陽が沈みかけ、緋色に彩られる空の下を、一人の少女がとぼとぼと歩いている。  
「悠二、どこ行ったんだろ」  
 齢12歳ほどに見えるその少女の名は、シャナ。“天壌の劫火”アラストールとの契約の下に  
異能の力を振るう、『炎髪灼眼の討ち手』である。  
 
 彼女は今日、想い人である“ミステス”の少年、坂井悠二と、駅前に新しくオープンしたパン  
屋に行く――要するにデートの――約束をしていた。  
 いつも通り、変な噂を立てられないよう校門で一旦別れて、後で合流することになったのだが  
……いつまで経っても悠二は現れず、一時間が経過した所でシャナはブチ切れた。  
 御崎市内を駆け回り、自宅である坂井家はもちろんのこと、吉田一美や佐藤啓作、田中栄太を  
はじめとした交友関係も虱潰しに探し回ったのだが、結局悠二の足取りを掴むことはできなかっ  
た。  
 ここまで探して見つからないとなると、さすがにシャナも怒りを潜め、逆に不安が顔を覗かせ  
てくる。  
 悠二は『零時迷子』という厄介極まりない宝具を宿しており、[仮装舞踏会]という危険な  
“徒”の組織――同時刻、その危険な組織の本拠地で世にもくだらない乱痴気騒ぎが起こってい  
ることなど、彼女には知る由もない――が『零時迷子』を中心に何らかの陰謀を企てている。  
 まさか、自分が呑気に悠二を待っている間に、[仮装舞踏会]の手の者が悠二を……そこまで  
考えて、シャナは頭を可愛らしく振って、否定する。  
 流石にそれはないだろう。気配の大小に関らず、“紅世”に関る者がこの近辺に来れば、自分  
を含めた三人のフレイムヘイズが気付かないはずがない。  
 しかし……だとすると、悠二はどこに行ったのだろうか。  
「ゆうじぃ……」  
 弱々しく、最愛の人の名を呟く。彼が隣にいないだけで、こんなにも心細い。  
「……あ」  
 気付けば、仮住まいである平井ゆかりの部屋があるマンションの前に辿り着いていた。そうい  
えば、ここはまだ探していない。というのも、今平井家にいるのはヴィルヘルミナだけだからだ。  
彼女を苦手としている悠二が自分から寄りつくとも思えなかった。  
(……でも、ヴィルヘルミナなら何か知ってるかも)  
 可能性は低い。しかし、ゼロではない。わずかな希望に縋って、シャナは階段へ足を向けた。  
 
 
「ただいま!」  
 勢いよくドアを開け、靴を乱暴に脱ぎ捨てると、シャナはヴィルヘルミナがいるで  
あろうリビングへ駆け込んだ。  
「ヴィルヘルミナ、聞きたいことが――…………?」  
 彼女の目に飛び込んできたのは、人一人が楽々と入れそうな、巨大な鍋だった。や  
はり特大のコンロが、その下で轟々と炎を噴き出している。  
 そして、その鍋を背に、不自然な格好で硬直しているメイド服の女性。  
「……なにやってるの、ヴィルヘルミナ」  
「え、あ、う、そ、その、これは……」  
 冷静沈着が常のヴィルヘルミナにしては不審なほど、しどろもどろな反応。  
 怪しい。シャナは直感的にそう思った。  
「なにやってるの、ヴィルヘルミナ」  
 語気を強くして、もう一度尋ねる。  
「こ、これは……その、料理、そう、料理なのであります」  
「料理? 得意料理はサラダと湯豆腐だって公言して憚らないヴィルヘルミナが?」  
 痛い所を突かれたのか、ヴィルヘルミナは、う、とたじろぐ。  
「わ、私もメイドの端くれ、そろそろ料理の一つも覚えなければ婚期を逃してしまう  
のであります」  
「言ってることムチャクチャだよ、ヴィルヘルミナ」  
 大好きな女性を疑うのはシャナとしても本意ではないが、今は悠二の身の安全を確認  
するのが最優先だ。  
 今の所、最も怪しいのはあの巨大鍋である。  
「で、ヴィルヘルミナ、どんな料理作ってるの? あんな大きな鍋で」  
「そ、それは、そのぅ……馬骨スープであります」  
「バコツって……馬の骨で出汁をとってるの? 豚骨とかはよく聞くけど……ていうか、  
スープって料理?」  
「スープを馬鹿にしてはいけないのであります!」  
 怪しい。ますますもって怪しい。  
「だいたい、なんでスープなの? ヴィルヘルミナ料理下手なんだから、もっと簡単な  
のから始めるのが普通だと思うんだけど」  
 容赦はしない。全ては悠二のため、持てる力の全てを以って、ヴィルヘルミナを言い  
負かしてみせる……!  
 
「あー、えー、うー…………これは……メリヒム、いえ、シロが得意としていた料理なのであります」  
「シロが?」  
 意外な名前が出てきて、シャナは少しばかり驚く。  
「はい。凍えるような寒空の下、彼はよくこのスープを作ってくれたのであります。そして、身を寄せ  
合って互いの身体を温め合ったのであります」  
 ここに来て、ヴィルヘルミナの挙動から動揺が消えた。そりゃ妄想を話すのに動揺もクソもないのだ  
が、二人の複雑な関係を知らないシャナからしてみれば、さっきまでのらしくない動揺は女々しい思い  
出話をしたくなかったのかな、と思い始めてしまう。  
「そっか……ヴィルヘルミナとシロの、思い出のスープなんだ……」  
 とうとう信じてしまった。この辺り、シャナは爪が甘いというか、純真無垢というか。しかし、爪が  
甘いのは、ほっと一息ついているヴィルヘルミナも同じだった。  
「飲んでみたいな」  
「…………は? い、今、なんと?」  
「ヴィルヘルミナとシロの思い出のスープ、飲んでみたい」  
 ヴィルヘルミナの額に、一筋の汗が流れる。無論、冷や汗だ。  
「し、しかし、まだ到底人に食べさせられる味ではないのであります」  
「それでもいいよ。ヴィルヘルミナが頑張って作ったんでしょ?」  
 先ほどまでとは打って変わって、邪気のない笑顔。ヴィルヘルミナは、今さらながら自分が墓穴を  
掘ったことを知った。  
「で、ですが」  
「いいから。それとも、何か私に言えないことでもあるの?」  
「…………わかったのであります」  
 せっかく晴らせた疑いを、再びかけられてはたまらない。ヴィルヘルミナは渋々、オタマと小皿を  
持って鍋の横に置かれた脚立を登る。  
(本当はこんなもの、飲ませたくないのでありますが……背に腹は変えられないのであります)  
 重要なのは、スピードだ。いかに素早く蓋を開け、スープを小皿にとり、閉じられるか。  
「本当に……飲むのでありますか?」  
「うん」  
 再度の確認も、笑顔で答えられる。やるしかない。  
 
「では……いくのであります」  
 宣言した後、ヴィルヘルミナは鍋と同じく、その上にかぶせられている巨大な蓋を開け、  
「あついあついあついあついあついあついあt」  
 そこからは、まさに電光石火の早業だった。一瞬でスープをオタマに取り、蓋を閉じる。  
「…………ねえ、ヴィルヘルミナ。今の声って」  
「どうぞ。馬の骨のスープであります」  
 シャナの問いには無視を決め込み、明後日の方向を向きながら小皿を差し出すヴィルヘルミナ。  
「馬の骨が人語を発するはずないよね、ヴィルヘルミナ」  
「最近の馬の骨は、無駄に威勢がいいのであります」  
 シャナは、スープに顔を寄せて、くんくんとその匂いを嗅ぐ。なぜか嗅ぎ慣れた匂いに、シャナ  
の頬はほんのり薄い桜色に染まった。  
「……馬の、骨?」  
「それはもう間違いなく、馬の骨なのであります」  
 シャナは、ヴィルヘルミナの手にある小皿を、なかばひったくるようにして受け取る。  
「じゃ、飲んでみるね。馬の骨のスープ」  
「馬の骨なのであります」  
 小皿の端に、形のいい小さな唇を着け、シャナはヴィルヘルミナ曰く「馬の骨のスープ」を一気  
に喉へ流し込んだ。  
 シャナは、妖艶とさえ言える恍惚の表情で、一言。  
「悠二の味がする」  
 
 
 
 
 
「――――って、ヴィ、ル、ヘ、ル、ミ、ナァァァァァッ!!」  
 炎髪と灼眼が燃え上がり、黒衣が顕現。愛刀『贄殿遮那』を引き抜き、その斬るべき相手を……  
「いない!? 転移の自在法っ!?」  
 こんなことで高度な自在法を使って! とフレイムヘイズとしても怒り心頭のシャナであるが、  
『贄殿遮那』を持ち出している時点で彼女もどっこいどっこいである。  
「あーもう、許さないんだから!」  
 しかし今は、巨大鍋の中で煮えられている悠二を助け出すのが最優先だ。  
 シャナは大太刀を振り上げ、真っ直ぐな太刀筋で一閃。鍋は真っ二つに割れ、中からどばっと  
大量の熱湯が流れ出した。  
 もうもうと立ち上る湯気の中、シャナはパンツ一丁で全身火傷状態の愛しい少年の姿を見つける。  
「悠二! 悠二、しっかりして、ゆうじぃぃぃぃぃっ!!」  
 
 
 
 辛うじて息のあった悠二は、この日、零時を迎えるまでミイラ男状態で過ごす羽目となった。無論、  
保護者のしでかした暴挙に責任を感じたシャナが、身動きできない悠二を甲斐甲斐しく世話をし、  
「はい、あーん」を始めとする描写するのが嫌になるほどお約束の甘ったるいイベントがあったのは  
言うまでもない。  
 ヴィルヘルミナはこの後一ヶ月間に渡ってシャナと口をきいてもらえず、地獄の日々を過ごすこと  
となる。  
 
 
 
fin  
 
 

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