「…………バ、カッ!!」  
倒れかけた雷を必死に支えながら怒鳴ってニルチッイはぼろぼろと涙をこぼした。  
砂埃のついた白い頬を流れていくつもの筋を残して顎に伝わり、  
雷は手を伸ばしてその頬をぬぐってやりたいと思ったがその力は残っていなかった。  
ニルチッイは涙をぬぐいもせずに雷をにらんだ。  
「腹へった……」  
緊迫感のないセリフにニルチッイの肩からふっと力が抜けた。まじまじと信じられないものを見るかのように雷を見つめる。  
「…………」  
肩を貸し牧場の家まで連れて行き、その軒下に座らせて身体を離すと、言った。  
「わ、わかった…。食べ物を探してくる、待ってて」  
「……ああ……」  
頷いて雷はごろりと仰向けに大の字になった。  
目を閉じた顔には苦痛らしいさまは見られなかったが、ニルチッイは急いで家の中に飛び込んだ。  
 
 
干からびたとうもろこしの焼きパンを噛み締めるようにして食べる雷を見守りながら、  
ニルチッイの顔はどんどん歪んでいった。  
ひどいことばかり言った、私なんか助けに来なくても良かったのに――  
だが涙が次々にこぼれてきて、何度ぬぐってもすぐに視界は曇り、自分の浅慮な行動への怒りと助けに来てくれた雷への熱い気持ちでいっぱいになった。  
そのとき、すっと雷の手がニルチッイの頬に伸びて、大きな手のひらで彼女の頬を包み込んだ。  
「な、何して……」  
「もう……泣かなくてもいいだろ……?」  
ニルチッイは雷の背中にがむしゃらに抱きついた。  
「ニ…、ニルチッイ……!」  
焦ったようなアズマの声と、小さな動揺が彼の身体を走ったのが分かる。  
それでも動かずに身体を寄り添わせていると、次第にアズマの緊張が解けていった。  
「アズマ……ごめん……。助けてくれて……ありがとう」  
ニルチッイはそれだけをやっとのことで言うと、額を離して手当てを始めた。  
手当てと言っても、騒動から身を隠そうと扉を閉ざした街のどこにも逃げ込む場所はなかった。  
ただ無関心を決め込んだある家の軒下を借りて、自分のスカートの裾をわずかに裂いた細い布で止血をするだけしかできないことが、歯痒くてならない。  
幸い腕の弾は貫通していたが、腕の表と裏からじくじくと染み出す鮮血が瞬く間に布を汚していく。  
それも全て自分がアズマを信頼せずに功を焦って街に入り込んだせいなのだ……と、ニルイッチはまた涙をこぼした。  
 
浅慮の結果自分は捕らえられ、動物のように馬に引かれて遠慮ない男の力で  
殴られた。頭が真っ白になり殴り殺されるだろうと思った。  
白人に対する怒りが浮かぶよりもさきに恐怖に息もできないほど怯え震えて  
しまった。その怒りすらも、敵を討てずに命を失うことへの無念に霧散して  
しまった。  
そしてこんなバカな自分を助けに来ないで欲しいと必死に願いながら、  
同時にアズマはきっと助けに来るに違いないとなぜだか信じきっていた。  
なんて、愚かだったんだろう。  
バカは私だ…私のせいでアズマをこんな目に遭わせてしまったんだから。  
「……大丈夫かい……?」  
腕に手がふれる感触がして、見ると、アズマが心配そうにニルチッイの腕に触れて、顔を覗き込んでいた。  
「怖かっただろ……。助けにくるのが遅くなって、ごめんな……」  
そういってアズマはニルチッイの腕を引いた。そのまま、胸の中に引き込んだ。  
そして大切なものを抱きしめるように、守るように静かに抱いた。  
部族を皆殺しにされて独りになって以来、初めて全身を委ねたその暖かさと  
優しさに飢えていたことに気づいてしまった。  
救いを求めるかのようにニルチッイは必死にアズマの胸に全身ですがりついた。  
全身を震わせるニルチッイの震えを止めたいと願うように、アズマは腕に力を入れて抱きしめる。  
――怖かった。怖かった。怖かった!  
全身で声なく叫ぶニルチッチを、アズマはさらに強く抱きしめてやった。  
アズマはさきほどの光景を思い出していた。  
まるで屠殺される動物のように両手をくくられて吊り下げられ、  
嬲られていた少女の姿を。目の裏に焼きついたその姿にアズマの怒りが  
再燃し、それへ呼応したかざわりと膚の奥で修羅がみじろいだ。  
――二度と……あんな真似はさせない……そのためなら何でもできる……してやる……  
 
「…ズマ、アズマ!」  
「……え」  
「服を脱いで!」  
「……なんで?」  
「だから! こっちも、撃たれてるんでしょう?布を替えるからって、言ったでしょう!」  
「へ?」  
昨日ニルイッチを助けられたなかったときの弾痕から、再び血が染み出してニルチッイの服を濡らしていた。  
怒りで痛みなど忘れていたアズマは、指を指されて初めてそのことを思い出した。  
「こっちは……大丈夫。心配ないよ」  
「だめよ!」  
ニルチッイは怒ったように言い、アズマの前で太腿までめくり上げたスカートの下の下着を破った。  
何気なくニルチッイの手先に目をやったアズマは、露わにされた太腿からあわてて目を放し、腰を引いて逃げようとしたが、  
「動かないで!」  
ぐいっと撃たれた腕を捕まえられ、飛び上がった。  
「あ……ごめ……」  
「……いや……大丈夫……」  
片目をしかめただけで笑ってみせたアズマに、ニルチッイは真っ赤になってその上着の裾に手を回した。  
そして、断固として脱がすと決意した顔で引っ張り上げた。  
諦めて腋を浮かすアズマに満足したようにゆっくりと引き上げながら、腹と背に巻かれた布を見てニルチッイは悲痛な面持ちになり、そして全部脱がせた。  
服の上からではよく分からなかった……ただの東洋人の細い体だとばかり思っていた、アズマの肉体は、隙なく鍛え上げられていた。部族の第一の戦士にも劣らぬほど張り詰めた筋肉、それはアズマがドロッイイではない証拠だった。  
上辺ばかりに気を取られていたから、彼がどんな男か見抜けなかった.  
恥ずかしく思い、ニルチッイは、布を外そうとして、硬く縛られている結び目に手をやった。  
「……解けない」  
悔しそうに言ったニルチッイの頭の上でアズマが苦笑するのが分かった。  
「……貸して」  
そしてニルチッイの手から結び目を取ろうと手を重ねた瞬間、ニルチッイはなぜか、その手のひらの硬さに身体を震わせてしまった。  
「……」  
「……ニルチッイ、手を放して――」  
けれどニルチッイは手を放さず、顔を上げもしない。  
「ニルチッイ……?」  
 
再び名を呼ばれてニルチッイはゆっくりと顔を上げた。  
アズマへ吸い込まれるように顔を寄せ、ふっと怯えたように距離を取った。  
その白い埃の上に残る涙の跡がいたわしく、アズマはそっと頬に手をあてた。  
その手の感触にニルチッイがまた小さく身を震わせ、そして、それが合図であったかのように二人は顔をよせた。  
初めは、二人ともに体温を感じようとするかのようにただ押し付けているだけだった。  
少しして離れていったニルチッイの顔は、くしゃくしゃになっていた。  
涙がまたあふれだして、今にもこぼれ落ちそうだった。  
もう、ニルチッイの泣き顔は見たくない……という気持ちと、そのままニルチッイがバラバラに壊れていってしまう――という予感がして、アズマはニルチッイを引き寄せ、額を合わせ、頬を重ねた。  
「……アズマ、アズマ、アズマ!」  
雷は自分の名にすがるように叫ぶニルチッイに、深く口付けた。  
若い生き物の敏捷な体が見知らぬ感覚に戸惑うように腕から逃げていこうとするのをアズマはぐっと懐深く抱き寄せた。するとニルチッイの身体のこわばりは溶けるように消え、この世に自分しか頼るものがいないというように、すがりついてきた。  
アズマは初めて、ニルチッイへの配慮を忘れそうになった。  
全力でニルチッイを抱きしめようとするのをこらえて、泣きながら押し当てた唇をわななかせるニルチッイの腰を優しく抱きしめてやった。  
「……どうして……」  
やがてニルチッイは身を起こし、アズマは小さな温もりが離れるのを見送った。  
「どうして……こんなになってまで助けてくれたの……」  
「ニルチッイを死なせたくなかったから」  
ニルチッイは真っ赤になった。  
「アズマは…私の、クーに関係ない……!」  
またも彼女の目に涙があふれた。  
それを困ったように見つめたアズマが手を伸ばし、拭おうとしたが、ニルチッイは振り払った。  
これ以上優しくされたら、アズマを取り返しのつかないところまで巻き込んでしまうと思った。  
本当は、一緒にいて欲しいと思っているから、涙はこぼれてしまうけれど、アズマの本当の力を思い知った今、アズマがドロッイイではないと分かったからこそ、これ以上自分の都合に巻き込んでしまえば、アズマが死んでしまうかもしれないという恐ろしい予感が離れなかった。  
「関係なく…はない……。 それに、マイイッツォには恩がある……」  
「マイイッツォはアズマのことを、ドロッイイだと思っていた……逃げたって何とも思わない……!なんでドロッイイに見せようとした……っ」  
もし、最初からドロッイイではないと知っていたら。  
無意味な仮定であると知りつつ、ニルチッイはそう思わずにはいられなかった。  
「……ああ、それは……」  
アズマは小さく頭を掻いて笑った。  
「いいんだ、だっておれは、ドロッイイなんだから……」  
「違う!アズマ……嘘をつかないで……っ」  
そう叫び、ニルチッイはアズマの胸に顔をうずめた。  
そうであるなら、自分にこんな気持ちは生まれるはずはないのだから。  
こんなにも、どうしようもない衝動に身を苛まれることもないだろうから。  
 
「……お願い、アズマ……」  
ニルチッイは雷の手を取り、自分のウエストにふれさせて、黒い大きな目を涙に潤ませて言った。  
その言わんとするところを理解し、アズマはそのままにさせてやりながら、ゆるく頭を振った。  
「だめだ……」  
「お願い……」  
ニルチッイの手がじれたように雷の手を動かし、自分の胸にあてた。  
片方でも雷の手に余る大きさと重量感があった。  
ざらざらした布の上からでも、その柔らかさは手のひらに伝わり、雷はぴくりとも手を動かすことができなかった。  
「……村へ帰ろう、ニルチッイ……みんな君を心配していた」  
「……なんで」  
抱いてくれない。私が良いと言っているのに。  
ニルチッイは怒りを込めて雷を睨む。  
雷は笑顔を浮かべて、そんなニルチッイを見上げた。  
「アズマ、私のこと、嫌い……?」  
「嫌いじゃない」  
「じゃあ、どうして!」  
「ニルチッイ、君のクーは終わった。君はもう幸せにならなくちゃいけない。  
俺はよそものだし……ドロッイイだから……それに……俺にはやらなきゃいけないことがある」  
「ウソだ!アズマは……インディアンなんか……抱きたくないんだ!  
それなら正直に言えばいい、私は汚いって。私なんか、抱きたくないって!」  
「違う! ニルチッイ、そんなこと考えるな。  
助けにくるのが遅くなって、ごめん……」  
「バカッ。なんでお前が謝るんだ!私を助けてくれたじゃないか!」  
ドンッと胸を殴ったニルチッイの握りこぶしを捕まえて、アズマはもう一度ニルチッイを抱き寄せた。  
「……ニルチッイは美人だ……だけど、俺は……この身体には、修羅がいる。  
ニルチッイを巻き込むわけにはいかないんだ」  
 
 
 
 

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