どれほど時間が経ったのか、シャナには分からなかった。  
 周りを見渡しても手がかりになるようなものはない。探そうと思っても動けない。  
 天井からぶら下がる枷に両手首が、背後の壁から突き出た枷には両足首が、それぞれはめられていたからだ。  
「はぁ……くっ……うぅんっ……っ」  
 祭礼の蛇と名乗った男が悠二の姿をしている。その認識が、シャナの意識にぎりぎりの綱渡りをさせていた。  
 それはもうどこまで伸びているのか判然とせず、終わりは、何も見えない底へ堕ちることだけでしか迎えられない。  
 気だるさに支配される身体の奥で、シャナはそう感じていた。  
「……シャナ、気持ちいい?」  
 御崎高校の制服、それはシャナの血に塗れていた。しかし全て乾いた血塊となっている。  
 悠二がシャナの身体に手を這わせるたび、その欠片がぱらぱらと落ちていった。シャナはその残滓を、制服の下から  
悠二が優しく触る胸に見つめていた。  
「…ふぅっ……あぁ……」  
 もう嫌悪感は抱かなくなっていた。  
 薄く開かれた唇から漏れる艶っぽい吐息はむしろ、控えめながらも気持ちよさを表しているようだった。  
 キャミソール越しに乳房を弄られる。成長しきれていないそれは、悠二の掌に難なく収まった。シャナの中で鳴り響  
く鼓動よりもずっと遅く、掌の圧力の強弱が乳房全体から伝わってくる。そのせいか、敏感になった乳首が布を押し上げているのがわかった。  
「どれだけ触れていても、シャナの身体は気持ちいいね」  
「ゆ……う、じ……」  
 目の前の男に呼びかけたのか、それとも短い間にも数え切れないほど見てきた彼女の中の彼へ呼びかけたのか。  
 俯いて、伏し目がちの視線を自分に抱きついている悠二の胸の中で揺らがせる。訳もわからず目頭が熱くなるのを感じた。  
 首筋に顔を埋められ、悠二の舌が自身の神経そのものを撫でているかのように過敏な刺激があった。  
「あっ、あぁ……ゆ、ゆう…じぃ…っ」  
 悠二がシャナから離れる。  
「なに? シャナ」  
 今は異形を為していない。装いだけはシャナの記憶になかったけれど、目の前の笑顔は、いつの頃からか常に傍にあって  
ほしいと彼女が心から望んでいたもので、今も正に、そうシャナが望んだ理由が以前と紛れもなく彼女の胸の中で踊っていた。  
 それは、そう、包み込んでくれること。  
 だから安心する。ないと不安になる。  
 心が、温かい風ですーっと開けていくみたいだった。  
 そうして頬が緩み、いつも穏やかな気持ちになるのだった。  
 涙も交えた今、シャナの目には悠二しか映っていなかった。  
「悠二っ!」  
 四肢の動きを奪っていた枷が、ごく自然に外れた。  
 
 
 シャナが目を覚ましたとき、今までのことは全て夢だったのだと思った。  
 悠二がいなくなったこと。再会の時には彼は祭礼の蛇と名乗ったこと。  
 そして何より、彼の振りかざす刃がシャナ自身に向けられたこと。実際、肉をえぐった。  
「悠、二?」  
 そうだ、夢だったんだ。だって悠二があんなことするはずがない。私を傷つけるはずがない。  
 覚醒しきらない茫洋とした視界に映ったのは、数ヶ月間をともに過ごした悠二の部屋だった。  
「……よかった……」  
 安堵の表情が浮かび、それはすぐに微笑を形作った。  
 いつものように、千草の声が階下から聞こえてくるだろうと思った。お弁当を作るためか、お風呂が沸いているからか、  
それともまた私が知らないことを嬉しそうに教えてくれるのか。心が弾んだ。  
「っ!?」  
 しかし、それよりも先に身体の異変に気づいた。脱力して重力に従おうとしたのに、腕が下がらない。前に進もうと  
思ったのに脚が後ろに引っ張られる。そして、転びそうになったのに転ばなかった。普段にない動きを要求され、上半  
身には不自然に力を入れなければならなかった。それで完全に目が覚めた。  
「なに、ここ……」  
 目の前に広がり、シャナが居るところは悠二の部屋だった。いや、悠二の部屋に似せたものだった。  
 今まで壁だと思っていた部分が透けて、さらにその周囲の奥深くまで広がる空間が浮かび上がる。黒い炎が一定の間  
隔を空けて灯されていた。シャナが今までに目にしたどんな炎より温度というものを有していないように見えた。代わ  
りに、飛び散る火の粉がいかに小さくてもその一つ一つに全てが吸い込まれそうになりそうだった。  
 そこで思い出す。  
 あの戦いは夢ではなく現実だったのだと。  
「祭礼の、蛇……っ!」  
 激しい憎悪が気持ち悪いほど胸に込み上げてきた。  
 同時に、はっと気づいてシャナは自分の胸を見下ろす。そこにあるはずのコキュートスが、なかった。  
「アラストールっ!」  
 呼びかけても心の中で叫んでも無反応だった。  
 シャナは、改めて周囲を見渡した。瞬間、フレイムヘイズとしての彼女が捉えた、身の内を奮い立たせるような気配が目の前にあった。  
「っ!」  
「……シャナ」  
 男が、俯き、躊躇いがちに近づく。シャナとの距離を測っているかのような足取りで、瞳には力がない。  
「おまえっ!」  
 ひどく人間らしい表情を浮かべている彼を、「祭礼の蛇」と比較して訝ることもなく、シャナは食って掛かる。彼女  
の中では目の前の男は悠二でなかった。総毛立つ黒髪に、充血するほどに力を込めた視線。二人以外存在しないこの空  
間において、シャナの殺気は完全に男だけに向いていた。  
 男はそれに気圧されるでも、冷徹にあしらうでもなく、ただ甘んじて責苦を受けているようであった。  
「ごめん」  
「っ!?」  
 何事か、とシャナの顔が困惑に歪む。言葉が出なかった。敵だと認識しているものに謝られるなんて、どう考えても  
おかしかった。ついで、申し訳なさと悲しさに色を染めた男の表情を見て、さらに混乱した。張り詰めた糸よりも強固  
だった鎖が、不意に緩んだ。  
 男と目が合った。  
「仕方なかった、では許されないと思う。僕も許さない。シャナを傷つけたこと、謝るよ。本当にごめん」  
 シャナは、さっきまで決して感じまいとしていた空気を男から感じ始めていた。  
 
「傷は治したよ。違和感はない?」  
 そんな自分を否定した。記憶に在る彼は頭を過ぎらなかった。否定する根拠にはなりえなかったからだ。  
シャナは、千草や一美、佐藤や田中のことを思い出していた。  
「…お前はっ……悠二じゃないっ! 私に話しかけるな! その名前で呼ぶな、気遣うなっ、……悠二を、悠二を返せっ!」  
「……シャ『うるさいうるさいうるさいっ!』  
 瞬時に静まり返る。一拍ほどの間があって、シャナが苦しそうに息を吐き出した。四方に伸ばされた筋を無理に使い、肺に  
力を込めたため無理がたたった。むせたせいか、掠れるように小さい声で聞いた。  
「アラストールは、どこ?」  
「……別の場所に居るよ。でも心配しないで。何も、していないから」  
「当たり前よっ! お前たちなんかが何をしようとしたってできないっ! させないっ! アラストール、アラストールっ!」  
 先刻確かめたことも忘れて、シャナは叫んだ。  
 男が呟く。  
「僕は坂井悠二なんだよ」  
「……違う」  
 怒りを通り越して血の気が引いたようになっているまま、シャナが返す。   
「シャナ、君に信じてもらえないのなら、僕はどうすればいいんだ……」  
 再び名前を呼ばれたことでシャナは瞳を見開いたが、すぐに視界が塞がれて何も見えなくなった。  
 懐かしい匂いと温もりがあった。強く優しく背を抱いてくれる感触に、いつかの悲痛な気持ちが融和されていく心地よさを再び感じた。  
「……。…っ! さ、触るな!」  
 それでもシャナは、それを否定した。  
 がちゃがちゃと両腕を振り乱し、抵抗を試みる。  
「くぅっ!?」  
 しかし、より強く引き寄せられる。もう、近づきようがないほど引っ付いているのに、男の力は弱まらない。  
 それに反して、耳元で囁く声はとても弱々しかった。  
「零時迷子だよ」  
「?」  
「本当の坂井悠二はすでに死んでいる、とシャナに告げられた日からずっと悩んでいたんだ。僕自身は? 今こ  
こに居るのは? シャナにも何度か打ち明けたことがあったよね。……そのときと、何が違うと思う? 今の僕は」  
「……お前は悠二じゃない……」  
「少しは信じ始めてくれているのかな……」  
 はは、と力なく笑った。  
 シャナには、見えなくても男がひどく情けない苦笑いをしているのだと想像できた。記憶が自然に浮かんできた。  
「変わらないんだよ。何も。僕がそうやって悩み続けることは。祭礼の蛇と名乗る自分がいる。じゃあ、僕自身は?   
今、こうしてシャナに触れているのは誰なんだ、って……」  
「……」  
「僕以上に坂井悠二のことを知っているのは、きっとシャナだけだよ。その君が違うっていうなら、それはそうかも  
しれないけれど、そうなったらもう僕にはどうしようもないけれど……、初めて名前で呼んでくれたときがあっただ  
ろ? あのときと同じように、またシャナが僕を僕だと認めてくれるだけで……僕は……」  
「……」  
「なんだって話すよ。僕が知っていること全部。シャナと過ごした全部」  
 戸惑いを隠せないシャナの身体を愛でるようにしながら、男は話し始める。  
 そして、滔々と話し続けた。  
   
 
 シャナと悠二は二人でベッドに腰掛けていた。  
「紛い物だけれど、やっぱりこの部屋が一番落ち着くんだ」  
 血のついたぼろぼろの制服を脱ぎ、夜笠を纏っているシャナが質問したので悠二は答えた。  
 出会って間もない頃につけられた床の傷も、再現してあった。それを指差して、  
「シャナも落ち着くだろ?」  
 と悠二が笑いかける。  
 シャナは、その笑みに顔を背けて曖昧に頷いた。悠二がいるから……とは言えなかったし、涙で顔をぐちゃぐちゃ  
にして悠二に縋った先ほどの自分の姿を客観的に見つめ直して、恥ずかしさで一杯だったというのもある。  
 心地よい沈黙が時を刻む。  
 シャナが口を開いた。  
「おまえは、悠二」  
「うん、そうだよ。僕は坂井悠二だ」  
「私は信じる」  
「ありがとう。そう、シャナのことが好きな坂井悠二だよ」  
「え?」  
「あれ?」  
「……」  
「……」  
 悠二が何を言ったのか、ようやく理解して慌てふためく。  
「なな何言ってんのよっ!」  
「え、ええ? さっきも言ったじゃん」  
「なっ、き、聞いてないわよっ、そんなのっ!」  
 そこで、あ、ああ、と悠二が得心いったという顔をする。ぎこちない笑みを浮かべてシャナに言う。  
「あ、その、シャナさ……。えっと……」  
「はっきり言いなさいよ!」  
「う、うん、あ、喘いでたからかな……はは……」  
 だから気づかなかったのではないかと悠二が説明する。頭をぼりぼりと掻きながら、きまりが悪そうに俯いた。  
 誰が見ても分かるほどに真っ赤になっている悠二だったが、シャナはそれを目の前にしても訳が分からなかった。  
ただ、漠然として、何かとても恥ずかしいこと(自分にとって)、を悠二は言っているのだということだけは感じていた。  
「……喘ぐって、なに…?」  
「え?」  
 心底困ったように腕組みをする。うう〜ん、と唸りながら、時折、横目でシャナの方をちらちら見ている。その視  
線が、どうしてか耐えられないほどに気恥ずかしかったシャナは、すっかり隠れている下着姿をさらに隠すように、夜笠で前面を覆う。  
「なんて説明していいか分からないんだけど……」  
「……じゃあ、いい」  
 シャナはあっさり引き下がった。ほっとしている様子を悟られないように、夜笠に顔を埋めた。  
「え? いいの?」  
 悠二は、空気を読まなかった。  
「う、うるさいうるさいうるさい! いいって言ってるでしょっ」  
 だから、シャナはすぐに激昂した。悠二が申し訳なさそうに押し黙った。  
 今度は、少し歯がゆいような首が痒くなるような、そんな黙然とした雰囲気になる。  
 しかし、悠二が囁くような声でそれを破った。微妙に独り言ではないのが彼の弱気な様をよく表している。  
「気づいていなかったなら、もう一度言ったほうがいいのかな……」  
 何を、と思うほどシャナも鈍感ではなかった。それを望んでいたからあえて反応せずにいられたのかもしれない。  
「シャナ」  
 
「なに」  
 悠二はきりっとした顔をする。  
 胸が高鳴るのを、シャナは感じた。  
「メロンパンあるよ」  
 お腹が高鳴るのをシャナは感じた。  
「……」  
 どこから出したのか、メロンパンを手ににこやかに笑っている。だらだら汗を流しているように見えるのは気のせいではあるまい。  
「いやー、メロンパンって美味しいよね」  
 へらへら笑う悠二から袋を受け取り、ついでに腹を蹴っておいた。おふぅと声を漏らした悠二が床に転がっていく。  
 苦しそうにうめく悠二には目もくれず、メロンパンにかじりつく。呆れ返るような溜息が同時に出て、メロンパンのクッキー部分を  
ぽろぽろと零した。けれど、口の中に染み込んでくる甘さが嬉しくもあった。  
 悠二は何も変わっていなかった。  
「シャナ」  
「なによ」  
 少し棘を含んでいた。  
「好きだよ」  
「……私も」  
 その言葉が自然と口をついた。今まで抑えていたものを全て吐き出したい衝動に駆られ、迷わずそうした。  
「私も、悠二が好き。ずっと一緒にいたい。ずっと一緒にいてほしい」  
 シャナには珍しく、情熱的な返事を受けて悠二は嬉しかった。  
 そんな中で、大事そうに頬張っているメロンパンにはとりあえず突っ込まずにおいた。  
「シャナ?」  
 気づけば、悠二の服が小さめの指に引っ張られていた。いつかのときのように。  
「好きなら、誓うって聞いた。好き同士なら誓い合えるって……」  
「誓い?」  
 身体を寄せてくるシャナに確固とした意思を感じた。瞳から、唇から。悠二は、背伸びをしようとするシャナの肩に手を置き、僅か  
に腰を屈める。じっと目を開いたままのシャナに優しく微笑み、悠二から瞳を閉じる。もうコンマ数秒で触れ合えるというとき、シャ  
ナの瞼が下りる気配を感じた。  
 それ以降、感じるのは唇の熱さだけになった。感覚的に淡いキスを長い時間交わした後、二人は離れた。見つめ合う。どちらにとっ  
ても初めてのキスだった。幸福感に満たされているだろうことが、お互いに分かり、それを感じることでまた自身の気持ちが温かく包  
まれていくことを理解した。  
 悠二は、ファーストキスはメロンパン風味、という感想を抱き軽く笑った。  
 一方のシャナは、感触を確かめるように唇を人差し指でなぞりながら、へへ……と子どものような笑顔を浮かべていた。それを見た  
悠二の中で滾る思いがあった。知的に冷静な彼は、それがどういう類の感情かはっきり理解していたけれど、抑えられなかった。ある  
いは、気が緩んだせいか下着姿が丸見えになっているシャナに理由があるのかもしれなかった。  
「誓いって言ったよね?」  
「そう、誓い。千草が教えてくれたの」絶えない笑顔で悠二に答える。  
「……じゃあ、もう一つ誓いがあるんだけど、いいかな?」  
「ちょ、ちょっと悠二?」  
 言う間にも、シャナはベッドの上に倒される。膝裏が引っかかったところに腰を抱き寄せられて、抵抗もできず悠二が上、シャナが  
下という格好になった。  
 
 脚の付け根から指先にまでかけて清純さに光る様が露になった。シャナは、唯一キスのとき以外はずっと夜笠の両端を胸の前で握り締めて  
いたが、悠二に倒された際に裾のみがはだけたのだった。しかしそれには気づかず、彼女に覆いかぶさる悠二の顔だけを見つめている。  
 キスの名残に火照る唇が、未だに悠二と繋がっているかのような錯覚をもたらした。  
「悠二?」  
 返事はなかった。思い詰めたように力の篭る瞳が、かすかに寄る眉間の皺に揺らいでいる。シャナが映っている。吸い込まれそうだった。  
いや、吸い込まれたいと思った。そう考えたことに対して、祭礼の蛇という姿を一瞬だけ思い出し、何か自分の意思に寄らない力で操られて  
いるのかとも疑ったが、そんなことはなかった。  
 ひどく胸が締め付けられる。けれど、嫌な感じはしない。心臓が早鐘を打ち、急かされた。何か。何かしたい、してあげたいと思った。シャ  
ナが、悠二の顔にすっと手を伸ばす。たおやかな左の指先が頬を目指す様子は、ひっそりと咲く一輪の花を愛でようとしているかのごとき雰  
囲気も感じられた。  
「悠……ひゃ!?」  
 シャナの動作が不自然に止まる。くすぐったい感覚と何だかそれに喜ぶような変な気持ちが同時に湧いて、刺激の元に目をやった。悠二の  
手が太ももに触れていた。そこでシャナは自分がはしたない格好をしていることに漸く気づき、またそれを教えてくれなかった悠二に対して  
の怒りも噴出させた。  
「ぐはぁ!?」  
 無意識のうちに悠二の腹を蹴り上げていた。空中に浮き、シャナの蹴りのエネルギーがなくなったところで、悠二の身体は一瞬静止し、今  
度は落下してきた。シャナは横に転がることでそれを避ける。  
 ぼすっという音がして悠二が情けなく呻く。  
「うぅ……さっきと同じとこ……」  
「悠二が悪い」  
 つっけんどんな態度で言い切ると、伏せる悠二との間に壁を作るように夜笠を纏いなおして背を向ける。シャナの顔に戸惑いの色が昇って  
くる。どうしてか、黒衣の中で組みなおした脚、悠二に触れられた箇所が熱かったからだ。悟られないようにそっと、指を当ててみた。さき  
ほどのような感じはなかった。そのことに物足りなさを覚える。シャナは、太ももの内側に少しだけ力を込めてみる。  
「は、ぁ……」  
 声が漏れる。不思議な気持ちだった。快い感触がぽっと表に出て、心持陶然とする。何も手につかなくなるときの状態に近い、が、無意識  
にシャナの手は動いていた。白い下着が覆い隠している部分まで導いていこうとする。  
「シャナ?」  
「わひゃっ!?」  
「何だよ、変な声出して」  
 手を止めて振り向くと、悠二が首をひねって自分を見ていることに気づく。没頭しそうになっていた行為を(シャナはそれがどういったも  
のであるかを理解していなかったが)身体の熱さに感じ、恥ずかしくなった。  
「うう、うるさいうるさいうるさいっ!」  
 ごまかすが、訝るそぶりをやめない悠二に対して、さらにシャナの顔が赤くなる。何をしていたのか聞かれるのが一番怖かった。どう説明  
していいか分からなかったし、説明するのすら躊躇われたからだ。  
「? どうしたのさ?」  
「っ! さ、触らないでっ」  
 
 シャナが後ずさる。拒絶でなく懇願するような意が込められていた言葉だったが、悠二はそれを察せず  
ショックを受けていた。肩にのせようとした手が弾かれたように止まる。  
「……?」  
 それ以上、無遠慮な追及がなかったことにシャナは安堵した。しかし自分と悠二とを取り巻く空気が変  
わったことを感じ取った。嫌な気分だった。擬似的とはいえ、今までに十分馴染んだはずの悠二の部屋に、  
シャナはいる。それが不意に、空虚なものに感じられてしまった。広々とした、奥行きのある建物内部が  
ありありと見え、灯る黒炎は一つひとつ遠い。  
 悠二が、自嘲気味に笑っていた。伏せた目に、悲しみの光が今にも零れ落ちそうな状態で浮いている。  
 それを見て、シャナは自分が悠二に対してとてもひどいことを言ってしまったのだと悟った。  
「――っ! 違うのっ!」  
 咄嗟に、悠二に飛び掛っていた。ベッドから離れようと及び腰になった悠二に、真横から、それも不意  
打ち的に抱きついたものだから、彼の不安定な姿勢ではシャナの突進には対応しきれなかった。  
「うわ!?」  
 シャナが悠二に馬乗りになる。必死な表情で違う違う違う、と首を振りながら見下ろしている。キャミ  
ソールと胸の間を通り抜ける冷たい空気が胸に痛かった。そのせいか、晒された下着姿を隠す気にはならなかった。  
「悠二、悠二、悠二!」  
「……どうしたの? シャナ」  
「触られたくなかったんじゃ、ないっ!」  
「……」  
「触ってほしくなかったのっ!」  
 息を荒げるシャナの下で、悠二は黙し、視線を何度かずらす。考えこんだ末に問いかける。  
「それって、同じことのような……」  
「全然違うっ! 悠二の馬鹿!」  
「……シャナ。全然、の後には打ち消しを伴うっていう文法の決まりが……」  
 悲嘆に暮れる様を大げさに表現しながら言う悠二。先ほどとは見違えて余裕が出てきているように見える。  
「訳のわからないこと言わないでよ!」  
「じゃあ、なんで?」  
 思わず口を噤んでしまう。何が問われているかは理解していた。そこでシャナは考える。単に事実だけを言って  
みたとしよう。身体が熱かった。くすぐったいのが気持ちよかった。頭がぼーっとしてた。から? 何、と悠二は  
聞いてくるだろう。……何となく、悠二に触れられるのがすごく恥ずかしいような気がした、から。  
「ぅ……あ、ぅう……」  
 威勢よく悠二に向き合っていたのに、一転して弱腰になった。言葉を生まないうめき声すら尻すぼみになって、  
言語を使えなくなってしまったのではないかと一瞬疑う。目を合わせられなくなったところで、出し抜けにシャナ  
は抱きしめられた。  
「ゆ、悠二?」  
「うん、ありがとシャナ。何だか今のシャナを見てたら……はは、笑うしかないね」  
 胸から少し顔を離して悠二のほころんだ顔を確認する。ほっとした。悠二が、自分の一番言いたかったことを理  
解してくれたことに。その証拠にこんなに強く自分を求めてくる。そう、シャナは拒絶していない。悠二の背中に  
腕を回した。  
「シャナに嫌われたかもって思ってさ。指が震えたよ」  
「私が悠二を嫌うわけない」  
 
「……シャナ。誓い、もう一度いいかな?」  
「さっき言ってたやつ?」  
「ん、あれはまた別なんだけど……」  
 顔を赤くする悠二に首を傾げるシャナ。  
「その、キスだよ」  
 唇の柔らかい感触が舞い戻ってきた。  
「……誓いは、何度もしない」  
「うん、そうだね。でも、何度もしたくはないってシャナは思う?」  
 つぶらな瞳を縁取る、純真な潤いが艶やかさを醸し出して悠二を捉える。  
「……思わ……ない」  
「僕も。それに、大丈夫だよ、誓いは……そのたび毎に全く違うものだから……」  
 見えない糸を手繰り寄せるように二人の唇が近づく。悠二はシャナの肩に手を置き、シャナは悠二の腕を左手に、  
ベッドのシーツを右手に掴み、キスをした。し続けた。ゆっくり時間が経つのに合わせて、シーツの皺がシャナの元に  
寄っていく。どれほどしていればよいのかシャナにはまだ分かりかねていた。そろそろと思い始める頃には何かしたく  
なってむずむずしてくるが、ずっとこのままでもいい、とも考えていた。  
 そのとき指が唇に触れた。目を瞑っていても分かる。なんだろう、と思う間に口が開かれ、悠二の舌が侵入してきた。  
「んんぅっ!?」  
 反射的に目を開ける。混乱している自分とは対照的に落ち着いた表情の悠二がいた。  
「んむ…ぁん……んんんっ……」  
 力が抜ける。口の中が熱い。おまけに甘い。砂糖入りのコーヒーを飲んでもこんなことにはならない。火傷しそうに熱  
いわけでもないのに、それに、たぶん冷ましたコーヒーとそう変わらない温度なのに、耐え難い。でも耐えたい気持ちが  
ある。口から取り入れるのは栄養。では今の行為はなんだろうか。熱が身体を駆け巡るようだった。  
 舌が舌を絡めとりそこから弾かれた唾液が、頬の内に馴染んでいく。時に喉奥に向かうこともあって苦しくなるが、背  
中をさする悠二の温かい手がそれを緩和してくれたように思えた。行為は続く。  
 いつの間にか、シャナの目には悠二の顔がぼやけて映っていた。  
「ふっ、はぁっ…んむんっ! はっ、ゆ、悠二っ……」  
 逃げる気はなかったけれど悠二の腕がシャナをがっちりと抱きとめていたため、自由に動けなかった。途切れ途切れに  
荒い息を吐きながら、空気を求めて何度か口を離そうと試みるも、顔を離せば悠二もついてくる。その過程で首筋や耳に  
も悠二の舌が這う。敏感に反応してしまって、悠二がそのことに喜んでいるのが分かった。  
「あっ、あぁあっ……あぁはっ、んうぅ…」  
「シャナ、耳が気持ちいいの?」  
「ひうぅ!」  
 耳たぶが温かいものに包まれる。柔らかく小さなそれを、悠二はまるで咀嚼するかのように口に含んでいた。なんでそ  
んな食べ物みたいに、とシャナは思った。舐められるたび、小鳥の囀るような声が響くことがある意味旨みのようなもの  
であると、シャナは気づいていない。  
「は……あっ…はぁ、……っうう!」  
 
 悠二の行為はさらに激しさを増しシャナはいっそう抵抗できなくなる。特に、舌先が  
耳の奥に入ってきたときは何かが壊れそうだった。  
 長い黒髪がシャナの横顔を隠す。撫ぜるようにそれが払われ、頬に触れる悠二の手の  
感触に意識を奪われた。優しい手つきに愛おしさが込み上げてくる。シャナは、目の前  
にあった悠二の指を口に含んだ。  
「シャナ!?」  
 びっくりして悠二が手を引っ込めようとするのを両手で素早く抑えて、さらに丹念に  
舐め上げる。嬉々として飴でもしゃぶっているかのようである。その間悠二は何もして  
いなかったので、シャナはいよいよ集中する。口舌の流麗かつ艶かしい動きとは裏腹に、  
立てる水音は極めて控えめで、広い空間を満たしきれない。  
 ふと、呆けた顔の悠二が目に入る。自分は一体何をしているのだろう。その行為に何  
らかの意味が付随することを頭が望んだが、見出せない。だからと言って恥じ入るべき  
行為だとも思わない。シャナがそうしたかった。ただそれだけだった。手をつなぐより  
悠二の手がずっと大きく感じられた。手首に添えた自分の手は目に映る以上に小さく見  
えた。それのみを感じた。  
 口を離す。  
「悠二……」  
 呟きつつ、悠二の胸に軽く額をぶつける。  
「どうするの? ……どうすればいいの?」  
「え?」  
「よくわからないけど……何かしたいって思う。でもよくわからないから、漠然としてる。でも……悠二とっていうのはっきりしてて……。ねぇ、悠二もそう思ってるの? 何かって知ってるの?」  
 無垢な瞳に、たじろぐ悠二が映る。  
 本能的に理解し始めている。知らない先に自分の求めていることがあるのだと、シャ  
ナは察し始めている。それが正しいことななのか間違っていることなのか、己の欲から  
出ただろう望みだけに判断を下しかねている。悠二に問いかけて、不安な気持ちにピリ  
オドを打とうとしたのだった。  
「うん。……僕に、身を任せてくれるかな…シャナ」  
「……うん」  
 答えてすぐ、悠二が下方から手を伸ばしてキャミソール越しに胸を触ってきた。太も  
もを触られたときに感じた恥ずかしさはなかった。あったのかもしれないが、それを勝  
る感情が表に出てきていた。  
「あっ……あん……気持ち……いい…よ、悠二……」  
 密着しすぎているせいでややぎこちない動きになっていたが、それでも十分な刺激が  
得られるようで、シャナは身を離そうとはしなかった。  
「よかった。それじゃ……」  
 胸を弄っていた手がへその辺りにずれる。悠二は左肩にも手を添えていて、反時計回  
りの方向に力が加えられた。シャナが悠二に背を向けた状態で彼の股の間に座っている、  
そんな形になった。  
「ああっ!」  
 一際大きな嬌声が上がる。未成熟な身体のうちでも僅かに膨らみを持つ双丘の、その  
さらに先端からいいようのない刺激が昇った。体勢を変えると同時、上半身を隠してな  
お余りある柔肌と下着との空間に悠二の手が侵入していたのだ。今までも、ゆっくりと  
脳を焦がすような甘美な感覚はあったが、乳首を摘まれた瞬間それが突然に色を濃くした。  
 断続的に力が込められる。  
「やっ! あ、あ、あぁっ!」  
 ついさっきまで、じっくり味わっていたはずの快感が今度は身体の中で暴れまわって  
いる。それを示すかのように、シャナは脚を起こしたり寝かせたりして、忙しない。  
 
「シャナ、逃げちゃだめだよ」  
「くっ……うぅんっ! はぁっ、あぅっ…! やっ…め……っあぁっ!」  
 抵抗の表れとして無意識に前屈みになるシャナだったが、悠二は逃がしてくれなかった。それでも、かろ  
うじて指に挟んだシーツに縋り付くように身体を前へ進める。  
「逃げちゃだめだってば」  
 悠二の楽しそうな様子をそうとは認識できず、よがり続ける。ついにはうつ伏せに倒れてしまった。  
「シャナって胸感じやすいんだね」  
「ふぅっ…んふあぁっ! ち、ちが…ぅあんっ! ゆうっ……んぅっ、やめっ…」  
 悠二の体重が背中に乗せ圧迫される乳房は今も揉みしだかれている。乳首の慎み深い自己主張が皮肉になるほどシャナは感じて  
いた。悠二の手の元で、自身のそれが硬くなっていることを何となく理解する。摘まれるたび、弾かれるたび、奮える背中に全身  
が悦んだ。半開きになった口からは涎が垂れ始め、眼は焦点を失いかけている。もうシャナは自分がどうなってしまうのか分から  
なかった。だから悠二に哀願したのだが一向に止めてくれない。  
「僕に身を任せてくれるって言っただろ?」  
「そ…っうぅんっ! …だ、けど…はぁっあっ……こ、…んな、こんなっ……!」  
「可愛いよ、シャナ」  
 その言葉が囁かれるのに伴って、手が止まった。シャナがはっとして悠二のほうを振り返る。シャナの中に嬉しさと喜びがあっ  
た。けれど、弄られなくても胸に響く疼きに苦しさもあった。やめてと請うた自分の愚行を悔いる。満たされず満たされた、とい  
うような相反する感情にもどかしさを感じた。シャナは、心の充足と快感の充足を両方とも欲していた。  
「や、やめ…ないで……ゆうじ……」  
「うん、シャナがこっち向いてくれないかと思って」  
「……? ひあっ!?」  
「耳も感じるんだよね?」  
 そう言いながら、悠二が再び手を動かした。シャナの身体がびくりと反応する。  
 耳と胸の強い感触が、響きあった。  
「あ……っああ! ゆ、悠二ぃっ…なにかっ、なにかっ…くるよぉ!」  
 暴れようとするのを悠二に押さえつけられる。小さな肢体を限界まで強張らせて、シャナは絶頂を迎えた。  
「んっ、ふっ、ふぅぅっ……んぅ…!」  
 涙と唾液の染み込んだシーツに、ぐちゃぐちゃの顔を埋めてくぐもった声を漏らす。身体が何度か痙攣していた。今のはなんだっ  
たんだろうとぼんやりとした頭の中で考えながら快感の余韻に浸る。そのシャナの横に悠二が並び、聞いた。  
「シャナ、大丈夫?」  
「……うん」  
「気持ちよかった?」  
「……うん」  
「感じやすいんだね」  
「……うん」  
「……」  
「シャナってエッチなんだね」  
「……うん」  
「……まだ、できる?」  
「…………うん」  
 
 
 

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