、店員から声がかかる。  
二人の顔が笑顔へと切り替わり、ヒースの視線内から外れてしまう。  
そのため、話すタイミングを逃したまま、其々で代金を支払って《青の小鳩亭》へと戻った。  
 
 
カウンターへ大量の荷物を置き、買い物リストのチェックを受ける。特に過不足無く無事に買出しを成功させ  
たため、賄いのほかに、飲み物もただでつけてもらえることになった。  
おばちゃんからお駄賃代わりの賄と飲み物を受け取って3人で食べる。  
女2人は早速先ほど購入したのアクセサリーを身に着けて、楽しそうにおしゃべりに興じている。  
彼女達の会話に横で茶々入れをしながら賄を食べ終わり、少し休むと「授業があるから」とイリーナより先に  
席を立った。  
 
店を出て少し歩いたところで立ち止まり、考えこんだ。頭に浮かんでいるのは、残念そうな幼馴染の顔。  
先ほどの鎖代で少し減った懐具合を確認し、授業の重要度を考えて頭をかくと、やがて学院ともファリス神殿  
とも違う方向へ歩き出す。  
 
長身の後姿が人ごみに紛れ、すぐに雑踏へと消えていった。  
 
 
※        ※        ※        ※        ※  
 
〜賢者の学院内 学生寮食堂にて〜  
 
「最近のヒースさ、様子、少しおかしくないか」  
「あいつが怪しいって言うか、おかしいのはいつものことだが、確かに様子が違うな」  
「だよね。冒険者として名を上げてるせいもあるけど、なんかこう、それとも違うんだよね」  
「だろ。何かあったっけ?」  
「いや、俺は聞いてない」  
「私も」  
「……あのさ、最近、あの幼馴染の…ファリス神官の…」  
「イリーナさん?あの子がどうしたの?」  
「よくあいつの部屋にくるんだよ。前から結構来てたけど」  
「頻度が、上がった?」  
「そう。その後、出かけてる。んで、帰ってくるのは結構遅いし、たまに帰ってこない」  
「…あのさ、それって…もしかして」  
「たぶん、もしかする?」  
「……あの子、『鉄塊娘』ってあだ名もあるけど、かわいいわよね…」  
「ああ、はっきり言って、かわいさレベルは高い」  
「素直だし、明るいし、表情も豊かだし…、理想のファリス神官と言ってもいいんじゃないかな」  
「そういやあ、確かあいつ、ファリス信者だったよな」  
「意外なことにね。かなり熱心だよ」  
「親同士も親しいんだよな」  
「ああ。ヒースのやつは郊外の村の出身だけど、あいつのお袋さんはファンの町出身って聞いたことある」  
「司祭の奥さんの親友…だったかな」  
「ばっちりね。…幼馴染同士の恋愛か…」  
「くー、なんであいつみたいなやつに彼女が出来るんだよ!」  
「でもさ、なんだかんだ言って、後輩達には人気あるぜ」  
「あーそんなこと、私の後輩が言ってた。意外と優しいんだって」  
「先輩方には受けが悪いがな。まあ、あの態度じゃ仕方ないか」  
「まあ、私達特待生仲間の中でも、ヒース君が一番優秀だからね。余計なんじゃない?」  
「ただでさえ特待生ってだけでも、結構風当たりきついしねえ」  
「そう考えるとあいつ、すごいよな。結構な頻度で冒険に出て、授業にも出て」  
「課題もこなして」  
「ついでに腕も上げてる」  
「幼馴染からのランクアップとはいえ、彼女もいる」  
「ちっ…うー。ま、俺達もかんばるか」  
「何に?」  
「彼女もー、だけど今は課題。これがまた、結構たまってるんだよな〜。正直ヒースみたいにすぐには出来ねえ」  
「へ、何やってんのよ。それならこんな所で話してる場合じゃないでしょ!」  
「気分転換ぐらいさせろ!ずっと机に向かっていたらさすがに気が滅入る」  
話は転がる。いつの間にか課題や演習のほうに話題が移っていた。  
その後ろで、授業に来なかったヒースを探しにハーフェン導師が来ていたが、誰も気がつかない。  
困ったように立ち、途切れることのない会話に、声をかけるタイミングを見計らっていた。  
 
 
えんど?  
 

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