〜恋する吉田さんは切なくて〜
「はぁ、とうとう言っちゃった……」
精一杯の勇気を振り絞り、平井ゆかりへの宣戦布告を果たした、その日付が変わろうとする頃。
吉田一美はベッドの中で天井を見上げながら、眠れぬ夜を過ごしていた。
静かな部屋の中、一人でじっとしていると、あの時の興奮が蘇り、気が昂ぶってしまう。
もう何度目か分からない溜息をつきながら、一美はころんと寝返りを打った。
「もう寝なくちゃ……。それで、明日にでも、坂井君に……」
好きだと言おう──そこまで口にする事が出来ず、一美の胸が緊張と不安で締め付けられる。
ゆかりの前ではああ言ったものの、時が経って冷静になるほどに、それは無謀な考えに思えてきていた。
「無理かなぁ、やっぱり……」
ゆかりは、同性の一美の目から見ても愛らしく魅力的で、頭脳も運動神経も、自分とは雲泥の差だ。
自身の長所を探そうとしても、元々消極的な一美の思考回路では、どだい無理な話である。
身体の発育に関しても、シャワー室で見た妖精のように流麗な肢体に比べれば、勝っているとは思えない。
むしろ一美は、同年代の平均を大きく上回る自分の胸の膨らみが、却って不恰好なようにも感じていた。
「ううん、駄目! 私、決めたんだから! ちゃんと坂井君に言って、確かめようって!」
ぷるぷると頭を振って弱気な考えを振り払い、一美は自分に言い聞かせるように呟いた。
未だに『さん』付けで呼ばれる自分に対し、ゆかりは『シャナ』と親しげに綽名で呼ばれている。
それはそのまま、悠二の自分と彼女に対する親密度の差の現れだ。
一美が想いを遂げるには、その差を縮め、追いつき、そして追い越さなければならない。
その為にも、この決意が鈍らないうちに、悠二に対して正直な気持ちを伝えなくては、と一美は思った。
「そうよ。もしかしたら坂井君は、ちょっと太めの方が好みかも知れないし……」
他人が聞けば謙遜に過ぎると言うであろうが、冗談でも卑下でもなく、一美は本気でそう思っていた。
そんな控えめさも大きな魅力であるのだが、当然、一美にその自覚はない。
軽く目を瞑ると、一美は懸命に想像の翼を広げ、実際に告白する場面を想像してみた。
『坂井君』
『どうしたの? 吉田さん』
ゆかりにそうしたように、しっかりと視線を合わせて声を掛けると、悠二はいつもと同じ調子で答えた。
もうそれだけで、一美の胸は高鳴り、耳の先がみるみる熱くなっていく。
『わたし、私……。坂井君のことが、好きなのっ!』
『えっ!?』
思い切って告げると、悠二の目が驚きと僅かな困惑に見開かれる。
多分そうなるだろう。彼の心が向いているのは、自分ではなく、ゆかりなのだから。
『だからどう、って訳じゃなくて……。ただ、ただ、知っておいて欲しくて、それで……』
きっとこれ以上は、彼の顔を見ていられない。
少しでも、彼の瞳が拒絶の色を浮かべたら。そう考えるだけで、涙が零れそうなぐらいに悲しくなるから。
顔を伏せて、身を強ばらせて、祈るような気持ちで返答を待つ。
けれど、想像の中の悠二は優しい声で、どうしようもなく緊張した自分の肩に手を置いて、そっと呟くのだ。
『ありがとう。僕も、吉田さんのことが、好きだよ』
「ああ……っ!」
単なる想像だけで、目が眩むほどの嬉しさが込み上げ、一美はぎゅっと自分の身体を抱き締める。
その時、腕に柔らかな膨らみが押し潰され、そこから痺れるような快感が迸った。
「えっ!? な、なにっ!?」
いきなり襲ってきた強い快楽に夢想から引き戻され、一美はびっくりして跳ね起きた。
激しい動悸に合わせて、甘い余韻が膨らみの先端からじんじんと響いている。
「何だったの、今の……」
一美は恐る恐る手を伸ばし、もう一度パジャマの上から胸に触れてみた。
しかし、今度は先程のような異常は起こらず、普通に自分の指先を感じるだけだ。
感触を確かめるようにふにふにと握ってみても、静まってきた痺れの他は、いつもと別に変わりはない。
不思議そうに自分の身体を見下ろしていた一美は、ふとその原因に気付き、ぱぁっと顔を赤らめた。
「もしかして、坂井君の事を……考えてたから?」
ぽつりと呟いた途端、その言葉を肯定するかのように、静まりかけていた痺れがじわりと強さを増した。
奥手な一美も、同級生の話や雑誌の記事などで、そういった行為の知識はそれなりにある。
だが、やり方を知ってはいても、自分でそれをやってみる事は、怖くてとても出来なかったのだ。
けれど、今は未知の感覚に対する恐怖よりも、強く心を衝き動かす『何か』の方が強い。
身体に比べて、まるで成長していなかったその『何か』に導かれて、一美はゆっくりと腕を持ち上げた。
(もう一回……。もう一回だけ……)
心の中で繰り返しながら、一美はおずおずと手の平を胸に近づけた。
悠二の姿を思い浮かべ、豊かな膨らみの片方を、掬い上げるようにそっと包み込む。
「あっ……!」
たちまち走る電流にも似た強いときめきに、一美の口から小さな喘ぎが洩れる。
(やっぱり、そうなんだ……)
妙に納得した気持ちになりながら、一美はぽふっとベッドに横たわった。
「んっ……んふ、ん……ぁ、はぁ……」
(だめ……。一回だけって、確かめるだけって……)
頭の隅で必死に抗いながら、一美はパジャマの上から、二つの胸の膨らみを両手で揉みしだいていた。
残る意識の大部分は、悠二の姿や声を次々と思い描き、身体の中心に灯った欲求の炎に注ぎ込んでゆく。
もうやめなくてはと思っても、目覚め始めた快楽に操られ、どうしても手を離す事ができない。
鼻に掛かった自分の熱い吐息を、一美は夢の中にいるような非現実感の中で聞き取っていた。
「んふぅ……。 んくっ……は、ぅん、んんっ……」
(坂井君の事を考えて、こんなこと……。私って、なんていやらしい子なんだろう……でもっ……)
悠二の事を冒涜しているという罪悪感に、一美の心は申し訳なさで一杯になっていた。
しかし、快楽に酔った身体は、そんな思いすらも背徳的な喜びに転化させ、両手の動きを速めていった。
たっぷりとした量感のある乳房は、蠢く指先に合わせて淫らにその形を変えていく。
パジャマ越しにも分かるほど尖った突起が、柔肉の中に埋まっては飛び出し、掌の下で転がった。
「あ、っふ……。や、ここ、濡れて……」
無意識に擦り合わせていた腿の付け根にぬるりとした感触を覚え、一美は片手をショーツの下に潜らせた。
その場所には触れないよう、身体とショーツの間を空けるように進ませると、指の甲に湿り気を感じた。
下着を汚してしまった事に、情けないと思いつつも、胸を撫で回す手は止められない。
怖い、たまらなく熱い、いけない、でも触れてみたい。
押し止める慎みと、その先に進みたがる欲求の葛藤も、あっさりと後者の勝利に終わる。
「はっ……んんっ!」
熱く濡れた秘所にただ触れただけで、自分でも信じられない位の快楽を得る。
思わず洩れかけた大きな声を抑えようと、一美は桜貝のような唇を枕に強く押し付けた。
「んんっ……んむぅ! んっ、んきゅう、んうぅ!」
ベッドにうつ伏せになり、腰をわずかに浮かせた姿勢で、一美は切なげな鳴き声を上げ続けていた。
いつの間にか、胸に触れていた手も捲り上げたシャツの中に忍ばせて、素肌へ直接指を這わせている。
股間で動く手つきはまだぎこちなく、揃えた指で表面を上下になぞるだけの単調な動き。
しかし、それでも瞼の裏に浮かぶ悠二の姿が、一美の官能を刺激して止まなかった。
(この手が坂井君のだと思ったら、きっと、もっと……だ、だめっ!)
一瞬、何者かに囁かれたとしか思えない淫らな考えが浮かび、一美の理性は慌てて否定した。
だが本能に従う部分は、その思考を素早く受け取って、望んだ通りの幻影を脳裏に思い描いた。
「んはぁっ! ああっ、やだっ、んっ、ひぅっ!?」
一美の意識は、この手は悠二の手だと、この指は悠二のものだと、夢想の中で木霊のように何度も繰り返した。
初めての自慰の快楽に乱された頭の中では、すぐに想像と現実の区別が曖昧になってくる。
それによって生じた圧倒的な快感に耐えかね、最後まで残っていた彼女の理性が、音を立てて弾け飛んだ。
「んんんっ! 坂井くん、坂井くぅん! 好きっ、好きなのっ、坂井くんっ!」
大人しかった両手の動きは堰を切ったように加速し、一美の意識は荒れ狂う快楽の嵐に巻き込まれた。
悠二への想いを呼びながら、ちゅくちゅくと音を立てて、指先で陰裂の浅い位置を探る。
手で触れていない方の乳房も二の腕に擦りつけ、一美は貪欲に肉の悦楽を追い求めた。
「んあっ、だめっ! いいのっ、坂井くんっ、いいのおっ!」
何を口走っているのかも自覚できず、一美の意識は強風を受けた炎のように、ふうっと頼りなく揺らいだ。
掌の付け根で、包皮に包まれたままの陰核を押し潰す感じで弄り、急速に登りつめる。
掠れた声は蚊の鳴くような細さで、部屋の外には到底届かないほど小さい。
けれど一美の耳には、それが家の外にまで響くような、すさまじい絶叫に感じられた。
「んっ、だめえっ! こんな、こえ、んくっ、だしてちゃ……! きこえ、んっ、きこえちゃうっ!」
カラカラに乾いた上下の唇を、交互に咥えて湿らせながら、一美は額を枕にぐりぐりと押し付けた。
家族に聞かれてしまう事よりも、それによって行為を中断させられる事の方が、今の一美には耐え難い。
一美はきつく枕カバーを噛み締めて、溢れ出す喘ぎをせき止めた。
(でも本当に、坂井くんに抱き締められたら、キスされたら、こうやって触ってもらったらっ!)
「んっ、んうっ、んぅぅぅぅっ!」
声を殺した分、内に篭った欲望はますます高まり、一気に限界まで駆け上がっていった。
一心に悠二の事を求めつつ、勃起した陰核を指先でくじり、ガクガクと腰を震わせる。
(坂井くん、坂井くん、坂井くん坂井くん坂井くんさかいくんっ!)
眠りに落ちる途中、足元の感覚がふっとどこかに落ち込むのにも似た、ひどく、甘い、感覚。
「んっ、く……ふああぁぁっ!?」
息絶えるような痙攣の中、一美は意識を白く染め上げられ、初めての絶頂に達した。
◇ ◇ ◇
そして、その翌日。
(するんじゃなかった、するんじゃなかった、あんな事、するんじゃなかった……)
一美は学校の自分の席で小さくなって、欲望に負けてしまった事をこれ以上ないほどに後悔していた。
なにしろ、悠二に告白するどころか、その顔をちらりと見ただけで、昨夜の感覚を思い出してしまうのだ。
何でもない朝のあいさつでさえ、顔を伏せた状態で、そんな気持ちを悟られないようにするのが精一杯。
こんな状態で、もしも二人きりで正面から見詰め合ったりしたら、確実に卒倒してしまうだろう。
(ふええぇんっ! 今日のうちに、坂井くんにちゃんと言おうって決めてたのにぃ!)
もうすぐお昼だと言うのに、一向に消え去ってくれない淫らな記憶に、一美はいっそ泣きたい気分だった。
(言わせない、言わせない! あんな事、絶対、悠二の前なんかで言わせないっ!)
一方シャナは、そんな一美の姿を睨みつけながら、心の中で何度も繰り返していた。
自分の視線に気付きもしない彼女の態度も、今のシャナには精神的な優位の現れとしか思えない。
いくらなんでも、他人の耳目があるところで一美が悠二に告白するはずは無いと、シャナの理性は訴えている。
しかし、一瞬でも目を離したら、その隙に立ち上がって、『あの言葉』を言いそうな気がしてならない。
不安と恐怖と心細さと、そして自覚したばかりの本心に、シャナの小さな胸はきりきりと痛む。
(とにかく、そうよ、何がなんでも、許さないったら許さない!)
シャナは全ての気迫を視線に込めて、最大最強の敵に立ち向かっていた。
(何なんだ、何なんだ、一体何があったんだっ!?)
そして、一人事情から取り残された悠二は、異様な二人の雰囲気に、すっかり惑乱していた。
おそらく、シャナが覗く事を禁じた裏庭で、昨日『何か』があったのだろうとは想像できる。
けれど、これほど異様な状態を形成する内容となると、悠二の頭ではさっぱり理解できなかった。
クラスメイトや教師達も、妙に生暖かい目で見守るだけで、決して誰も当事者たちに触れようとはしない。
田中や佐藤も、時折からかうような視線を投げ掛けるだけで、いつものような軽口すら叩かない。
その上、頼りのはずの池からは、『お前、何をやった?』という無言のプレッシャーをひしひしと感じる。
こんな気まずい沈黙よりも、いっそ正面から言葉を掛けられた方が何倍もましだ。
針のむしろと言うか、完全な晒し者と言うか、0時になる前に燃え尽きてしまいそうな予感すら覚える。
(誰か、誰でもいいから、この状況をどうにかしてくれよぉっ!)
立ち上がって絶叫したい衝動を抑えながら、悠二はただダラダラと油汗を流し続けた。
〜END〜