「ねえ、フィル。あんた、あたしをどう思う?」
女盗賊に尋ねられた隻腕のレンジャーは、ぽかんと口を開けたまま相手の顔を見返した。
夜半に村の周辺を哨戒して回り、各人の自室へと引き揚げる途中での出来事だった。
「ルーシア? なんだい、いきなり?」
「そんな間抜け面で聞き返すってことは、つまり『分からない』んだね」
自分から尋ねたクセに、ルーシアはさして興味もなさそうに断定した。
「だけど、あたしをどう思ってるか分からなくたって、困りゃしない。ただ戸惑っているだけだ」
そこで彼女は言葉を切り、深刻ぶった面持ちでフィルを睨み付ける。
「人形女に同じ事を訊かれた時とは、違う」
ズバリと言い切られて、フィルは返答に詰まった。
数日前から彼は、連れだって“混沌の地”へと旅してきた相棒――エリスと、まともに顔を合わせら
れずにいる。エルフ娘に、今の女盗賊と同じ質問を投げかけられた時から。
「好きか嫌いかって訊かれて悩んじまうのは、真剣に考えなきゃいけない相手だって証拠さ」
「……僕に、どうしろって言うんだ?」
無意識のうちにルーシアから視線を逸らしながら、フィルは声を荒げた。
「どうするかは、あんたが自分で決めな」
彼が感情を昂ぶらせるのと反比例するように、ルーシアは素っ気ない態度で突き放す。
「ただね。あんたが一生添い遂げたとして、エリスにとってそれから先の長さは、今すぐ別れたのと
大して違わないんだ。将来のことを心配したって、無意味じゃないかい?」
――同じ頃。
エルフの精霊使いエリストリトールは、自分にあてがわれた部屋で膝を抱え、仲間だった魔術師クラ
イド・アトレイと交わした言葉のやり取りを思い返していた。
エリスの“みごとにネガティブ”な恋愛観に、彼女よりずっと歳下で、しかし彼女より多くの人生を
積んでいただろう魔術師は「恋人どうし一緒にいれば楽しいですよ」と反論したのだった。
けれどエリスには、恋する男の傍らにいることが、胸をかきむしりたくなるほど切ない。想いが彼に
届かないことが、耐え難いほど悲しい。
「それは、私が一方的に彼を想っているだけで、私たちが『恋人どうし』ではないから?」
声に出して確認すると、胸の中を冷たく乾いた風が吹き抜けるようだった。
「フィル……」
切なさが増すだけだと承知していながら、彼の名を呟く。
次の瞬間――彼女は不意に思い出した。魔術師との会話で、自分が「愛」をどう定義したかを。
そして、彼女は気付いた。その定義に従うのならば、現在の彼女には、フィルの「愛」を手に入れる
術があるのだと。
たとえそれが、ほんの一時だけの「愛」だとしても。
『好きか嫌いかって訊かれて悩んじまうのは、真剣に考えなきゃいけない相手だって証拠さ』
自室に戻ったフィルの頭の中で、ルーシアの言葉が何度もリフレインする。
「僕に……どうしろって言うんだ……」
失った左腕を取り戻すためならば、彼は“混沌”に身を投ずることさえ辞さない覚悟でいる。間もな
く破滅するかもしれぬ身に、どうして恋を語らう資格などあるだろうか?
「将来の心配など無意味」とも助言されたけれど、そんな割り切り方ができる男だったら、最初から
こんな風に悩んだりはしない。
プライア=エイクソンの援助者たる彼らは、疲れ切った心身を癒すためにこの村に留まっている。遅
くとも一両日中には出立し、後は一直線に“大王”討伐を目指すことになるだろう。
結論は、この村にいる間に出さねばならなかった。
「エリス……」
迷いが深まるだけだと承知しながら、彼女の名を呟いてしまう。
次の瞬間、彼は、背後に人の気配を感じて振り返った。
振り向いた先に見たものを、一瞬、幻覚かと疑う。そこには、エリスが立っていたのだから。
「勝手に入らせてもらった」
鍵開けの邪魔にならないようにと足下に置いていた品を拾い上げながら、エリスが告げる。
その品――鉢に植え替える途中であるかのように、根の周りに土を着けた花を見て、フィルは怪訝な
顔をしていた。
「ど……どうしたんだい、エリス?」
青年の問いかけに答えることなく、ただ彼の顔を見据えたまま、エリスは虚空に文字を書くかのよう
に指先を動かす。そしてその唇から紡ぎ出される、流麗な精霊語。
“優しき森の精霊よ。この男の心を縛り、我が恋人とせよ”
それは「魅了」の呪文だった。左手に掲げられた花株に宿るドライアード――樹木の精霊にして恋心
の精霊――の力が、フィルの身体を包み込み、染み渡る。
「フィル……」
熱に浮かれたようにぼうっとなった青年に、エリスが恐る恐ると呼びかけた。
「私を、抱きしめて……」
その言葉に従って、フィルはゆっくりとエリスに歩み寄る。
彼の片方しかない腕が、女妖精のか細い肩へと回され、ぐっと引き寄せる。彼女の手からこぼれ落ち
た花が、床に倒れた。
エリスの昂揚は、しかし一瞬にも満たぬ間に醒めていった。狂おしいほどに望んだ場所に――フィル
の腕の中にいるのに。
クライドの言葉が、今になって理解できる。魔法で操った「愛」など、所詮は偽りにすぎない。偽り
の「愛」を手に入れても、心が満たされることはない。
「……もういい。離してくれ」
ついに耐えきれなくなったエリスは、フィルの顔から目を逸らしながら命じた……が。
「――いやだ」
きっぱりとした声が、命令への拒絶を告げた。
「離さない……離したくない」
エリスを抱きすくめる右腕に、さらに力が込められる。
予期せぬ出来事に、精霊力を確かめ直そうと顔を上げたエリスの唇が、強引に塞がれる。
無理矢理割って入ったフィルの舌が、陵辱にも似た荒々しさでエリスの口腔内を暴れ回る。
「な、なぜ、命令に逆らえる? 呪文が、効いていない? あなたからは、ドライアードの力が、は
っきりと感じられるのに……」
ようやく解放され、言葉を発することを許された女の唇から、うわごとめいた疑問がもれる。
後になって、理屈に当てはめれば――
あらゆる呪文が同じ呪文と重ねがけができないように、もともとフィルに働いていたドライアードが
エリスの魔力に勝り、“魅了”を弾き返したのではあるまいか?
それともこれは、ここが“混沌の地”であるが故に生じた精霊力の歪みと解釈すべきか?
いかなる原理に基づくにしても、この時フィルは、エリスを愛することを――愛していると認めるこ
とを――恐れなかった。切っ掛けはともかく、それは決して呪文の影響ではない。
今はただお互いが、相手を我が物としたいという衝動に身を任せる。まるで、新雪が積もった野原に
足跡を刻む子供のように。
しばらくは口づけの応酬が続いた。
唇に、頬に、顎に、耳朶に、首筋に、肩口に、胸に……
互いに競い合うように、唇でついばみ、舌で舐め、軽く歯を立てて甘噛みし、息を吹きかける。
エルフの娘と狩人の青年とが睦み合う様は、愛撫というよりも、森に住まう獣たちが縄張を主張する
ために行うマーキングに似ていた。
かろうじて引っかかっているだけの有様となった夜着を、エリスはうっとうしいとでも言いたげな動
作で振り捨てる。
真っ白だった彼女の肌はすっかり火照り、薄桃色に染まっていた。
フィルもまた、身に着けていたものを全て脱ぎ捨てる。彼の腰にいきり立った欲望の象徴を目にし
て、エリスの背筋に戦慄が走った。
「そ、そんな大きなモノが、私に、入るのか?」
体格的に華奢なエルフ女性の中でも、とりわけ小柄なエリスである。実物を前にして、果たして人間
の“男性”を受け入れきれるかどうかと不安を覚えるのも、無理はない。
「大丈夫だよ、きっと……」
間違っても手慣れている風には見えない態度で囁いたフィルは、寝そべるエリスにのしかかった。
百年以上の間、何者にも触れることを許さなかった秘境が、今こそ蹂躙されようとする。
しかし……
「ひっ!」
これまで体験したことのない痛みに、“エリス”は自らの意志に反して門を閉ざした。肉体の防御本
能は、彼女に背中をのたうたせ、両肘を突っ張って男の侵略から這いずり逃がれさせた。
「あ……?」
誰よりも愛しい男を避けようとする我が身に、エリスは困惑した。
「わ、私は、あなたを拒んだ訳では……からだが、勝手に……」
「分かっているよ」
らしくもなく言い繕おうとする森の乙女を、フィルは少し強ばった表情で取りなした。
「女の人なら誰だって“初めて”は怖いって言うし……エルフも、同じなんだね」
自分の反応が人間の女性と同じだと言われたことで、エリスは安堵の息をつく。
それと同時に、フィルが、逃げようとする女を抱き押さえることもできない自分の身体を悔しがって
いることも察せられた。
彼を、受け入れねばならない――決意したエリスは、フィルの脇をすり抜けるように寝台を降りる。
「やり方を変えよう」
冷静な口調で告げたエルフ娘は、壁板に背中から寄りかかる。そして、ほっそりとした両腕を前方に
差し出し、蠱惑的な視線で男を誘った。
「さあ、来て……」
彼女の意図を察して、フィルはごくりと唾を飲み込んだ。
エリスにとって“初めて”の行為をこんな形で行っても良いのか? そんな躊躇いは、彼女の必死な
行動に応えたい、という言い訳によってかき消されてゆく。
立ったままの姿勢でエリスと向き合ったフィルは、腰をかがめて狙いを定め、膝のバネを使って真上
に突き上げる。
怯える乙女の肉体は、爪先立ちになって逃げ場所を求めた。
けれど、木の葉のように軽いかと思えたエリスの身体でさえ、血肉を具え形を成している限りは、大
地の見えざる束縛を免れ得ない。背伸びする高さが頂点まで達してしまったなら、あとは下へと落ち
て行くだけだ。
大地の精霊王ベヒモスには遠慮も容赦もなく、ついに爪先では支えきれなくなった体重によって、未
開の門はこじ開けられた。
乙女の証は突き破られ、灼熱の肉塊が最奥まで埋め尽くす。
「……っ!」
喉の奥からあふれ出しそうになる絶叫を、エリスは懸命に押さえ込む。
「大丈夫かい? エリス?」
苦痛に喘ぐ彼女を気遣ってくれる、優しい声。
エリスは、苦悶に歪みかけた面貌を、笑顔に変えてみせる。果たしてそれに成功したかどうか、彼女
には自信が持てなかったけれど。
彼女の全身を満たす想いを、この瞬間を与えてくれた相手に、誤解なく伝えたかった。
「ふぃ、フィル……私は、今……幸せだ……」
激痛に耐えて、心の丈を絞り出す。たったそれだけの言葉を紡ぐ力を得るために、フィルの背中に幾
筋もの爪痕を刻みながら。
「僕もだよ」背中の痛みなどおくびにも出さず、フィルも囁き返した。「僕も、幸せだ」
「あ、あぁっ……!」
想いが報いられたことで気力が尽きたかのように、エリスはフィルの胸へと突っ伏してしまう。
「……動くよ、エリス。もっと、もっと君を感じたいから」
エリスからの返答を待たず、フィルは、ゆっくり、ゆっくりと腰を動かし始めた。破瓜を済ませたば
かりの身体をいたわって、まるで繊細な細工物を扱うように。
「うっ……! くぅぅっ!」
自分の中で異物が蠢くたびに生じる新たな痛みに、エリスは歯を食いしばって耐える。
そうしているうちに、痺れに良く似た感覚が、腰の奥深くから湧き上がってきた。巨岩を割ってにじ
み出す泉のような快感が、彼女を潤し、痛みを和らげる。
「あっ……アァぁ……」
やがて、エリスの声が、切なげな吐息に変わる。
その変化を聞き分けられないままに、フィルの動きは少しずつ激しさを増して行った。
「フィルぅぅ!」
「エリスっ!」
お互いの名前を叫びながら、二人は同時に果てた。
余韻の中で、自分の下腹の辺りをそっと押さえたエリスを、フィルは、どうしたのかと訝しんだ。
彼の精を己が胎内へと撃ち込まれたエルフは、落ち着いた口調で答える。
「なんだか、生命の精霊の声が聞こえた気がしたのだ。“私の中で形をなしたい”と」
「君の中でって、そ、それは……つ、つまり……」
慌てふためく男の言葉を、エリスは先ほどのお返しとばかりに、そっと口づけて封じた。
「ふふ……冗談だ。生命の精霊が受胎を告知したなど、噂に聞いたこともない」
――私の願望が言わせた、ただの冗談。
声に出さずにそう付け加えた彼女は、初めて愛した男の顔を、まっすぐに見つめる。
――今夜の出来事は、私の中で輝き続けるだろう。数百年先までも、私を支えてくれるだろう。
エリストリトールはそう信じた。
完