「か、―――ぁ」  
「すごい。千草が言ってた通りの反応をしてる」  
焼け付くような喉の痛みを感じて思わず声を漏らす僕の前に、シャナが立っている。  
好奇心と嗜虐心の入り混じったような―――とても嬉しそうな表情で、愛玩動物でも前にしたかのように声を弾ませる。  
ことの始まりはほんの5分ほど前、朝食のテーブルに着いた僕にシャナから差し出された一杯のオレンジジュース。  
いつもはこんな風に注いで渡してくれるなんてことがなかったから少し嬉しくて、笑顔でコップを受け取った僕はそれを口に運んだ。  
が、口に含んだ途端、アルコールの様な揮発性の匂いと砂糖をそのまま喉の奥に突っ込まれたようなベタ付きを感じてコップを取り落としてしまった。  
そのおかげで飲んだのは一口分だったけど、その時点でもうアウトだったらしい。  
急に四肢に力が入らなくなった僕の体をシャナと母さんが僕の部屋に運び、母さんは意味深な笑みを浮かべてどこかへ出かけ、  
シャナは僕の両腕をベッドの足にくくりつけ、にこやかに、とても楽しそうに僕を見下ろしている。  
 
「ぅっ、ぐ……!何、を?飲ま、せtッッッぐぅ!!?」  
言いかけた僕の鳩尾をシャナの爪先が抉る。  
「ふふ、無理をしちゃ駄目よ悠二。下手に喋ると薬の回りが早くなるわ」  
やっぱり薬の類か。でも、なんで……  
「悠二が今考えてること。『どうして自分に薬が効くのか』」  
「!」  
「『なんで分かった!?』って顔してる。もう、分かるに決まってる。好きなんだから」  
 
今、何て言った?シャナが、『好き』って言った?僕に?  
 
「……今更驚くことないじゃない。知ってるくせに。何度でも言ってあげる。私は、悠二が、好き。  
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き  
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き  
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き  
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!」  
 
僕の額に額を合わせて、眼を真っ直ぐに見てシャナが言う。  
 
「吉田一美なんかに渡したくない。誰にも渡したくない。誰かに取られるくらいなら、殺して私だけのものにしたい  
―――それくらい、好き」  
 
正直このときにはまだ、僕は状況が良く飲み込めていなかったかもしれない。  
けど、目の前のシャナの心が真っ黒に捻じ曲がっていること。それだけは何となく。  
本能的に、理解していたのだと思う。  
 
「で、悠二に飲んでもらったものなんだけど……、至って普通の、千草にもらった「人間に効くただの薬品」よ」  
「そんな、はずは……ッ、ぐ、無…い、だろ?だって、僕、は」  
「『ミステス』だから?」  
「……、そう、だよ」  
普通に考えれば分かることだ。存在の力の塊になった僕に、化学反応も何もあったものではないはずだ。  
「違うわ、悠二。あなたは今、無意識の内に『人間』としての、死ぬ前の存在としての形に顕現して、みっともなくしがみついてる」  
「!……それ、は」  
「薄っぺらい日常の上をヘラヘラ笑いながら滑って、  
どっちつかずな態度のまま、今こうして生きてるフリを続けてる―――。何か、言い返せるの?」  
「……」  
「でも、いいの。それは別に悠二のせいじゃないんだから」  
「?」  
「吉田一美のことがまだ気になってるから。そのせいで悠二はそちら側から抜け出せない。  
……だから私が、そんな下らないこと忘れさせてあげる」  
 
シャナと会話する間に、僕の体は明らかに異常な反応を強めていた。  
嚥下し続けなければ口からあふれ出そうになる唾液、止め処無く溢れてくる涙。  
頭から芯が抜かれたように考えがまとまらず、麻痺したままの体には粘度の高い熱が篭り始める。  
唾液は出続けるのに喉は貼り付くように渇き、耳鳴りが頭を突き抜ける。  
 
「それじゃ、始めるわ」  
そう言うとシャナは、麻痺して開きっぱなしの僕の唇を塞いだ。  
「んぅ、ちゅ……ぁむ」  
クチュクチュと、流れ出る僕の唾液を口の端からこぼし、また、コクンと喉を鳴らしながら飲み込んでいく。  
小さな舌が僕の口腔を這い回って喉の奥まで滑り込んで来た。  
「―――ッ!!」  
えづきたくても、叫びたくても。気管にまで入った舌が僕の声帯を殺している。  
ぬるぬるとしたこんなにも柔らかいモノに、僕は殺されかかっている。  
と、今度は僕の舌がシャナの口の中に引っ張り出された。  
もうとっくに痺れて動かない僕の舌を、シャナがゆっくりと口内に運ぶ。  
クニクニ、と小さな歯で甘噛みされたと思うと唐突に、奥へ、シャナの喉へと吸い込まれた。  
「…!ゲホッ!ゴホッ!」  
とむせ返るも、僕の舌を啜りこんだまま、シャナは暴力的に唾液の交換を続けた。  
「ん……、ぷはっ!悠二の、ヨダレ。凄く熱い」  
糸を引かせて自分の舌を僕の口から引き抜いたシャナが言う。  
自分の唇を舐め、手にこぼれた唾液までもゆっくりと舌で舐め取り、見せ付けるように時間をかけて嚥下する。  
 
その淫靡な光景に、思わず見とれてしまった僕を見て、シャナの嗜虐的な笑みはより恍惚とした色を強めていった。  
 
涙でぼやける視界の真ん中で、シャナが何かのビンを取り出した。  
 
「ねぇ、悠二。喉が渇いたんじゃない?」  
そう、さっきから相変わらず唾液は出続けているのに、薬のせいか、喉の渇きは一向に収まらない。  
死にそうなほどに水分に飢えていた僕は、必死で肯定の言葉を口にした。  
「―――、」  
つもりだった。  
もう、枯れ果てた喉から音が出ない。空気を搾り出そうとしても、肺が動かない。  
体が酸素を求めてむせ返っても、気管は開かない。というより、呼吸をできている自覚が無い。  
「……聞こえないわね?」  
もう涙でほとんど視界が利かないが、恐らくシャナは快感に身を震わせているのだろう。  
もはや表情筋の自由すら麻痺に奪われた中で、僕は必死に声帯を震わせる。  
「ぁ、―――ッ、み…す―――を」  
「みず?水が飲みたいの?」  
僕の必死の懇願に、シャナが応えた……  
 
『ふふっ』  
 
ように、見えた。  
 
「ふふっ、あはははははははははははは!」  
いつもの、メロンパンやお菓子を買いにいくのと変わらない、満面の笑みで。  
シャナが、今まで聞いた事の無いような笑い声を上げた。  
 
ゴトン、  
 
とビンが床に転がった。割れるでもなく、水音の一つも立てずに。  
光を失いかけた僕の眼が写したのは、水分の欠片もない―――  
 
ドロリとした、粘性の金色に輝くハチミツだった。  
 
「ふふっ、あははッ、……あぁ可笑しい。もう、悠二ったら、水?違うわよ。コレは蜂蜜。  
こうやって、悠二と一緒に食べようと思っ、て!」  
言いながら、ビンの蓋を開ける音がした。もう目の前には何も見えない。と、  
 
瞼が、何か冷たいものに覆われた。  
次いで、その冷たいものの流れる先を追うように、何か柔らかいモノが僕の顔の上を這う。  
「んぐぅ、ふ、ちゅ、ん!悠二の口の中、もう少しで、んぅ、ハチミツ、が、入る、んんっ、から」  
あぁ、シャナの言うとおりだ。僕の貼りつく喉の奥に、ドロドロとした甘さが上塗りされる。  
それは喉を覆うけれどしかし、決して渇きを癒したりはしない。  
「あはぁ♪すごい、悠二の涙と混ざって……あぁッ!」  
嬌声を上げながら、小さな舌が僕の瞼を押し上げ眼球を直接舌で転がしている。  
まるで飴玉を舐めるように、舌先の動きは瞳を隅々まで覆い尽くした。  
最も、そう感じるだけで元から瞼なんて閉じていなかったのかもしれないが。  
 
そして、かすかに汗の匂いのするシャナの頭は、金色の流れを追って、僕の体を下って―――  
 
「んふ?ココは……、麻酔が効いてるっていうのに随分と元気、ね?」  
 
その言葉と共に、僕のそれがかすかに生温い感覚に包まれた。  
もう、触覚も麻痺しているらしく、シャナのつらそうな呼吸音とみだらな水音でしか何が起きているかを知ることはできなかった。  
「んっ、んッ!…ちゅ、ん、は、むぅ!ぅん」  
じゅぽっ、ジュぽっ、じゅぽッ、じゅぽっ  
「ぁ、ん!ん、―――はっ、ん!?」  
 
ドクンッ!  
 
……何かが迸ったらしい。  
 
もうどうでもいいことだ。  
 
シャナが何か言ってる。僕の耳のそばで。  
 
もうどうでもいいことだ。  
 
ただ僕の頭の中にあったのは、何が狂ってしまったかを確認しようとする機械的な考えだけだった。  
 
でも、それも、もうすぐ、どうでもよくなる。  
 
僕に跨って何やら始めたらしいシャナの嬌声を聞きながら、僕は何も考えなくなっていった。  
 

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