*  *  *  
 
さむかった。  
まっくらだった。ひとりぼっちだった。さびしかった。かなしかった。  
――すごく、恐ろしかった。  
思えば、光に満ちた祭壇の上で、あの瞬間、私は、無意識のうちに泣いていた。  
ワタシノココロハ、マックラヤミニヒトリボッチダッタ。  
    イッソメザメナケレバ、ソレヲソレトハ、シラズニスンダノニ。  
 
 
雨の音が、聞こえはじめた。  
閉じられた鎧戸の隙間から、徐々に強く入り込んでくるその規則正しい音が、  
私とヒース兄さん――目の前に座っているひとを、私はそう呼んでいた――との間を満たす。  
私は寝台に横たわり、あのひとは樫の椅子に体をあずけ。  
この部屋に、他に音はない。雨音と入れ替わるようにして、お互いに、しばらく無言。  
 
 
ここはオーファン王都ファン、マイリー信徒の神殿の一室だ。  
半日ほど前、私は、ここの祭壇の上で唐突に、目覚めた。  
そばにはヒース兄さんが付き添っていてくれて、その後、彼は何がなんだかわからず混乱する私に、何が起きたかを話してくれた。  
私が死霊との戦いに敗れ、命を落としたこと。  
ヒース兄さんが、私を魔法で「剣の姫」のもとまで運んでくれたこと。  
――そして、マウナ達、パーティの他のみんなが、いま置かれている状況。  
「事は一刻を争う」彼はいった。「俺はこれからすぐに、あいつらの方へ戻る。  
ジェニ様の言うには、お前が元通り動けるようになるまでには、およそ七日といったところらしい。  
そのころに、またお前を迎えに来る。…まぁ、それまでに何とかカタをつけておきたいもんだが、な」  
私は、彼が喋っている間中ずっと、口を利かなかった。  
そういえば、「生き返っ」てから、ほとんど喋ってないや、わたし。  
 
目覚めてからのわたしは、何かがヘンだ。  
たとえば、暗闇が、すごく、怖いとか。  
たとえば、独りぼっちになるのが、すごく、怖いとか。  
――たとえば、ファリスの声が、どこにも、感じられない、とか。  
 
心の底でくすぶっているのは悪夢の燃えカス。あの、信仰すら揺らぐほどの、悪い夢の(――いつ、見たの?)  
 
雨音はどんどん強くなり、一向にやむ気配はない。ついに、雷まで遠くで鳴りだしたところで。  
ついに彼が口を開いた。  
「…っれじゃ、俺は行くかな。いいか、くれぐれもお前は余計な心配すんなよ。せいぜい休んでろ」  
彼はそう言って、ジェニ様にあいさつしてくるよ、と立ち上がった。  
ああ。  
あのひとが行ってしまう。  
 
――「七日目に、おまえが元通りに動けるようになったら迎えに来る」と、彼は言った。  
それは。  
じゃあ私が、元通りにならなかったとしたら?  
ずっと今みたいな、弱い、わたしのまま、だったら?  
 
神様を失って、ちからを失って、仲間を失って。その上――そのうえ。  
 
嫌だ。  
嫌だ嫌だいやだ。  
もうひとりはいやだ。ひとりぼっちはいやだ。さびしいのはいやだ。かなしいのはいやだ。  
 
――かな――で  
「あん?」  
言ってしまった。寝台から手を伸ばして、もう一度、さっきより大きな声で、いかないで、と口にした。  
案の定彼は、いつもの眉間にしわを寄せた表情で(彼の、困ったときの癖だ)私の顔を覗き込んできた。  
「なぁに、バカなこと言ってやがる。」  
当然のせりふだ。彼、ヒースクリフ・セイバーヘーゲンは強力な魔術師であり、私たちパーティの頭脳でもある。  
彼の不在はパーティにとって最大の損失だ。ましてや今、マウナ達は大変な窮地に陥っているのだ。  
こんなこと、絶対、許されない。  
「お願いです。どこにもいかないで。ここにいてください」  
わかって、いるのに。  
「あのな」と彼。知らなかった。このひとがこんな優しい声を出せるなんて。「大丈夫だ。ここの人たちはみな…」  
「お願いですからぁ…」  
自分でもどうにもならない。最後は涙声になってしまった。  
心のどこかのもうひとりの自分が、このパターンは、やばい、と、警鐘を鳴らす。  
「…ち。わぁったよ。今日だけ、ここに居てやる」  
ほら。  
このひとは、どうしようもなく優しいから。絶対こうなってしまうと思ったんだ。  
なんなんだろう、わたしは。  
こんなの、最低だ。  
 
 
雨はやまない。  
結局私はその後、あのひとを目の前に座らせたまま、ぐしぐしとずっと泣き続けて、  
それでもやっぱり、お構いなしに、夜はやってきた。  
あのひとは、私をなだめるのなんかもうとうの昔に諦めて、腕を組んだままじっ、と、  
私の寝床の反対側の壁にかかっている、燭台の灯に顔をむけたまま。  
私は、ひっく、と一回大きくしゃくりあげて、そのまま吐き出すように、声をだした。  
「ヒース兄さん」  
あのひとはまず、ゆっくりとこちらに顔をむけ。  
そのあとで、あるかなしかの間を挟んで、「なんだ」とささやいた。  
「暗いのは、怖いです」  
――とても、耐えられないくらいに。  
「ロウソクだけじゃ駄目か?」そう言って、あのひとは左手の、指輪をはめた人差し指を立てる。  
「明かり、つけてやるよ」  
「魔法だと明るすぎて、眠れません」  
これでもか、ってくらい、わがままだ。  
「…お前な」  
眉をひそめるあのひとの顔を、私は。  
もう、たぶん、とまれない。  
「ヒース兄さん…お願いです」  
 
「こっちに来て、私と、一緒に、眠って、ください」  
 
あのひとが、ほしい、のではない。  
あのひとを、失いたくないのだ。  
ひとのひとに対する、こうした類の所有欲は、  
「性欲」、と呼ばれるものではなかったか。  
たしかに、私はいま、あのひとに、欲情している。  
なのに。  
「ガキ。」あのひとは薄く微笑んで、椅子から立ち上がると、寝台の前で膝をついて、私の頭に右手をかぶせた。  
「頭、撫でててやるよ。お前が寝付くまで」  
思わず、私は息をはいた。失望のためいき、だ。  
予想はしていたけれど、やっぱり。  
このひとは、わたしを、まったく異性として、見ていない。  
ひとの気持ちも、しらないで。  
 
さわっ、と、あのひとの長い指が、私の髪をくしけずる。  
彼はむかしから、私をなだめる時にはこんな風に、頭をなでてくれていた。  
(たいていは、彼にからかわれて私が泣き出したとか、そんな場面のあとだったような気がするけれど。)  
彼の手の優しい動きは、そのときから、まったく変わっていない。  
こうしてもらっていると、奇妙に胸があつくなって、それとは反対に気持ちは落ち着くのだ。  
 
――でも、もう。  
足りない。こんなものじゃつなげない。安心できない。  
いまはおそらく、この胸の高まりさえも、逆効果。  
 
両手を頭上までもっていき、あのひとの手を包みこんだ。  
動きが、やんだ。  
そっと動かしてみる。彼は抵抗しない。私の、なすがまま。  
私の両手はそのまま彼の手をみちびいて、私の顔の前を這っていき、  
そして、唇の前までたどりついたとき。  
わたしは息をつめ、あのひとの手に、そっと、くちづけた。  
 
「ッ―――!!」  
息をのむ音がきこえる。あのひとの手が、急に、こわばった。  
時間にして2,3秒。すべてが、とまり。  
ざあざあと雨音だけが、たぶんこの世に存在する唯一のノイズ。それさえも不確か。  
両手で拘束したまま、彼の手を唇から離して、私は、ふうううっ、と、細く息をついた。  
呼吸が難しい。胸が、つぶれそうだ。  
「何、を」  
あのひとが、うめくように、言った。  
私は答えない。視線も、ずっとそらしたまま。  
まだよ、まだ。  
まだ、離してあげない。  
両手に、ふたたび力をこめる。彼の右手が、今度は、私のおとがいに触れた。  
おとがいから、のどへと、這わせる。  
のどから、くびもとへ。  
そこで鎖骨の線をなぞるように、すこし遊ばせて、それから、私をおおう毛布の中、さらに、からだの下へと向かう。  
私も彼の手も、もうじっとりと汗ばんで、ぬめり、と、伝わる感触は卑猥。  
私の意のままに、彼の手は、ゆっくりと鎖骨を通りすぎて、  
麻の寝間着ごしに、胸のふくらみに、そっ、と触れた。  
――あ。  
ずっと呼吸を忘れていたことに、いまさら気がついて、せいいっぱいに吐く。かすかに声が漏れた。  
 
「や、めろ!」  
その瞬間、あのひとは声を荒げ、ばっ、と、私の両手の戒めから、手をふりほどいた。  
そこでやっと、私は、ぼんやりと彼に目をむけた。  
彼は、たぶん、本気で怒っていた。こちらを見る目が、険しい。  
私はじっ、と彼の目を見かえした。お互い、しばし、にらみ合う。  
「…人をからかうのは、いいかげんに」  
「――怖いの?」彼の言葉を途中でさえぎって。  
なじるような口調が、いやらしい。  
「そんなに、怖いんですか、わたしが?…誘ってきてる女の子ひとり、抱くことも、できないんですか?」  
言葉のはしに、嘲笑がまじる。  
もう言っていることは支離滅裂で、理屈も何もあったものじゃない。それくらい、わかる。  
嫌なやつ。  
わたしは、嫌なやつ。  
 
そうです。  
悪いのは、ぜんぶ、わたしです。  
だから。  
だから、お願い、おねがいです。  
今、だけでも、いいですから――  
 
気がつくと。  
あのひとの顔が、すぐ目の前にあった。  
――え?  
ワケがわからないまま、そのまま、唇に、ざらついた感触。  
「んっ――」  
かち、と、歯の当たる音。間髪いれずに、彼の舌が、口の中に、送り込まれてきた。  
ものすごい、異物感。  
とっさのことに、口腔の奥でおびえて縮こまっていた私の舌は、難なく彼のものに探りあてられ、  
なすすべもなく、むさぼられた。  
長い、荒々しいキス。  
不意打ちされたせいで、息がたりない。頭がくらくらとする。  
彼は好き勝手に私の口のなかを陵辱しつづけ、やがて、私の意識がトびそうになったころ。  
「ぷはあ…っ」  
ようやく開放された。苦しい。呼吸が、足りない。  
いつのまにか、彼のからだは寝床の上にあり、私を下に組み敷いていた。  
両腕をおさえつけられていて、身動きがとれない。  
急に不安に襲われ、私は思わず、あのひとの顔を見つめた。  
表情から、感情が、読み取れない。  
――こわい。  
「…くそっ…」  
彼の右手がうごき、寝間着の胸元にかかった。  
さっき、私に操られて胸をまさぐっていた手が、今度は私の意思などお構いなしに、獣のようにうごめいている。  
すぐに、寝間着の中に、手が、さしいれられた。  
侵された、という、嫌悪感をおぼえる。  
――なんで。  
服の中で、無軌道にあばれまわる指が、偶然、左の乳首をはじいた。  
ぞくり、と、痺れが体中にひろがる。一瞬遅れて、足先がぴん、と伸びた。  
寝間着の下の乳房は、簡単に彼の手に制圧され、次の瞬間、強くつかまれた。  
 
「やっ…」  
痛い。なみだが、こぼれる。  
「お前が…全部、お前が、っ!」  
あのひとが、吐きすてるように、いう。  
――やめて。  
「お前が、悪いん、だから、な!」  
 
――やめて。  
ねえ、やめてよ。  
いつも、そう。  
なんで。  
どうして。  
 
ぅ、ああああああああああああああああああああああああああああああ―――  
どうしようもなく、悲しかった。気がつくと私は、まるで3つかそこらの子供のような、吼えに近い泣き声を、  
恥ずかしげもなく、あげていた。  
 
どうして。  
どうして、  
あなたは。  
      ――いつもいつも 自分ばっかり 悪者に しようと するんだ   
 
「…イリーナ」  
目を閉じて、ひっく、ひっく、としゃくりあげている私の耳元で、あのひとがささやくのが聞こえた。  
嫌だ。  
聞きたくない。  
あのひとが、次にいう言葉は、わかっているんだ。  
絶対に、あのひとは、謝るんだ。  
イリーナ、ごめんな。って。  
そうやって、自分ひとりで、全部、なにもかも、かぶろうとするんだ。  
あなたは。  
「イリーナ」ふたたび、耳元で。  
だから、聞きたくないって。  
――これ以上、私に、惨めな思いを、させないで。  
 
頭が、両手で、捕まえられて。  
こつん、と。  
額に軽く、何かがふれた。  
 
…え?  
思わず、目を開けてしまった。  
私の真上、涙でぼやけた視界いっぱいに、あのひとの顔がうつっていた。  
触れ合っていたのは、お互いの額と額。  
徐々に、視界が、もどる。  
すぐ目の前にあるあのひとの瞳は、私をじっ、とまっすぐに見ていた。  
――なんてきれいな、瞳。  
「イリーナ」三たび、呼ばれた。  
「俺で、いいのか?」  
 
一瞬、何て言われたのか、よく理解できなかった。  
とっさに口をついたのは、「へっ?」という、ずいぶん間の抜けた声。  
声を出してしまってから、そりゃないだろ、と思う。  
「なあ、お前は、本当に、俺で、いいのか?」もういちど。  
私は、かあっ、と、頭に血がのぼっていくのを感じた。  
今更。  
今更、そんなこと。  
 
「…はい、ヒース兄さん。あなたじゃなきゃ、嫌です」  
 
今更、そんな、わかりきったこと、聞かないで、ください。  
 
言うが早いか、速攻でキスされた。  
きっと私の顔は涙だの鼻水だのでぐちゃぐちゃで、とても見れたものじゃないはずだ、とか、  
そういうところに気が付いたときには、もう後の祭り。  
気がついた次の瞬間には、もう何も考えられなくなっていた。  
私という存在が、そっくり首から上だけになって、そのまま溶けはじめてしまったかのような感覚を、おぼえる。  
体じゅうで、唯一顔だけが、過剰なほどの熱を持ち、触覚は唇一点に集中して。  
音はもう、まるで聞こえない。ちゃんと目が見えているかどうかも、かなり怪しい。  
ましてや考える余裕なんて、残っているはずがない。  
つながっていた時間が長かったのか、短かったのかも結局よくわからないままに唇は解放され、  
先端に触れる外気の冷たさに、少しだけ我に返る。  
くっついた部分に残っていた唾液が一滴、離れていく彼の唇に引っ張られて、逃げていった。  
ふうう、とひとつ、浅い息をつく。呼吸が、さっきまでにも増して、思うようにならなくなっている。  
息をつくと、今度は鼓動が気になりだした。胸の中で何か、ひどく暴れているものがある。  
あばらの一つやふたつくらいが、このぶんだと折れてしまいそうだ。  
なにしろこの状況は異常だ。しゃれに、ならない。  
 
わたしが思うようにならない自分のからだをもてあましているあいだに、あのひとは自分の服を脱ぎ終わっていた。  
思いのほか肩幅の広い、引き締まったからだに、焦点の定まらない目を向ける。きれいだ、と、思った。  
あのひとのからだが、ふたたび近づいてくる。寝間着の裾に手がかけられた。  
わたしの、番だ。  
ふうっ、ふうっ、ふうっ、ふうっ、  
いよいよいちどに吸える息が少なくなってゆき、いきおい、呼吸のテンポがあがる。  
裾が、持ち上がった。頭が、熱い。  
最初に、下肢があらわになる。久しぶりに触れる外の空気の感触に居心地の悪さを感じ、  
もぞ、と、かすかに両腿をこすりあわせた。  
すぐに腰を浮かせる。熱にあてられ、汗だくのからだは、考えるまでもなく、あのひとが脱がしやすいように動いた。  
胸の上あたりまで脱がされたところで、彼の手が、かすかに震えていることに気がつく。  
今度は、両腕をそろえて、頭の上へ。首が、頭が、次いで手が、麻布をくぐり抜けていく。  
手の先が袖口をくぐり終えたところで、支えをうしなった腕が、重力にしたがって、ぽてっ、と落ちた。  
おたがい、しばしうつろな目で見つめあい。  
どちらからともなくまぶたを閉じて、今夜三度目の、キスをした。  
 
浅い呼吸や、特大の鼓動、それに、ついに全身に広がった、焼けそうなほどの火照り。  
感覚は徐々に飽和し、麻痺して、まるで、ふわふわと夢の中を漂っているよう。  
からっぽの胸の中にあるのは、極端に肥大した、いとしい、という気持ちだけ。  
大きくなりすぎて、くるしい。  
このグロテスクな恋愛感情をさらに育てようというのか、あのひとの手が、私の胸をなぜた。  
中指の腹で、乳首を転がされる。いとおしむような指の動き。  
さっき胸を触られたときに感じた嫌悪のようなものは、いまは、どこにもない。  
二人とも、ずっと無言。お互いの発する、獣のような呼吸音だけが、かろうじて耳にはいってくる。  
あのひとの額から汗がひとしずく、私の胸の、あるかなしかのふくらみの上に落ちて、ころがった。  
そして。  
「…いくぞ」  
私の顔を見つめて、彼が抑えた声で告げた。  
あのひとの声を、数年ぶりに聞いたかのように、錯覚する。  
私ははい、と答えたつもりだったが、喉がひどくかすれていて、それがきちんと声になったのか、よくわからなかった。  
いずれにしろ、その直後、あの部分に、何かが触れ。  
やや遅れて、鈍い痛みが走った。  
一瞬、顔をしかめる。痛みはやまないどころか、徐々に強さを増してきた。  
でも。この程度なら、きっと、我慢できる。――これが代償というならば、安いものだ。  
これくらいの痛みで、あのひととのつながりが、あがなえるのなら。  
「入っ、た」と、あのひとが一言。そしてまた、キスをする。  
唇を合わせるたびに、際限なく大きくなる、胸のつかえ。  
彼が、動き出す。  
もう苦痛も、快楽も、なかった。  
ただ、ただ、せつない。  
 
肌が、触れ合う。  
汗にまみれた胸を密着させ、、投げ出した両手は繋ぎ、脚を絡ませる。  
すこしでも強く、あのひととつながっていたい。  
口付けをするのは、これで、何度目か。  
あのひとの肌の熱さとか、体臭とか、息づかいとか、  
それらをいちいち感じるたびに、思いはふくれあがって。  
――愛してます。  
  それはもう泣きそうなくらい、愛しています―――  
 
そして、徐々に、彼の動きが激しくなっていって。  
私のからだが、がくがくと揺れはじめて。  
はぁっ、はぁ…っ、はぁ…っ  
だんだん荒くなるあのひとの呼吸が、私をいっそう切なくさせて。  
胸につかえている感情が、もうとっくに許容量なんかこえてるというのに、さらに、ふくらんで、高まって。  
ついに。  
「は、あ…っ」  
爆発した。  
溜め込んでいたものを全部吐きだすように、震える息をついたのは、私か、あのひとの方だったか。  
 
さいごに、私は、あのひとと繋いでいた手をほどき。  
彼の頭に腕を回して、抱きしめた。  
 
 
いつのまにか、気づかないうちに雨はあがっていた。  
私は、あのひとの胸に頭をあずけるようにして、目を閉じている。  
頭はいまだ酔いからさめやらず、ぼんやりと彼の呼吸の間隔なんかをかぞえていると、  
「イリーナ」  
唐突に、名前を、呼ばれた。  
「…なんですか?」  
「俺は、明日の朝、発つ。いいな」  
彼の言葉にはっとする。そうだった。もちろん、そうでなくてはならないのだ。  
私はぐっ、と唇を噛み、  
「…はい」  
ちゃんと、うなずけた。  
「ん、よし。それでだ、悪いがお前には、体が動くようになってすぐに、俺達に合流してもらおうと思っている。  
正直、今回の仕事は、お前抜きでは少々キツい。ヴァンパイアなんて大物をしとめるには、戦士が何人いても足りないくらいだ。それに…」  
文を途中で飲み込んで、彼はそれきり何もいわなくなった。  
「それに?」  
少し待ってから、私は続きを促してみた。さらに、少しの沈黙をはさんで。  
「あああ、くそっ」彼が口を開いた。「…二度は言わねえぞ。いいか。なにより、『俺に』、おまえが、必要、だっ」  
「えっ?」  
ちょっと、予想外の言葉。思わず顔を上げた。すぐ隣にいるあのひとの表情は、しかし暗くて、よくわからない。  
 
「それ、って」  
はっきりとした答えが聞きたくて、ついつい聞きかえす。  
「ふ。なに、お前のような重戦車でも、俺様の必殺魔術発動までの盾としてはなかなか有能だからな。その点はこの俺様としても認めざるをえないところなわけだ、うむ」  
さっきまでと声の調子ひとつ変えずに、彼が答えた。  
「…わかりました。もういいです。寝ます。おやすみなさい」  
はあ、とひとつ、ため息をついて、わたしは彼の反対側にからだを向けた。  
――そっぽを向きながら、毛布の中を手探りで、彼の手を探し当てる。  
「ああ、おやすみ」  
遠慮がちに彼の手に触れた私の手が、ぎゅ、と握られた。  
言葉とは裏腹に、今日の彼は、さいごまで優しかった。  
――それにしても。  
いつものせりふとはいえ、さっきまで抱いていた女を「重戦車」よばわりなんて、いくら、なんでもあんまりだと思うのだ。  
こんど、一発、渾身の力で、ぶん殴ってやるんだから――  
 
明け方、繋いでいた手がそっと離されて、目が覚めたが。  
そのまま眠っているふりを、することにきめた。  
あのひとは、静かに旅支度を済ませると。  
「じゃあ、また、な」とつぶやいて、ドアを開けた。  
 
 
朝、目覚めて最初に頭の中にうかんだのは、昨晩のアレはただの夢だったのではないか、という考えだった。  
実際、情事の記憶は、もやがかかったように、あまりにも不確かで。  
――それでも、思い出そうとするだけで、顔が熱くなってきてしまうのを止められないのだけれど。  
一瞬遅れて、自分が裸のまま、眠っていたことに気がつく。  
当初の疑念はこれでめでたく打ち消されたわけだが、危ないところだった。  
きっとそう遅くなく、神殿の人が私の様子を見にやって来てくれるはずだ。  
こんな姿を見られていたらきっと、大騒ぎになっていただろう。  
寝床から起き上がり、床に落ちていた寝間着をひろい、身にまとった。  
昨日よりかなり体は動くようになっている。歩くのにもさほど苦労はしない。  
窓際まで歩き、鎧戸を開く。空は一面、灰色の曇り空。  
この空の下、あのひと達は今も、生死を賭けた戦いにのぞんでいる。  
わたしばかり、いつまでもこうしているわけには、いかない。  
もう暗闇も孤独も、怖くはなかった。  
そして。  
――至高なるファリスよ。  
祈りの十字を切る。  
いまだ変わらず、かの声は、私から離れたままだったけれど。  
いつ頃からだっただろう。最近の私には、無意識のうちに慢心があった。  
「ファリスの猛女」などと呼ばれるようになり、自らの力のみを、過信するようになっていた。  
自らの力で、神の正義を実現させてみせるなどと、思っていた。  
私達の追い求める理想、正義は、神のそうあるべく欲するが故の正義などではなく。  
わたしたち自身が求めるところの理想であると。  
そんな簡単な事を、いつのまにか、見失ってしまっていたのだ。  
――偉大なる父、ファリスよ。  
今、どうしても、守りたいひとが、いるから。  
――どうか、力を、お貸しください。  
 
その瞬間、理解した。  
ファリスは常に、この瞬間も、その前もずっと、私とともにあったのだ。  
――ファリスよ。  
感謝します。  
 
それから程なくして、ドアをノックする音に続いて。  
「ご気分はいかがですかあ?」  
首からマイリーの聖印を下げた、私と同い年くらいの陽気そうな女の子が、水差しを持って部屋に入ってきた。  
「いやあ、なんとも鬱陶しいお天気ですねえ。賢者様によると、なんかもう何日かは、こんな天気が続くらしいですよ。」  
やですねえ、と笑う。えくぼが可愛い。  
「あ、水差しこちらにおいときますね。お食事もうしばらくしたらお持ちしますので」  
私は、部屋の中でてきぱきと動き回る彼女に、声をかけた。  
「え〜と、すいません」  
「はい、なんでしょう?」  
「あの、こちらの訓練場、貸していただけませんか?」  
「…はい?」  
 
もうすぐ青空の下、みんな笑い合えるように。  
わたしの戦いが、また、はじまった。  
 
 

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