「ね、ね、あれ、うまくいくか賭けなーい?」  
「んー、どうしよっかなぁ〜?」  
弾むような友人二人の声がする。あたしはその声につられて顔を上げ、二人が見ている方に目をやった。  
好奇心剥き出しで見つめる二人の視線の先には、ちょっと可愛い女の子と、それに必死で声をかけるあいつの姿があった。  
酒場の喧騒に紛れて、あっちの会話の内容はわからないが、どうせナンパに決まっている。その熱心さは評価するが、今までにそれが成功したことは無い。  
あたしは苦笑して言った。  
「やめなよ、二人とも。賭けるだけ無駄だって。」  
すると、二人―――ケッチャとユズが、あたしの顔を見て、何か言いたげな笑みを浮かべる。  
その顔は、酒が入ったせいか、二人とも普段より少し赤い。  
もの言いたげな笑いが、なんとなく勘に触って、あたしは唇を尖らせた。  
「…何よ、二人とも。」  
「んー、べっつにぃ〜?」  
「ねー、ケッチャ♪」  
うふふふふっ、と二人は顔を見合わせ、同時に笑った。いかにも、『女の子らしい』何か秘めた笑い方だ。  
二人とも、大好きな親友だけど、悪いけどこういうところはあんまりあたしには合わない。  
何事かと理由をつけては、ケッチャもユズも、ケイン君とあたしをくっつけようとするのだ。  
あの、お気楽エルフと。  
冗談ではない。  
何しろ、『あの』ケイン君だ。  
エルフらしく、精霊の使い手としての確かな実力と、黙って真顔でいればそれなりに…まぁ、ハンサムの範疇に入る顔をしてるかもしれない。童顔だけど。  
タラントの王宮が危機に陥った時に、絶妙のタイミングで魔神の嘘を発覚させたところなんか、やるじゃんと思った。ちょっとだけど。  
だけど、それらをすべてぶち壊すかのような、お気楽で能天気な性格と、どうにも頼りない行動を同時に兼ね備えた、『あの』ケイン君なのだ!  
あたしの好みは、もうちょっと、渋くって、お金持ちで、腕の立つ、頼りになる男なんだ。  
確かに、他の仲間よりも、あたしが一番ケイン君と一緒にいるし、何かと世話を焼いているかもしれない。だけどそれは、手の掛かる弟の世話をしているようなもので、二人が邪推するようなものでは絶対ない。  
…と、普段から二人には強調しているのだけど…。  
「あのさぁ…、あたしとケイン君は、あんた達が期待してるような関係じゃないわよ。」  
不機嫌そうにあたしが自慢の金髪を掻きあげると、二人は視線を合わせて『ねぇ?』とでも言いたげに微笑み合う。  
それにまたむっときて、あたしが口を開こうとしたのとほぼ同時だった。  
「あ…。」  
笑いながらちらりと横に視線を走らせたユズが小さく呟く。  
つられてあたしもそちらを見ると、あいつが、さっき声をかけていた女の子と連れ立って席を立ち、店の外へと向かっていっていた。  
瞬間、あたしの心臓の鼓動が、一瞬だけやけに大きくなった気がした。  
あいつは、見るからに鼻を伸ばした表情で、その子の分の代金を、トレードマークの猫ポーチから支払おうとしていた。  
傍で、お礼を言っているらしい女の子。  
可愛い子だ。  
あたしみたいなすれっからした雰囲気の子とは違う、ごくごく普通の、でもちょっと奢ってもらってラッキーという下心も見えるような、女の子らしい子。  
「……。」  
無言でその様子を見つめるあたしに気付いたのか、あいつがへらへら笑ってこっちにピースサインを向ける。  
その、いかにも浮かれた表情が、無性に癪に障った。  
「あっれぇー!?なーんだ、ケイン君ってば、うまくいってるじゃーん!やるぅ♪」  
ようやく気付いたらしいケッチャが、明るい声を上げて、向こうに手を振った。あいつはそれにご機嫌に応じた後、連れの女の子と話しながら、―――多分あたし達との関係を釈明しつつ出ていった。  
「行っちゃったねー。ケイン君だと、お金だけ出させられてバイバイ、なんてなりそうだけどね。」  
あははははっ、と笑いながら言うケッチャ。あくまでケッチャは面白半分に楽しんでいる。  
それとは対称的に、ユズが、あたしの表情を伺うような目でこっちを見た。あたしはどうやら随分不機嫌そうな表情をしているらしい。  
ユズの、他の人に気配りのできるこういうところは好きだけど、時折余計なお世話だと感じる時もある。いっそ、ケッチャみたいに、あくまで人事として笑い飛ばしてくれたほうがいい。  
ユズの視線を遮るように、あたしはジョッキに残っていたエールを一気に飲み干した。  
ぬるくなってしまったエールは、随分まずく感じた。  
 
 
その後。  
あたしは一人、宿屋で天井を見つめていた。  
宿屋に仲間は誰もいない。  
あたし達とは別行動で用事を済ませていたディーボとザボが後合流したので、河岸を変えて他の店で飲みなおすことになったのだ。  
ユズが熱心に飲みなおそうと誘ってくれたのだけど、なんだかそんな気分になれず、あたしだけ先に部屋に帰らせてもらった。  
男部屋と女部屋に分かれて取った部屋は、一人ではちょっと広すぎる。  
なんだか眠れないので頼んだワインは、栓を開けたままほとんど手をつけられずにサイドテーブルに置きっぱなしになっていた。  
「……。」  
ごろりとベッドの上で寝返りをうつ。認めるのは悔しいが、こんなにイライラしている原因はあたしにもわかっていた。  
あいつのせいだ。  
自覚したのはいつ頃からだろう。  
最初は、あまりの頼りなさに放っておけなくて、まるで弟の世話を焼く姉のような気持ちだった。  
その、ピンチの時でも笑っていられる能天気さが、だんだん逞しく感じられるようになったのは、いつからだったのだろう。  
不覚だ、としか言い様が無い。あたしの予定では、もっとお金持ちで、頼り甲斐のある男を捕まえるつもりだったのに。  
なんだって、よりによって、あんなすっぽこな鈍感女好きエルフなんて好きになっちゃったんだろう。  
仲間はいつも一緒のあたし達を見てからかうけれど、実情は出会った頃と大して変わり無い。出会った頃のまま。世話を焼くあたしと、焼かれるあいつ。  
枕に顔を埋め、あたしはそっと自分のやや長めの耳を撫でた。  
あたしはハーフエルフだ。人間とは違い、ずっと長く生きる。  
今の仲間達はみんな気のいい連中で、大好きだけど、いつかはあたしよりも先に年老いて、別れの日が訪れるだろう。  
辛いけど、仕方の無い事だ。  
命の短い人間の仲間達が、歳を取り、それを看取る事になっても、あたしはきっとまだこの姿のままで生き続けることだろう。  
それでも、最も長寿な純粋のエルフであるあいつとは、どれだけの間一緒にいられるんだろう。  
人間よりはずっと長い時間だけれど、いずれは必ず訪れる別れまで―――五十年?百年?  
それまで、あたしはずっとこんな中途半端な気持ちでいるんだろうか?  
…こんな事をぐるぐる考えて、随分時間が過ぎたような気がするが、本当はそんなに経っていないような気もする。  
途中から、自分だけ悩むのが悔しいので、あえて何も考えないように、天井の木目などを数えて気を紛らわせていた。  
しかし、どうやらそれも限界に来たようだ。  
全く眠たくは無かったが、堂々巡りも疲れるので、仕方なく寝ようと改めて毛布を被ったその時だった。  
 
「…?」  
わずかながら隣の男部屋から物音が聞こえた。  
ザボ達が戻ってきたかと思ったけれど、それにしては静かだし、ケッチャ達がこっちの部屋に戻る気配も無い。  
あたしは、万が一だけど泥棒の可能性も考えて、そっとベッドを抜け出し、隣室に向かった。  
そんなに高級な宿じゃないから、廊下もちょっときしんだけれど、こんなもの、本職の盗賊であるあたしにかかればどうってことない。難なく隣室の扉の前まで忍び足で近付いた。  
ちょっと扉を観察してみると、鍵穴から明りが漏れている。物音も、わりと大きめに立てているみたいだから、泥棒じゃないみたいだ。  
あたしは思い切って扉を開けてみることにした。  
「誰っ!」  
すると、返ってきたのは馴染みのある声だった。  
「うわわわわっ!?―――あ、アリシアンか。」  
部屋の中にいたのはあいつ―――ケイン君だった。  
突然の声に随分びっくりしたようで、思わずぴんとエルフ特有の耳が立ってしまったみたいだけど、相手があたしとわかって、ゆっくり耳の角度が落ちついてゆく。  
「な、なんだよいきなり…。びっくりしたじゃないかぁ。」  
驚かせたあたしに抗議するケイン君。そのぶーたれる姿はいつも通りに見えるが、どこかぎこちない。目がちょっと泳いでいる。  
「あ…れ?ケイン君、…デートじゃなかったの?」  
呆気に取られたようなあたしの疑問に、ケイン君は痛いところを突かれたように言葉に詰まった。  
「い、いや、彼女、なにか用事があるとかって…。」  
「……ふーん。」  
どうやら、ケッチャの読みは見事当たったようだ。あたしは忍び笑いを隠し切れず、思わずニヤニヤと口元を緩めてしまう。  
…我ながら、嫌な性格だと思う。  
これにはさずがのケイン君もむっときたようで、唇を尖らせて不機嫌に言った。  
「なんだよ。笑うなよなー、アリシアン!僕はちょっと傷ついてるんだからさ!」  
その、勢いのある言葉とは裏腹のしょぼくれた様子に、あたしは堪らずプッと吹き出してしまった。  
「笑うなってば!もう!」  
ケインが抗議するが、自分でも腹筋がぴくぴく動くのをなかなか抑え切れずに、あたしは片手で口を塞いだまま謝る。  
「ぷっ…あはは、ごめんごめん!だってさぁ、あんまりにもケッチャの予想通りで…。」  
笑いが止まらなかったのは、ケッチャの予言が見事当たったのも、ケイン君の情けない表情もあったが、今の状況が、あたしとケイン君との関係を如実に現しているかのようで、なんだかおかしかったのだ。  
何かやらかして、しょぼくれるケイン君と、それをからかいつつ慰めるあたし。  
笑いながら、あたしはさっきまでの逡巡はどこへやら、こんな関係もいいか、と思い始めていた。  
少なくとも、あたしの位置に立てる子は、なかなかいないはずだから。  
そんなあたしの気持ちを知るはずも無く、あたしの笑いがようやく治まる頃には、すっかりケイン君は不機嫌そうに耳を下げ、ふてくされてしまっていた。  
その子供のような横顔に謝りつつ、あたしは親指であたし達の部屋を指した。  
「ごめんってば、ケイン君。お詫びに、ワインがまだ残ってるから飲みなおさない?あたしが奢るよ。」  
ケイン君は横目でちらりと不審そうにあたしを見る。  
「…もう笑わないー?」  
どうやら、さっき盛大に笑ってしまったことが、結構堪えたようだ。  
「だからぁ、ごめんってば。笑わない笑わない!」  
「あ、ほら、今笑ってるじゃんかぁ!」  
あたしは同じような謝罪を繰り返しつつ、そしてケイン君もあたしの笑いに抗議しつつ、なんだかんだで仲良く二人で部屋を移動した。  
 
 
それから、二時間ばかり経過した。  
あたしは、酒のせいかよく回らない頭で、今の状況を必死に考えていた。  
部屋には元からあったワインの他、何度か注文した酒瓶が何本も転がっていて、随分と酒臭い。酒に弱い人なら、匂いだけで酔ってしまうかもしれないほど、濃密な酒の匂いが充満している。  
あたしは酒には強い方だけど、それでも頭の芯がぼんやりしてしまっているから、かなり飲んでしまったのだろう。  
ケイン君は、あたしよりエルフの血が濃いせいか、酒にはあんまり強くない。だから、普段はそこまで飲まないのだけど、今日は女の子に振られたのもあってか、あたしに合わせてよく飲んでいた。  
早々にその色白の肌を首筋まで朱に染め上げつつ、愚痴と共に杯を重ねていたのを覚えている。  
そんなケイン君の話を聞いたり、ザボとケッチャの関係について噂したり、この間聞いた、ディーボの面白い寝言なんかを肴に、飲みながらみんなの帰りを待っていたはずだったけど…。  
 
この状況は一体何なのだろう。  
 
ケイン君が、あたしの上に覆い被さっている。  
「アリシアンー…。」  
ぼそぼそと、ケイン君の唇が言葉を紡ぐが、あまり呂律が回らない。完全に酔っている。  
あたしも同じ様に、酒に濁った目をしてるのだろうけど、ケイン君の目は宙を見つめているようにも、ギラギラした熱を帯びているようにも見える。  
その視線に怯えたわけではないが、あたしは恐る恐る、自分を抑えつけている男の正気を問い掛けた。  
「ケイン君、ちょ、ちょっと、どうしたの?」  
あたしの語尾はひょっとして震えていたかもしれない。自分でも、酒だけのせいではなく、声が上ずってしまったのがわかる。  
ケイン君は、真っ赤ではあるものの、普段なかなか見せないような真顔で、ベッドに組み敷いたあたしの目を見下ろしている。その真剣な眼差しに、あたしの心臓は外に聞こえるのではないかと思うほどに激しく鳴ってしまう。  
あたしの問いには答えず、突然ケイン君がぐっとあたしに体を近付けた。  
「んー…。」  
「わ、ちょ、ちょっと…!」  
襲いかかる、と言うにはあまりにぐにゃりと、ケインが崩れ落ちるようにあたしの体の上にのしかかる。  
思わず手を伸ばしたものの、ケインの体を受けとめきれず、そのままあたしはケインを抱きしめるような形で受けとめてしまった。  
あたしはケイン君の華奢な体を腕の中に感じながら、その重たさと体温に動けなくなってしまった。  
普段ならば、弱っちいケイン君の体など、すぐさま跳ね除けるのだけど、あまりにもあまりな状況に、あたしは指先すら動かせない。  
さっきまでの酒はすっかり抜けてしまい、どくどくと脈打つ心臓だけになってしまったかのような錯覚さえ感じる。多分今あたしは、酒のせいではなく耳の先まで真っ赤だろう。  
自分の顔のすぐ横にあるケイン君の髪の匂いを感じる。呼吸も、体温も。  
あたしはうぶな生娘ではないけれど、こんなにドキドキしたのは初めての時以来かもしれない。  
今の仲間達と組んで、しばらくこういった事には御縁が無かったけれど、ケイン君だったらいいかもしれない。  
あたしは…ケイン君がそうしたいなら、してもいい。  
ともすれば、また上ずってしまいそうな声をどうにか意志で落ちつかせ、あたしはそっとケイン君の耳元に囁いてみた。  
「ケイン君…、する?」  
少しくぐもった、ひそやかな声。  
久し振りだったけど、あたしにしてみれば、これでも精一杯に色っぽい声だったと思う。  
「……。」  
あたしにのしかかったままのケイン君は答えない。  
あたしはケイン君の体をそっと抱きとめながら、返事を待った。その時間は、ずいぶん長く感じられたので、イエスかノーかだけではなく、今にも扉をノックして仲間達が戻って来やしないかと、内心戦々恐々ともしていた。  
そして、あたしの耳に、ケイン君の声が届いた。  
「…ぐー…。」  
 
寝息だ。  
あきらかに寝息だ。  
しばらく間を置いて、ふつふつと何かこみ上げるものが、あたしの中に渦巻きはじめた。  
怒りだ。  
「…こんの、寝ぼすけエルフッ!!」  
「のぅわっ!?」  
恥ずかしさと怒りがないまぜになった気持ちを隠すこと無く、あたしはずっしりとあたしの体の上で眠りかけていた貧弱エルフを突き飛ばした。  
いい気持ちで眠りに入ろうとしていた所をベッドから叩き落されて、あたしに妙な期待をさせた男が床の上にしりもちをついた。  
「な、な、なんだよぅ、アリシアン!」  
突然の仕打ちに驚いた奴が、目を白黒させながら抗議するが、あたしの目を見て黙る。  
「……。」  
どうやら、あたしはかなり怖い表情をしているようだ。  
無理も無い。さっきから、この男に振り回された怒りと、勝手にあたしが一人で盛り上がってしまったことに対する気恥ずかしさで、あたしの心には嵐が吹き荒れている。  
あたしの背後に怒りの精霊の姿でも見えたのか、ケイン君が、まだ酒が少し残ってはいるものの、ちょっと我に返ったような表情で恐る恐る尋ねてきた。  
「あ、あのー、アリシアン、どうかしたの…?」  
そのあまりにも、艶めいた方向とは無縁の口調に、あたしは思わず怒りも忘れ、はぁーっ…と長い長い溜息をついてしまった。  
全く、何を勘違いしてんだか、あたしは。  
「?」  
ケイン君が、さっぱり意図が掴めない、といった表情で、いきなり今度は落ちこんだあたしを見つめているのがわかる。  
ケイン君本人にしてみれば、姉みたいな存在のあたしに、酒の勢いでついつい体ごと甘えてしまったというのが真相だろう。自覚は無い。  
どっちかと言えば、それを勝手に勘違いして、一人でドキドキしていたあたしの方が間抜けだったのだ。  
なんだかなぁ。…もう、嫌になる。  
「…僕、さっきなんかした?アリシアン?」  
心配そうに、あたしを見上げるケイン君。まるで主人の心配をする犬のようだけど、そうやって心配されればされるほど、みじめな気分になってしまう。  
「…うぅん、違うの。…ゴメン、突き飛ばしたりして。」  
言いつつ差し伸べた手に捕まって、ケイン君がよっこらせと立ちあがり、ベッドに腰掛けるあたしを見下ろした。その瞳には、どこかまだあたしを気遣う色がある。  
「本当に大丈夫?アリシアン?」  
「…大丈夫だって。気にしないで。」  
気遣われれば気遣われるほど、なんだか自分が惨めになった気がして、あたしの声はずいぶん沈んでいたかもしれない。  
そんなあたしを心配してか、ケイン君はそっとあたしの隣に腰掛けて、じっとあたしの様子を見つめていた。  
その、あくまでも仲間を心配する視線に、なんだか申し訳ないような気がして、あたしは何も言葉を紡げず、ただじっとベッドの端を掴んでうつむいていた。  
うつむいているせいか、溢れはしなかったものの、なぜか涙がじわりと目の端に浮かんでしまう。  
なんだか、あたしが惨めで、馬鹿みたいで、どうしようもなくて、ぐるぐるとした感情が、その行き場を見失ったかのようにただ悲しみとして感じられた。  
もう少しで、涙が玉となって流れ出しそうなその時だった。  
突然あたしの頭に何か優しい感触があった。  
「よしよし。」  
ケイン君があたしの頭をまるで子供のように撫ではじめたのだ。  
びっくりして顔をあげたあたしの前に、歳相応の落ちついた目の色をしたケイン君の顔があった。  
「…よくさぁ、僕が落ち込んでるときに、アリシアンがこうやってくれるじゃない?一回、僕もやってみたかったんだよね。」  
そして、えへへと子供のような顔で笑った。  
「あんまり無いよね、逆の立場ってさ。」  
あたしはただ子供のように撫でられながら、今日ぐらいは素直になっていいかな、と思った。  
あたしは、この人が好きなんだ。  
頼りなくって、鈍感で、失敗ばっかりして、そしてたまに頼りになる、ケイン=クレンスが好きなんだ。  
そう思ったら、あたしの行動は一つだった。  
 
「…アリシアン?」  
優しく往復していた手を急に掴まれて、ケインはちょっと驚きの声をあげた。あたしが怒ったかと勘違いしたのかもしれない。困惑交じりの声だ。  
そんなケイン君の顔を見ながら、あたしは掴んだ手を自分の胸に導いた。  
「え?え?どうしたんだよ、アリシアンってば。」  
突然のあたしの行動に、今度は困惑がさらに強くなった声でケイン君が問うた。そんなケイン君の目をじっと見ながら、あたしは正直な気持ちを告げる。  
「…こっちのほうが、いい。」  
そして、まだいまいち状況が掴めていない表情のケイン君に、あたしから口付けをした。  
それは鳥が軽くついばむような、挨拶みたいなキスだったけれど、あたしの行動にケイン君はその緑の目を大きく見開いて、戸惑いをあらわにした。  
「え、ちょっと、どうしたのさアリシアンっ?」  
酒のせいだけではなく、やや顔を赤くして、ケイン君は慌ててあたしの表情をうかがった。そして、あたしの表情に冗談やからかいの色が無いことを確認したのだろう。すぐにちょっと真顔になる。  
「ね、ケイン君。…しようよ。」  
愛の言葉としては、直接的と言えばあまりに直接的な言葉だったけれど、あたしは多分これまでに無いぐらい、素直な女の顔をしてたと思う。  
その表情に驚いたのか、ケイン君はその言葉の意味を考えて――そしてちょっと逡巡するような素振りを見せたけれど、意外なほど真剣な面差しで問い返した。  
「えっと…その、いいの?アリシアン?」  
そして、あたしが導いた胸に置かれた手に、少し本気の力を込める。  
あたしはそんなケイン君の迷いも可愛いなぁ、などと愚にもつかないことを考えながら、目で頷く。そして、まだちょっと迷っている感のあるケイン君の首に手を回し、今度はもっと長いキスをした。  
あたしの想いが、ちょっとでも伝わるように。  
それは唇をただ合わせただけの、単純なキスではあったけれど、やがて、ケイン君のほうからまるで探るかのように自分の舌を割り込ませてきた。  
「んっ…。」  
始めはまるで探るかのように、歯列の隙間を探しているだけではあったけれど、やがてあたしの舌を求めて奥深くまで侵入してくる。  
こんなキスをするのは何年ぶりかな、とちょっと考えながらも、意外にもねちっこく舌を絡ませてくるケイン君の激しさに、やがてあたしは呼吸の苦しさを感じていた。  
歯の裏をさぐり、奥で縮こまっているあたしの舌を見つけ出し、その裏までも味わおうとするかのように迫るケイン君に、息苦しさを感じて少し唇をずらす。とたんに悩ましげな声が口の端から漏れる。  
「…っ、ふ…ぅっ。」  
やがて、どちらともなく唇を離したときには、二人とも酒のせいだけではなく長い耳まで真っ赤になっていた。  
「…ケイン君、キス上手いんだね。」  
ちょっと照れ隠しのように呟くあたしに、ケイン君はなぜか視線を逸らしつつ、ぶつぶつひとりごちた。  
「ん、まぁ、僕も結構長いこと生きてるし、まぁその、…それなりには。」  
そして、さわさわとあたしの胸の形を確認するかのように、膨らみの上で遠慮がちに手を行き来させた。  
そのくすぐったさと言うか、じれったい感触に、あたしは思わずそのちょっと細い手を掴み、ぎゅむっと自ら強く胸に押し付ける。  
ケイン君は、あたしの顔と導かれた手のひらを交互に見比べて……男の顔になった。  
 
「…は…ん。」  
ベッドの上で、もう何回目かわからないキスを、あたし達は繰り返していた。  
あたしはケイン君のやや長めの髪の中に指先を挿しいれ、その頭皮にじっとりと浮かんでいる汗の感触を知る。  
指の間を、エルフの血のせいだろうか、あたしの少々癖のある髪とはやや手触りの違う、何の抵抗も無くさらさらと滑る金髪が心地よく刺激する。  
そのまま細いうなじに手を伸ばすと、そこもわずかに熱を持ち、うっすらと小さな汗を浮かばせていることがわかる。  
軽く指先で、その男にしてはやや細めの首筋に浮かんだ骨の形をなぞるように這わせる。  
「うひゃっ。」  
とたんにケイン君が小さく情けない声をあげた。  
「あ、ごめん…びっくりした?」  
思わず謝罪するあたしに、ケイン君はぴこんと立ってしまった耳を落ち着かせるかのように自分で両耳を掴みながら少し恥ずかしそうに告白した。  
「うん…。なんか僕、昔っからくすぐったがりなんだよね…。皮膚の薄いところが駄目みたいで。」  
「へぇ…。」  
そう聞いて、あたしは生来の悪戯心がタイミング悪くむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。  
目の端に、両手をあげてしまっているせいで、無防備に晒されているケイン君の脇腹が映る。  
「そうなんだ…えいっ!」  
「あひゃっ!?」  
完全に不意打ちで、あたしはケイン君の脇腹を思いっきり掴んでみた。思ったとおり、ケイン君は再びぴこーんと耳を逆立てて、甲高い声をあげる。  
まるで子供がじゃれるみたいに、体をひねって逃げようとするケイン君を執拗に責め立ててみる。  
「あひっ、ちょ、ちょっとアリシアン…っ、うひゃ!やめてよっ!うひゃひゃひゃひゃっ!」  
ケイン君は、さっきのシリアスな顔はどこへやら、あたしの指から逃れようとまるで毛虫のようにのたうちまわっていた。  
「そっかそっか、ここが弱いのケイン君?あーん?」  
「いや、か、勘弁してよアリシアンっ!!ほ、本当に駄目なんだって、あひゃっ!」  
あたしの盗賊の指は、アバラの浮いたケイン君の脇腹の、とくに敏感な部分を探り当てる。痙攣しながら逃れようとするケイン君を背後から抱きすくめるようにして、お気に入りの緑の服の下にある、色白の薄い脇腹をこしょこしょと苛めてみる。  
びくびくと体を震わせて縮こまり、胎児のように体を丸めてこしょぐりに耐えているケイン君を、あたしは抱きすくめる。  
悪戯しながらも、あたしは自分の胸をぎゅむっと密着させるようにくっつけた。まるで、肉体の感触で、体温で、全てを伝えようとするかのように。  
 
やがてケイン君が声もあげなくなったので、あたしはようやくケイン君の服の下から手を離し、開放してあげる。  
しばらく脇腹に加えられていたある種の虐待の余波に耐えていたケイン君だったが、ややあっててようやく顔を上げると、その緑の目にめいいっぱいの抗議の色を浮かべた。  
「ひどいよ、アリシアンー。いじめっこだよ…。」  
くしゃくしゃになった頭に、さんざん笑わせられたせいで紅潮した顔。そしてぶーたれる顔に、あたしは悪いと思いつつ笑いを抑えられなかった。  
「ふふっ、ごめんごめん。」  
「もぅ、笑い事じゃないって!本気で死ぬかと思ったよ!」  
そして、くしゃくしゃになった頭髪を撫でながら、ケイン君は憤懣やるかたないといった表情で抗議した。  
「アリシアンがさんざんいじめたんだから、今度は僕がアリシアンの弱いところを攻めさせてよ。」  
「え?…うーん、まぁいいけど。…あたしの弱いところかぁ。」  
どこだろ?と自分でも考えてみようとして、ケイン君が迷わずにふぅっとあたしの耳に息を吹きかけてきた。  
「やんっ!?」  
ぞくぞくっ!と背筋に走った感覚に、あたしは思わず悲鳴を上げた。  
胸の先端なんかをいじられた時とは違う、もっともどかしくて、鈍い感覚。微妙な快感が思いがけず声をあげさせていた。  
そんなあたしの反応に機嫌を良くしたのか、ケイン君は少し得意げな表情で顔を近づけて言う。  
「やっぱりね。ハーフでも耳が弱点なんだ。」  
「…そう、みたいね。」  
「アリシアンがさっき脇腹をくすぐってたのって、どれぐらいだった?」  
「んー…五分ぐらいってトコかな。」  
「決まりだね。これから五分、アリシアンも耐えてよ。」  
「え、あっ、ちょっと!」  
抗議する暇も無く、ケイン君の舌があたしの耳をなぞった。組み伏せられ、のしかかられた体の重みと、耳元で鳴る水音が、ざらりとした熱い舌の感触とあいまってぞくぞくと背筋に何かを走らせる。  
「いやんっ…あふっ…ん。」  
首を振って、あたしはこの息遣いとぬめる舌の感触から逃れようとした。だが、意外にも巧みにケイン君は耳から舌を離さず、微妙な動きで責め立てるのをやめない。  
「あ…んん…やだ…くすぐったい…。」  
鼻にかかった声を上げながら、あたしは背を弓なりにそらし、膝を立てて逃げようとしたけれど、シーツが滑ってうまく動けない。  
その間にも、あたしの耳には荒いケイン君の息遣いと、長い耳の溝をなぞる愛撫が加えられていた。  
「逃げちゃだめだよ、アリシアン。」  
意外なほどに優越感のこもった声で、少し偉そうに囁くケイン君。  
舌で耳の細やかな窪みを撫で、尖った先端を口に含み、薄い耳たぶをねぶる。その、丁寧だけど、どこかもどかしい感覚にあたしの背は弓なりに反っていく。  
下から胸を押し付け、ケイン君の体に密着させる。自然ともっと求めるように、あたしの足は膝できゅっとケイン君の体を挟んでいた。  
そのあたしのむき出しの太ももを、肌触りを確かめるかのような動きでケイン君の手が撫でている。これが普段なら拳骨の一発もくらわせるところだけど、今はこの感触が暖かくて気持ちいい。  
 
やがて、永遠にも思えた時間が終わったのか、それとも耳をいじめるのに飽きたのか、ケインはあたしのほっぺたにちゅっと軽く音をたててキスをした。そして、にへっと笑った。  
「お返し〜。へへ、アリシアン、顔真っ赤だね。」  
あたしは自分では見えないけれど、多分自慢の日に焼けても色白の肌のせいで、胸元まで赤くなっていたことだろう。  
それが、目の前のケイン君にもたらされたかと思うと、なんだか恥ずかしいやら照れるやら腹が立つやらで、ついついむくれてしまう。  
「…なによ、馬鹿。」  
そんなあたしの怒りの表情が、所詮は照れ隠しの延長だとわかっているのか、ケイン君もうろたえたりはしない。こういう時に、実はケイン君があたしよりも年上だとふと感じたりもする。  
…普段はぜんぜん感じないんだけどね。  
だから、この時も、なんだか自然な感じであたしはケイン君があたしの服を脱がそうとしているのを受け入れていた。  
「はい、アリシアン、手をあげて?」  
なんだかお母さんが子供に服を脱がせるような口ぶりに、ちょっと心の中では笑ったけど、酔いの気分もあってあたしは素直に両手を挙げる。  
脇に普段着代わりに着ているソフト・レザーの着脱時の紐があり、そこを緩めると簡単にあたしの服は脱げるようになっている。  
よく考えたら、あたしは何度かケイン君に裸を見られているので、今更といえば今更な感もするけれどそれでもやっぱり気恥ずかしい。  
だからこの時も、自慢のちょっと大きめの胸や、薄く脂肪のついたお腹や、髪と同じでやや癖のある翳りなんかが外気に晒された時も、なんだかまともにケイン君の顔を見れず、ちょっと視線を外してしまう。  
ケイン君はどう思うのかな、と考える。  
綺麗だと思ってくれるといいなと思う。切に願う。  
それは、欲望というにはあまりにも些細な、祈りにも似た想いだったけれども。  
 
別に、言葉は無かった。  
あたしの裸が綺麗だとか、魅力的だとか、色っぽいとか。  
でも、無言でもわかる。五感以外の部分で感じる。あたしの体をケイン君が好ましく思ってくれていることを。  
それはかえって、言葉にしてしまうと芝居のセリフのように嘘臭く感じてしまったかもしれない。  
こういう時、言葉はかえって野暮というものだ。  
まるで舐めるかのようなケイン君の視線を感じながら、あたしは相変わらずベッドの端を見つめたままだ。  
その視界に嫌でも入り込むケイン君の服を見て、あたしはなんで自分だけ裸になってるんだろうと、無言で抗議の意思を膝先で伝えた。  
膝の先で軽くぐりぐりと触れたケイン君の股間は、興奮を示す硬質な感触を布越しに伝えている。  
あたしの言いたいことがわかったのか、慌ててケイン君は愛用の、大きな襟飾りのついただぶだぶの服を脱ぐ。  
さすがにズボンを脱ぐときには少し戸惑いの色があったものの、そこで止めるのを責めるあたしの視線に気づいてか、いっそ勢いよく素っ裸になる。  
その貧弱と言えば貧弱な、ひょろりとした体の中心で息づく、明らかな男の象徴は、まだ完全に勃ち上がってはいないものの、興奮の徴を見せている。  
嬉しいな、と思う。  
あたしでも感じてくれていることに、素直に感謝したい。  
やがて縺れ合うかのように絡んできたケイン君の手を、足を、全てを、あたしも体で応じる。  
ただ筋肉の違いや、肌触りの違い、体温の違いを確かめ合う。  
今度はあまり嫌がらせないように、ケイン君の僅かに肋骨が指に引っかかる感触のある脇腹をなぞる。少し汗ばんだ感触が指に伝わる。  
ケイン君は、またくすぐられるのではないかと少し身を固くしたみたいだけど、あたしの指に苛める気配が無いのがわかったのか、素直に指の蹂躙を許してくれている。  
そして、その応酬とばかりに、あたしの上下に息づく胸を鷲掴みする。わかってはいたけれど、その少し性急な触れ方に、あたしは声は上げずに小さく吐息を漏らした。  
まるでパン生地でも捏ねるかのように、あたしの胸は形を変えられる。揉まれて気持ちが悪いわけではないけれど、じつは膨らみだけ揉まれても、女としてはそんなに気持ちのいいものではない。それでも世の男は必ずと言っていいほどこの行為に拘泥する。  
「あのさ、なんで男って胸を揉むのが好きなの?」  
自分でも、なんだか間抜けな質問だと思ったけれども、これまで頭の隅に引っかかっていた疑問をぶつけてみた。  
やはり、一般の男と同様に、あたしの胸の感触を両手で味わっているケイン君は、質問の意図がわかりかねたのか、一瞬ぽかんとした表情をみせたけれど、言われた内容にしかし真摯に答えようとした。  
「なんでって…うーん。」  
その答えを探ろうとするかのように、ケイン君は今度はもう少し慎重な動きであたしの胸を揉んだ。まるで賢者が正体不明の生き物を探るかのような動きに、なんだか恥ずかしくなってあたしは頬を染める。  
「自分に無い部分だから、かなぁ?」  
「それだけ?」  
やや拍子抜けした答えに、あたしはケイン君の男の徴を思い出す。あたしはべつに自分に無いからって、アレを触りまくりたいとは思わないけれど。  
「それに、触ってて気持ちいいし。…うん、多分それが一番だね。こんなふうにさ。」  
「あ、こら。」  
静止する声も聞かず、ケイン君があたしの胸の谷間に顔を埋めた。すりすりと、まるで猫が親愛の情を示すかのような動きに、大きな赤ん坊を連想させられた。  
ただし、赤ん坊と違ったのは、あたしの皮膚の薄くなっている谷間の部分に強めに口付けたりしていることだ。  
 
「…っ。」  
ぴくんっと体が反応するのを抑えられない。あたしの反応に気を良くしたのか、ケイン君は先ほどから痛いほど尖っている胸の先端の蕾に触れた。  
「あんっ。」  
思わず声が漏れる。さっきから触って欲しくてうずうずしていた桃色の尖りは、ちょっとした刺激にも敏感になっていた。それを知ってか知らずか、ケイン君は親指と人差し指でくりくりと先端を苛める。まるで先ほどのお返しのように。  
「やっ…もぅ、馬鹿っ!」  
口から出る言葉は拒絶ばかりだったけれど、それが形ばかりのものだということは流石にわかってしまうものらしい。ケイン君はやめるどころか、さらに調子に乗った表情で先端を舐り始めた。  
「んんっ…!」  
ぬめる舌が、あたしの最も敏感な部分を舐めあげる。多少の力が加わっても固さを保ったままの乳首が、まるであたしの体の神経がそこだけになってしまったかのような快感を感じていた。  
獣が獲物の肉を食いちぎるかのように、ケイン君はあたしの体の中でももっとも柔らかく、ボリュームのある部分を味わおうとしている。  
口には収まりきれないので、半分ほどまでであったけれど、口いっぱいに柔肉にむしゃぶりつき、ほんの軽く歯を立てる。  
以前、猟師の男と話した時に、男が語った内容を思い出す。  
獲物を狩り、追い詰めて殺す瞬間、エクスタシーに近いものを感じると。  
町育ちのあたしにはそのときピンとこなかったけれども、なるほどわかるような気もする。  
この場合、狩られているのはあたしであり、殺されようとしているのもあたしだけれど。それじゃあケイン君が狩猟者か、と思うと少し笑える。  
だがその笑いを表情に出すことはできなかった。ケイン君が胸を吸う感触に翻弄されていたからだ。  
ちゅっちゅっと無心に吸い上げてくるケイン君の動きに、あたしの思考はかき乱される。  
「あ、…はっ…んっ!や、やだっ、もぅっ!」  
言いつつ、あたしは体をよじるが、ほとんど無駄な抵抗だった。片手で熱心に乳房をいじられつつ、ただ胸に与えられる刺激に耐えるしかない。  
舐められる度、吸われる度、揉まれる度に、あたしの中で最後の羞恥心が薄皮を剥くように薄れていくのがわかる。  
もっと見て欲しい、触って欲しい、感じさせて欲しい、―――もっとあたしの中に来て欲しい。  
そう思うと、あたしはケイン君の白いお腹を撫で、そのままケイン君の状態を確認するかのように下腹部へと手を滑らせる。  
あたしの手の動きに、ケイン君はちょっと身じろぎしたけれど、緑の瞳をあたしの青い瞳に合わせる。  
そして、あたしがケイン君の興奮を触って確かめたのを受けて、目で頷く。  
それを受けて、ややぎこちなくではあったものの、あたしの状態を確認するかのように遠慮がちな手が下腹部に触れる。  
手探りで探り当てられた部分は、すでに熱を持って久しい。  
そのぬかるんだ感触を指先で確かめられ、あたしは小さく息をつく。  
やがて、二、三度具合を確認されたあと、侵入してくる肉の感触に、流石に声を漏らさずにはいられなかった。  
 
「アリシアン…っ。」  
うめくようなケイン君の声。  
あたしの奥へ、奥へと、まるで生き物が出口を求めているかのように貪欲に侵入してくるもの。  
濡れた粘膜どうしが擦れ合い、直に体温が伝わる。まるで体にそれ以外の神経が通っていないかのようだ。  
「あ、う…ん、ケイン君…!」  
ケイン君の質量を受け止めつつ、あたしは目を閉じてただひたすら感覚を味わう。  
自然と口元に手の甲を当てて、大きな声をあげてしまわないようにする。そうしないと甲高い声で啼いてしまいそうだから。  
そんなあたしの姿をどう思ったのか、ケイン君は囁くような低い声で不満を口にする。  
「声、聞かせてよ、アリシアン。」  
「…嫌。…だって…。」  
「だって?」  
「あたし、声大きいから…っ!」  
乱れた呼吸の下で、あたしが途切れ途切れに告白すると、ケイン君は上気したあたしの頬に口付けしつつ含み笑いする。  
「だから、それを聞かせてほしいんだって。」  
そのどこか余裕の感じられる声に、なんだか無性に腹が立つ。  
あたしはケイン君の無粋な熱い塊を受け止めて、その異物感にあえいでいるというのに。  
男と女ではどちらが気持ちいいか?というのは多分開闢以来長く議論されてきたことなのだろうけど、相手を体の中に受け入れる感覚というのは、多分どんなに長寿のエルフとはいえ男にわかるはずも無い。  
気持ちいいのはどっちかというのはさておき、体の中を他人に蹂躙されるというのは大変なことなのだ。好きな相手でもなければ耐えられないほどに。  
そして、その様子を観察されるのは物凄く恥ずかしいことなのだ。それをわかっていない男が多すぎる、とあたしは思う。  
だから、今回もあたしは反抗的に睨み付けてやる。  
「…嫌、絶対。」  
顔を真っ赤にしながらの抵抗だったので、あまり迫力は無かったかもしれないけれど、これぐらいの抵抗はあたしに残された最後の羞恥心という砦として許されていいと思う。  
それがケイン君にも伝わったのか、無理にあたしの手を取り払ったりすることはしなかった。  
その代わり、自然に声を出させようと思ったのか、深々と差し込んだものの律動に集中し始めた。  
結合部から淫らな水音がする。  
まるで口内のように濡れそぼった部分を、擦り、突き上げる時に発する音。それとあたし達がつく荒い呼吸だけが深夜の静寂の中で響く唯一の音だった。  
時折、ギシギシと安宿にふさわしい安物のベッドが悲鳴を上げるが、それすらも合わせて心地よくあたしの耳に響く。  
少しふかふかとした感触が下腹部でする。あたしの陰りがケイン君のものと絡み合っているのだ。  
 
融けてしまえればいいのに、と思う。  
 
こんな体の一部分だけではなく、体の全部が融け合って、交じり合えればどんなにいいだろう。  
ケイン君の腰に回した足に少し力を込める。  
ふくらはぎに感じた汗ばんだ肌の感触に、あたしは閉じていた瞳を少し開いた。  
ケイン君は、もはやひたすら腰の動きに集中しているようで、目を閉じて苦痛に耐えるかのような表情をしている。  
その頬に軽く触れると、じっとりとした汗の冷たさが伝わった。その汗は、顎を伝い、小さな水滴としてあたしの胸元に落ちる。それは突き上げられる動きに揺れて、脇腹へと一条の流れを見せた。  
やがてやってくる終焉の予感に、あたしはぎゅっと目を閉じて、最大限まで感じ取ろうと意識を集中する。  
全てを受け入れることが、愛の誓いであるかのように。  
 
 
 
ふわふわとした気分だ。  
絶頂を迎えるには、ちょっとケイン君は早めにダウンしてしまったので、すこし残り火のような感触が体の中でくすぶっている。  
正直、物足りないような気もしたけれど、隣で満足気に甘えるケイン君の耳を触っていると、なんだかそれでもいいかなという気になってくる。  
体の先端のせいか、ちょっとひんやりとしたケイン君の耳の先っぽは、毛こそ生えていないものの皮膚の薄さが猫の耳を思わせる。  
くりくりとつまむように指を動かすと、不快なのかくすぐったいのかぴこぴことあたしよりも少し長めの耳が動く。それでも胸の谷間に埋める顔は動かす気は無いらしい。  
あたしは飽きることなくケイン君が不快で無い程度に耳をいじる。特に二人とも何も言葉を発しなかったけれど、このまどろんだ雰囲気にいつまでも浸っていたい。  
だけど、それも限界に近かった。さすがに睡魔があたし達を襲い始めていたのだ。  
あたしは寝付くまでの時間、ケイン君のだんだんと動きを鈍くする耳と、平和そうな顔を見つめる。そして、これまで漠然と感じていた不安を口にした。  
「ねえ、ケイン君。」  
「…んー?」  
まだ寝付いてはいないものの、ケイン君は半分夢の中のような口ぶりで、あたしの言葉に反応する。だがそれも、油断したらすぐに意識を飛ばしてしまいそうな感じだ。  
あたしはケイン君のさわり心地の良い髪の毛に指を滑らせながら、小さく呟いた。  
「あたし達、いつまで一緒にいられるかなぁ。」  
それは、長寿の種族相手に考えてはいけないことなのだろうけど、口にせずにはいられなかった。  
交わってみて思った。  
あたしは、自分で思ってた以上に貪欲で寂しがりやらしい。  
ついさっきまで、ただ同じ時間を過ごせればいいやと考えていたのに、どんどん欲深くなる。  
この体温を、まどろみを、何度でも感じていたい。  
そしてそれが叶わないことも、理性のどこかできちんとわかっているのだ。  
あたしの声色に、どこか泣きそうな所を感じ取ったのか、半分眠りかけていたケイン君がその緑色の目を開けた。  
そして、さっきのように、少し癖のあるあたしの髪をよしよしと撫でながら言った。  
「多分、一緒にいられるだけずっとだよ。」  
「ずっと?」  
「うん。今の仲間達と世界中見て回って、そのうちみんな引退なんかしてお別れパーティを盛大にして、…みんなの子供なんかもきっと見られるね。たまにタラントに帰ったりもするけど、飽きるまで世界をまわる、その間、多分ずっとだよ。」  
あたしはケイン君の深い森のような緑の瞳を見つめる。  
「一人じゃ寂しいからさ、アリシアンが僕をずっと叱ったりしてそばにいてくれると嬉しいな。」  
あたしは気づいた。  
別れるのはあたしだけじゃない、残された者もまた別れの痛みを感じるのだ。  
お調子者で、明るい性格のケイン君だけど、きっと長い寿命の間、たくさんの別れを繰り返してきたのだろう。言葉の端々にそれを感じて、あたしはケイン君に笑いかけた。その表情は泣き笑いのようだったと思う。  
「…あたしは叱るの前提なわけ?」  
「もちろん。叱りながら一緒にいてくれたら嬉しいな。」  
にへらっとわらうケイン君。その笑顔にどこか逞しささえ感じてしまうあたしは、仕方ないかと心の中で苦笑する。  
せいぜい、あたしの寿命が尽きるまで、やきもきしながら付き合ってやろうじゃないか。  
この頼りなくも逞しい転ばせエルフに。  
そうあたしが決意したときに、ケイン君はまたすりすりと胸の谷間に甘えつつ呟いた。  
「…で、たまにはこういうことさせてくれると、僕はもっと嬉しい。」  
 
調子に乗るな、とあたしの拳骨の音が宿に響いた。  
 
 
翌日。  
何があったのか、あたしが夜明け前に目を覚ました時にも、仲間のみんなが宿に戻ってきた様子はなかった。  
隣の男部屋も同様で、ディーボさんもザボも戻ってきた様子が無い。  
あたしは幸せそうに眠りこけるケイン君を起こし、とりあえず二人とも普段の服装に戻ってみんなの帰りを待つ。  
太陽が中天近くに昇り、さすがに探しに行こうかと思っていた矢先に、賑やかな足音と聞き覚えのある声が聞こえてきた。  
「うー。もぅっ!気分悪いよぉ…!」  
不機嫌そうなケッチャの声、そしてそれを宥めるザボさんの声。  
「ああ、お嬢様、あんまり叫ぶと頭に響くよ?」  
「それなら先にそう言ってよ!イタタ…もー!なんとかしてよ、ザボぉ!」  
やがて、頭を抑えながら青白い顔色をしたケッチャと、それを支えるようにして運ぶザボとユズが女部屋の扉を開けた。  
そして部屋で待っていたあたしに気づくと、ザボは少し驚いたあとに頭を下げる。  
「あ、アリシアン。ごめん、戻らなくて心配ただろ?」  
…本当のことを言うと、途中からすっかりみんなのことは忘れていたのだけれど、あたしは慌てて頷く。  
「あ、うん。心配してた心配してた。どうしたのさ、みんな?」  
ベッドにケッチャを運び込むザボの代わりに、ユズがちらりとそちらを見て説明する。  
「別れたあとに行った酒場でさ、ケッチャが飲みすぎてダウンしちゃって。そこの酒場で看病してたら、結局泊まる羽目になっちゃったのよ。」  
なるほど、とあたしは思った。看病役でユズが残ると言い、当たり前のようにザボがケッチャの傍にいたがり、ディーボは一人でこっちの宿に戻るわけにもいかず残ったのだろう。  
ケッチャには悪いけど、少しラッキーだったと思わなくもない。  
さすがに、情事のすぐあとで、みんなの顔をまっすぐに見られる自信はなかった。  
別に悪いことをしたわけじゃないけど、なんか、こう、・・・ねぇ?  
ちらり、と何気なくケイン君の方を見たが、何を考えてるのか、いつものようにへらへらと笑っている。  
あたしがこんな気分なのにこの野郎、という気もするが、まぁケイン君らしいと言えばそれまでか。  
案外、あっちの方が精神的には図太いのかもしれない、なんてことを考えながら、ケッチャに水差しから水を飲ませているあたしに、つつつと近づく影があった。  
「・・・なーんか、いいことでもあったのぉー?」  
ユズが、自慢の長い髪をいじりつつさりげない口調で尋ねる言葉に、あたしは内心の動揺が顔に出ないよう注意しつつ、ポーカーフェイスで淡々と答える。  
「別に。なんにもありゃしないわよ。」  
「水、こぼれてるわよ。」  
・・・・・・。水差しから注ぐ水は、手元のコップではなくあたしの手首のあたりにじょぼじょぼと注がれていた。そんなあたしにハンカチを渡しながら、ユズはぼそりと小さく囁きかけてきた。  
「昨日行った店に、あたしに似合いそうな可愛い髪飾りがあったわよねぇー、アリシアン?」  
「・・・・・・。」  
この野郎。  
そう思いつつも、あたしはふっと面白く感じて笑った。  
共に過ごせる時間が短いのであれば、めいっぱい楽しい時間を過ごそう。この刻は、多分一瞬でしかないものなのだから。  
「オッケー。あとでもう一度行こっか、ユズ。」  
「ま、ついでに色々聞かせてよね。色々と。あ、ケッチャには黙っておくからさ。」  
「・・・・・・。」  
果たして、いつまで秘密なものやら。  
あたしはため息をつきつつ、それでもどこか照れ笑いの混じった気分でウインクを返すのだった。  
 
 

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