小佐内は俺をその場に残して電話にたったあと、帰ってこない。まぁ、いい、俺が先に食べていて悪いという事もないだろう。
スプーンを手に、シャルロットを切り崩す。コーヒーは既に小佐内が用意しているので助かる。俺は甘党ではないのだ。小佐内に無理矢理付き合わされているだけに過ぎない。突き崩したシャルロットを一口、ほうりこむ。
これは…。
シャルロットを見る。こんなにうまい食い物だったのか。正直、スイーツを見くびっていた。俺はあっという間に自分の分を平らげてしまった。一つは小佐内の分だから、残りはあと一つ。甘い物に自分がこれほど心打たれるとは思っていなかった。
その衝撃は俺の目を残りの一つに釘付けにする。
「おい、小佐内!」
返事がない。まだ電話か。俺は残りの一個のを前に、テーブルに肘をつき、視線を遠くする。食べてしまうのは簡単だが、あとで詰め寄られたばあい、無駄なエネルギーを消費することになる。
◇ ◇ ◇ ◇
ひとくちだけ、我慢できずに食べてしまいました。
お呼ばれした席で先に箸を付けてしまうのは確かにはしたないことです。でも、小佐内さんはお友達ですし、このケーキは私が買ってきた物です。あまり他人行儀にするのも失礼に当たります。
なにより、私も普通の女子高生に過ぎません。女子高生だから何をしても許されるというわけではありませんが、いっぽうで、福部さんがおっしゃるような名家の娘というわけでもないのです。
たしかに千反田家は大きな農家ではありますが、それは私の業績ではありません。私はただの娘です。甘い物には弱いのです。
でも、ひとつだけ私の思い違いがありました。小佐内さんに頼まれて買ってきたシャルロットが、とても美味しかったのです。恥ずかしいことに、思わず声を漏らしそうになりました。
どのようになっているのでしょうか。ババロアのほんのり優しい味わいの中に、マーマレードのソースがほどよいアクセントとなっています。口当たりはあくまで柔らかく、上品な味わいは紅茶に大変合います。
いけません、スプーンが止まりません。わたしは一口だけと思っていたのですが、これは驚きです。わたしのなかにまだこんなはしたない部分が残っていたことも、そして、シャルロットがこれほど美味しいお菓子であったということも驚きです。
どうしてこんなにお菓子が胸を打つのでしょうか。わたしはスプーンを休め、頬を押さえて考えてみました。これほど人の胸を打つお菓子が作れると言うことは、まだまだ第一次産業にも大きな未来が残っていると言うことです。考えなければなりません。
どうすれば、人の胸を打つ農業を行えるのか。
わたし、気になります。
でも、残念なことにいくら考えてもどうしてこのような美味しいお菓子が作れるのか分かりません。ご飯であれば、私にも分かるのです。人に自慢するほどではありませんが、お出ししても恥ずかしくない程度に料理はできます。
しかたありません。今度折木さんに聞いてみましょう。
◇ ◇ ◇ ◇
「やあ小佐内さん、電話長かったね」
「ごめんね、長電話しちゃって。でもよかった、先に食べててくれたのね」
「悪いとは思ったけど、僕の分のシャルロットを食べちゃったよ」
「そう、どうだった?おいしかった?」
「最高だったよ!まったくこんなにスイーツが美味しかったなんて今まで知らなかったよ。これからしばらくスイーツについて調べようかと思っているところさ」
「よかった。このスイーツ、きっと福部君も気に入ると思ったの。ところでいくつ食べた?」
「ん?ひとつだよ。シャルロットは店に二つしかなかったんだ。僕が一つで、小佐内さんがひとつね。えーと、二つとも食べたかった?」
「ううん、そうじゃないの。ねえ、福部君、そのきんちゃく袋、ちょっと貸してくれる?」
そう言うと、小佐内さんはにっこりと笑った。僕は知っている。小柄で童顔な女の子を舐めちゃいけない。なのに、その禁を破ったことを心底後悔していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「シャルロット先に食べたわよ」
「ごめんね、待たせて。あれ?」
「ああ、これ。三個買ったのよ。私が一個半ね。ちょうど半分になるように切ったから安心して」
◇ ◇ ◇ ◇
「お待たせして、すみません」
「気にしないでくれ」
「先、食べてくださってもよかったのに」
「いや、俺はいい」
「あの…」
「いや、昔アトピーを患ってな。小麦粉は避けている」
◇ ◇ ◇ ◇
「お待たせしました」
「いいっすよ、いいっすよ、あと、敬語止めてください。おれ下っ端っすから」
「えーと」
「あ、先に食ってました。あれ、なんて言うんでしたっけ、シャーロック?あんなにうまいなんておもってなかったっすよ。お菓子なんか女子供の食い物だと思ってたんすけど、見直しました。あんまりうまいんで全部食べちまいましたよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「ごめんね、待たせちゃって」
「いえ、先に食べていました。こちらこそ面目ないです」
「いいの。美味しかった?」
「Da. はい。おいしいです。おいしかったです。シャルロット。日本人、ヨーロッパのお菓子も好きですか」
「そうね、和菓子もいいけど洋菓子のほうが人気ね」
「不思議です。哲学的意味はありますか?」
「えーと、意味はないと思うんだけど。ねぇ、シャルロットがないんだけど」
「Da. はい。全部いただきました。小佐内さん、今度小佐内さんのお奨めの店を教えてください。この町にたくさんありますか?シュートのほうがたくさんですか?」
「…」