近くで、大きな爆発音がした。  
 
 
「くっ……フレイムヘイズどもめ、もうここまで乗り込んできたか」  
 強大な戦闘力を誇る“紅世の王”、“千変”シュドナイは、思わず舌打ちする。  
(……俺が出るしか、ないようだな)  
[仮装舞踏会]の要たる『三柱臣』が一柱、“逆理の裁者”ベルペオルは最初の奇襲で早々に討ち取られていた。  
その動揺もあるのだろうが、攻め込んできたフレイムヘイズは『炎髪灼眼の討ち手』をはじめ、世に名だたる歴戦  
の勇士ばかりであり、組織の構成員たちは為す術もなく次々と討滅されてしまっている。  
 例え『神鉄如意』を持ったとしても、あの恐ろしい討滅者たち相手に生き残ることは難しいだろう。数人道連れ  
にするのが精一杯だ。  
 しかし、行かねばならない。  
 将軍として、などというつまらない理由からではない。彼には、守らなければならない大切なものがあるのだ。  
「ヘカテー。行ってくる」  
 この非常時にも、常のごとく祈りを捧げ続けていた巫女の少女、“頂の座”ヘカテーは、かけられた言葉に、祈り  
の姿勢を解いた。  
 シュドナイは、その反応を不思議に思う。てっきりいつものように無視されると思っていたのだが。  
 ゆっくりと立ち上がり、シュドナイに背を向けたまま、少女は言った。  
「行くの、ですか」  
「…………」  
 シュドナイは、答えることができなかった。少女の声が、震えていたから。  
 普段は無感情なヘカテーが、悲しんでいる。組織の崩壊か、ベルペオルの死か。それとも、全く別の何かか。  
 少女の悲しみに気付いていながら、それでもシュドナイは、彼女に背を向けた。  
「ああ。俺は[仮装舞踏会]の将軍だからな」  
 もう、この少女と会うことはないだろう。ふとそんなことを思うと、背中にとん、と軽い衝撃を感じた。同時に、  
身体に回される細い腕の感触。  
「……ヘカテー?」  
「行っては駄目です。……死んで……しまいます」  
「だが……」  
「……お願い、行かないで。貴方を失ったら、私は……」  
 ぎゅっと、弱々しい力で抱き締められる。  
「ヘカテー……」  
「シュドナイ……私は、貴方が好きです。愛しています。だから……行かないで」  
 シュドナイは、ヘカテーの腕をむりやり外して振り返ると、正面から抱き締めた。  
「俺も、愛している。愛しているぞ、ヘカテー」  
「ああ、シュドナイ……」  
 二人の顔が、少しずつ近付いていく。  
 唇が、触れ合う、まさにその瞬間。  
 
 
 鈍い衝撃が、二人を襲った。  
 
 
 
 
 
「ぐっ……」  
 シュドナイが滅多に寄り付くことのない『星黎殿』、その一室。彼のために用意された部屋に一応置かれているベッドの上から、  
青いストライプのパジャマを身に纏ったシュドナイが転落していた。  
 その腕の中には、ベッドから落ちて尚手放そうとしなかった抱き枕がある。  
抱き枕の中で、いとうのいぢ氏が書き下ろしたスクール水着装着のヘカテーが、頬を染めて恥ずかしそうに身を捩じらしていた。リ  
バーシブルの裏面には、笹倉綾人氏による、やはり書き下ろしのヘカテー。こちらはいつもの巫女装束をエロティックに着崩してい  
たりする。  
この抱き枕、電撃文庫の誌上通販で販売された限定百個のレア物なのだが、シュドナイはその七割弱を保有している。自分で買い求  
めたのはもちろん、持ち主を見つけては“喰って”強奪しているのだった。  
「くっ……フレイムヘイズどもめ……」  
 この部屋をはじめ、『星黎殿』は静寂に包まれている。  
 フレイムヘイズの『星黎殿』襲撃という悪夢から未だ覚めやらぬまま、シュドナイは覚束ない足取りで部屋を出て行った。  
 
 
 
 
 巫女の祈りの場、『星辰楼』。  
 今日も今日とて、“頂の座”ヘカテーは祈り続けていた。  
(……アイス、タン塩、ピータン、トン足、サスK、納豆・・・・・・・欲しい)  
 祈り続けている……はず、である。  
 と、その時、何者かが『星辰楼』に“侵入”してきた気配を感じ、ヘカテーは立ち上がった。もっとも、「何者か」が誰であるか  
は考えるまでもない。  
「ヘカテー……ここにいたか……」  
 やって来たのは、やはり“千変”シュドナイである。彼が『星黎殿』にいる間は、ほぼ一時間に一度の頻度で崇高な祈りの時間を  
妨げられるので、正直鬱陶しい。  
 そのシュドナイの姿を見て、ヘカテーはわずかに眉を顰める。  
 酔っ払いのようなフラフラした足付に、パジャマ。腕には妙に大きな枕らしき物を抱きかかえている。どうにも寝惚けているらし  
かった。そのわりに、サングラスを忘れていない。  
 将軍たる者がこれでは、配下の“徒”たちへの示しがつかないではないか。シュドナイへの信頼が地に堕ちるのを通り越して地核  
にまで達しようと構いはしないが、そのせいで士気が下がるのは困る。あんなのでも、心酔している者は少なくないのである。  
 そのことを注意しようとした矢先、ヘカテーの視界が埋まった。  
「ふふ……ヘカテー……」  
「……これは何の真似です、シュドナイ」  
 気付けば、シュドナイに抱き締められていた。寝惚けているわりに、俊敏な動きである。  
「つれないな、ヘカテー……さあ、さっきの続きといこうか」  
「続き?」  
 その意味はすぐにわかった。シュドナイが、唇を突き出すようにして顔を近付けてきたからである。  
『盟主』ならともかく、この男相手にするのは御免である。ヘカテーは『トライゴン』を召喚、宙に浮いて顕れた錫杖を操り、不埒  
者の後頭部をブン殴った。  
 ゴン、と鈍く、しかしどこか清々しい音が響く。  
「ぐほっ!?」  
 さすがのシュドナイも無防備な背後からの強打は堪えたのか、ヘカテーの身体を放して床をのた打ち回る。  
「ぐっ……こ、ここは……? ……なるほど、夢だったか……ハッ!?」  
 強烈な一撃でようやく目を覚ましたシュドナイは、次の瞬間、戦慄した。周囲には、明るすぎる水色の光弾が無数、浮かんでいる。  
「…………」  
 目の前に立ち、自分を見下ろす少女は、いつものように無表情。だがシュドナイは、その無表情から底知れない恐怖を感じた。  
「ま……待て、ヘカテー、落ち着け。話せばわかる。俺は決して不埒な真似をしようと思ったわけではなく、いや本当はしたいんだが  
まあそれは次の機会にということにしておいて、そう、俺は寝惚けていた、寝惚けていただけだ。繰り返すが、決して不埒な真似を」  
 シュドナイの言い訳は、最後まで続かなかった。  
「―――『星』よ」  
『星黎殿』が、わずかに揺れた。  
 
 
 
 
 
「……と、いうわけだ。どうにかならんか、フェコルー」  
「そう言われましても……」  
 寝惚けて巫女に迫って制裁を喰らってしまった。どうにか仲直りできないものか。  
『星黎殿』の守りを一手に引き受ける“紅世の王”、“嵐蹄”フェコルーが(直属ではないが)上司である将軍から  
持ちかけられた相談の内容を簡略化すると、こういうことになる。  
 そもそも、「仲直り」という言葉は元々仲の良い二人の悪くなっていた間柄が元に戻ることを言う。将軍と巫女の  
場合、将軍が一方的に愛情を押し付けているだけであって、とても仲が良かったとは言えないのではないだろうかと  
フェコルーは思ったが、口にはしなかった。賢明な判断である。  
 とりあえず適当なことを言って、この場を濁すことにする。  
「私ごときでは、大御巫のお心を計り知ることなど出来はしません。残念ながら、お力にはなれそうにもありません」  
「そうか……」  
 肩を落とすシュドナイを見て、フェコルーが面倒な話題が去ったことを安堵する。下手に進言した所で失敗するのは  
目に見えているし、その失敗の責任は自分に降りかかるのである。最悪、八つ裂きにされかねない。  
「ところで……おまえはここで何をしている?」  
 二人がいるのは、『星黎殿』内で拾われた「落し物」が保管されている部屋だった。普段は下級の構成員がこの場を  
受け持っているのだが、フェコルーのような高官がするべき仕事ではない。  
「ああ、宮橋で案内役をしているのと同じです」  
 フェコルーは呑気に答えた。  
 この「落し物保管室」(本当はもっと長ったらしく無駄に立派な名があるのだが)に集まる品は、ほとんどが構成員  
の趣味に関るものである。戦闘で扱う宝具を落とすような愚か者はさすがにいないからだ。  
 フェコルーが言うには、配下の趣味を知り、提供することで士気を高めよう、ということらしい。  
「前に、拾ったバイクのキーを落とし主の若者に届けて大変喜ばれたことがありまして。それ以降、暇がある時にはこ  
うして担当を変わってもらっているのです」  
「なるほど。仕事熱心なことだ」  
 シュドナイが素直に感心していると、部屋の扉が開いて、白服の女が入ってきた。  
「あら、将軍閣下、“嵐蹄”様」  
 シュドナイの配下である“徒”の一人、レライエだった。手には、大きめの紙袋を提げている。  
 
「レライエ。探し物か?」  
「いえ、逆ですわ。これが落ちているのを見つけまして」  
 レライエは、持っていた紙袋をフェコルーの机の上に、ドンと置いた。  
 フェコルーとシュドナイは、それぞれ袋の中を覗き込む。  
「これは……人間の使う情報媒体ですね。たしか、DVD、とか言いましたか」  
「ほう……これは……」  
 シュドナイは、袋の中に入っている十ほどの薄い長方形の箱、その内の一つを取り出した。  
 魔法少女バーニング・アリサ。それが作品のタイトルのようである。  
 パッケージには、マントのような黒衣を纏った十歳くらいの少女が、右手で日本刀を振りかざし、左手でフェレット  
らしき動物の首根っこを鷲掴みにしている絵が描かれている。少女の瞳と髪がバーニングの名の通り燃えるような赤に  
染まっているのも忘れてはいけない。衣装や得物と合わせて、どこからどう見ても某フレイムヘイズである。魔法少女  
がなぜ日本刀を持ってるんだ、とかいう無粋極まりないツッコミにあえて答えるなら、その刀こそが彼女にとっての魔  
法の杖なのだろう。最近の魔法少女は斧だの鎌だのハンマーだのを振り回す傾向にあるので、問題はない。  
 ちなみに、シュドナイはこの作品のファンだったりする。なにせ主な登場人物の年齢は男女共に軒並み一桁である。  
シュドナイが見逃すはずがなかった。こんなものを見ているから「俺はヘカテーを愛しているのであって(以下略)」  
という言葉を誰も信じてくれないことに彼は気付いているのだろうか。  
「落とし主が探しているでしょうから、よろしくお願いします」  
「はい、わかりました」  
「では、私はこれで……ああ、そうそう。将軍、参謀閣下が探しておられましたわよ?」  
 レライエの言葉に、紙袋の中を漁ってDVD全巻どころかサウンドステージまで揃っているのを発見したシュドナイは、  
露骨に嫌な顔をした。  
「ババアが?」  
「ええ。では、私はこれで失礼します」  
 上品に一礼した後、レライエは部屋から出て行った。  
「ババアめ……どうせロクな用ではあるまい」  
 そのババア……参謀“逆理の裁者”ベルペオルの直属の部下であるフェコルーとしては、苦笑いを浮かべるしかない。  
 その時、再び扉が開いた。  
 
「失礼します……将軍閣下、“嵐蹄”様、このような場所でどうされたのです?」  
 入ってきたのは、大きな戦いではシュドナイの足代わりとなる黒馬の“徒”、“獰暴の鞍”オロバスである。  
今は人化の自在法で黒服の男の姿を取っている。  
「久しぶりだな、オロバス。……どうした? 疲れているようだが」  
 心酔する将軍からの気遣いに感動しながらも、オロバスは答える。  
「は。最近、任務が続きまして……しかし、全て片付きました。今日は映画鑑賞でもして、ゆっくりさせていた  
だくつもりだったのですが……肝心の映像ソフトが行方不明でして」  
「映像ソフト?」  
「ええ。何処かで落としたらしいのですが……“嵐蹄”様、何かお心当たりは?」  
「映像ソフト……それならついさっき届きましたが」  
 オロバスはフェコルーから紙袋を受け取ると、中身を確認した。  
「こちらでよろしいですか?」  
「は? ……は、はあ。確かに私の持ち物です。面倒をおかけしました」  
 礼を言った後、オロバスは気まずそうな顔を浮かべ、冷や汗を流す。  
「あの……お二方。つかぬことをうかがいますが……この中身をご覧になりましたか?」  
 二人は揃って頷く。  
 流れる冷や汗の量が、倍になった。  
「オロバス殿、私たちは何か、まずいことを……?」  
「い、いえ、決してそういうわけではないのですが。なんと申しましょうか……もしよろしければ、私がこうい  
った類の作品を観ていることは、内密にしていただきたいのですが」  
「なぜだ?」  
 なかば開き直っているシュドナイには、オロバスが隠したがる理由がわからない。こちらの都合さえ合えば、  
一緒に観てもいいと思っているくらいである。  
 オロバスは、伏し目がちにうつむいた。  
「……閣下。私は、閣下が率いる戦闘部隊の筆頭たる身です」  
 組織内でのオロバスの地位は、かなり高い位置にある。そうでなければ将軍の足という大役を任されるはずが  
ない。  
「人の上に立つ者として、皆に範を示し続けねばなりません。ですから、感傷的な男であると思われるのは困る  
のです」  
「……そうなのか?」  
「はい。絶対にそうです」  
 オロバスは、力強く断言した。  
 
「しかるに……です。私が任務の後、ささくれだった気分を和ますために、欠かさずこの手の  
作品を鑑賞する習慣があることや、新作をチェックするためにメ○ミマガジンを密かに愛読し  
ていること、エロパロにまで手を出していることなどを部下たちに知られるのは……非常に厄  
介なのです。その影響は、組織全体の士気の面から見ても計り知れません」  
 くどくどと説明するオロバスに、だったら三柱臣の一柱である自分の立場はどうなってしま  
うのだろうか、とシュドナイは思った。  
「別にいいではないですか、それぐらい」  
「いいえ、よくないのです……!」  
 温和なフェコルーの言葉に、むきになってオロバスは言った。  
「将軍閣下、“嵐蹄”様。どうか御一考ください。我ら[仮装舞踏会]の戦力を維持するため  
にも、私の趣味は伏せておくべきなのです。決して自分の体面を気にしているわけではありま  
せん。あくまで組織のことを考え、その士気を保つため、私はこうしてお願いを―――!」  
「それほど心配なら、いっそ観るのをやめたらどうだ?」  
「!!!」  
 自分の体面をようやく気にし始めたシュドナイが、思ってもいないことを言った。  
 オロバスは、魔神顕現を目の前で目撃したかのような顔で、全身を小刻みに震わせ始める。  
「っ……! ご……ご命令ならばッ……ししし、従いますがっ……! ……ぐっ……し、しかしッ……そっ、それは……あまりにっ……!!」  
 奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばるオロバス。唇からは一筋の血が流れ、その血は橙色の火の  
粉になって消える。  
「……冗談だ。人の趣味をとやかく言うつもりはない。なあ、フェコルー」  
「ええ、そうですね。このことは他言無用としましょう」  
 オロバスは安堵の溜息を漏らした。  
「ありがとうございます。色々と不躾なことばかり申し上げたことをお許しください。では。失礼  
いたします」  
 折り目正しく一礼し、彼は足早にその場を立ち去った。  
「オロバス殿があれほど必死になられるとは……よほど素晴らしい作品なのでしょうね。今度暇が  
あれば、私も観てみましょうか」  
「…………」  
「将軍? どうされました?」  
「……クックック……ハハハハハ! なるほど、その手があったか……!」  
「しょ、将軍閣下?」  
 不気味に笑うシュドナイの姿に、フェコルーはわりと本気で引く。  
 シュドナイの耳障りな哄笑は、彼が笑いすぎで咳き込むまで続いた。  
 
 
 
 
 
 無駄に広くて長い通路を、シュドナイは一人歩いていた。  
(ククク……礼を言わせてもらうぞ、オロバス。おまえのおかげでヘカテーとより親密になる手段を思いついた……!)  
 ヒントとなったのは例のDVD……正確には、そのパッケージに描かれていたフェレットもどきである。  
 ヘカテーも、あれで一応女の子だ。渋い、というか暑苦しいオッサンより愛らしい小動物の方が好きなはずである。  
そして、シュドナイは“千変”の真名の通り、自在に姿を変えることができる。  
 この男が何を考えているか、もう分かっただろう。今まさに、真の淫獣が誕生しようとしていた。  
「ふ、ははははは!! 世界は俺を中心に回ってるじゃないか!!」  
「それはキャラが違うよ、“千変”」  
 
 
 
「何の用だ、ババア。俺は今忙しい」  
現れたのは[仮装舞踏会]参謀、“逆理の裁者”ベルペオル。陰湿な陰謀家(シュドナイ主観)である。  
「とても忙しいようには見えないけどねぇ。さっきレライエを言伝に遣ったはずだが?」  
「……そういえば、そうだったな。で、ババア。どういう用件だ? なるべく手短に済ませてくれ」  
「……それだよ」  
「?」  
「前々から言っているが……そのババアという呼び方、どうにかならないのかい?」  
 やはりロクな用ではなかった。  
 参謀殿はだいぶ暇を持て余しているらしい。「わりとヒマな参謀閣下の一日」でもやってたらどうだ、いや、冒頭で  
寝惚けたベルペオルに抱きつかれることになるのが誰であるかを考えると、やらない方がいい気もする、とシュドナイ  
もくだらないことに思考を費やす。「考える」ことは老化の抑制に繋がるとはいえ、シュドナイもベルペオルとどっこ  
いどっこいであった。  
 
「ふん。ババアはババアであって、ババア以外の何者でもない。そうだろう、ババア?」  
「…………」  
 ベルペオルの身体を取り巻く鎖が、ジャラリと不気味な金属音を立てる。  
「どうした、ババア。用が済んだなら俺はもう行くが」  
「……おまえまさか、私の名前を忘れてるんじゃないだろうねぇ?」  
 二人の間に沈黙が下りる。  
 数分後、その沈黙を破ったのはどこか引き攣った感のある将軍の声だった。  
「は、ははは。おまえはなにをいっているんだ。そんなはずがないだろう」  
「なら、それを証明しておくれよ」  
「しょ、証明だと? どうやって」  
「簡単なことさ。それを確かめるのは、至って簡単……なまえをよんで」  
 またも沈黙が下りる。いや違う。空気が死んだ。だってだって、ベルペオルだよ?  
「……オロバスといい……最近流行っているのか、ソレ」  
「少なくとも、これ考えたうつけの中じゃそうなんじゃないかい?」  
 意味不明の発言の後、ベルペオルは真っ直ぐにシュドナイを見つめる。ほんのりと頬が  
赤くなったりしてる辺りが実にアレである。まあ、参謀閣下も高校の制服を着たくなるよ  
うなお年頃(頂のヘカテーたん参照)なので、このぐらいは許してあげてほしい。  
「……言っておくがな、俺はおまえとお友達になる気などこれっぽっちも無いからな」  
「そ、それはこっちの台詞さ」  
 参謀閣下はどうやらツンデレだったらしい。ウィネももうちょっと頑張ればデレてもら  
えたかもしれない。  
「じゃあ、いくぞ」  
「ああ」  
 シュドナイは、屈強なフレイムヘイズと対峙しているかのような錯覚に陥る。少しのミス  
が命取りだ。  
 シュドナイは慎重に、言葉を紡いでゆく。  
 
「ペルペオル」  
「…………もう一度」  
「ペルペオル」  
「…………アルファベットで」  
「“PE”ルペオル」  
 ベルペオルの額と左の瞳に、大粒の涙が浮かんだ。  
「っ!? お、おい、どうしたペルペオルッ!?」  
「う、うぇぐ、ひっく……うわあああああん」  
 名前を間違われると参謀閣下は泣き出してしまうのである。  
「ええい、おい、泣くな」  
 どんな世界でも、男が目の前で女に泣き出されるとあたふたするしかないのは  
同じらしい。  
 しかしシュドナイは、ここで最大の過ちを犯す。  
「くそっ……“逆理の栽者”ともあろう者が、ビービー泣くんじゃないっ!!」  
 その一喝で、哀れな参謀閣下は泣き止んだ。だが……代わりに、金色の炎が  
オーラのように立ち上り始める。どこぞの超野菜人に匹敵する勢いだ。  
「ふ、ふふふ……言いたいことはそれだけかい、“千変”……」  
「ど、どうした、ペルペオル」  
「……“PE”じゃない、“BE”だ」  
「む……そうか、すまなかったな、“BE”ル“BE”オル」  
 ブチッ、と、何かがキレる音がした。  
「そうか、そうかい……おまえはあくまでも、そのつもりなんだね? ならそれ  
もいいさ……ふふふふふ」  
 今朝のヘカテーの時を越える恐怖を感じ、シュドナイはじりじりと後ずさる。  
「な、なにを言っているんだ、おまえは」  
「最期に教えてやろうじゃないか……“栽者”じゃなくて“裁者”だよォォォォォッ!!」  
「んなっ!?」  
 ベルペオルの身体を取り巻いていた数条の鎖が、金色の光を纏って一斉にシュドナイへと  
襲い掛かる。  
「チェーンバインドォォォォォッ!!」  
「いい加減そのネタから離れろぉぉぉぉぉっ!!」  
 シュドナイの悲痛な叫びも虚しく、金色に光る鎖は彼を雁字搦めにする。宝具でもない  
ただの装飾品であるはずなのに、恐ろしいまでの強度だ。それだけベルペオルの恨みの念  
が強いということか。  
「ぐっ、おのれ……!」  
「クックック……さぁて、どう料理してやろうかねぇ」  
 シュドナイは、永きに渡る戦いの経験から自らの死を覚悟する。飢えた獣に野兎が勝てる  
道理はない。  
(しかし……しかし! 俺は、ここで死ぬわけにはいかん! ヘカテーが……ヘカテーが、  
俺を待っている!!)  
 待っていない。だが待っていると、彼は信じる、というか思い込む。その信じる心が、  
シュドナイを強くする!  
「う、おおおおおっ!!」  
「むっ!?」  
 シュドナイの全身から、恐るべき勢いで濁った紫色の炎が噴き出す。その禍々しい輝きに、  
一瞬ではあったが、ベルペオルもたまらず眼を瞑ってしまう。  
 彼には、その一瞬で十分であった。  
「ふんっ!」  
「なっ……おのれ!」  
 噴き出す炎が、巨大な爆発を起こす。同時に、ベルペオルは自身が操る鎖から感じていた  
はずの、憎い男を捕らえていた感触が消えるのを感じた。  
 やがて、爆発が起こした煙が引いていくと、そこにあったはずのシュドナイの姿が消えて  
いる。  
「ちっ……まさか逃げられるとはねぇ」  
 正直、神威召喚状態の“天壌の劫火”だろうと抑えきる自信があったのだが。さすがは  
[仮装舞踏会]の将軍といったところか。  
「ふん……まあ、いいさ。奴がどこに向かったかなんて、分かりきっていることだし……  
逃がしゃしないよ、“千変”……クックック」  
 ベルペオルは不気味に笑いながら、自らの右目を隠す眼帯に手をかけた。  
 
 
 
 
「くそ……酷い目にあった」  
 憎々しげに吐き捨てたのは、フェレットのような生き物だった。なぜかサングラスを  
かけており、妙にふてぶてしい雰囲気を身に纏っている。  
「まったく、名前を間違われたくらいで……少しは俺を見習ってほしいものだ」  
 フェレットもどきの正体は、変身したシュドナイカ……もとい、シュドナイだった。  
彼は自分の通称がなぜか一文字多くなっていても文句一つ言わず、むしろ喜んでいる  
くらいである。  
 ベルペオルの拘束をどうやっても破壊できないと判断したシュドナイは、ベルペオル  
の眼を眩ませている間にフェレットに変身、その小ささを以って鎖から抜け出たのだった。  
「……まあいい。今はヘカテーの元へ向かうのが最優先だ」  
 シュドナイは考える。  
 この愛らしいフェレットの姿を見たヘカテーは、一体どんな反応を返してくれるだろう  
か。「かわいい」と呟いた後、優しく抱き上げて頬擦りしてくれたりするのだろうか……  
いいな。すごくいいぞ、それは。その後俺は、小柄な身体を活かしてヘカテーの服の中に  
潜り込むのだ。そして、そして―――。  
 行き過ぎた妄想は、不意に中断させられた。シュドナイが発していると思うと異常なほ  
どに不気味な桃色空気を掻き消すほどのどんよりオーラを纏った存在が近付いてきたからだ。  
 
「…………オロバス?」  
 どんよりオーラの発生源は、このフェレット形態のヒントをくれたとも言えるオロバスだった。  
「閣下……?」  
 聞こえてきた声に、オロバスは辺りを見回す。しかし、声の主の姿はどこにも見えない。  
「ふ……幻聴まで聞こえてくるとは……私もここまでか」  
「ここだ、オロバス。おまえの足下だ」  
「……? ……おお、将軍閣下!? 一体どうされたのです、そのような愛らしいお姿で!」  
 シュドナイを見下ろしている格好である自分に我慢ならないのか、オロバスは重力が突如五倍に  
でもなったかのような勢いで床に張り付き、彼に視線の高さを合わせる。  
 グラサンフェレットと、床に寝そべってそれと話す黒服の男。どうにもシュール過ぎる光景で  
あった。  
「まあ、色々とあってな。それより、おまえこそどうした。バーニング・アリサは?」  
 シュドナイが件のアニメのタイトルを口にすると、オロバスは沈痛な面持ちで答えた。  
「実は……」  
 
 
 
 あの後、自室に戻ったオロバスは、部屋に置いてある液晶テレビとDVDプレイヤーを使って、  
早速視聴を始めた。この先に待ち受けている悲劇を、知るはずもなく。  
 明るく、スピード感のあるオープニングが流れ始める。  
『そしてーこのそらー、あーかーくーそーめてー』  
 オロバスは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。聞き間違い、そして見間違いだろう。  
自分はよほど疲れているらしい。  
『またくるーときー、このーみでー、すすむーだけー』  
 オロバスは、理解せざるをえなかった。聞き間違いでも見間違いでもない。  
 画面に浮き上がる番組タイトル。  
 その名は―――。  
 
 
「その、名は……!」  
 爪が食い込んで血が滲み出るほどに強く拳を握り締めながら、オロバスは怒りに震えていた。  
「……もう、いい。それ以上、言うな」  
 無理からぬことではあった。オロバスが本来見るはずだったアニメと入れ替えられていたソレ  
は、彼ら“徒”にとっては視聴に大きな苦しみを伴うものだった。  
 なにせ、“徒”の側からしてみれば、憎き討滅者どもが同胞たちをバッタバッタと薙ぎ倒して  
いくという性質の悪いプロモーション映像のようなものである。同士討ちやってたり“徒”の側  
が押している間は気分がいいが、討滅のシーンはとても見れたものではない。特に最終話は、  
[仮装舞踏会]の構成員にとってはこの世の終わりとでも言えるような内容だった。  
(まあ、ヘカテーといい雰囲気だったから、俺はそんなに嫌いではないが)  
炎上する『星黎殿』よりヘカテーとの関係の方が大事なシュドナイであるが、オロバスが気の毒  
なのは確かだ。疲れを癒すはずが、逆にトドメを刺されてしまったのだから。  
「オロバス、犯人はわかっているのか?」  
「……このようなことをする方を、私は彼以外に存じません」  
「……教授、か」  
 現在、[仮装舞踏会]が客分として招いている“紅世の王”、“探耽求究”ダンタリオン。  
通称『教授』。確かに彼なら、何をしても不思議ではない。どんなことが起ころうと、全て  
「まあ、教授だから」の一言で済ませられる、ある意味便利なキャラである。  
「なるほど。それでしょぼくれていたわけか」  
 一応は客分である教授に対して、一兵卒に過ぎないオロバスが正面切って抗議するのは、  
なかなか難しい。オロバスの生真面目な性格を考えれば尚更だ。  
「ふむ……よし。今度会ったら、俺が文句の一つでも言っておいてやろう」  
 途端、オロバスの顔が無邪気な少年のように明るくなる。  
「ほ、本当ですか、将軍閣下!?」  
「ああ。だから、少しは元気を出せ。今度、なにか奢ってやるから」  
 小さな手を、ぽん、とオロバスの肩の上に置きながら、シュドナイは言った。  
「あ、ありがたき……ありがたきお言葉、将軍閣下!」  
 ほとんど泣き出さんばかりの勢いで感動しているオロバスに、シュドナイは背を向ける。  
「では、俺はそろそろ行く」  
「はっ! ご武運を!」  
 フェレットに最敬礼する黒服の男という光景は、やはりシュールだった。  
 
 
 
 
「まったく……奴にも困ったものだ」  
 直に、『星黎殿』が変形して人型になったりしないだろうな、と密かに危惧する  
シュドナイである。教授なら本当にやりかねない。  
 そうこうくだらないことを考えている内に、フェレットシュドナイは  
目的地―――『星辰楼』に到着した。  
「む?」  
 いつもはぴったりと閉じられているはずの扉が、わずかに開いている。そして、  
その奥から漏れてくる物音。  
 不審に思ったシュドナイは、開いていた隙間にその身を滑り込ませた。  
 いつもは、ヘカテーの元へと続くこの扉……シュドナイにとってはまさに天国へ  
の扉、ヘヴンズゲートが、今日に限って地獄へと続いていることを、彼は知る由も  
なかった。  
 
 
 
 薄暗い『星辰楼』の未だ見えない最奥から響いてきたのは、妙にハイテンション  
な男の声だった。  
「さーあ、ヘェカテー!! キャァァァスト、オフッ! の時間でぇすよぉー!?」  
 続いて、“徒”としての人間離れした聴力を以ってようやく聴き取れるほどに小さ  
な、少女の声。  
「そ、そんな……許してください、おじさま」  
 声の主は、どう考えても教授とヘカテーだ。そういえばあの二人は、なぜか仲が良  
かったな、とシュドナイは思い出す。ついでに、まあ俺とヘカテーの仲には劣るが、  
と見当違いも甚だしいことを考える。  
 声は、さらに続く。  
「今さらなぁーにを恥ずかしがっているのでぇーす! そぉの服と一緒に、理ぃ性も  
キャストッ・オォォォッフッ、しぃてしまいなさぁーい!! そぉれとも、ジャケッ  
トパァージの方がいぃーのですかぁーっ!?」  
「ああっ、だ、駄目です、おじさまっ」  
 やはりハイテンションなままの教授の声と、言葉の上では拒絶しているはずなのに  
どこか嬉しそうなヘカテーの声。  
 シュドナイは嫌な予感を覚え、人間形態に戻るのも忘れて駆け出した。  
 
「待っていろ、ヘカテー。今俺が、奴の魔の手からおまえを」  
 ずるっ  
「んな―――!?」  
 間抜けな擬音と叫びをあげ、シュドナイは、それはもう清々しいほど派手に転倒した。  
「な、な、なにが―――」  
 突然の事態に困惑するシュドナイの眼に、床に落ちている黄色く薄っぺらい物体が写った。  
「……バ、バナナの皮!? 馬鹿な、俺を、この“千変”をこけさせるほどのバナナの皮  
だと!?」  
 いや、まさか。この“千変”シュドナイが、そんな一昔前のギャグみたいなこけ方をする  
はずがない。今はそんなことより、何やら危機的状況にあるらしいヘカテーを救出せねば―――!  
 と、雄々しく立ち上がろうとするシュドナイであったが。  
 ずるっ  
「なっ―――!?」  
 立ち上がろうと踏み出した一歩、その先にあった新たなバナナの皮に、シュドナイは再度転倒した。  
 それだけではない。  
「く……! 馬鹿な、いつの間に!?」  
 気付けば、シュドナイの周囲にはバナナの皮の海が広がっていた。これでは、立ち上がることも  
ままならない。  
 その間にも、向こうでは事態は着々と進んでいる。  
「は、恥ずかしいです、おじさま……」  
「んんー、ェエーキサイティング!! ェエークセレント!! こぉーれぞまさしく、ァアールティ  
メットォォォ!! ゼンラーフォームの、完ッ、成ッ、でぇーす!!」  
 シュドナイの中で、教授への殺意が燃え上がった。だが、それ以上に―――。  
(……なぜ俺があの場にいないのだッ!!)  
 一体なんなのだ、アルティメット・ゼンラーフォームとは。カタカナにするとちょっとカッコいい  
感じがするじゃないか。漢字にすると……ああ駄目だ、ちくしょう。おじさん、もう我慢できない。  
「ひ、ひゃあああっ!? あ、んああ、つねらないで、おじさまぁっ!」  
「どぉーうです、このスゥーペシャルなマジック、ハァァァンド、はぁっ!?」  
「い、いいです、さいこーですぅ!!」  
 ああ、なぜ見えない。ああ、なぜあそこにいるのは、俺ではなく教授なのだ。  
 どうにかして立ち上がろうとするシュドナイだったが、教授の仕掛けた罠と思われるバナナの皮を、  
どうしても攻略できない。  
「おのれ……! どいつも、こいつも、どいつも、こいつも―――!」  
「だから、それはキャラが違うと言っているじゃないか、“千変”」  
 ゾクリ、と。  
 背後からの声に、今、確かに、背筋が、震えた。  
 
(ありえん……なんだ、この馬鹿みたいに巨大な“存在の力”は……!)  
 これほどの巨大な力―――自らのそれを、易々と超えるほどの力―――を持った存在。  
そんなものが、いるはずがない。しかし一方で、その存在が発した声は、彼のよく知って  
いるものだった。  
 恐る恐る、振り向く。  
「バ、ババア……」  
「……また、私をその名で呼ぶのかい」  
 ベルペオルが、悲しげに呟いた。シュドナイは、彼女の力の規模とは別の変化に気付く。  
「ババア、おまえ、眼帯は……」  
 ベルペオルが常に右目にしている眼帯、それがない。  
「ああ、これかい?」  
 握っている右手を開き、ベルペオルは外した眼帯を示した。  
「キシャァァァァァ!!」  
「…………」  
 シュドナイの見たそれは、普段は目にすることかなわない眼帯の裏側だったらしい。鋭い  
牙が何本も生えた小さな口がいくつかある。  
「……なんだコレは」  
「ふふ、こいつは教授に作らせた特注品でねぇ。“存在の力”を無限に喰らい続ける―――  
……化け物さ」  
 異常な規模の力が、凄まじい重圧となってシュドナイを襲う。バナナの皮がどうのではなく、  
本当に身動きが取れない。  
「今までこいつに喰わせて封印していた“存在の力”を全て解放した……それだけのことさね」  
 いやおまえそれどこの死神だ、と突っ込むことが、シュドナイにはできなかった。フェレット  
形態の小さな身体を、ベルペオルに鷲掴みにされていたからだ。  
「ふふ……随分と可愛らしい格好をしてるじゃないか、“千変”」  
 まずい。いや、やばい。シュドナイは本能的にそれを感じる。このままでは、命とか貞操とか、  
色々と大事なものがやばい。  
「じゃあ……いただこうとするかねぇ、ふふふ……」  
 凄惨な笑みを浮かべ、ベルペオルはシュドナイに死刑宣告を下した。  
「ヘェカテェー! 私のバァナナのお味はどぉーでぇすかぁー!?」  
「は、ああんっ! と、とってもおいひいれす、んああ! あ、あ、らめ、らめえええええ!!」  
 シュドナイの耳に最期に残ったのは、ヘカテーの喘ぎ声だった。  
 薄れゆく意識の中、[仮装舞踏会]の将軍はぼんやりと思う。  
 こっちの方こそを、夢オチにしてもらえないだろうか、と。  
 
 
fin  
 
 

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