◇◆◇  
 
 
しっとりとした歌の名残が空気に漂う。  
各人々の表情を見れば、色話に照れているものあり、好奇心に目を輝かせているものあり。  
考え込んでいるもの、落ち着いた物腰で炎に薪をくべているもの、一歩引いたところで皆  
を見ているものと様々だ。  
ただ全員に共通しているのは、続きを促すその視線。  
「…へえ、そんな面白いこと、あったんだ」  
「ワシ達がいない間……ぜんぜん変わっておらんの」  
照れもせず、すかっと言い放つノリスとは対照的なガルガドの声。頭が痛そうだ。  
「ちぇー、その場でからかえなかったのが残念だなー」  
「うーん、さすがにその場では無理だったと思うよ」  
薪をくべ終わって手をぱむぽむと叩きながら、エキューがノリスに返す。  
「何でさ、エキュー」  
「イリーナ嬉しそうだったし。からかって水差されたら、たぶん笑顔で豪腕が飛んでた」  
 
ノリスが少し考えた後、両手を大きく広げて首を振る。  
「…さすがのボクでも、それはゴメンだね」  
駆け出しの頃に何回かヤバ気な冗談を言って吹っ飛ばされているので、おちゃらけた軽い  
動作とは裏腹に、声の中に響く恐怖は隠しきれない。  
「…おそらくヒースからも何か飛んでたかも知れませんな。それは、それなりに喧嘩慣れ  
 している腕か、それとも【麻痺】か……ま、さすがに呪文は使わないでしょうが…」  
それを補強するバスの声。  
ノリスだってみんなと別れた後、腕を上げているから、たぶんよけることは出来る。  
しかし同時にイリーナも腕を上げている。じわじわとではあるが、ヒースだって魔術の腕  
を上げている。【麻痺】の呪文をかけられてその上で拳が飛ぶ、という見事な連携が成立  
したら、二人より足の遅いノリスでは、逃げる暇なくぼろ雑巾にされそうだ。  
「…ボク、いなくて正解だったかも」  
「ノリスさあ、自覚があるなら抑えたほうがいいよ。最近のイリーナ、本気ですごいし」  
「まったくだ。少しは成長しとるかと思えばこれだからな」  
「…ガルガドさん、苦労してるんですね……」  
「こいつらは駆け出しの頃からまったく変わらん。いいのか、悪いのか…」  
エキューと妙な息の合い方をしているガルガドの姿。  
まあ、駆け出し時の仲間の押さえ役と、このメンバーの中ではそれなりの常識人(エルフ  
フェチを除けば)のコンビな訳だから、そうなってしまうのも仕方が無いのかも知れない。  
 
「……なんであの時、私だけ気がつかなかったのかしらね〜、ふふ……」  
遠くを見つめて、マウナが目の幅と同じ涙を流す。結局あの時は、イリーナから聞くまで、  
三つ目のお願い事の内容に思い至らず、ヒースをからかうタイミングを見事に逃していた。  
ちなみにわかった男性陣二人は、マウナとイリーナがいない隙に、散々ヒースをからかい  
尽くしたそうな(これもやっぱり後から聞いた)。  
「ああ、マウナさんごめんなさい!教えて差し上げてなくて!……だけど、やっぱりこう、  
 『でりけーと』な事柄だし…」  
「……いいのよ。気がつかなかった自分が虚しいだけだから。私がわかって、他のみんな  
 がわからなくても、私からは教えなかったと思うし」  
「確かにちょっと、ね。繊細な問題でしょうし。エキュー君の言う通りですよ。もし俺が  
 その場にいてもそうしていたでしょう。皆さんの判断が正解ですね」  
クラウスが苦笑いをかみ殺しながら、エキューのフォローをする。少しだけ、クラウスに  
向けるエキューの視線が和らぐ。なんだかんだで一個人として好感の持てる好青年なのも  
確かだし、腕が立つ事実は素直に認めている訳で、胸中は複雑のようだ。  
 
「まあ、意外なような、そうでないような……。ワシとしては、あやつらは只の幼馴染で  
 終わると思っとった」  
「そうなのよね〜。確かにヒースのやつは……対外的な性格は横に置いておくとしても、  
 客観的に見れば容姿もいいし、優秀。だけどイリーナの恋愛対象になるとは、ねえ。  
 ……ああ、もう。何ていったらイイのかな?」  
「……距離が近すぎて、逆に互いの魅力に気がつかない。……よく唄われていますな」  
「ありがとう、バス!…そう、そうなのよ!そういう道を行くと思ったの!」  
「怪力で有名なファリス神官に、どうしても特別視されがちな『賢者の学院』の特待生。  
 ヒースとして見れば、何の曇りもなしに自分を見てくれる幼馴染は、心のよりどころで  
 もあったのかも知れないからの」  
「ま、確かイリーナが冒険者になった切っ掛けも、ヒースだったらしいし。いくら幼馴染  
 から誘われたとは言え、…まあお父さんの具合が悪かったからって聞いてるけど、そう  
 簡単にはこの世界に足を踏み入れないよね」  
「みんなと組んだ後でも、特にヒースには遠慮無しに突っ込んでたからな〜。ヒースの方  
 もわかっててやってるところもあったし。ええと、いわゆる…つーかーの仲ってやつ?」  
「つまり……仲良くどつきあいをしつつも幼馴染という枠とは別に、しっかり互いのこと  
 を見ていた、と言ったところでしょうか?」  
口々に自分の考えを述べる旅の仲間達を確認し、帰ってこない二人を思う。  
タイミングを見計らって、再び声を張り上げた。  
皆の声がぴたりと止まる。  
「それもまたよし。おかげで歌がたくさん出来ましたしな。二人に感謝…といった所です。  
 では、お次は間奏曲から『[アイ]ノヤリトリ』となります」  
うって変わって明るいメロディ。バスの声も陽気なものへと変化している。  
木々の葉擦れもそのリズムに乗るかのように、音を奏で始めた。  
 
 
◇◆◇  
 
 
ヒースがイリーナの中から、硬さが和らいだモノを引き抜いた後、二人でそろって地面の  
上に崩れ落ちる。  
呼吸が荒いし、久々に体験した強烈な快感に、言葉を紡ぐことがなかなか出来ない。  
少しづつ興奮が去り、霞がかっていた思考が晴れていく中、イリーナが自分を見つめてい  
る事に気がついた。  
「ヒースにいさん、ね?」  
そう言って腕を開く。導かれるように、自分に向かって開かれたその肩に額を擦り付けた。  
脇から腕を回して背中で軽く組むと、すぐにイリーナの腕もヒースの背中に回った。  
「……落ち着く、な」  
「そうだね。……嘘みたい」  
「何ガだ?」  
「あれだけいらいらしてたこと。私も、兄さんも」  
肩から顔を上げる。目線がまっすぐになり、互いの瞳を覗き込んだ。  
 
凪のようなイリーナの優しい瞳。  
体を重ねる前の、快楽に飢えていた時とは違い、穏やかなものだ。  
そんな瞳の中に映っているヒースの顔。潤んでいるせいでゆらゆらと揺れているが、いつ  
もなら目元口元に張り付いている“険”がなくなっているのが見て取れる。  
「ん、そうだな。…悪い。身体のほう、大丈夫か?」  
「うん、平気。すっごく、よかったから…ね」  
背中のほうで、もじもじとイリーナの指が踊っている。その素直な言葉に、ヒースの頬に  
カッとがのぼってしまい、直球な言葉に照れてしまってどうしようもない。  
「…イリーナサン。ハヅカシインデスガ……」  
「あはは、兄さん、顔真っ赤」  
「ダレノせいだ、ダレノ」  
「私のせい。ヒース兄さんにこんなことできるのは私だけ。知っているのも私だけ」  
臆面も無くイリーナが言い放つ。  
ヒースはそこいらの神官より口が立つため、イリーナに口で負けたことなんて殆どないが、  
こういうときだけは別だ。その信仰心と同じく、あまりにもまっすぐに自分を慕う言葉を  
口にする幼馴染には、あっさりと言葉と減らず口が封じ込められてしまう。  
 
もともと人からほめられるのは苦手だ。しかも長年身についた口調のせいで本質について  
は誤解されがちだし、自分でもあえてそういう人格を演じているところもある。しかし、昔の  
自分を知っているこの妹分にはかなわない。  
あっという間に言葉の防壁を突破されて、懐に入ってこられてしまう。  
どうにも気恥ずかしいので、それをごまかすために自分とイリーナの身体を見下ろした。  
「……あー、汚れちまったな」  
「あ、そうだね」  
服を着たまましていたため汗で服が張り付き、ところどころに白いものが飛んでいる。  
イリーナにいたっては内股から流れ落ちる液体でスカートや靴下に跡がくっきりとついて  
しまっていた。イリーナのほうは一度は浴びているが、もう一度汚れを落として着替えな  
おさないと、仲間の所へ戻ることはできまい。  
「水浴び、するか」  
「うん」  
 
「……一緒に浴びるか?」  
「うん。もちろんだよ」  
「……少しは照れろ、躊躇しろ!」  
「何を今更言ってるんですか」  
「うーあー……。まあイイか」  
一息、息をついて、イリーナの両手を取って、あげる。  
「ほい、ばんざーい」  
「?」  
手を離しても、素直に言葉に従って万歳の姿勢のままでいる。  
落ちかけていた神官服のすそをつかむと、がばっと一気に捲り上げた。  
「むー、ん。いひゃい、にいさん!」  
首のところで引っかかり、苦しそうな声が響く。  
「おー、悪い悪い」  
丁寧に首周りを伸ばして、ゆっくりとイリーナの頭を通した。鼻に布地が引っかかりそう  
になるのを、上手く誘導して頭を完全に抜き取る。そうすると、するすると腕を滑って服  
が外れていった。  
 
「…に・い・さ・ん……」  
「ふん、はじめに主導権を握られて悔しかったからな。仕返しだ、仕返し」  
手の中にある神官服を丁寧にたたんで、横に置く。その上にさっきはずした下着も。  
「…もういい。兄さんに胸もはずしてもらおうと思ったけど…」  
そう言って、あっさりと胸を覆う下着をはずしてしまう。  
「……ふん、次の時には上下ともきっちりオレサマが脱がしてやるからいいわい!」  
――惜しいことをした!という感じの口調で負け惜しみを呟き、ヒースも身につけたまま  
だった皮鎧と服を脱ぎ始める。『どうせ自分の服だし』と言う意識のせいか、適当に折り  
畳むと荷物の上へと放り投げた。  
「『ヒース兄さんの為に』これつけるの、やめようかな……」  
そんな兄貴分をじと目でにらみ、セットにして丁寧にたたんだ服と共にまとめ、足先へと  
手をかける。  
「ほお、そんな事言うのか。さっき『兄さんのための』とか『普段には使えない』なーん  
 ていってたくせにな。俺サマが大切にはずしてやったってーのに、一回だけ身に着けて、  
 見せて終わり。あーもったいないもったいない!」  
服を脱ぎつつそっぽを向いて、悔し紛れに悪態をついてみた。  
それを受けて、顔を赤くしてにらみつけるイリーナ。  
彼女から視線をはずしたせいで、その腕にぐっと力が入ったことに気がつかない。  
 
その手には白くて頑丈で、それなりの大きさがあるものが握られていた。  
「……ヒース兄さんの大馬鹿!!!」  
イリーナの怒声が響いた。  
ヒュンっと鋭く空気を裂く音が聞こえ、反射的にその方向を向いて身構えてしまう。  
目の前に迫った、靴の裏。  
「あが!!」  
すぱこーんと軽い音をたてて、ヒースの顔にイリーナのブーツがぶつかる。ぐらりと視界  
が回り、木々の間から空が見えた。  
(ナンダト――!!!)  
しゅっともう一回。  
「ぐぼあば!!!」  
続けて、どぐっと鈍い音を立てて、もう片方。今度はえぐるように体に突き刺さる。  
時間差できた衝撃に、体が浮かんだ。  
 
(あ、……オレサマ、やばいかも。……イリーナのやつ、本気で投げやがった……)  
体が浮いて、地面に落ちる。そんなわずかな時間なのに、永遠に続くように感じる。  
かすむ視界の中に、こう、色鮮やかな花畑が見えた気がした。  
(これがノリスのヤツが行った喜びの野か…?。こんなところで見るハメになるとは…)  
どさりと体が地面に落ちる。全身が叩きつけられる三度目の衝撃に、自分がまだ無事であ  
ることを悟った。  
……あくまで悟っただけで、意識はどこか遠いところへ吹っ飛びかけているのがわかるし、  
衝撃を受けたところは痛みを通り越して、麻痺してしまっている感じがする。  
(うーあー…いちおういきてるか。でもぜーんぜんみえねぇ。ほとんどおとがきこえねぇ。  
 いたみもなーんにもかんじねぇ……)  
視界が暗い。耳が遠い。思考が停滞する。  
そのくせ、叩きつけられた衝撃だけが体のなかに木霊する。  
「―――【癒し】」  
妹分の言葉が遠くなった耳にかすかに届いて、暖かい光が身を包んだのがわかった。ゆっ  
くりと痛みは消えてゆく。とはいっても衝撃は抜け切らない。いまだくらくらする頭を軽く振っ  
て、何とか瞳を開けた。体を起こして、声が聞こえた方向に顔を向ける。いくら自分で招いた  
こととはいえ、ダメージが体にいくほどの衝撃を与えられたことに怒りの声を上げた。  
「イリーナ!お前…な、あ……」  
 
その声が消えた。怒りも消えた。  
いまだゆれる視界の中にいるイリーナは何も身に着けていなかった。  
泉の中で立ち、体のすべてをさらして、こちらを冷たい眼光で睨んでいる。  
その裸身が月とランプの明かりと水面からの反射光を受けて、輝いているように見えた。  
思わず眼を見開く。少しずつ、その視界がクリアになっていった。  
 
きれいだった。  
きつい目つきも、その表情も、小柄ながら鍛え上げられたその肉体も。  
鎖骨の下辺りで輝く、唯一身に着けている小さめなペンダント。  
トップに組み合わされた幾つかの石は、あるものは肌に溶け込み、あるものはまろやかな  
光沢を帯び、あるものは鋭い光を自分へ返す。  
すべてが美しく、凛々しかった。  
常日頃の、表情がころころ変わって、いつまでたっても子供な妹分。  
抱くときに見せる、潤んだ瞳で表情でヒースを求める、大人な妹分。  
その両方を含んだ、目の前にいる女性。  
幼い頃から接しているイリーナとは別人に思える。  
なのに、やっぱりイリーナだった。  
よく知っている、大切な人だった。  
 
ぽかんと口をあけて、その姿を見つめる。見惚れてしまって声が出ない。  
裸身を惜しげなく自分へとさらしているのに、劣情なんて沸いてこない。  
光の反射のせいもあって、神々しさまで感じてしまう。  
 
そんなことを感じてしまう自分が信じられなかった。  
「にいさん…。ヒース、兄さん?」  
ふとイリーナの表情が緩んだ。ぴんと張り詰めていた二人の間の緊張感がとぎれる。自分  
じっと見つめ、何も言わない兄貴分に、さすがに心配になったようだ。  
「……あ、ああ……」  
やっぱり言葉が出てこない。先ほどまでの雰囲気は消え去り、いつもの通りなのに。  
「ねえ、どうしたの?」  
泉のふちに膝をつき、少し離れたところに座り込んだままの兄貴分を見つめる。片手をあ  
げて、ひらひらと動かした。  
「?おーい。頭の中身、どっかいっちゃった?」  
「――ンなわきゃ、ないだろう……なに言ってんだ」  
やっと茫然自失状態から回復して、声が出てきた。  
とはいっても少し上ずったようになってしまう。  
 
「だって、さっきから私を見たまま、何にも言わないんだもの。変なのはいつものことだ  
けど、今は更に変だったよ?」  
訝しげな声で質問を紡ぐ。  
「……理由なんて、いえるか!」  
「…ふーん。ねえ、もしかして……見惚れてました?」  
「うぐ!」  
「あ、正解だ。……うれしいな」  
イリーナが頬を染めてもじもじと体を動かすと、ペンダントが肌の上でゆれる。正直裸で  
それをやられると、かわいいとか、もうそういう問題じゃない。  
「……あ、あー…。くそー!悔しいがその通りだよ!」  
「よし!、珍しくほめられた!!」  
事実を言い当てられ、悔し紛れの声を上げるヒースとは対照的に、イリーナの声はかろや  
かに弾み、嬉しそうに手で水を跳ね上げる。きらきらと空中へ光が舞った。  
「……おいおい、なんか口調変わってるぞ?」  
「そお?ふっふ〜、舞い上がってるのかも。……まあそんなことはいいとして」  
「…いいのか、おい?」  
「うん。兄さん、水浴びどうするの?」  
「……お前さんから受けたダメージが大きすぎて、すっかり忘れてた」  
「怪我は治したでしょ?」  
手をあげて自分の顔に触れる。まだブーツが当たったところが若干ひりひりするが、問題  
なく喋れている訳だし、特に影響はないだろう。  
「ソーユー問題じゃないだろが…。水浴びはするぞ、もちろん。大体お前が乱入してこな  
ければとうの昔に戻ってるはずだったんだからな」  
 
とりあえず、まだ着たままだった服を脱ぎながら、妹分の声にこたえる。イリーナの全力  
投球のブーツを体に受けて、喀血しなかった事が幸い。変わりにくっきりと足跡がついて  
しまっているが、まあ血がついてしまうよりはずっとましだろう。土汚れは洗えば簡単に  
落ちる。血は落ちにくい。  
「いいじゃないですか。マウナのおかげで、久しぶりに二人っきりになれたんだし」  
「ふぅ…まあな。でもあいつにしてやられたなぞ言語道断。めちゃくちゃ悔しい。」  
イリーナの手が、水の中へと沈む。  
「そんな事言ってると……えい!」  
バシャっと音を立てて、しぶきが飛んだ。続けて何回も。  
冷たい雫がヒースの肌に降りかかる。  
「や、やめい!冷たい!」  
「ほら、早く来てくださいよ!」  
「……」  
肌を伝う雫を振り払い、ため息をついた。  
(やっぱりコイツはガキだ。どんなに大人になってもガキだ)  
 
散々イリーナに邪魔をされ、ようやっと服をすべて脱ぐ。すたすたと草の上を歩いて、泉  
の中へに足を踏み込んでいった。自然が組んだ天然のすり鉢状の空間は、さほど深くない。  
せいぜいヒースの腰に水面が届くか届かないか、といった所だ。水を掬い上げ、顔を洗う。  
伝わる水温は、やっぱり冷たく、心地よい。  
そこに再びイリーナが水をあびせ掛ける。今となっては特に驚きは無いが、もう一度、更  
に深くため息をついた。腕を伸ばして、びすしっ!と指でそのなめらかな額を鋭く弾く。  
「うきゃ!」  
「……この暴走娘!いいかんげんにしやがれぃ!」  
イリーナの頭を小脇にがっちりと抱え込み、赤くなった額にぐりぐりと力をこめて、拳を  
こすりつけた。  
「いた、いたたた、いたい!痛いよ、兄さん!」  
「ほれほれ!先ほどの俺様の痛み、少しは思い知れ!」  
「い〜た〜、ごめんなさいー。やめてー、さっきはごめんなさい〜!」  
痛みで顔をしかめながら、妹分がさけぶ。  
痛いのは本当のようだが、どうにも口調が棒読みだ。  
「……本気でそう思ってるか?」  
「あー、えーと。……さっきのは兄さんの自業自得だと思うのです」  
「――ぜんっぜん反省してないじゃないかー!」  
一声叫ぶと、まったく悪びれていない妹分の頭を抱え込んだまま、ふちのほうへ引っ張っ  
ていく。  
 
「だって!だって……兄さん、肝心なところで女心がわかってないんだもん!」  
「おんな、ごころ?」  
イリーナの大声とその内容に、足がぴたりと止まった。抱え込んだ頭を覗き込む。  
「せっかく、あれだけいい雰囲気だったのに、私はまだ――――っ!」  
叫び終わったとたんに息を呑み、その体が強張ったのが伝わってきた。しかしヒースとし  
ては、それよりも言葉の内容に含まれた意味を深読みしてしまう。少しの沈黙が落ちた後、  
恐る恐る切り出した。  
「…イリーナ。もしかして……?」  
「……そう、みたいです。はは、どうしたんだろう。どうして、まだ物足りないんだろう?」  
「……」  
「ねえ。兄さん、私、変なのかな?もっと兄さんを感じたい。兄さんが、ヒース兄さんの  
 全部が――欲しい。……こんな恥ずかしい事言う娘、…イヤだよね。私から求めるなんて、  
 ダメ、だよね。こんなの、私じゃ……ないよね…」  
少しづつ声の音量が小さくなっていき、最後の言葉はせせらぎの中に消え入りそうになる。  
だけど、その言葉はヒースの耳にしっかり入ってきた。そして、思考の中で、大きく響く。  
「あのな、何を……」  
「ああ、ごめんなさい。すっごく恥ずかしいから忘れて。忘れてください。お願い!」  
ヒースにしてみれば、何を今更、という感じもする。初めてのときの強引さもそうだったし、  
先ほどまで完全に主導権を握っていたのは誰だったんだ、という思いも。  
 
しかし、イリーナにとってみれば違うのだろう。強い衝動と快感に流され、思うがままの  
言葉を口にする時と、素面の状態で声にする時とでは、羞恥心の度合いが。  
「兄さん、腕、放して。ね、戻りましょう。もう服着て、みんなの所に戻りましょう!」  
続く言葉を無視して、泉のふちにある手ごろな大きさの岩に腰をかける。抱え込んだ頭を  
はずして後ろを向かせ、自分の膝の中へと座らせてその小柄な体を抱きしめた。  
「少し口を閉じろ。いいか、よーく聞いとけ」  
イリーナの口を手で覆い、黙らせてから耳元でささやく。  
「……別にイヤなんてことはない。ダメじゃない。そんなことを言ってるのもイリーナだ。  
 明るくて、素直で、時折“邪悪”に対して暴走して、みんなを困らせるイリーナだ」  
ヒースの手が下がり、口を開放する。そっと細い頤をつかんだ。  
「……にい、さん」  
「よく知ってる、俺の、イリーナだ」  
ヒースがイリーナの顎を捻り、唇を強引に重ねる。  
イリーナはヒースの首に片手を巻きつけ、唇を割り開いて、舌を求める。  
すぐに互いの舌が絡まって、水が流れる音とは別の水音が空気に響き始めた。  
互いをむさぼるキスを続けたまま、イリーナの空いていた手がヒースの股間に伸びた。  
「んん!」  
「む…んふ…」  
その手が、萎えたまま回復していない幼馴染の陰茎を、愛おしげになでる。  
 
くぐもった声がヒースから漏れた。それでも唇は離さない。深く、深く絡み続ける。  
負けじと右手のその指がイリーナの身体を上へと伝う。じらすようにへその周り、わき腹  
をなぞり、その上のふくらみへとたどり着いた。小さくてもやわらかい、自分の手にすっ  
ぽりと入り込んでしまう乳房を包み込み、やわやわともみしだく。既にその存在を主張し、  
硬くとがっていた頂を軽く転がした。左手は下へと降りて、太腿の弱い部分をゆっくりと  
なでる。時折スリットや、熱く充血した芽の付近をわざと掠めさせて、体を煽った。  
時々走る鋭い刺激にイリーナの指の動きが止まるが、少しの躊躇の後、再び動き出す。  
先ほどと同じ要領でしごくうちに、その手の中にあるモノが固く、熱くその存在を現しは  
じめた。  
下半身が熱い刺激を求めて、うずうずとする。それを互いの体への優しい愛撫とキスで押  
さえ込み続ける。  
何も言葉に出さなくても、己の体の感度を限界まで高めようとしていた。  
 
ヒースの首に回っていたイリーナの腕が、体のうずきに負けて、徐々に力が抜けていく。  
柔らかい唇も空気を求めて離れがちになってきた。それでも再びかじりつき、つながりを  
求めようとするその姿を見て、自分に比べればかなり無理な体勢をさせていることを思い  
出した。その小柄な体がずり落ちない程度に腕の力を抜き、唇を開放する。  
「…ん、は、ぁぁ――」  
「ぷぁ、…くはぁ……」  
切なそうな、さびしそうな吐息が互いの口から落ちる。  
その後は苦しくなった呼吸を整えようと、荒く息をついた。深呼吸が髪の毛を揺らす。  
「ねえ、兄さん」  
「何だ」  
「足、冷たく、ありませんか?」  
幼馴染の膝の中にいるイリーナはともかく、ヒースの足の先は冷たい泉に浸かったままだ。  
「…あー、確かに冷たい。すっかり忘れてた」  
「なら、ね?」  
そう言って、笑う。  
「わかったよ。そういうこと、だよな?」  
「……うん」  
その表情は、大人のものへと変わっていた。  
 
イリーナの体を腕の中に抱え、立ち上がる。  
小柄な体はやっぱり軽い。腕の中の妹分は少しでも負担を減らそうと、腕を伸ばしてヒー  
スの首へと手を回した。恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはにかむ。  
表情が再び子供のものに戻った。  
「……お前さん、飽きさせないな」  
「え、どういうこと?」  
「子供かと思ったら大人だし、大人かと思ったら子供だし。くるくる変わって面白い」  
「…そうなの、かな。」  
「そうだ。ま、そこがいいところかもな」  
水を蹴散らして歩く。水に濡れた肌に、森を通る風はひやりと冷たい。  
「うーん。よくわかりません」  
「わかんないならそれでいい。ただ俺以外に見せなければな」  
「はい。それは心配しなくても大丈夫ですよ。……さっきも言ったけど」  
肌とは逆に、腕の中の体は暖かい。そして心は熱い。  
「なら再び、よし」  
「はい。あ、兄さん…その、ちょっと耳貸してください」  
その言葉を受けて腕を動かし、イリーナの頭が耳の高さまで来るように調節する。ヒース  
の耳に口を近づけて、数言、つぶやいた。  
「マジですか?と言うか、いいのか?…して、くれるのか?」  
「……何回も言いたくないです。いいんです」  
「――わかった。サンキュ…」  
小さな体を大地に下ろす。  
草の上に座り込んだイリーナがその両腕を、求めるように、誘うように伸ばした。  
 
 
◇◆◇  
 
 
明るい空気が仲間の間を流れている。バスの軽妙な語り口のせいか、みんなの表情は笑顔  
に彩られていた。  
「お楽しみいただけましたかな?」  
「もちろん。だが……二人ともやっぱり成長してないの。特にヒースは」  
顔では笑いつつも、かつて仲間の『保護者』だった戦神官の声は優しくかつ厳しい。腕を  
上げているのに、別れた時から変わらない『長男』ヒースと『次女』イリーナの現状に、  
呆れているようだ  
「だねー。まあ、成長したヒースなんて、ヒースじゃないし」  
「そこまで言うか、よりにもよってアンタが!」  
『長女』のマウナが『次男』のノリスに手の甲で突っ込みを入れる。しごく簡単によけられる  
はずなのに、ノリスはあえてその手を額に受けてのけぞった。とはいってもマウナの腕に  
伝わる衝撃は少ない。  
「ひっどー。痛いよ。それにしてもみんなのその姿、見てみたかったな〜」  
手が当たった部分を押さえ、軽い調子でマウナを批判する。そして続く好奇心にあふれま  
くり、わくわくと踊りだしそうな言葉。  
 
懲りていない。まったく懲りていない。少し前の反省は、どこかに消え去っているようだ。  
「まったく……ま、私も人のこと言えないけどね…。ちなみに想像しない様に」  
「ええ〜。みんな結構イケそうじゃん。ボクは女装したことあるのに、みんなの想像すら  
 ダメだ何て、不公平だよ」  
ノリスは『痛い』と言う言葉とは裏腹に、まったく痛痒を感じていないようだ。  
どうやらいいタイミングで手と同じ方向に動き、ダメージを小さくすると同時に、派手に  
打撃を受けたフリをしたらしい。これまた妙なところで凝った事をする。  
「……ノリス。絞めるよ?」  
エキューが並々ならぬほどに冷たい声で、雪が降ってきてもおかしくないほど、冷やかな  
視線を向ける。  
何を考えているかよくわからない、にこやかであいまいな表情でノリスがそれを受け流す。  
沈黙が、落ちた。  
 
「よろしいですかな?…とりあえず色語りとしてのレパートリーはここまでなのですが…」  
「まだ戻って来なさそうだね。どうする?」  
歌を聴き、ノリスに突っ込みを入れている間、愛用の槍の手入れをしていたエキューが、  
焚き火を囲む皆を見回す。  
「このまま寝てしまってもいいけど、ちょっと早いかも知れませんね」  
その視線を受けて、同じく愛用の剣の手入れを終えたクラウスが疑問を投げかけた。  
 
「『ファリスの猛女』でも歌いましょうか?」  
待っていました、とばかりのバスの声。  
 
「「「いや、それはちょっと」」」  
 
既に《青の小鳩亭》で何回か聞いているマウナ、エキュー、クラウスの声が、それぞれの  
音階できれいに唱和した。顔の前でぶんぶんと手のひらを振る仕草まで同じだ。  
「ワシは聞きたいが……ちと方向性がちがいすぎるの」  
「うーん。店でよく歌うんでしょ?ならわざわざこの場で聞くこともないしね〜」  
ガルガドとノリスにしても、いくら聞いたことがないとはいっても、バスにとってもはや  
定番とも言える勇ましすぎる物語を、今までの艶話の後で聞く気は毛頭ない。  
「――そうですか……」  
柔和な笑顔の下に寂しさを押し隠し、リュートの弦にかけていた指を外す。  
歌う気満々準備OKだった気分が沈んでいるのが、全員に分かった。  
「あ」  
そんなバスを見てさすがに少し可哀想と思ったのか、マウナが小さな声を上げて、少し前  
のちょっとした出来事を思い出す。みんなの視線が彼女へと向かった。  
「何かあるのですかな?」  
「うん、あのね――」  
そう言って、バスだけに聞こえるように、その耳元で小さい声で話しかける。はじめこそ  
訝しげだったその表情が、言葉が進むに連れて輝いていった。  
「――って、ことがあったのよ。どう?これ、歌にできるかな?」  
「ほう。色っぽい話ではありませんが、それは面白いですな。いろいろと後につながって  
 いきそうです。ならば……即興曲にでもしてみましょう」  
いくつかの弦を慎重に弾く。やがて、始まりの音が決まったらしい。  
ゆっくりと弦を押さえ、爪弾いた。穏やかな音色と言葉が仲間内を、炎に照らされた光景  
を流れる。そしてとある日常が、その場に歌として再現された。  
 
 
◇◆◇  
 
 
体が揺れる。ある一定の幅でリズムを刻む。背中の下で草がこすれる。  
下半身に感じる重さが心地よい。感じる刺激は心に響く。  
音は耳に届く。光景が視界に大きく広がる。  
鎖骨にあるものが光を受けて鈍く輝く。  
ゆれるたびに空へ弾む首飾り。  
様々な動きで視界を切る。  
それは初めての光景。  
 
踊る白い体が心を沸き立たせる。  
「はは、前は、何回言っても『イヤ』の一辺倒で、絶対して、くれなかったのに、な」  
イリーナが自分の上に乗っている。この体位は初めてだ。  
見てみたくて、何度が求めたことはあったが、いつもあっさり拒否された。  
時にはその豪腕がうなりかけて、口を紡ぐしかなかった。  
「……逆の立場に…なった、時に、判ったの」  
一度だけ、性別が入れ替わったときに、自らその乱れる姿を見せたことがある。  
そのとき以来、自分からは口にしていない。妹分自ら求めるのを待っていた。  
「……」  
無理にしても、感じてはくれるだろう。  
でも心に傷を、ほんのわずかな傷を残すと思ったから。  
「あのときの兄さん、すっごく、きれいだった。すっごく、えっちだった」  
快感を互いの身に送りながら紡がれる、イリーナの言葉。  
「私はそれを見て、すっごく、興奮した。男になった、身体が…高ぶった」  
その刺激に半ば上の空になりながら、幼馴染は奥底の思いを声に乗せてゆく。  
 
自分は黙ってその言葉を聞く。  
「それが、わかったから…。兄さんが言っていた事の理由が、わかったから」  
そして、ようやく見せてくれた。妖しく乱れる恋人の姿。その姿は艶やかで、いじらしい。  
「今まで、決心がつかなくて、出来なかったけど…。今日なら、いつもと違う今日なら、  
 ……照れることなく、出来そう、だったから……」  
身にヒースの剛直を自ら埋め込み、動き始めた時こそ遠慮がちで、恥ずかしそうだった。  
「それにね、私から動いてるのを、見てもらえるのが、とても気持ちいいって、たった今、  
 知ったから。私が…乱れる姿、もっと、もっと、ヒース兄さんに、みて欲しいから」  
しかし、今はその動きは激しくなり、自らの弱い部分を積極的に攻めている。  
快楽に沈み、貪欲に求めている。  
「だから、みて、ください。私が……私の姿、目に焼き付けて、クダサイ――」  
快感と荒い呼吸のせいで、まとまり無く、途切れ途切れの音となる思考。  
イリーナのその声と姿と思いは“男”の本能を刺激する。  
ヒースの理性が“女”を求める欲求に溺れてゆく。浮き上がる気は微塵もない。  
むしろ喜んでその欲望の中へともぐっていった。  
 
腰に手を沿え、イリーナの動きに合せて小さく律動をし始める。  
「…ぁ、くふぅ……ん…ひぃ…」  
その愛らしい顔が新たな刺激でわずかにゆがんだ。もっと深くヒースを求めているのか、  
鍛えられた背中を大きく反らして下半身をこすりつける。  
「ぐ、…危ない、ダロウガ……」  
その姿は、今の自分の体勢がわからないのか、下から見上げていると危なっかしい。  
後ろへ倒れこんで、頭を打ってしまいそうで見ていられない。寝そべっていた体を起こし、  
腰に置いた両手を背中に回した。力をいれて引き寄せ、抱きしめる。正面で抱き合うよう  
な形になった。つぶれた胸の感触が柔らかい。  
 
ふわりと瞳の周りを縁取るまつげが動いた。  
「あ、にい…さん…」  
イリーナが正面に来たヒースの顔をとろけた目でじっと見つめる。  
ふとその視線をはずして、ヒースの肩に頬を押し当て、ぐりぐりとこすりつけた。  
「むう〜。ヒ〜ス兄さ〜ん」  
めったに聞くことのない、自分しか聞いたことの無い甘い声。  
「――猫か、お前は」  
その小動物的なかわいさに、動物好きの血がふつふつと騒ぐ。  
「ん〜、そうかも〜。…たまには、いいじゃないですか。猫みたいに…甘えてみたって」  
イリーナへの思いも相まって、もだえ転がりたくなるぐらいに、愛しい。  
「イヤ、お前さんの場合猫っつーよりは、犬っぽいから、なんだか新鮮でな」  
「えー、犬だって……小さくて、かわいいじゃ、ないですか。……ン」  
「……小さい犬と言うよりは、大型の獰猛犬……アノ、イリーナサン……」  
胸板に触れていたイリーナの手が、ヒースの首に周り、ゆっくりと力が入っていく。  
「……誰が、何ですって?」  
「イエ、ワタクシハナニモイッテオリマセンデス、ハイ。イリーナサンハコイヌノヨウニカワイイ  
 オンナノコデスカラネ」  
「……もう。女は、いろんな顔を…持ってるんですよ?」  
やっと首から手が離れ、肩に置かれる。とりあえず当座の命の危機は去った訳で、大きく  
深呼吸をして、あがってしまった息を整えた。  
「あー、うー…いろんな、ねえ……」  
「あぁ、疑って、ますね……」  
「だって、普段が普段だしな」  
「……兄さんに、…くはぁ…言われるなんて、少しショックです」  
「け、いつも言われまくってるオレサマノ気持ちを少しは味わえ!」  
「はいはい。続き、しますよ?」  
投げやりなヒースの言葉に、適当な返事を返す。ヒースのあごを取って軽いキスをした。  
 
肩に置いた腕を始点にして、緩やかになっていた動きを、再度大きくする。  
それに合せて、ヒースも腰をゆすった。  
「ふひゃ……あ、は……」  
妹分の首にあるペンダントが弾み、ヒースの鎖骨に当たる。  
かすかな振動が骨を伝って体へと回る。  
下半身がぶつかるたびに乾いた音を立て、収まりきれなかった蜜が、二人の間を伝った。  
「う……ぐ――ハア、はぁ…」  
刺激を求めるイリーナの動きが少しづつ小さくなってゆく。  
「くぅ……ぅん。ヤダ……もっと、もっとなの――」  
漏れる言葉は対照的で、まだまだ快感を貪りたい欲求であふれている。  
続けざまにしている為、徐々にではあるが、体力を削られていたのだろう。  
イヤイヤと駄々っ子のように首を振り、ヒースの首筋にしがみついて肩へ弱く歯を立てた。  
小さい歯が、皮膚へと食い込む。  
「い、イリーナ……ちと、いたい、から…やめろ……」  
不意に走った痛みをこらえきれず、そうヒースが漏らす。イリーナのお尻を割っていた両腕  
が離れた。  
「ごめん、なさい…つい……」  
そう言って、イリーナが口をはずす。肩口にうっすらと赤くついた歯形を、舌でぺろぺろと  
舐めはじめた。肌の上を這う舌のざらついた感触がくすぐったい。  
(……マジで今日のイリーナは、甘えん坊の子猫、だな)  
自分の肩を無心に舐めているイリーナをを横目でみながら、ヒースは思う。むずがる妹分  
の背中に、動物の毛皮をなでるように優しく指を這わすと、ちゅっと軽い音を立てて、頬や  
まぶた、耳や首筋、唇に口付けを落とした。  
 
小柄な体を抱きしめて、胸の中にあるもの全てを覆いつくそうとする。キスを続けるうち  
に徐々に前傾姿勢となり、いつの間にかしなやかな肢体を大地に組み敷いていた。  
「見せてくれた、礼だ。…今度はキツク、いくぞ」  
大きく開いた足を取り、軽く体をひねらせて膝下を肩に乗せて、両腕でよく鍛えられた膝  
上を抱え込む。そのまま腰を大きくストロークさせると、イリーナが草を握り締め、沸き  
起こった快感に歓喜の声を上げた。  
「ひゃあ、――兄さん、兄さん!」  
イリーナの中は、一度自分が放ったものの残滓と零れ落ちる蜜のせいで、滑らかにすべる。  
そのくせ、続く興奮と度重なる刺激のせいで、複雑に絡みついて、怒張を味わい吸い尽く  
そうとそうとする。ヒースとしてもすでに二度放っているわけだから、若干の余裕はある。  
しかしその体中に響く強い刺激と、気が遠くなるほどの心地よさに変わりはない。抱え込  
んだ膝に時折口付けを落として、舌で舐る。  
 
「いやぁ……そんなところ、やめて……」  
普段はそんなところを刺激することは無いから、未知の感覚と感触に、イリーナの心が高  
鳴る。身じろぎするが、体を捻られているせいか、自由には動けない。  
体の奥底を再び突かれて、きつい振動が大地に落ちた体を揺さぶる。同時に繋がった部分  
に幼馴染の指がのびて、痛いぐらいに張り詰めた花芯を遠慮無しに刺激する。  
激しい行為。  
いつもは優しい兄貴分からもたらされる、今日二度目の躊躇のない快楽。  
それが少しだけ怖くて、すごく嬉しい。  
立ったまま、後ろからだった一回目のときとは違って、ヒースのきつく目を閉じ、自分の体を  
貪っている表情がかすんだ視界内にある。それだけで安心する。きつく抱きしめてはくれて  
いても、どこか不安だった時とは違った。  
 
目を開けた。少し先にある、イリーナの瞳と視線が絡む。  
妹分が、笑った。快感に蕩けた顔の中に、一瞬だけの子供の笑み。  
そして安心したように瞳を閉じ、自分の動きに身を任せる。  
半開きになった唇から漏れる、思考の中に響く艶声。それはますます体を暴走させる。  
遠慮なんてしてやらない。  
まだ満足していないならば、思う存分に体を高みへ押し上げて、満足させるだけだ。  
ヒースとしても、いつもはここまで割り切れない。  
大丈夫と言われてはいても、なんだかんだで優しい行為を繰り返してきた。  
一度目はまさしくそう。  
暴走しかけた自分の体を、抱きしめることで押さえ込んだ。  
その後のことはおぼろげだが、今ほどはきつく攻めてはいないだろう…たぶん。  
でも、イリーナがいつもと違う事を自分にしてくれたのだから、それに答えよう。  
幼馴染への答えは、以前求められた、この激しい行為。  
そして、彼女はそれを躊躇無く受け取り、快楽に踊った。  
 
自在に絡みつき、貫く剛直を味わい尽くす内部の動きが、変わってくる。  
緩やかにヒクツいていたものが、小刻みになり、キュッと強く締め付ける。  
絡んだ足に力が入った。  
「――ぁあ――あ……」  
小さい声が耳に届き、意識へこだまする。  
吸い尽くそうとするイリーナの胎内に、意識を引っ張られながらも、何とか放ってしまう  
ことだけは押さえ込んだ。  
叩きつける動きを緩やかにして、パタリと力が抜け落ちた足を開放すると、体勢を変える。  
体の上にのしかかり、再び大地へと組み敷いて、目の端から零れた涙で、ぐしょぐしょに  
濡れている頬を、手のひらと唇で穏やかになでた。  
 
「う…あ…落ち着いた、か……?」  
「……うん。ゴメン、なさ、い…。私だけ、先に…」  
イッたばかりで途切れがちになる声が返ってきた。  
「イヤ、いい」  
そう言って、ゆっくりとイリーナの中をヒースが動く。  
今度は激しすぎる行為とは正反対。でもイリーナの心は穏やかだ。  
例え激しくは無くても、ヒースに求められ愛しく思われている事を知っている。  
そんな自信と確信があるからだろう。  
「ん…ひぁ……ねえ、にいさん…」  
時折漏らす声に焦燥や落胆はなく、ただ語りかけているのみ。  
「…ハァ…ふっ…何、だ?」  
呼吸で途切れるヒースの声も柔らかい。  
いつもの皮肉っぽい、どこかとげのある物言いは完全になりを潜めていた。  
「ううん……何でも、ない。んン…ぁふ…」  
「?変な、やつ。ぐ…うぅ……」  
触れる滑らかな体の熱さと、対照的な、刺さる森の空気の冷たさ。  
大きい動き、小さい動きを繰り返す。そのたびに互いの呼吸が荒く弾んで、肌を掠める。  
互いの手を重ねてギュッと強く握り締めて、快楽という迷宮に迷い込んで堕ちてゆく体を  
つなぎとめていた。  
ゆっくりだった動きが再び速さを増してゆく。  
一度達したイリーナの体はすぐに反応し、まだ達していなかったヒースの体は、イリーナ  
の反応を敏感に感じ取る。  
 
調和の取れた音楽の中をたゆたうような、独特の幸福感が二人の間を支配した。  
 
「…くぉ……あ、ぁぁ…」  
「あ、あぁ……ひう、ひぃあああ――」  
かき回しかき回されるたびにぞくぞくと背筋が震え体に無理な力が入る  
その力を制御できない  
感じるがままに相手に力のすべてを叩きつける  
声がまわるまわる高い音色低い振動愛しい響き  
艶をおびる知っている声知らない声大人の声  
体中の神経すべてが快感に反応して性感帯になってしまったかのよう  
強く回されいている互いの腕が熱くて痛くて気持ちいい  
唇の中で互いを吸い上げる舌が唾液でぬめる  
ぴたりと密着したままこすれる肌が摩擦熱であつい  
あつくてもいい融けてしまえばいい混じってしまえばいい  
境界が曖昧になる思考蕩け合うからだ行き来する刺激  
それは一つででも一つじゃない  
どこまでわけいっても自分達はあくまで別々のモノと存在  
互いを感じる互いの快感を感じ取る  
それは快楽を高め心を高め体を高みへと運び上げた。  
 
「イリーナ……いりーな、っ――!」  
ヒースは一気に快感が頂点へと達し、その中へすべてを放つ。  
 
「――ンッ…くぁふ……ヒース、兄、さ、ん……はぅ…」  
イリーナは強く達したあと、注がれるモノの感触の中へ漂う。  
 
兄貴分の力が抜ける。  
「…はあ……はあ……ぁ――」  
ぐったりと腕が崩れ落ちるのを何とか食い止めて、ただ呆然と小柄な体を見下ろした。  
 
妹分の力が抜ける。  
「ハァ…ん。――ふ……」  
いまだに体を支配する緩やかな快楽に負けて、とろけた瞳と手で上の顔を引き寄せた。  
 
幼馴染が唇を重ねる。軽い口付けをする。何度も確認するように接吻をする。  
上でつながる。下でつながる。体がつながる。心もつながる。  
 
その姿が浮かぶ夜の『ヤミ』  
せせらぎの始点の『泉』  
いるのは深い『森』  
大切な『恋人』  
 
すべてがつながった恋人達の優しいキスは、どちらからとも無く終わるまで続いた。  
 
◇◆◇  
 
穏やかなリュートの響きが炎を揺らす。  
誰も何も語らない。あのノリスでさえ、何かを考え込んでいた。  
その静寂の中、バスがつぶやく。  
「夜のヤミ。二人がいるのは泉、森の中。その関係は恋人。ならばたった今紡がれている  
 詩の題名は――『ヤミと泉と森の恋人』。意味がよくわからないですかな?……まあ、  
 たまにはこんな題名も良いでしょう」  
皆が伏せてしまっていた顔を弾かれたように上げる。  
炎に照らし出された顔には、それぞれの個性を示すような表情が浮かんでいた。  
「題名だけ決めちゃっていいの?」  
楽しそうな、ノリスの声。内容こそ疑問ちっくだが、そこまでは考えていないに違いない。  
「かまいますまい。題名から物語が広がる事だってあります。題名とは紡ぎ終わった後に  
 つけるものとは、一概には言えませんから。まあ、大きくは変わらないでしょうが……」  
ゆったりと答える。なんだかんだで二人からいろいろな出来事を聞きだし、回りを取り囲む  
仲間達からの補足を受けて、それらを歌へと変えてきた。その歌の中には、もちろんその  
ままの部分もあるし、歌としてのエッセンスとして描写をつけ加えたところもある。  
 
歌のすべてが真実とは限らない。  
だからといって、歌がすべて虚実だとも限らない。  
ただ、自分が紡ぐこの仲間達の歌は、目で見て、本人から聞いて構成したものばかりだ。  
「もしワタクシの紡いだ歌が他の吟遊詩人たちに伝われば、歌の中身は時代に合わせ、  
 少しづつ変化してゆくことでしょう。吟遊詩人の役割は、うたい、広め、伝説を紡ぐこと。  
 現実と真実が違うことも、変化していくことも、歌の中ではまた一興……」  
再び静かにつぶやいた。  
誰も、何も答えない。穏やかな静寂が、皆をつつむ。  
「さて、長くなりましたな。これをもちましてワタクシの持っている幼馴染の契りの物語  
 は終了となります。続きがあれば、また後日。御静聴を感謝いたします」  
声をわずかに張り上げる。夜の空に、締めの言葉が張りを持って響いた。  
泉にいる当事者達に気を使ってか、仲間内から打たれる拍手の音は幾分控えめだ。  
それでもその表情は活気に満ち溢れ、満足げなものとなっている。若干眠そうな表情に  
なっているものいるのは、時間考えれば、仕方が無いこと。  
それを確認し、細い目を更に細めて、微笑を浮かべた。  
「……まだ二人は戻ってきていませんが、もう少しすれば帰って来るでしょう」  
風によって生み出される音、森に住まう動物達の奏でる声以外には何も聞こえない。  
二人の音も、聞こえない。  
 
◇◆◇  
 
水浴びしようとしたのに、結局は行為へなだれこんでしまった為、改めて水を浴びて身を  
清める。新しい服を身に着けて、一回目の行為と土で汚れてしまった服は、特にひどい所  
だけを仮洗いして後は帰ってから。  
「あー、だいぶほどけちまったな」  
着替え終わったヒースが水面に半ばめり込んでいる小さい岩に座り込んで、水鏡に顔を  
うつしてがりがりと頭をかく。既に大分ほどけてしまっていた髪が、そのせいで更に歪んで  
しまう。絡まった淡い金色の髪がイリーナの目に入った。  
「………そうだ!」  
自分の荷物に駆け寄る。その中を探って、あるものを取り出した。それを持って、ヒース  
の元へ戻る。  
「兄さん、後ろ失礼しマース」  
そう言って、座ったままの兄貴分の後ろへ回った。  
「イリーナ?何もって来たんだ?」  
「んー。くし」  
返事を待たずに尻尾を作っているリボンをはずし、自分の首に巻きつけてチョーカーのよ  
うにする。大きな背中に滑り落ちた髪の房を持ち上げて、櫛を通し始めた。  
「おい、別にそんな事せんでも……」  
「兄さん髪長いのに、全然手入れしてないって言ってるんだもん。私だって、一応女の子  
 ですから気になります」  
櫛の歯が静かに髪の間を通ってゆく。時折ある引っ掛かりには、髪を持ち上げて丁寧に  
絡みをほぐしていく。あまり器用ではないかもしれないが、そんな動きは常日頃手馴れて  
いるものだ。  
 
「……兄さんの髪。すっごくきれい…」  
イリーナの手の中でプラチナブロンドの髪が空気に舞う。それはランプの光と月明かりを  
わずかに反射して、内部からほのかな光を放っているように見えた。  
「そうか?あんまり気にしたこと無いからな…」  
「そうでしょうね。そういえば、何で髪の毛、伸ばしてるの?」  
「んにゃ、特に理由はない。ただほっといたらこうなった」  
前にこぼれた毛先を持ち上げ、空にすかしながら応じる。所々にある枝毛切毛は、手入れ  
をまったくしていない証拠だ。その割にはぼさぼさにならずに、何とか落ち着いて上手く  
まとまっているのは、髪質のせいだろう。  
まあ勉強をする時に邪魔にならなければ、そんな事はどうでもいい。  
「髪短いのも似合うと思うのにー」  
「いちいち切りにいくのがメンドクサイ。これならあまりに長くなったら、ナイフあたりで切って  
 も全然問題ないしな」  
「……兄さんらしいね」  
そんなことを言っている間に、髪の毛全体に櫛を通し終わる。分け目を調えてすっと背中  
のほうに髪を流すと、首の中ほど部分を手に取り、少しだけ持ち上げた。  
現れたうなじは普段は髪に覆われて見ることがないせいか、妙に色っぽく感じる。それに  
女として悔しさを覚えつつも、触れたいという欲求が沸き起こる。  
欲求にしたがって、キスをした。  
「おぁ!!」  
突然の感触にヒースから悲鳴が上がる。ちゅっと音を立てて強く吸うと、日に焼けた痕跡  
のない、白いのにがっちりとした首筋に赤い跡が散った。ぽんやりと赤くなった部分に触  
れて、にぱりと笑う。  
 
「私の、ヒース兄さん」  
「……何言ってんだか」  
 
言葉だけ見ればぶっきらぼうだが、顔はほのかに赤くなり、声色には抑えきれない照れが  
混じっている。その表情になんともいえない暖かさで心を満たして、自分の首に巻いてい  
たリボンをはずし、手の中にある髪の毛へ巻きつけた。  
ぐるぐると何週も回して、最後に蝶々むすびに……する?  
「あ、あれ?上手く、いかない……」  
あせりまくっているイリーナの声。何回もほどいてやり直しているが、一向にその手は止  
まらない。  
「どうしたんだよ」  
「にいさ〜ん。蝶々が縦になっちゃう…」  
ヒースが後ろに手を回すと、確かにリボンの結び目部分が縦になってしまっているのが指  
先に伝わってくる。  
「あー、いい。俺がやる」  
毎日自分でやっている訳だから、お手の物。結び目を完全にほどいてもう一度結びなおし、  
あっさりといつもの通りに戻してしまう。  
せっかく付けた所有物としての証が、隠れてしまった。  
「ほい、終了」  
「あーあ、何でこう不器用なんだろう」  
隠されてしまった事が少し悔しい。それを隠そうと、両手を開いて悲しそうに手先に視線  
を送る。…まあ、自分の不器用さが悲しいのも事実だが。  
「それは練習あるのみ。今度教えてやるよ。…さて、クシを貸せ」  
そう言って、ヒースがイリーナの手からくしを奪い取った。  
 
立ち上がって、今度は妹分を岩に座らせる。  
「お礼に、俺もやってやる。じっとしてろよ?」  
「うん」  
大きな手がイリーナの頭に触れ、やがて、髪の中へ歯が通って行くのを感じた。  
ゆっくりとしたリズムが心地よい。それに、こんなに無防備に後ろをさらしているのに、  
あるのは奇妙なまでの安心感と、穏やかな安らぎだ。さっきまでの自分の動きをトレース  
するように丁寧に動く兄貴分の手が気持ちよかった。  
「イリーナ、少し顔を伏せてみ?」  
その言葉の通りに下を向く。水が鏡のようになり、自分の顔を移しこんでいた。手が動く  
のが見える。広い手が動くたびに、自分の若干癖のある栗色の髪がさらさらと滑っていく。  
やがてヒースの手が止まり、きれいに櫛の通った横髪を一房持ち上げ、ゆっくりと口付け  
を落としたのが見えた。  
「……兄さん。少し、気障です」  
本当はすごく嬉しくて、胸が高鳴っているのに、口から出てきたのはこんな言葉。まあ顔  
に血が上っているのがわかるから、たぶん照れ隠しにしか聞こえないだろう。  
「よしよし、意図した通りだな。…まあ柄にもない事したとは思うが」  
そんなことを言うヒースの顔も赤くて、ついさっきまで、こんなことより更に恥ずかしいこと  
をしていたなんて、到底思えない。  
「くす…、やっぱり兄さんは兄さんだ」  
「よし、帰るぞ。ちと時間がたちすぎた」  
櫛をイリーナへ返し、立ち上がらせる。  
荷物をまとめた所に行くと、いくつかの荷物をひょいとイリーナへ放り投げた。  
投げられた自分の荷物に駆け寄りながらしっかりと受け取る。  
「うん!……私、水袋持ちますね」  
まだ置いたままの水袋を手に取る。満水になった袋は重い。  
「ん。じゃあ俺はこっちのやつな」  
同じく自分の荷物と調理用の少し大きい水袋とランタンを手に、森の中へと踏み出す。  
そんな幼馴染の後姿を、白いマントを翻して、チョコチョコとイリーナがついて行った。  
 
言葉をかわす。日常のこと、森のこと、勉強のこと、神殿のこと。  
話がすれ違っていたときを埋めようと、話題は次々と出てくる。  
毎日顔を合せているのに、なぜか話題は尽きない。  
心穏やかになったせいか、普段はあえて言ったことのない言葉がイリーナの口から出よう  
とした。  
それを止めない。  
今なら素直に兄貴分へと言える気がした。  
「だから…私は―――ふぁ、ぁん…むぅ〜」  
……言おうと思った言葉が、突然出てきたあくびで、意図とは裏腹に途切れた。  
頭の中が、なんだかボーっとしてくる。  
「なんだ。もう眠いのか」  
「……うん、そう、みたい」  
抱かれた後独特のけだるさが、体と思考に侵食してきたのがわかる。  
さっきの言葉の続きがその中へと埋まっていった。  
「相変わらず規則正しいやつ…」  
「…うぅ〜」  
手から持った荷物と水袋がすべり落ちそうになる。それを慌てて受け止めるが、すぐに腕  
から力が抜ける。呆れたようにため息をつき、ヒースの手が全部の荷物を奪い取った。  
 
そして背中を向けてかがむ。  
「仕方ないな…ほれ」  
「ん?」  
視界内にあるその背中はとても広くて、頼りがいがある。  
「特別サービスだ」  
「……おんぶ?」  
気を抜いてしまえば落ちていきそうなまぶたを何とか気力で持ち上げる。眠くなった自分  
をヒースは子供のように扱うが、別にイヤじゃない。ついでとばかりに甘えてしまう。  
「そうだ。とっととおぶされ。…イリーナ、思考回路が退化しとらんか」  
そんな妹分を優しく促し…ついでに皮肉の一言も織り交ぜる、兄貴分。  
「むぅ…そうかも」  
皮肉だと判ってはいても、もうそんな事どうでもいい。眠い目をこすりながらかくかくと  
うなずいて、首に腕を軽く回してその背に体を預ける。  
「よっこらせ…っと」  
親父くさい言葉と動作と共に、ヒースが立ち上がった。手には二人分の荷物と水袋を持ち、  
力が抜け切ったイリーナのからだを背に抱えているので、かなり動きにくそうだ。  
「ま、あと少しだし、何とか大丈夫だろ…」  
そう一人ごちると、仲間達がキャンプを張っている方向へと歩き出した。ゆったりと体が  
揺れる。ヒースの首筋からの心地よい匂いを感じ、その大きな背中を頼りに思いながら、  
イリーナの思考は睡魔の中へと落ちていった。  
 
      △ ▼ △ ▼ △ ▼   
 
 
あたりに注意を払っていたマウナの耳が物音を捉えた。  
「さてっと。私は薪を探してくるね」  
「……薪はかなりありますが?」  
理由なんてお見通しの癖に、見張り番を共にするバスがしれっと答える。ゆっくりと立ち  
上がり、ランタンに火を移す。暗いところでも不自由は無いが、用心のためだ。  
「まあ、今回のことは私が仕組んだからね。少し顔を合せづらい…って言う所かな」  
頬を指で軽く掻き、座りっぱなしで硬くなった身体を軽くほぐす。  
「イリーナはともかく、ヒースは…ですね」  
「そう言う事。じゃあ、行ってくるね。ころあいを見計らって、帰ってくるから」  
「はい、行ってらっしゃい。二人のことはお任せあれ」  
軽くランタンを掲げて木々の中へと消えてゆくマウナを、芝居がかった仕草と声で見送る。  
草の上に横たえていたリュートを手に取った。  
 
 
しばらくたって、しゃくり、かさりと草を踏みしめる音がひびく。すぐに、炎で作られた光の中  
に長身の魔術師の姿が映りこんだ。  
「わるい。遅くなった」  
ゆっくりと歩み寄るヒースの背にはイリーナがいて、安らかな寝息を立てている。  
「お帰りなさい」  
出迎えの言葉は少ない。炎をみているのはバス一人。マウナの姿は当然この場にはない。  
他の皆は既に眠りへと落ちている。手の中にあるリュートの弦をはじき、慎重に音の調節  
をしていた。  
 
「マウナの大馬鹿者は?」  
「今席をはずしています。すぐに戻るでしょう」  
「ん、そうか。……見張り決めのときにいなくて悪かったな。どんな順番になった?」  
手にした二人分の荷物と、数個の水袋を器用に地面へとおろす。  
「はじめはワタクシとマウナ。次はクラウスさんとノリス。その次がガルガドとエキュー。  
 あなた達の番は夜明けの…最後の番です。今はお疲れでしょう、休んでいてください」  
「……そうさせてもらうぞ。イリーナは寝ちまうし、俺も眠い」  
そう言って、置きっぱなしになっていた、自分とイリーナの荷物の中から毛布を引っぱり  
だして適当に地面に敷いて用意する。その背をゆすって、背中で眠る妹分に声をかけた。  
「ほれ、イリーナ。降りろ。重い」  
「…うう、ん。にいさん、…ひどい…私、重く、ないもん。スゥ…」  
夢見心地の声が返って、のろのろと首に回していた腕が離れる。その瞬間、イリーナの顔  
にさびしそうな表情が移るが、すぐに睡魔によってかき消される。  
「まったく、手間のかかる……」  
一人つぶやくヒースの瞳は言葉と裏腹に優しい。再び眠ってしまったイリーナを毛布の上  
におろし、丁寧にその身をくるむと、自分もその隣に敷いた毛布に横になる。  
「では、よい夢を」  
そうバスがつぶやき、穏やかな子守唄をかなではじめる頃には、二人の意識は夢の中へ  
落ちていった。  
 
 
二人が眠りに落ちてすぐ、再び草を踏む音が響いて、マウナの姿が現れる。手には先ほど  
言った通り、いくつかの薪を持っていた。  
「ただいま」  
「お帰りなさい。二人は既に眠っていますよ」  
「……特に文句も言わなかったみたいね。よっぽど疲れたのかな?」  
「【風の声】ですか」  
「ちょっと無粋だと思ったけど、一応、ね。…まったく、けっこう長かったわね」  
新たに持ってきた薪を、炎のそばに置く。その勢いで、積んであった木が崩れ落ちた。  
がらん、からんと木々がぶつかり合う軽い音が鳴る。  
「ここ最近、互いに忙しかったようですからな」  
薪を丁寧に積みなおす音、風で梢がのこすれる音、バスの奏でるリュートの音が重なる中、  
ころりとイリーナの体が転がり、隣のヒースに寄り添うような形になった。  
少しあと、ヒースの体が動き、腕がイリーナを包むようにその体に回る。  
その二人の寝顔はこの上なく幸せそうに見えた。  
「だいたい、何で私があんた達に気を使わなきゃなんないのよ。自分達の問題ぐらい、自  
 分達で解決してほしいものだわ」  
二人のそばに座り込み、イリーナの頬をむにむにと、ヒースの頬はぐりぐりとつつきなが  
ら小声でつぶやく。  
「はあ。本当に、幸せそうな寝顔しちゃって。少しうらやましい……」  
疲れたせいか、二人が起きる気配は微塵もない。  
すやすぴと、安らかな寝息を立てている。  
「マウナだって、可能性は大きいでしょう?今現在の状況をみるに」  
「そうかもね。でも今はまだ考えていないから。小鳩亭のことでいっぱいいっぱい」  
 
立ち上がると背をぐっと伸ばし、眠っているエキューとクラウスに視線を向ける。  
その表情は穏やかで、柔らかい。  
「そうですか」  
「うん」  
言葉が途切れる。  
夜と森のヤミと、歌にまぎれるかすかな泉のせせらぎが、冒険者達の体を癒すように優し  
く包んでいた。  
 
※        ※        ※        ※        ※  
 
―――更に進む二人の関係。  
 
   どうでもよくなりほっときつつも口と手を出すいつもの仲間。  
   あれこれと気遣う猟師な精霊使いに『自分も』と夢見るマニアな槍使い。  
『子供達』を優しい眼で見守る戦神官に尾鰭を付ける無責任な芸術神官。  
   腕は一流思考はおこさま悪戯盗賊に商売上手な飛び入り参加の実直戦士。  
 
   まっすぐに想い人を慕う娘に捻くれた表情の下に優しさを秘める青年。  
   近すぎるがゆえに互いの思いを言葉にする必要のない幼馴染。  
   それではダメだと思いつつもやっぱり変わらぬその関係。  
   思考の切り替え。望みの明瞭。視点の切り替え。  
   その切っ掛けはもうすぐそばに。  
   それに気がつくのはもう少し後。  
   そんなふたりの体の交わり、互いの思慕の表現方法。  
 
   さてさて、この二人はどのような愛を育ててゆくのか。  
   仲間たちはこの二人をどのようにちゃかしてゆくのか。  
   まだまだ語るべきことは数多くあるはずですが、歌語りはこれまで。  
   次の終曲を持って一連の物語は終演とさせていただきます。―――  
 
 
    『ヤミと泉と森の恋人』  END  
 
 
 

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