「―――よし」  
 早い夕暮れに暗い地平を見て、悠二は息を吸い、選ぶ。  
 
 一人の少女を。  
 
 踵を返そうとした悠二は、ふと気付いた。  
(ん……?)  
 手を入れようとしたジャケットのポケットが―――ない。  
(あぁ、そうか…、サブラクとの戦いで…)  
 悠二の服は“壊刀”サブラクとの戦いにより酷い状態であった。ジャケットは状態を留めているのがやっとと言ったところで、インナーのシャツはボロ切れのようであり、ズボンにいたっては今にも崩れ落ちてしまいそうなほど劣化していた。  
 悠二は微笑を浮かべると、一人、呟く。  
「仕方ない、か…」  
 あれほどの激戦だったのだ。この程度で済んだのならまだ良い方であろう。  
 悠二はそう思いながら階下への扉を開ける、自分を待つ少女へ会いに行くために。  
 その時だった。悠二のズボンが扉の端に引っかかった。  
 だが悠二は気にした様子はなく歩き続ける。  
 自分を待つ少女へ会いに行くために。  
 
 悠二が建物の中ほどまで階段を使い下降していた時、間が悪く用務員の職員と出くわしてしまった。  
「な…ぇ…?」職員は驚き、声にならない嗚咽を漏らす。  
 職員の驚いた顔も意に止めず、悠二は歩き続ける。  
「ちょ、ちょっと君!」  
 職員は目の前に現れたボロボロの少年を引きとめようと肩を掴む。  
「ビリィ!」  
 職員は軽く掴んだつもりだったのだが、悠二の限界まで劣化していた服は意図も簡単に破けてしまった。職員は慌ててその少年に謝罪を試みるが、少年は気にした様子も無く階下へと姿を消した。  
 残された職員は唖然とした表情を浮かべながら少年を見送った。  
 
 ようやく建物の屋外へと歩を進めた少年は、ふと雪がちらつき始めた空を眺める。  
 そして、呟く。  
「仕方がないんだ…」  
 
 ちらつく雪の中、少女は白く凍りつく自分の吐息を眺めていた。  
(選んでもらう、あなたに)  
 数日前からの自分の決心を何度も自分の中で言い続ける。  
 不安は、ある。  
 来てくれるだろうか、自分の所へ。  
 応えてくれるだろうか、自分の想いを。  
 様々な思考が少女の中で駆け巡り、静止する。  
 結果がどうあれ、明日からはまったく別の日々になるだろう。  
 思案するだけで顔がほころぶ日々、考えるだけで暗く沈んでゆく日々。  
 そのどちらか。  
 少女は目の前に設置された大時計を見る。  
(――――時間だ。)  
 その時、目の前の人ごみがざわめき始めた。  
 胸が、高鳴る。  
 そして、見つける。一人の少年を。  
 
「――――――――!!!」  
 
 自分を選んでくれた!自分とこれからを歩むと決めてくれた!  
 少女はざわつく雑沓をかき分け、少年の下へと走る。  
 
(まだだ、まだ喜んじゃだめ。あなたの温もりを感じるまで、まだ)  
 
 少女は人目も気にせず、少年を抱きしめていた。  
 少し驚いた表情をした少年は、すぐに優しい笑顔を浮かべ少女を抱きしめる。  
 そして、少女の名を呼ぶ。  
 自分がつけた少女の名前、初めて見た瞬間から美しいと思った少女。  
 
「痛いよ、シャナ」  
 
 自分の名を呼んだ少年、悠二の顔を見上げてシャナは心からの笑顔を浮かべた。  
「悠二、選んでくれた!」  
「うん、僕は…シャナと歩いていこうって決めたから」  
「悠二、ずっと…一緒に…」  
「うん、ずっと一緒に歩もう、シャナ」  
 
 今日は決戦の日。悠二は自分を選んでくれた。  
 あとは誓うだけ。  
 頭の中でずっと決めていた事が、いざ実行に移せない。  
 目の前の悠二の顔を見つめる、悠二はその視線を温かく見つめ返す。  
 途端、シャナは自分の体が熱くなるのを感じる。  
 他の人が見たら病気かと思われるほど首筋、耳まで真っ赤になってゆく。  
 そんな少女を悠二は心から愛おしく想う。  
「シャナ、真っ赤だよ。大丈夫?」  
 赤くなる理由は分かっているのだが、悠二は少し意地悪く聞く。  
「う、うるさいうるさいうるさい!」  
 シャナは更に顔を赤くさせる。  
「悠二のせいなん…ッ!」  
 シャナが悠二へと照れ隠しの文句をぶつけようとした瞬間、悠二の顔が目の前に迫ったかと思うと、シャナの小さな口が悠二の唇によって塞がれていた。  
「………ッ!」  
 驚き目を見開いていたシャナだったが、すぐ目を閉じ悠二を感じる。  
 永遠とも、一瞬とも思える時間。  
 悠二が誓ってくれた。自分に全てを任せてもいいと。  
 なら、自分も応えなくてはいけない。  
 シャナは以前に見た『誓い合う行為』を思い出す。それは“徒”のしていた行為。  
 前に見た時は気持ち悪いと感じた行為、だけど、悠二とするのなら―――  
 悠二は自分の口内へシャナの舌が侵入してくるのを感じた。  
 最初はシャナの大胆な行動に動揺していたが、すぐにシャナの行為に応える。  
「ふ…ぁ…」シャナの吐息が二人の間から漏れる。  
 悠二がシャナの舌を絡めると、逃げるようにシャナが舌を引っ込める。それを追いかけるようにシャナの口内を蹂躙する。  
「はふ…ん…ん」  
 お互いを十分に感じあった後、惜しむように唇を離す。  
 二人の間に銀の糸が引き地面へと落ちる。  
 悠二はもう一度、自分の決意を呟く。  
「シャナ、ずっと一緒だよ。」  
 シャナは答える。満面の笑みで。  
「うん」  
 その瞬間、モールに設置されていたクリスマスツリーのイルミネーションが灯った。  
 その光は偶然にも、燃えるような“赤”と燦然と輝く“銀”。  
 二人は手を握り合いながらその灯りを見つめていた。  
 
 全ての不安、迷いが解消されたシャナであったが、先ほどからずっと思っていた事を口にする。  
「…ところで、悠二」  
「ん?」  
「どうして、裸なの?」  
「あぁ…」  
 見ると悠二はこの寒空の下、純白のブリーフ一枚という格好であった。  
「シャナ」  
「?」   
悠二は真剣な顔つきでシャナの瞳を見つめる。  
「これは…仕方ないんだ…」  
「意味わかんない」  
 本当に意味がわからない事であったが、少年はどこか吹っ切れたような表情で呟く。  
「…そして…なんか気持ちいいんだ…」  
 その言葉は雪がちらつく冬の夜空へ消えていった。  
 
 
――――場所は変わり、仮装舞踏会の本拠地『星黎殿』  
「ゴクリ…」  
 静まりかえった沈黙の中、“壊刃”サブラクの唾を飲み込む音が聞こえる。  
 当初は饒舌に喋っていた“探耽求究”ダンタリオン、教授ですら一言も喋らない。  
「………………」  
 “頂の座”ヘカテーに至っては、冷ややかな視線でサブラクを見つめている。  
 たまりかねたベルペオルが声をかける。  
「ちょっと…サブラ」  
「今来るから!まじで!あと5分待って!」  
「………………ハァ……………」ヘカテーが聞こえるように溜息をつく。  
 
   
 
 紅世の王達は待つ。  
 来る事のない少年を、いらつく重い雰囲気の中で、ずっと。  
 
 

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