マロウの指が、シャイアラの細い髪をさらさらと撫でる。
それが妙にくすぐったくて、シャイアラは思わず身を捩った。
「マロウってば、くすぐったいわよ」
何だか、彼の触れる所が、妙に熱を帯びているような気がする。
それが危険な徴候だというのは、シャイアラにも分かった。
早く身を離さなければとは思うものの、彼の腕の中は午睡のように心地よくて、
とてもそんな気分になれなかった。
「何だか……変なの……」
いつの間にか周りには誰もいない。
そういえばマロウに部屋まで運んでもらったんだっけ?
てことは、二人きり?
部屋の中で二人きりで、アタシはベッドに座ってて、マロウもベッドに……あれ?
次々と疑問が生まれては、うまくまとまらないまま消えていく。
――ほら、たまには素直になりなさいよ。
頭の奥で誰かが囁いた。
「素直……?」
ああそうか、とシャイアラは納得した。
何も疑問に思うことなんてない。何故なら、これは自分が望んだことなのだから。
「シャイアラ」
マロウの顔がゆっくりと近付いてくる。
シャイアラは目を閉じて――
そこまで思い出して、あまりの恥ずかしさにシャイアラは身悶えした。
「あーあーあーうーわー」
じたばたじたばた。
「あーもう、なんて夢見てんのよアタシっ」
そりゃあマロウの変装にちょっとときめいてしまったのは確かだけど。
いくらなんでも、飛躍が過ぎるというものだ。
あんな妄想を作り上げてしまった自分の頭が恨めしい。
「う〜〜〜」
ごろごろごろごろ。
ひとしきり転がった後、ぐったりと寝そべったままシャイアラは大きくため息をついた。
もちろん長く生きてきたわけだから、こういう経験がないわけではない。
だが、こんな仲間内で、しかも普段なら触手の動かないような純朴青年によろめいてしまうとは。
いままで相手をしてきた男は、たいがい彼女をちやほやしてくれるような人種だったし、
彼女自身もそんな関係を望んでいたはずなのだが。
「……だから、あれは夢なんだってば。夢よ、夢」
自分に言い聞かせるように繰り返す。
あれはマロウじゃない。夢の中の誰か知らない人だ。
だから、仲間のハーフエルフ田舎青年相手にときめくわけがない。ありえない。よし。
「シャイアラどん、何かあったんだべか?」
「ひゃっ!?」
幌の外から突然掛けられた声に驚いて、シャイアラは跳ね上がった。
口から思わずしゃっくりのような音が出てしまって、慌てて手で押さえる。
「びびびっくりするじゃないの。急に声かけないでよ」
「そ、それはすまねぇだ」
今の会話で、ようやく現実が戻ってきた。
ファンドリアから帰る途中、馬車の車輪が故障したために、ここで野宿することになった。
車輪自体は何とか修理したものの、だいぶ時間を取られたせいで、夜になってしまったのだ。
皆が野営の準備をしている間、シャイアラはひとり馬車でくつろいでいた。まぁいつものことだが。
「……で、なに?」
「苦しそうな声がしたもんだから、具合でも悪いのかと思って……」
幌ごしに戸惑いの気配がある。
(聞かれた?)
奇妙な焦りが込み上げてくる。早く落ち着かないと。
(で、でも、聞かれて困るようなことは何も言ってない、はずよね)
「大丈夫よ。ちょっと……えーと呪文の練習をしてただけ」
「はぁ。なんだ、そうだったんだべか」
ほっと息を吐く音。あわせてシャイアラも、そっと息を吐いた。
「シャイアラどんは、勉強熱心だべなぁ」
「ま、まぁね」
心配させてしまったのだろうか。
悪いな、と思う反面、何故だか嬉しい気もする。
まあいいか。あんな変装なんかしなくたって、マロウはマロウなんだし。
「あ、そうだ、シャイアラどん。奥の方にある香辛料を取ってくれねぇべか」
「ん。わかったわ」
鼻歌交じりで荷物を探るが、なかなか香辛料の袋が見つからない。
「ちょっとぉ、どこにあるのよ〜?」
「奥の右に入ってたはずだが……ああ、すまねぇ。荷物の下になってただな」
幌を引き開けて、マロウが馬車の中に入ってきた。
シャイアラのそばに屈み込んで、他の荷に埋もれていた奥の袋を取り出す。
「皆が積み上げるもんだで、ちょっと分かりにくくなってただな」
にっこりと微笑む顔が近い。
うわっ。せっかく忘れかけてたのに。
シャイアラは、どうしようもなく頬に熱が昇るのを抑え切れなかった。
「シャイアラどん? どうしたんだべ、顔が赤いだよ?」
「な、何でもないわよ! 何でもないってば!」
心配そうに顔を覗き込もうとするマロウから、必死に目をそらす。
こんなんじゃ、まともに彼の顔が見られない。見られるわけない。
朝からできるだけ、顔を合わさないように心がけていたのが、全部水の泡だ。
「何でもないわけねぇべ。だいたいシャイアラどん、今日は朝から様子がおかしかっただよ」
「うっ……と、ともかく何でもないったらないのよ!」
「いーや。熱でも出したら事だべ!」
何とか追求を避けようとするが、めずらしくマロウは断固とした態度を見せた。
こういう時のマロウはとにかく強引だ。
それがいつもは頼もしくもあるが、今回はやたらと恨めしかった。
「少し、熱いみたいだべな」
ほのかに冷たい手が、額に触れる。
このさい、風邪を引いているということにしたほうが、楽かも知れない。とシャイアラは思った。
もう一眠りしたら、夢の記憶もだいぶ薄れることだろう。
(少しもったいないような……って何考えてんのよ)
自分で自分につっこみつつ、適当に嘘を並べる。
「そういえば、昨日はちょっと寒かったから」
「風邪を引きかけてるのかもしれねぇだな。ごはんが出来たら持ってくるから、あったかくして待ってるだよ」
「あ……」
出て行こうとしたマロウの服の裾を、シャイアラは思わず掴んでいた。
何をしているのか、一瞬自分でも分からなくなる。
(な、何!?)
はっとしてすぐに離そうとしたが、もう遅い。
ちょうど不安定な体勢になっていたマロウは、そのためにバランスを大きく崩した。
「わっ!」
「きゃ!?」
どさっ。
シャイアラの上に、重いものがのしかかる。
「ったぁ……」
目を開けると、息が掛かるほど間近にマロウの顔があった。
「シャイアラどん、大丈夫だか!? すまねぇ、オラが……」
「それはいいけど――は、早くどいてくれない?」
身体に軽い重みを感じながら、シャイアラは上擦った声で言った。
マロウが床に手を突いて、できるだけ体重が掛からないようにしてくれてはいるのだが。
まるで押し倒されているようにしか見えない。
シャイアラの足の間に、マロウの片足が入り込んでいるような形になって、かなりあられもない格好だ。
恥ずかしさで、全身が熱くなる。
「そ、それが……シャイアラどんの髪が、オラの服に絡まってるみたいで……ちょっと待ってけろ」
「ええ〜!?」
早く何とかしては欲しいが、自慢の髪を切ることになるのはもっと嫌だ。
(ブックか誰かに頼めば……)
でも、こんな所を皆に見られたら――!?
(冗談じゃないわ)
「んーと、ここがこうなって……」
もぞもぞとマロウが身体を動かす。
見たところ髪は、シャイアラの胸元のボタンと、マロウが付けている金具の両方に絡まってしまっているようだった。
細くて柔らかいシャイアラの髪は、いったん絡まるとなかなか解けない。
「いたっ!」
「あ、すまねぇ!」
根元の方の髪を引っ張られて、思わず悲鳴を上げる。
マロウはこの体勢ではやりにくいと感じたのか、足を前に移動させた。
「やっ……!?」
「すまねぇ、また引っ張っちまっただべか?」
「ち、ちがうけど」
服の裾が大きく捲れ上がったのを感じる。
(でも、この体勢ならマロウには見えないわよね……?)
ここは下手に騒がない方が、髪を早く解いてもらうにはいいかもしれない。
太股がマロウに触れないように、シャイアラは少し足を開いた。
「何でもない。大丈夫だから、早く取ってよ」
「んっ……」
この体勢が、かなりきついものだと気付くには、それほど掛からなかった。
マロウが身じろぎするたびに、奇妙な感覚が全身を走る。
今の自分は、耳の先まで真っ赤になっているに違いない。とシャイアラは思った。
「まっ……まだ、な、の? はや、くしてよぉっ……」
何だか自分が自分じゃないようで、おかしくなってしまいそうだ。
こんなことなら、さっさと髪を切ってしまったら良かったかもしれない。
(でも、もう我慢できない)
「マロウ、お願い……」
「あ――ほら、取れただよ」
突然ふっと体が軽くなる。
それがマロウが起き上がったせいだと気付くのに、数秒の時間を要した。
(と、取れた――の?)
シャイアラは我に返ると、ばっと起き上がって服の裾を押さえた。
まさか見られてないかと、上目遣いで様子を窺うが、マロウはまるで気付いた風もなく、
脳天気に『一本抜けてしまっただなぁ』などと、金具に絡まった髪の毛をつまんでいる。
(人の気も知らないで……)
一時はほっとしたシャイアラだったが、のんきなマロウを見ている内に、だんだん腹が立ってきた。
「……マロウ」
「ん? なんだべ?」
「アタシ、すっごくお腹すいた。早くごはん持ってきて」
「そう言われても……すぐには無理だべ」
「それから体調悪いし、何か豪華なものが食べたいな」
「豪華って、どういうものだべ?」
「とにかく、豪華で美味しいものよ! なかったら探してきて。ブック連れてってもいいから」
「はぁ。わかったべ……」
微妙な表情を浮かべながら、馬車を出ていくマロウを見送って、シャイアラは大きく舌を出した。
こうなったら、目一杯振り回してやろう。そうじゃないと気が済まない。
(そう簡単に、許してなんてやらないんだから!)
「シャイアラどん、何だか機嫌が悪そうだっただな」
マロウは立ち止まると、どこか困ったような表情で、空を見上げた。
「やっぱり、あのときのあれが悪かったんだべか……」
倒れた拍子に唇に触れた、柔らかい感触を思い出して、マロウは赤面した。
シャイアラは気にしていないようだったので、ことさらに謝罪を繰り返すこともしなかったのだが。
(気にならないわけないだな)
実際マロウも、髪の毛が絡まった時は、いつ内心の動揺がさとられるかと、緊張し通しだった。
シャイアラの声が、何故かやたらと艶っぽく聞こえてしまったせいもある。
できるだけ、彼女の方は見ないように気を付けていたのだが、それが逆効果だったかも知れない。
そういう勘違いをしてしまうところが、まだまだ未熟者だ。
――とにかく、誠意を込めて夕食を作ったら、もう一度謝ろう。
ぱしぱしと自分の頬を叩いて、マロウはため息を吐いた。
「オラも修行が足りねぇだ」