「おばさん。これ、ほんと美味いですよ。」  
 
池が風呂から出たところをキッチンで夕飯の支度をしていた千草が手を止め  
再びダイニングルームのテーブルに腰掛け2人は向かい合っていた。  
風呂上がりの池はなにか少し気持ちの整理がついたらしくいつもの冷静沈着で  
ソツのない飽きさせない話し上手振りで千草を楽しませていた。  
お世辞にも会話上手とはいえない親友があまり語れない学校の行事や校風の詳細かつ丁寧な解説、  
そこで毎日繰り広げられる他ならぬ千草の息子である悠二が三角関係でおろおろする情けない姿。  
主婦である千草の目線に合わせた御崎市東側市街地のデパートやショッピングスポットのお買い得品やお勧めの店の話  
あの極度の口下手の吉田一美でさえ彼との会話では滅多に言葉につまることはない。  
そんな将来の生徒会長とクラスメートから冷やかされても不思議でない  
(クラス委員とか生徒会長とか本人は全くそんな事は意識はしていない、ただ皆のためにと正義感から引き受けているだけである。)  
クラスのスーパーヒーローぶりを何気ない日常会話から池は自然と感じさせていた。  
そして池はお風呂上がりに喉が渇くだろうと千草が用意した  
少し甘さを抑えた冷たいストロベリーミルクをまた一口を飲んで  
じっと池を見守るように見つめている千草に池が本来の彼らしい、しっかりとした口調で答えた。  
 
少し、安心したように柔らかく微笑みながら千草が語りかける。  
 
「そお、良かった。池くんイチゴ大好きだったからとっても喜ぶと思ったの。」  
「色がとっても可愛らしくて綺麗ね。」  
 
千草の言うとおり苺の真紅とミルクの純粋な白が混ぜ合わさって出来た  
ストロベリーミルクは自然なピンク色をしている。  
 
千草の表情に吸い込まれそうになりながらも、  
普段のしっかりとした口調で返事をしながら池は再び千草への想いをつのらせる。  
 
「そうですね。とても可愛いし、綺麗ですね。でも・・・。」  
(僕にとって可愛らしくて、綺麗に見えるのは・・・。ストロベリーミルクじゃなくて・・・。)  
 
そう思いながら池は千草の柔らかい表情を内に秘めた切ない想いでじっと見つめる。  
 
(あっ・・・。)  
 
池の見つめる先、千草の清楚な雰囲気のなか唇にひときわ艶やかに浮かび上がるルージュの色が  
風呂上りのまだ少し濡れた髪の幼い少年を虜にする。  
 
(・・・・・・・・・。)  
 
千草は微笑みながら優しく池を問いつめる。  
 
「でも・・・。 でも、なあに、池くん。」  
 
池は真剣な表情を浮かべ自然に湧き上がる強い感情を込めて千草に想いをぶつける。  
 
「いえ、あの、でも・・・・。」  
「おばさんの方がもっと綺麗だと思います。それに・・・。可愛いいです。」  
 
千草は池の真剣な声と表情をわざとかわすようにいつものように柔らかい返事を返す。  
 
「まあ、池くん、相変わらずお世辞も、お上手ね。」  
「でも、おばさんすごく嬉しいわ。」  
「うちのゆうちゃんにもそんな気の効いた台詞、一度でもいいから言わせてみたいわ。」  
「池くんのみたいにうちのゆうちゃんにも少しはおばさんに気を使うようにいってあげてね。」  
 
そういって千草はダイニングルームの時計を見やり、池と会話を打ち切ろうとする。  
 
「まあ、もうこんな時間だわ、そろそろ夕飯の支度しないといけないの。」  
 
あまりの手ごたえのなさに思い余った池はさらに感情を込めた想いを続ける。  
 
「いや、お世辞とかそんなんじゃなくて あの、本当です。」  
「あの、おばさん。いきなり、こんな事、聞いてすいません。」  
「おばさんは、僕の事どう思ってるんですか?。」   
「わかってるんです。僕みたいなのはおばさんから見れば全然子供なんだろうけど。」  
「でも、どうしようもないんです。」  
「僕にとっておばさんはとっても大切に感じるんです。」  
「僕はおばさんの事がっ!。」  
 
若さと勢いで続けられる相当な決意と勇気と振り絞った少年の姿に  
千草はようやく何かを少し納得したような安堵の表情を浮かべたあと  
最後まで言おうとした池の言葉を遮ってまるで親が子にさとすように丁寧に答え始める。  
 
「池くん、そおいう事って言葉に出して伝える事がとても、とても大切だと思うけど。」  
「けど、おばさんがもっと若くて、まだ独身だったら良かったと思うのね。」  
「でも、でもね。おばさんは今の池くん、とってもカッコ良かったと思うのよ。」  
「だって好きな人に好きというのはとっても勇気のいる事だとおばさん思うのから。」  
「今はつらくても、きっと池くんの気持ちを受け止めてくれる女の子が現れるわ。」  
「だからその時まで池くん、自分をあんまり責めちゃ駄目よ。」  
「傷つく事と間違った事は違う事をよくわかってほしいの。」  
「おばさんは思うの、池くんは今のままで絶対、間違っていないの。」  
「だから、池くんはそれでいいの。」  
「おばさんは、そんな、そのままの池君が大好きよ。」  
「池くん。そろそろお腹すいたでしょ? 遅くなったけど、そろそろ夕飯の支度するわね。」  
「おばさん久しぶりに池くんのために一生懸命、腕振るっちゃうから。期待してね。」  
 
千草のやさしく、それでいて丁寧な池の気持ちに対する答えに  
池は普段の冷静さを失って自分の身勝手な感情を千草に一方的にぶつけてしまった事で  
千草に余計な迷惑をかけたのではないかと責任を感じて、自己嫌悪に陥っていた。  
もちろん千草が言った大好きという意味は池の期待するその意味とはかけ離れていて全く違う物であり  
それでも千草の言った事、全てが正しいと賢明で正義感の強い池には理屈では理解しすぎるほどわかっているにしても  
けれども確かに感じる、この胸の焦がすような痛みが池を苦しめ肩を落とさせうつむかせている。  
池は千草が言葉で諭してくれた理屈では抑え切れない、  
湧き上がる感情からそんな自分を責めてしまうことを抑えきれないでいた。  
ついに池は抑え切れない感情で、穏やかに笑えんでからキッチンへ向かおうとする千草のエプロン姿の背中に話しかける。  
 
「あの、おばさん。本当にあの・・・すいません。」  
「いきなり、こんな事言ってしまって・・・。」  
「僕、まだまだこおいう気持ちの扱いにはなれてなくて。本当にすいません。」  
 
千草は人一倍、正義感と責任感の強い池が自分への失恋をきっかけに  
人を好きになったり、人に優しくしたり、人の気持ちを受け止めたり  
人として大切な感情的な部分を責めたりして、心が壊れたり、折れてしまい  
将来、心が臆病で冷たい人間に陥ってしまわないか酷く心配しているのだ。  
千草はそんな人間に陥ってしまう危険性を十分に孕んだまだ脆く幼い少年の心を  
一人の大人の女性として一人の子供の母として守りたいととても強く思っている。  
 
(こういった事は、どうしても感情的な部分では自分を責めてしまうものね。)  
(ありきたりの言葉だけでわかってもらうのはやっぱり無理かしら。)  
(余計な事、言って返って傷つけちゃったかも。)   
(男の子は本当はとってもデリケートだから難しいわね。)  
(感情的な部分でわかってもらうには・・・。もう・・・。)  
(ごめんなさい貫太郎さん。でもこの場合、きっと貴方なら許してくれるわね・・・。)  
 
そう思った千草はこの少年が正義感が強く、責任感あふれる心優しいという事を見越した上で  
ただ、この少年をこのまま見捨てて壊してしまうような事になってはいけないという気持ちになり  
立ったまま再びエプロン姿の正面に向き直り、なにかを受け入れたような雰囲気で優しくお願いするように池に話しかける。  
 
「そうだ、よかったら今晩おばさん家に泊まっていってくれないかな。池くん。」  
「最近、御岬市で怖い事故や噂が多いでしょ。御岬駅がある日突然、壊れたり。」  
「大きな本に乗った金髪の美女が空を飛んでるのを見たって噂や」  
「他にも火の様な髪と翼を持った女の子が暴れまわってるって気味の悪い噂を池くんも聞くでしょ。」  
「おばさん今晩この家に一人っきりだから。池くんみたいな男の子が泊まっていってくれると、安心ね。」  
「おばさんの事、本当に好きで大切なら守ってくれる?池くん。」  
 
池は理屈ではない、ただ感じる、この胸を焦がすような痛みのつらさの余り  
今すぐここから飛び出して逃げ出したい。  
もう千草に近づく事すら怖いと感じて頭がいっぱいになっていた。  
そんな誰もがいつかは経験する避けられない失恋の痛みから自分の気を  
紛らわせ、なにか替わりになる物にすがるように千草の言葉に思いをめぐらせる。  
 
(そうだ、僕のこの気持ちがおばさんに受け入れられなくても)  
(僕がおばさんの事を大切に想う気持ちは変わらないはずじゃないか)  
(だったら、たとえそうでも僕はできる限りの事をしておばさんを助けたい。)  
(自分を責めるのならその事でおばさんに迷惑をかける様な事はしちゃ駄目だ。)  
(だから子供なんだよ。僕は。情けない。)  
 
少年は失恋の喪失感と痛みに無理に耐えながらそれでも  
千草の願いを受け止め、千草を助けなければとうつむいた顔を上げ、今できる精一杯の答えを返す。  
 
「今日は悠二もいない事だし、おばさん一人は良くないですね。」  
「僕で良かったら、おばさんの言うとおり今日は泊まっていきます。」  
 
心のまだ幼い少年には酷であろう自分の想いを無理に抑えている事を隠せない痛々しい声に  
この少年の持つ心優しさを改めて感じた千草は少し胸が締め付けられるような切なさを感じていた。  
 
「あら、ありがとう。池くん。」  
 
昼の暑い日ざしと残暑が嘘のような涼しげな夜が訪れている。千草はそんな季節の移り変わりのちょうど境目を感じ  
ただ、音もなく過ぎ去ろうとする夏を惜しむ。  
 
(もうすぐ夏も終わりね・・・。)  
 
 
 
「うん、今日は悠二ん家に泊まるからさ、帰らないって父さんから言っといてよ。」  
 
池は千草の家の居間でくつろぎながら、家族の帰りを待ちながら、何度となく自宅の電話に連絡をいれ先ほどようやく繋がったのだ。  
仕事中の両親の携帯に連絡を入れないのは仕事中に余計な気を使わせてはいけないと彼が両親に気を使っているからだ  
 
池の家庭は千草の家と同じで中流家庭ではあるが、  
大まかに見て違うのは両親が共働きであるという点と母が特に教育熱心であるという点だ。  
一人は平凡な少年の境悠二ともう一人はほとんど完璧と言えるほどの優等生である池速人が  
親友と呼べる仲になり理解しあえたのも二人には、どこか似たような境遇があるからだろう。  
 
池の母は御崎市でも確実に大手にはいる企業に勤める研究者で研究で忙しくまだ帰っていないらしい。  
学校での池の昼食がホカ弁などで母親の手作り弁当などというものにあまりお目にかかれないのはそおいう理由があるからだ。  
それでも池はそんな母が嫌いではない。むしろ研究に打ち込む母の姿勢を尊敬し憧れている。  
いつか母のような研究者になりたいと人生の目標にすら思っているくらいだ。  
彼が成績優秀なのは両親から受けついだ才能だけでなく、彼のそんな動機が心の奥底にいつも共にあるからである。  
 
父もまた同じ企業に勤めてはいるが所属部署は全く違う。かつては、社内一のやり手営業マンとしてならしていたそうだが  
今は管理職として立場を変え、落ち着いて着々と出世コースを歩んでいる。  
そんな若き日の池の父は池の母親に出会うまでは社内では知らないものは少ない評判のプレイボーイだった。  
池の容姿からも十分にわかることだが池の母は社内でも美人だと評判の女性だった。  
それを、池の母に一目惚れした池の父が熱烈なアタックで口説き落としたのだ。  
 
「ごめんなさい。おばさんにどうしても父さんが電話代わってくれって。」  
 
居間から出てきてリビングまで携帯を受け渡しに来た池にそういわれた千草は池との二人っきりの  
夕食の後かたずけの洗い物で濡れた手をエプロンでふき取りながら池に歩み寄って携帯を受け取る。  
 
「はい、お電話代わりました。」  
「いえ、いえ、お礼なんて、どうぞお気をまわされずに。」  
「まあ、池君のお父さんったら。」  
 
池の父は実は千草のファンであり、言わなくても良いお礼にかこつけてわざわざ千草と話したがってるらしい。  
池の予想通り、池が千草の家に泊まる事でお礼をいってるような受け答えではない千草の柔らかな声が響く。  
おそらく池が泊まるお礼にかこつけて千草を食事にでも誘っているのであろう。  
池は少し困っている千草から携帯を受け取り無理やり、とても不満げな父の抗議を無視し電話を切る。  
 
「池くんのお父さんていつもにぎやかな方ね。お礼に今度、お食事でもどうかって。」  
 
自分の父ながらあきれたように池は投げやりな口調で千草に答える。  
 
「ああ、父さんは綺麗な女の人にはみんなそお言うから無視して構いません。おばさんなら、なおさらですよ。」  
「母さんも結婚前からそおいう父さんのおおらかなところは理解しています。」  
「父さんは本当に食事だけと思ってるみたいですけど、周囲にあらぬ誤解を招くとおばさんに迷惑なので僕が断っておきましたから。」  
 
容姿だけでなく、明らかに池の性格は研究者である母似であり  
父の軽薄さを反面教師にしている点も否めないと自分では認識していたはずだった。  
なのに、この瞬間、自分の性格が父のそれを明らかに受け継いでるなと、いつものように客観的かつ冷静に自己嫌悪に陥る。  
(おばさんに、対してまた綺麗だとかこんな軽口が出るなんて・・・。しかも平然と。)  
(一度言ったら慣れてきたんだろうか。あれだけ子ども扱いされてあっさり振られたばかりなのに。)  
 
千草がそんな池の気持ちを知ってかしらずか、  
少し嬉しそうに微笑みながら池に声をかけ再び後かたずけのためキッチンに戻ろうとする。  
「まあ、池くん。やっぱり親子ね、そおやっておばさんに親子で同じような事いうのね。」  
「じゃ、おばさん。後かたずけがまだ残ってるから、もうちょっと一人でゆっくりしててね。」  
 
池は考えている事に駄目を押されたような気がして返す言葉がない  
 
「はっはい、おばさんありがとうございます。」  
 
夕食の後かたずけを手伝うと申し出た池に家事は主婦である千草がやるのがこの家のローカルルールだと言われ  
何も言い返せなくなった池は千草に余計な気を使わないで居間で  
TVでも見ながら眠くなるまでの時間、何もしないでくつろいでいていいと言われたのだ。  
 
千草は年齢からみてもあまりにも完成された子供らしさの少ない池に不自然な強さを感じていた。  
千草のような大人から見れば今にも折れてしまいそうな脆さを孕んだガラス細工のような強さを。  
 
(うちのゆうちゃんみたいに要領のいい子じゃなくて池くんは不器用なところがあるから しょうがないかもね。)  
 
池というは少年は心優しいのだ。その優しさの余り自分をどこか大切にできない不器用さがある。  
他人や周囲のために自分を犠牲にしてがんばるのは池という少年の特筆すべき素晴らしい所だがその反面、  
無理をしすぎて自分が傷ついてる事に無頓着になっている不器用さがある。  
 
さきほど彼は千草に対して失恋したにもかかわらずその千草の前で傷心を無理に我慢して普通に振舞おうとする。  
それどころか自分を傷つける原因にもなった千草という女性に対して迷惑をかけまいと気を使っている。  
まだまだ幼い少年の彼がそんなに心の強さを普通にもってると見るのはどうみても不自然な事なのだ。  
 
千草はそんな心優しい少年の心が、このままでは壊れてしまうというはっきりとした危うさを感じている。  
そして少年自身は全く気づいてはいないがもう心が壊れる寸前まで来てしまっているという事も。  
 
(池くん。それでいいの? そんなに傷ついてるのに・・・。もう少しおばさんに・・・。)  
 
心というコップに少しづつ注がれる悲しみやつらさという名の水滴はそのままにしておけばいずれ溢れてしまう。  
強いようでいて人は弱いのだ。それは皆のスーパーヒーロー池速人でも例外ではない。  
人はある程度、ずるく器用でなくてはいけない物なのだ、だから心が壊れないで済む。  
 
幸い少年は幼い頃から心が運良く大きく傷つかななかっただけなのだろう。だから今まで壊れなかった。  
けれども今少年は自分ひとりでは心が壊れかねないほどの悩みや苦しみを抱える年頃になっている。  
 
誰かがこの不器用な少年の心が溢れて壊れてしまう前に悲しみやつらさ受け止めてあげなくてはいけないのだ。  
その役目は家庭で多分に母親の役目なのだろうが、池はその優しさから研究者である母の生き方を大事に思うあまり  
母親に甘えたり依存したりする事を幼い頃から自分で抑える事を選択して育ってきた少年なのだ。  
だからこそ尊敬する母親のためにも池速人は、ただ頼られるだけのスーパーヒーローでなくてはならないのだ。  
 
池速人は居間でTVをつけ流しながら、久しぶりにゆっくりした時間を過ごしていた。  
いつもは連日の塾や予備校通い、学校のクラス委員会といったハードスケジュールに追われている。  
肉体的にも精神的にもいつも疲れきっている。自分を気遣わない本人に自覚がないだけである。  
更に今日は千草への失恋もあわせて、その他にも抱え切れない精神的悩みに押しつぶされそうな  
自分の情けなさに自己嫌悪に陥っている間にその疲れがどっと襲ってきたのだ、  
どうしようもない疲れに今にも眠りに落ちそうな少年は薄れてゆく意識の中で強く激しく思う。  
 
(余計な事言っておばさんに迷惑をかけてしまったのも僕が弱いからだ。)  
(僕がもっと強ければ誰にも迷惑をかけなくても済むのに、何にも傷つかないような強い心がほしい。)  
(どんなに傷ついても平然としていられるような強い心が欲しい。)  
 
少年の心は更なる強さを求めて音もなく壊れ始めようとしていた。  
少年はそれを強い心と呼ぶが実はそうではない。少年は幼いがゆえにその事を知らない。ただ強さのみに惹かれるのである。  
池速人が望んでしまった物とは自分の痛みも感じないかわりに、他人の痛みも感じなくなるそんな矛盾したあくまで物でしかないのである。  
 
(僕はもっと強くなるからね 母さん・・・。)  
 
悔しさが目から溢れて頬伝ってゆく。何かが溢れてゆく。自分では良くわからない何かが溢れてゆく。  
 
ほどなく家事を終えた千草が再び池の様子を気遣いに居間に戻ると、  
ソファに座ったまま、疲れ果てて眠りに落ちている少年が一人いた。その頬にただ一筋の涙を流しながら。  
 
 
 
(なんだかとてもいい臭いがする。とても安心できる。いい臭いだ。)  
 
居間のソファで疲れから眠りに落ちてしまった、少年が再び目を開けるとたしかにつけっぱなしだったTVが消えている。  
また部屋の明かりも消え、周囲は暗闇だ。少年の首から下の体には厚手の毛布が被せられておりその体を覆っている。  
いつのまにか少年の体の一部である眼鏡ははずされていてない。  
その眼鏡のはずされた顔に何か大きく柔らかいものが押し付けられている。  
とてもそれは気持ちがよくマシュマロのように柔らかな感じだ。  
 
少年は暗闇の中そのとてもいい臭いがする、少年は心地よくなり  
その柔らかな膨らみにさらに顔を強くもたれかけながら再び眠りに落ちようとしていた。  
その瞬間、そんな少年の意思に反応するかのように、その膨らみの全く反対側から何か押さえつけるような力が加わり  
挟み込まれた少年の顔はもっと強く柔らかな膨らみに沈み込む。  
その押さえつける圧力に少年の意識は再び眠りから呼び戻されてしまう。  
 
(・・・・。なんだ・・・・・?)  
 
眠りから意識を取り戻しつつある少年が暗闇の中、すぐそばに自分とは違う別の体温を感じる。  
とても安心できるいい臭いがするのはどうもこの温もりからのようだ。その温もりに手で触れてみるととても優しく柔らかい。  
少年はあまりの心地よさにこのままずっとじっとしていたいという誘惑に駆られ始めていた。  
その時である。少年を呼ぶ柔らかく響く声がする。  
 
「目を覚ましたの?こんなところで寝たら風邪引いちゃうかもね。」  
 
千草の声が耳に届いたと同時に少年は今自分がどおいう状態にあるか自覚しはじめる。  
 
(おばさんの声がこんなに近くで聞こえる?僕がさっき触ったのはおばさん?)  
(僕の頭を抑えてるのはおばさんの両の腕?すると僕は抱きしめられている?)  
(どこに?まさか?この膨らみは?うそだろ?だっておばさんはさっき僕を・・・。)  
 
千草は少年の顔を両の腕で押さえつけ、その大きくて柔らかな胸に強く抱きしめていた。  
 
その状況を理屈で受け入れられない少年は思わず意識を取り戻したと同時に拒絶の言葉を出してしまう。  
 
「何してるんですか!こんなことしちゃ駄目ですよ!おばさん。」  
「僕はおばさんを守るために今、ここにいるんですよ。これじゃ。」  
「それに僕は振られたんですよ。こんな半端でいい加減な事してたら僕はおばさんを・・・。」、  
 
千草はそんな少年の最後の大人びた言い回しに答える  
 
「まだ、わからないのね。そおいう問題じゃないの。)  
「あなたはまだ子供なの。」  
「そしておばさんは大人なの。だから、おばさんに甘えていいの。それは全然おかしな事じゃないの。)  
「ごめんね、おばさん見ちゃったの。」  
「あんな涙の流し方、あなたみたいな子供にはとても早すぎるの。」  
 
少年は自分が眠りに落ちる前に涙をこぼした感覚を思い出し、黙りみそうになりながらも言葉を続ける。  
(見られたのか・・・・・・・。でも、それじゃあ 僕はおばさんをあきらめきれなくなる。)  
「そんなのずるいですよ。おばさん。」  
 
千草はその胸に抱きしめている少年をまた強く抱きしめながら答える。  
「少しぐらいずるくて器用でそれでいいじゃない。だってみんなそうしてるわね。」  
「矛盾があるって言う事と駄目という事は別なの。」  
「あなたはまだ純粋だからそれがよくわからないのは仕方がないわ。」  
「でも、でもね。あなただけそうやって、いつも強がって、ずるいのはあなたじゃないの?」  
「もう余計な事言わず。このまま、おばさんにおもいっきり甘えなさい。」  
「今夜はおばさんと一緒に寝ましょう。そうしないとあなたこのままじゃ壊れちゃうわよ。」  
「おばさんにそんなあなたをほおって置けっていうの?おばさんにそれができると思う?」  
 
会話が途切れると部屋にある時計の針が進む音だけがずっと、響いていた。  
少年の頭にはもう返す言葉さえ浮かんでこない。  
 
(矛盾があるって言う事と駄目という事は別か・・・。おばさんは大人だな。僕は子供だな。でも、やっぱり)  
 
もう言葉がでなくなってしまったんじゃないかとさえ思われた少年はそれでも千草の胸から逃れて顔を上げた  
その矛盾をどうしても受け入れられないという拒絶の言葉をだそうとした瞬間。  
 
少年の顔にとても柔らかそうな、そう実際とてもやわらかな千草の唇が覆いかぶさる。  
表現しきれない甘い香りと雰囲気が少年の拒絶の言葉を溶かす。千草の唇が少年から離れると同時に  
少年の耳に千草の声が響く。  
 
「もう、あなたは何も言わなくていいのよ。」  
「今から、おばさんはあなたにこれ以上苦しまないように魔法をかけてあげるの。」  
「この魔法には準備が必要だから 少しだけおばさんの寝室で待っててね。」  
 

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