さて、今俺はとても困惑している。  
とりあえず、俺の状況を説明しよう。  
今日は珍しくイリーナの家で夕食をご馳走になった。久しぶりではあるが、学院に入学し  
たてのころは、一人都会に出てきた俺を気遣ってか良くあったことだ。俺は卓につき酒を  
飲んでいるが、イリーナとおふくろさんは片付けで席を外したっきり戻ってこない。食堂  
の中で親父さんと二人っきりだ。  
そこまではいい。  
いつもだったら、まあ、たわいのない話を交わし、適当なところでお暇する。  
ただそれだけの事だ。  
問題は、今は互いに沈黙し親父さんの視線がただひたすらに俺に集中している事。こんな  
ことは初めてなもんだから、なみなみならぬほどに居心地が悪い。親父さんの何か言いた  
げな、そのくせ俺が何か言い出すのを待ってるかのような視線が、はっきり行って怖い。  
今でこそ落ち着いているが、あのクリスさんとイリーナの父親だ。  
昔は神官戦士として(いい意味でも悪い意味でも)名を轟かせていたらしいから、その核  
となる性格を推し量るのは難くない。今その顔は、いつもの穏やかな笑みを浮かべている  
ため、恐怖心倍増。  
こんな状況じゃあ席を立つわけにもいかんし、真面目にどうしたものか……。  
 
「ヒース君。…いや、ヒースクリフ・セイバーヘーゲン」  
突然の語りかけ。口調が違う。  
『妻の親友の次男坊』ではなく、俺個人に話しかけていた。  
一気に心拍数が上がり、あせりのために口の中が干上がるのを感じる。  
「は、はい…なんでしょう、か…」  
若干上ずった声をごまかそうと、勤めてゆっくりと酒を口に含んだ。  
「不躾ではあるが――イリーナの事、どう思っている?」  
不意な質問。心の奥底で覚悟はしていても、のどに落ちかけていた酒が気管へと入り、む  
せる。気管に入った酒の熱さに、げほがほと咳をする俺を、親父さんが…ファリス神殿の  
フォウリー司祭が穏やかに見つめていた。相変わらずの笑顔とは裏腹に、その瞳は何かを  
含んでいる。  
「君と、娘との関係。信者の口から耳に入ってきたものだからね。しばらく様子を見てい  
 たが。……噂話と言う情報だけでは、判断を誤る場合がある。それは神殿を預かる者と  
 しても、父親としても避けねばならない」  
それは司祭としての祝福か、娘を傷物にした怒りか、それとも何か別のものなのか。  
俺ごときでは推し量ることは出来ない。せいぜい祝福ではないという事がわかるだけ。  
タダ、冒険者として培ってきたカンがヤバイと告げ、命の危険を伝えてくる。  
その背後に恐ろしいまでのオーラが漂っているのを感じ取る。  
それはファリス司祭にあるまじき、どす黒い色をしているのが見えた気がする。  
「エート、ソノ……」  
まずはどう言おうか、と考えて言葉を濁しつつ、背筋につっと汗が伝ったのがわかった。  
 
 
      △ ▼ △ ▼ △ ▼   
 
 
さて、珍しいこともあるもの。  
私は今、賢者の学院の、ハーフェン導師の部屋にいます。  
本来部外者であるはずの私がここにいるのは、遺跡探索で使うアイテムについて、確認に  
来たヒース兄さんについてきたから。  
その兄さんは一足先に小鳩亭へ戻って、みんなと打ち合わせをしているはず。  
兄さんと一緒にお暇しようとした時に、なぜか私だけ残るように言われました。  
今、導師は席を立っているので、テーブルの前には私一人。  
目の前では、用意されたお茶がほわほわと空中に白い湯気を上げています。  
その湯気に手をかざして、暖かさを感じて。  
その暖かさは、肌を重ねたときを連想させて。  
少しだけ心がずきりと痛くなった。  
私も兄さんも自分自身のことでいそがしくて、あまり時間が取れていないから仕方が無い  
ことだけど、寂しい。  
軽くため息をついて、カップを手にとり、口に運ぶと、広がる香りが心地よかった。  
正直私だけが残る理由なんて、まったく思い当たらないけど……いったい何なんだろう?  
 
「待たせてすまないね」  
扉を開けて、お弟子さんと話していたハーフェン導師がテーブルに戻って来る。  
手には、分厚い教本。  
それを作業机の上にどさりとおくと、私の目の前に座る。  
「いえ。あのー、私にお話って…?」  
導師はいつもの優しい笑顔。そして私の顔に顔に浮かぶのは…たぶん困惑だと思う。  
「まあ、見ての通り、私が良く知るヒースはあのような感じの子だ」  
師を前に尊大な様子でイスに座り、そのくせ言葉尻はへいこらと卑屈だった兄貴分の姿が  
頭の中に再生される。いつもの事とは言え目の当たりにすると呆れるやら情けないやらで、  
やっぱり冷たい視線を向けてしまっていた。  
「上辺だけの尊大な態度。言葉尻の卑屈さ。皮肉を含めた言動や表情などで自らの本質を  
 覆い隠して、誰も懐に入れない。必ず一歩引いたところから、全ての物事を眺めようと  
 する。昔からああだった訳ではないが……」  
『兄さんを買いかぶりすぎです』とは思うけど、確かにハーフェン導師の言うとおりで、  
どんな人に対しても今の態度を貫いている。それは、親しい仲間内でも同じだ。けれど、  
幼いころ…大体私が11歳ぐらいまではそうではなかったはず。小さいころを知っている  
自分も、今の態度の兄さんに慣れてしまっているが、時折昔のままの“ヒースクリフ”を  
のぞかせることがある。……私を抱いている時、だけ。  
「イリーナ君のような…幼馴染である君なら、私が知らないあの子の部分を知っているの  
 ではないか、と思ってね」  
「はあ…」  
質問の意図がよくわからなくて、疑問符が私の頭の中をくるくると回っている。  
『つまり聞きたいのは兄さんの事』  
そう判断し口を開くと、思っていたより簡単に、たくさんの言葉がこぼれていった。  
 
 
      △ ▼ △ ▼ △ ▼   
 
 
背筋が凍った時間が何とか終わった。  
フォウリー司祭のお話――あれは尋問かも知れない――のせいで、俺の精神はぼろぼろだ。  
結局イリーナたちが戻ってきたのは、話が終わった後。何か作為的なものすら感じるほど、  
みごとなタイミングだった。  
これだけ精神が磨り減ったのは正直久しぶりで、親父さんに言われた数々のことが、思考  
の中をぐるぐると回る。  
言われた内容は自分でも考えていたことだったし、そのための用意もしていた。  
だけど、いざとなったら小心者なモンだから、その先にあるものに怖気づいてしまって、  
結論を先延ばしにしてしまった。ついに先延ばしのリミットが来たのだろう。  
結局はぐずぐずしているうちに『その先にあるもの』が先に来てしまった。  
最後は……俺自身。  
最後だけは俺から動かなければ意味がない。  
ここ最近、ずっと懐に呑んだままだったものに、服越しに手をやる。  
返ってくる、二つの硬い感触。  
「…覚悟、決めないとな」  
ボーっと通りを歩きながら、ひとりごちる。  
つぶやいた独り言は、夜の空気の中に消えていった。  
 
実際に決心した、と言うかするハメになったのはこの少し後。  
しかも思いもかけないタイミングで、だった。  
 
 
      △ ▼ △ ▼ △ ▼   
 
 
何で、兄さんの事を聞きたがるのだろう?  
だって、ハーフェン導師はヒース兄さんの師匠で、故郷の村からこのファンへ招き、その  
人生を変えた人だ。私の知らない兄さんをよく知っているはず。  
だからこそ導師が知らない兄さんを出来る限り話してみたら、結構な量になってしまった。  
正直これだけ話せる事があった事に、ビックリしてしまう。  
……一応、今の私と兄さんの関係についてはまったく話していないのにねえ。  
「ありがとう。さ、時間をとらせてすまなかったね」  
「私こそ。思っていたより長く話してしまってすみません」  
そう言って、椅子から立ち上がった。  
実際大分時間を使ってしまったから、早く小鳩亭に戻らないといけない。  
もしかしたら、打ち合わせ終わっちゃってるかも知れないな…。  
失礼にならない程度に早足で部屋を通り、ドアを開けてぺこりと頭を下げる。  
背を向けて、ドアをくぐったところで、導師の声。  
「あ、そうだ。これからも、ヒースの事をよろしく頼むよ。パートナーとして」  
その言葉に振り向く。  
「ええ。もちろん。ヒース兄さんとは長い付き合いですから」  
笑顔でそうハーフェン導師に返して、学院を後にした。  
言葉に含まれた事柄なんて深く考えずに、青の小鳩亭までの道を走る。  
兄さんに選んでもらったペンダントが襟ぐりで軽やかに弾んでいた。  
 
この言葉の本当の意味がわかったのはそれからもう少し後。  
しかも思いもかけないタイミングで、でした。  
 
 
『フィナーレ(終曲)』  
 
 
踊る、踊る  
弾ける、跳ねる  
イリーナの体がヒースの上で  
跳ねる、踊る             
                    刻む、刻む  
                    合せる、外す  
                    ヒースの体がイリーナの下で  
                    外す、刻む  
 
二人のリズムが空気を震わす  
                    互いの動きが互いを狂わす  
 
合せる、跳ねる  
体が踊る  
外す、弾ける  
体に刻む               
                    続く、逸る  
                    やがては終わる  
                    最後へ向けて、高みを目指して  
                    続く、終わる  
 
二人でそのまま深みへ沈む  
                    互いを求め巻き込み落ちた  
 
 
※        ※        ※        ※        ※  
 
 
――広い大空。続く大地。身を包む光。  
   どこまでもどこまでも。  
   纏う純白。翻る薄布。空飛ぶ花束。  
   いつまでもいつまでも。  
   その光景はゆめかうつつかまぼろしか――  
 
 
 
目がさめた。抱かれた後特有のけだるさが、体を覆っている。  
何も纏っていない肌で感じる、シーツと毛布の感触と体温の暖かさが心地よい。  
「………?――ぁあ……ふ」  
そこまでを認識して、ヒースの胸の上で眠り込んでしまったことに気がついた。  
幼馴染の腕が自分を支え、優しく背をなでている。反対の手には本を持ち、熱心に読んで  
いた。  
ヒースは本に没頭しているようで、身体の上の妹分が起きていることに気がついていない。  
「…ねえ、兄さん。何の本ですか?」  
小さな声で話しかけられて、やっと気がついたように視線を本からイリーナへと移した。  
「ん……ああ、起きたのか。これは魔術の教本だが……」  
そういって本をイリーナの視点までさげ、読んでいたページを見せる。  
「……さっぱりです」  
流麗な筆致の下位古代語と上位古代語がそのページを埋め尽くしている。しかしページに  
何が書いてあるのか、そもそもこれは文字なのかもイリーナには全然理解できない。  
ところどころにある共通語と西方語で書かれた文章がかろうじてわかる程度だ。  
「そりゃそうだ。下位古代語を勉強してないお前にわかるわけはないわな」  
「…私には、無理です。情けないけど共通語だっていまだに苦手だし」  
あまりにも理解不能な教本を見るのをあきらめ、身を起こす。  
 
せめてヒースが本を読みやすいように、と机上にあったランプを近くに引き寄せた。  
「ん、これ、何?」  
ランプのそばにおいてあった、ちいさな皮の袋に気が目に入る。  
普段ならさほど気にしないのだろうが、今日はなぜか、気になった。  
「――んぁ」  
教本へ目を走らせているため生返事な幼馴染を片目に、その袋を手に取る。  
持ち上げると、ちりん、と金属同士のぶつかる高い音が響いた。  
そこで初めてヒースの視線が動き、目が見開かれた。本を慌てて伏せて袋に手を伸ばす。  
「あ、それは……!!」  
「何だろ」  
そういって、紐を解いて、開けようとする。兄貴分のあせりに満ちた声には気づかない。  
ひっくり返そうと手を動かしかけたところで、その手首を強くつかまれた。  
「うきゃ!兄さん何するんですか!」  
「やめろ、それを開けるな!」  
「何で、ですか?大体これは何なんですか!」  
「何はともあれ、やめろ!イヤ、やめてくれ!」  
双方の叫び声が部屋へと響く。  
 
イリーナの声は、邪魔された不満と中身に対する好奇心で満ち溢れ、反対にヒースの声  
には切実なまでの懇願(口調はやっぱり尊大だが)がにじんでいる。  
「まだ俺の決心がついていないのに、今お前にこれを見られる訳にはいかん!」  
言ってしまってからヒースの表情がゆがむ。勢いとは言え、取り返しのつかない事を口に  
出してしまった。  
「……ならその決心、今ここで、つけてください」  
「なにい!!」  
当然イリーナから返ってくるのは、こんな言葉。悲鳴じみた声が喉からこぼれてしまう。  
「決心をつけた後で見られるのと、そうじゃないの、どちらがましですか?」  
「うぅ……どちらもイヤと言ったら?」  
「却下します。イヤなら、この手を無理にでも振りほどいて、中身を見ます」  
わずかにその腕に力が入る。  
ヒースの腕力も世間一般から考えたらかなり強い方だが、この妹分の腕力はそれを遥かに  
上回る。勝ち目はかけらも無い。  
「ひでーやつだな…」  
「何とでも言ってください。さ、どうするんですか。今から30数えます。それまでの間  
 に決断してくださいね」  
そう言って「いーち、にーい」と数を数え始める。もちろん手には小袋をしっかりと握ったままだ。  
イリーナの腕力と戦士としての腕前考えれば、奪い合いをするのは、それなりに喧嘩慣れして  
いるヒースでも相当分が悪い。というより、勝てる訳がない。  
「ぅごごごご……」  
はっきり言って選択肢は無いに等しい。  
 
ただ、あまりにも早急に心を決めなくてはならなくなったため、呻き声しか出てこない。  
頭の中身は、これ以上は無いぐらいに混乱し、ぐるぐると回っていた。  
「にじゅごー、にじゅろーく……」  
リミットは近付く。  
結局はやっぱり選択肢なんてものはまったく無いわけで。  
「さん「あー、俺様の負けだ!!!」じゅう!」  
最後の数字が数え上げられるのと同時にギブアップ。覚悟を決め、手首をつかんでいた  
手から力を抜く。  
「『負け』って…何に、ですか?……ってなんか前にもこんなこと言ったような気がする」  
不思議そうな、声。  
「…判った。言う。だからその袋の中身を、ここに――」  
手のひらを広げ、差し出す。  
「出してくれ」  
「うん」  
イリーナが握っていた袋を素直に逆さにし、軽く振る。再び硬質な金属音が響いて、広い  
手の上に光が転がった。  
「少し、待て」  
すぐに手のひらを閉じ、机の上に移動する。  
残った手でイリーナの頤をつかんで、視線が机上には行かないように固定する。  
机の上で響く、二つの硬い音。  
例え視線が動いても、イリーナの今の顔の位置では、本が邪魔してはっきりとその輪郭を  
とることが出来ない。置いた手で探り、手の中に一つだけ握りこんだ。  
「―――いいか、一度しか言わんぞ」  
そう言ってイリーナの左手をとり、ほぼ同時に唇を重ねる。  
頤から、手が外れる。変わりに自分の左指に、冷たく、硬いものが滑って行くのを感じた。  
 
幼馴染の顔に阻まれて、というか、見えない位置に手を持ってこられて、何が起こって  
いるのかさっぱり理解できない。  
やがて唇が離れ、左手を取っていたヒースの手も離れる。  
何が起こっていたのかと、左手を上げた。  
薬指に指輪がある。  
白銀に細かい彫り物が繊細に施され、中央部に小さな赤い石がはまっている。  
見たことがある。そう思った。  
「……お前が、」  
そういえば、前、マウナと三人で買出しに行ったときに、ほしかったものだ。  
「手のかかる妹分でもなく、幼馴染でもなく――」  
あの時はサイズが合わなくて、あきらめた。確か注文しなければ、無理だったはずだ。  
「一人の女として、お前が」  
でも今、この手の中で、薬指でそのリングが、赤い石が光っている。  
 
「好きだ」  
 
その事実と、いま目の前で言われた言葉が剥離している。  
沈黙が、二人の間に落ちる。  
 
ゆっくりと、少しづつ、言葉と指輪の意味が繋がってゆく。そして、はじけた。  
「……兄さん!これって、これって……」  
「…ま、そういうことだ。二度とは言わん」  
信じられなくて、ヒースの胸にすがりつき、その顔を見上げる。密着する肌が熱い。  
真剣な顔。嘘や法螺を吹く時とも違う、からかっている時とも違う、皮肉のこもった言葉  
を投げかける時とも違う、穏やかで優しい顔。頬を赤く染め、照れている顔。  
昔のままの、ヒースの顔。  
瞳の中あるその顔が、不意にゆがんでいった。  
「ああ、泣くな、もう」  
そういわれて初めて、自分がぼろぼろと涙を流していることに気がついた。  
手でぬぐってもぬぐっても、次から次へとこぼれてくる。自分の意思では止まらなかった。  
「ごめん…なさい。うれしくて、うれ、しくて…止まらない……」  
軽く息を吐き出す音。栗色の髪を揺らす。  
涙で潤む視界の中で、兄貴分が幼い頃と変わらない、困った顔でおろおろとしている。  
「…まあいい。泣いとけ。止まるまで、胸貸しちゃるから」  
「うん………」  
「だから、俺から言いたくは無かったんだ……」  
ヒースの背中に腕を回す。ヒースもイリーナの身体に腕を回すと、なだめるように、その  
背を軽く叩く。  
イリーナが泣き止むまで、ずっとそのままの姿勢でいた。  
 
 
少しづつしゃくりあげる声も収まり、静寂がじわじわと部屋の中の支配権を握って行く。  
「…ありがとう。もう、大丈夫」  
「そりゃよかった」  
声が支配権を奪い返す。  
顔を上げ、まだ目じりに涙を残しながらも笑うイリーナに、ぶっきらぼうに答えるヒース。  
「っぷ、ひどい顔だぞ」  
「あう……目が重いです…」  
泣いていたせいで、少しだけ目がはれぼったい。そんな妹分の瞳に顔をよせ、赤くなった  
まぶたに唇を落とす。いつもの空気が二人の間を流れた。  
「ねえ、兄さん、こっちは?」  
本の影に視線を送る。机の上に、輝きがもう一つ。  
同じデザインで、青い石がはめ込まれている、自分のものよりも大振りなリング。  
「…ああ、まあ、それは買わされたというか、作らされたというか……」  
兄貴分の口調は棒読みで、いささかバツがわるそうだ。  
リングを指で注意深くつまみ、幼馴染の左手を取る。  
一瞬顔をしかめるが、手を引くことはしない。無表情にイリーナの手の動きを見つめる。  
そんなヒースの手に軽く口付けると、薬指にゆっくりと指輪を滑らせて行った。  
 
ぴったりとはまったその手を持ち上げ、自分の左手と並べる。  
「……おそろい」  
「……ケッカテキニハ」  
淡いランプの光を受けて、白銀が赤く燃えているように見える。その中で炎と共に力強く  
輝く赤い石と、その赤さを押しのけて冷たく光る青い石。まるで二人の性格と立ち位置、  
関係を象徴しているかのようだった。  
「兄さん」  
ぽつりとイリーナが呼びかける。  
「んあ」  
いささか投げやりに、ヒースが応じる。  
 
「好き。…私も、兄さんのこと、大好き」  
 
いったことのない言葉。  
言おうとするタイミングをいつも逃して、結局は音に出来なかった言の葉が、大切で大事  
な年上の幼馴染に向かって、初めて紡がれる。  
「――ん、サンキュ」  
少しだけ顔を赤くし、胸中にいる年下の幼馴染から目を背けて、軽く感謝の声を口にする。  
判ってはいても、改めて言われてしまうと恥ずかしい。  
そして同じ言葉を『絶対に俺からは言ってやらん』そう思っていたのに、結局は自分から  
言うハメになってしまったことが、かなり悔しい。  
「あ、言ってくれないの?」  
「だから二度とは言わん」  
 
「けち」  
「けちで結構」  
ヒースが顔をしかめて、舌を出す。めんどくさそうなしかめっ面がおかしくて、その顔を  
両手でむにりと挟み込んだ。  
「むぅー、なら一緒にいようね」  
「今までも一緒だったろ」  
顔をはさみこむイリーナの腕をつかんで、力をこめて外側へ動かす。  
「今まではもちろん、これからも」  
「最大限努力するぞ、たぶん」  
あっけなくその腕は外れて、同時に振り払われた。今度は細くて固い指先がヒースの眉間  
に当てられ、ぐりぐりと押し付けられる。  
「うん。その為にはまず前衛に出てこないでね。兄さんは装甲が薄いんですから」  
「俺は後ろからお前を補佐するのが役目だ。よっぽど暇じゃなけりゃ、めったなことでは  
 出ないぞ。一応それくらいはわきまえてる」  
ヒースの片手が鼻を軽くつまみ、反対の手は猫にするように喉下をさわさわとくすぐる。  
その優しい感触に目を細め、同時に冷たい視線を向けた。頭の中に浮かんだ記憶は、自ら  
アクセサリーと言い切る銀製のハルバードを持って、血を流す兄貴分の姿。  
「出て、怪我して。結果的に死にかけた事、ありましたよね」  
あの時は心が冷えた。少したって怒りで熱くなった。呆れたから、回復魔法かけなかった。  
「ま、たまにはそういうこともあるさ。ハハハハ…」  
罠のせいで永遠にお別れする寸前になった。まだ恋人同士になる前。タダの幼馴染な頃。  
「…やっぱり、絶対出てこないでください。冒険で死んで離れ離れなんて終わり方、私は  
 いやですからね」  
あんな想いはしたくない。呆れて情けなくてどうしようもない兄貴分でも、やっぱり大切  
で自分をよくわかってくれている頼りになる人だ。  
「奇遇だな。俺もだ。ごつすぎる鎧に守られてるせいで大怪我をしてないと言え、いつも  
 いろんな意味ではらはらしてるんだぞ。…魔法でのダメージは素通りになりがちだしな」  
 
はたから見たらバカップル全開状態で、微妙に殺伐とした会話の内容を繰り広げる。  
まあ経験年数こそ少ないが、熟練の冒険者とも言われている訳だから、その内容に関して  
は仕方がないだろう。でもこれは恋人同士が語る話としてはふさわしくない気がする。  
仲間達が心配そうに(一部は楽しそうに)様子や状況を見守っているのもむべなるかな…。  
ふと会話が途切れ、二人の手が互いの顔から離れた。  
ヒースがはなした指先を、イリーナの耳に寄せて軽くつまむ。  
「そうだ、忘れてた。耳を貸せ」  
「はい」  
反対の手で体を抱き寄せ、耳元へ口を寄せた。イリーナもそれに従い身を少しだけ起こす。  
「『光を』」  
「え?」  
「今言った言葉、言ってみろ」  
「うん。『光…を』」  
なぜ言わなければいけないのか。その意味が判らないまま、小さくつぶやく。そのとたん、  
魔法を使った時と似た疲れがきて、ぽうっとイリーナの指輪から光が浮かび上がった。  
「【光】のコモンルーン?」  
「まえ、『少しいいかも』って言ってたろ」  
……確かにそんな事を言った覚えがある。あの時は『【聖光】の呪文が使えるだろうが』  
と軽く返されていたから、まさか記憶の中に留めてくれていたとは思わなかった。  
「…覚えてて、くれたんだ」  
「『買うほどじゃない』てな事だったからな。その割には未練がありそうだったし」  
こういう時に、兄貴分の記憶力と頭の回転の速さを改めて感じる。自分は腕力体力ばかり  
が優れていて、肝心な頭の中身に関しては微妙ということをわかっているから、少しだけ  
羨ましかった。  
 
「兄さんのは何かできるの?」  
「俺か、俺は…」  
そう言って、少しだけイリーナの身体を押しやり、自分の胸の上から降ろすと、複雑な印  
を結んで呪を紡ぐ。いつも魔術の発動体として身に着けている腕輪は無い。  
「――『マナよ、光を打ち消す闇となれ…』――【ダークネス】」  
しかし、唱えると同時にあっさりと呪文は完成し、姿を現した闇に光がかき消され、闇も  
光を巻き込んで消える。  
触媒になったのはヒースの指輪。  
残っているのはランプの明かり。  
「発動体…」  
「そういうこと。ちなみにそのコモンルーンとこの発動体は――」  
言いにくそうに、声が途切れた。その後がなかなか続かない。  
「兄さんが作成したんですか?」  
そんなヒースの様子に疑問が浮かぶ。  
かくんと首を傾けて、少ないほうの可能性を言葉にしてみた。  
「…ならよかったんだけどな。ハーフェン導師に頭下げた。」  
やっぱり違ってた。  
「本当ですか?」  
自分の人生を変えた導師への態度を思い返して、露骨に疑いの視線を向ける。常日頃から  
言葉は卑屈な台詞でも、行動はどんな人に対しても尊大だから、まったく説得力がない。  
「おい、俺をなんて目で見る!本気で頭下げたに決まってるだろ!!いつもの言動抑える  
 のに苦労したんだからな」  
「兄さんがそんな事するなんて……何か悪いものでも食べたんですか?」  
だから当然、愁傷な言葉と共に頭を下げている様子なんて想像できないし、信じられない。  
 
たぶんイリーナのみならず、仲間達からも同じような解答が帰ってくるだろう。  
「あのな、ンなわけないだろ」  
「いつ、お願いしたの?私が導師に呼ばれたとき?」  
兄貴分が指輪を注文して受け取っていたことなんて知らなかったし、いつ頃魔法具として  
作成を依頼したのかなんて、当然わかるはずもない。なら疑問が出てくるのも当然のこと。  
「いんや、その頃はもう依頼してた。受け取ったのは…その少し後だったかな?」  
導師と話をした時期を思い出して、呆れて力が抜けてしまう。確か互いに忙しくてあまり  
話もしていなかった時のはず。当然体を重ねることもほとんどなかった訳で。その反動が  
かなりすごかった記憶が鮮明に残っている。  
「あの、それ、結構前なんですけど……。ねえ、何でこれだけ――」  
「『遅くなったの』か?」  
沈黙が二人の間に響く。  
妹分は続きを促す視線を兄貴分に向け、兄貴分の視線は空を彷徨う。  
やがて心の奥底から搾り出すような声をヒースが出した。  
「決心が――つかなかったんだよ。俺だけじゃなくて、お前にもかかわることだからな」  
「私は、別に平気なのに。……そういえば、ろまんのない話だとは思うけど、どのくらい  
 かかったの?リング代は覚えてるけど、コモンルーンとか発動体にしてもらうのにお金  
 がいるでしょ。コネはともかくとしても」  
 
あまりといえばあまりに現実的過ぎる話題に切り替えられ、少し心が軽くなる。  
ついでに漂う雰囲気も軽くなる。  
「マジにロマンないな。……作成代払おうとしたら断られた。『私からの祝いだ』だと」  
「つまり、その、それは……」  
「たぶんお前さんが思ってる通りだ。いつの間にやら知られてた。……ついでに頼んでた  
 事や俺とお前との事が、悪友連中に広まってるらしい。正直オレサマ頭痛い…」  
「……私も頭痛い。恥ずかしくて兄さんの部屋、行けないじゃないですか〜」  
「後から聞いたんだが、頼んだときにはもう感づいていたらしい。……俺が出した指輪を  
 見て、確信したんだとさ」  
その台詞が耳に入り、その意味を認識したとたん、イリーナがピクリと体を強張らせる。  
顔が大きくゆがんだ。泣き出しそうな、焦っているような微妙な表情だ。  
「じゃあ……あの時の意味は……」  
「何だ?何をそんなに焦ってるんだよ」  
固まっていたイリーナの体から力が抜け、へろへろとシーツの上に突っ伏してしまう。  
顔を耳まで赤くして弱々しく首を振り、誰に聞かせるとも無く一人ごちる。腕は自分達の  
上にかかっている毛布を手繰りよせていた。  
「ううん。なんでもない。……そう言う事だったんだ。」  
「さっぱりわからんぞ?おーい、オレサマなんかまずいこと言ったのカー?」  
ヒースのほうは、何がなにやら。なぜそんなにショックを受けているのかがまったく理解  
できず、突っ伏したまま毛布をかぶり、イモムシ状になってしまったイリーナの肩を強く  
ゆすった。  
「いりーなーいりーなさーん?毛布取らないでクレマスカー。素っ裸で寒いんですがー?」  
「……うぅ、ハーフェン導師に顔合せられないよ〜」  
 
「やっぱり何がなんだかさっぱり。ほれ、毛布よこせ!」  
イモムシになってたイリーナが、もぞもぞと巻き込んだ毛布を開放する。ようやく端っこ  
が見えた毛布を引っ張って広げ、ヒースがその横へと滑り込んだ。少しの間とは言え、裸  
だと寒く感じる。毛布の手触りと肌に引っ付くイリーナのぬくもりが、いつも以上に心地  
よかった。むにむにと頬ずりし、その暖かさを堪能する。十分に温もった所で、ふと先程  
の寒さよりもっと凍えるような体験をしたことを思い出した。  
「あーいいですかな?いつだか親父さんに厳しい尋問を受けたンだが――」  
「……ははは、夕飯食べに来たときでしょ?兄さんが帰った後、お母さんも同席した上で、  
 私も色々とあったんだよ。お母さんの方は私達の事、気がついてたみたい。お父さんの  
 方はすっごく怖い顔してた。けど……」  
「――けど?」  
「『そうか。お前もそうなら、まあいい』だって。兄さんは、何て言われたの?」  
父親の苦々しい口調を真似して、イリーナがヒースに聞き返す。  
「『詳細はイリーナにも聞く。ただ君の覚悟の程はわかった』だとさ。死ぬかと思ったぞ。  
 ありゃあ適当な返事をしてたら、半殺しどころか至高神の御許に送られてたかもしれん。  
 五体満足で帰れてよかった、とあの日ほど痛感した覚えは無いな」  
フォウリー司祭の、重々しく且つ苦々しく且つ刺々しい声と口調を真似て、ヒースが返す。  
その時の情景を思い返したのか、心なしか顔から血の気が引き、瞳が恐怖で揺れていた。  
「……はあ。どうりで兄さんが帰った後、引きつってた訳です」  
そんな様子を見て、イリーナもその場の重い雰囲気を、わずかながらに感じ取る。母親と  
共に二人がいる食堂に戻ってきたのは、既に話が終わった後だったから、「何か、へん」  
ということしかわからなかったから。  
「あ、やっぱり。…だろうな」  
ヒースが左手でくしゃりとイリーナの髪を掻き分け、自身は天井へと視線を向ける。  
その大きな手のひらに、そっと小さな手のひらが重ねられた。  
 
「まあ最終的な結論は、責任、とってくれるんですよね。これは、そういうことですよね」  
自らの左手薬指にはまる指輪を見つめ、さらりとイリーナが言葉を紡ぐ。  
一瞬だけヒースの顔が青くなり、口元目元が引きつるが、すぐにいつものものに戻った。  
物憂げな視線を妹分に向け、瞳を覗き込む。  
「hahahahaナンノコトデスカナいりーなサン」  
わざとらしい棒読み口調。しかし次の瞬間、それが一転する  
「……とまあ、冗談はともかくとして、そうなるな」  
何かをあきらめたような声音でそう告げて、指輪のはまったその左手を取った。  
「へへ。逃げちゃ、ダメですよ?」  
「お前や親父さんに絞められたくは無いぞ。大体んな事したら、どこにいるのか分から  
 ないクリスさんまで飛んで来そうだしな」  
栗色の髪を掻き分け、絡ませ、梳っていた左手が、妹分の頬に移動する。  
イリーナの手は、その上に重ねられたままだ。  
「ひどい。それが理由ですか?」  
「少しだけな。それ以外は……色々考えろ。たぶん全部正解だから」  
かったるそうな声を出して、ヒースがイリーナの左手の甲に軽く口付けを落とす。  
「ん――、うぬぼれて、いいですかね」  
そう悪戯っぽくつぶやいて、イリーナが瞳を閉じた。  
「ノーコメントで」  
 
 
――そこでフタリのコエがとぎれるきえる。  
   かわりにヘヤにひびくモノ。  
   しめったミズオトキヌズレ、トイキにタメイキ。  
   らんぷのアカリにうかびあがるフタツのカラダ。  
   ゆれるカゲがカベにうつる。  
   ゆらゆらさらさらふわふわと、ながれるうかぶ。――  
 
 
※        ※        ※        ※        ※  
 
 
踊る、踊る  
弾ける、跳ねる  
体が踊る、体に刻む  
弾ける証               
                  続く、逸る  
                  やがては終わる  
                  最後へ向けて、高みを目指して  
                  終わる印  
 
二人でそのまま深みへ沈む  
                  互いを求め巻き込み落ちる  
 
         刻む快楽  
             逸る思い  
         快楽の証  
             思いの印  
 
        快楽と思い――証と印  
 
 
          「ヒース兄さん」  
        「……兄さんって呼ぶな」  
       「ええっと、その…ヒース…?」  
      「それでいい。まあ、無理はスンナ」  
 
 
     end  
 

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