どことも知れない暗闇、その床に、馬鹿のように白けた緑色の紋章が煌々と輝いていた。  
その紋章に照らされて、棒のように細い白衣の“教授”が立っている。  
「ドォーミノォー、今回の私たちの実験の要諦は何なのか、分ぁーかっていますねー?」  
今にも掴み掛からんばかりに伸ばされた両腕の先で、ぴったりと張りつく手袋に覆われた細い指が  
蠢いている。  
「はあーい、教授ぅ。今回の実験の目的は、危険な場所での実験の際に出てくるフレイムヘイズを避けるための  
妨害用の下僕を用意することでございます!」  
体全体をパイプやら歯車やらでいい加減に形づくられた2メートルを越す真ん丸い物体が、  
適当な部品で適当に組まれた腕を挙げながら答える。  
それを聞いた教授は、さらに講義を続ける。  
「よぉくできました、ドォーミノォー。前回の実験はフレイムヘイズ供にぃー、  
邪ぁー魔されてしまいましたが、その失敗を生かしてぇ、次からは私たちとは別にぃー、  
戦闘用のしもべを用意するのでぇーす!!」  
教授は両腕をわきわきさせながら、今後の抱負を語る。  
ドミノはがっしゃんがっしゃんというおかしな音の拍手をして、教授を称賛する。  
「おぉー!!それでこの自在式から、強い徒を召喚するんですねー!」  
その答えに、教授は肩をカクカク震わせるおかしな笑いで返す。  
「んーんんんんん、惜しいですねぇ、ドォーミノォー。正ぇー確には、  
この時間を操る自在式で過去から強力な戦士をさらってきてぇー、この  
《科学の結晶エェークセレント》の洗脳装置で味方につけるのでぇーす!」  
ペンライトのような質素な作りの物体を、教授はドラえもんのように掲げる。  
「おぉー!それはシュドナイ様に頼まれて作った奴じゃないですか!  
結局ヘカテー様に壊されて戻ってきたやつですよね!」  
「そぉーです!こいつがあればあればどぉーんな強情っぱりでも  
いーちーこーろーでぇーす!………ん?んーんんん?」  
 
教授は、さっきから部屋を照らし続けている自在式のほうに目をやった。  
「どうなさいました?教授ぅひはひひはひひはひ」  
マジックハンドのような形状に変わった手が、ドミノの口のない頬を  
きりきりとつねり上げていた。  
「ドォーミノォー!お前と無駄な話をしている間にぃー、  
とぉーっくに力が充填されているではあぁーりませんかぁー!」  
教授はドミノをつねりながら、足元にあるスイッチを踏んで、  
式に存在の力を供給させる。  
ぼうん、という馬鹿のように白けた緑色の煙の出たあと、  
一人の人間のシルエットが浮かび上がってきた。  
「んんーふふふ、ここまでは想定内、だぁがぁー、洗脳をすませる迄は  
実験は成功とは言えませぇーん!」  
教授はシルエットにむかってペンライト型の洗脳装置を向ける。  
教授がそこからビームを出そうとした瞬間、その気配を読み取ったのだろうか、  
シルエットは軌道から素早くずれてしまった。  
「あわわわわ…避けられちゃいましたよ教授」  
「ひ、非っ常ぉーにまずいことになりましたねぇ…」 
「ねぇ、ここどこ?早く元に戻してくれない?」  
背後から女性の声が聞こえる。あまりこの状況にも狼狽えた様子は見られない。  
「ご、ごごごごごめんなさい!し、式を起動する力の充填に  
一週間ほどひはひひはひひはひ」  
「ドド、ドォーミノォー!なにぺらぺら喋っちゃってるんでぇすかぁー!?」  
「わかった、わかったから、危害は加えないから戻る方法だけ教えてよ。」  
女は、慌てふためく二人を見ながらため息をつく。  
「こ、ここに自在式だけ書いときましたから、これ起動させれば戻れますからー!」  
「ドォーミノォー!なぁーに一人だけ逃げてるんですかぁ〜!?」  
二人が見えなくなったあと、女は自在式の載った小冊子をぱらぱら捲り、  
「ふぅん…自在法も進化したのねぇ…。で、これからどうしよ。」  
関心しながら、途方に暮れた。  
 
 
「それでは、言ってくるのであります。」  
「悠二ぃ……行ってくるね。」  
ヴィルヘルミナは、外界宿からフレイムヘイズの仕事を任されて、  
ヨーロッパに一週間ほど出張することになったのだが、その際シャナと悠二が  
間違いを起こさないように(実際には悠二はヘタレであるし、シャナはそういう知識がない  
から心配はいらないのだが、)シャナを連れていくことにしたのである。  
「零時迷子は誰が守るのさ!?」  
という抗議は、  
「すでに外界宿にフレイムヘイズを手配しているであります。」  
「用意周到」  
ボコッ  
という漫才に、軽く却下されてしまっていた。  
「ある程度存在の力はいじれるようになったけど、狙われてる敵が敵なだけに  
危ないんだよな…」  
悠二は警備が手薄になったことへの不安を漏らす。  
幸い代わりのフレイムヘイズは早めに来てくれるらしく、  
今日の午後、隣町の駅の公園で待ち合わせる予定であった。  
(早く、行かなきゃ)  
悠二は、早くもまだ見ぬ相手に、守ってください光線を発していた。  
 
「はぁ…お腹すいた。」  
女は、お金がなくて、困っていた。  
自然界の中であれば幾らでもサバイバルが出来るのだが、都市では自給自足の生活など、  
土台無理なのである。  
「まずこの式を起動できる自在師を探さないといけないのに、その前に  
死んじゃいそう……。」  
初めてみるコンクリートジャングルや動く鉄の塊たちに、  
女は段々不安になってきていた。  
「ヴィルヘルミナ、ティアマトー、アラストール……、会いたいよ。」  
女はそう言ってうなだれる。  
特徴的な綺麗な赤い髪も、いつもは燃えるような赤い瞳も、今は燻って、力がない。  
 
悠二は、公園のベンチに腰掛けて、外界宿からのフレイムヘイズを待っていた。  
(どんな人が来るんだろう。)  
いろいろ思いを巡らせていると、隣に赤い髪の綺麗な女の人が座ってきた。  
なんだか中世を舞台にしたRPGに出てくる、村人Aみたいな格好をしている。  
(赤い、髪か…。何だか戦いのときのシャナと同じ色だな。)  
と考えていると、突如、封絶がかかり、強い力の反応が、遠くから二つ、巻き起こった。  
(紫色の炎!?これは、千変か!)  
片方の力―恐らく外界宿からのフレイムヘイズ―は、すぐに消されてしまった。  
もう片方のシュドナイにやられたらしい。紫色の封絶を張った張本人が、  
こちらの方向に迫ってくる。  
 
「これは…まずいな。」  
悠二がここから離れようとベンチから立ち上がった瞬間、女が、  
「何この自在法……。ちょっとちょっとー、こんな時にシュドナイとか勘弁してよね!」  
ぼやいていた。  
封絶の中で。  
「えっ…!?あ、あなたが外界宿からのフレイムヘイズですか?」  
聞かれた紅い髪の女は、きょとんとして答える。  
「あうとろー?何それ?そんなことより年ごろの男子がこの紫の封絶の中  
にいつまでもいると掘られちゃうぞ?乗ってく?」  
紅い髪の女はそういうと、紅蓮に燃える馬を一頭この世に呼び起こし、それに乗った。  
(これはシャナの炎と同じ色!?この人はアラストールと契約しているのか?)  
「ほらほら、火傷とかしないから大丈夫だって。」  
女はそう言って馬の鞍をぽんぽん叩く。  
「は、はい!すいません!」  
悠二はびっくりする暇もなく馬に乗り込む。  
「しっかりつかまってて!」  
「うわあぁあっ!!」  
紅蓮の馬はすごいスピードで空を駆けていた。悠二はとっさに女の人の腰に手を回す。  
女性的な柔らかさはあるのだが、いつかのマージョリーのときよりも、  
がっしりしている。(な、何を考えているんだ僕は!)  
なんてことを考えて、悠二は赤くなってしまう。  
「遠くまで逃げて気配を消せば大丈夫でしょ。」  
女は、後ろの少年の様子には気付いていない。  
「あ、ありがとうございます。」  
「あー、いいのいいの。困ったときにはお互い様でしょ?」  
そういって女は振り向いて笑って見せた。その明るさ、可愛さに、  
悠二は思わず見とれてしまう。  
 
突然、  
ぐるるるる〜  
という空腹を訴える声が、腰に回していた手から感じた。  
「お腹空いてるんですか?」  
「へへ…もう昨日から何にも食べてないんだよね。」  
女はそう言って、困ったように笑ってみせた。  
「うち来ますか?ご飯ならありますよ。」  
「いいの?もしかしたら長居しちゃうかもしれないよ?」  
「それは後になって考えるとして…、今はご飯食べないと。ね?」  
悠二のそんな回答に、女は思わず向き直って悠二を抱きしめ、頬に軽いキスをした。  
「やったー!ありがとう!もう一時はどうなることかと思ったわー!」  
「あ、ああああ前、前前見てください!」  
美女のベーゼに、欧州で暮らしたことのない少年は、大いに戸惑う。  
「大丈夫よ。障害物は避けてくれるから。」  
女は悠二から体を離して悪戯っぽく笑う。  
「まだ名前を言ってなかったわね。私は“天壌の劫火”アラストールのフレイムヘイズ、  
『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメール。宜しくね。」  
「れ、“零時迷子”のミステス、坂井悠二です、宜しく。(へっ?なんで「炎髪灼眼の討ち手」が二人いるんだろう?)」  
悠二は美女からのハグにどぎまぎしながら、このおかしな状況を考えた。  
 
「今頃、何してるかな」  
わざと主語を飛ばして、シャナは呟いた。  
シャナはヴィルヘルミナの前では、悠二の名前を極力出さない。  
「恐らく、吉田一美嬢か、外界宿からのフレイムヘイズと、デートでありましょう。」  
「二股最低」  
ヴィルヘルミナは、シャナと悠二の関係を認めていない。アラストールがのらくらしているので、  
自分が最後の砦だと思っていて、それだけに真剣に二人を離そうとする。  
「もう、ヴィルヘルミナのいじわる!」  
シャナは顔をぷーと膨らませた。その可愛さに、ヴィルヘルミナは思わず抱きしめる。  
「故なき意地悪では、ないのであります。」  
ヴィルヘルミナはそう言って、この完全無欠のフレイムヘイズを作ることを頼んで  
死んでいった友のことを考える。  
(マティルダ…この子は立派に育っているのであります。)  
 
「うふふ、沢山食べてくださいね。」  
偉大なる主婦は、マティルダの食いっぷりに満足しながら微笑む。  
「あ゛〜、生き返ったわ。やっぱ日本に来たからにはお米よね!」  
マティルダも、至福の笑みで答える。  
「シャナちゃんの親戚さんでしたっけ。ゆっくりしていってくださいね?」  
マティルダには、すでにシャナのことは話してある。その上でインチキプロフィールを作ったのだった。  
「むむむ〜むぐむぐ(あ、ありがとうございます。お陰で助かりました!)」  
「はは、慌てなくていいですよ。」  
よっぽどお腹が空いていたのだろう。マティルダは眼前のおかず群に夢中である。  
「シャナちゃんの家は今お留守みたいだし…うちに泊まっていきません?」  
「いいんですか?」  
マティルダは今度は口のなかのモノを飲み込んでから答えた。  
「ええ、貫太郎さんもいないから、普段は二人暮らしなんです。  
今日は私も用事で出てしまうので悠二一人なんで…ぜひ泊まっていってください。」  
「それじゃ、お言葉に甘えて……。」  
かくして、マティルダは悠二の家に泊まることになった。  
偉大なる主婦は息子がヘタレであることはよく理解しているので、そっちの心配はしない。  
その後、一日中飲まず食わず出歩き詰めだったらしいマティルダは、  
今日は一日ゆっくり休むと言って、悠二の部屋のベッドでゴロゴロしていた。  
「ねぇ悠二、ここどこなの?あなたが日本語喋ってるってことは、ここは日本なのよね?」  
 
急にわけのわからないことを言うマティルダに、悠二は不思議な顔をする。  
「そうですよ。どうかしたんですか?」  
「いや、畑も山も農民も武芸者も全然見ないからさ。」  
「それは外国人が日本に対するイメージじゃないかなぁ…」  
悠二はマティルダのステレオな見識に常識で答える。  
「でも私が日本から発ったときはみんなちょんまげだったわよ?  
それから何年も経ってないのに、こんなに変わっちゃったの?」  
マティルダは、自分が過去から来たことを今だに知らない。  
「う〜ん、教授の自在法でここに飛ばされたって言いましたよね?」  
悠二はこのことを、シュドナイから逃げる途中で聞いていた。  
「うん、私を洗脳して用心棒にする計画だったみたい。」  
さらりと凄いことを言うマティルダに驚きながら、悠二は続ける。  
「恐らくマティルダさんは、過去から連れてこられたんじゃないでしょうか。  
服装が中世風だし…。」  
「そうねぇ。私の他に「炎髪灼眼の討ち手」がいるんだからそういうことになるわね。  
と言うことは、もうこの時代に、私は生きてないんだ。」  
言われてからそれに気付いた悠二は、何だか悲しくなる。  
「ふふっ、もーう、そんな顔しないでよ。」  
それに気付いたマティルダは、辛気臭い空気を払拭すべく悠二の頬を引っ張る。  
「は、はひ、ふひはへん…」  
「よし。」  
マティルダはにっこりと微笑み、手を離す。  
「ふぅ…元の世界に戻るあてはあるんですか?」  
その質問にマティルダは、ドミノに貰った小冊子を取り出して答えた。  
「この自在式を起動させるらしいんだわ。でも、私はこんな高度な式は起動できないのよ。」  
「マージョリーさんに頼めばなんとかなるかも知れないな。」  
「マージョリーさんって、この街にいるもう一人のフレイムヘイズね?  
向こうの方に大きな存在の力を感じる。」  
「どうします?友達の家に居候してるんですけど…、今から行きますか?」  
「今日はいいかな。もう疲れちゃった!」  
マティルダは相当疲れているらしいと感じたので、悠二はマージョリーに  
今の状況を連絡するだけにして、明日見てもらうことにした。  
 
その夜  
「悠二ー!」  
マティルダの声だ。風呂場から聞こえてくる  
「どうしたの?」  
急に馴々しくなったのは、「タメ口でいい」と言われたからだ。マルコシアスのような人なのかもしれない。  
「なにこれなにこれー!ちょっとこっち来てー?」  
いつもは清めの炎で必要のない風呂に久しぶりに入ったため、  
少々はしゃぎ気味である。  
「な、なに言ってるんだよ!お風呂まで入れるわけないだろ!」  
「んー?隠してるからいいじゃん?別に減るもんじゃないし。」  
マティルダは、長らく戦場という男臭い環境に居すぎて、  
こういう感覚が少々おかしくなっている。  
悠二は母を呼ぼうとしたが、千草は用事があって出ており、今日は帰ってこない。  
「そ、それじゃ入るよ?」  
そこで悠二が見たものは、彫刻のような完璧な肢体を申し訳程度に隠した、  
扇状的なマティルダの姿だった。思わず見とれること数秒、  
「このヘンな機械何?ねぇ、聞いてる?」  
という声に目が覚めた。  
「そ、それはシャワーだよ。」  
「こっから雨が降るの?」  
どこか惜しい答えを出すマティルダに、悠二はシャワーの使い方を教えてあげた。  
その間にも、腰を折って真剣に聞き入るマティルダに、悠二はがんばって理性を保つ。  
「わかったわ、ありがとう。ここをこうして…あっ!」  
「わわわっ!?」  
勢い良く出た水が、悠二の服にかかってしまった。  
「ごめーん!かかっちゃったね…、何なら一緒に入る?」  
「えぇぇ!?ちょ、それは…?」  
嬉しい提案だが、ビビリなので戸惑う悠二。  
「いや、今日のお礼に背中でも流そうかなと…。」  
そんなこんなで、悠二はお風呂に入る。  
「いやー、お風呂なんて久しぶりねぇ〜。」  
悠二の背中を洗いながら、マティルダは呟く。  
「な、何だか緊張するなぁ…。」  
「大丈夫よ。私なんて百歳単位の婆さんだと思えば。」  
「無茶言わないで下さいよ…」  
百歳単位なのは恐らく事実であろうが婆さんではない。  
マティルダはやはりその辺に対する感覚がおかしい。  
「よーしこっちは終わり!次は前…ってあらららら。」  
マティルダはビンビンな悠二を見て、お詫びを申し上げる。  
「ごめんね。お姉さんソッチのサービスは取り扱ってないの。あとで一人でやってくれるかな?」  
「ばっ、な、なに言ってるんですかー!?」  
 
その後、結局一人ですることはできなかった。なぜかマティルダと  
一緒の部屋で寝たからである。  
 
 
悠二たちは次の日、佐藤の家に行った。マージョリーに件の時間に干渉する自在式を起動してもらうためである。  
「うわぁ……、お城ねこれは。」  
佐藤の家に持つ感想は、時空を越えて共通であるようだ。  
そんなことを考えながら、悠二はベルを押した。  
「おっ、坂井か。マージョリーさんはバーで待ってるぞ……っていうかその美人は?」  
悠二は誤解を生まないよう気を付けながら答える。  
「あ、あぁシャナの先代の「炎髪灼眼の討ち手」だよ。過去からさらわれてきちゃったんだ。」  
「その人がマティルダ・サントメールってお方か!昨日マージョリーさんから聞いたぞ。」  
「へ?あたしマージョリーさんとは面識ないわよ?」  
なんで自分を知ってるんだろう、とマティルダは訝しむ。  
「ヨーロッパ中最強のフレイムヘイズだって。紅世の一般常識らしいっすよ。」  
「あら、あたしヨーロッパで伝説になってるのね?いいこと聞いちゃったわ。」  
マティルダはそんなステキ情報を聞いて鼻高々になる。  
悠二達はそのままバーに向かうと、  
栗色の艶やかな髪をストレートポニーに結って、高そうな服をビッと着こなした女傑が、カウンターに座って待っていた。  
「あんたがあの「炎髪灼眼の討ち手」、マティルダ・サントメールね?  
私は「弔詞の読み手」マージョリー・ドー、でこいつは  
『蹂躙の爪牙』マルコシアス。宜しくね。」  
マージョリーは自己紹介をした。珍しくシラフである。  
「ヒーッヒッヒッヒ!マジでマティルダじゃねーか!久しぶりだなおい!」  
マルコシアスがキンキン声で同胞との再会を懐かしむ。  
「こんにちは、マージョリーさん、マルコシアス。話は昨日悠二から聞いたわ。  
あなた達みたいな自在師がこんな近くにいて助かったわ。」  
「あんがと。ほいじゃ早速、教授の作った自在式を見せて頂戴」  
マージョリーは悠二から受け取った自在式をしげしげと眺める。  
「時間に干渉するなんて…凄い式ね。普段からこんなまともなモン作ってりゃいいのに…」  
マージョリーは教授の研究の成果に感心しながら呆れる。  
「まぁ、アイツにまともになれってのは無理な話だけどな、ヒッヒ!」  
「どうですかマージョリーさん?」  
佐藤は評論家に意見を求めるようにマージョリーに質問を投げ掛けると、  
「んー、式を起動させるのは簡単。でも充電が要るみたいだから、  
ちょっと時間かかるわよ。」  
とマージョリーが百点満点の答えを返した。  
「で、式に使う力の充填は、ユージ、あんたが適任ね。」  
「はい、やってみます。」  
 
「そいじゃ今日の鍛練のとき一緒にやっちゃいましょ、  
結構力消費しちゃうからね。それまでマティルダと遊んでなさい。」  
というわけで、その日はマティルダとデートをすることになった。  
「デジカメ持ってこうかな」  
「何それ?」  
「思い出を絵に残す道具だよ。」  
悠二はきょとんとするマティルダを撮ってみせた。  
「ほら、こんなふうに。」  
「わー、凄い!使い方教えて!」  
今まで見たこともない文明の利器達に、マティルダは夢中である。  
初めは恐かったコンクリートジャングルも、動く鉄の塊も、今は珍しく楽しいものに変わった。  
「こうすれば二人撮れる!」  
「わっ!」  
マティルダは悠二の形を抱き寄せて、二人にカメラを向けた。  
カメラには、輝く笑みでウインクするマティルダと、困ったような笑みを浮かべる悠二の姿があった。  
「ふふふ、お土産にいろいろ撮ってくわよ!」  
マティルダはデートの途中にも、悠二達にとって当たり前なものを、珍しがって撮りまくった。  
カメラを現像するころには、すでに夕方になっていた。  
「たくさんお土産できちゃったっ♪」  
「それじゃ、そろそろ帰りますか。」  
家に帰ると千草が夕飯の準備をしていた。マティルダは、  
テレビの部屋でぽけーっと子供用番組を見ている。  
「それ子供番組だよ。」  
「だと思ったわ。単純すぎて逆に面白かったわ。」  
マティルダは劇中にでてくる主人公の必殺技がお気に召したらしい。  
「一撃で相手を吹き飛ばすか……。撹乱とか逃走とかに使えるわね。」  
マティルダは掌で自在式をいじくっている。  
「母さんに見つかったらまずいから!」  
悠二がすかさず止める。  
「なぁに?悠ちゃん?」  
どうやら間一髪だったらしい。  
 
その夜  
「んじゃ、始めるわよー。」  
マージョリー指導の下、鍛練が始まった。  
存在の力を他に使うというので、今日の鍛練は軽めのものであった。メインは他である。  
「私がこいつを起こすから、あんたが力を入れてみなさい。それが今日の鍛練。」  
マージョリーは、件の自在式を、詩を歌いつつ起動させた。そこに悠二が  
力を注ぎ込むと、銀色の式が浮かび上がってきた。  
「銀の炎って…何?あんた一体誰に食われたの?」  
マティルダが訝しむが、  
「これには深ーい訳がありまして…。」  
まだ「銀」の正体は不明であるので、答えられない。  
「零時になったらもっかいね。今度は半分くらい残すのよ?  
でないと死んじゃうから。」  
そして零時になる。悠二はまた式に力を吹き込んだ。  
「まぁ明日の零時に完成ってとこだな。今日はお開きだ。  
じゃあな、御両人、熱き夜を、ヒー、ハー!」  
「マティルダ、こいつ気を付けないとアンタ妊娠するからね。」  
「ちょ、誤解を招くようなこと言わないでください!」  
悠二は赤くなって抗議するが、  
「あら、いつもチビジャリとカズミの間でフラフラしてるじゃない。  
違うのなら感情なり論理なりで抗ってみてはどうかしら。オホホのホ」  
そう言い捨ててマージョリーは、さっき作った銀色に輝く式に、隠蔽の自在法を被せて消すと、夜の闇に消えていった。  
「もうー!僕はそんなんじゃないんですからね!」  
悠二がそう言って振り向くと、マティルダが胸を隠すようにしながら悠二を見ていた。  
「悠二は、もしかしてエッチな人なの?お風呂の時はうぶだと思ったのに……。」  
「そ、そんなわけないでしょ!」  
「そうよね。あの時の悠二が正しい姿よね!」  
悠二はあの時のヘタレぶりとマティルダの裸を思い出して赤くなる  
「ふふ、正解みたいね。それじゃ、今日はもう遅いから寝よっか。」  
この日二人は同じベッドを使って寝た。  
(マティルダさん、幾ら何でも信用しすぎじゃないか?)  
こんな容姿であるため、何度も寝込みを襲われて、その度にぶっとばしてきたらしい。  
なのでマティルダは、この辺に関する感覚もやはりおかしい。  
「すー、すー……。」  
「か…かわいい……。」  
 
目が覚めると、まだ隣でマティルダは眠っていた。  
最強のフレイムヘイズである彼女の寝顔は、それを一瞬忘れさせてしまうような可愛さがある。  
悠二はなぜか、眠っているマティルダの身体を抱きしめて、その唇を貪った。  
マティルダの目が覚めても、なぜかキスを止める気が起きない。  
「ん……?ガマンできなくなっちゃつたの?」  
マティルダは悠二の頭を撫でながら微笑む。  
悠二はマティルダの身体を触りながら頷く。  
「しょうがない子ね…。すぐ楽にしてあげるからね?」  
微笑みながらマティルダは悠二を抱きしめて、悠二の肉棒をしごきあげながら、またキスを始めた。  
「んっ、んっ、ん、んふぅ……。」  
開始から一分も立たずに悠二は欲望を吐き出す。  
「うふふ…まだまだこんなもんじゃないでしょ?」  
マティルダは射精したばかりの悠二のものをくわえると、すぐに大きくしてしまった。  
そしてマティルダが悠二の上にまたがり――  
がちゃ  
ドアが開く  
「悠二、何て事してるのよ。」  
シャナが至って冷静に入ってきた。手には大きな食べかけのワッフルを持っている。  
「シャナ、違うんだこれは!」  
「でも、寝ているその人を襲ったのは悠二だよね?」  
「うっ……。」  
シャナは怒る気配がない。こんな所を見られたら恐らく峰では済まないはずである。  
(何かおかしい)  
そう気付いた瞬間、シャナが口を開く。  
「そ、これは夢よ。もうすぐ覚めるわ――はむ」  
シャナがワッフルを美味しそうに頬張るのを最後に見て、悠二の視界はブラックアウトした。  
今度こそ目が覚める。マティルダも同時に目が覚めたようだ。  
「ん…おはよ。」  
変な夢を見たせいで、妙に意識してしまう。  
「なんか……男の匂いがする。」  
言われて悠二は初めて下半身の不快感に気付く。  
「うぇ…夢精してる。」  
「あららら…若いわねぇ。」  
マティルダが感心すると、  
「ご、ごめんなさい!」  
悠二は恥ずかしそうにそそくさと洗濯機に向かってダッシュしていった。  
今日は月曜日。  
 
悠二は授業に全く集中できなかった。昼休みも引き続いてそんな感じである。  
「どうした坂井?さっきからずっとぼーっとして。」  
それに気付いた池が尋ねる  
「え?あ、いや何でもないよ。」  
「どうせマティルダさんに惚れたとかそんなんだろ?お前もホントいいご身分だよな。」  
佐藤が 何時もの調子でからかう。  
「誰ですか?マティルダさんって!?」  
吉田が佐藤の胸倉を掴んで詰問する。  
「ぐえぇぇぇマティルダさんは“天壌の劫火”アラストールのフレイムヘイズ…」  
「へっ?」  
「バカ!何言ってんだ!?」  
田中がすかさず止める。  
危うく池と緒方にばれるところだった。  
「と、とにかく何でもないよ!」  
悠二が、説得力の無い締め方をし、また窓を眺めてボーっとする。  
「うぅ…私、負けませんからねー!」  
吉田が半泣きで意気込む。その後も悠二はずっと、今日別れるマティルダの事を考えていた。  
「僕は…どうしちゃったんだろう。」  
少年は、自分が深みにはまっていることを、自覚しつつあった。  
 
その夜  
「千草さんに宜しく言っといてね。」  
二人は、屋根の上で別れの挨拶をしていた。  
「あ…、こ、これ向こうでカルメルさんと一緒に食べてよ。」  
学校の帰りに買ったメロンパンの袋をマティルダに手渡す。  
「ありがとう。この時代にしかないパンね…、楽しみだわ。」  
そんな他愛もない会話をしながら時間を潰す。すぐに時計は零時を回った。  
「……時間だ。」  
「それじゃ、宜しく頼むわね。」  
マティルダは折角出来た未来の友人と離れる寂しさと、元に戻れる嬉しさが半々の気分になる。  
「出来れば……、やりたくないよ。」  
「私も寂しいけどさ、いつかは戻らないといけn――」  
悠二に抱きしめられた。  
「ちょ、ちょっと、一緒には連れていけないわよ?」  
「……。」  
悠二は三点リーダーしか出さない。  
「う〜ん…。」  
マティルダは困った顔で頭をぽりぽりする。  
刹那、紫の封絶がかかる。  
「ふはははは!ついに見つけたぞミステス!お前の身体と零時迷子はこのシュドナイカ様のも」  
「うっさい」  
突如現れたシュドナイカも、マティルダが顕現させた「騎士団」の黄金バットによって  
一瞬で横スマッシュされた。光になって飛んでいくシュドナイ。  
「……強いんだね。」  
身体を離そうと考える前にシュドナイが吹っ飛んだことに悠二は驚く。  
「ふふ、確かヨーロッパで最強になるらしいからね。」  
マティルダは踏ん反り返ったあとで、今の状況を再認識する。  
虹の翼やその他ならブッ飛ばして終わりなのだが、悠二は何故か殴る気になれなかった。  
「いつかは離れなきゃって、頭では、分かってるんだけど、すいません、こんな、迷惑」  
言い寄られた事は沢山あるけれど、泣かれたのは、初めてかもしれない。  
マティルダは悠二を抱きしめて、答えを返す。  
「私としては、嬉しいんだよ?でも私は、愛している奴がいるの。ごめんね。」  
 
「……うん。」  
悠二は、マティルダから手を離し、自在式に力を込めた。  
「あなたは命の恩人だから……、悪いようには、したくないんだけどね。」  
マティルダの身体が薄れていく。  
「これは、感謝の証ね。」  
そう言ってマティルダは、悠二をもう一度抱き寄せて、口と口のキスをした。  
悠二は心臓が飛び出そうになる。  
「〜〜〜〜!!!」  
「あれ、場所間違えちゃったかな!?こういう場合はどこに…………。」  
マティルダは最後まで賑やかに帰っていった。  
ちなみに口へのキスは、親愛の証。日本では前戯を意味します。  
マティルダはとんでもない間違いをして去っていったわけです。  
 
「あ〜らら〜らら〜。な〜にやってんだか。」  
マージョリーは、一部始終を遠くから眺めていた。  
「ヒヒ、我が恋の衛生兵、マージョリー・ドー、出番みたいだぜ?」  
「あいよー、そろそろ行きますか。」  
マージョリーは一瞬で悠二のもとへ到着する。  
「わわわっ!マージョリーさん!?」  
「始めっからこうなることくらい、分かってたわよ。」  
「み、見てたんですか!?」  
悠二は真っ赤になってうろたえる。  
「ふん。今日は愚痴くらい聞いてやるわよ。  
だからさっさと飲んで忘れちゃいなさい。」  
マージョリーは悠二を掴んで、佐藤家のバーまでひとっとびする。  
「はぁ……。」  
「まぁ、嬢ちゃんが帰ってくるまでに直すんだな!  
さもないと……ヒーッヒッヒッヒ!」  
恐怖のバッドエンドに、悠二は怖気を感じ、軽く引き気味になる。  
「まぁ、心配すんな。我が厳格なる子供電話相談室、マージョリー・ドーがついてるんだぜ?」  
 
 
「ふぅ…やっと帰ってこれたわ」  
暫らく歩いていると、友人が自分を見つけて走ってきた。  
「マティルダ!アラストールもほっぽって、どこほっつき歩いてたでありますか!?」  
「突然迷子」  
「ううむ…我にはいきなりぱっと消えたように見えたのだが…」  
「ごめんごめん。お土産は買ってきたからさ?」  
マティルダは早速、メロンパンを食べながら、起こったことを話した。  
「ふむ。美味しいでありますな。これも未来のものでありますか?」  
「うん、この辺じゃ売ってないよね。美味しい。」  
「マティルダ、未来はどのような世界になっていた?」  
「自然科学とか、自在法とか、いろいろ進化してたよ。」  
マティルダは、未来の写真を二人に見せた。  
「あとね、アラストール。」  
「何だ?マティルダ。」  
「私、また口説かれちゃった。」  
「なななななななー!!!」  
愛する大魔神の久々のリアクションに、マティルダは大笑いした。  
 
 
「悠二!ただいま!」  
「わわっ!お帰りシャナ」  
シャナは悠二に抱きついてぷらんぷらんぶら下がり、  
ヴィルヘルミナはその光景に、不機嫌な表情を丸出しにする。  
悠二はあの後、マージョリーとマルコシアスの力によって、だいぶ立ち直っていた。  
「そうだ、カルメルさんにお客さんが来ましたよ。」  
「む、一体誰でありますか?」  
「まぁ、ついてきて下さい。」  
悠二はヴィルヘルミナを部屋に招待し、マティルダの置き手紙と写真を見せた。それを見たヴィルヘルミナは、驚きながら手紙を読む。  
そして部屋の中の色々な違和感に気付いた。  
「……ミステス。」  
「なんだか“教授”の自在法で過去から連れてこられたらしくて」  
「手は出していないのでありますな?」  
「は…ははは、そんなことするわけな」  
「貴様のベッドに赤い毛が落ちているのであります。」  
「いや僕は布団を使って」  
「怪しいのであります。大方ハァハァしたところをブッ飛ばされただけでありましょうが、  
一応調べておく必要がありますな。」  
「うっ……。」  
悠二は逃げ出した!  
「うわあああああ!」  
「待つのであります!」  
猛スピードで二階から下りてくる二人に、シャナは驚く。  
「一体どうしたの?」  
「捕まえるのであります!」  
「どうしたヴィルヘルミナ・カルメル!」  
「マティルダがここに来ていたのであります!」  
古くからの同胞が、ありえないことを口にするが、  
嘘を言っている気配はない。  
となると、することは一つ。  
「シャナ。行くのだ!」  
「わかった!」 アラストールの指令とともに、シャナの足の裏から小規模な爆発が起こった。  
 
結局捕まって軽い拷問の後、  
お風呂のことがばれた悠二はヴィルヘルミナに全殺し  
(零時前と後で半殺しずつ)にされ、  
キスのことがばれたシャナからは一週間口を聞いて貰えなくなり、  
(でも一週間後にデレになる。)  
それはもう大変であった。  
「シャナ、これ僕への手紙なんだけど、どこの言葉か分からないんだ。  
読んでくれる?」  
「ふん!悠二なんか知らない!」  
「ヴィルヘルミナさ〜ん」  
「ふん、貴様の好きなマティルダにでも聞けばいいのであります」  
「アラストール、頼むよ〜」  
「ぬぬぬ…では坂井悠二、後で頼みがあるのだが…」  
「天壌の劫火!」  
「買収最低」  
「それはマティルダの口癖だ。日本語訳は…」  
マティルダの声が、聞こえたような気がした。  
「坂井悠二、貴方にも、天下無敵の幸運を。」  
 

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