おまえは、どのような顔をしている。二人きりの部屋にたおやかに座した春琴が投げかけた  
実に単純な問いに対して佐助が返したのは、え、あ、といった、一向に要領を得ない軟語だけ  
だった。答えられないのみならばまだいいが、生意気にも動揺している素振りすら伺える。どうせ、  
言い惜しむような面相でもあるまいに。おどおどと聞き苦しい狼狽を耳に入れるにつれて、  
ぽっと揺らぐ行灯に映し出された齢十六の芙蓉に、次第に霜が降りていく。  
「もう、ええ」  
 薄紅の唇が、冷えた囀りを洩らした。ゆったりと閉じた瞼の奥から滲む険しさは、大阪に居を  
構える薬種商、鵙屋の物見えぬ二女の手曳きを務める丁稚を、容赦なく射竦めた。  
 
 万事が意のままにならねば、気が済まない。その上、晴れやかに笑うことも滅多にない。この  
我儘かつ陰鬱な気質は、春琴が九つの折に患った眼病に端を発していた。幼くして瞳を  
閉ざされた不憫さ故に、春琴は多分に甘やかされて育った。富裕の家に生まれたこと、それに、  
音曲の才に恵まれたことが、彼女の驕慢を更に強めていた。だが、柔くも棘ある緑の若芽に  
惜しみなく陽光を注いだのは、春琴より四つ年上の佐助に他ならなかった。  
 元より、佐助は鵙屋に丁稚として奉公する身分だった。それが主家の妹娘、大阪では  
『こいさん』と呼ばれる、の手曳きのみを任せられるようになったのは、彼が春琴と同じ趣味、  
即ち音曲を嗜むようになってからだった。給金を溜めてこっそり買い求めた三味線の音を  
洩らさぬため、そして主が住まう闇を訪うため、夜毎押入れで独り稽古に励んだ労苦は、  
春琴自ら佐助へ音曲を教授するという形で報いられた。  
 されど、春琴は年嵩の弟子に甘い思いに浸らせる暇など、一切与えなかった。師を気取った  
十一歳の娘は、己が部屋に響く琴の音が乱れる度に『あかん、あかん』『阿呆』と散々に罵った。  
挙句、覚えが悪い頭を撥でびしりと殴れば、佐助はひいひいと情けなく泣いたものだった。  
 もっとも、流石に様子を見かねた二親に粗暴な振る舞いを咎められてからは、この学校ごっこも  
終わりを告げた。春琴の小さな手を取って師匠の元へ導くのは、相弟子となった佐助だった。  
故に、今では、彼女が佐助に稽古をつけることは殆どない。それなのに、夜更けに佐助を  
部屋へわざわざ呼びつけた春琴の意は、音曲とは離れたところにあった。  
 
 知りたかった。この男のことを。佐助が鵙屋に上がった頃には、春琴は既に失明していた。  
従って、春琴は常に付き従う佐助の顔すら知らなかった。田舎出の丁稚など、精々が歩く際の  
杖、或いは用を足した後に手を清めるための柄杓程度にしか思ってはいない。にも拘わらず、  
苛立ちとも言い切れぬ靄は、床に就いても寝付けぬほど色濃く春琴の心に広がっていった。  
 いっそ、佐助を婿に迎えては。格式ある鵙屋の令嬢とはいえ、目が見えぬ娘が対等の結婚を  
望むのは酷であった。それならば、と、親に昼間提じられた案を、佐助が仕えた七年間にて培った  
気位を以ってにべもなく撥ねつけていた、だのに。  
 春琴は、薄闇の奥へ右手を差し伸べた。常のとおり主の杖となるべく小さな掌を受けた佐助の  
手を握る代わりに、更にその先へ伸ばした。やがて、三味線を手持てば類稀な妙音を奏でる指が、  
ざらついた肌に触れた。軽く押せば窪む柔らかさは、頬だろう。  
「こ、こいさん」  
 永劫の夜に響く佐助の声が、乱れた。大きく息を呑んだのか、頬に添えていた指先が揺れた。  
一々制止をかけたり故を問うたりしようものなら引っ叩いてやろうと目論んでいたが、佐助が無駄  
口を利かず、春琴の望み全てを受け入れる性分であったことが幸いした。  
 盲人は音で、指で世界を探る。早春に香る梅の木を撫でるような思いの元、春琴は平然と  
佐助の面を吟味していった。真中で盛り上がっているのは、鼻だろう。些かずんぐりとしているそれを  
何の気なしに摘んでみれば、ふが、という声が佐助の口から洩れた。敬する女主の戯れに身を  
強張らせ、ともすれば荒ぎかねない息を懸命に殺していたのだろう。そこで受けた仕打ちに最後の  
道すら断たれ、思わず呼吸に詰まったものとみえた。間の抜けた響きに、一切の景色と共に爛漫さを  
失った春琴にしては珍しく、くす、と口許が綻んだ。だが、瞬間、鼻を塞がれたままの佐助の面を  
微かに覆った影は、閉ざされた眼には映らなかった。  
 顎、頬骨、唇、そして己と同じく閉ざした瞼を伝った指先の感触を頼りに春琴が描いた佐助の顔は、  
子供の頃に見た大阪の男衆の垢抜けた姿とは、大分かけ離れていた。佐助のように田舎から上がった  
他の奉公人の姿から察するに、恐らくは肌も浅黒いのだろう。所詮は想像にすぎないものの、彼女の  
美意識に照らし合わせれば、佐助は到底美しいとは言い難かった。それでも、春琴はぴんと弾いた  
絃の音の如き一語を放った。  
「伽を」  
 奪われるのは、癪だ。許すのは、更に癪だ。秘めるには烈しすぎる矜持を傷付けずに己を満たすには、  
命じるしかなかった。  
 拒否は、返らなかった。長い静寂のみが座敷を満たしていた。いや、静のみと表すのは、誤りだろう。  
幼さを越えたばかりの二人は、身のうちに狂おしいほどの動を抱えていたのだから。  
 だが、是とも否ともつかない宙吊りに、幾ら気難しいとはいえ、僅か十六の娘がそう長く耐えられる  
筈もなかった。なんでもない、忘れろ。己の命を打ち消すことすら出来かねて、俯いた春琴が膝の上で  
密かに拳をぎゅっと握ったそのとき、衣が畳に擦れた。はっと顔を上げた春琴の華奢な肩があの掌に  
包まれた瞬間、もう後へは戻れないことを悟った。甘い恐れを知った小柄な身が、鼓動が、ゆっくりと  
横たえられていった。  
 
 蝶のようだ。佐助は、思った。帯を解かれた裸身の左右に広がる藤の小袖は、故郷の草野にひらひらと  
舞っていた蝶の羽に似ていた。  
 他の者であれば、己が掌にて羽を休める可憐な命を、無情に握り潰すことに悦びを覚えたかもしれない。  
しかし、佐助にとっては、掌に無惨な燐の輝きを散らせることは愚か、不浄なる息を吹きかけることすら  
戒めねばならぬほどその蝶は尊かったし、また、そうでなければならなかった。  
「眩しい」  
 初めて目にした女人の肢体に佐助がただただ見蕩れているうち、微かに眉を顰めた春琴は呟きを象った  
命を告げた。興を損ねたか、佐助は部屋の隅に置かれた行灯に慌てて目を向けてみるが、ちりちりと燃える  
橙の加減が特に強いとは感じられなかった。だが、この気難しい女主は思いを直に表すことを好まない。  
僅かな仕草や言のみから己の意を汲むよう、佐助に強いた。黙って席を立つのは厠へ連れて行け、  
『暑い』は即ち団扇であおげ。手掛かりを見落とせば、意を誤って受け取れば、必ず機嫌が悪くなる。  
傍から見れば理不尽極まりない仕打ちにも文句一つ言わず付き従ううち、春琴は佐助に対して一層の  
苛烈さを以って接するようになっていた。容赦なき打擲や面罵も裏返せば佐助への甘えとも取れるのだが、  
春琴は勿論、佐助もそれを認めようとはしなかった。春琴は慈悲深い女人ではなく、気高き女主でなければ  
ならなかった。  
 そのような春琴の気性に従えば、今の言は『灯りを消せ』という意味と思われた。皿の火をふっと吹き消すと、  
息の音と弱まった光で命が遂げられたことを認めたのだろう、春琴の面に滲んでいた苦が薄らいだ。もっとも、  
只ならぬ緊張に身と頭を強張らせた佐助は、彼女が下した命の本当の意には到っていなかった。目が見えぬ  
春琴は、纏う物なき己を一方的に、それも他ならぬ佐助によって眺められることを嫌ったのだ。冷然に隠した  
朱は、佐助がそれと悟る前に夜に溶け込んだ。  
 とはいえ、絶対の忠心を捧げる佐助といえど、夜空に浮かぶ月に雲を重ねることは出来ない。虫籠窓から  
差し込む月明かりに照らされ、血潮を秘めた身の代わりに、透き通るように冴えたからだが浮かび上がる。  
袖から滑らせるように腕を抜いていくと、日当たらぬ深窓にて磨かれた白い肌が殊更に蒼みがかって見えた。  
夢にも等しい幻に、己の衣を解くことも忘れた佐助は、更に主の元へ近づくために敢えて目を瞑ると、春琴に  
覆い被さった。蝶は闇へ失せてしまったが、盲目の主と世界を分かち合う歓びは、この世に在するであろう  
如何なる煌びやかな光景にも勝った。  
 春琴は、熱い体に細い腕を伸ばそうとはしなかった。仕えられるのが当然であるかのように、或いは粗が  
あれば即座に叱責を飛ばす三味線の稽古さながらに、黙って佐助の挙動を受け入れていた。少しでも  
不興を買えば、何もかもが終わるだろう。給金でこっそり女を買い求めたこともない佐助が思いを遂げるに  
あたって唯一心がけたのは、傷つけないこと。ともすれば外れかねない理性に畏敬の枷を掛けながら、  
佐助はあたかも寝入っているかのように横たわる春琴と、静かに唇を重ねた。初めて二人が交わした口付けは  
舌すら交えない稚拙なものだったが、頑なに引き結ばれていた唇が蕩けるほど柔らかな感触を返した瞬間、  
この方のためならば、全てを擲ってもいい。決して誇張などではない思いを、佐助は心に刻み込んだ。  
 着物に隠されている時は気づかなかったが、胸は思いの外豊かだった。身の丈五尺に充たぬ春琴の  
すべやかな小足をも乗せられる佐助の掌でも覆いきれない膨らみに、触れた。さらりとした手触りに感じた  
温もりは僅かだったが、食においても豪奢を好んだ春琴の肌は、佐助の指に押されるたびに弾んだ。  
遠慮がちに五指をやわやわと埋めさせるうち、佐助は掌に些細な違和感を覚えた。手を退けながら指先で  
探ると、先まで描かれていた曲線の頂には微かな尖りが生まれていた。人差し指で転がすように触れては  
みるものの、主が抱き始めたささやかな悦びに舌で触れるなど、あまりにも畏れ多かった。だが、敬して止まない  
女人の露な肌を前に、若い体では到底抑えきれない衝動が突き上げたのも、確かだった。せめてと恭しく  
唇で触れると、懸命に人形を真似ていた体がぴくんと跳ねた。  
 
 耐えられなかった。己を止める間もなく、佐助は濡れた舌でそれをちろと啄ばんだ。小さな粒が唾に滑るなり  
響いた、あっ、という微かな声を聞いて、漸く我に返る。やりすぎた。青褪めた佐助は咄嗟に身を竦めたが、  
一向にしなる平手は飛んでこなかった。強烈な笞に備えるべく歯を食い縛っていた佐助が恐る恐る目を  
開いてみると、皺がよるにも拘らず、口を引き結んだ春琴は身の下に敷かれた小袖を握っていた。閉じた  
目元には、朱が滲んでいた。仄かな色の本意が丁稚に身を許す屈辱のみならば、たとえ無理に組み  
敷かれようとも、拒めばいい。佐助にとって、春琴が放つ一喝は巨漢が振るう鉄拳より強いのだから。  
 己を、見せまい。女主は、従僕と同じ苦しみを忍んでいた。  
 他の者であれば、主家の令嬢という、容易に手が届かぬ女人との逢瀬を存分に愉しむことも出来た  
だろう。だが、女を悦ばせる術を碌に知らぬほど未熟であり、何より、たった九つであった春琴を観音とも  
思ってその可憐な手を日々曳くことさえ至上の歓びとしていた佐助にしてみれば、無造作を装って  
投げ出された肢体は、寧ろある種の責め苦ですらあった。狂いそうな気を必死に押さえつけながら、  
佐助は右手をなめらかな太腿の間へ滑らせた。夜に思うことすら主を汚すようで躊躇われたそこへ  
遂に触れかけた矢先、いや、と震える声が、佐助を止めた。  
 しかし、気丈な相貌に怯えが走ったのも、一瞬のことだった。迂闊にも佐助に弱みを見せたのが余程  
心外だったのか、春琴は殊更に顔を顰め直した。その方が、佐助としても望ましかった。盲人が笑う様は、  
どうも間の抜けているように感じられて、好きではなかった。心に押し擁く像は、完全であるからこそ、好い。  
その姿を確かなものにするべく、佐助が密かに再び目を閉じれば、  
「そないなとこ触れだなんて、わて、言うたか」  
 家人の目もある。流石に大声を上げるわけにもいかなかったのだろう。下から響く鋭い囁きに責められた。  
それなのに、とうとう見限られたかと竦めた身には、細い腕が絡められていた。佐助が驚く前に抱き寄せられると、  
今やしっとりと湿った肌が浅黒いそれにひたりと重なった。押し付けるように重ねられた膨らみが、佐助の胸に  
潰れた。  
 彼女が投じた謎掛けの答えは、考えるまでもなかった。欲情、そうは思いたくなかったが、が赴くままに、  
佐助は春琴を探り始めた。口の中と同じようなものかと思っていたが、違う。初めて触れた秘所は、  
よく言われるようにしとどに濡れてこそいなかったが、柔く、繊細で、魅惑的だった。もっと味わいたくて  
指で擦り上げるも、傷つけてはならじという慎重な指遣いでは却って焦らされるだけなのか、春琴は  
女らしく括れた腰をむずかるようにくねらせていた。女の悦びを引き出す珠のことすら知らず、ただただ  
指を蠢かせる佐助の耳元にて弾かれる、いやや、阿呆、といった言がえもいわれぬ艶を帯びていくまで、  
そう時間は掛からなかった。  
 直に舐めて湿らせることすら、思いつかなかった。荒い息を殺しながら緩めた下帯から現れた男根が  
既に垂らしていた滴りなどでは、男を知らぬ春琴の苦痛を和らげるには足りなかった。二本に増えた指を  
ひくつくように締めるようにはなったそこに窄まりを宛がい、少しずつ開いてはいったものの、狭く、  
濡れきってもいない体は、当然、佐助を拒んだ。それでも交わることを互いに望むならば、猛る己を  
捻じ込むより他になかった。痛い、と駄々を捏ねるように戦慄く声を、聞くまでもない。身を裂かれる  
痛みを味わっているだろうに、春琴の腕ばかりは佐助を抱き締めていた。  
 全てを埋め込んだ頃には、春琴は罵りすら上げなかった。硬く瞑った眦から、雫がつうと頬を伝った。  
方や、滑りなき秘肉は加減を知らずに佐助を責めていたが、それすら佐助にとっては悦びとなった。  
今にも爆ぜそうな心を抑え、衣擦れを響かせながら腰を引くと、この痛みを失うことを恐れるかのように  
春琴は佐助を掻き抱いた。  
「おねがい、わてを」  
 微かな喘ぎは命ではない、願いだった。彼女が下す如何なる命をも果たすと誓った忠実なる僕は、  
掠れた声を聞き届けるよりも早く、己を貫いた。  
「ああっ」  
 しなやかな身が、反った。藤の小袖が、乱れた。こいさん、こいさんこいさんこいさんこいさん、口の中で  
呟きながら狂うがままに幾度も幾度も己を打ち付けるうち、  
「さ、すけ……」  
 か細くも熱い声で、名を呼ばれた。永遠に瞼を閉じた天女に焦がれて止まない卑屈な、だが唯一の  
存在を知らしめようとするかのように、佐助は一際激しく突き上げた。ああ、と切ない声が闇に響いた瞬間、  
ひとときのみ交わった思いが、爆ぜた。  
 
 熱い。しかし、あの夏の日のように暑くはなかった。華奢な体を圧さぬよう力を失った腕で己が  
身を支える佐助の腕の中で息づきつつ、春琴はふわりとした夢心地に酔っていた。  
 今ならば、見えるかもしれない。数多の贅を知る春琴が初めて与えられた甘い気だるさは、景を  
奪われた娘に証なき希望を与えていた。未だ弾む胸元に掛かる確かな息遣いを聞くにつれて  
込み上げる情を感じながら、春琴は己を頑なに閉ざす瞼をそっと開いた。  
 何も、見えなかった。そこに広がるのは、常に彼女を包む仄暗い闇以外の何物でもなかった。  
 当たり前だ。そんなことがあるわけがない。黒夜の夢に遊ぶあまり、つい馬鹿馬鹿しい奇跡を願った  
愚かさに沈みゆく心を悟られぬよう、春琴は密かに息をついた。  
 再び閉ざした瞼には、濃い影が走っていた。真を求めて開いた眼を覆っていたのは、杖代わりの  
あの掌だった。月夜に暴かれた男の面相は、真摯に歪んでいた。  
 
 光なき瞳を見ぬために。夢と現を材に彫り上げた尊き像が、皹割れぬように。  
 

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