「座木、入るよ」
返事が聞こえる前に扉を開ける。
茶々がそうするのはいつもの事だったけれど、今日の彼女の胸中はいつもと少し違っていた。
同じ大きさの期待と不安が行ったり来たりしているせいで、朝から落ち着かないでいた。
今日は座木の最後の包帯が取れる日だ。
熊野で自分を助けた時に全身に大火傷を負い、身体中何箇所も骨を折った。
タタラが助けに行ってくれなかったら間違いなく死んでいた。
あの時の事を思い出すと、今でも弱い自分に激しい怒りを感じる。
今もまたその怒りが胸の辺りまでこみ上げてきていたが、
「茶々」
座木の声を聞き、包帯が取れた彼の姿を見た瞬間、その怒りは完全にではないものの、影を潜めた。
ずっと無理な運動を止められていたせいで筋肉が多少落ちてはしまっているが、
広い肩や厚い胸板は変わっていない。
消せない痕はあるけれど、火傷はほとんど良くなっているようだった。
「もうどこも悪いところはありませんよ」
ナギが包帯をまとめながら、穏やかな口調で言う。
彼が言うのだから本当なのだろう。
「ですが、急に激しい運動をしたりしないで、徐々に身体を慣らしていって下さいね」
ナギは念を押すようにそう言うと、はさみを道具箱にしまい、丸めた包帯を持って部屋を出て行った。
ナギが部屋から出て行くと、茶々は座木の傍へと歩み寄った。
「痛みはもう無いのかい?」
肩に残る火傷の痕に指を近づけながら問うと、
「ああ。急に無理な力を出すと、骨がきしむだろうとは言われたが」
座木は身体を見回しながらそう答えてくれた。
その言葉に心にあった不安が一気に押し流されていき、緊張が解けた茶々は座木の隣に
大きな安堵のため息と共に腰を下ろした。
「珍しいな。茶々からそんな風に気が抜けるなんて」
目を細めながらそんな事を言う座木がにくたらしい。
誰のせいだと思っているのだ。
「心配事が一つなくなったからねえ。気も抜けるってもんじゃないの」
「心配させたか」
「……座木が居なくなったら、誰があたしの後ろを守るんだい?自分の心配だよ」
「そうか」
『そうか』じゃないよ、まったく。
なんのかのと言いながら、こちらの事を全て見透かしているような目が気に入らない。
気に入らないけれど、分かってくれていると思うからこそ、背中を、そして全てを預けられる。
こちらを向いている顔に手を伸ばし、頬に触れると、細い目が微かな笑みを作った。
その手を太い首に下ろしてこちらに引き寄せる。
自分でも首を少し傾け、目を細めると、唇が重なった。
緩く唇を咥えて、ゆっくりと顔を離す。
「今度あんなことしたら、ただじゃおかないからね」
首から手を離し、指を鼻先に突きつけると、彼は小さな笑みをたたえたまま、ああ、とだけ言った。
男でこの状況にあったら、もうちょっと何か言っても良さそうなものなのに、
気が利かないとかいう次元ではなく、本当にこの男は自分からは何も望んでこない。
それが常になっているとは言っても、これだけ久しぶりなのだから……。
不満めいたものが茶々の頭をよぎったけれど、彼女はすぐにそんな自分の想いを否定した。
いや、そうじゃない。
これが自分たちの関係なのだ。
命じるのは常に自分。
従うのは常に彼。
小理屈はいらない。それでいい。
茶々はもう一度、彼の首を自分の方へと引き寄せた。
先ほどより深い口付けを交わす。
唇を食み、角度を変える。
久しぶりに触れた座木の薄い唇は、茶々自身が思っていた以上に彼女を煽った。
彼に身体を押し付け幾度もそれを繰り返すうちに、座木の腕が腰に廻ってくると、
茶々は更に身体を彼に預けて、二人はベッドに倒れこんだ。
離れてしまった唇の間で荒い息遣いを繰り返しながら、至近距離で数秒見つめあう。
自分の身体の下にある彼の身体は、痩せたとは言っても相変わらず広くて、
自分がこうして乗っていても絶対に壊れたりしないという安心感を与えてくれた。
本当によかった……。
そう呟いてしまいそうになった唇を茶々は自分で塞ぎ、また彼の唇を貪り始めた。
色々な想いが頭の中をよぎったけれど、唇を深め、舌を潜らせているうちに、
それらの事に意識を回せなくなってきた。
座木は何もしない。
背を抱く腕の力が強くなっただけだ。
けれど、それだけで十分に彼の体温が伝わってくる。
自分が頭を抱きこんで、乱暴に舌を絡めれば絡めるほど、伝わる体温が高くなってくる。
唇が離れてしまわないようにしながら、脚を座木の脚の間に入れると、
腿に硬いものがはっきりと触れてきた。
そこで、ようやく茶々は座木から顔を離し、うっすらと笑みを浮かべた。
息を整えながら濡れた唇を指の腹で拭い、真下の男を見下ろす。
「こっちも問題ないみたいだね」
「運が良かったらしいな」
「本当にね」
疼きに急かされ、適当に相槌を打って、茶々は座木の胸に口付けた。
火傷の痕に指だけでそっと触れ、そのすぐ脇に赤い跡を残す。
腕に目をやると、ひときわ大きな痕が目に入った。
「刺青……消えちまったねぇ……」
鳩尾へとキスをすると、ひくりと腹筋が震えた。
「っ……ああ、背中も半分近くは消えてるらしい」
「……いい絵だったのにね」
わき腹にある深い刀傷を横目で捕らえながら、
若干浅くなってしまった腹の隆起を唇で辿っていくと、
胸の間に座木の屹立が触れた。
「……服が邪魔だね」
腰紐を緩めて服を引っ張ると、それが顔を出した。
とうの昔に見慣れたものの筈なのに、目の前にすると動悸が激しくなる。
疼く身体の隙間を埋めたくて、どうしようもなくなってくる。
茶々はそれに軽く口付けてから、自分の服に手をかけて身体を起こした。
「茶々……」
冷静を装ってはいるものの、少し掠れた声は彼も余裕がなくなってきている事を伝えてくる。
いつもだったら、この程度で余裕をなくしたりしないくせに……。
今日、いつもとは違う風になっているのは自分だけではないらしい。
そう思うと茶々は嬉しくなった。
「溜まってんのかい?らしくないね」
服を脱ぎ捨てると、茶々は彼の腹に跨った。
「誰かさんが珍しく遠慮してくれたおかげでな」
まだ完全には準備が整っていなかったけれど、そこを座木に重ねただけで、
身体の芯は熱を零し始めた。
「無理して使えなくなったら、笑い話にもならないからね」
身体を前後に揺らして、口の端を上げて見せる。
「茶々……」
「なんだい?」
脚に伸びてきた手をぺしりと叩いて、そっけなくあしらうと、今度は両手が腰に伸びてきた。
その手に自分の手を重ねたけれど、
『焦らすな』
と、座木に言わせたくて茶々は身体を揺らしながら、どうかしたかい、と更に尋ねた。
しかし、座木は期待に応えてはくれず、腰から脇へと大きな手を登らせて、
「傷が残ったな」
と言った。
確かに錵山将軍との戦いで受けた傷は完全には消えなかったけれど、
そんな事は今どうでもいいではないか。
身体に残った傷なんて、今に始まったことではない。
それなのに、
「なんで、今日に限ってそんな事言うのさ」
「駄目か?」
この状況にもかかわらず、ベッドから自分を見上げてくる座木の小さな笑みは優しい。
ああ、もう、今見たいのはそんな顔じゃないのに。
私のせいで歪むあんたの顔が見たいのに。
「傷の事なんて、今はどうでもいいじゃないか」
「それもそうだな」
まだ不満は残るものの、多少は納得のいく返答をした座木の腕を引っ張って彼を起こすと、
茶々はその逞しい首に腕を絡め、笑みを形作っている彼の唇に唇を重ねた。
それまで脇に添えられていた座木の手が尻へと滑り降りてきて、茶々の身体を持ち上げた。
自分で擦り付けていたせいで十分に潤った場所に、先端がもぐりこんできた。
重なっている唇を舐めながら、自分からゆっくり身体を落としていく。
答えるように舌を食んでいた座木の唇がその動きを止め、
喉が小さく鳴る音が耳に届き、ちょっとした優越感が茶々を支配した。
ほら、やっぱり余裕がなかったんじゃないか。
しかし、それもほんの数瞬のことで、今度は座木の舌が唇に触れてきた。
まるで、舌も欲しいんだろう、と言われているような動きで、
せっかく感じた優越感はどこかに行ってしまったけれど、その動きは同時に、
座木を焦らそうという思いも茶々から奪っていった。
堪えきれずに、舌を差し出すと座木の舌が絡みついてきた。
ゆっくりと堪能するように舌を絡め合おうとしたが、身体は思惑通りには動かず、
茶々は身体を座木に押し付けながら、絡まる舌を貪り始めた。
座木も合わせて身体を動かし、舌を絡めてきてくれる。
「んッ!…ふ……ぅんンッッ!んあッ!」
凄い速さで理性やさっきまであった座木に対するプライドがどこかへ去っていく。
唇の端から零れる自分の声すらも、茶々の理性を麻痺させる要素にしかならず、
久しぶりに味わう痺れが身体を上から下へ、下から上へと駆け巡る。
その快感をもっと欲して、茶々は更に身体の動きを強めようとした。
けれど、そうするより先に左足を膝から掬われた。
あまりに急なことで身体のバランスを崩し、ただ絡めていただけの腕で彼にしがみつくと、
そのまま身体がゆっくりと倒された。
離れてしまった唇で大きく息をした瞬間、座木の重さが茶々を貫いた。
「……ッッ!!」
その勢いに身体が仰け反り、声にならない掠れた嬌声が茶々の口から上がった。
座木は動きを止めず、繰り返し茶々を貫いた。
耳元で座木が荒い息遣いを繰り返す。
その息遣いにさえ、身体は反応し、茶々は脳髄が痺れるような感覚を味わった。
「あッ!……アァッ!……っ、座…ッ、……ぃ、…あ、ああッ!!」
座木が動くたびに声が上がる。
片足を抱えられ、そんなに奥まで入らないというほど身体に押し入られ、
それでも茶々は座木にしがみついて、意識が途切れるまで彼を求めた。
「急に激しい運動はしないように、と言ったのですが……」
「む……いや、まあ、あの二人なら身体を鍛えているから大丈夫でしょう」
「しかし、女性一人を抱えるというのは、思いのほか力を使うでしょう?」
「や、まあ、それはそうなんでしょうが」
「……角じい。おハルさんにお茶でも入れてもらいましょうか」
「そうですな。……おお、そうそう、ナギさま、タタラたちが沖縄から持ってきた
なんでしたか、砂糖菓子のような……あれを食べましょう」
この日、この二人は食堂で夜を明かすこととなった。
(了)