オレンジに近い夕日と並走しながら、悠二は走っていた。  
ムワッとする空気が肌にまとわりつき、生暖かい汗が額を伝う。  
「急がなくっちゃ。」  
誰に聞かせるでもなく悠二はそうつぶやいた。  
少年は一人の少女と約束をしていた。  
少女は人とは異なる世界に生きるフレイムヘイズである。  
彼女は見た目はともすれば小学生と見違える容姿をしていても  
人とは比べ物にならない力を持ち、永遠の若さを持っている。  
それでも彼にとってはただの怒りっぽい少女だった。  
その少女と3時に御崎大橋で待ち合わせをしてメロンパン屋を巡るという、ささやかながらも大事な約束だった。  
悠二は息を切らせながらも胸を弾ませつつ、目的地である御崎大橋に向かっている。  
少女が照れながらも約束を了承したときは本当に嬉しかった。  
悠二は走る、その約束を守るために。  
 
悠二はヘカテーと公園で別れ、シャナが待っているであろう御崎大橋に急いで向かった。  
時刻はPM2:57分。  
転校生のヘカテーとの珍事で時間はくったものの、シャナとの待ち合わせの時間には間に合う。  
次第に御崎大橋が見えてきた。それと同時に動悸も激しくなってくる。  
「待ち合わせなんて、なんか恋人どうしみたいだな。シャナはそんなこと、想いもしないけど。」  
そう思いつつ悠二は一旦走るのをやめ、歩きながら呼吸を整えた。  
多少緊張しつつ、御崎大橋にたどり着く。期待を込めて悠二はシャナの姿を探した。  
ところがどこを見渡してもシャナの姿が見当たらない。  
腕時計を確認する。時計の針は3時ちょうどを指していた。  
「間に合ってる・・・はずだよな。」  
一人ポツンと橋の真ん中で立ち尽くす悠二。不審に想いながらも「ただシャナが遅刻しているだけだ。」と自分を納得させた。  
しょうがなく橋の手すりのところに座り、シャナを待つことにした。  
「まあ、こんなこともあるさ。」  
待つこと1時間、イライラしつつも悠二は根気よくシャナを待っていた。  
何度も周りを見渡し、シャナの姿を確認する。しかしその姿を見つけることは出来なかった。  
もうノドがカラカラだった。  
汗が体にまとわりつく。悠二は不快に思い、汗を持っていたハンカチでふき取った。  
さらに時が過ぎ、そろそろ太陽が沈む。少し暗い中、悠二は目を凝らして腕時計を見た。  
6時10分。悠二が御崎大橋にたどり着いてから約3時間経った。  
ここまで来ると怒りより不安が胸のうちに覆いつくす。  
「もしかしたらシャナになんかあったんじゃ・・・例えば、徒や紅世の王と出会っていて?」  
だんだんとその思いが確信に変わっていった。  
「きっとそうだ!またどこかでやつらが現れて、それをシャナが感知してそのまま  
やつらと戦っているんだ。くそ、なんで気づかなかったんだ!」  
悠二はそう吐き捨て走りだした。  
でも行き先がわからない。一瞬、足が止まりそうになる。  
萎えそうな気力を無理やり奮い起こし、こう決心した。  
それなら思いつく限り行ってみるしかない、と。  
「とりあえず・・・学校だ!」  
 
夕闇迫る御崎高校。  
すっかり日も落ち、普段はにぎやかで明るいイメージのある学校もガラリと姿を変え、  
不気味な雰囲気を醸し出していた。  
その中でもさらに陰気くさい雰囲気を放っている校舎裏にて、ほとんど闇に溶け込んでいるひとつの影があった。  
影はこの闇の中でもサングラスをかけ、鼻歌まじりに校舎の壁に背を預けている。  
ふと何者かが近づく気配を感じ取り、気配のあるほうに顔を向ける。  
「よう、うまくいったかい?お姫様。」  
声を投げかけたほうから小さな少女が出てきた。ヘカテーだ。彼女はその影に冷徹な目を向けながら歩み寄る。  
影は微笑を浮かべると手のひらから青紫の炎をポゥと出し、あたりを淡い光で包む。  
その光に照らされて影と少女の姿が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がった。  
影ことシュドナイが光を放ったところでヘカテーは歩みをとめる。二人の距離は5mほど離れていた。  
ヘカテーの全身像はやや暗くあるものの、シュドナイからはちゃんと視認できる。  
かわってシュドナイのほうはそのダークスーツの黒さのためか、顔だけが闇に浮き上がっているようでかなり不気味だ。  
シュドナイはヘカテーににじり寄りつつ、歌うように言葉を投げかける。  
「これでお前さんの麗しい姿を見ることが出来た。」  
舐めるようにヘカテーの体を一瞥するもヘカテーは微動だにしない。  
普段の彼女なら何かしらのリアクションがあるはずだが、なにか様子が違う。  
シュドナイはヘカテーに揺さぶりをかけるつもりで言葉をつなぐ。  
「この暗闇と校舎裏、そして仮とはいえ生徒と教師。なにか淫らなものを感じないか、ん?」  
ヘカテーはこれらの質問をまるで聞いていないかのように、無表情を顔にはりつけたまま沈黙。  
 
さらにシュドナイはヘカテーに接近し、ついにはヘカテーの視界がシュドナイの体で覆いつくされてしまった。  
シュドナイは内ポケットから一冊のメモ帳を取り出した。  
「これが次の行動予定を記したものだ。」  
メモ帳をヘカテーに差し出す。  
しかしそれでもヘカテーは極寒の吹雪を思わせるような冷たい目をしたまま、沈黙を続ける。  
シュドナイは幾分訝しがりつつも、ニタニタといやらしい笑みを絶やさない。  
やれやれといった感じで首をふりつつ、メモ帳をしまい、ヘカテーに手を伸ばす。  
シュドナイの指がヘカテーの髪に触れる。  
「・・・ふふ。綺麗な髪だ。汚れ無き、極上の宝石・・・いつか汚してみたいもんだなぁ」  
シュドナイはその淡雪のような髪を指で撫でたあと、しばらくヘカテーの髪をいじり、指にからませる。  
ヘカテーはこの許しがたき暴挙にも無表情を崩さない。  
シュドナイはヘカテーの髪から手を退け、前かがみになり、自分の顔をヘカテーの顔に近づける。  
「どこまでおすましを続けるのかな?」  
シュドナイの目がピンク色の小さな唇をとらえる。  
シュドナイは舌なめずりをし、ヘカテーの顔へさらに接近した。  
いまにも唇と唇が触れ合おうとした瞬間、シュドナイの下半身に青白い炎が走る。  
「っ!!!」  
青白い炎はじわじわと勢いを増し、いよいよシュドナイの全身を包み込もうとする。  
このままではマズイと判断したシュドナイはすぐにヘカテーから飛びのき、  
己の焼かれていく下半身を「トカゲの尻尾切り」のように躊躇無く切り捨てる。  
上半身だけになったシュドナイは、切り捨てられた下半身が炎に包まれていく様を苦々しげに見つめる。  
(油断してたとはいえ、やはりこの王の力は、強い!)  
炎は踊るように力強く燃え、シュドナイの下半身を消し去ってしまった。  
 
シュドナイはうまく腕の力だけでヘカテーのほうに向き直る。  
「ハァッ ハァッ・・・熱いヴェーゼだな。ヤケドしたぜ。」  
ここに来てはじめてヘカテーが口を開く。  
「下劣なあなたにはその姿がお似合いですね。」  
ヘカテーは上半身だけで這いつくばるシュドナイを冷ややかに見下ろす。  
「なんという口の汚さだ。そんなおてんばでは憧れの『悠二さん』に嫌われてしまうぞ。  
公園で笑いあった仲も破局を迎える。」  
冷や汗まじりにも微笑しながらシュドナイは軽口をたたく。  
「やはり覗いていましたね。」  
顔をしかめつつヘカテーは嫌悪感をあらわにした。  
「フフ、かわいかったぜ。あのあられもない姿は。俺の助言も役に立っただろう?」  
シュドナイの言う助言とは名ばかりで、いつもすましたヘカテーに対するシュドナイのちょっとしたイタズラである。  
それも単なる古い少女マンガから抜粋した出来の悪い嘘なのだが、純粋なヘカテーはまんまと騙されてしまった。  
「よくもあのような辱めを。私を侮辱することはあの方を侮辱するも同義。  
その泥のような目、その毒のような口、私の炎で浄化してあげましょう。」  
その瞳に怒りの感情を宿し、汚物を見るような目でシュドナイを居竦む。  
とどめを刺そうとヘカテーに存在の力が注ぎ込まれる。  
シュドナイから微笑が消え、焦りがその表情に現れた。  
「待て!こんなところで『力』を使ってはフレイムヘイズたちに感づかれるぞ。」  
しかしヘカテーは冷徹に言い返す。  
「その点は大丈夫です。『力』はよっぽどの自在師でないと感じられないくらいに抑えますし  
第一、これから消えるあなたには心配は無用です。」  
ヘカテーは本気だ、そう感じ取ったシュドナイに嫌な汗が背中を伝う。  
なにか手はないか?なにか?!  
シュドナイは必死に生きるための策を考える。しかし考えるための時間がもう残されてはいなかった。  
 
「さようなら。千変のシュドナイ。良い夢を。」  
ダメか、と観念したとき、ひとつの弱々しい存在の力がこっちに向かっていることをシュドナイは感知した。  
(これは・・・以前に感じたことがある。忘れはしない。以前に俺をコケにしてくれたヤツのものだ。)  
その存在の力が誰なのか、シュドナイにははっきりと認知し、そしてこの状況を抜け出す『切り札』となることを瞬時に理解した。  
思わずシュドナイに笑みがこぼれる。ヘカテーの頭に疑問符が浮かぶも無視することにした。  
「ふふ、お前にヤラれるなら本望だ。だがその前に・・・後ろに気をつけろ。」  
下手なウソだとヘカテーは思った。しかしシュドナイの言うとおり、後ろから誰かが近づいてくることは感じた。  
罠の類かとも考えたが、もしなにかシュドナイが行動を起こそうとしたとしても  
彼が指一本動かす前に葬り去れる自信があった。  
そして例えこれが罠でも何でも正体を見極める必要がある。  
シュドナイに注意を向けたまま、ヘカテーはゆっくり後ろを振り向いた。  
遠くのほうで、小さな影が何か叫びながらこちらに近づいてくるのがわかる。  
ヘカテーは嫌な予感がした。そしてそれは確信へと変わっていく。  
聞いたことある声、姿。それもそのはず、さっきまで一緒にいた人のものだから。  
「・・・悠二さん・・・・・・どうして?」  
小さな声でヘカテーがつぶやいたのをシュドナイは聞き洩らさなかった。そして同時にこちらへの注意がそれたことも。  
 
悠二は学校に到着すると、存在の力をわずかばかりに校舎の裏のほうからから感じ取った。  
(学校にシャナは居たんだ。そして奴等と遭遇してしまった。)  
悠二は心のうちで感謝した。こんなにも早くシャナらしき存在の力を探知できた己の幸運に。  
(こんなに早くシャナと会えるなんとは思っていなかった。)  
しかしこのとき悠二が感じた存在の力は、ヘカテーがシュドナイの半身を奪ったときに使用した存在の力であった。  
だが悠二はそのことを「シャナが紅世の徒たちと闘っているときに使った力」と勘違いしてしまった。  
そんなことは露知らず、悠二は校舎裏へ直行した。  
いざ校舎裏に行って見ると二つの人影がそこにあった。そして確信した。シャナはいる、と。  
「シャナ!!そこにいるのか?!」  
悠二は薄ボンヤリとした明かりの中にふたつの人影に近づきながら、そう叫んだ。  
近づくにつれ、だんだんと人影がくっきり見えるようになり、その一つが小さな少女の影であることが判明した。  
その少女が振り向いた。どうやらこっちに気付いたらしい。  
「シャナ!!」  
もう一回、叫んだ。しかし返事はなかった。悠二は訝しがりながらも、さらに近づいてみる。  
するとどうも違う。シャナの姿とは微妙に異なる。目をよぉーく凝らすと、  
シャナと同じような身長、氷の水晶を思わせる輝いた顔立ち、そしてスカートの短いセーラー服。  
近づくにつれ、さっき別れた転校生であることがわかってきた。  
「エッ?!シャナじゃ・・・ない?」  
いっきに気力が萎え、足も鈍り、ヘカテーの2m手前でついに足を止めてしまった。  
 
「あの、君、ヘカテーさん・・・だよね?」  
「は、はい。」  
ヘカテーは内心では慌てふためきつつも、なんとか悠二の質問に答えた。  
「変だなぁ、確かに存在の力を感じたのに。」  
悠二は首をかしげ、ボソッとつぶやく。  
「存在の・・・力?」  
完全にシュドナイへの注意は霧散してしまった。  
「え、いやなんでもないよ。はは・・・」  
曖昧に笑って悠二はゴマかしたつもりだったが、ヘカテーはその耳ではっきりと聞いた。  
(どうして?練達の自在師でも感じ取ることは困難なはずなのに。零時迷子にはなにか特別な能力があるとでもいうの?)  
ヘカテーはなんとか平静を保つため、顔を引き締めようと努めた。  
そんなヘカテーの気持ちも露知らず  
「じゃあ隣にいるのは?」  
と言いつつ、悠二はゆっくりもう一つの人影に顔を向けた。  
そこにはいつの間にか下半身を再生させ、元どおりの姿でシュドナイが悠然と立っていた。  
そのことにヘカテーはようやく気付き、殺意をシュドナイに向けた。  
(失念しました。あの無礼者への注意を怠るなんて。すぐに処分を。でも・・・)  
悠二をちらと盗み見て存在の力を抑える。ヘカテーは迷っていた。  
確かにシュドナイを葬り去ることをヘカテーは容易に実行できる。ここでシュドナイなんかにかまけていると悠二を取り逃がす。シュドナイの力が絶好調時に比べ、  
今ははるかに劣るといっても紅世の王の一人には違いない。多少手間取ってしまう。  
今はフレイムヘイズもいない。悠二を捕らえる絶好のチャンスなのだ。  
しかし最大の屈辱を与えたシュドナイを許す気はない。  
ヘカテーが考えあぐねている間にも事態は進行しつつあった。  
 
突然、悠二のポケットから携帯電話の着信音が鳴った。  
「あ、田中?もう大丈夫。勘違いだった。うん、シャナじゃない。」  
悠二はポケットから携帯電話を取り出し、電話の向こうにいる田中に話しかけた。  
悠二がなんの準備もなしに、闘いの場にいくほど愚かではなかった。  
自分にはまだ闘う力はないと理解しており、事前に携帯電話で佐藤・田中に連絡を取っていた。  
この二人を通じてマージョリー・ドーが支援してくれるかもしれない、との考えからだ。  
 
これら悠二の一連の動作をシュドナイは冷静に分析し、この状況を乗り切る算段を考えていた。  
(どうやらミステスはあの手に持っている道具で仲間と連絡をとっているらしい。ならば!)  
まだ迷っているヘカテーにシュドナイはささやきかける。  
「ヤツは『ケータイ』という人間の宝具でフレイムヘイズに連絡を取っているようだな。  
もしここでヤツを連れ去ったらフレイムヘイズは異変に気付き、すぐにかけつけてくるぞ。」  
ヘカテーは歯噛みした。確かにそのとおりだと納得してしまった自分が情けなくなった。  
「今は俺を消すことよりもこの状況をなんとかするほうが先決ではないか?  
どうする?オレをここで消すと戦力半減。無難とは言えないぞ。  
ここは俺の言うとおりにしろ。」  
選択肢は完全に一つに絞られた。よりにもよって憎むべき男の助言によって。  
だが今はこの男に任せたほうが無難だ。  
ヘカテーは少し肩を落としつつ、了解という合図のためコクリと小さく頷いた。  
 
ヘカテーは無礼ながらも今は頼れるシュドナイに任せることにした。  
密約が二人の間で交わされた頃、悠二は安全であると田中に伝え、通話をきり  
そしてヘカテーに向き直った。  
「ところでこんなところでなにしてるの?」  
「!! あ、あのそれは・・えーと・・・」  
悠二は何気ない疑問を口にしただけなのだが、ヘカテーはあたふたとしどろもどろになりながら黙ってしまった。  
どうも妙だった。質問に対して答えることが出来ないのは、なにかがある証拠である。  
「言えないことなの?」  
この質問に対してもヘカテーはうつむいたまま口を閉ざしてしまった。  
黙りこくるヘカテーの様子をみて、悠二は閃いた。夜、校舎裏、そして女生徒と教師。  
(まさか・・・)  
悠二はなにか倫理とはかけ離れた出来事が、この現場で行われそうだと理解した。  
そしてその原因はどうやら横のどうも好きになれない男にあるらしいことも。  
「須藤先生、あなたはなにをしてるんですか?」  
やや怒りのこもった口調で悠二はシュドナイを睨みつけた。  
「しかもこんな暗いところで生徒と二人っきりで。」  
ほとんど詰問口調に近い言い方だった。  
悠二の精一杯の鋭い視線をシュドナイは軽く受け流し、おもむろに口を開いた。  
 
「なぁに。気の弱い彼女を夜の学校に連れ出し、イロイロしようとしていたところに君が邪魔しに現れた。そんなところだ。」  
あまりの即直な物言いに悠二はあっけに取られてしまった。  
「まったく残念だ。もう少し遅れてくれば良かったのに。あ、そうだ。  
君もこの悪戯に参加しないか?とてもステキな体験ができることを俺が保障する。」  
まるでランチにでも誘うかのように、明るい口調でシュドナイは悠二を誘った。  
悠二は真っ白になった頭を無理やり覚醒させ、言葉の意味することをゆっくり飲み込んでいった。  
ふとヘカテーに目を向ける。なにも答えずヘカテーはうつむいたままだった。  
頭がどんどん熱くなるのがわかる。心底頭にきた。シュドナイを睨む。そしてこの男と未来永劫わかりあえる日が来ないことを確信した。  
「あなたは・・・最低ですね。」  
「クク、よくいわれる。前の学校でも女生徒に手を出し、追い出されるときの別れの言葉がそれだ。」  
しばしの静寂。  
最初に口を開いたのはシュドナイだった。  
「ふー、興ざめしてしまったよ。君は男だろ?彼女を送っていけ。夜は危険だからな。」  
「あなたが一番危険だと思いますが?」  
「フッ、確かに。」  
悠二はヘカテーの方を向き、帰り道を共にすることの同意を求めた。  
ヘカテーは小さく「ハイ」と返事をし、シュドナイにさりげなく近づき、お辞儀をして  
悠二と校門へと向かって行った。  
そのとき、シュドナイは先ほど渡しそびれたメモ帳をヘカテーに渡していた。  
 
 
電灯がチカチカと照らす暗い道で、悠二は憂鬱な気分になっていた。原因は隣で歩いている少女。  
はっきり言うとヘカテーとの会話に詰まっていた。  
何を尋ねても地雷を踏んでしまいそうで、話がなかなか切り出せない。  
あの教師とはどんな関係なのか?あんな時間になにをしていたのか?どうして学校にいたのか?  
聞きたいことは全て彼女を傷つけるであろう質問しか浮かばない。  
(まいったな・・・シャナを探さないといけないのに。)  
妙な事件に巻き込まれて忘れていたが、悠二はシャナを探している途中だった。  
しかしこのなんとも危なっかしい少女を彼女の家まで送る任務を放棄するわけにもいかない。  
悠二はとりあえず無難な質問をしてみた。  
「ヘカテーさんの家ってどのあたりなの?」  
「・・・・」  
「もしかしてウチの近所?帰り道が同じみたいだけど」  
「・・・・」  
その後もいくつか「好きな食べ物はなに?」などのどうでもいい質問を繰り返すが、  
ヘカテーは少しうつむき加減で口をつむいだままであった。  
(僕ってまるっきりマヌケにみえるなぁ。これじゃあただの独り言だよ。)  
悠二は盛大に心の中でため息をつく。そして新たな会話の糸口を考えあぐねていると  
悠二の携帯電話が鳴った。着信元は悠二の家、坂井千草からだった。  
ヘカテーに断りをいれてから(これにもヘカテーは無反応だったが)悠二は電話をとった。  
「もしもし?」  
『もしもし悠ちゃん?こんな夜遅くに今どこにいるの?』  
「ん、えーと・・・」  
まさか女の子と一緒に夜道を歩いてます、なんて言えるはずも無く、ただただ返事に詰まってしまった。  
千草ママンはそんな悠二の様子を電話ごしで察し、それ以上深くは追求しなかった。  
『シャナちゃんはとっくに帰っているのよ。あなたも早く帰ってきなさい。』  
「え!シャナが?!」  
『そうよ。なにか思いつめていたみたいだけど。もしかして悠ちゃん、またケンカでもしたんでしょう?』  
「いや、ケンカというか、なんというか・・・」  
「もう、しょうがないわね。夕食用意しているから早く帰ってきなさい。」  
「うん、わかった。」  
 
それから2,3言言葉を交わし、千草ママンとの電話を切った。  
(シャナが家に帰っている・・・約束をすっぽかして?)  
悠二は困惑した。確かにメロンパン屋巡りの約束をしたはずだ。間違いない。  
メロンパン屋巡りする約束をしたときのシャナは本当に嬉しいそうだった。  
つまり自分から約束を破ることはありえないはずだった。待ち合わせ場所を間違えた可能性もまずない。  
(これはシャナ本人に聞いてみるしかないか。)  
悠二に怒りの感情が芽生え始める。不安に思いでシャナをずっと待っていた。  
それなのに待ち合わせ場所に来ないばかりか、連絡一つもよこさない。  
正当な理由がないとこの怒りを抑える自信がなかった。  
悠二は憤怒を必死で噴出させないように努力する。  
そこに突然、ヘカテーが足を止めた。それに数秒遅れて気づき、慌ててヘカテーのほうに振り返る。  
そして多少戸惑っている悠二にヘカテーが意外な一言を発した。  
「悠二さん。不躾かと思いますが、今夜、悠二さんのお宅にお邪魔してもよろしいですか?」  
「はぁ?」  
突然の不意打ちにアゴが落ちる思いをした。  
(この子がウチにくる?僕のウチに?)  
ヘカテーの言葉をかみ締める。なんとか頭を整理させようとしているところに、ヘカテーがさらに急襲をかける。  
「私、一人暮らしをしているんです。一人の食卓というのもわびしいものでして。  
それでよろしければ夕食もお作りします。あと先ほどのお礼もしたいですし。お願いします。」  
そういうとヘカテーはぺこりと頭を下げた。  
深々と頭を下げ続けているヘカテーに悠二はなにか答えなければならないという衝動に駆られた。  
 
「う、うん。べつにかまわないけど・・・・あっ」  
あまりの突然の申し出に悠二は簡単にOKしてしまった。  
(しまった!つい・・・どうしよう。母さんの了解もないし、なによりウチにはシャナがいるじゃないか。)  
前言を撤回しようと口を開きかけた悠二に  
「あ・・・ありがとうございます、悠二さん。」  
と、ヘカテーはペコペコとお辞儀を繰り返し、謀らずも悠二の断りの言葉を封じてしまった。  
(まいったなぁ)  
悠二は自分の気の弱さを呪った。ヘカテーを家に連れて行けば確実にひと悶着起こることは明白だった。  
そしてその問題で一番の被害に遭うのは自分であることも確かな予感としてあった。  
「あ、あぁ。喜んでもらえて嬉しいよ。でもあまり期待しないでね。家族の許しを得なくちゃ」  
「はい!本当にありがとうございますっ」  
悠二は笑顔を引きつらせながら、まだお辞儀を止めないヘカテーをみる。  
顔にはほとんど表さないものの、その瞳に歓喜の感情がにじみ出ているのがわかった。  
(本当に嬉しいんだな。)  
その瞳を見ているうちに、自分の選択もそんなに悪くない気がしてきた。  
悠二とヘカテーは道中、相変わらず黙ったままであったが、少なくとも悠二の気分は晴れていた。  
 
ヘカテーは自分でも不思議なくらい喜んでいた。  
悠二の家にいけることに。それを悠二が許してくれたことに。  
実は悠二の家にいくという案はヘカテー発ではない。シュドナイの案である。正確にはシュドナイから渡されたメモ帳に書かれていた。  
メモ帳には様々な悠二と仲良くなるための作戦が記されている。その中に最重要項目としてあったのが『ミステス(悠二)の家に訪問』である。  
悠二の家に行くための理由として「一人暮らしうんぬんかんぬん」は、もちろんシュドナイが考えた嘘だ。  
メモ帳の中身はシュドナイが少女マンガなどから抜粋した、明らかに間違っている内容で埋め尽くされていた。  
しかしこの作戦はその中でも割とマシなものであった。  
ヘカテーはこれに的を絞り、作戦内容を頭に叩き込んだ。  
最初、ヘカテーはこのメモ帳をみることを躊躇っていた。一度、シュドナイの嘘を信じて、恥をかいたからだ。  
しかし結果的にヘカテーは悠二に接近できた。シュドナイのことを多少認めなければならない。  
それにヘカテーにはこれからどうしていいか、まるで見当がつかない。  
しかたなくシュドナイのメモ帳に頼るほかないのだ。ヘカテーは悠二の隙を見てはメモ帳を一読していた。  
ヘカテーは意を決してこの作戦を実行した。そして成功した。  
(なんでこんなに嬉しいのでしょう?)  
暗い夜道でヘカテーは思い悩む。  
作戦がうまくいった喜びより、不思議な喜びが胸のうちより湧き上がってくるのがわかる。  
しかし不快ではなかった。  
(この気持ちはなに?とても温かい。胸がポカポカする。)  
ヘカテーは解決できない気持ちを抱いたまま、悠二の家へと歩を進めた。  
 
「お帰りなさい。あらぁかわいいお客様ね。」  
玄関で二人を出迎えた千草ママンの第一声がこれだった。  
家に到着する前、千草ママンに電話をして「友達が来る」という旨を伝えた。  
ただどんな子が来るかは伝えずじまいだった。  
「うん。ただいま。この子は今日学校に転校してきたヘカテーさん。」  
悠二がヘカテーを紹介すると、ヘカテーは遠慮がちに前に歩み出る。  
「お邪魔します。突然の訪問、申し訳ありません。ヘカテーと申します。」  
「あらあら、御丁寧にどうも。ウチの悠二がお世話になっております。  
さあ狭い我が家ですが、どうぞくつろいでくださいな。」  
悠二は妙な気恥ずかしさを感じながら、ヘカテーを中に招き入れる。  
ヘカテーは脱いだ靴をきちんと揃え、千草ママンに小さく礼をして悠二の後を追った。  
千草ママンはトテトテと悠二についていくヘカテーを眺めて、  
(なるほど。それでシャナちゃんはあんなに落ち込んでいたのね。あの子はヤキモチの種ってとこかしら。)  
と、ひとり得心していた。  
 
悠二が居間に入ると味噌汁といいにおいがした。テーブルを見ると4人分の食事が用意されている。  
どうやら千草ママンが気をきかせてヘカテーの分まで作ってくれたらしい。  
悠二が席をすすめると、ヘカテーは言われたとおりに椅子に座った。  
悠二も椅子に座ろうとするが、いるはずの人物がいないことが気になった。  
(シャナがいないぞ。帰ってきてるなら食卓についていてもいいはずなのに。待ち合わせに来なかったこととなにか関係あるのかな?)  
悠二はいつものシャナとは様子が違うことを察知し、一抹の不安を覚えた。  
その悠二の様子を不思議に思いつつも、ヘカテーはどうしても確認しておきたかったことを尋ねるため、口を開いた。  
「あの悠二さん。」  
「ん?なんだい?」  
「見てもらいたいものがあるんです。」  
ひとまずシャナのことは頭の隅においといて、悠二はヘカテーの言葉に耳を傾けることにした。  
「これなんですけど」  
おずおずといった様子でヘカテーは一冊のメモ帳をテーブルの上に置いた。  
「これは?」  
「私、おともだちが今までいなかったから、おともだちになるっていう行為がよくわからないんです。  
それでこのメモ帳に『オトモダチの作り方』が記載されているので、参考にしていたんですけど、  
どうも中身が変なんです。ここは人間の世界に詳しい悠二さんに間違った箇所を添削してもらおうと思って。」  
「別にかまわないけど。(人間の世界ってオーバーだな・・・)」  
 
悠二はゆっくりとページをめくる。  
そこには理解不能な世界が広がっていた。  
『着替え途中でバッタリ!責任・・・とってくださいね』大作戦や  
『熱射病でばったり・お姫様だっこ作戦』など、なんとも筆舌しがたい項目が大量に羅列してあった。  
「なんだこれ?!」  
悠二は思わず声を出してしまった。  
そんな悠二をキョトンとした表情で眺めるヘカテー。  
「どうかなさったのですか?」  
悠二は質問に答えず、落ち着くために大きく深呼吸をした。  
改めてメモ帳を見てみる。  
メモ帳は奇妙な作戦の数々で全ページ埋め尽くされている。  
コレを作成した人物の異常な情熱が集約されていることが伝わってきた。  
ドロドロとした負の怨念がメモ帳から発せられているのをビシバシ感じる。  
「コレを君に渡したのは?」  
「須藤先生です。」  
「やっぱりか。あの男は何考えてるんだ!!」  
ヘカテーは悠二にパンツを見せただけでも1時間近くも恥ずかしさのあまり動けなくなってしまった。  
その純情な少女にこのような変態行為を強要させようなんて、いたずらの域をとうに越えている。ともすれば軽犯罪法に引っかかるのではないか。  
「ヘカテーさん。僕の言うことをよく聞いて。」  
「はい?」  
「これは須藤先生の真っ赤な嘘だ。完全なフィクション、それもタチの悪い。ここに書かれていることをする『トモダチ』は、この世界にいないよ。たぶん。」  
「・・・・うすうす感づいていました。」  
悠二はメモ帳の中の項目に『ケンカした彼女の機嫌を直す15の方法』に目を通す。  
そのうちのひとつに  
C【やさしく彼女を抱きしめ、「僕を信じて」とつぶやきましょう】  
と書かれてあった。  
(鳥肌が立つほどクサイなぁ。第一、これは男のすることだろう)  
悠二はページを閉じ、禍々しいシュドナイのメモ帳を見てつぶやく。  
「これは・・・焼き捨てたほうがいいかもね。」  
「ええ、それが賢明だと思います。」  
シュドナイの野望はここに散った。  
 
ちょうどそこに悠二とヘカテーのために淹れたお茶をお盆にのせて、千草ママンが居間に入ってきた。  
悠二は一旦メモ帳をポケットに突っ込み、湯飲みを受け取った。  
そして先ほどから気にかけている人物のことを千草ママンに問いかける。  
「母さん、シャナは?」  
なぜ約束を破ったのか?その理由は?なぜ一言断りを入れてくれなかったのか?シャナには聞きたいことはたくさんある。  
ひとつひとつ聞きたいことを頭に思い浮かべているうちに、怒りがぶり返してきた。  
「シャナちゃんなら帰ってきてから2階の部屋に閉じこもったままなのよ。  
いくら呼びかけても返事してくれないの。」  
心配そうな顔をして2階を見つめる千草ママン。悠二はそんな千草ママンの様子を見つめる。  
「なんで?なにかあったのかなぁ」  
「悠ちゃん、本当にわからないの?」  
「うん。わからない。」  
やや呆れた様子で千草ママンは悠二に非難の目を向ける。息子が相も変わらず乙女心に関して鈍感なのを再確認したようだ。  
「悠ちゃん、シャナちゃんを呼んできなさい。」  
「え、でも・・・」  
「いいからいってきなさい。」  
有無を言わせぬ調子で悠二を一喝する。悠二はコクコクと頷き、2階のシャナのいる部屋へと急いだ。  
ヘカテーは切ない気持ちになりながら、悠二を見送るしかなかった。  
 
悠二がシャナに閉じこもっている部屋のドアの前に立つ。ドアノブに手をかけるもカギがかかってるらしく、ドアノブが回らない。  
仕方なくシャナに呼びかけてみる。  
「シャナ、ご飯が出来てるよ。」  
トントンとドアをノックするも、返事どころか物音ひとつしない。  
もう一度、呼びかけてみる。  
「いいかげんでてきなよ。」  
またしても返事はなかった。その後、何度も呼びかけるも反応は同じ。  
だんだん焦れてきた悠二は少し強めにノックする。  
「まったくなんなんだよ。僕を困らせて楽しい?待ち合わせにはこないしさ。」  
すると突然、ドアがバタンと開く。  
その音にビックリした悠二は身をすくめる。  
そしてゆっくりと開いたドアの先を見つめる。シャナが立っていた。  
なぜか顔を見せないよう髪で隠して。  
「なんだ。居るんなら返事してくれたらよかったのに。ほら、行こう。母さんが待ってるよ」  
悠二はホッとしてシャナを夕食に誘う。  
しかしシャナは黙ったまま、そこを動こうとしない。  
「どうしたの?シャナ。いこうよ。」  
悠二はシャナの手をとろうとシャナに手を伸ばす。  
「・・・なによ。」  
風のささやきよりも小さな声でシャナがポツリとつぶやく。  
「えっ」  
思わずシャナのほうに伸ばしていた手がぴたりと止まる。  
 
「悠二はわかってないよ!私の気持ちなんか少しも考えてない!すぐに他の女の子にデレデレしちゃって!」  
叫んだ拍子に髪が乱れ、顔があらわになる。  
泣いていた。その端麗な顔に涙の筋がくっきりついていた。  
悠二の胸が締め付けられる。悠二はなんと声かけていいかわからずに呆然とするしかなかった。  
なおもシャナは叫び続けた。  
「見てたんだから!悠二が、あの転校生と、仲良くしてるところ!」  
ウッと悠二は息が詰まる。シャナは急に声のトーンを下げて、涙声でなんとか言葉を吐き出す。  
「悠二が、他の女の子といると、胸が苦しくなって、どっか、私を置いて遠いところに  
行っちゃう気がして。悠二が居なくなったら、私・・・そんなのヤダぁ・・・」  
はあはあと肩で息をし、両手で顔をおさえすすり泣いた。  
肩を震わせて泣くその姿は、戦っているときのシャナからは想像できない弱々しいものだった。  
あまりに普段と違うその姿は本当に同一人物か、と疑いたくなるほどだ。  
いつもは凛としていて力強いフレイムヘイズはただの女の子に戻っていた。  
その姿が悠二の目にはとても愛おしいものに写った。  
(シャナは大人びているけど、それは虚勢を張っていただけなんだ。僕はそのことに気付いていたはずなのに、見てみぬふりをしていたんだ。自分の劣等感を誤魔化すために。)  
 
「僕は・・・バカだ。」  
自分に言い聞かせるようにつぶやく。  
「僕はここにいる。どこにもいかないよ。」  
涙で顔をクシャクシャにしながら、悠二の言葉をかみ締める。  
「悠二ぃ・・・」  
涙が止め処もなく溢れていく。  
そんなシャナを見て、悠二の頭にあのメモ帳のある項目が思い浮かぶ。  
(やさしく彼女を抱きしめ・・・)  
震える小さな彼女を両腕で包み込み、ゆっくり自分のほうに引き寄せる。  
(そしてささやく)  
「シャナ、僕を信じてよ。」  
「・・・・」  
「そりゃまだまだ頼りないけどさ。でもいつかは強くなる。僕を信じて。これからも、いつまでも。」  
「・・・・うん」  
悠二の胸にうずめていた顔を上げ、シャナは悠二をみつめる。  
悠二は笑顔をシャナに向ける。それにつられてシャナも恥ずかしそうにニッコリ微笑んだ。  
「さ、ご飯食べに行こう。母さんも待っている。」  
「・・・・うん」  
「明日はメロンパン屋巡りしようね。」  
「・・・・うん」  
照れながらもシャナは悠二に手を差し出す。  
悠二は少し驚きつつも、すぐに笑顔になり手を握り返す。  
(あのメモ帳に感謝しなきゃ)  
二人は手をつないで階段を下りていった。  
 
一方、居間では千草ママンとヘカテーは先に食事を取っていた。  
最初は緊張していたヘカテーも千草ママンの優しい語りかけに、緊張もほぐれ心を開きかけていた。  
ヘカテーがお茶をフーフー冷ましていたとき、階段から足音が聞こえた。  
「あらあら。ようやく下りてきたみたい。」  
千草ママンは階段のほうに目をやると、同じようにヘカテーも階段を見る。  
二人はお互いに顔をそむけ、照れくさそうに手をつないだまま下りてきた。  
その二人の姿を見て、ヘカテーは胸がキュッとなるのを感じた。  
見えない絆で二人がしっかりとつながれているのがわかる。  
あの鋼鉄よりも硬い絆を断ち切るどころか、あの間に割って入ることも出来ないことを悟った。  
(なんだろう?胸がチクチクする。切なくて・・・・さびしい)  
「すいません、失礼します。」  
ヘカテーはせっかく冷ましたお茶をコトリとおき、急に席を立つ。  
「あら、どうしたの?ヘカテーちゃん、まだ半分も食べてないけど」  
「ごめんなさい。ご飯、とても美味しかったです。」  
そういい残すとヘカテーは急いで玄関のほうに向かっていった。  
悠二はヘカテーの姿を確認すると、シャナの手を離し、玄関に急いで走った。  
 
ヘカテーは玄関で靴を履いている最中であった。何も考えず、悠二は声をかける。  
「ヘカテーさん!」  
ヘカテーは振り向き一瞬、嬉しそうな顔をするがすぐにいつもの無表情に戻った。  
「悠二さん、今日は色々とお世話になりました。私はこの辺で帰らせてもらいます。」  
「待って!もう少し・・・ゆっくりしていきなよ。」  
ヘカテーに迷いが生まれたがすぐに気力を奮い起こし、  
「いいえ。ここで甘えるわけにはまいりません。」  
と微笑しながら言った。  
「でも、また・・・会いにきます。」  
「ああ。また。」  
「お邪魔しました。」  
ヘカテーは深くお辞儀して、儚い幻のように去っていった。  
そこで悠二はヘカテーの顔に悲しい笑顔が浮かんでいたのを見逃さなかった。  
ひとり玄関に残された悠二は言い様のない不安を覚えた。  
悠二がヘカテーを追いかけようとしたそのとき、背中に巨大なプレッシャーを感じた。  
悪寒が全身を走る。  
「悠二・・・・なんであの子がここにいるの?」  
後ろからシャナの声がした。悠二の鼓動が乱れ、一気に体中から汗が吹き出る。  
シャナの口調は穏やかであったが、凍えるような冷たさも伴っていた。  
悠二は恐る恐る後ろを振り向く。そこには眉を吊り上げ、静かな怒りに燃えるシャナが仁王立ちしていた。  
その静かさが怒りの度合いを物語っていて、逆に怖い。  
悠二は投げかけられた灼熱の視線を直視することできなかった。  
「いや、だからそれは・・・えーと、あの・・」  
「答えなさい!ゆうぅぅじいぃぃぃぃぃ!!」  
玄関に嵐が吹き荒れた。  
 
 
とぼとぼ夜道をヘカテーは歩く。その顔には生気がまったくなかった。  
ひたすら足を動かしているだけ。自分が機械であるような気分になった。  
ふいに立ち止まり、厳しい表情をする。  
「見ているのでしょう、千変のシュドナイ。出てきなさい。」  
ぬっと電柱の影からシュドナイが出てくる。  
「見事にフラレたな。」  
暗い影がヘカテーの顔によぎる。  
「ええ、でも・・・」  
しかし、それも一瞬のこと。すぐにまっすぐと前を見据え、力強く言い放つ。  
「あきらめないつもりです。」  
(長久の時を生きていたけれど、あの方以外にこんな胸が熱くなるような気分、初めて)  
ヘカテーは信じてもいない神に感謝した。  
この世に生まれてきて、あの方と悠二さんに会えて。  
「千変のシュドナイ、私は一度、星黎殿に帰ります。」  
「ククッ、逃げ帰るのか?」  
「そうとも言えるかもしれません。しかし、必ず帰ってきます。もっと人間界のことを勉強して。」  
「なるほど。お前さんがここから離れるなら、俺は用なしだ。俺も引き上げるぜ。学校のこととか細かい事柄はまかせてもらおう。」  
「お願いします。」  
「ではいくぞ。」  
「はい。」  
いつか、必ず―――  
決意を秘めたヘカテーの瞳には一塵の翳りもなかった。  
 
 
翌日の朝、学校では今日も今日とて嫌味なほどに太陽光がギラギラ指し、生徒をうであがらせていた。  
ジャガイモのように顔をでこぼこにしながら、悠二はHRの合図を待つ。  
「お前!どうしたんだよ?!その顔は!!」  
田中が悠二の席に近づき、驚いた表情で悠二をジロジロと観察する。  
「へ?これ?これはある凶悪な乱暴者がさぁ・・・」  
ため息交じりに悠二がそう言いかけたとき、シャナがこちらを睨んでいることに気付く。  
「転んだんだよ!そう、転んだの。階段でさ。」  
どんな風に転べばそんな面白フェイスができあがるのか。  
明らかに疑っているであろう田中を無視し、悠二は後ろの席に注意を向ける。  
教室にある席は悠二の後ろの席、ヘカテーの席を除いて全て埋まっていた。  
つまりヘカテーがまだ来ていないのである。  
(今日は欠席するのかな?当然か。昨日は色んなことがありすぎたし)  
まだズキズキと痛むシャナにやられた傷をさすりつつ、昨日の出来事をあれこれ思い返す。  
そこへ、担任の教師がドアを開け、いつものように教壇に立つ。  
(やっぱり休むのか、ヘカテーさん。)  
心配と残念な気持ちがごちゃ混ぜになった心境で、担任の言葉に耳を傾ける。  
「えー、今日はみんなに残念な話がある。」  
教室がざわめく。  
「実は副担任の須藤先生と転校生のヘカテーさんが―――」  
「そんな・・・」  
 
 
「まさか一日しか居られなかったなんてなぁ」  
「仕方ないよ。ひとにはそれぞれ事情っていうもんがあるんだから。」  
「池はいつも冷静だな。」  
昼休み、いつもの五人は屋上で昼食をモソモソと食べていた。  
その中で池、田中、佐藤の三人の話題の中心は一日限りの転校生のことだった。  
「でも少し残念です。」  
その輪のなかに吉田が入ってきた。シャナはムスッとした表情でメロンパンに噛り付いているだけで話に加わる様子をみせなかった。  
「お前はどう思う?悠二。」  
急に佐藤が悠二に話題を振る。  
しかし、うつろな目をして空をみつめるばかり。心ここに在らずといった感じだった。  
ヘカテーが去り際に見せた悲しそうな笑顔が脳裏に焼きついている。  
(なんだったんだろう?あの表情にはどんな意味があったんだろう?  
そう言えば須藤先生も同じく一日でやめていったけど、関係ないわけ・・・ないよなぁ)  
玄関で別れるとき、追いかけていればなにかわかったかもしれないのに)  
 
今朝のHRから悠二は自分の行いを後悔し続けていた。  
(あのときあの子を引き止めてさえいれば)  
考えれば考えるほど自分に全責任があるのではないかとさえ思ってくる。  
「悠二、おい悠二!」  
佐藤の声が遠くで聞こえた気がした。  
「ん、なんか言った?」  
数秒遅れて、その声に反応する。  
「しっかりしろよ、悠二。」  
「うん。ごめん。」  
まったく、とつぶやきながら、田中は悠二を見つめた。  
しょぼくれた悠二を目にした田中は突然、何かを閃き、意味ありげな視線を悠二にむけた。  
「お前、まさか?!ヘカテーちゃんに惚れたとか?」  
「はぁ?!」  
「あ、それ在りうる。かわいかったもんなぁ、ヘカテーちゃん。」  
佐藤が煽るかのようにつけ加える。現実に引き戻された悠二はパニックになっていた。  
「お前らぁ!!なに勝手に・・・」  
悠二は無意識的にその場にいる二人の少女をみてしまう。急激に佐藤、田中に対する怒りが萎んでいくのが分かった。  
(はぁー。またこれか。)  
悠二はなかば開き直った心持ちでふたりの少女を見比べる。  
(あ、泣かれる。そして殴られる。)  
少女の片方は目にいっぱい涙を浮かべ、片方は刀を力の限り振り上げていた。  
 
 
それから数日あとのこと。季節は今まさに夏真っ盛りといった感じだった。  
悠二たちは夏休みに入っていた。悠二はシャナと一緒にいられる時間が必然的に増え、充実した日々を送っていたが、なにかこうしっくりいかずにいたのも確かだった。  
夏休みに入ってからも頭の片隅ではヘカテーのことを気にしている自分がいる。  
シャナはどこか気の抜けた様子の悠二に憤慨していたが、千草ママンに「悠ちゃんは夏バテ気味」と誤魔化され、  
毎日やきもきとしながら夏の日を過ごしていた。  
メガネマンこと池が貴重な夏休みをダラダラと過ごす悠二を見かねて  
気晴らしに海にでも行こう、と誘ってくれた。  
悠二は曖昧に返事をするだけ。  
陰鬱な気持ちを隠しているつもりだけどどうしても、顔に出てしまい周りに気を遣わせている。  
 
悠二の気持ちはどんどん暗くなるばかりだった。  
ある日、悠二がいつものように昼近くまでテレビをボーッと見ていると、表がどうも騒がしい。  
どうやらウチの目の前の家に誰かが引っ越してきて、その荷物下ろしをやっているようだった。  
(どんな人が引越してくるんだろう?)  
気の抜けた悠二もいくらか好奇心を刺激される。  
悠二は気付かれないようにソーッと窓から、目の前の家の様子を伺う。  
せわしく働く引越し業者に混じって、真っ白なワンピースを着た女の子がいた。  
白くつばが丸い帽子をかぶっているので顔はよく見えないが、紛れもなく女の子だ。  
でもその背格好に見覚えがある気がした。  
(あの子・・・まさか)  
女の子は悠二の家にまっすぐに向かってくる。どうやら引越しの挨拶にくるらしい。  
悠二は慌てて服装の乱れを整え、インターホンが鳴るのを胸を躍らせながら待つ。  
ついにチャイムがなった。  
悠二はインターホンの受話器に飛びつき、ドキドキしながら受話器に話しかける。  
「はい、坂井ですが。」  
『あの、近所に越してきたものです。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします。』  
インターホンから聞こえてきたのは、聞き覚えのある柔らかな声と少し風変わりな挨拶だった。間違いない。あの子だ。  
「うん。よろしく。ヘカテーさん」  
『はい。帰ってきました。』  
今年の夏は大変だけど、わくわくするようなこともたくさん待っている予感がした。  
 
 
暗くじめじめとした部屋の中。そこに一人の男が木箱を大事そうに抱えていた。  
シュドナイである。彼はおもむろに口を開く。  
「ふふ、海といったら水着。そして水着といったらやはりこれしかない。」  
シュドナイは箱から紺色の布のようなものを取り出す。それはスクール水着と呼ばれるものだった。  
「白いビキニタイプも捨てがたいが、やはり!やはりスクール水着しかない!」  
まるで探検家が財宝を手にしたときのように、スクール水着を天に掲げた。  
シュドナイはスクール水着を眩しそうに眺め、ギラつく笑みを浮かべる。  
「そして海はハプニングでいっぱい。『男子更衣室を女子更衣室と間違えてドッキリ!』  
から始まり『水着の中にヒトデが入っていやーん、そして脱衣!』  
『水着が沖に流されてどうしよう?!(オロオロ)』そして『人工呼吸』!!!」  
シュドナイは狂喜した。  
ひととおり騒いだ後、握りつぶさんばかりにスクール水着をつかんだ。  
「まだだ。まだ我が野望は終わらん!!フフ、アーハハハッ!!」  
一人の漢(おとこ)がドス黒い欲望の咆哮をあげた。  
 
 

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