いつものように菊音が物作りをしている時だった。
「おーっす、マイスイートハニー菊音ー。遊びに来たぞ!」
複雑な部分の細工に集中していただけに、よく聞きなれた声と口調、そしてセリフに菊音はがくりと脱力させられた。
そんな事などお構いなしに、声の主、市松は作業場兼菊音の部屋へ、どかどかと入ってきた。
「よう、菊音。ん〜?また、なんか作ってんのか?」
真後ろに立ち、肩越しに手元を覗き込んでくる市松の気配に、菊音は鼓動が乱れるのを感じた。
それでも何事も無かったかのように、出来るだけそっけなく、
「そうよ。作業中なんだから、邪魔しないでよ」
と、菊音は応じた。
しかし、市松がそれでそうかと部屋を出て行く訳がない。
「そう言うなよ。せっかく遊びに来てやったんだからさー。いらっしゃいのちゅーでも」
「し・ま・せ・んっ!」
「じゃあ、会えて嬉しいという親愛の情を示す抱擁を」
「しーまーせーんー。……もうちょっとで終わるから、用があるならそこで待ってて」
作業を妨害される事は本意ではないけれど、かと言って、出て行って、と言う気も起こらず、菊音は空いている椅子を手にしていたニッパーで示した。
「ちぇー」
市松は子供のように口を突き出して、しぶしぶといった風にそこに座った。
「あとちょっとだから」
菊音はもう一度そう言って、作業に戻った。
市松はしばらくの間黙っていたが、菊音がそれまで使っていた道具をしまい、はけで関節部分などのゴミを払い始めると、口を開いた。
「なー、菊音ー。今日はなに作ってたんだ?」
「義手よ」
「義手?俺はちゃんと両手あるぜ?」
「誰がお市さんの義手だなんて言ったのよ。これは朱里の」
「朱里?赤の王か?」
市松の声質が少し変わった気がしたので顔を上げると、市松は両腕を胸の前で組んで座ったままで、表情は大して変わっていなかった。
けれど、先ほどの口調はどこか怒っていたように聞こえたから、菊音は首を傾げた。
「そうよ?……だって、片手じゃ不便じゃない」
「まあな」
やはりいつもと少し調子が違う。
菊音はもしやと思い、義手を持ったまま、市松の方をきちんと向いてにんまりと笑い、
「お市さん、もしかして……やきもち?」
と尋ねてみた。
市松の眉が一瞬ぴくりと上がった。
しかし、今度は市松の方がにまりと笑った。
「なんだ、菊音。妬いてほしかったのか?」
「はっ、はあっ?な、なんでそうなるのっ!」
せっかくたまには自分のペースに乗せてやろうと思ったのに、それが災いしたらしい。
市松は組んだ脚にひじを乗せ、頬杖を付いて、自信たっぷりの笑みを浮かべた。
「だってなぁ……」
「だ、だって何よっ!」
「まあ、たまには俺専用の道具でも作ってみてほしいけど……」
「けど……?」
「菊音は俺との子供を作るという、他の誰にも出来ないこと」
「お市さんのバカーっ!」
バコッ!
菊音の手にあった、義手から拳が飛び、鈍い音と共に市松の額に命中した。
「あたっ!」
「もうっ!なんですぐ、そういうこと言うのっ!」
顔から火が出る、という表現がぴったりなほど、顔が熱くなるのを感じながら、菊音はきりきりと飛び出した拳を巻き戻した。
「あつつつつ……そう、怒るなよ」
市松は額をさすりながら、椅子から滑るように降りて菊音の前に膝をついた。
「お市さんてば、そんな事ばっかり」
市松に求められる事が嫌な訳ではないけれど、いつも唐突にしかもダイレクトに言うのだけは勘弁してほしい。
俯いて拳を義手の手首にはめ直している菊音の頭に、市松がそっと手を置いた。
いつもなら、いいじゃーん、と抱きついてきそうなところで、不意に頭に手を乗せられ、菊音は思わずぎゅっと目を瞑って肩をすくめると、額に唇が落ちてきた。
「菊音がその気になったらな」
離れていく唇が告げる言葉に菊音が顔を上げると、市松は菊音の髪を一度梳いて立ち上がった。
「…………」
何か言いたいのに、何を言っていいか分からなくて、ただ市松を見上げていると、市松は親指と人差し指で円を作っていつものように笑った。
「早くその気になれよ。俺はいつでも待ってるからな」
「あ……お、お市さんのすけべっ!」
本当はもっと違うことを言いたい筈なのに、菊音はそうとしか言えずに、笑いながら部屋を出て行く市松の背を見送った。
(了)