『結婚式狂想曲』  
 
 
天井が高い部屋にしつらえられた祭壇。  
そこから外へと続く扉まで伸びる、紅い絨毯に彩られたバージンロード。  
祭壇の目には背の高い新郎と、小柄な新婦。  
互いに真っ白な婚礼衣装に身を包む。  
滞りなく、婚儀は進む。  
「それでは、誓いの指輪の交換を」  
司祭の誘導に従って、互いの左手薬指へ指輪を滑らせて、小声で囁きあう。  
(…イリーナ、大丈夫なのか)  
(コルセットが…ゆるめてもらったのに)  
見た目こそ何時もと違うが、その声はヒースとイリーナだ。  
とは言っても、別にこの二人が結婚をするわけではない。  
あくまで仕事の一環だ。  
何度も打ち合わせをし、そして同意の上で神に誓う儀式(の真似事)をしている。  
しかし、囮作戦の為とは言え互いの胸中は複雑だ。  
――いつか、私も誰かの花嫁さんになれるのかな? なりたいなぁ…  
――やっぱり真似事としても、緊張するもんだ。ま、予行練習と思えばいいか。  
互いの指にリングが残り、かすかに灯りを反射する。  
「そして、誓いの口付けを―」  
静かな声が小さな空間へと広がった。  
 
並んでいる数人(その中にまぎれているドワーフ二人)の神官。  
【姿隠し】の呪文で隠れている、精霊の声が聞こえる三人。  
その視線が、祭壇の前で神妙に立つ二人へと集中した。  
(失敗しないでくださいね)  
(わかってる)  
ヒースの手が、イリーナの顔を取り巻くヴェールを捲り上げながら、鋭く無数の印を正確に切る。  
唇を動かさずに呪を紡ぎ、二人の顔が近付いた。  
『――マナよ、偽りの、光を』  
指輪を触媒にし、二人の体を偽りのイメージが包み込む。  
これで傍目には花婿と花嫁の誓いのキスを今まさにするところ、と見えるだろう。  
(良し)  
(ふふ、お疲れ様です)  
わずかな距離で視線を合わせたまま、ヒースが笑う。  
イリーナも笑おうとして、その視界がゆらいだ。  
 
一気に緩んだ緊張と、とあるものが原因の重心のずれ。  
そして締め上げられたコルセットのせいなのか、ぐらりと体から力が抜ける。  
花嫁衣裳に身を包んだ体が泳いで、ヒースの腕に支えられた。  
(ごめ……!!)  
(!!)  
顔を上げた所で、何か、柔らかくて少し暖かい感触が広がった。  
予想外に近くにあった、ヒースのブルーグレーの瞳。  
それは呆然と見開かれている。  
その中に見える、目をまんまるにした、艶やかな化粧を施された女の顔。  
そこまでを互いに認識して、はじかれたように離れた。  
集中力も同時に切れて、幻像も消える。  
二人の頭の中は、一瞬前の出来事に混乱する。  
そしてヒースの額には冷や汗が、イリーナの瞳には涙が浮かび上がってきた。  
ソンナ状況なんてお構い無しに、婚儀をつかさどる司祭が言葉をつなげようとした所で――  
ズムッッッッっという音と共に、堅牢な石造りの建物がわずかゆれた。  
一瞬にして空気が張り詰め、内部にいる殆どの視線がそちらへ集中する。  
もちろん婚礼衣装に身を包んだ二人も同様だ。  
ただし、精霊使いの三人は入り口へ視線を固定したまま。  
「来る!」  
エキューの鋭い声が、戦いの始まりを告げた。  
 
 
 
――数日前に時間はさかのぼる。  
 
「囮捜査、ですか…」  
イリーナの小さい声が、小鳩亭の一室で響く。  
「ああ。もう時間がないから」  
「そうよね。……依頼を受けて四日間。決定的な証拠がないわ」  
「どうにもするりつるりと逃げられてるんだよね〜」  
「今の状態ですと、八方塞がりです」  
そうバスが言うと、テーブルについた七人全員からため息が漏れた。  
ヒースの師であるハーフェン導師経由で受けたこの仕事、  
――元貴族の娘さんの結婚を妨害する勢力を探りだす――  
目星はつけているのだが巧妙な隠蔽工作によって、はっきりとした結果を出せずにいた。  
結婚式当日まで、さほど間がない。  
「この事、伝えてあるの?」  
「ハーフェン導師を交えて報告へ行った時に出た案だ」  
そう言って、ヒースがカップを傾けた。  
「実行はほぼ決定、って言うことか。なら囮役……新郎はヒースだね」  
「いたし方ないでしょう。ヒース以外は身長が足りません」  
「危険だが、仕方ない。髪や目の色は【変装】の呪文を使えば問題ないな」  
「新婦の方は、ボクがやろうか〜」  
ノリスが能天気な声で口を挟む。確かにノリスの女装はすごい。  
一度はヒースが間違えてナンパしかけ、エキューが『耳さえとがっていれば……』  
と最大級の賛辞を送ったこともある。  
 
だが、  
「「「却下」」」  
「寝言は寝て言え、このクソガキ!」  
「乙女の夢を男が着るのはちょっとイヤ」  
「いくら女装でも、ウェディングドレスはやめておいた方がいいと思うわ」  
当然がごとく、全員一致であっさり棄却。  
「もちろん冗談だよ。みんなそこまで言わなくてもいいじゃん」  
「お前さんの場合、冗談になっとらん」  
「――まあ、それは置いといてさ、新婦役はイリーナかな?」  
全員の冷たい視線とガルガドの突き放しまくった言葉を綺麗に受け流し、  
ノリスがイリーナの顔を覗き込んだ。  
「そうね。私じゃ背が高すぎるし、髪の色も違うしね」  
椅子から立ち上がったマウナが、よく手入れされた自らの金髪を手で滑らせる。  
「でも、似てないし、動き方だって」  
「顔の造作なんて化粧で何とでもなるわ。仕草も少し訓練すれば何とかなるでしょ」  
「本人達を囮にするわけにはいかないしね。大変だけど頑張って」  
「じゃあ決まりですな。新郎役はヒース。新婦役はイリーナということで」  
「囮捜査だが、式そのものは本番どおりにあげる。  
式を行う場所は、本来の式と同じく、石造りの離れ。  
新郎新婦と神官たちだけで囮婚儀を行う。以上のことは全て了承済みだ」  
「婚儀を執り行う神官の方々や、捜査官の手配はして下さるそうだ。  
あと離れは老朽化が進んでるので、武器やら魔法やらで傷ついても問題無し、だと」  
「いいの? もし使えなくなったら」  
「その時は別の場所を使用するから問題ないそうだ。とりあえず、  
『壊してもいいから確実に証拠を掴んでくれ』との言質をもらったからの」  
「なら安心。後で壊した所を弁償だなんて、まっぴらゴメンだね」  
「導師も同席してた訳だし、大丈夫ね。コレでイリーナは思いっきり武器を振り回せるし、  
ヒースも攻撃呪文を撃てるわけだ」  
「ま、撃っても【電撃】までだ。流石に【火球】や【吹雪】は使わないと思う」  
「そうだね〜。離れの中こっそり見たけど、構造的に広範囲を巻き込む奴は使わない方が無難だよ」  
へろりとした笑顔でノリスがさわやかに肯定する。  
 
確か、普段離れは鍵をかけていると説明されてた。  
場所の確認に赴いたときにはノリスは同行していなかったはず。  
「こらクソガキ、いつの間に覗き込んだんじゃ」  
「さ〜て。いつでしょう? 別に何にもしてないよ〜。只見ただけ」  
「あの〜……兄さん。式を挙げるってことは、指輪の交換…」  
簡単な説明が途切れたところで、おずおずとイリーナが手を上げ、質問をする。  
当事者&夢見る乙女としては当然の疑問だろう。  
「――することになるな」  
「え〜! でもでも、ち、ち、誓いのキスなんか、どうするんですか〜!」  
ため息混じりに帰ってきた答えに困惑し、口調が慌てたものになる。  
「魔法でごまかす」  
「…失敗しないでくださいよ」  
「俺なら簡単に構築できる呪文だ。失敗するかよ」  
手をひらひらと振って、いささかおざなりにヒースが答える。  
机に頬杖をついたその表情は何時もの皮肉気なものだ。気負った様子はどこにもない。  
「そこで失敗するのがヒースだからねぇ」  
マウナがみなのカップにお茶を継ぎ足しつつ、にこやかに笑う。  
「【眠りの雲(遺失呪文)】」  
続いてバスが部屋へ響く声で、ぼそりとつぶやいた。  
「二人とも黙れ。あれはいいんだあれは!」  
「「「「よくない!」」」」  
ヒースがすっぱりと言い放った一言に、全員からのツッコミ(と手足と笑い声)が入る。  
それがオチとなり、この日の打ち合わせは終了となった。  
 
 
 
 
まずエキューが槍を構えて走りだす。  
その視線の先――入り口の真横に、何の前触れもなくぽっかりと、穴が開いた。  
石壁に出来た穴をくぐって、黒い影が通りぬける。  
その姿は、まだ誰にも認識できない。  
ヒースの腕が、ウェディングドレスの腰部分につけられたリボンの端をとった。  
一気に引っ張ると、ばさりと彼女の足元に白い布地の海が広がる。  
ロングの巻きスカートの中から現れたのは、膝までの白のスカートとふくらはぎまでを覆うブーツ。  
ヒースはすぐに影へと視線をやり、少しの間黙考する。  
「虎型のアザービースト? 支配しているのは?」  
そう小さくつぶやくと、複雑な印を切り呪を紡ぎはじめる。  
結婚指輪に偽装した発動体が、光を反射してわずかにきらめいた。  
イリーナが白い海を踏み越えて、腰に下げていた小袋へ純白に包まれた手を入れる。  
何かを掴んでぐっと引き抜く仕草。  
小さい袋から出てきたのは特大のクラブ――通称『風林火山』。  
それを軽々と肩に抱え上げ、影に向かって走りだした。  
マウナはウィスプを呼び出すとすぐさま影と…もう一つ、穴から入り込む人影へと打ち込む。  
エキューとイリーナに続いて走り出そうとしたノリスが…、短刀を構えたままふと足を止めた。  
支配していた風の精霊に呼びかけて、【沈黙】の呪文を紡ぎ始める。  
その後ろでは神官たちが其々呪文や武器を用意する。  
その中にいたバスはリュートを構え、ガルガドも己の役割を果たそうと動き始めた。  
 
槍が、影の体を掠める。  
わずかにその体が揺らめくが、特にダメージを受けた様子はない。  
「ちっ!」  
すっと目を細めて、エキューが舌打ちをする。  
後ろではヒースの呪文が完成し、マナが動いて前衛二人に魔力の壁を作り出した。  
「中央に誘導しろ!」  
そう叫び、次の呪文を唱え始める。その指の動きは、先ほどよりも複雑だ。  
「はぁ!」  
紅いバージンロードの絨毯に跡が残るほど強く踏み込んで、イリーナがクラブをスイングした。  
ドムっと鈍い音がして、体に食い込む。  
しかし、影は何とか踏みとどまって、イリーナに向けて爪や牙での攻撃を繰り出す。  
何時もの癖で反射的に鎧上で滑らせそうになるが、攻撃をクラブで受けて、よけて、さけて。  
今日は何時もの鎧をつけてはいないが、何とか三回も続いた攻撃を捌いた。  
とは言っても最後に伸びた爪が肩近くをかすめ、ドレスの袖がぱっくりと割れる。  
「……乙女の夢なのに〜。でもこの指輪、ちょっといいかも」  
やっぱり結婚指輪に偽装した、『ファスト・フィンガー』と呼ばれる魔法具の効果を実感し、  
複雑な表情でつぶやいた。  
 
 
 
 
――再び時間は巻きもどる。今度は囮婚儀の直前へ。  
 
正装は窮屈だ。  
とはいっても、衣装は急遽セミオーダーしたので、動きにくい訳ではない。  
タイをきゅっと締め、コートをピッと着こなす。  
本番までまだ少しの時間があるので、流石に手袋はまだしていないが、  
その一本の皺も許さぬ張り詰めた独特の雰囲気が、窮屈さを感じさせる。  
つい先ほど着終わって新郎として全ての準備を終えたばかりなのに、  
既にヒースの精神はつかれきっていた。  
「……こうしてみると、あんたもカッコイイのにね〜」  
そんな姿を上から下まで見回して、マウナがため息混じりにつぶやく。  
「俺様は普段からカッコイイ」  
「寝言は寝て言ったほうがいいよ」  
何の躊躇も無しに言い切るヒースに、エキューが強烈な殺気と嫉妬を混ぜ込んだ  
にこやかな視線で冷たく応じる。  
「おい、何でお前がココにいるんだよ」  
「イリーナの準備がもう少しで終わるから、呼びにきたの」  
「ああ、やっと終わるのか。長かったのう」  
「だって女の子だもの。囮のためとはいえ晴れ舞台なんだから、準備は入念に、ね」  
冒険するときの格好そのままのマウナが、笑いながら手をふった。  
「イリーナ、綺麗よ〜。メイクのせいもあるけど、ほんとに可愛くて、もう!  
囮のためとはいえ、この果報者!!」  
その表情には少しのうらやましさが混じっている。  
しかし、それを読み取ることが出来るカンのいい精神の持ち主は、今ここにはいない。  
 
「…そういわれても、イリーナは殆ど妹のようなもんだし」  
「ヒース、素直じゃないね。その妹分が元から可愛いってこと、わかってないんだ」  
「あいつが、可愛い? …考えたこともないな、あの筋肉娘がねぇ」  
「ダメだの」  
「だめだね」  
「イリーナ聞いたら、怒るわよ」  
当たり前のように言うヒースに、三人分のあきらめの声がかぶさった。  
 
「まあ、いいわ。実際に見たほうが、早いでしょ。ほら、いきましょ」  
マウナが気を取り直して、ドアに手をかける。  
押し開けると、会場で何かをしていシーフ二人組みの姿があった。  
「会場の用意は出来ましたぞ」  
「ちょっとビックリした。そっちはOKなのね」  
廊下をゾロゾロと六人で歩く。会場へ通じる裏口のドアを通り過ぎ、その先の花嫁の準備室へ。  
「うん。ヒースとイリーナのほうはどお〜?」  
「俺は万端。イリーナは……そろそろか?」  
控え室の前で立ち止まり、先にマウナが中へと入っていく。  
すぐに扉は開かれて、ニヤニヤと微妙な笑みを浮かべて男衆を呼び入れた。  
「ほれ、とっとと入らんかい!」  
面倒そうに入るヒースを、転ばない程度にガルガドが小突く。  
バランスを崩した体が、白く広がる布地の前へと飛び出した。  
「あのー、ヒース兄さん、どうですか?」  
上から声が振ってくる。  
「ん?」  
顔を上げる。  
まだ完全に準備は終わっていないのか、立ったまま、腰で大きなリボンを結んでもらっていた。  
 
「……ドナタデスカ?」  
小柄な体を覆う、純白のウェディングドレス。  
左肩にはコサージュが飾られ、袖は肩から肘付近までをぴったりと覆い、  
そこから先はふわりと優雅に広がっている。  
そして顔周りを包む、薄いレースが幾重にも重なったヴェール。  
首と耳には同デザインの華やかで豪華なネックレスにイヤリング。  
「兄さん、本気で言ってます?」  
艶やかな化粧は丁寧で、コンシーラーにファンデーション。  
アイブローにアイシャドー、アイラインに付けまつげ。  
ふんわりとしたチークに口紅、リップグロス。  
陰影用のシャドーやハイライトも使用され、がっつり且つ自然に彩られている。  
ピンクを中心にした配色は、イリーナの肌に自然に溶け込んでいた。  
「言ったでしょ。『綺麗、可愛い』って」  
やっぱりにまりと笑ったまま、意地悪な口調でマウナが暴言を吐いた男の肩を平手で叩いた。  
「――ああ、うぅ、ま、馬子にも衣装って、とこかな。うん」  
「この男は……でも本当にマウナさんが言うとおり、綺麗だね」  
「へへ、ありがとう。……兄さんの、馬鹿」  
花嫁は照れくさそうに手を頬にあて、ふわりとわらう。兄貴分の方へは寂しそうな口調で囁いた。  
やっとリボンの調整が終わったのか、準備をしていたメイドの手が離れる。  
ゆっくりとイリーナを椅子へと座らせ、皆に向かってぺこりとお辞儀をする。  
「では、私どもは廊下で待機しています。御用がございましたら、お呼びください」  
気を使ってくれたのか、そう言い残して部屋から退出した。  
メイドたちに軽く会釈を返して、マウナがつぶやいた。  
「ん〜こんな憎まれ口を叩くようじゃ、どうしようもないわね〜」  
「ヒース兄さんだし。予測はしてたから大丈夫だよ。何時ものことだし」  
「よくないわ。どんなとこから囮だってばれるか分からないじゃない!  
……うーどうすれば、この…男の…。彼女達は……まさに……だし――」  
なにやら一人でヒートアップし、ぶつぶつと独り言を言い始めた。  
 
一同がやや引き気味になっているのにもかかわらず、独白は続く。  
「あ、あの〜、マウナ〜」  
「まうなさ〜ん」  
エキューとイリーナが恐る恐る呼びかけるが、それは止まらない。  
皆があきらめ、別の雑談に写りはじめたところで――  
「ヒースにイリーナ! あんた達、たった今から恋人同士!」  
唐突に叫び声があがった。  
「はぁっっっっ!?」  
「独り言のしすぎで頭の中にブロブでも住み着いたかこの若干妄想癖ありのハーフエルフ!!」  
「今日はそれらの皮肉は封印しなさい。あんた、ぼろが出かねないわ」  
一息に言い放たれた見事なまでの皮肉に顔を引きつらせつつ、マウナがさらりとかわす。  
「あー、でもそのつもりのほうがいいかもね〜」  
「ノリス!」  
「僕も賛成」  
「エキュー〜」  
ちょっと考えた後にノリスとエキューも軽い調子で同意する。  
「ヒース。今からイリーナは妹ではなく、一人の女性だ。忘れないようにの」  
「おやっさんまでー!!」  
「おっと、ワタクシもですぞ。いや〜、あの二人、政略結婚とは聞いていましたが、  
その割には結構なばかっぷる状態になってましたからな〜。  
それを再現……まではいかなくても、心に留めておいたほうがいいかと思いますぞ」  
ガルガドが神妙な表情で、バスはさわやかに具体的な理由を言い放つ。  
花嫁花婿の表情がぴきりと固まり、ぎこちなく顔を見合わせ、また戻す。  
「俺様たちに選択権というものはナインデスカ」「……私は、その……マア別に――」  
ぼそぼそとそうつぶやくが、周りからのにこやかでありながら強烈な視線に、すぐに白旗をあげた。  
「くそ、分かったよ。イリーナと俺は今日結婚する恋人同士だ! ……コレでいいんだろ」  
「にいさ……ヒース。えっと、その…今日一日、よろしくお願いします」  
そう二人が宣言すると、周りからの無言の圧力が消え、暖かい笑みのみが残る。  
それを敏感に感じ取り、ヒースとイリーナはこっそり小さなため息をついた。  
 
 
 
 
ノリスの口から流れる音。  
それは開いた穴から入り込んだ人影にまとわりつき、すぐに弾けてしまう。  
「ちぇ」  
そう短く音をもらすと、入り口方向へと走りだした。人影たちが、赤い絨毯へとふらりと歩み寄る。  
背後ではバスが高らかにキュアリオスティの呪歌を歌い上げていた。  
その音は部屋の隅々まで響き渡り、幾重にも木霊する。  
マウナが新たに召喚したウィスプが、それにあわせてまたいたように見える。  
戦槌を構え、癒しの呪文を準備していたガルガドは、  
その詠唱を中断し、ケモノへ向けて一歩を踏み込んだ。  
鋼が擦れあう音に、爆ぜる音が混じる。  
エキューがそれに反応し、ビーストの横を通り過ぎ、ノリスに並ぶ。  
「決メル!!」  
短い叫び声。  
ヒースの詠唱はいつの間にか終わり、右手の周りに魔力が渦巻き、火花が散っている。  
「【――万物の根源】」  
それはぎりぎりまで溜め込まれ、今にも破裂しそうだ。  
今はまだ――全力で押さえ込む。  
「【――万能の力】」  
先に人影に肉薄したエキューが、柄で殴りつけて絨毯上へ押し出し、すぐさま離れた。  
ノリスが置かれていた椅子を蹴り、高くトンボを切って空へ舞う。  
アザービストと人影と、ドレスを翻すイリーナが、バージンロード上に一直線に並んだ。  
「よろしく!」  
ドレスが大きく翻り、一拍遅れてクラブもその後を追う。  
「【――電光となりて迸れ】!!」  
 
眩い閃光を伴う鋭い音が鳴り響く。  
それはわずかにイリーナのクラブをかすめ。  
空中にいるノリスの真下を通りすぎ。  
耳をふさぎ視線を落としたエキューの正面を駆け抜ける。  
痛痒の叫び声が、苦痛の咆哮に掻き消された。  
「ぁがるるるるるるうううううぁぁ!!!」  
猛獣の腕が苦し紛れに振り回された。  
クラブの鋼で補強された部分へ当たる。爪が鋼に食い込み――鋭い音が響いた。  
「ぅあう!!」  
激しい勢いに爪が割れ、イリーナの胸元を割れた爪先が通過する。  
布が裂ける鈍い音がヒースの耳に届いた。  
戦いの為に補強されたコルセットと、割れて切れ味が鈍った爪のせいで、素肌にまでは達していない。  
それでもその衝撃はイリーナの体に響き、上がってきた胃液に喉が焼ける。  
「「イリーナ!!」」  
ヒースが、マウナが……仲間が叫ぶ。  
「ぐ……」  
それでもイリーナは踏みとどまり、涙とダメージでかすんだ瞳を精一杯開いて耐えた。  
「せや!」  
ダグリっと鈍い音が続く。  
ガルガドの戦槌がアザービーストの前足を……割れた爪先とは反対の足を叩き潰した。  
ますますケモノの咆哮は鳴り響く。  
鋭く、高く、動物として、魔物として、本能のままに吼え猛っていた。  
 
 
「こっちは確保!」  
「ボクも」  
【雷光】の呪文を至近距離でかわしたエキューと、危なげなく着地したノリスと声が上がった。  
ヒースがイリーナから視線を移すと、その先には黒づくめの上に馬乗りになった二人がいる。  
ノリスは隠し持っていたロープを使って拘束している最中で、  
エキューは槍を小脇に抱えて、入り口付近を警戒している。  
手早く縛り上げているノリスの瞳は鋭くて、めったに見せない盗賊としての光が宿っていた。  
と、エキューの真下にいる襲撃者の手がかすかに動き、祈りの言葉が流れ出る。  
「っ!」  
らしくない油断に顔をしかめ、エキューが慌てて柄を振り上げる。  
「――【ウーンズ】」  
間に合わず、槍を持つ腕や体に深い傷が入り、血が流れ落ちた。  
「こ、のー!」  
唐突にきた痛みに引きつりながらも、動きは止めない。  
固いものがぶつかる音がして、顔面が床に叩きつけられ、完全に沈黙した。  
 
 
イリーナとエキューに、司祭を囲む神官たちの中から、淡い光が降りそそぐ。  
それは体の内に残っていた鈍痛と、血が流れ出す傷口を瞬く間に打ち消した。  
「いいタイミングだったね。うん」  
ロープを操る手を止めずに、ノリスがそうぼそりとつぶやく。  
「本当はマウナさんがいいけど。生きるか死ぬかだし、しかたないね」  
厳しい視線のまま、エキューが笑う。  
殺伐としたその笑みには普段は隠れている傭兵としての経験がにじみ出ていた。  
クラブが肉を打つ嫌な音と共に、空気を叩き切る。  
次の瞬間、床板が甲高い響きを伴って破壊された。  
小さな欠片、大きな欠片の双方が跳ね上がり、ケモノの毛皮に食い込んだ。  
「次で終わりです!」  
わずかに急所から外れてしまった事にほぞを噛み、腕の痺れを意思の力で吹き飛ばして、  
イリーナが再びクラブを振り上げる。  
「俺様にしては大盤振る舞いだ」  
短い詠唱と普段の数倍ましの集中で、ヒースが魔力を組み上げる。  
「もう変な気配はないわ」  
ウィスプを旋回させながら気配を探っていたマウナが、指先を繊細に翻す。  
何の響きも振動も生み出さず、一直線に疾走した魔力の槍と光の精霊が毛皮のうえで弾けた。  
びくんと大きな体が跳ね、食い込んだ破片がもたらす怪我とは違う鈍い痛みに転がりまわる。  
少し離れたところから、空気を裂いて一本の槍が腹部に突き刺さった。  
「……役に立ちましたな」  
部屋の装飾に隠蔽されていたスピアを探りとりながら、糸のように細めた瞼の隙間から  
全体の様子を見回した。  
 
バスの視界の中で、鈍い動きでケモノの足が動く。  
それは足掻き――その一言がふさわしいだろう。  
それを戦槌でがっちりと受け止めたガルガドが、反対の手のひらを喉元に押し付けた。  
「【――戦神よ!】」  
神聖語でただ一言叫ぶ。  
手のひらから衝撃波が吹き出し喉をつらぬいて、その波は体内を掻き回す。  
――ケモノからは呻き声すらあがらない。  
【気弾】で喉笛を破壊され、ひゅうひゅうと無常な風音が漏れている。  
あれほど強かった凶暴な瞳の輝きは消え、濁り始めていた。  
それは何度も見たことがあるもの。死へいたる行脚。  
その虚ろさに吸い込まれそうになって、戦神の神官戦士は背筋を這う悪寒を振り切り、一歩下がる。  
そして当たりさえすれば最強の、仲間の一撃を待つ。  
「【――かの猛女に更なる力を】」  
ノリスが離れているイリーナを指差す。  
その指先から戦乙女が飛び出し、彼女の体を包んで溶け込んだ。  
高揚がイリーナを襲う。聞こえなくても、精霊の支援を肌で感じ取る。  
戦乙女の支援は、回避するという意識を消し飛ばし、攻撃への衝動と集中力を極度に高める。  
鎧に包まれた普段はともかく、今の薄い装甲では、危険すぎる。  
でも、もう気にすることはないだろう。  
今までのダメージの積み重なりで、既にアザービーストはぼろぼろだ。  
「邪悪、なり!!」  
イリーナが全体重をかけて、風林火山を振り下ろす。  
それは防御を捨てた懇親の一撃で、もともとその勢いと破壊力は底知れない。  
戦乙女の助力付きの攻撃が、ケモノの背骨に叩きつけられる。  
腕に骨が砕ける振動が響いた。続いて、肉越しに感じる床板の破壊音。  
大量の血を吐き出し、一・二回軽い痙攣をして、つぶされた体が生命の動きを止める。  
それでもしばらく周囲やケモノを警戒し、張り詰めた沈黙が落ちた。  
 
「……気配は?」  
「さっきも言った通り、不自然なのは感じない」  
ヒースがイリーナの横へ歩み寄り、倒れたケモノを視線で探る。  
「外はどうですかな?」  
「マウナさんと一緒」  
バスはスピアを手にしたまま、腰からロープを取り出す。  
「そいつらはどうかの?」  
「ボクの方は拘束完了。エキューの方は気絶中」  
ガルガドは持っていた金属製の盾を、ノリスへ投げてよこす。  
「ケモノは」  
「――俺様の見立てに間違いがなければ、死んでるな」  
「私も同じ。生命の精霊を感じない」  
イリーナの細い問いにヒースとマウナが少ない言葉で的確な事実を返す。  
その言葉に、その場にいた全員から、安堵のため息が漏れた。  
「……お疲れ様でした!!」  
イリーナの明るい声が、部屋へと響く。  
それを皮切りに、笑い声が上がり、近くにいたもの同士で手を打ち合わす。  
 
特に囮となったヒースとイリーナ。  
その二人の近くにいた司祭に神官たちには、次々にねぎらいと感謝の言葉がかけられる。  
神官の一人が屋敷にもどって官憲を呼びにいった。  
「お疲れさん。体は大丈夫か?」  
ヒースがイリーナの肩に手を置いて、問いかける。  
「……ウェディングドレス、破れちゃった」  
「残念だったな」  
「ヴェールも、穴が開いちゃった」  
「それですんで、よかったと思うしか、ないよな」  
「兄さん」  
「何だ」  
「緊張が、切れちゃいました。コルセット、やっぱりきつい……」  
そう言って、イリーナの小柄な体がぐらりとかしぐ。  
「ちょっと、限界かも、です」  
「おい、イリーナ!」  
足が力を失い、床に膝をつく。  
そのまま上半身もゆらいで……そこでイリーナの意識は闇の中へと溶け込んだ。  
だから慌てた兄貴分が、頭を床にぶつける直前で体を受け止めた事。  
そして体を力強く抱き上げて走り出した事を、後でマウナに聞くまでは、知らない。  
 
 

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