バクラムの南下と、それに対する解放軍の反攻によって古都の一画は廃墟と化していた。  
目まぐるしい情勢の変化の中、住んでいた者たちも未だ戻らず、その区域は打ち捨てられたように  
なっている。人気のない荒涼とした眺めの中、鬼神のような形相で目に見えぬ何かに向かって  
一心に槍を打ちこむ女が一人。彼女を突き動かすのは、後悔と自責の念。  
 
(私たちは闘争のための組織だった。こうした最期を迎えることくらいの覚悟は…できていたはずだ!  
 なのに、現実というものには…こうも打ちのめされるのか……)  
   
見通しの甘さ、己への過信、自分を責め立てる言葉は切りがなかった。何度思案しても行きつくのは  
自分が人の上に立つべき人間ではなかった、という結論。  
 
先の戦いで彼女はひどい怪我を負ったため、再会した妹には横になっているように言われていた。しかし、  
その状態は己の惨めさを一層際立たせ、湧き出る自責の言葉をより激しいものとした。いつしか彼女は  
人目を避けてどこか殺伐としたこの場所に赴き、心を空白にするために必死で槍を振り始めた。もう、  
何も考えたくはない。そのつもりで休むことなく身体を動かした。それでも、逃れられぬ思いは彼女を蝕む。  
 
「……もう少し横になっていたらどうだ?誰も、責めやしないぞ」  
小動物のようにびくっとして声の方向へ顔を向ける。誰にもこんな姿を見られたくなかったせいか、  
対象を捉える前にその瞳には敵意が宿っている。赤い髪の有翼人。カノープス・ウォルフとか  
言ったな、とセリエ・フォリナーは思い出す。  
 
「……気を遣うように英雄殿にでも言われたのか?新参者をいつまでも特別扱いしては、士気にも  
 関わるのではないかと思うがな…」  
己に向けられていた毒が、反射的に話しかけてきた男に向けられる。そんな自分の有り様にも  
腹立たしさを覚えるが、一人でいたい、他人を遠ざけたい思いが敵意を煽っていた。  
 
「馬鹿!システィーナが心配してるんだ…。傷に障るぞ、セリエ」  
「自分の体のことは…自分が一番よく知っているさ…」  
(ああ、わかっているさ。ほんとうは、こんなことを続けるのも、もう限界だというくらいはな…)  
 
「少しは妹の気持ちもわかってやれ。もどかしいかもしれないが、今は彼女の支えになってやるくらい  
でいいんだ…」  
「妹に、二人分の働きをしてもらえとでも言うのか?」  
提案に対して鼻で笑うように吐き捨てるセリエ。  
 
「どうした?ここは…そんなに居心地が悪いか?」  
「生き恥を晒したまま大人しくしていろと言うのなら、まさに針のむしろだ……」  
喧嘩腰のセリエの口調に、さすがにカノープスも少し苛立ちを見せる。  
「そうは言ってない。だが、怪我人が焦ったところで何ができる?」  
「私は道化として解放軍に迎えられたということかな?…目の前の口うるさいヤツより  
 役に立つ自信はあるよ。今すぐにでも証明して見せようか?」  
「おいおい……なんでそうなる?少しは話を聞けよ…」  
 
地獄からあふれ出した業火のような、すさまじい殺気がカノープスに向けられる。それに一瞬遅れて  
穂先が彼を向く。彼女が感情を制御できなくなりつつあるのがカノープスにもわかった。  
「…お、おい正気か…?」  
「黙れッ!」  
まさに手負いの獣のような様子のセリエが一直線に穂先を飛ばした。間一髪でカノープスの頬に  
紅の一文字が描かれる。ほんの少し青ざめた後、腹を据えたような顔になった彼は、いったんはばたいて  
距離をとる。手負いだけに、さすがに追撃は来ない。  
 
一突きでは槍の届かない距離で小刻みに翼を動かしたかと思うと、一度全身を使った大きなはばたきをする。  
目に見えて空気の流れが変わり、セリエを凄まじい風圧と轟音が襲った。  
「ああッ!!」  
からん、と金属質の音が辺りに響き渡る。  
 
石畳の上に転げ落ちた槍を手に取るカノープス。セリエの顔には尋常ではない怯えが宿っている。  
「く……こ、殺せ!」  
「…」  
カノープスは倒れ込んだセリエにそっと無言で槍を手渡した。  
 
無防備な表情で槍を受け取るセリエ。どうやら凄まじい烈風が一瞬、彼女の未だ生生しい記憶を  
蘇らせてしまったらしい。  
「…大丈夫か」  
はっとして我に返るセリエ。羞恥心を露にして、素直にカノープスへ詫びる。  
「すま…なかったな。つい…」  
「お互いさまだ。こちらこそ…手荒なことをしてすまなかった。ま、とにかくしばらくはゆっくり休めよ!」  
「…」  
 
返事もせず、立ち上がらないセリエを心配そうに眺めるカノープス。  
「痛む…のか?とりあえず、システィーナのところまでは送っていこう」  
肩を貸そうとするが、向けられた片手で距離を取られてしまう。  
「今は……、一緒にいられる気分じゃなくて…」  
「わかったよ。そうだな、オレに…なにかできることはないかな?」  
「……一人にしてくれないか?」  
「そろそろ、一人でいるのにも飽きてくる頃じゃないか?」  
 
見透かすようなことを言われて少し腹も立った。実際、この男の言う通りだったが素直に認める気になれず  
黙り込む。それに、言いがかりをつけるようにして槍を向けてしまった負い目もあった。沈黙は  
「勝手にしろ」という回答の保留だった。  
 
その男はセリエが倒れ込んでいる石畳に近い、水路脇の草っぱらに無造作に寝転がった。暖かい風。  
天気など意識する余裕のなかったセリエは、今日がとても穏やかな日だったということに今さらながら  
気づく。荒涼とした眺めの中にも日差しは降り注ぎ、隣の男は暖かさに目を細めている。眠ってしまった  
のならその内に立ち去ってしまおうかと一瞬考える。しかし、それもなんとなく自分の弱さを認めるようで  
嫌になり、結局は保留を続けた。  
 
呑気に寝転がる男を横目で見ながら、仲間がいた頃は、だしぬけにこんなわけのわからないヤツを  
取り次いでくることはなかった、と思う。まったく私は大層な身分だったのだなと自嘲しながらも、  
仲間によって自分がずいぶんと守られていたということも、今更ながら思い知らされていた。  
 
その内、この男は何者で、なぜここにいるのかに興味が湧く。大陸から来たらしいが、砦を襲った  
連中のように、ロクでもない目的でこの島に来ているのだろうか?デニムとは一貫して行動を共に  
していると聞いた。それに、システィーナの話を思い返すと、このライムでガルガスタンの連中に  
襲われていた妹の前に飛び込んで盾となったのはこの男らしい。そのせいか、妹もこの男とは  
親しくしているようだ。 しかし何者であれ、なぜこうも私につきまとうのだろう。目的はなんだ?  
わたしを懐柔でもしたいのか? ……それにしても、一体いつからだろうか?  
近寄ってくる人間の意図を必要以上に探るのが当たり前になったのは。目の前に  
いる人間が、『使える』人間か、そうでないかなどと傲慢にも分けるようになった  
のは。今の自分には何の立場も地位もない。私はもう一人なのだ。 …だったら、  
一人の人間として…話したいことを話しても……。自分をなだめすかすようにして、  
セリエは少しためらいがちに口を開いた。  
 
「……いいのか、こんなにのんびりしていて?」  
「…ん?どうせ、もうすぐ馬鹿みたいに忙しくなる。だったら、せいぜい  
 のんびりできるときにしておこうと思ってな…」  
少し眠たそうにカノープスは答える。いい加減な回答にセリエは少し鼻白む。  
「古参の者がそうでは、他の者に示しがつかないのではないか?」  
「他のヤツらにもそうさせてやりたいんだよ。こんなにゆっくりできるのは、  
 これが最後かもしれない。……もちろん、オレにとってもな…」  
 
何を背負っていても、自分たちのしていることは紛れもない殺し合いだ。殺す者と殺される者、  
本質に何ら違いはない。人間、死ぬときは死ぬ…そういうことだ。深読みに過ぎないだろうが、  
何気ない言葉の中に多くの仲間を失った自分への遠まわしな気遣いが含まれているかもしれない。  
都合のいい解釈に少し自分で呆れながらも、知らず知らず話を続ける気になっていた。  
「このライムに来て、実感させてもらった…」  
「ああ。何だ?」  
「兵の錬度もいい。相反する勢力を急ぎ足でまとめあげた割には、統率も行き届いているな。  
 そして……民衆の後押しというものが、確かに感じられる」  
「ありがとう。君にそう思ってもらえるなら、こっちも素直に嬉しいよ」  
 
指導者デニムの公私に渡る相談相手として共に戦ってきたカノープスは、言葉通りの素直な喜びを  
見せた。しかし、解放軍をたたえる言葉とは裏腹にセリエの顔に哀しみが浮かんでいるのを、  
その言葉を発してから気づく。  
 
「情けない話だが、これは嫉妬…かもしれないな。今にして思えば、私たちはそんなものを  
 背にして戦ったことはほとんどなかったのでね…。はた迷惑な破壊活動、それが私たちの行動に  
 与えられた評価だ。それでも、いつか民衆は私たちを理解するはずだ、そんな風に  
 信じてはいたのだけれど…」  
「エラそうな言い方だがこれは…機が熟した、というヤツじゃないか?…だから、君たちが  
 早過ぎただけかもしれない。誰が正しくて誰が間違っている、そんな単純な問題じゃないさ…」  
「結局、私たちのしてきたことはただの撹乱だ。大局は動かなかった…。ただ、それに乗じて  
 事を為した…気になっていただけだ」  
「なにも民の評価が全てではないさ。…彼らは全てを見通している訳じゃない。肝心なことに  
 気がついていない時だってある。オレたちと、君たちのしてきたことに違いなんて…ない」  
セリエは目をつむり、無言で首を横に振る。  
「あまり自分を責めるな。今…どんなに思いつめたところで、どうせロクな答えは出てこないさ」  
それに対する返答はなく、しばし沈黙が場を支配する。  
 
(それにしても…私はいつから必要もないことを…こんなにぺらぺらと…)  
沈黙の中、セリエは自問自答していた。  
(未練がましいぞ、セリエ。お前が生き残ったのは、こんなお喋りをするためではないはずだ!)  
しかし己を律しようとする内なる声も、自分の言葉を誰かに聞いてもらいたいという欲求を  
止めることはできなかった。  
(これは…遺言のようなものだ……。だから…)  
 
ふと、何気ない仕草でそっとカノープスの翼に触れるセリエ。  
「なんだ?…気になるか?」  
「カノープス、この翼は………あなたに自由をくれたか?」  
予想もしない問いかけに、少し考えながら答えるカノープス。  
「なぜ…かな?」  
 
「……大空を飛び回り、自由に生きたい」  
「ん?」  
「それが子供の頃の夢…」  
さびしく笑いながらセリエは付け加えた。  
「ただの空想みたいなものだから…忘れて」  
「話してくれよ。笑ったりはしない、黙って聞くさ」  
 
ためらいの沈黙の後、大きく咳払いをする。やがて覚悟を決めたのかセリエは語り出した。  
「妹から…聞いているか?私たちの父親はかつてハイムの大神官だった。だいたい想像がつくと  
思うが……本当に厳しく育てられたよ…」  
「聖職者の娘とはね。まあ、意外…でもないか」  
 
「まして、私は長子。それも結局、私の下に男子は生まれず、女ながらに父の後継者となるべく教えを受けた。  
昔の私は父に叱られないか、家の外では父の名を汚したりしていないか、知らず知らず父なる神の教えに  
背いてはいないか、そういうことばかり気にしていてね…。籠の鳥には、眺める空の名も知れぬ鳥が  
飛びまわる姿さえ羨ましかった、そんなつまらないお話だよ」  
「人の夢なんて案外なそんなものだったりするものさ。別に恥ずかしがることじゃない」  
「…まあ、現実に自由に飛ぶことの出来るあなたには、こういう憧れは理解できないだろう」  
「そんなことはないさ…。それに、憧れてもらって悪い気はしない」  
カノープスの無邪気な微笑み。それに勇気づけられるように、セリエは続ける。  
 
「それだけではない。空への憧れのせいか、『心清らかな乙女が命を落とすとき、大いなる父のみ恵みに  
よって天使としての命を授かる』、こんな子供じみた迷信を、ずっと心に信じて…いや少なくとも  
 心の片隅に置いて、戦ってきたのだ。心に正しささえ抱いていれば、やがて純白の翼を得て、自由に  
飛びまわれる…そんな訳があるか!それに……さんざん人の命を奪った『テロリストの首領』が  
心清らかな乙女だと!笑えるだろう…」  
「誰も…笑ったりはしない。……それよりな、もう終わりか。よかったらもっと続けて  
くれないか?いや、別に無理強いはしない!なんとなく…興味が湧いて来てな」  
セリエの警戒心はだいぶ薄らいでいた。それに自分に対する興味を向けられて、悪い気が  
しないのも事実だった。やがて、彼女の口が再び動きはじめた。  
 

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