人々が目を細めるような夏の日差しが照りつける中、  
ここ御崎高校ではちょっとした騒ぎが起こっていた。  
クラスでさえないプレイボーイとして有名な坂井悠二に  
新たな恋人の出現のニュースが無責任にも飛び交ったからだ。  
その渦中のお相手はつい先ごろこの学校にきた転校生の女の子。  
ヘカテーという名で、まだ顔にあどけなさの残る空色の髪をした少女だ。  
また副担任の須藤 快という保健体育を専攻する男性教諭も赴任してきたのだが  
そのニュースに隠れてまったく話題にはのぼらなかった。  
しかしそのほうがその副担任にとっては都合が良かった。  
その男は須藤 快という名の人物ではなどではない。正確にいうのであれば人ですらない。  
紅世の王と呼ばれる異界の人、千変のシュドナイであった。  
さらにいうのなら転校生の少女も同様に、人とは明らかに異なる紅世の王、  
頂の座・ヘカテーであった。  
この者たちは人間になりすまし、零時迷子と呼ばれる宝具を宿したミステス・坂井悠二に近づき、  
隙あらばその宝具をその入れ物ごと持ち去ろうと計画を立てた。  
クラスの者たちは多少風変わりであるものの、二人を快く受け入れ  
このささやかな事件を楽しんでいた。  
しかし真に事態の重さを理解しているものは誰一人としていなかった。  
二人のこの世に在らざるものが御崎中学に来訪した。  
 
 
朝のHRも終わると同時に、即1時限目が始まり、結局、クラスメートたちはヘカテーに自己紹介を求めることができなかった。  
しかし、それでも謎の転校生という魅力にクラスメートが勝てるはずも無く、  
授業中だというのに、チラチラとヘカテーのほうを盗み見る生徒が後を絶たなかった。  
ヘカテーはその視線の集中砲火を、多少不快に思いながらも全く顔には出さず  
さらさらと黒板に書かれる文字をノートに書き写していた。  
その前の席でそわそわしながら授業を受けていたのは、クラスの話題の当事者である坂井悠二、その人だ。  
悠二は心ここにあらずといった感じで、ただペンを走らせている。  
それもそのはず。大半の、特に男子からの視線が突き刺さり、授業どころではないのだ。  
それだけではない。  
ひときわ炎ようにアツく、氷のように冷たい視線がふたつ、悠二に向けられていた。  
そのひとつは吉田一美と呼ばれる少女から発せられていた。  
悠二を見つめる吉田に不安はどんどん広がっていく。  
(・・・どうしよう、またあんなかわいい子が・・・坂井くんあの子のこと  
どう思ってるんだろう?もう好きになっちゃったとか?うぅ、そんなのやだよぅ。)  
不安で押しつぶされそうになるのを、無理やり不安を頭の隅に追いやり  
(違う、あの子がどうとかじゃない。これは私の問題。私は坂井君が好き。  
どんなことがあっても私、負けない。そう決めたんだから。)  
と思い、吉田は心の中でグッと握りこぶしを握った。  
そしてもう片方の視線の発生源、シャナはいまにも爆発寸前だった。  
(悠二、絶対に許さない!)  
その怒りは全て(特に何もしていない)悠二に向けられていた。  
かくして不必要なまでの緊張感をはらんだ1時限目は終了した。  
 
休み時間、チャイムがなると教室中の生徒は、それぞれの行動を思うがままに取った。  
といっても朝のHRとほぼ同じことを繰り返しただけなのだが。  
ただ違う点はあった。悠二がシャナに言い訳めいたことを言うため、シャナのもとに行き  
必死にしゃべりかける。それに対しシャナは黙殺。いや刀を悠二の脳天に振り下ろしたのみ、  
ムスッとした顔で黙りこくった。そこに吉田がやってきて先の一撃でうずくまる悠二を介抱するも火に油。  
ますます、シャナの怒りは燃え上がり、結果、悠二の身体に割りと深刻な傷が増えてしまった。  
ヘカテーはというと、クラスの女子にすっかり取り囲まれてしまい、質問責めに合っていた。  
ヘカテーはシュドナイから言われたとおりのウソを、その質問に合わせて懇切丁寧に答えていった。  
「なんだ。案外いい子じゃないか。」  
その光景を見た池は近くにいる田中に話しかけた。  
「ん、なんだ?お前、転校生に惚れちまったのか?」  
「はいはい、僕はそこまで器用じゃないよ。」  
池は田中の質問を軽く受け流した。  
「はぁ?どういう意味だ。それよかそろそろあの騒動を止めたほうがよくないか?  
悠二はいい感じに白目をむいていて別にいいけど、吉田さんは目が潤んでるし  
ゆかりちゃんがとうとうモノに八つ当たりし始めたぞ。」  
結構な地獄絵図となっている目の当たりにした池はこの騒ぎが限界に達していることを悟った。  
このままでは騒動をききつけた教師や生徒が怪我をする恐れがある。  
頼れるメガネマンはこの騒動を静めるために、大きく深呼吸をし、  
騒動の元となっている悠二たちのもとへと歩き出した。  
 
休み時間も終わり、2時限、3時限、4時限と普段より騒がしくはあるものの、  
授業は滞りなく進んでいった。ただ休み時間のたびに悠二の傷は増えていったが。  
転校生はクラスメートの「どこから転校してきたの?」といった簡単な質問に応じる等して  
若干ではあるがクラスに少しずつ馴染んでいった。  
朝のHRでみんなの前で自己紹介をせず、悠二だけにのみしたという事実は  
実は性格が悪いのでは?と疑われもした。  
しかし、元々の整った顔と学生としては丁寧すぎる話し方で男子女子ともに  
好印象を得たので、緊張で自己紹介できなかった、という解釈で落ち着いた.  
 
そして昼休み、心地よい適度に湿った風が吹く校舎裏。  
そこにふたりの男女が向かい合っている。シュドナイとヘカテーだ。  
ニヤニヤ笑いながらシュドナイはヘカテーに話しかけた。  
「どうだった、学校の授業は?」  
「問題はありません。この極端に短いスカート以外は、ですけどね。」  
ヘカテーはスカートを恨めしそうに見つめ、ため息を吐くように言った。  
「フフ、なかなかに似合ってるぞ。」  
セーラー服姿のヘカテーをシュドナイは、じろりと舐めるように見た。  
「あまり見つめないでください。恥ずかしい・・・です。」  
蚊の鳴くような声を出しながら、ヘカテーはほんのり頬を赤くし、下を向いてしまった。  
シュドナイはさらに笑みを深くしたが、このままでは話が進まないので話題をこっちから振ってみた。  
「そうだ。こっちでも色々人間界のことを調べておいた。より人間らしく振舞うために、な」。  
恐るべき自制心を発揮してヘカテーは顔を上げ、シュドナイと向き合った。  
「こんな勤勉なあなたは初めて見ました。らしくありませんね。」  
声を正し、凛々しい口調で皮肉を言うヘカテーに、シュドナイは肩をすかせてみせた。  
「ああ、俺も驚いているよ。んで、特に俺が注目し調査したのは、人間界での『おともだち』のなり方だ。  
ミステスと『おともだち』になれば連れ去るのも容易になる。」  
「それで具体的に私はどのようなことをすればいいのですか?  
あの方に習ったのは礼儀作法だけでしたので、『おともだち』のなり方は私なりに考えてみたのですけど・・・・さっぱり。」  
 
実際、授業中もヘカテーは幾度も考えてみたが、とんと思いつかなかった。  
なぜなら紅世には友達という概念などなく、たまに紅世の王や徒で集まったりもするが  
そこに存在するのはほとんどが純粋な利害関係のみ。  
ヘカテー自身、友達という言葉を知ったのはこの作戦を聞かされたあとだったほど。  
「あの御方も間が抜けているな。」  
やれやれ、といった感じでシュドナイは首を横に振った。  
「あの方を侮辱することは許しません。」  
ヘカテーは断固とした口調で言った。ここで『力』を発動し、作戦が中止になろうとも  
このへらず口を黙らせる、そういった意思を感じさせた。  
「そうムキになるな。ちょいとした軽口さ。ところで『おともだち』のなり方だが」  
その意思を感じ取ったシュドナイは無理やり話を戻した。  
「人間は食事を共にすることで己の友愛を示し、親密な関係になるらしい。  
つまりここでいうところの昼休みに、ミステスと一緒に食事をすることが  
『おともだち』になることにつながる。」  
シュドナイはそう言うとどこからか3段重ねになっている重箱を取り出した。  
「その箱は一体、なんですか?まさか、また・・・」  
前回、シュドナイから手渡されたものはセーラー服という、ヘカテーにとって最悪ともいえるプレゼントだった。  
またその類ではないか、ヘカテーは露骨に顔をしかめた。  
 
シュドナイは苦笑いしながら  
「そう身構えるな。これはお前さんの食事だよ。教授の燐子、ドミノがこしらえたものだ。味は保障する。」  
と重箱をポンポンと叩き  
「教授が自慢してたぞ。『炊事洗濯から兵器運用までなんでもこなすスゴイやつ  
一家に一台、メイドロボ・ドミノ』とな。」  
と付け加えた。  
ヘカテーはシュドナイから重箱を受け取った。その際、ズシッとした感触を両手に感じた。  
「こんなに私は食べられません。」  
「それは周りの人間と分け合うためだ。人間は群れをなして食べるらしい。  
ついでだから不自然が無いよう、ミステスの周りの人間とも仲良くしておけ。」  
ヘカテーはコクリと頷き、シュドナイに背を向けた。  
「では、また放課後に会いましょう。」  
「ああ、その間より詳しく人間界のことを調べておいてやるぜ。」  
ヘカテーの小柄な体には少々重い重箱を持ち、身体を斜めに傾けさせながら、校舎の中に入っていった。  
その後ろ姿を見送りつつ、シュドナイは疲れた調子でつぶやいた。  
「さてと、俺はこれで人間についておべんきょうでもするかな。」  
ちらりと自分の手を一瞥する。シュドナイが手にしていたのは、  
彼の着ているダークスーツとは全く不釣合いな『少女マンガ』だった。  
 
昼休みの時間になり、クラスメートたちは悠二たちをからかうことを止め、それぞれ食事を取りに行った。  
あそこまで険悪な雰囲気(特に悠二とシャナ、吉田)であの五人はいつものように一緒にいられるのか、と危惧する人もいたが  
池の我が身を省みぬ仲裁とすでにボロ雑巾と化して、悠二の体に殴る場所が無くなったという理由で  
シャナ、悠二、吉田、佐藤、田中、池らはいつものとおり、屋上で一緒に昼ごはんをとれるようになった。  
「ひてぇ、ふちのなははひれてなにもたへられないよ(いてぇ、口の中が切れてなにもたべられないよ)」  
悠二は腫れ上がった頬をさすりながら、恐る恐るシャナを横目で見た。  
「なにかいった?悠二」  
機嫌悪そうにメロンパンの袋を開けながら、シャナは悠二を睨み返した。  
「いえ、なんでもありません。」  
口の痛みに耐えながら悠二はちゃんとした言葉で話した。  
「ひひ、転校生にでれでれするからだよ。」  
心底愉快そうに佐藤が言った。  
それに対し、佐藤をたしなめたのは意外にも池だった。  
「おい、やめろよ。もうこれ以上の被害をこうむるのはゴメンだ。」  
そう言うと池は仲裁のときに巻き添えをくったらしい、おでこの傷を指で示した。  
悠二は最大功労者にして被害者であるメガネマンに、心の中で感謝をした。  
「坂井くん、お弁当食べられる?」  
吉田は心配そうに悠二の顔を覗き込み、持っていた悠二用のお弁当をおずおずと差し出した。  
「うん、大丈夫だよ・・・たぶん。」  
悠二は吉田を気遣うように笑顔で弁当を受け取った。  
 
ちょうど弁当の包みを開けようとしたとき、屋上のドアがキィと開いた。  
ドアの向こうに立っていたのは、重箱で少し傾いてるヘカテーであった。  
重箱の重みに耐えて屋上まで上ってきたのであろう、ヘカテーの額には汗の玉が浮かんでいた。  
「あのーこちらに悠二さんがいらっしゃると聞いてやってきたんですが・・・」  
五人の瞳が一斉にヘカテーに向けられた。  
そして各々、違う感情をヘカテーに抱いた。  
悠二は「なんで僕のことを探してたんだろう?」と鈍感なことを思い、  
佐藤、田中は「なんだかおもしろそうなことになってきた」と無責任にもこの状況を楽しみ  
池は「あの重箱はなんだ?」と冷静に分析し  
吉田は「あう、『悠二さん』って下の名前で呼んでいる・・・あたしは『坂井くん』なのに」小さな嫉妬に胸を焦がした。  
そしてシャナは・・・・  
そんなことは露知らず、ヘカテーは悠二を見つけ、話しかけてきた。  
「あ、悠二さん。一緒にお食事などいかがですか?」  
「う・・・うん。」  
あんぐり開けた口をパクパクしながら、悠二はなんとか返事をした。  
途端、メロンパンを握りつぶす音が全員の耳に入った。  
音のしたほうからシャナとわかってはいるものの、誰一人振り向こうとしない。  
 
池はなんとかその場の雰囲気を和ませるために話題をヘカテーに振った。  
「ずいぶんとおおげさな弁当だけど、まさか一人で食べるの?」  
ヘカテーはよたよたと五人近づき、  
「いいえ。私は食が細いのでこんなに食べられません。みなさんに食べていただこうと思って。んしょ」  
そういうとヘカテーはドカッと重箱を五人の中央に下ろした。  
いそいそとヘカテーが重箱を開けるたびに、佐藤、田中の目が輝いていった。  
重箱の中には和洋中、様々な料理が取り揃えており、そのどれもがとても良い香りを放っていた。  
「すっげ!なんだこの豪華さは?!めちゃくちゃうまそう!!本当に食べちゃっていいの?」  
田中はいまにもかぶりつきそうな勢いでヘカテーに尋ねた。  
「はい、どうぞ遠慮なさらずに。お口に合えばよろしいのですが。」  
「マジで?!いただきまーーす。フムフム、ふまいよ、ほれ」  
田中はおおきなエビフライをつまみ、口に運んだ。  
「汚ねーな。口にモノを入れてしゃべるなよ、田中。では俺も  
・・・・フンフン。いけるよ、これ。」  
普段からいいものを食べている佐藤さえもその味にうなった。  
「喜んで頂いて私もうれしいです。」  
ヘカテーは田中、佐藤のその食いっぷりの良さに感心した。  
 
「わ、わたしも!」  
どんな味がするのか、新たなライバルの料理の腕を確かめようと吉田は料理に箸をつけた。  
(!? 本当に美味しい・・・私なんかのお弁当と比べると恥ずかしいくらい。)  
吉田は勘違いをしていた。実際に作ったのはドミノであってヘカテーではない。  
しかし、ちょっとした自信となっている料理の腕で、圧倒的に負けたという思い込みは  
吉田を落ち込ませるのには十分すぎるほどであった。吉田はがっくりとうなだれてしまった。  
「ほら悠二、お前も食べてみろよ。おいしいぞ。せっかく作ってもらったんだから。」  
池も料理にぱくつきながら悠二に料理を勧めた。  
続いて田中が  
「そーだぞ。こんなうまい料理を残したら罰が当たるぞ。」  
と後押しした。  
「じゃあ僕も。」  
悠二が箸を料理に伸ばそうとした瞬間、シャナが潰れたメロンパンをモフモフ食べながら  
キッと悠二を睨みつけた。「食べたら承知しないわよ。」と暗に語っているのが悠二にはありありとわかった。  
「あ、いや・・・えーと僕は今、口を怪我しているから料理は食べられないんだ。」  
悠二はヘカテーだけにしか通じない下手なウソをついた。  
「そう・・・ですか。とても残念ですけど、しかたありませんね。」  
あまり表情から感情が表れないヘカテーがひどく残念そうな顔をしたように  
悠二には見えた。  
悠二が罪悪感でいっぱいになり、どうしようかとうろたえていたときに、シャナが止めを刺した。  
「一美の料理は食べるっていったくせに。」  
シャナがボソッとそういった。  
(僕はどうすればいいんだろう?)  
悠二は結局なにも食べられずに、非常に気まずい昼休みをすごした。  
 
 
午後の授業が始まり、午前とは明らかに雰囲気が変わっていることに教室中の誰しもが  
肌で感じていた。異様に空気がぴりぴりし、教師でさえそれを感じていた。  
その原因はシャナにあった。昼休みが終わってからどうも様子がおかしい。  
目がすわっており、どんなことをシャナに話しかけても、生返事しかしない。  
シャナ以外のクラス全員がいらぬ緊張を強いられていた。  
ただ一人、その空気に気づきもしなかったヘカテーを除いては。  
最後の授業のチャイムが鳴り、それと同時に幾人からため息が漏れた。  
そして家に帰る支度をする者、部活動に励む者などにそれぞれ分かれたが、気持ちは共通して、早くこの空気から逃れたいと思っていた。  
悠二にとっても拷問のような学校の時間が終わり、家に帰るための準備をしているところだった。  
彼はシャナをメロンパン屋に連れて行き、ご機嫌をうかがおうと決めていた。  
なんとしても誤解を解かなければならないという変な気負いまで持っていた。  
悠二は気合を周りからわからないように入れ、帰り支度をしているシャナのもとへ  
歩みよった。  
「シャナ」  
「・・・・・・」  
悠二はシャナに向かって呼びかけたが返事をしない。  
「シャナってば・・・・今日、この後は暇なんだ。だから一緒にメロンパン屋に行こうよ。」  
ピクッとシャナが身じろぎしたのを悠二は見逃さなかった。  
 
実は悠二は池と遊ぶ約束をしており、暇などありはしない。  
池に侘びを入れ、シャナと放課後にメロンパン屋めぐりをすることが今、自分がなすべきことだ。そう悠二は思った。  
「3時に御崎大橋で待ってて。必ずいくから。」  
悠二はまず池に事情を説明し、約束を破らなければならないことを謝らなければならない。  
ただその場にシャナが居ては、火に油を注ぐ結果となってしまう。  
だから待ち合わせなどという面倒くさいことをわざわざしたのだ。  
シャナは悠二の言葉に対し、嬉しさを表に出さないようにわざと怒ったような口調で  
「わかったわ。遅れたらただじゃおかないわよ。」  
と言った。  
それを聞いた悠二は嬉しそうに  
「良かった。必ず間に合わせるよ。じゃあ」  
と、先に行った池を探しに教室から飛び出て行ってしまった。  
「あ、悠二・・・さっきは・・・ゴメン。」  
シャナは悠二の背中に小さい声をかけたが、その声は悠二に届くことは無かった。  
 
紅く染まった校舎裏、妙に不気味で切ない雰囲気を醸し出している。  
そこに小さな影と大きな影が二つ、シュドナイとヘカテーだ。  
「どうだ?昼休みはうまくいったか?」  
「失敗しました。悠二さんは食事を食べてくれませんでした。」  
シュドナイはヘカテーが落ち込んでいるのを新鮮な気持ちで見つめた。  
「気にするな。食事をとることが重要じゃない。一緒の時間を共有することが重要なんだ。」  
「ええ、でも・・・・」  
シュドナイからの初めての励ましもむなしく、ヘカテーは下を向いた。  
そこでシュドナイは妙なことに気が付いた。  
「お前、ミステスを『悠二さん』って呼んでいるのか?」  
「え?」  
言われてはじめて気が付いた。ヘカテーは悠二のことを『ミステス』ではなく  
『悠二さん』と呼ぶようになっていたのだ。  
シュドナイはそこで変な思いつきをした。  
「まさか惚れたのか?『悠二さん』に。」  
「違います!そんなことはありえません!」  
「ハハハ、照れるな、照れるな。あの御方には言いやしないさ。」  
「あの方にはなんら関係ありません。」  
ヘカテーは多少ムキになって言い返した。  
 
「そんなことより、人間界についてなにかわかったんですか?」  
ヘカテーは不快な会話を打ち切るために話題を無理やり捻じ曲げた。  
「クク、まあいい。ああ、色々調べたよ。なんでも転校生は異性と曲がり角で  
ぶつかると親密になれるらしい。この本に書いてあった。」  
そういうとシュドナイはポケットからある1冊の本を取り出した。  
「なんでしょうか?この本は。」  
その本は妙に古ぼけていて、ピンクを基調とした色で彩られていた。  
「少女マンガというものだ。人と親密になるためのマニュアルだ。」  
シュドナイは生真面目に説明した。  
「ところでなぜ曲がり角でぶつかると親密になるのですか?」  
ヘカテーは純粋にそう思った。  
「俺が知るか。人間とはそういう生き物だと納得するしかない。」  
シュドナイはヘカテーの質問を突き放した。  
まだ納得できないがとりあえずはそれで納得するしかなかった。  
「仕方ありませんね。それで『ミステス』の現在地は?」  
ヘカテーは悠二を名前で呼ばぬよう気をつけてしゃべった。  
「ミステスは御崎大橋に向かっている。その200m手前の曲がり角がベストポジションだ。景気よくぶつかれ。」  
「わかりました。ではさっそく・・・」  
 
「おっと待った。」  
進行方向を変えようとしたヘカテーをシュドナイは制止させた。  
「ぶつかるだけでは不十分だ。他にやることがある。」  
「それはどんなことをやればいいのでしょう。」  
シュドナイのほうにヘカテーは向きを変えなおした。  
「ぶつかるまでは問題ない。ぶつかった後が問題なんだ。」  
「ぶつかった・・後?」  
「そう、ぶつかった後だ。ぶつかったあと、すっころんだ拍子にパンツを相手にみせる。  
そして『見たわね!この変態!!』と叫ぶ。これで完了だ。実際は登校途中にやるもんだが、  
下校でも問題はないだろう。」  
「あ、あります!問題が大有りです!!」  
ヘカテーは珍しく声を張り上げた。  
「ん、そうかぁ?下校、登校はどっちもいき」  
「そこではなくてですね、ぱ、パン・・・下着をみせるという行為が問題です・・・」  
シュドナイの意見をヘカテーはより大きい声で遮るも、最後のところはよく聞き取れない小さな声になってしまった。  
普段から人には首より上と手しかみせず、肌の大半を覆っているヘカテーにとって  
スカートの短いセーラー服を着ていること自体、顔から火の出るような出来事なのである。  
実際、それを着て鏡の前に立ったときも恥ずかしさのあまり、体育座りをして当分動けなくなってしまったのだ。  
ましてや人に下着をみせるなど言語道断なのである。ヘカテー自身にもどうなってしまうか想像がつかない。  
 
「この作戦は中止させてください。」  
ヘカテーはきっぱりと断言した。  
シュドナイはそうくるだろうと半ば予想はしていた。そしてそれに対する対処法も。  
「ふふ、そうか。このことがあの御方に知れたらなんというかな?『恥ずかしいからやりたくありません。』ってな。」  
シュドナイは余裕を見せながら最後のカードをきった。  
しかし、この一言が功を奏した。  
「!」  
痛いところを突かれたとヘカテーは胸のうちでたじろいだ。  
シュドナイはその微妙な挙動をみのがさなかった。  
「では作戦は中止だ。今からでも遅くない、あの御方の元へいって」  
シュドナイは今が勝機とばかりにヘカテーの隙につけいった。  
「ま、待ってください。」  
シュドナイは笑いを噛み殺しながら、ヘカテーの言葉に耳を傾けた。  
「あの、どうしてもやらなければならないのですか?」  
しばらくして、ヘカテーはすがる思いでシュドナイに尋ねた。  
「いや、どうしてもってわけじゃない。ただ親密になれる確率はぐんと落ちるだろう。それでもいいか?」  
 
冷静に考えれば、今からでも正体を明かし、フレイムヘイズを打ち滅ぼし、悠二を奪取すればいいのだが  
普段と違う環境にいたせいもあり、ヘカテーは冷静さを欠いていた。  
シュドナイの完全勝利だった。  
しばらくの葛藤のあと、ヘカテーは歯を喰いしばり、  
「わかり・・ました。あの方のためです。」  
「それは良かった。あの御方もさぞ喜ぶだろうよ。」  
シュドナイはニヤニヤ笑いながら、このあと起こる出来事を妄想した。  
それを目ざとく見つけたヘカテーは  
「喜んでいるのはあなたのほうだと思いますが、私の勘違いでしょうか?」  
と皮肉を言った  
「ああ、そのとおり。俺は消えかけのトーチほども喜んじゃいないよ。」  
シュドナイは笑みを消し、その皮肉を軽く受け流した。  
「相変わらず、真実の欠片さえない言葉ですね。」  
「信じてくれないとは心が痛むぜ。ほら早くいかないと間に合わなくなるぞ。」  
せいぜいの反抗をするヘカテーにシュドナイは現地に向かうよう急かさせた。  
シュドナイに背を向け、走り出したヘカテーにシュドナイは最後の言葉を送った。  
「せいぜい仲良くな、『悠二さん』と」  
「しつこいですよ。」  
 
悠二は晴れやかな気分で御崎大橋を目指していた。学校での暗くどんよりとした気分が嘘のように晴れた。  
池に事情を話すと、快く約束の反古を受け入れてくれたからだ。  
「また傷が増えたらたまんないからな。」  
との一言にはさすがに悠二も苦笑いするしか出来なかったが。  
そしてなにより、シャナとふたりっきりで過ごせることを思うと、どうしても胸がはずんでしまう。  
シャナはメロンパンという餌に釣られたものの、本当に怒っていたら僕と約束なんかしない。そのことが嬉しかった。  
悠二は走った。  
悠二は腕時計を見る。時計の針は1時58分を示している。待ち合わせ時間は3時。  
十分すぎるほどの時間があり、走る必要はまったくない。  
しかし目的地へ走っていた。遠足前日の子供のように浮き足立ち、走らなければいけないような気がした。  
ただただ早くシャナに会いたかった。  
しかし、それが前方不注意を招き、御崎大橋への最後の曲がり角にさしかかったところで、  
ドンッという衝撃に襲われた。  
それはシャナくらいの背丈の人がぶつかってきたことによる衝撃だった。  
その体は悠二に対してあまりに小柄であったため、悠二はよろめくだけに留まったが  
ぶつかってきたその小さな身体は見事にはじき返された。  
悠二は一瞬、なにが起こったかわからず、パニックになったがすぐに正気を取り戻し、  
状況の把握にかかった。  
 
ぶつかってきたのは女の子で、よく見るとウチのクラスの転校生だった。  
転校生は結構な衝撃をくらったらしく、地面にぺたりと座り込んでほうけている。  
悠二は心配そうに顔を覗き込んだ。  
「あの・・・大丈夫?」  
転校生はハッと我に返って悠二を見つめ返した。  
「あ、ご、ゴメンね。急いでいたもんでつい・・・」  
悠二はすまなそうに手を差し出した。  
そうすると転校生は下を向き、なにかを耐えるようにブルブルと震えだした。  
両手でスカートの裾を固く握り締めてる。  
「ねぇ君!本当に大丈夫?!どこか痛いところない?!」  
悠二は大変な怪我をさせてしまったと思い、困惑した。もしかすると病院につれていかなければならないような怪我かもしれない。  
ところが転校生のとった行動は悠二の予想をはるかに超越したものだった。  
転校生は何かを決意するかのように一回、ウンと頷いて、震える腕でスカートをめくり上げた。  
その後、刹那の速さでスカートを抑えた。  
一瞬、悠二には白いモノが見えたものの、転校生はすぐスカートをおさえため、  
ほとんど何も見えなかったに等しかった。  
ヘカテーはストーブのように顔を真っ赤にして、シュドナイから教わったことばをなんとか思い出し、口に出した。  
「『み、見たわ・・・ね・・・・こ、このヘン・・・・・』」  
転校生は今にも泣きそうな声でボソボソといったが、最後のほうはなにを言ってるのか聞こえなかった。  
そして転校生はそのまま体育座りをし、顔を膝にうずめて小刻みに震えていた。  
悠二はこの転校生の突然の行動にただただ立ち尽くし、せっかく持ち直した正気がまた頭から抜け落ちてしまった。  
その後の聞き取り辛かったもののたぶん『見たわね、この変態』という言葉。  
確かに一瞬ではあるものパンツを見てしまったのだが、転校生がスカートをめくりあげたのだ。  
悠二は何が起こっているのかさっぱりわからなかった。  
 
しかし状況は悠二に呆ける暇さえ与えなかった。  
短いスカートで体育座りをしているため、パンツが丸見えなのだ。  
ここはそこまで広くない道路ながら、結構人の行き来が激しい。  
幸い、周りに人は一人もいなかったが、それも時間の問題。  
そのときこの転校生はどうなるかは考えただけで恐ろしい。  
悠二はなるべく転校生のパンツを見ないようにしながら  
「えーと、なんだかわからないけど、とりあえず移動しない?」  
それに対し転校生は膝に顔をうずめたまま、首を横に振る。  
「いや、そのね、状況が非常にまずいんだ。色々とね。」  
悠二は粘り強く話しけたが、同様の反応。  
仕方なく悠二はこのまま転校生を引きずる形で移動させることにした。  
「あのさ、ここにいるのはとても危険なんだ。だから君を引きずってでも移動させなきゃいけないんだけど、それでもいい?」  
よくわからない理由で悠二はひきずる説明した。それに対し、転校生はこくりと頷いた。  
もちろん顔を膝にうずめたままで。  
悠二はその反応を見て、「じゃあ、行くよ。」と転校生に声をかけ、  
後ろから転校生の両脇を持ち、本当にズルズルと近くの人気のない公園までひきずっていった。  
奇跡的にも人とはすれ違わなかった。  
 
悠二は公園のベンチの近くまで転校生を引きずり、自分はそのベンチに腰を下ろした。  
「ゴメンね。大丈夫?お尻、痛くなかった?」  
悠二はかなり女性に対し失礼な質問をしたが、今のヘカテーにそのことを感じる余裕も無く、ただ頷くのみ。  
(どうしよう・・・このままほっとくわけにもいかないしなぁ)  
悠二は腕時計を見た。時刻は2時9分。まだ時間はある。  
しばらく、転校生が立ち直るまでそばにいてやることにした。  
 
時刻は2時49分、そろそろ限界だった。最悪、間に合わないかもしれない。  
悠二は時計を見る回数の多くなる自分に気づいた。焦っている証拠だった。  
シャナへの遅刻の言い訳を考えているとふいに  
「ありがとうございます、だいぶ落ち着いてきました。」  
転校生はそう言うとようやく顔を上げた。  
「よかった。」  
それを言ったきり、二人の間にことばなくなり、沈黙が流れた。  
悠二は沈黙に耐えられず、恐る恐る転校生に尋ねた。  
「なんかあったの?多少、いやかなりおかしなこと君はしていたんだけど・・・」  
また顔をうずめてしまうかと悠二は危惧したが、その心配はなかった。  
「悠二さんとお友達になりたくて。それで須藤先生が少女マンガに書いてあるとおりの行為を実行したのですけど、なにかおかしかったですか?」  
(須藤先生、今日づけで赴任してきた副担任だ。あいつからはやな感じの雰囲気が出ていたけど、本当に嫌なやつだったとは・・・  
こんな純真な女の子にウソをついて何を考えてるんだ。)  
悠二はこの哀れな転校生に同情し、なおかつ副担任を心底、軽蔑した。  
 
「あ、少女マンガというのは人と親密になるためのマニュアルである、  
と須藤先生から聞きおよんでおりますけど、ご存知ありませんか?」  
とりあえず、悠二はこの少女に吹き込まれたウソを訂正することにした。  
「少女マンガはお話であって、マニュアルではないよ。」  
「そう・・・だったんですか。」  
そういうと転校生は首をもたげ、がっくりと落ち込んでしまった。目にはうっすら涙を浮かべている。  
そこで悠二の心は動いた。  
「僕で良ければ友達になろうよ。」  
本心だった。  
ガバッと首をあげ、転校生は少し、ほんの少しだけ笑顔になった。  
「本当ですか?こんな私でもお友達になってもらえるのですか?」  
その少女の笑顔は粉雪のように柔らかく、白く輝いていた。  
「うん。これからよろしく。」  
悠二はそういうと軽く会釈をした。  
「こちらこそふつつかものですがよろしくお願いいたします。」  
ヘカテーは最初に悠二にした風変わりな挨拶を改めてやった。  
そして二人は笑顔で見つめあった。  
 
その光景を遠くから見つめる小さな人影があった。  
「悠二の、バカ・・・」  
人影はそう言うと力なく二人に背を向けトボトボと歩き出した。目から一筋の涙が出ているのにも気づかずに。  
(悠二なんて大嫌い。悠二なんて・・・・  
悠二なんて、消えちゃえばいいんだ!!)  
誰に聞かれることも無く、シャナは心の中でそう叫んだ。  
 

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